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まあ、「正論」や「一般論」や「辞書に書いてあること」や「歴史が証明しているもの」を突きつけられた時に何をどう思うかは人それぞれで、「そんなのただの正論だろ」「そんなの見せられても自分は違うしなあとしか思わない」と軽くいなせる人もいると思うので、あくまでも私個人の感想ですが。 長々と失礼いたしました。 by ふるる 参照先不明 参照先不明 否定するつもりはないんだけど、非力な日本人へのプロテストのために、個個人が指摘をされるってのは、なんとなくお門違いな気がするよ。 個個人は語の使用が不完全な(と孤蓬さんがいう)現代日本人のサンプルなんだろうか。 あるときは孤蓬さんは、間違いを老婆心から指摘するに止めるというんだけども。 もちろん言葉遣いが変な人に疑問や違和感やもっというと怒りをもつのは否定しない。 ただ、孤蓬さんの憂慮の背後に語の用法の乱脈への義憤があり、その乱脈を確かめるように各個人に釘を刺すのはどうか。 俺だって間違うから世の中の腐敗の片棒を担いでいるかもしれん。しかし間違いが腐敗や非力を生み出すというのはちょっと言い過ぎでは? 概ね間違いをして気付くことで、ひとは変わる、けどなかなか変われない。それを放置するのは変だけど、かといって、律儀に釘を刺すことで、互いに学びは訪れるのだろうか。 実際多くの方が稚拙であっても反論するのは無理からぬ面があるだろう。 ひとはなかなか変われないから変わりたいと強く願う。そう思い、その人達が孤蓬さんと学びたいというまで、苦々しい思いをもちながらも待つことが教育なのではなかろうか。 孤蓬さんの態度は美しいと思う。しかしそれがこの日本の国語状況を変えようとするならこのような小競り合いで何が生まれるだろう。 しかし僕個人は国語全体の腐敗というか非力だという観測を持ちえない、誰か英雄的な活躍が国語全体の状況を変えうるとは思わない。言葉は他者とのものだから。 だから、おまえまずいよとは言えても全体状況の改善のために個個人に釘を刺すのは違和感がある。人の語の使用と思索によって言葉はかわる。その中には孤蓬さんが間違いを感じるものもあるだろう 全体の国語のためにひとりひとりが指弾されるのは本末転倒している気がする。 僕はずいぶん批判したわけだが、美しく正しいことを目指す人には「かなわないな」というしかないのだ。 僕だって自分の理のためには人を苦しめることが多い。自分のかわらなさを嘆く。僕は正しく生きられない。昔の人の嘆きや様々な声つまりもののあわれは、人が未完成な生しか畢竟生きられぬという深い洞察からあらわれ、それでもその声を響かせることで何かにつながりたいという切ない希求からあらわれていると思う。僕は古典に対して無学なので、孤蓬さんに申し上げるのは忸怩たるものがありますが。すまない。 sage by 石川和広 参照先不明 >>30 まず「非力ながらのプロテスト」という表現を適切に用いなかったことをお詫びいたします。 またレスありがとうございました。もう少し丁寧に考えてみます。少し前のレスは乱暴だったかもしれません。 孤蓬さんの指摘の内容自体は、つまり誤用や違和のある表現を指摘すること自体はおかしくないと思うのです。また、もちろん孤蓬さんが文科省の回し者だとも思っていません。個人の責任で活動されていると理解しています。 かつても孤蓬さんとは立場がちがうかもしれないけれど、批評家の福田恒存が官製の国語施策への批判をしておられました。彼はその頃から歴史的仮名遣い表記を用いていましたね。 さて、しかし私も少し感情的になっていたから、乱暴な批判になっていたのかもしれません。ただ、国家を背景にしていないのはわかる。個人的な信念によって活動されていることも理解します。ただ、やはり以下のような一節が気になるのです。 >私の指摘は作者に対する非難ではなく、公開された作品をサンプルとして、そうした言葉遣いが誤り、あるいは違和感のある表現であることを、公開の場で、それを読むであろう方々の参考に供しているのです。 ここでわかったのは、これでは指摘された方々のうち幾人かが困惑したり怒ったりするのは致し方ないのではということです。 「参考になれば」というのは孤蓬さんの譲歩の表現なのかもしれないけれど、しかしこの文章の意味はやはりサンプルとしてあるいは症例として検討するということです。ならば、孤蓬さんが一文をものして、ご自分の文語表現に対する立場を表明する方が私にはすんなりわかるのです。 「作者に対する非難」ではないというのはわかります。けれど、やはり作品の送り手としては作者がいるわけです。第三者に触れられるとしても。 もちろん間違いに無自覚な表現を公開することというのは、私もどうなんだろうかと思う。適切な指摘は受けることは自然ですらある。ただ、「サンプルとして」「公開の場で」「参考に供する」というのは、どうなんだろうかと思う。 それよりは書き手に指南するのであれば、書き手自身に向き合って「これは間違っていますよ」と諭すほうが良いと思う。そうでなく「公開」において多くの方の「参考に」供するのであれば、孤蓬さん自身が間違いやすい文例を作ったりして、古文を書く際の注意点として表示するほうが理解しやすいのではないか。どちらかにしないと何となく指摘された方々も自分の無知を顧みるよりも、自分が出しに使われたと悪意に取る人もいるのではないかと思うのです。その人にも問題はあるのかもしれないですが。 私は優しい配慮を求めているというよりも、現在の孤蓬さんの信条やスタンスからするとそれがいいのかなとお節介ながら感じておるのです。 異なる信条の方々に伝える時、相手の信条との関わりは「サンプル」化できないと思います。 作品それぞれをサンプルとして扱うというのはどうなんだろうか。しかし語りかけているのは作者に対してです。それが広がりを持つというのは当たり前なんだけど、もし広く参考に供するのであれば、孤蓬さん自身のガイドラインを大まかに示すということが妥当と私は思うのですが。 つまり互いの学びということを目的とするなら、ひとりひとりをあたっていくよりも散文として、アナウンスメントをすることが今は効果を持つのではないかと考えるのです。そうして孤蓬さんの考えをコメント欄ではなく公にすること。孤蓬さんは個人でやっているのだが、孤蓬さんの活動は賛否はあれど広く影響をもっているからそう述べるのです。私は個人的には歴史や古いものに対し敬意を持ちたいと思っているのですが。 しかしそれは一人ひとりが愛する心の芽生えるのを待つしかないと絶望半分で思っているのです。また古文も学説的な説はありますが耐えざる新しい読解がありうると思います。それはここでは一応おきます。 #私は石川和広です。よくDMなんかで間違えられるのです。変換では「和弘」のほうが先に出やすいみたいなんですが。sage by 石川和広 >>25 孤蓬さんへ 再びありがとうございます。 お返事を読みまして、孤蓬さんの信じる道がどんな感じなのかだいたい分かりましたので、 今後私の書いたものにご指摘があったとしても、むやみにむっとしたりあわてたりしないでしょう。 もしよろしければこちらのスレッドででも、古文を愛することになったきっかけ や思い入れなどを伺いたいなと思いました。(お時間がある時にでも・・・) 個々に信じる神がいて、それぞれが正しいと信じる道をそれぞれに歩いていける、 衝突もある、けど口はふさがれず望むならなんとなく対話を続けていける、 そういう場所でありますように。 sage by ふるる 参照先不明 こんばんは。 まだ入会して日が浅く、気になっておりましたのは、孤蓬さんが34でおっしゃっている以下のところです。 >1.作品を公開するということは、誹謗中傷を含めあらゆる反応が起こるリスクが、厳然たる >事実として、そこ存在する。作品公開に当たっては、作者はそれを覚悟すべきであると考える。 > >2.その反応が、法令及びルール(ここではフォーラムのローカル・ルール)を逸脱する場合に >ついては、法令及びルールに基づき、しばしば強制力を伴う措置が執られるが、法令及びルー >ルの範囲内であれば、あらゆる行為が甘受されるべきであると考える。 私自身にかんしては異論ありません。言わずもがなかも知れませんが、1については、 「誹謗中傷を含めあらゆる反応が起こるリスクや、じぶんが書いたことばが誰かを傷つけるリスクが」 と、内心では自戒して読み替えておきたく存じます。 そして(孤蓬さんには迂遠かもしれませんが)、 ◯書き手の立場での私は、誹謗中傷が起こるリスクを覚悟して作品を公開するけれども、 ◯その誹謗中傷が、2で挙げられる「法令及びルール」を逸脱した場合、しばしば強制力を伴う措置が執られ、その範囲で保護されることになる という点は、念のため確認しておきたく思います。 また、2の「甘受」の意味として、「その反応」に反論する(相手の反応を認めたうえで、さらにじぶんも「反応」していく)ことも含まれるであろうと解しております。これは作品に対する「反応」もまた、1の下に置かれるということとしてです。 ただ、気になっておりますのは、 「詩のSNSであるこの現代詩フォーラムは、1を書き手に求める場なのかどうか」 ということです。 と申しますのも、SNSを穏当な社交の場と考えましたら「誹謗中傷が起こるリスク」は、2を待つまでもなく書き手に負わせないという判断もありうるのではと思うからです。 この点を明確化することは難しいようにも思えますし、以前も似た議論があっておかしくないであろうところです(すみませんが、過去ログはあたっておりません)。 私としては、さまざまな考えの会員のかたがいらっしゃることを思うと、この会内においては1を前提にするべきではない、と思っております。 (但、この会に投稿された文章は、インターネットで公開されておりますので、会の外部までを規定することはできません。ですから会の外部にあっては、1が原則になるかと存じます) sage by 白井明大 参照先不明 参照先不明 孤蓬さん こんにちは。お返事ありがとうございます。 おっしゃるとおり、SNSといっても1の前段のリスクは生じるであろうと思います。1の後段は判断の分かれるところかもしれません。 また、SNSといっても必ずしも「穏当な社交の場」とは限らないと思っております(ですので、1の是非をSNSであることから一義的に導こうという考えではありませんでした。拙文申し訳ありません)。いろいろなSNSのありかたがあって、よいように思います。 では、この現代詩フォーラムは、どのような場を志向するのでしょう。システムのあり方や、ローカル・ルールからおおよそが見えてくるのかもしれませんし、実際に志向しているところがあるのかもしれませんので、そうしたところに私は関心を持っております。 孤蓬さんのなさるコメントに関しては、私から申し上げたいことはとくにありません。 1と2、として挙げてくださったことが上記の関心と重なりましたもので興味が起こった次第です。 1に関しては後段が判断の分かれるところであろうか、と上述しましたが、それもSNSとして志向するありかた次第かと思っております(私見は35のとおりです)。 気をつけたいことのひとつは、おっしゃるとおり「法令やルール<以外>の所で、他者を規制しようとする、あるいは、自主規制を強いようとする雰囲気が醸成されること」です。 このことは33でふるるさんおっしゃるように、 「個々に信じる神がいて、それぞれが正しいと信じる道をそれぞれに歩いていける、 衝突もある、けど口はふさがれず望むならなんとなく対話を続けていける、 そういう場所でありますように。」 というものが望ましいように思います。 そのとき「衝突」の度合いをどのあたりまでとみるのかが、いろいろな意見のあるところなのだろうかと思っております。 いずれにしましても、個別のことがらを離れて、ここがどのような場を志向しているのかに関してこうしてお話ができますことは、私には楽しいことです。ありがとうございます。 ※sageとしますのも、SNSとしてどのような場なのかいまだ分かりませんゆえ、穏当なラインをふまえようかという浅慮にすぎません。議論の相手方に対して失礼にあたらないかと危惧いたしますが、どうぞご容赦ください。 by 白井明大 孤蓬さんへ、白井明大さんへ。 蒸し返しになるかもしれないけれど、私の意見を公けにしておきます。 孤蓬さんの発言 >>36 >ただし、そのリスクから個人を保護するのが、法令であり、また、SNSのような場におい >ては、更にローカル・ルールが会員を保護しています。 >そうして、その保護は、法令やルールに規定された範囲においてなされます。 を見て。そう言えば現フォにルール集なんてあったんかいな、と思ってメニューを探し てみると、ヘルプの中だったんですな。なのでちょっとオドロイタ。(笑) どうりで普段 は見かけないワケです。 mixiだと「より健全なSNSを目指して」なんていうスローガンじみたのが、トップの見 える場所に入っている。これはまあルールと言うより「mixiはこのような管理運営をやっ てます」という宣伝みたいなモノだけれど、私にすればうっとうしいし、裏読みすればこ れを盾にどんなまっとうな訴えが抹消されているのか、などと思えて薄気味が悪い。これ はまぁ、mixiが様々な人を受け入れる為には仕方のないことでしょうけど。 ワタシは。現フォのような、目的を持った交信場所のルールというのは最小限度にとど めるべきだと思っています。 目的の追求自体が自発的なルールとなるだろうし、その達成のためならばある程度自由 なコミニュケーションが必要だと私は思う。論戦もコミニュケーションの一様式であると 割り切って考えています。(敢えて書けば、目的が共有できないのであれば、それは間違 った会社に就職したようなものではないかと思います) ルールがブレるのは良くないから、それを防ぐ意味あいで、ある程度の明文化は必要で しょうけれど。ごちゃごちゃ書いたって「何だメンドクセエ場所だなァ」で人を遠ざける だけだろうし。 ルールを厳格にしたりガイドラインを示したりしても、例えば議論が過激になった時に、 それに対して互いに「ローカルルールの何条何項に反しているぞ」みたいな話しか出来な いのだとしたら、情けないと思う。 現フォのやり方はスッキリしていると思います。深刻で法的にしか解決がつかないもの は、法律で解決するほかはない。私としても、別にフォーラムの上で裁判の真似事をやっ て欲しいワケじゃないのです。 詩、あるいは文学の話としての部分を見たいから、議論は持ち込まれてくるのだと思い たい。 孤蓬さんの発言 >>34 >1.作品を公開するということは、誹謗中傷を含めあらゆる反応が起こるリスクが、厳然たる >事実として、そこ存在する。作品公開に当たっては、作者はそれを覚悟すべきであると考える。 白井明大さんの発言 >>35 >私としては、さまざまな考えの会員のかたがいらっしゃることを思うと、この会内においては >1を前提にするべきではない、と思っております。 お二人の考え方の相違点はここにはっきり出ています。 私としては、孤蓬さんが先に挙げた1.というのは、ローカルルールというよりは、むし ろそれ以前に、あらゆる公衆の目に触れる場所にものを書く場合の、前提条件じゃないの かな、と思う。 あるいは書き手として知るべき事、だと。 そんな大事だとは思ってなかった、と書いている皆さんは言うかもしれないけれども。 誤謬の指摘程度は問題にならないと私は思っています。 間違いは単なる間違いだし、立場の違いから来る異論は、その信憑性が問われる事にな る。それだけの事です。 自分を律する規範がブレないのならば、自分を利するのが目的でなければ、ヒールとい うスタンスは自分が汚名を着ることを交換条件とする分、むしろ潔いとも言えます。 あと、きちんと議論しようとする人は慣例的に私信を嫌う傾向があるという事は申し添 えておきます。表裏はない、表で言ってることに統一されているという事です。 文責 大村浩一 by 大村 浩一 大村 浩一さん 孤蓬さん 蛾兆ボルカさん こんにちは。 大村さん ていねいなコメントありがとうございます。 >>39 で前述いたしましたとおり、1のうち前段の、 >1.作品を公開するということは、誹謗中傷を含めあらゆる反応が起こるリスクが、厳然たる >事実として、そこ存在する。 という点は異論ないのです。作品というものは、読み手の反応を呼び起こす可能性を秘めており、その反応としてあらゆる事態が起こりうる、というのは文字通り「事実として、そこに存在する」と思います。 ただ後段の、 >作品公開に当たっては、作者はそれを覚悟すべきであると考える。 については、その「覚悟」をするもしないも個々の書き手に委ねてよいのではと思っております。 これは読み手という立場からの願望ですが、詩の場はちょっとゆるいほうが、思いもよらない自由な詩が出現しやすいのではないかと思っております。 * 別論点ですが、 大村さん> 「ヒールというスタンス」とは、どういったことなのでしょう。 そこには、プロレスのヒール役のような振る舞いで他者の詩にコメントを付す、といったことも含まれるのでしょうか……。 sage by 白井明大 参照先不明 >>44 白井明大さん 論点を確認するために、再度書きます。 >「1.作品を公開するということは、誹謗中傷を含めあらゆる反応が起こるリスクが、厳然たる >事実として、そこに存在する。」 >という点は異論ないのです。作品というものは、読み手の反応を呼び起こす可能性を秘めており、 >その反応としてあらゆる事態が起こりうる、というのは文字通り「事実として、そこに存在する」 >と思います。 >ただ後段の「作品公開に当たっては、作者はそれを覚悟すべきであると考える。」 >については、その「覚悟」をするもしないも個々の書き手に委ねてよいのではと思っております。 私もまた全ての書き手が、あらゆる反応には覚悟しようがしまいが晒されているし、ま たその覚悟も個々の書き手にゆだねる他はない、と思っています。 ただ私は、前出のリスクの存在は知るべきだし、そうした批評批判が来た時にどう対応 すべきか、という事は皆に知っておいて欲しいと思います。 自分が書いたものが公やけの場所に掲示される時、誰かにダメージのようなものを与え うる、という事態を想像出来ないまま書く、というのは無責任な行為だと思う。 その他方で、前文のリスクの存在を口実にして、議論を仕掛ける側が自分を過剰に正当 化することも出来ない、と私は考えます。 >これは読み手という立場からの願望ですが、詩の場はちょっとゆるいほうが、思いもよらない自由な詩が出現 >しやすいのではないかと思っております。 どうなんだろう。厳しかろうがゆるかろうが出てくるものは出てくるし、厳しさに耐え られないものは数年で淘汰される程度のものだ、と私は割り切っています。 表現の基層はいま明らかに変化してきている。これまでの文章表現や批評のあり方では 掬い取れない現実の問題や感覚が出てきているのは、私も承知しています。 その「表せない」やり切れなさが社会的に募ってきているから、今頃になってネットが 世界を変える的な議論が、あちこちで再燃しているのだとは思います。 ただそれは、どこかで既存の世界と渡り合い越境して行かない限りはどうしようもない。 立場のような妄想や固定観念が、それぞれの書き手の中にあるのだとしたら、それも超越 していかない限り、新しい作品に対する価値観は世界と共有できないでしょう。 >「ヒールというスタンス」とは、どういったことなのでしょう。 >そこには、プロレスのヒール役のような振る舞いで他者の詩にコメントを付す、といった >ことも含まれるのでしょうか……。 ヒール云々は現段階ではふさわしくない事を書いたと思うので、私から取り下げておき ます。 >>45 蛾兆ボルカさん イヤ、立場の信憑性じゃないですよ。そこはヘンな誤読です。 「本当にそんな立場がありうるのか?」という問いは、ここでは意味不明でしょ? ボル ガさんも、いまそんな事を私に問いたいワケじゃないと思うのだけど。 私が言いたいのは、その立場を支える学説なり理論の信憑性、ということです。それが 議論の中で明らかになれば、立場が違う人も一応納得は出来ると思うのです。 その意味で、立場が違うのなら、なおさら会話は必要なんじゃないですかね。 >「間違ってるけど、俺はコレでいいんだ」、ということが許容されていればほとんどの場合、問題にはならな >かっただろうし、「コレが間違っていないという立場もある」、という言明に対して、「自分の立場からは間 >違いだ」という再反論を繰り返すこは、間違った議論のしかたなんじゃないでしょうか。 その再反論の仕方は、ワタシも間違っていると思う。 この場合にはその立場の信憑性が問われている訳で、立場に固執して信憑性に対して説 明なり証拠で答えなかったら相手は納得しないでしょうから。 私は立場に固執する事ではなくて、むしろ立場を離れて議論を進める可能性をイメージ しています。きちんと会話することは、その始まりだと思うのです。今回は結果として、 その会話や説明が行われた事で、議論はまあ達成されたと私は思っています。 「正しい」という言葉は難しいです。それは私も承知している。 天動説みたいに論理的に科学的に明らかにオカシイものだって、正しいとされてきた歴 史はあるワケですから。 利害が衝突しているような場合なら、正しさは決められない。政治的な判断で妥協する しかない、ということにもなると思う。 ただ、ここでの議論の場合の「正しさ」ってものは、そんなに曖昧で正反対になり得る ものなのかナ、と私は常々思うんですよ。そこはもっと煮詰めても良いんじゃないかな。 それで背景なり立場が分かるまで話をして、そこから汲み取って来れるものがあれば、 それで良いんじゃないかと。 あと>>47 の「誹謗中傷に対する覚悟」というボルガさんの言い方は、なんだかヘンで す。集合論ぽく言えば「誹謗中傷」は「反応」の中に含まれるけれど、極論の部分で範囲 を広げてしまっているし、それなのにその後で書いている項目は、私はみな同意できるも のです。対立する要因がわからないよ。 >恣意的な運用をする場合は、逆に自分に甘く他人に厳しい運用だって出来てしまうと思 >います。 孤蓬さんの示した>>36 は彼の認識であって、それに乗って運用される「行動原則」と は意味が違うんじゃないかな。 運用したって言うよりも、恣意的運用が出来ないものだからこそ議論が発生したんじゃ ないのかな、と思う。 by 大村 浩一 参照先不明 参照先不明 孤蓬さん こんばんは。 >日本語における文学の場は、「多言語を用いる多民族が流動的に交流する場」ではないという現実があるからです。 あの、、少し語弊がある気がいたします。そう言い切れるほど強度な現実はないように思います。 中也賞をアーサー・ビナードさんが受賞なさったり、田原さんが二国を渡す活動をなさったりしているのはけっしてそれらが例外的なできごとではなく、たくさんの人が他国語を母語としながら、日本語の詩を楽しんでいる現実を象徴しているのではないでしょうか。 私の個人的な経験に照らしましても、たとえばベンズカフェを訪れれば(ときどきですが)、国籍を問わず、日本語の詩をいろいろな人がリーディングし、また聴きに来ています。その場もまた、日本語における文学の場ではないでしょうか。 もう一点、 >短歌や俳句などの短詩では(中略)片言のような表現しか出来なければ、質の高い作品を量産することは難しいと思います。 >そもそも、ピアノを演奏する技術を持たなければ、他者からピアニストとして認められないのと同様に。 「片言のような表現」とは技術の巧拙をいうのに対して、例示なさっている「ピアノを演奏する技術を持たなければ」とは技術の有無をおっしゃっており、論理にズレがあるようです。 例示として正確を期すなら「ピアノを演奏する技術がつたなければ」でしょうが、はたして「ピアノを演奏する技術がつたなければ、他者からピアニストとして認められない」とまで明言できるでしょうか。写真という分野を例として挙げれば、むしろ撮影技術がいたずらに巧みになることをおそれる写真家の発言が散見されます。 また「短歌や俳句などの短詩では」とおっしゃいますが、いま書かれている短歌のなかには、あえて禁欲的な語彙のなかでことばを用いて、いま生きている人の実感、心象をありありと表現なさっている方もいらっしゃいますし、さまざまな詩歌の生まれ出る可能性をあえて狭める必要はないかと存じます。 古語を大切になさってのご発言かとは存じますが、ご配慮くださいましたら幸いです。 sage by 白井明大 参照先不明 参照先不明 孤蓬さん こんにちは。 54でおっしゃっているように、 ◯短歌や俳句などの短詩を、文語を用いて表現するのであれば、最低限文語の「てにをは」ぐらいは心得ていなければ覚束ない には異論ありません。 ですが、 >>51でおっしゃっているような ◯短歌や俳句などの短詩では、片言のような表現しか出来なければ、質の高い作品を量産することは難しいと思います には首肯しかねます。 文語を用いて、という条件が付されるのであれば、ということです。 口語を用いて、片言のような表現しか出来なくても歌(詩歌)はうたえるのですし、そもそも歌とは、片言のような表現にひとつの源泉を持っていたのではなかったでしょうか。 * ちなみに。 写真の例はかえってわかりにくい例を挙げてしまいました。 例はわかりにくいと失格です。すみません。 (以下、余談) ただ、わかりにくいとはいえ、デジカメ時代の基礎/高度テクニックの線引きということで考えると(「守離破」のお話はそういうことかと思いますが)、それはそれで楽しそうな論点です。もはや詩の話でもなんでもないので、あくまで余談・雑談です。 いま写真家の発言で散見されるのが、一概に高度テクニックのことばかりではない印象があり、よけいに面白い論点になりそうです。 「ピントも露出もカメラ任せ」など典型かと思います。ピントや露出は基礎テクニックの領域かと思うものですから。これは「守」の段階の話になるのだろうなと。脱線失礼。 by 白井明大 追記です。 孤蓬さんの54の以下のような記述を拝見しますと、やはり語弊があるな、と感じます。 >日本語における文学の場は「多言語を用いる多民族が流動的に交流する場」ではないともうしたのは、私の現状認識であり、実際、日本語における文学の場に参加しているのは、ほとんどが日本語を母語としている人達であるのが現状だと思っております。 >確かに、日本語を母語としていない人達の、日本語による文学の場への参加は目立ちますので大きく話題になりますが、現実としては、そういう人達の数は全体からすると少数でしょう。 >日本語による文学というのはドメスティックな面が強いように思います。 「ほとんどが日本語を母語としている人達」であり、「日本語を母語としていない人達の数は全体からすると少数」であることを論拠とするのは、多数決です。 日本語における文学の場とは、多数決で決まるものではないように思います。 「ドメスティックな面が強いように思う」というおっしゃりようには、背後に「またべつの面もある」という意味合いが含まれているようにも解せます。 としたら、日本語における文学の場は、多面的なものであり、「多言語を用いる多民族が流動的に交流する場」という面がれっきと存在すると捉えることも十分可能ではありませんか? by 白井明大 参照先不明 みたびの小池です。同一IDからの連続書き込みは3回までというシステム上の制限に則ってあとがありません。よかったな、引っ込んでろという空耳が空耳であることを祈りつつ、続き。 文法のアドバイスをくださった方にはまずお礼を言って、それから私は考えました。考えて分かったことは、私には分からないということでした。分からないのに直せないです。分からないのに直すということは相手のいうことを鵜呑みに信じるということで、信じるといえば聞こえはいいですけど自分の書いた何かをどうするかを相手に丸投げにお任せにすることは出来ません。例えば極端な例ですが、何人かの人から違うアドバイスを二つ以上もらってしまったらどうするのか。かわりに話し合ってもらうのか。変ですよね。どうして変えたの?と聞かれたらひとに言われたからと言うのか。教えてもらったとおりにぽんぽん訂正しながらいつまでも自分では覚えないでいるのか。そのうちわかるようになるとしてもそれまで相手を添削係りにしていていいのか。違いますよね。 「乗りし船」「乗りたる船」「乗れる船」、それぞれの船がどう違うのか何度も考えてみて、あ、船という言葉だったのですその投稿。考えてみてなんとなくはイメージできたもののなんとなくでしかなくて結局わたしは「乗りし船」をただの船、「木の船」に直しました。内容にとってはそれで十分だったのです。むしろ木という言葉のほうが相応しいほどで。 いろいろな意味で、このできごとは私にとってものすごくいい勉強になりました。大切なことを気付かせてくれました。古文には文法があるのでした。知りませんでした。考えてみれば当たり前のことなのに考えてみたことがありませんでした。いつか自由自在に古文を書けるようになりたいと実は今でも全然思ってないのですが(多分無理。)いつかもっと書かれたものが訳なしでも読めるようになりたいです。詠めるじゃなくて読める、ですね。読めるようになりたいとだけは切に願うようになりました。そのために文法書をひもといてみたりはしないわけですけれども。 以上、フォーラム半万人の中にはこんな人間もおりますという拙文でした。普段めったに使わない「私」「私」をたくさん使って緊張しました。読んでくださった方も(もしいらっしゃるなら)お疲れ様でした。有り難うございました。おそろしいことにフォーラムに来るまでわたしはこれを知らなかった、という経験談等他の方からも伺えたらなぁと思います。あと、みなさん、古文は得意でしたか。出来れば続きの雑談もあるのでどなたかレスはさんでくださったら幸いです。 by 小池房枝 雑談といえば雑談、とゆーことで。 私は古文がまあまあ得意でしたが、学校の授業はさぼりまくっておりました。なんでまあまあ得意だったかというと、家にたくさん古典の本があって、こどものころからてきとーに(あくまでもてきとーに)読んでいたからです。最初に読んだのは小学生のころ、本は「浮世風呂」でした。次に読んだのは馬琴の「椿説弓張月」でした。あとはなに読んだかなあ、たしか、「堤中納言物語」「竹取物語」「好色一代男」「更級日記」の4冊は高校生までに読んだはずです。しかし内容がわかっていたかどーかは実にアヤシイ(笑 そんな私にとってもっとも役だった古典案内は、田辺聖子の「文車日記」でした。http://www.amazon.co.jp/dp/4101175047/ 万葉の時代の古典からお江戸の落語まで網羅し、短歌も俳句も紹介したこの本は今も充分に古典案内として役立つと思います。 古典読書歴の最初期にお江戸の本を読んだ私にわかっていることは、江戸期の文語はすでに非常に口語的になっており、文法的には崩れまくっている、ということです。むしろ明治時代の文語の方がとても文語的に感じられます。なので私に気に掛かることは、孤蓬さんがどのへんの文語を指標にしているのか、ということだったりします。 by 佐々宝砂 参照先不明 >>69 なるほど、私が読んだのは庶民的な読み物が多かったので崩れまくっているのですね。 「宿直草」「耳嚢」は読んだ記憶があるけど、文章は覚えていなかったり・・・ 「椿説弓張月」は戯作ですが、すごく面白かった記憶があります。 漫画化したら今も受けるんではないかな。 by 佐々宝砂 参照先不明 >>71 「椿説弓張月」(ちんぜいゆみはりづき)は岩波文庫に入っています。 岩波の古典はなんとなくちょっと特殊な気もします。 気のせいかもしれませんか、なんか読みづらいんですよね。 特に馬琴はとんでもない漢字を多用するのでルビ必須です。 by 佐々宝砂 参照先不明 参照先不明 えっと、いまいきなり思いついたことですが、 「知識人の間に伝えられた文語」と「崩れて口語的になってきた文語」と、 「明治以降の擬古文的文語」と、 少なくともそれだけの種類の文語が存在してきたのではないかしら。 今はもう一種類「文語的知識がないまま書いた文語らしきもの」というのがあるかな。 私は文語がすきですが、それは、文語が簡略で潔いからです。 もうすこし文語に強くなりたいものです。 私たちがいくらがんばっても結局「擬古文」なんだとは思いますけれど。 by 佐々宝砂 参照先不明 参照先不明 こんにちは。小池です。エネルギー使い果たしてしまったのでいただいたレスへの返事は明日あらためて、と思っていたのですが(かのっぴさん孤蓬さんありがとうございます)、どの辺の文語を孤蓬さんが指標にしてらっしゃるのか、ということについては孤蓬さん例えばこの雑談スレッドの前の雑談スレッドでも書いていらしたと思います。今ざっと見てみましたなら例えばno.979とかです。 ええと、上代、古代、近代、その他、日本語も時代ごとに特徴や変遷があったわけですが、言葉遣いの違ってる部分だけではなく日本語として通底してきた部分、最大公約数として古語、として括れる部分が確かにあって、その範囲での話をしてるんだよ、ということではないでしょうか。平安時代の古語辞典とか、鎌倉時代の古語辞典とか、時代別古語辞典ってあるのかもしれませんが古語辞典、普通、一冊ですから。古語辞典の中で出自の分かる言葉にはきっとちゃんと○○時代からとかって書いてあるのでしょうけど。 逆に言うと、それぐらい現代語としての日本語と、それ以前の古語全部をあわせた日本語は隔たっている、ということなのかもしれません。わたし以前に沖縄に住んでいたことがあるのですけど、ちょうど琉球方言がそんな感じでした。今の日本にも北海道から九州までいろんな方言があって、ネイティブの方に全開で話されたらそれこそ互いに通じないくらいいろんなバリエーションありますけれども、それを全部あわせたよりももっともっと違うそうです>琉球方言。それでもやっぱり日本語ですが。ああでも、今でこそ沖縄県ですから沖縄の方言ですけど琉球国だったら琉球語と呼ばれていたかもしれません。 by 小池房枝 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 仮名遣いの話。よきかな、というのは私の口癖の一つなのですが「いいです。」という意味の「よいです。」を「よひです。」と書いたら間違いなんですね。何かの折にRTでこの話になったときに、古文は得意だったという方が「ダメ。ゼッタイ!」と何かのポスターのような仰りようだったので笑ってしまいました。先に「良し」があって「良い」になってるから「良ひ」にはなりようがないんだそうです。ものごとには理由があることよと思って感心させられたことでした。 by 小池房枝 参照先不明 せっかくリンク貼っていただいたのでこれ幸いと追記です。「てにをは」、これの「て」って今なら「が、の、に、を」に並ぶ助詞の「で」のことだと思うのですけど、古文の「てにをは」レベルってどのレベルで?というのは、ただ単にごく基礎的なこと、という意味でしたら語彙とか発音とか表記とか全部含まれちゃいますけど、そうではなくて文法のことですよね?という意味でした。 そうだとしたら、語彙は文法とは違って時代とともにどんどん移り変わってきて、はなはだしい例では俗説としてであれ蟋蟀ときりぎりすや豆腐と納豆のようなことが起きたと思われている。だけど、形容詞は名詞の前におくとかこの動詞にはこの助詞を使うとかそういうレベルのことは日本語としてずーっと変わってなくて、だからこそどの時代のどの古語であれ体言には連体形、用言には連用形。そういうのはそれこそ比喩として基本の基本という意味での「日本語のいろは」であって、連体形とか連用形とか言われると分からなくなちゃいがちですけど「きれいな花」と言いたいときに「きれいに花」では変だよねと、そういうことでいいのかなと、そのようなことを考えておりました。 雅語にも種類かあるだろう、というのは私から見ると語彙の話に見えて、語彙なんかはどの時代も何層にもあってすごそうだなーと楽しみに読ませていただいています。追記終わり。小池房枝 拝。 ボルカさん皆さんこんにちは。長文読んでくださって有り難う。違和感の話、学校文法の話、「てにをは」のレベルってどのレベル?なのか等々、いっぱいあるのですが毎日長文してると読まれる方もですけど自分も力使い果たしてしまいますので(書くのにものすごい時間かかってます。あげくの駄文・拙文ですが)ぽちぽちと。 雅語って、ガゴという音がいいですね。たとえば、みやびことば、だとたおやかすぎる感じですけど、がごだと「がごっ」とどうかすると互いに思いっきり齟齬をきたすようで、でも齟齬ってうわっつらじゃなくて話し合えてる証拠かもしれません。 #俚言がついつい狸言に見えてしまうのは秘密です。猥語ではありません。狸語。 あ、あとひとだつだけ。「吸血鬼ハンターD」はハンターDで切らないで下さい〜。略すなら「吸血鬼ハンター」か、それとも「D」か。ヴァンパイアと、ヴァンパイアを狩るヒトとヴァンパイアの二世、混血、あいのこ、すなわちダンピール、の物語であります。 by 小池房枝 投稿、読ませていただきました。あの、孤蓬さん、敢えてというかわざとでしたら良いのですけど、いえ、良いというか、何かしちゃったかなと反省しなければならないのですけど、蛾兆ボルカさんは蛾兆ボルカ"さん"で小池房枝は小池房枝? さておき、直接にお話しするのは初めてと思います。書かれたもの全部理解できるわけではないのですが折々にずっと拝読させていただいていました。no.66も有り難うございました。改めまして宜しくお願いいたします。 by 小池房枝 せっかくリンク貼っていただいたのでno.112、少し書き足しました。訂正ありがとうございました。あの、今後とも何かありましたなら出来れば直接に聞かせてくださいまし。わざとです冗談ですって仰られてほんとですか?ほんとですね?って今でもちょっとどきどきしています。 それじゃぁ少しは態度控えるかというとせっせとno.112など書き足している小池房枝でした。 by 小池房枝 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 >>211 スレの趣旨に合わせて書く、のは基本的ルールですよね、どこでも・・・。 それができていない人は無視するのが一番いいのでは。 私はそうしてますよ、荒れるのを助長しても仕方ないので。 放っておけば元に戻るし。 思い通りに進んでいない、ルールが気になって仕方ない、 という「思考」を「論理的思考」に変化させてみれば、 「誘導も効かないなら放置」がネットリテラシーかなあと私は思います。 by 伊藤透雪 >>212 伊藤透雪さんへ: ろくすっぽ人の質問に応えようとしない人物がこういうことを書くから笑える。面と向かい合って話が出来る関係ではない場所で、自分の嫌な相手へのコール&レスポンスをしないのも基本的ルールなんでしょうね、あなたの。 もちろん、これに対する返事をしなくても結構ですよ。あなたの自由ですから。 by こひもともひこ 参照先不明 >>217 あははあ、全く気がつきませんでした、そういう性分なんですよ、申し訳なかったです。 奥主さんも悪気はないんだろうなと思うんで、そっとしときました。 長文読むと目が痛いし(苦笑) スレ趣旨や注意喚起は読んで実行しましょう、がルールでよいと 私は思ってますよ。 口汚く罵るのも、趣味じゃないんです。 やっぱ、詩の書き手たるもの、言葉を選んで皮肉を言えるような 面白みがないとつまらないですよ。私はそう思います。 by 伊藤透雪 参照先不明 参照先不明 奥主さん 退会とか何とかって言う必要ないんじゃないの。 もう書き込まなければ良いだけでしょ。 俺も一度退会したことあるけれど 批評してくれたものも全部消しちゃったのは 凄く後悔したし、申し訳ないと思った。 それこそ批評家になりたくて真剣に批評している人もいるかもしれない。 釈迦に説法かも知れないけど、静かに消え去るのが一番良いんじゃないかと 俺は思う。だから俺は絶対に退会はしない。書き込みはネタ切れで止めるかも知れないけど。 by 花形新次 参照先不明 いやいや、退会しなければスレッドは残るでしょ? 退会しなくたって二度と顔を出さないことは可能でしょ? コメントしない俺が言うのもなんだけど 一生懸命作品読んでコメントしてる人もいるじゃない。 コメントって、もうコメントした人の作品でしょう。 小林ひでーおですよ、ひでーお。 それを元の作者だからって簡単に消して良いのかってことです。 ちょっと大人気なくない?俺が言っても説得力ないか。 by 花形新次 [14]孤蓬[2014 05/05 21:21] 私がポイント無しコメントを付けた作品には、その後、ポイントがたくさん入るという傾向があるようだ。 ルサンチマンというものを測る好個の例であるのやも知れぬ。 [131]孤蓬[2014 07/06 10:35]奥主 榮ヲトヤ・スカトロビッチ花形新次伊藤透雪 「頭わるい男」という罵倒に込められた悪意は、在日に対するヘイト・スピーチや小林よしのりの漫画と同質だとはお気付き遊ばさぬのだろうか? [133]花形新次[2014 07/07 23:35] 頭が悪い、いいねえ。最高の誉め言葉だぜ。 誉められついでに攻めちゃいましょう。 超積極的平和主義で。先ずは沖縄から。 [73]孤蓬[2014 06/04 19:12] 芋も竜もつまらん。 児戯の作文以下。 ●この類の発言は控えた方がいい。或いは作品のコメントの欄内で行えば良いのであって、場所が違う。 [142]孤蓬[2014 07/13 07:39]花形新次大覚アキラ 相変わらず芋は自分の尺度でしか物事を測ろうとしない。 悲しいかな、芋のおつむの限界。 [143]花形新次[2014 07/13 13:37]孤蓬 肥大した自己顕示欲は純粋培養されたものだから 外からの刺激に過剰反応する。 ちょっとでも外部と関係すれば純粋培養なんて あり得ないんだけどね。 外部での自分は仮の姿とでも言うのかね。 気持ちワリイな、しかし。 [746]孤蓬[2013 07/21 11:07] ガチョウ雷同 #いい気になって他人の尻馬に乗り、自らの人間性を露呈させてしまうこと。 #間抜けにも安易な便乗によって、語るに落ちる振舞いをついついやらかしてしまうこと。 ●「芋」「ガチョウ」「竜」又は「気持ちワリイ」等が具体的に誰を指ているものなのかわからない。翻って架空の人物やも知れぬ。だが不要な誤解と歪みを生む畏れがあるのでこの類の無責任で曖昧なほのめかしは控えた方がいい。場所違い。 [252]花形新次[2012 08/19 17:20] 頻繁に投稿している奴の作品にロクなのがないこと。そして自分もその一人であること。 [167]孤蓬[2014 07/16 18:33] 怒り狂っておりますな。ぴょんぴょんと。 [168]伊藤透雪[2014 07/16 19:32]孤蓬 >>167 孤蓬さん、面白すぎです。ご指摘ありがたくいつも思っているんですけど、 そうでない人で 面白い反応する人って初めてじゃないでしょうか?(他にいたらごめんなさい) 歌はいいですね。 [182]孤蓬[2014 07/17 17:18] 鵞鳥と野良犬が珍しくも仲良くする図。 類は友を呼ぶ? まあ、同病相憐と同族嫌悪を行ったり来たりといった所か。 [183]孤蓬[2014 07/17 19:33] 口輪を嵌められた野良犬の意趣返しポイント(☆) ●発言を禁じられた者に手向けて良い類の言葉ではない。 尚「怒り狂っておりますな」「面白すぎです。」「意趣返しポイント(☆)」「仲良くする図」「類は友を呼ぶ?」「同病相憐」「同族嫌悪を行ったり来たりといった所か」「ルサンチマン」「安易な便乗」「頻繁に投稿している奴の作品にロクなのがない」等は、自分が規定した方寸の枠に他者を押し込めようとしている。 [135]孤蓬[2014 07/10 05:42]伊藤透雪花形新次 坂本龍一が反原発の立場から放射線治療を拒否しているという。 ものみの塔の信者の輸血拒否を髣髴。 坂本の反原発は一種の「信仰」らしい。 [136]花形新次[2014 07/10 21:59]孤蓬 吸血鬼の末裔としては 反太陽エネルギーを主張したい。プラスデブだし。 [145]花形新次[2014 07/14 21:12]奥主 榮大覚アキラ佐々宝砂 間違いを間違いといって非難されるっつう世界も気持ちワリイな。 馴れ合いってのは閉じてるってことだろう。 進歩ぶってるくせにエセ宗教団体みたいな振る舞いについては 何の疑問も持たないってどういうことだ。 私たちの信じる世界を壊さないでってか? 俺は断然、孤蓬氏を支持するぜ。 ●坂本龍一が放射線治療を拒否しているというのは、マスコミが流布した劣悪なデマ。 by 私には何の関係もありません >>239 『控えた方がいい」はあなたの気持ち、と受け取っていいんですよね。 相手が実行するかどうかは別として。 私は面白くないと思った作品は何もアクションしませんが、 作り方が中途半端だったり、詩景に広がりがない作品を見ると かわいそうになるので、たまにポイントなしのコメントをします。 でもあまりにも酷い、なんじゃこりゃと思ったときはボソッと言いたくなります。 こういっちゃあなんですが、だんだんフォーラムの投稿の傾向が現代詩から遠くなっている感じがしています。 読者との関わり方が狭いというか、容認しないと入っていけない雰囲気があるので、苦笑します。 そういうときボソッと言うためにアイコンを作るんですよ。 あと、14、131、73の孤蓬さんのコメントは、想像です。 〜なのだろうか?という誰に当てたものでもない自分の気持ちの吐露 まで規制してしまっては、ぽつりとつぶやく場所じゃなくなってしまい、 少なくとも私にとっては現代詩フォーラムの興味が半分無くなってしまいます。 133などの花形新次さんのコメントも、面白いだけだと思いますよ。 バイアス書けて読むくらいなら、読み飛ばして無視したらいいんではないですか?? 誰に当てているかわからないからいいのに。 そういう礼儀もあると思います。 by 伊藤透雪 参照先不明 参照先不明 参照先不明 >244 奥主さん あたしも,245ちんすこうりなさんと同じ思いです. お仕事がしんどそうだから,たまーに作品を見せてくだされば… と思うのですけど. なんだか,ここもいろいろ歴史があるみたいなので,新参者には わかんないこともあるのでしょうけど,なんか,淋しいです. あっちは,止めないでくださいね♪ by 藤原絵理子 奥主さん。 個人的に退会されるのは大変残念です…。 もし誰も立候補がない時はご連絡ください。 「チーママ」として主が戻るまで、スレオペを引き受けます。 by PULL. 参照先不明 伊藤透雪氏 >『控えた方がいい」はあなたの気持ち、と受け取っていいんですよね。 俺の意見ではあるが。 >私は面白くないと思った作品は何もアクションしませんが、 >作り方が中途半端だったり、詩景に広がりがない作品を見ると >かわいそうになるので、たまにポイントなしのコメントをします。 >でもあまりにも酷い、なんじゃこりゃと思ったときはボソッと言いたくなります。 しかし「かわいそう」も「あまりにも酷い」もあなたの気持ちじゃないのかね? あなたがどの作品を「あまりにも酷い」とお感じになりボソッと言いたくなるかなんてことは書き手にも何人にも予測不能ですわ。 それを他でもない伊藤氏が個人的に「あまりにも酷い」と感じた作品はここでボソッと言ってゆくのかね? なんだかねえ。文学極道なんて罵倒サイトもあるが、いっそのことレコ☆ポエとは真反対の罵倒スレッドでも作ってボソッと匂わせてみてはどうか。 まあ目も当てられない醜悪なスレッドになりそうだが。 >あと、14、131、73の孤蓬さんのコメントは、想像です。 >〜なのだろうか?という誰に当てたものでもない自分の気持ちの吐露 >まで規制してしまっては、ぽつりとつぶやく場所じゃなくなってしまい、 >少なくとも私にとっては現代詩フォーラムの興味が半分無くなってしまいます。 ほう、あれが誰に当てたものでもない想像ですか。 >133などの花形新次さんのコメントも、面白いだけだと思いますよ。 >>>167孤蓬さん、面白すぎです。 あなたの基準が何が何だか俺にはわからないから、良ければ167のどこをどう読んで面白すぎたのかを説明していただきたい。時間と余裕があればで構わないので。 by 私には何の関係もありません 参照先不明 伊藤透雪さんへ >>240 は笑いました。 この人とは、普通のコミュニケーションはとれなさそう。 「かわいそうになる」から、「ポイントなしのコメント」をするんだ。へー。 さぞや「かわいそうにな」らない秀逸作品に囲まれているんでしょうね。なら、なんで現代詩フォーラム内で紹介しないのかしら。 で、 >バイアス書けて読むくらいなら、読み飛ばして無視したらいいんではないですか?? >誰に当てているかわからないからいいのに。 >そういう礼儀もあると思います。 なんだ。 孤蓬さんが書いた「芋」は私のことですよ。このコメントに関しては、私は無視しましたけどね。そんなものも読み取れないんだ。 でも「作り方が中途半端だったり、詩景に広がりがない作品を見るとかわいそう」にはなると。 自分の書いた言葉の意味を考えたことがないんだろうね。 by こひもともひこ 奥主 榮さんへ >>235 に書かれたスレッドの発言が消えることについて。 発言が消えてしまうのは仕方がないのではないでしょうか。自分が管理している場所や自作コメントを含めて、全てを消し去れる自由もあるのが、ネットでの作品発表の利点の一つでもあると私は思います。 by こひもともひこ 奥主 榮さんへ: そういう答えがくるかもな、と思ってました。 私が書いた文章を偏見というフィルターを通して読んでるんでしょうね。そのこと自体は別にいいんですけどね、ご自身が「自己撞着」なさってることに気づいたほうがいいですよ。 「全てを消し去れる自由もある」のがネットの利点である、というのは事実です。私自身、さんざん衝突した人物がその場所からいなくなる経験は何度かしています。それをしたくないのなら、現代詩フォーラムに名義を置いておけばいいだけの話。奥主 榮さんは、名義を消去するという「行為」をしようとしているのに、 >とても良いお考えですね。 >ある日、突然このフォーラム自体がなくなっていても、全く問題はないわけです。 と皮肉を書く。皮肉じゃないのならごめりんこですけどね。 by こひもともひこ 伊藤透雪さんへ:しんどいですわ。 私はね、他人がこの場所を自由に使うことに対してどうこういってるつもりはないんですよ。ただね、「なんで散文の方に書かないんでしょうか?」というようなことをコメント欄に書き込むからにはね、それ相当の知識がおありなのでしょうからご意見を拝借したいわけですよ。でも返信してくれない。追求すると無視する自由を謡いはる。じゃあ、コメントを書くなよ。コメントを書くからにはそのコメントに呼応する返事を書く自由もあるわけでしょ? その返事の仕方があなたの気に入るのか、気に障るのかは、私の知ったことではありません。上から目線とかってね、あなたは下におるの? 私が「書け」といったら作品を書かないといけないと思い込むの? 「書くな」といったらコメントを書いてはいけないと思い込むの? >あなたと同じことをする必要も感じません。 って、そんなの当たり前じゃないですか。いつどこに「私と同じように評価しろ」と私が書いたんでしょうか? 私は、「会議室で仲良しこよしがどうとかギャーギャー言うのなら、ポイントを入れるという『行為』をすれば」ということを言ってるだけです。評価基準は個々人の勝手にすればいい。あなたたちはその「行為」をやってないから、私に噛み付かれると、「私(こひもともひこ)と同じ行動をしろ!」と言われている意味に捉えようとする。 あなたはあなたの自由にやればいい。そのコメントに噛み付くのは私の自由です。 by こひもともひこ 奥主 榮さんへ:なにそれ? 実際に働く現場での引継ぎで、いきなりいなくなっていいわけないでしょう。 基本的に無料で利用できる場所であるネット内のやり取りと、実際の仕事とを同じ視点で見てるということでしょうか? 本名も名乗らず、ハンドルネームも変え放題、参加して止めてまた参加してもやり放題のネット内での行いと、金銭の発生する場所での行いとを一緒くたにしてる。あかんわ、こっちも意味不明ですわ。 by こひもともひこ 奥主 榮さんへ >その程度の認識で、言葉を発されていたわけ とか、かっこいいなあ。現代詩フォーラム内で、めちゃくちゃ頑張って作品を書いて発表してる私に言うところとかも凄いわ。 ほんで、 >それから、 >>実際に働く現場での引継ぎで、いきなりいなくなっていいわけないでしょう。 >こう言いきれるあなたは、余程恵まれた環境で仕事をされてきたか、燃え尽きた人間を弱者として切り捨ててきたのかなと思いました。 これはなに? 言い切れるに決まってるやん。現実の職場で「いきなりいなくなっていいわけ」ないやん。とはいえ、いなくなってしまうこともあることとは別の話です。なにを混同してるの? 最後に、 >卑しい発想 ってなに? by こひもともひこ 参照先不明 蛾兆さんへ >マングーチュも忘れてはなりませんよ(^-^) 確かに!! マングーチュも良いキャラでした! >マブヤーの世界観では、ヒールもヒーローも、マブイ(魂)の重要性を知っているからこそ、争いになるのですよね。 そうですね。 例えば、チャンプルーのマブイが無くなったら、町のチャンプルー(融合や融和)のマブイが機能しなくなって、 町が殺伐とした回なんかが分かり易いですよね ! >スレ占有(排他的な言行)は問答無用で厳禁』が、ネットマナー この蛾兆さんの考え方と >参加できるメンバーを限定するのは禁止です。いつでもフォーラムの誰もが参加できるようにしてください。 現フォのサイトポリシー に僕も同意します。 >スレのマブイ(魂)を大事にする 世界観を大事にすれば、保っていけたら、 誰もが議論に参加出来、また、 人間の尊厳を守れると思っています。 『マブヤー』には人の在り方の見本が沢山あって、 幅が広いことも魅力ですね! けれど、 繊細でもあって、 『マブヤー』の世界は崩壊には到らない、 その寸前で治まる。 そこの按配は見習いたいなと思うところですし、 どんな場であれば荒れ果てないかを考える際にヒントになると思います。 by ゴースト(無月野青馬) 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 >>325 奥主 榮さんへ:助言です。 現代詩フォーラムを辞めるのも辞めないのも奥主さんの勝手ですが、 >ご自身のされた行為に対して、「なかったことにする」態度 はいただけないんじゃないの。 あなたはここでの発言(コメント)を実際に「なかったことにする」わけですからね。いなくなったら、その人のコメントは全て消えますよね、ここのシステムでは。「なかったことにする態度」ではなくて、実際に「なかったことにする行為」をあなたはしようとしてるのに、「なかったことにする態度」を取っている人を批判してるのって滑稽ですよ。まあこれも、あなたの思い込みで「なかったことにする態度」と記憶してるだけなんでしょうけれど。 by こひもともひこ >え、ここって一度参加したら、永久に参加し続けないとならない、怖い場所だったの? こういうことを書く奴が10年前の話しを持ち出してきてどうのこうのと他人様に文句はいえるのね。了解しました! お元気で! by こひもともひこ 参照先不明 #326 http://po-m.com/forum/thres.php?did=170770&did2=895 救急車?別名義?全く以て知ったことじゃないね。俺は鏑木時代から貴殿方と会話した事もない。↑車に撥ねられたようなものだ。おめでとうございます。 by 私には何の関係もありません 参照先不明 >>334 >退会と再入会を繰り返す方に対する批判を書いたつもりはございません。すみません、なんかいろんな名前のあるあなたは、同時にいくつもハンドルを使って、あれこれ画策していたんですか? そうではないことをお祈りします。 論戦スレにも書いたが、俺は「10年前のハンドルネームを明かせ」と言われたから「鏑木だ」と明かした。このサイトで使用したハンドルネームは現在のものと合わせてたった2つのみ。いろんな名前があり、同時にいくつものハンドルを使い、あれこれ画策している事実は皆無であり、又、その様なことは一度たりとも答えてない。 >「わかりっこねぇよ」とか思って、別名義を使い分ける人間てのは、もう最低です。 >恥知らずなことをしてペナルティを課せられたのに、自分ではその自覚もないまま、ただ周囲のせいだけにする方って。 >「人間汚物」「実名出せない汚辱の存在」 >そうした下劣というか、単なる嫌なもんというか、目に触れることで一日が台無しになるような相手というか、そういうものと間違われたことに関する義憤に共感し、積極的に賛同します。 何方の事を言っておられるのか、又、一体何の話をしておられるのか甚だ理解致しかねます。貴方様が続けて、手前の胸に訊ね給えよ、等と云われたとしても土台無茶苦茶な相談であります。 依って、全く賛同頂けなくて残念です。 >「わかりっこねぇよ」とか思って、別名義を使い分ける人間てのは、もう最低です。そうした、最低どころが、と勘違いされたら、怒られるのは当然だと思います。 貴方様が何処の何方様の事を饒舌に捲くし立てておられるのか解りませんが「歩く汚物」「チンコのカスが腐ったような腐臭「死んで人生やり直しても畜生道に落ちる莫迦」な方のみならず、貴方様のような立派な方と勘違いされても、誇らしくも絶望します。 書いたものにお目通し頂けなかったようで只只残念。 俺の主張は、早合点して手前勝手に誰かと思い込んだ挙句、確たる証拠も無に「この仁のハンドネームは仮である」「正体を明かせ」等と言ってしまう人間こそが最悪だというものです。其れ以外のものでは有り得ません。すり替えないで頂きたい。 >ネトウヨ漫画☆老犬テコンダーZさんという、恥ずかしいとしか思えないハンドル 又、俺の主張は「他人の名前をとやかく言うのはナンセンス」でもあります。 残念です。 >作品を拝見させていただく限り、ご自身の意見などというものは片鱗もなく、 >そもそも「誰かと同一人物だと間違われることは、それだけ凡庸でありきたりなことを書いているだけ」ということに思い至らないこととか、 こちらはお目通し頂いた様子ですが、作品への意見ならどうぞコメントへ。 >SNSの管理人への通報というのは、子どもに「そんなことをしていると、お巡りさんが来るわよ」といった、全く実効性のない形で行う叱責の延長線上にあるものだったのですね。誰かがそれを言い出したら、みんなで「へへー」とか言って土下座しなければならないような。 お巡りさんは来ないと知り堂々と荒らすのも凄い。 by 私には何の関係もありません 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 ちよこはヘンテコじゃないぞ! ちよこは「東京には大阪城がない」と言う by 花形新次 人の生死をここで確認できるのかな?という素朴な疑問をひとつ。 ここで私がすることは、確かめることよりも想像することのほうが多いです。答えを限定することよりも、答えを疑い、別の答えがある可能性をみつけることのほうが多いです。詩のサイトですし、詩をよむことが私にとって、確かめることではないので。大事なことを確かめるのには向かないのではないか思います。 やめる、やめないに関しては人がとやかく言うことではないですね。まして宣言するか、その宣言の仕方に対する干渉など。したいようにさせれば宜しい。 >>377 自覚しています。このレスは最初から最後まで個人的見解です。その表明をする自由を行使したに過ぎません。 by 深水遊脚 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 ちょっと、まだ かきこまないでください。カイトさんが 雑談系にしてるんですけど、そこが よくわからないので いろいろやっているところです。 by るるりら 今、たてました。 手間取ってしまったのは 作業途中に、なぜか ここに入れなくなり あらためて パスワードを発行していただいたりしていました。 カイトさんが カテゴリーを(雑談系)にしておられたので、そのようにしたかったのですが、雑談もしてきましたが 創作も実際に行われてきたことを思うと 分類の外にこのスレは 立てることのほうが 正しいような気がしましたので、 独断で、未分類のカテゴリーにしました。(というか、分類の やり方がね。わからないのですよ。すみません。) 今後 ひきつぐときは、どなたかが カイトさんの看板を また コピーしていただけたらなあと 思います。 by るるりら 参照先不明 しりとりのスレッドは、何年も 動いてなかったのですが、大統領が広島に来られたころに、わたしの 書きたいことは、 これだ!と、思えた終わり方の詩に 触発された私が スレッドを動かしましたら 意外なことにまたスレッドが活気を取り戻し、現在にいたってます。 できることなら、縁を感じている私に スレッドを立ち上げさせていただきたいです。 by るるりら >417 ハァモニィベル さま 書き込みの少なさには常々悩んでいるのでご意見参考になります。私が参加したときは、一定の字数で本の内容を纏めて所感を示し、それなりに読ませる文章に仕上げること、それ自体に喜びを感じていました。字数制限は大事だったかな、と軽く後悔しましたが今年はこれで行くと決めたのでこれにします。 その場の空気はどうあれコンセプトは自分で決めること。必要ならそれを自分で表明すること。題材を書籍という縛りのなかで自由に決めること。その自由に対して責任を果たし、読ませる文章を書くこと。それが大人の嗜みです。そして、私は参加者の文章の凡非凡は問題にしません。書く意志にくらべればそれは誤差の範囲内だと思います。あくまで本と出会えるきっかけと捉えて、本当にその本について知りたければ自分で探して手に取る。その寛容さもまた大人の嗜みです。 内容要点のしっかり書かれた書評も美しいものです。一方で数百ページの哲学書を短歌一首で言い当てるような「感想文」にも出会えないかなと期待しています。そんなものばかり集めたい、などと虫のよいことは考えていませんが。 by 深水遊脚 参照先不明 しりとり2nd スレ に関して話題に出ているのは、 STさんが、私の処で言った言葉を、渚鳥さんが>>408でとりあげて提起したからですね。 STさんの発言の微妙な趣旨は不明ですが、 一つには、 元々のしりとり2ndは、「ことば遊び」推奨的なところもあって、 その路線で、阿ト理恵さんが(短歌オンリーですが)書いてます。松岡真弓さんもその線で最近は書いている。 言葉遊び派ではない私が私の作風でわりとよく最近まで書いていたので、あそこは二つの流れが混在しています。 私は松岡さんと詩的に交流するのに書いていたのですが、最近は彼女も言葉あそび風なので、STさんがいなければ足を洗うところでした。 で、先日私は「蝶としゃぼん玉」を建てましたので、もう「しりとり」の方は書かないだろうと、 敏感に察知したSTさんが、私の路線での尻取りを、続けてはどうか、と言ってくれたのがあの発言の真意じゃないのかな、とそう推測しています。 なので、純粋に「言葉あそび」のしりとりスレが、、しりとり3rdになるのに、とくに私は関心がありません。 私の路線での尻取りは、当面、「蝶としゃぼん玉」で、期間限定とか、個数限定で、他の企画がないときに、誰か投げてきたら、その期間や個数だけ行うなど、工夫してみようかな、とは思っていますが。 この件は、私からは以上です。 * by ハァモニィベル 鵞鳥頓死の淋しさから新たにターゲットを絞ったか、このクソども。勝手に詮索しとけ。 by ツノル 鎌狐が猪豚に接吻。支援を要請か。御目出度いことよのう。 by ツノル 参照先不明 参照先不明 妻(さい)くんは〜もちろん少しまえには見なれた書き方呼び方でもある。これならば黙ってもいよう。しかしながらあなた(孤蓬氏)は妻(さい)は〜はなどと呼び捨てた書き方をされておられるではないか。お二人とも女性蔑視(あるいは人間とも)が肝の中に座っておられるのではないだろうか。当然認める認めないはその人次第でいい。 by アラガイs 妻(さい)は〜もちろん間違いを指摘してはいない。このような書き方は呼び方も含めて美しくないのだ。美しくないということは、つまり妻に対しての敬も感じられはしないということだ。 by アラガイs 参照先不明 孤蓬くんよ。きみはここも長いし少しは書き方もご存じの様子なのでポイントやコメントも多少入れてきたが、やはりあたまのネジが少々狂っておられる様子にもうかがえる。まあ、負け惜しみにも執拗なのはきみのほうだが、譲りたくもない性分はどうやら変えられないようだ。これ以上は遠慮しとく。では。 by アラガイs アラガイくんはどんな感性をしているのか。笑 むかしの風情のある恋愛映画、きみのいうシュレッダーにかけた紙吹雪が舞う旧作の白黒映画では頻繁に主人公や登場人物が口にしていることばだろ。 妻に対する敬意とかそういう話しでなく、 身内を他者に語るさいの日本人独特のへりくだった言い回しだ。 じぶんの息子の頭をおさえて「この坊主がずいぶんお邪魔をしまして」とかいうだろ。 じつは愛情が強く滲んだ言葉だ。 こういうニュアンスもわからないで、おまえ、どうやって詩など書けるのだ。情けないやつだ。黒豚が後ろについているからといって調子に乗るな。 狂っておれられるとはなんだ、そんなことだから文極でも即座にアク禁を くらったのだ。 「妻」(さい)と細君(さいくん)では発語の主体が違うんだ。 それを一緒にしてどうする。もっともきみのこのトンチンカンさがかつては 面白い詩を産んでいた。それが最近はどうだ、バカのくせして偉ぶるから 滑稽でしかない。すこし頭を冷やせ。 by 一輪車 君らは阿呆か? 文字に頼るからそんな屁理屈を付けたがる。妻(さい)は何々と〜いきなりこんな言い方で朗読できるのか? 君ら二人は見上げた性根の持ち主だな。さい、妻はさいでもお茶の子さいさいとね。さい?再?犀?それとも賽コロの賽か?聴く方はちんぷんかんぷんだよ。笑。細君ならばはじめから細君と書けばいい。 人間が小さいね。孤蓬くん。アタマとナニはデカいのかも知れないが。 何が発音ニュアンスだ。一輪車は調子に乗って出張るんじゃないよ。オタク惚けのじじいめが。リカちゃん人形とすっこんでろ。 君らに関わるのは時間の無駄使い。あとはどうとでも好きに書いてくれ。出羽の三羽鴉よ。 by アラガイs 参照先不明 最近、詩の評価についてあきれた事がある。ここでTOPになった某氏の詩が、 某所ではほとんど評価されなくて、あきれた私はコメントや投票、ポ イントと、出来る限りのことをしてみたが、その後も無反応の有様だ。 極端すぎて、詩の評価とは何だろうと悩んでいる。ただ、私の場合は 両方ともまずまずで、このような極端なものではないのも、また不思 議で、正直言って何が何だかわからない。 by st 化石燃料から五感に響かないエネルギーの波にはもはや慣れるしかない。文学や詩はその時のために挟んでおく記憶。朽ち果てる運命の栞なのです。 by アラガイs
雑談スレッド6 http://po-m.com/forum/threadshow.php?did=25621 雑談スレッド5 http://po-m.com/forum/threadshow.php?did=10506 雑談スレッド4 http://po-m.com/forum/threadshow.php?did=7769 雑談スレッド3 http://po-m.com/forum/threadshow.php?did=5563 雑談スレッド2 http://po-m.com/forum/threadshow.php?did=2450 雑談スレッド http://po-m.com/forum/threadshow.php?did=2 追記です。 孤蓬さんの54の以下のような記述を拝見しますと、やはり語弊があるな、と感じます。 >日本語における文学の場は「多言語を用いる多民族が流動的に交流する場」ではないともうしたのは、私の現状認識であり、実際、日本語における文学の場に参加しているのは、ほとんどが日本語を母語としている人達であるのが現状だと思っております。 >確かに、日本語を母語としていない人達の、日本語による文学の場への参加は目立ちますので大きく話題になりますが、現実としては、そういう人達の数は全体からすると少数でしょう。 >日本語による文学というのはドメスティックな面が強いように思います。 「ほとんどが日本語を母語としている人達」であり、「日本語を母語としていない人達の数は全体からすると少数」であることを論拠とするのは、多数決です。 日本語における文学の場とは、多数決で決まるものではないように思います。 「ドメスティックな面が強いように思う」というおっしゃりようには、背後に「またべつの面もある」という意味合いが含まれているようにも解せます。 としたら、日本語における文学の場は、多面的なものであり、「多言語を用いる多民族が流動的に交流する場」という面がれっきと存在すると捉えることも十分可能ではありませんか? 孤蓬さん こんにちは。 54でおっしゃっているように、 ◯短歌や俳句などの短詩を、文語を用いて表現するのであれば、最低限文語の「てにをは」ぐらいは心得ていなければ覚束ない には異論ありません。 ですが、 >>51でおっしゃっているような ◯短歌や俳句などの短詩では、片言のような表現しか出来なければ、質の高い作品を量産することは難しいと思います には首肯しかねます。 文語を用いて、という条件が付されるのであれば、ということです。 口語を用いて、片言のような表現しか出来なくても歌(詩歌)はうたえるのですし、そもそも歌とは、片言のような表現にひとつの源泉を持っていたのではなかったでしょうか。 * ちなみに。 写真の例はかえってわかりにくい例を挙げてしまいました。 例はわかりにくいと失格です。すみません。 (以下、余談) ただ、わかりにくいとはいえ、デジカメ時代の基礎/高度テクニックの線引きということで考えると(「守離破」のお話はそういうことかと思いますが)、それはそれで楽しそうな論点です。もはや詩の話でもなんでもないので、あくまで余談・雑談です。 いま写真家の発言で散見されるのが、一概に高度テクニックのことばかりではない印象があり、よけいに面白い論点になりそうです。 「ピントも露出もカメラ任せ」など典型かと思います。ピントや露出は基礎テクニックの領域かと思うものですから。これは「守」の段階の話になるのだろうなと。脱線失礼。 孤蓬さん こんばんは。 >日本語における文学の場は、「多言語を用いる多民族が流動的に交流する場」ではないという現実があるからです。 あの、、少し語弊がある気がいたします。そう言い切れるほど強度な現実はないように思います。 中也賞をアーサー・ビナードさんが受賞なさったり、田原さんが二国を渡す活動をなさったりしているのはけっしてそれらが例外的なできごとではなく、たくさんの人が他国語を母語としながら、日本語の詩を楽しんでいる現実を象徴しているのではないでしょうか。 私の個人的な経験に照らしましても、たとえばベンズカフェを訪れれば(ときどきですが)、国籍を問わず、日本語の詩をいろいろな人がリーディングし、また聴きに来ています。その場もまた、日本語における文学の場ではないでしょうか。 もう一点、 >短歌や俳句などの短詩では(中略)片言のような表現しか出来なければ、質の高い作品を量産することは難しいと思います。 >そもそも、ピアノを演奏する技術を持たなければ、他者からピアニストとして認められないのと同様に。 「片言のような表現」とは技術の巧拙をいうのに対して、例示なさっている「ピアノを演奏する技術を持たなければ」とは技術の有無をおっしゃっており、論理にズレがあるようです。 例示として正確を期すなら「ピアノを演奏する技術がつたなければ」でしょうが、はたして「ピアノを演奏する技術がつたなければ、他者からピアニストとして認められない」とまで明言できるでしょうか。写真という分野を例として挙げれば、むしろ撮影技術がいたずらに巧みになることをおそれる写真家の発言が散見されます。 また「短歌や俳句などの短詩では」とおっしゃいますが、いま書かれている短歌のなかには、あえて禁欲的な語彙のなかでことばを用いて、いま生きている人の実感、心象をありありと表現なさっている方もいらっしゃいますし、さまざまな詩歌の生まれ出る可能性をあえて狭める必要はないかと存じます。 古語を大切になさってのご発言かとは存じますが、ご配慮くださいましたら幸いです。 sage Klausermanspitzwegensdorfentagさん、はじめまして。 プロフィールを拝見しまして、少しずつさかのぼって読んでらっしゃるとのこと。 驚きとともに、敬意を抱きました。 そうした詩の読み手がいらっしゃることのなんて幸せなことだろうと思います。 大村さん こんにちは。 >自分が書いたものが公やけの場所に掲示される時、誰かにダメージのようなものを与え うる、という事態を想像出来ないまま書く、というのは無責任な行為だと思う。 の箇所を拝見して思い出したことがありました。 ほぼ同じことを私が、寺西さん(詩の雑誌「詩学」の編集長だった詩人さんです。大村さんはごぞんじでしょうが付記しておきます)に話したことがありました。 そのとき寺西さんは、 「責任とはどういうことですか?」 と訊ねてきました。なにをどうすれば、書き手は責任をとったことになるのか、と。つきつめたところ、他人の人生に責任を持つことは誰にもできないのではないか、とおっしゃっていました。 では、書き手は何を負うのでしょうか。 書きたいものを、書く、ということ以上に書き手に負うことはできないし、それだけなのだといまでは思うようになりました。 かならずしも書きたい気持ちが重いものでなくてもいい。気軽にふっと書いてみるのもいいはずです。そして、願わくば、じぶんの書きたいように詩が書けるように、とその一心になることがあるかもしれません。なにも考えずに手がうごくように詩ができ、あとからじぶんでもおどろくようなことがあるかも。 詩の書き手が、詩を書くとき、また公にするとき、「こうであらねばならない」というなにものもなくてよいと思っています。 もちろん、そこから反応が起きたとき、その反応と向かい合うことにはなるでしょうし、そこからまたはじまるものことがあるかとは思います。 また、じぶんの書いたことばが誰かを傷つけることになるのは、悲しいことです。それでも、書き手は詩を書くだけなのではないでしょうか。そんなふうに思いました。 >>44 白井明大さん 論点を確認するために、再度書きます。 >「1.作品を公開するということは、誹謗中傷を含めあらゆる反応が起こるリスクが、厳然たる >事実として、そこに存在する。」 >という点は異論ないのです。作品というものは、読み手の反応を呼び起こす可能性を秘めており、 >その反応としてあらゆる事態が起こりうる、というのは文字通り「事実として、そこに存在する」 >と思います。 >ただ後段の「作品公開に当たっては、作者はそれを覚悟すべきであると考える。」 >については、その「覚悟」をするもしないも個々の書き手に委ねてよいのではと思っております。 私もまた全ての書き手が、あらゆる反応には覚悟しようがしまいが晒されているし、ま たその覚悟も個々の書き手にゆだねる他はない、と思っています。 ただ私は、前出のリスクの存在は知るべきだし、そうした批評批判が来た時にどう対応 すべきか、という事は皆に知っておいて欲しいと思います。 自分が書いたものが公やけの場所に掲示される時、誰かにダメージのようなものを与え うる、という事態を想像出来ないまま書く、というのは無責任な行為だと思う。 その他方で、前文のリスクの存在を口実にして、議論を仕掛ける側が自分を過剰に正当 化することも出来ない、と私は考えます。 >これは読み手という立場からの願望ですが、詩の場はちょっとゆるいほうが、思いもよらない自由な詩が出現 >しやすいのではないかと思っております。 どうなんだろう。厳しかろうがゆるかろうが出てくるものは出てくるし、厳しさに耐え られないものは数年で淘汰される程度のものだ、と私は割り切っています。 表現の基層はいま明らかに変化してきている。これまでの文章表現や批評のあり方では 掬い取れない現実の問題や感覚が出てきているのは、私も承知しています。 その「表せない」やり切れなさが社会的に募ってきているから、今頃になってネットが 世界を変える的な議論が、あちこちで再燃しているのだとは思います。 ただそれは、どこかで既存の世界と渡り合い越境して行かない限りはどうしようもない。 立場のような妄想や固定観念が、それぞれの書き手の中にあるのだとしたら、それも超越 していかない限り、新しい作品に対する価値観は世界と共有できないでしょう。 >「ヒールというスタンス」とは、どういったことなのでしょう。 >そこには、プロレスのヒール役のような振る舞いで他者の詩にコメントを付す、といった >ことも含まれるのでしょうか……。 ヒール云々は現段階ではふさわしくない事を書いたと思うので、私から取り下げておき ます。 >>45 蛾兆ボルカさん イヤ、立場の信憑性じゃないですよ。そこはヘンな誤読です。 「本当にそんな立場がありうるのか?」という問いは、ここでは意味不明でしょ? ボル ガさんも、いまそんな事を私に問いたいワケじゃないと思うのだけど。 私が言いたいのは、その立場を支える学説なり理論の信憑性、ということです。それが 議論の中で明らかになれば、立場が違う人も一応納得は出来ると思うのです。 その意味で、立場が違うのなら、なおさら会話は必要なんじゃないですかね。 >「間違ってるけど、俺はコレでいいんだ」、ということが許容されていればほとんどの場合、問題にはならな >かっただろうし、「コレが間違っていないという立場もある」、という言明に対して、「自分の立場からは間 >違いだ」という再反論を繰り返すこは、間違った議論のしかたなんじゃないでしょうか。 その再反論の仕方は、ワタシも間違っていると思う。 この場合にはその立場の信憑性が問われている訳で、立場に固執して信憑性に対して説 明なり証拠で答えなかったら相手は納得しないでしょうから。 私は立場に固執する事ではなくて、むしろ立場を離れて議論を進める可能性をイメージ しています。きちんと会話することは、その始まりだと思うのです。今回は結果として、 その会話や説明が行われた事で、議論はまあ達成されたと私は思っています。 「正しい」という言葉は難しいです。それは私も承知している。 天動説みたいに論理的に科学的に明らかにオカシイものだって、正しいとされてきた歴 史はあるワケですから。 利害が衝突しているような場合なら、正しさは決められない。政治的な判断で妥協する しかない、ということにもなると思う。 ただ、ここでの議論の場合の「正しさ」ってものは、そんなに曖昧で正反対になり得る ものなのかナ、と私は常々思うんですよ。そこはもっと煮詰めても良いんじゃないかな。 それで背景なり立場が分かるまで話をして、そこから汲み取って来れるものがあれば、 それで良いんじゃないかと。 あと>>47 の「誹謗中傷に対する覚悟」というボルガさんの言い方は、なんだかヘンで す。集合論ぽく言えば「誹謗中傷」は「反応」の中に含まれるけれど、極論の部分で範囲 を広げてしまっているし、それなのにその後で書いている項目は、私はみな同意できるも のです。対立する要因がわからないよ。 >恣意的な運用をする場合は、逆に自分に甘く他人に厳しい運用だって出来てしまうと思 >います。 孤蓬さんの示した>>36 は彼の認識であって、それに乗って運用される「行動原則」と は意味が違うんじゃないかな。 運用したって言うよりも、恣意的運用が出来ないものだからこそ議論が発生したんじゃ ないのかな、と思う。 大村 浩一さん 孤蓬さん 蛾兆ボルカさん こんにちは。 大村さん ていねいなコメントありがとうございます。 >>39 で前述いたしましたとおり、1のうち前段の、 >1.作品を公開するということは、誹謗中傷を含めあらゆる反応が起こるリスクが、厳然たる >事実として、そこ存在する。 という点は異論ないのです。作品というものは、読み手の反応を呼び起こす可能性を秘めており、その反応としてあらゆる事態が起こりうる、というのは文字通り「事実として、そこに存在する」と思います。 ただ後段の、 >作品公開に当たっては、作者はそれを覚悟すべきであると考える。 については、その「覚悟」をするもしないも個々の書き手に委ねてよいのではと思っております。 これは読み手という立場からの願望ですが、詩の場はちょっとゆるいほうが、思いもよらない自由な詩が出現しやすいのではないかと思っております。 * 別論点ですが、 大村さん> 「ヒールというスタンス」とは、どういったことなのでしょう。 そこには、プロレスのヒール役のような振る舞いで他者の詩にコメントを付す、といったことも含まれるのでしょうか……。 sage 孤蓬さんへ、白井明大さんへ。 蒸し返しになるかもしれないけれど、私の意見を公けにしておきます。 孤蓬さんの発言 >>36 >ただし、そのリスクから個人を保護するのが、法令であり、また、SNSのような場におい >ては、更にローカル・ルールが会員を保護しています。 >そうして、その保護は、法令やルールに規定された範囲においてなされます。 を見て。そう言えば現フォにルール集なんてあったんかいな、と思ってメニューを探し てみると、ヘルプの中だったんですな。なのでちょっとオドロイタ。(笑) どうりで普段 は見かけないワケです。 mixiだと「より健全なSNSを目指して」なんていうスローガンじみたのが、トップの見 える場所に入っている。これはまあルールと言うより「mixiはこのような管理運営をやっ てます」という宣伝みたいなモノだけれど、私にすればうっとうしいし、裏読みすればこ れを盾にどんなまっとうな訴えが抹消されているのか、などと思えて薄気味が悪い。これ はまぁ、mixiが様々な人を受け入れる為には仕方のないことでしょうけど。 ワタシは。現フォのような、目的を持った交信場所のルールというのは最小限度にとど めるべきだと思っています。 目的の追求自体が自発的なルールとなるだろうし、その達成のためならばある程度自由 なコミニュケーションが必要だと私は思う。論戦もコミニュケーションの一様式であると 割り切って考えています。(敢えて書けば、目的が共有できないのであれば、それは間違 った会社に就職したようなものではないかと思います) ルールがブレるのは良くないから、それを防ぐ意味あいで、ある程度の明文化は必要で しょうけれど。ごちゃごちゃ書いたって「何だメンドクセエ場所だなァ」で人を遠ざける だけだろうし。 ルールを厳格にしたりガイドラインを示したりしても、例えば議論が過激になった時に、 それに対して互いに「ローカルルールの何条何項に反しているぞ」みたいな話しか出来な いのだとしたら、情けないと思う。 現フォのやり方はスッキリしていると思います。深刻で法的にしか解決がつかないもの は、法律で解決するほかはない。私としても、別にフォーラムの上で裁判の真似事をやっ て欲しいワケじゃないのです。 詩、あるいは文学の話としての部分を見たいから、議論は持ち込まれてくるのだと思い たい。 孤蓬さんの発言 >>34 >1.作品を公開するということは、誹謗中傷を含めあらゆる反応が起こるリスクが、厳然たる >事実として、そこ存在する。作品公開に当たっては、作者はそれを覚悟すべきであると考える。 白井明大さんの発言 >>35 >私としては、さまざまな考えの会員のかたがいらっしゃることを思うと、この会内においては >1を前提にするべきではない、と思っております。 お二人の考え方の相違点はここにはっきり出ています。 私としては、孤蓬さんが先に挙げた1.というのは、ローカルルールというよりは、むし ろそれ以前に、あらゆる公衆の目に触れる場所にものを書く場合の、前提条件じゃないの かな、と思う。 あるいは書き手として知るべき事、だと。 そんな大事だとは思ってなかった、と書いている皆さんは言うかもしれないけれども。 誤謬の指摘程度は問題にならないと私は思っています。 間違いは単なる間違いだし、立場の違いから来る異論は、その信憑性が問われる事にな る。それだけの事です。 自分を律する規範がブレないのならば、自分を利するのが目的でなければ、ヒールとい うスタンスは自分が汚名を着ることを交換条件とする分、むしろ潔いとも言えます。 あと、きちんと議論しようとする人は慣例的に私信を嫌う傾向があるという事は申し添 えておきます。表裏はない、表で言ってることに統一されているという事です。 文責 大村浩一 孤蓬さん こんにちは。お返事ありがとうございます。 おっしゃるとおり、SNSといっても1の前段のリスクは生じるであろうと思います。1の後段は判断の分かれるところかもしれません。 また、SNSといっても必ずしも「穏当な社交の場」とは限らないと思っております(ですので、1の是非をSNSであることから一義的に導こうという考えではありませんでした。拙文申し訳ありません)。いろいろなSNSのありかたがあって、よいように思います。 では、この現代詩フォーラムは、どのような場を志向するのでしょう。システムのあり方や、ローカル・ルールからおおよそが見えてくるのかもしれませんし、実際に志向しているところがあるのかもしれませんので、そうしたところに私は関心を持っております。 孤蓬さんのなさるコメントに関しては、私から申し上げたいことはとくにありません。 1と2、として挙げてくださったことが上記の関心と重なりましたもので興味が起こった次第です。 1に関しては後段が判断の分かれるところであろうか、と上述しましたが、それもSNSとして志向するありかた次第かと思っております(私見は35のとおりです)。 気をつけたいことのひとつは、おっしゃるとおり「法令やルール<以外>の所で、他者を規制しようとする、あるいは、自主規制を強いようとする雰囲気が醸成されること」です。 このことは33でふるるさんおっしゃるように、 「個々に信じる神がいて、それぞれが正しいと信じる道をそれぞれに歩いていける、 衝突もある、けど口はふさがれず望むならなんとなく対話を続けていける、 そういう場所でありますように。」 というものが望ましいように思います。 そのとき「衝突」の度合いをどのあたりまでとみるのかが、いろいろな意見のあるところなのだろうかと思っております。 いずれにしましても、個別のことがらを離れて、ここがどのような場を志向しているのかに関してこうしてお話ができますことは、私には楽しいことです。ありがとうございます。 ※sageとしますのも、SNSとしてどのような場なのかいまだ分かりませんゆえ、穏当なラインをふまえようかという浅慮にすぎません。議論の相手方に対して失礼にあたらないかと危惧いたしますが、どうぞご容赦ください。 こんばんは。 まだ入会して日が浅く、気になっておりましたのは、孤蓬さんが34でおっしゃっている以下のところです。 >1.作品を公開するということは、誹謗中傷を含めあらゆる反応が起こるリスクが、厳然たる >事実として、そこ存在する。作品公開に当たっては、作者はそれを覚悟すべきであると考える。 > >2.その反応が、法令及びルール(ここではフォーラムのローカル・ルール)を逸脱する場合に >ついては、法令及びルールに基づき、しばしば強制力を伴う措置が執られるが、法令及びルー >ルの範囲内であれば、あらゆる行為が甘受されるべきであると考える。 私自身にかんしては異論ありません。言わずもがなかも知れませんが、1については、 「誹謗中傷を含めあらゆる反応が起こるリスクや、じぶんが書いたことばが誰かを傷つけるリスクが」 と、内心では自戒して読み替えておきたく存じます。 そして(孤蓬さんには迂遠かもしれませんが)、 ◯書き手の立場での私は、誹謗中傷が起こるリスクを覚悟して作品を公開するけれども、 ◯その誹謗中傷が、2で挙げられる「法令及びルール」を逸脱した場合、しばしば強制力を伴う措置が執られ、その範囲で保護されることになる という点は、念のため確認しておきたく思います。 また、2の「甘受」の意味として、「その反応」に反論する(相手の反応を認めたうえで、さらにじぶんも「反応」していく)ことも含まれるであろうと解しております。これは作品に対する「反応」もまた、1の下に置かれるということとしてです。 ただ、気になっておりますのは、 「詩のSNSであるこの現代詩フォーラムは、1を書き手に求める場なのかどうか」 ということです。 と申しますのも、SNSを穏当な社交の場と考えましたら「誹謗中傷が起こるリスク」は、2を待つまでもなく書き手に負わせないという判断もありうるのではと思うからです。 この点を明確化することは難しいようにも思えますし、以前も似た議論があっておかしくないであろうところです(すみませんが、過去ログはあたっておりません)。 私としては、さまざまな考えの会員のかたがいらっしゃることを思うと、この会内においては1を前提にするべきではない、と思っております。 (但、この会に投稿された文章は、インターネットで公開されておりますので、会の外部までを規定することはできません。ですから会の外部にあっては、1が原則になるかと存じます) sage >>25 孤蓬さんへ 再びありがとうございます。 お返事を読みまして、孤蓬さんの信じる道がどんな感じなのかだいたい分かりましたので、 今後私の書いたものにご指摘があったとしても、むやみにむっとしたりあわてたりしないでしょう。 もしよろしければこちらのスレッドででも、古文を愛することになったきっかけ や思い入れなどを伺いたいなと思いました。(お時間がある時にでも・・・) 個々に信じる神がいて、それぞれが正しいと信じる道をそれぞれに歩いていける、 衝突もある、けど口はふさがれず望むならなんとなく対話を続けていける、 そういう場所でありますように。 sage >>30 まず「非力ながらのプロテスト」という表現を適切に用いなかったことをお詫びいたします。 またレスありがとうございました。もう少し丁寧に考えてみます。少し前のレスは乱暴だったかもしれません。 孤蓬さんの指摘の内容自体は、つまり誤用や違和のある表現を指摘すること自体はおかしくないと思うのです。また、もちろん孤蓬さんが文科省の回し者だとも思っていません。個人の責任で活動されていると理解しています。 かつても孤蓬さんとは立場がちがうかもしれないけれど、批評家の福田恒存が官製の国語施策への批判をしておられました。彼はその頃から歴史的仮名遣い表記を用いていましたね。 さて、しかし私も少し感情的になっていたから、乱暴な批判になっていたのかもしれません。ただ、国家を背景にしていないのはわかる。個人的な信念によって活動されていることも理解します。ただ、やはり以下のような一節が気になるのです。 >私の指摘は作者に対する非難ではなく、公開された作品をサンプルとして、そうした言葉遣いが誤り、あるいは違和感のある表現であることを、公開の場で、それを読むであろう方々の参考に供しているのです。 ここでわかったのは、これでは指摘された方々のうち幾人かが困惑したり怒ったりするのは致し方ないのではということです。 「参考になれば」というのは孤蓬さんの譲歩の表現なのかもしれないけれど、しかしこの文章の意味はやはりサンプルとしてあるいは症例として検討するということです。ならば、孤蓬さんが一文をものして、ご自分の文語表現に対する立場を表明する方が私にはすんなりわかるのです。 「作者に対する非難」ではないというのはわかります。けれど、やはり作品の送り手としては作者がいるわけです。第三者に触れられるとしても。 もちろん間違いに無自覚な表現を公開することというのは、私もどうなんだろうかと思う。適切な指摘は受けることは自然ですらある。ただ、「サンプルとして」「公開の場で」「参考に供する」というのは、どうなんだろうかと思う。 それよりは書き手に指南するのであれば、書き手自身に向き合って「これは間違っていますよ」と諭すほうが良いと思う。そうでなく「公開」において多くの方の「参考に」供するのであれば、孤蓬さん自身が間違いやすい文例を作ったりして、古文を書く際の注意点として表示するほうが理解しやすいのではないか。どちらかにしないと何となく指摘された方々も自分の無知を顧みるよりも、自分が出しに使われたと悪意に取る人もいるのではないかと思うのです。その人にも問題はあるのかもしれないですが。 私は優しい配慮を求めているというよりも、現在の孤蓬さんの信条やスタンスからするとそれがいいのかなとお節介ながら感じておるのです。 異なる信条の方々に伝える時、相手の信条との関わりは「サンプル」化できないと思います。 作品それぞれをサンプルとして扱うというのはどうなんだろうか。しかし語りかけているのは作者に対してです。それが広がりを持つというのは当たり前なんだけど、もし広く参考に供するのであれば、孤蓬さん自身のガイドラインを大まかに示すということが妥当と私は思うのですが。 つまり互いの学びということを目的とするなら、ひとりひとりをあたっていくよりも散文として、アナウンスメントをすることが今は効果を持つのではないかと考えるのです。そうして孤蓬さんの考えをコメント欄ではなく公にすること。孤蓬さんは個人でやっているのだが、孤蓬さんの活動は賛否はあれど広く影響をもっているからそう述べるのです。私は個人的には歴史や古いものに対し敬意を持ちたいと思っているのですが。 しかしそれは一人ひとりが愛する心の芽生えるのを待つしかないと絶望半分で思っているのです。また古文も学説的な説はありますが耐えざる新しい読解がありうると思います。それはここでは一応おきます。 #私は石川和広です。よくDMなんかで間違えられるのです。変換では「和弘」のほうが先に出やすいみたいなんですが。sage 否定するつもりはないんだけど、非力な日本人へのプロテストのために、個個人が指摘をされるってのは、なんとなくお門違いな気がするよ。 個個人は語の使用が不完全な(と孤蓬さんがいう)現代日本人のサンプルなんだろうか。 あるときは孤蓬さんは、間違いを老婆心から指摘するに止めるというんだけども。 もちろん言葉遣いが変な人に疑問や違和感やもっというと怒りをもつのは否定しない。 ただ、孤蓬さんの憂慮の背後に語の用法の乱脈への義憤があり、その乱脈を確かめるように各個人に釘を刺すのはどうか。 俺だって間違うから世の中の腐敗の片棒を担いでいるかもしれん。しかし間違いが腐敗や非力を生み出すというのはちょっと言い過ぎでは? 概ね間違いをして気付くことで、ひとは変わる、けどなかなか変われない。それを放置するのは変だけど、かといって、律儀に釘を刺すことで、互いに学びは訪れるのだろうか。 実際多くの方が稚拙であっても反論するのは無理からぬ面があるだろう。 ひとはなかなか変われないから変わりたいと強く願う。そう思い、その人達が孤蓬さんと学びたいというまで、苦々しい思いをもちながらも待つことが教育なのではなかろうか。 孤蓬さんの態度は美しいと思う。しかしそれがこの日本の国語状況を変えようとするならこのような小競り合いで何が生まれるだろう。 しかし僕個人は国語全体の腐敗というか非力だという観測を持ちえない、誰か英雄的な活躍が国語全体の状況を変えうるとは思わない。言葉は他者とのものだから。 だから、おまえまずいよとは言えても全体状況の改善のために個個人に釘を刺すのは違和感がある。人の語の使用と思索によって言葉はかわる。その中には孤蓬さんが間違いを感じるものもあるだろう 全体の国語のためにひとりひとりが指弾されるのは本末転倒している気がする。 僕はずいぶん批判したわけだが、美しく正しいことを目指す人には「かなわないな」というしかないのだ。 僕だって自分の理のためには人を苦しめることが多い。自分のかわらなさを嘆く。僕は正しく生きられない。昔の人の嘆きや様々な声つまりもののあわれは、人が未完成な生しか畢竟生きられぬという深い洞察からあらわれ、それでもその声を響かせることで何かにつながりたいという切ない希求からあらわれていると思う。僕は古典に対して無学なので、孤蓬さんに申し上げるのは忸怩たるものがありますが。すまない。 sage #片野さん、野球つながりで、言ってくれたのかな。気のせいかな。だったら、うれしいね。 >山田さん そっちもあるね。ビール飲んでオカキ食ってする話じゃなかね。#いま飯食ってビールやりながら野球観戦。 sage プロテストって、抗議する、のプロテスト? 携帯からだと長文書く気になれないので突っ込みばっかりだ。 コミュニケーションと言うのは言葉のキャッチボールですので、投げるときにはきちんと投げないと受け取れません。 久和さん、「かなわない、ので‥」ので、何ですか?点々で誤魔化すのは誤解を招くもとです。 釣りだと言われるのは、あなたが言葉をきちんと尽くしていない、ボールをちゃんと投げてないからでしょう。点々でごまかさず、最後までキッチリ書き尽くしてみませんか? あと、無駄に空行を開けるとスクロールが増えるとか(特に携帯から読む際に手間になる)ありますので、行分け詩を書いているつもりでなければ、ひとつの文の間に空行など入れずに続けて書くほうがいいですよ。 さてスレオペからは以上。引き続きどうぞsage プロテストってプロ選手になるテストのことかな?野球とかあるよね。 その仮定でいくとプロになる自信がある時点で、ものすごいってことかな… あとプロって専門家だよね。まあね。野球なら上手い下手わかりやすいねえ。金もらってるし。俺は金もらえる原稿なんて滅多にないもんな〜 ともかく最近日本シリーズ見ててどっちのファンでもないのに見てしまうよ。みんなシーズン戦より必死なんだよね〜 真剣勝負すごい! 西武の選手とくにピッチャーは茶髪で前髪気にしながら投げてるのに、抑えたり、すげえなあ。#雑談スレなんだから話は逸れてもいいかと。ただ確かにつながりはわかりにくいね。 久和さん、釣りではないのね。ふむふむ。 いけねsage忘れてた! プロテストってなに? 文脈がみえない。 #せっかくsage進行だったのにね いや白井さんのこととはちがって、いろいろ指摘を巡る作者とコメントする人のやり取りが、どれくらいうまく噛み合っているのかなと。 噛み合っているというかなんというか指摘された方も意地になって言い返してる印象を散見しましたので。これも僕の印象ですので、ちがっていたら修正したいと思っています。 白井さんと山田さんのやり取りは、論点が押さえられていて不明な点は少なく報復合戦だとは感じていないです。 作者と作品がどのように関わるか関わらないか。それを読む人はどう捉えるか大切な問だと思います。 横槍を入れた格好になりましたが、僕もお二人のやり取りを見ていきたいと思います。 また、僕が山田さんの詩の読み取りについて、僕自身の印象を述べてみました。山田さんが批評的な活動で試行錯誤している姿にある敬意を僕も持っています。 僕と方法がちがうので、そこで感じたことを先の発言で述べました。まちがっているかもしれませんけれど。山田さんがそれはちがうというなら、またその時にじっくり考えてみます。 しかし山田さんが非常に真摯であることを僕は今まで見落としていたように思い、それは僕の見方の偏りかもしれなかったなと思っています。 sage sage 石川さん そうですね。15の最後のほうでお書きになっているのはたぶん私のことではと思い、書き込みいたします。もしちがっておりましたら失礼いたします。 どなたか個人のかたに宛てた散文をアップするというのはどうであろうか、という逡巡がありました。それが相手を傷つけうることもまた、文章を表に出すときに思わずにいられないことです。 ただ、詩人としての山田せばすちゃんさんを思いますと、報復合戦へ向かう懸念はありませんでした。同氏が詩の読みにエネルギーを注ぎ続けてきたことは明らかですし、論点をひもといていきながら、そのような読みをめぐる話になっていけばと願うものです。 とはいえ、それが現にどうであったかは他のかたがたからのご意見など、私は受け止めなければなりません。 真面目にいうならさ、たぶん語の使用のありさまから何かルールというとキツイけど、それを誰かが抽出する過程で文法は生まれる。あるいは言葉は分けるものだから、具体的に使うこと、関係とか文脈の中で使うことと、その使い方を考えたり整理したりする働きは相互補完的だなあと。 語の使用がないと言葉の世界はない。だけど、語の使用のありさまについても、考える深さはいろいろだけど、考えてるんじゃないの。 いいっぱなしもあるけど、そのいったことについて考えるのも、どっちも必要。 なんで指摘する人とされる人が分かれて喧嘩しなきゃならんのかわからん。 そういうのは学歴とかあほだからというだけの問題なのか。自尊心とそれを傷つける者という問題なのか。 やっぱり関係のつくり方、まさにそういうことだと思う。 俺も僕より年上の人と合評したりする。んで、山田さんのように「作品と作者は切り離したい」という人はけっこういる。 で、そういうのはなぜかかんがえてみたんだけど。 したら、結局山田さんよりもさらに上の年齢の人やあるいは同年代の人同士でね、作品について議論するときに書く人の人格批評みたいになってしまっていたのかなと。 だから山田さんのような人はそういうやり合いに嫌悪を覚えて、作品と作者を切り離したいというんじゃないか? もちろん現代思想とかテクスト論とかの影響もあるとおもうけど。 これは推測だから山田さん、まちがってたらごめんね。けどねそういう事情もある気がするんだ。山田さんの人格批評への違和感はまっとうだと思う。 けれど、うまく伝わっていない。どれだけ第三者性が書いた作品にあっても、作者の意気込みとか作った人の意思と作品はそうそう切り離しがたいんではないか。 切り離している、あるいは切り離したいと相手にいうことで、逆に相手が「いや、でもこれは俺の作品だ」と逆に意固持になっているようにも見えるの。 依怙地になるほうにも問題は多分あるんだけどね。でも自分の作品に誇りとか恥をもつから意地になるのかなと。その指摘された人の出し方が山田さんを傷つけてることも、指摘されているかたは気付いたほうがいいし。 報復合戦だとしんどいよ。 #依怙地、訂正 >12 そうなんだろうね。 で、久和さんのいう文法マスターは山田さんだったの? でも久和さんは文法の起源を思いつくから、かなり文法についてお考えのいわば「文法マスター」なのでは? 釣りでしょ(笑) 無邪気に母を慕う子供が友達や近所のおばちゃんとの会話で自分の母を「お母さん」といったところで、注意する人は稀でしょうね。子供の会話をリアルに描くならその子供が発する言葉として自然なものを選ぶ。きちんとしつけられた子供を描くなら敬語はルール通りに喋らせる。自由にのびのびと育った子供を描くならそれなりのセンスで喋らせる。ルールの逸脱具合も考えながらするからこちらのほうが難しいかもしれない。使い分けるには基本の正しいルールは知っていなければならない。だから正しいものを知っている人のコメントは大事だし、もっと敬意を払っていいと思うな。注意されたって、命を取られるわけでも、世界が終わるわけでもないんだから。 #釣りじゃなかったのね。 #久和さんごめんなさい。 親族に尊称を付けない、というルールは社会慣習であって文法じゃねえだろ。 文法マスターってだれ?(恐る恐る訊いてみる) #釣りなのかな…そんな気配が濃厚なんだけども 今朝のネコ時計のネコは足をなめていた。カワユス。 別に子供がきちんとした古語を使ってもいいし そんな奴じっさいいそう。でも、それが愉快に見えるかはまた別。 高校生で漢字・平かなさえ怪しいやつもいるし あるいは文豪みたいな格調ある文章書く奴もいるだろうね。 三島由紀夫だってまあ高校生のときからいろいろ書いていたのだし。 何かっていうと、なんか「らしさ」って何なんでしょうかと。 それはまあ会社員ぽくとかあるよ。背広でネクタイとか。 その下がジャージだったら心配だけど。 いや年相応にすることは俺は大事だと思いますが。 けど、らしさとか、そういうのが社会的なお約束として機能しているから だから、そこからの逸脱が可能だというのは、なんか 微妙に違和感があるねえ。 還暦はみんな昔は赤いチャンチャンコ着たけど今の60は若いよねえっていうのは普通な話で。で、ふだん真面目な奥さんが、金髪にしたから 意外だとかイメージがとかそういうことだとしたら別にそんなに面白くないよね。 そうでなくて、佐々さんでは「ゆーと」って使っても賢そうに見えて ちがう人が「ってゆーと」って使うと急に軽薄に見えるとしたら その違いは何なんだろうか。こういう話、案外大事と思う。 それは佐々さんが文章や文学のルールを知っているからだろうか それとも佐々さんのそういうキャラ立ちみたいなもんがあって それを佐々さんに合ってたり佐々さん自身うまく制御してるからか あるいは俺が勝手にそう言うイメージをもっているからかな。 しかし読者と作者と作品の中で共有されるイメージみたいな。 村上春樹だなあっていう文章とかあるじゃない。 そういうのはどこから生れてくるんだろうか。 で、キャラが立っている人ばかりではないからさ。 文法の問題は置いとくけどさ、字が間違えようがなにしようが おもしろいこと書く奴はいる。 けれど、だから一般化してさ、私は字は間違っているけど 面白い文章を書いているってアピールいわれても困るし。 だって文章を読むってさ、やっぱり興味あるから読むのだよ。 で、俺は合評とかでも字間違ってるよ〜とはいわないよね。 ここの字、これどうなんかなあって聞く。 で、興味が持てない、面白くないという兆候のひとつに誤字とか誤用ってのはあるんだけど当然それが1位じゃなくて。やっぱなんかわからんけどぐっとくるってのが大事だぜ。 それとは別にあんまりいい加減な言葉を使う人がいるとさ ちゃんと考えているのかなって思うよ。文章のこと。俺も指摘されることはここではないけど別の場所ではある。 やっぱりなにくそ〜って俺はなるよね。誤字誤用とかじゃなくて つまんねえからいろいろ注文付けられているとわかっていたら。 でもなにくそ〜って思うから自分がいいたいことを吟味するし。 なにくそ〜って思ってもまあ色んな人の指摘の作法に腹立つだろうけどね。 けど、文章添削ではなくこの文章に対する思いがどういうものか 指摘したい時はいっていいと思うし。 それを伝えることは大切だし。 指摘されてまあ、なにくそ〜って思うからこいつを見返してやるという感じでやったらいいと思うんだけど。 だって、いろいろいわれて気分いいことはない、俺は。 そういう自分はいるんだよ。で、それはみんなそうなんだよな。 だからって自尊心に配慮しすぎるとさ何も言えなくなるけどね。 でも、尊重した上で批判するっていうのが大事だと思うの。 いくら相手がバカっぽく見えたって、いろんな世界を人は生きているからね。 (ながくなった〜スマソ。) >>5 ケースバイケースじゃないですか。 上司にいうときは「母が退院いたしました」でしょうけど 親しい友だちには「お母さん退院したよ!」でしょうし、 私のぞんざいな文体では「わしのおっかさん退院したぜ〜」になるのでした。 そして詩を書く場合にはこんなTPOを守る必要はありません。TPOが守られていないので印象を強くすることもあります。たとえば萩原朔太郎に「いいえ子供」というやや異様な呼びかけが出てくる詩があって、その異様さが効果的だと私は思います。 私の基本的な考え方、考えてみたら萬草庵に掲示してありました。 >一句中に口語と文語を混交すること、漢字や語法の間違い、季重なり、ダブル切れ字なども許すぞ。ちなみに普通の俳句結社ではいずれも許されない。私は許すことにしたけど、お約束破りなんて想定内のことに過ぎない。できれば私の想像を超えてくれ。こんなに自由で真面目な俳句投稿板は他にないぞー(過大広告)。ま、自由を味わいまくっていると「句」とは何かわからなくなるのが必然。 私はかつて俳句結社に所属していて、結社主宰に徹底的に訂正されるという経験をしてきました。誤字脱字はもちろん訂正されます。文語と口語の混淆も基本的にはいかんということになってます。それはそれで勉強になったのですが、「えーそんなのまで訂正しないでよ」と思うこともままありまして、私は結社を脱退しました。萬草庵の決まり事がゆるゆるなのは、結社の厳しさの反動ともいえますが、ゆるゆるなルールの中から面白いものが出てきたらいいなという考えから生まれたものでもあります。ただ世の中はそんなにゆるゆるな人ばっかりじゃないよ、という意味で、「ちなみに普通の俳句結社ではいずれも許されない。」という一文を添えました。 文法や文章で、何が正しくて何が間違っているかは、ほんとうのところは誰にも決定できないものだと思います。しかし、何がふさわしくて何がふさわしくないかは文章ごとに決まるものなのではないか、と私は考えています。たとえば、作中の人物が俳句をつくるとして、作中人物が小学校低学年だった場合、その作中作が完璧な文語と季語を用いた本格的なものだったらちょっと似つかわしくない。ちょっと間違ってたり口語的だった方がそれらしいと思います。高校生あたりが短歌を作るという設定だったら、ら抜き言葉など使用するとそれらしくなるかもしれません。明治時代の文豪が俳句を書くという設定なら、ら抜きなんか論外で、難しい漢語や文語を使うといいでしょう。つまり、それらしければいいのではないか、と思うのです。 私はときおり「ゆー」「とーり」「せんせー」などという伸ばす記号を使った表記をします。これは厳密に言えば間違いです。しかし私はその場その場で「ゆー」「とーり」などという表記をわざわざ選んで使います。具体的に言うと、主に文章を軽く見せたいときに使います。そんなにたいした話じゃねーんだよ、というサインのようなものかもしれません。 逆に、私は、がちがちの文語らしきもので書くこともあります。口語と文語を適当に混淆して書くこともあります。前に孤蓬さんが間違いを指摘して下さった拙作「伊栖之湖周辺の伝説について」http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=158716は、基本的には古風な口語で単語ひとつだけ文語が使われています。孤蓬さんが指摘して下さったのはその文語ではありませんでした。孤蓬さんが指摘したのは、単なる仮名遣いの間違いでした。だいたい大正期を想定した拙作の意図を孤蓬さんは汲んで下さったのだと思います。 言葉は時代とともに変わるものですけど、いったいどのあたりの何を表現したくて文語(らしきもの)を使うのか、使う前に一歩とどまって考えてできたらちょっと調べたりすると、おのずとふさわしい表現が書けるのではないかなーと私は思います。 孤蓬さんへ お返事ありがとうございました。 おっしゃるとおり、作者に「ここ直せ」という権利は誰にもありません。 ですが「正論の持つ逃げ場のなさ」はどうでしょう。 正論や一般論は「罪」や「誤り」を照らし出すものであり、それは往々にして「ゆえに」「お前が悪い」「間違っている」「悔い改めよ」という結論とセットです。 と私は思います。日常でわざわざ「これが正しいんだよ」と言う時は必ず「だからこれ間違ってるから直した方がいいよ」という言葉とセットだから。それで自分の非を責められて 「うぐぐぐ(正論持ってこられたら立つ瀬ないじゃん)・・・ごめんなさい」 となることもしばしばですし。 ジャッジするというのは、作品の良し悪しをジャッジするという意味ではなくて、 「強力なカードである(直すべきである、という強制力を暗に持つ)正論を突きつけていいものかどうか」を誰がジャッジするのか、ということです。 いきなり突きつけられたら作者は、 (私はこれがいいと思ってるのに、正論持ってこられたら立つ瀬ないじゃん)(直す?直さない?どうしよう?)となって、孤蓬さんは「直すかどうかは作者の自由」と思っておられるのにもかかわらず、作者側は自由を奪われた感じで、苦しいと思います。 だから指摘してもいいですかと断るなり、ついでにいいところを褒めるなり、誤りの指摘がメインですよ、というのではなくしたらいいのかなと。 まあ、「正論」や「一般論」や「辞書に書いてあること」や「歴史が証明しているもの」を突きつけられた時に何をどう思うかは人それぞれで、「そんなのただの正論だろ」「そんなの見せられても自分は違うしなあとしか思わない」と軽くいなせる人もいると思うので、あくまでも私個人の感想ですが。 長々と失礼いたしました。 わあ一番乗りじゃ〜 つうても喋ることが…まずはご挨拶。おはようございます! 今日もいい天気。ねこ温度計昨日初めて知りました。 なるほど、東京の温度なんだな。大阪はちょっとひんやりする程度。 なんとなくまだ冬布団では暑いのです。 (ほんまに雑談じゃ汗) 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 スレッドを新規に作成したり、コメントを書き込むにはログインが必要です。
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