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雑談スレッド7軒目 (雑談系)スレッドオペレーター:片野晃司
ひきつづき雑談スレッドその7です。

雑談スレッド6 http://po-m.com/forum/threadshow.php?did=25621
雑談スレッド5 http://po-m.com/forum/threadshow.php?did=10506
雑談スレッド4 http://po-m.com/forum/threadshow.php?did=7769
雑談スレッド3 http://po-m.com/forum/threadshow.php?did=5563
雑談スレッド2 http://po-m.com/forum/threadshow.php?did=2450
雑談スレッド http://po-m.com/forum/threadshow.php?did=2

[177]田代深子[2010 07/06 13:09]mizu K
 小学生のころに読んだ『天使で大地はいっぱいだ』の著者が亡くなったということだ。児童文学にはくらく、訃報で初めて、この作品が自分の生まれる2年前に発表されていたと知った。著者24歳のデビュー作、軽く驚いた。
 小学校や公民館の誰もいない図書室で、机の上に寝っころがり(不思議と暖房はよく効いており)、表題も作者もほとんど意識せず、てきとうに読み散らかしていたのを思い出す。その中で覚えていた印象的なタイトルであり、記憶に残る作品だった。

 それで、どなたかご記憶の方がおられれば。「いろいろ鬱屈を抱えた小学生が数人、夏休みにあり合わせの材料で船を造り、最後に一人だけがその船で出航しいなくなってしまう」という、なんとも薄暗い内容の児童文学のタイトルと著者を教えてください。昭和50年代に読んだ作品です。
 

[176]小池房枝[2010 05/28 13:55]佐々宝砂
「あかつき」が飛び立ちましたミクを乗せて。そして「はやぶさ」が帰って来るよ!
http://www.astroarts.co.jp/news/2007/08/16hayabusa/index-j.shtml
http://www.astroarts.co.jp/news/2010/05/17hayabusa/index-j.shtml

生きている意味。私なら「話しかける」。はやぶさおかえり、ずっと憶えてたよ
#2005年、五年前には五年後の今は遠い遠い先のことだった
 

[173]大覚アキラ[2009 12/13 20:04]渦巻二三五岡部淳太郎佐々宝砂大村 浩一あおば
川村透さんのプロフィール欄の一番下に、

 ■生きている意味
 たったひとつの動詞を選ぶなら?
 『ささえる』

って書いてあるのですが、以前それを見たときに
自分ならどんな動詞を選ぶんだろうかと考えてから、
そのことがずっと心のどこかに刺さったままになっています。
ぼくはこれからも、そのことを忘れずに
ずっと自分に問い続けていきたいと思います。
 

[172]片野晃司[2009 12/13 11:09]渦巻二三五岡部淳太郎松岡宮白糸雅樹あおば夏野雨
川村透さんのご遺族へプリントアウトをお渡ししてきました。
告別式では、鳥羽水族館の館長さんが透さんの詩を朗読するなど、詩人としての業績を紹介する時間が15分間取られたそうです。
 

[170]片野晃司[2009 12/07 13:41]あおば伊藤透雪渦巻二三五
「はみだし」にも書きましたが、川村透さんの葬儀の件です。

斎場は鳥羽会館
三重県鳥羽市堅神町745-1
TEL:0599-21-2533
通夜:本日12/7(月) 18時から
告別式:明日12/8(火) 11時から

片野は葬儀へは都合がつかず行けませんが、今週末の土曜日に行ってきます。投稿作品のプリントアウトを作成していきますが、もし透さんへのメッセージ、ご遺族へのメッセージがありましたら、金曜日の午後までに片野へ私信、メールでお送りください。プリントアウトして持っていきます。
 

[169]佐々宝砂[2009 12/07 02:10]「ま」の字あおば大村 浩一伊藤透雪渦巻二三五夏野雨
とりあえず読め。
川村透さんの詩群。
http://po-m.com/forum/myframe.php?hid=25
 

[168]大村 浩一[12/06 23:45]虹村 凌いとう遊羽唐草フウ「ま」の字あおばとうどうせいらmizu K渦巻二三五手乗川文鳥夏野雨
どこに書いていいのか分かりませんので、こちらに。
鳥羽の、川村透さんが昨夜病気でなくなりました。
Brue Kidsという詩集を、ニフティ時代の現フォから出した人です。UPJや詩ボクでの活躍も記憶に残る人でした。
ご冥福をお祈りします。
 

[164]小池房枝[2009 05/27 22:11]
同工異曲、というかどうか、仰ってらっしゃるのはまさしく『滅びの風』に収録されていた「滅びの風」のことだと思われます。
ちょうど最近、図書館で『ガン病棟のピーターラビット』を見て、変な言い方ですけど「ああ、元気でやってらっしゃる」と思っていたのでした。
そうか、「滅びの風」は?と?がありますね。どちらだろう。どちらもかな。
ケータイ優先スレッドどうもありがとう。
 

[163]佐々宝砂[05/27 21:35]
星新一の「午後の恐竜」と同工異曲の作品が栗本薫にありました。作品集『滅びの風』に収録されていたと思います。『滅びの風』を連載で読んだのは忘れもしない1984年です。私にとっては鈴木いづみの次に(好きとか嫌いとかじゃなく)影響を受けてしまった作家でした。

私は『レダ』がいちばん好きでしたが、短編も好きでした。「さらしなにっき」「幽霊時代」「時の石」…。「愛しい」と書いて「かなしい」と読むと知ったのも栗本薫のおかげでした(あの可愛いネズミさんが出てくる短編はなんでしたっけ)。

日本は一人のストーリーテラーをうしないました。ものを書く人間としてはなげいたり惜しんだりだけではいけないでしょう。

わたしも。
 

[162]小池房枝[2009 05/27 20:34]
時折、見かけるたびに「ああ、午後の恐竜だな」と思っていたのですが、地球カレンダー、という言い方、考え方、今ではすっかり定着したようです。ものの本、ネットのサイト等々が数多くあるのに先日あらためて気がつきました。地球の誕生を年明け元旦午前零時、現在までの出来事を一年の中に割りふってみるとなんと人類の誕生なんて、というやつですね。星新一のショートショートに、せつない一篇があったのでした。
#栗本薫氏が亡くなられたそうです。グインサーガは読んでいなかったのですが、「滅びの風」が好きでした。なんのてらいもなく好きでしたと言ってしまえるようなさわやかな短編集ではなかったのですが、最近読んでみていた巖谷國士いわく「ひとは世界の終末というものに対してどうしても風水火土のいずれかのイメージをあてはめてしまうものらしい」ということで、私にとっては風の中のそれだったのでした。
 

[161]山田せばすちゃん[05/09 12:32]
あたしゃこのままお気楽なネットのあぶくでたくさんさ。
(船頭小唄でsage)
 

[160]佐々宝砂[2009 05/09 05:59]
つかせばさんもそろそろ紙の詩集まとめろや。
跋文かいてやるでえ(笑
 

[159]佐々宝砂[05/08 11:56]
結局詩集読んでたよ(持ってたならとっとと読めよ
sage
 

[158]山田せばすちゃん[2009 05/08 10:42]
君の無聊を慰めるために書かねばならんのか(笑)
 

[157]佐々宝砂[05/08 10:23]
わしはいま病院の待合室にいて暇なのじゃあ!
もっとおもろいネタはないのか!
 

[156]山田せばすちゃん[2009 05/08 10:17]大村 浩一
最近解散したとかいってなかった?
ゆうとぴあでしょ?
ピースとホープ。
口にゴム咥えるネタで一世を風靡したよね?
 

[154]佐々宝砂[2009 05/05 23:41]
おいらはユートピアについてちっとウルサイのである。
トッド・ラングレンのユートピアではない(それも好きだけど)。

素朴にユートピアにあこがれるのは自由だけど、
まあなんつーかウィキで調べるくらいのことはしてよ。
 

[153]小池房枝[2009 04/25 10:57]PULL.佐々宝砂ふるる
雑談。パソコンするとき重宝しているインフォシーク辞書のわきっちょに、よく使うけど読めない漢字というのが並べられていました。だいたいは読めましたが「梃子摺る」でモジズリならネジバナだとか飲み屋の梯子をスルことかとか想像してしまっておかしかったのと、あと「腹癒」が「腹いせ」でそうか癒されるのか癒されるなら良かった良かったと思って笑ってしまいました。
http://dictionary.infoseek.co.jp/
 

[152]石川和広[2009 03/28 14:28]PULL.mizu K
>小池さん
なごみ喫茶もありました!オトメスレはもう過去ログだと思うんですが
タヒさんがスレオペだったよ。
 

[151]小池房枝[2009 03/28 13:34]PULL.嘉野千尋石川和広mizu K
雑談するならここもありますよ。今年になってから影、薄いですけど。
#乙女スレ、ありましたっけね。わたしは「なごみ喫茶」こと「なごみ専用喫茶室」も懐かしいです。
 

[150]小池房枝[2009 03/28 13:34]
[2009 03/16 12:30]分、再投稿。
ありがとう。気をつけます。矢面に立つ遊びを遊びとは言わないでしょうから。
#ダイエットなら蝦蟇の油よろしく鏡と睨めっこ、のほうがいいですね。
 

[149]氷水蒸流[2009 03/16 12:17]
>148
指の肉ごと持っていかれる人もいるので、ダイエットには最適です。
お気をつけて下さい。
 

[148]小池房枝[2009 03/16 10:59]
こんど油揚げくわえて桟橋に立っていてみましょうか。危ない遊びです。やっぱりやめます。>トンビに油揚げをさらわせる。
 

[147]山田せばすちゃん[03/16 10:53]
最近の鳶は油揚げではなくフレンチトースト拐いに来るのね、納得。
 

[146]小池房枝[2009 03/16 10:36]北村 守通山田せばすちゃんあおば佐々宝砂りゅうのあくび嘉野千尋アザラシと戦うんだ
age 昨日、後方からトビに側頭部顔面アタックされました。コンビニで買ったフレンチトーストくわえたまま桟橋でアンドンクラゲのひらひらを覗き込んでいたのです。どかんと衝撃が来て、自分に何が起きたか一瞬分からなくて、パンはとられなかったのですけど狙われたんだって飛び去るトビの後姿見て遅れて理解して、さらにしばらくしてから気がつきました。さっきまでかけてたメガネが顔にない。これは出費だどうしようというわけで探し回り、幸い日差しにきらりと光ったそれを海の中から無事拾い上げることが出来ましたが(拾い上げてもらいましたが)いやはや人生幾つになっても初めての出来事というのはあるものです。江ノ島じゃないので油断していました。
#水星はとうに早朝の、東の空に。金星も西の夕空を駆け下りている最中です。
 

[144]小池房枝[2008 11/29 17:14]rabbitfighterピクルスゆうと石畑由紀子
 せっかくの雑談スレッドですので、手土産に星の話。ほらあれ!どれよ?の防ぎ方。以前に別スレッドにも書いたものですが、「あ、一番星!」「どこどこ?」「ほらあれ!」「あれってどれよ?」って、よくありますでしょう?
 人が二人いて、一人が星を見つけて、ほら、と指差しても隣の人には分からないことのほうが多いです。二人の人間が同時に同じ立ち位置を占めることは出来ない。Aさんが指さした先にある星はBさんからは別の場所。そんなとき、横ではなくて前に立ってもらうといいです。見せたい星に対して二人が縦に並ぶといい。これがまずひとつ。 
 ふたつめには、指差すのではなくて、景色の中の目印を利用すること。煙突、ビルの角、アンテナ、マンション、電信柱。街中、空の障害物たち。「ほら、あの民家のアンテナの上のほう、まっすぐ見てってみて。」
 見せたい星がそう都合よく、何かの真上にいてくれるとは限りません。そんなときはこちらが動く。星と自分の位置は動かせなくても、目印と自分の位置なら動かせます。右に寄ってみたり左にカニ歩きしてみたり、相手にはちょっと待っててもらって、位置決めできたら此処まで来てって言って来てもらって、公園の木のちょうど天辺に星をもってくることも出来ます。こちらが動けば。私たちが動けば。そのとき、そこにいる二人だけのクリスマスツリー。シルエットのメタセコイアのてっぺんにキラキラ星。
 それから、一番星を過ぎて夜なら、相手に星がいくつ見えるか聞いてみましょう。視力とか慣れとかで見えている星の数、ひとそれぞれ全然違いますから。三つかな、とか、五つ!とか聞くと、どれとどれとどれが見えてるのかがだいたい分かります。そこから辿る。「あー、あれか。あれが○○だよ!」「へぇ、そうなの?」って。一つでも二つでも、確かにお互い、それと分かる星を見つけられればそこから飛び石づたい飛び星づたいに上下左右辿るのは比較的簡単。ときどき、どっちが明るく見える?とか赤っぽいのは右?左?とか互いに見えてる分、確かめあいながら「あ、私もうそこまでは見えないや」になるまで。
 自分に見えているものを相手に伝えるのは難しい。だからいろいろ工夫する。自分と相手が果たして同じものを見ているのかどうかもとても難しい。だからこそ、言葉も、景色も、ありったけ使って。
 都会の空気はダスト浮きまくりですから、ちょっと怪しいヒトになってしまいますが少し明るい懐中電灯でもあればライトサーベルもできます。でも今、丁度、夕刻には宵の明星が二つも輝いている今日この頃、良かったら星空をどうぞ。いっしょに見たい方や見せたい方々にもどうぞ。
 

[143]小池房枝[2008 11/29 16:18]
 さて、言いたかったこと、伝えたかったことのうち何を言ったのか何がまだなのか、ごくごくささやかな目的が手元にあって、それを果たすためにここに来たのですが、そのために何をしようとしてたのか、なんのために今まで自分にとっては鬼門と心に命じ続けていた雑談スレッドに飛び込んだのか。
 片野さんが現代詩フォーラムを始められて以来ずっと、ログではなくてリアルタイムでROMしてきましたから、何が話されてきたのか、つぶやかれてきたのか、それらに加えて興味本位ではすまない話題や生半可ではない紛糾が幾つも、何度もあったのを覚えています。誰が何を言ったか言わなかったかはもう、というかもともと、記憶力と呼ぶのもおこがましいほどの私の記憶力では参照先不明で欠けまくって櫛の歯状態のログよりもおぼろげですけれども、いろいろなことがあったことだけはたしかに。
 

[142]小池房枝[2008 11/29 16:16]ツ
 ROMの方、ROMじゃない方こんにちは、小池です。ユーさんno.141の書き込みどうもありがとう。白井さんno.139のどの部分にか☆くださって有り難う。はたしてno.138、カタコトなのは確かですけど歌に、詩歌に、なっていたかどうか。うたえていたかどうか。そういったことどもの判断は、ジャッジは、誰も誰かにゆだねることなくその時々に、ひとりひとりで。小難しげなコメントについても、往々にして幾つも並行する正論に関しても、感情論の中の感情たちについても、自分には分からない、これは分からない、今は分からないと、そういうのも判断のうちでしょうから。言うまでもないことかもしれませんが。
 本当は、ラテン語に限らずヨーロッパ言語の詩歌ちゃんとなさってる方々からは散文以下でしかないカタコトたち。こういうの得意げに見せられたら苦痛だという方もいらっしゃるでしょう。得意でしてるわけではないようだしと勘弁して下さったのかもしれません。私は耳が悪くて(聴覚検査にひっかかるような意味ではないのですが)ヘッドフォンやイヤフォンの右左が音楽聞いてても区別がつきません。わざと左右逆に聞いたら何か鏡像みたいに聞こえないかしらんという話をしてたら「あんたプロフにことばが好きだって書いてあるけどさ、おれは音楽好きだからそういう聞き方されたら悲しいよ」って言われたことがありました。ごめんなさいでした。
 

[140]小池房枝[2008 11/27 17:10]氷水蒸流石川和広佐々宝砂
 中国語同様ベトナム語も声調言語で、日本人的には声調が違うだけの同音異義語がたっくさんあるんだそうです。たとえ間違った発音でも文脈からどの語かぐらいは分かるはずなのに絶対わかってくれないんだ彼ら!というぼやきを聞いたことがあります。もちろんこの場合彼らというのはその人が経験したかぎりでは、なのですが、もしかするとちゃんと覚えたいから厳しく宜しくと最初に言ったのをご本人が忘れてるのかもしれませんし、もしかすると日本語か何か教えたことがあってそのときにしたことの復讐をされてるのかもしれませんし、ただ単にベトナムのひとにとっては違った発音だと推理を働かせる間もなくそのままその通り違った言葉に聞こえちゃってそしたらもう聞き返すしかないということなのかもしれません。

 実川さんとはRTでちょこっとだけお話したことがありました。そのときに、いわゆる四大文法のうち学校文法に橋本文法が採用されたのは、実は文を文節にわけて考えるというやり方が目に見えるものなので教師が教えやすかった、生徒に作業させやすかった、という理由だけだったと聞いたことがあるような気がするのですが・・・というと「ぼくもそう聞きました」と言ってwつけてらっしゃいました。
 

[139]小池房枝[2008 11/27 17:00]白井明大
 引用始まり。”口語を用いて、片言のような表現しか出来なくても歌(詩歌)はうたえる”引用終わり。
というわけで、おそらくは口語を用いて、カタコトのような表現で、詩を試みてみました。自由詩、という言葉は日本語でない言語にもあるのだろうかと考えさせられました。これ、「ラテン語のかたち」という本の付録CDの例文を並べ替えてみたものですから。
 題だけは、家に帰ってからインターネットのラテン語格言集を浚って拾ったものです。前スレッドからこのスレッドに移る頃に実川さんが退会なさっていて、昨日か一昨日あたりにKlausermanspitzwegensdorfentagさんもまたフォーラムを去られたようでした。
 一度もお話できませんでしたが容易く呼ばれないために名乗る名前もきっと世の中にはあるのだろうなとそんなことまで考えさせてくれたKlausermanspitzwegensdorfentagさん。昔、昔の文書なら、そこにある綴り間違いや文法の間違いや当時の流行語や方言はそのひとなり何かなりを読み解くための大事な資料であることでしょう。でも今、相手と同じ時間にいて読んだり書いたりしているときに、もし相手の何か間違いかもしれないことに気がついたらひとこというのもありではないかな、もっと言うと気がついてるのに言い間違いかどうか確かめてみてもくれずにふんふんそうかそうかこのひとはこうと黙って観察してるだけって、私だったら教えてほしいぞと、そんなことお話してみたかったのですが。
 正しい言葉遣いの"習得"を"強要"するのも、また逆に言いたいらしいことは大体分かるからと何ひとつ聞き返したりそれならそうはいわないよと教えてあげたりしないのも、どちらも両極端だと思うのです。統語論的な問題についての指摘とか、形態論とか意味論とか言われるとこんがらがってしまうのですが、昼ごはんまだなら一緒に行くかな?と思って「昼ご飯もう食べた?」って聞いたときに答えが「うん、もう食べる」だとどっちだかわかんないです。「食べた」がタバタでもタベルシマシタヨでもかまわんですが「食べる」との区別だけは(この場合)ないと困る。
 書かれたものを挟んで書き手と読み手の間でも、きっと上のような例があるでしょう。流暢かどうか、不自由ないかどうかではなく、今、乗っている船なのか、かつて乗ってきた船なのか、言いたいのはどちら?と。それならこの形だと意味、違うよと。
 多くのひとは多くの場合(遠くの大きな氷の上を)読まれるつもりで読ませるつもりで書くと思いますから、書かれたことどもの意味の疎通をはかることも意思の疎通。コミュニケーションかどうかは、これもまたコミュニケーションの意味合い次第ではありますが。そんなことは些細なことで文学や芸術を目指してるだけだとしてもどんな反応もリアクションもどのぐらいそれら足りえているのかのヒントにはなりましょう。
 だけとかかいちゃってごめんなさい。>文学・芸術各位。ですけれども。でした。
 

[138]小池房枝[2008 11/26 22:57]rabbitfighter
「 Post festum 」

Vivere cogitare est
Mensam rosa orno

Cultura animi philosophia est
Tibi pomum do

Pluit, Ningit, Fulget
Videre volo, Dicere volo, Audire volo

Nauta eram
Hoc vinun meum est

# 生きることは考えること
# わたしは机をばらで飾ります

# 哲学はこころを耕すこと
# わたしはあなたに果実をあげます

# 雨が降る、雪が降る、稲妻が光る
# わたしは見たい、わたしは言いたい、わたしは聞きたい

# かつて私は船乗りでした
# これがわたしのぶどう酒です

Mihi pomum das?
あなたはわたしに果実をくれますか
 

[136]小池房枝[2008 11/22 18:03]佐々宝砂
 国立国語研究所というところがあって、ここから折々に発行されているちっちゃい薄い本、ええと、ブックレットっていうのかな、幾つかシリーズがあってときどきとても面白いです。まぁ、おもしろそうなものしか読まないからですが。
 国立国語研究所はあくまでも国立の研究所、で国語を研究するところであって国立の国語、を研究するところではないわけですが国立の国語のほかに私立の国語とか都道府県立の国語とかあるとそれも楽しかろうなぁと思われます。島根県は出雲市出身の知人が昔、全国統一模試みたいなので十月の異称を神在月と書いたら×くらったと怒ってたことがありました。
 あ、国立国語研究所、今は国立じゃなくてナンとかカンとか行政法人かもしれません。
 

[134]小池房枝[2008 11/22 14:25]
 石川さん皆さんこんにちは。あの、石川さんは林檎コロン以来折々にRTとかでお話させていただいている石川さんですよね?あらためましてどうもです。投稿読ませていただいて、違和感限定じゃないの了解しています。ただあぁこれって違和感もだなぁ、誰がなんと言おうと読むときにも書くときにも生活全般、自分の違和感は自分にとっての大事な道しるべで一つの灯りであるよなぁと思ってしまったものですから。まずは自分自身の感覚を大事にしてねって。
 あと、はい、私も日本語限定の話ではなくて、書き込みに日本語、日本語と日本語ばかり使用頻度が高いのは「国語」という言葉を不用意に使いたくなかったからなのです。「母語」が一番いいのですが母語っていうと今度は「母国語」と区別されないときも/ひともままあるので、例えば少し冗長ですが「たとえば日本語が母語のひとなら日本語」、というふうに書くようにしていました。「国語」という言葉も実はそのなんたるかが紛糾しがちなタームの一つでたとえば月刊「言語」という雑誌で「国語とは何か」という特集がその月の大特集に組まれてしまうような一語です。
 

[124]石川和広[11/22 07:22]
>122
小池さん

いや別にそんなことでもないよ。というかここのスレの議論最近見てなかった、すんません。
別に違和感だけに限定していませんよ。好きとかそういう肯定的な話でもある。楽しいってことや楽しくない、あるいは何も感じないとかいろいろあるから、個個人がまずはその人自身の感覚を大事にしてねというもっとざっくばらんな話です。

日本語の話限定ですらないです。まあこの国の言葉で語っていますからそれはそうなんだけど。世にすむときにみんな生きていて悲喜こもごもだということをおさえとかないと表現も何もあったもんじゃないというベースの話です。
人間の感覚だとか動作は総合的なもんです。

書き加えます。
ええと、まず小池さんのお話は入力のお話かな?でも書くのもそうだし、やはり言葉を出すのは凄く難しい。いろんな障害がある。自分のうちにも外にも。
だから言葉を書く人だったら悔しい目にもあうんですよ。でもそれは書く人だけでもなくて生きている限りなにかいうってことは大変労力がいるのですよ。そしてしかしそれができたとき何かが始まるのですよ。これも一般的な話です。

それは更に言葉と人間主体の関係がしっくりつながってたらいいけど、現代でもそうだけどそんな一筋の道でつながってない。つまりみんな話しているけど、あるいは書いているけど書きながら話しながら言葉を作りなぞり考えている。それは試行錯誤なんです。書き間違いとか不自然な表現に話が限定されているようだけど、言葉の歴史は過去もあるし現在もあるし未来もあるし、様々なことを見ながらやっているってこと。

自分たちも守り手であると同時に発信者であり作り手であるということ。
もうこういうなんか普通の話しかできなくてすいません。
 

[122]小池房枝[2008 11/21 19:25]
 no.119を消して書き足したno.122を消して投稿します。先日の孤蓬さんの投稿にも少しだけ関連して、違和感について。あと先ほど白井明大さんの投稿と、直接違和感についてではありませんでしたが石川和広さんの投稿、それぞれ拝読して、なんだか石川さんには言いたかったこと先にいわれちゃったような気もして、それもあって。では本題。以前に読んだ「神々の食/Nector and Ambrosia of Okinawa」という本にこんな一文があったのでした。曰く、大袈裟な言いかたになるが、人の口に入るものを用意する際の基本は誠意である。怪しいものを供してはいけない。
 読んだ時にこれって言葉もそうだよな、おんなじだよな、と思ったのでした。身のうちに受け入れる、という点では食べることも読むこともかわりませんから。そう考えると食べる側としては、読む側としては、口にしたもの目にしたものにもし違和感を感じたなら無理に飲み込んだりしないほうがいい。苦しくなったりお腹を壊したりしないとも限らない。供する側の誠意や悪意にかかわらず何かが危険だったり変だったりすることはままあることだし、万人にとってなんでもないものが自分にとってはやっぱりちょっと、ということもありますから。
 違和感も、生き物として大切な感覚のひとつだと思うのです。多分これは違和感を感じる等と言われたことに対する違和感も含めて、ですね。違和感には理由がある。必ずある。慣れていないだけだとしても普段親しんでいるものとは違う何かがあったということだし、気のせいだとしても気のせいを引き起こした何かがある。そしてそれは、理由をいえない場合も同じこと。なぜって、たとえば誤字脱字誤変換タイプミスその他についてならばまだしも、日本語を母語とするひとがいくばくかの日本語について恐らくは文法のことで違和感を覚えたとき、それはそうはいわない、こういうものだ、とそれ以上の説明は出来ないこともあると思いますから。説明できるに越したことはありませんが。
 赤ちゃんのときに理屈ぬきで覚えたものは心の中で理屈になってなくても当たり前で、言語説明能力は言語運用能力とは別で、あれ、逆かな。逆も同じか。でもそれでも万人の心の中には母語の語彙だけではなくて文法もあるのですけど、という話は前回に書きました。
 というわけで、すみません、どなたか、急ぎませんからまた何か発言挟んでいただけませんでしょうか。どらすてぃっくな変化の最中の現生日本語(こんな言葉ほんとはありませんが)に流入しているさまざまなものには何があるだろうとか、あとずっとそのままになってる学校文法の話とか。宜しくお願いいたします。
 

[121]小池房枝[2008 11/17 21:24]佐々宝砂
あ、おほしさま一つ。今日の調べ物もう一つ。出先で、そういうのに詳しいひとが一人いて、今日ちょうど機会があったので「日本語の時代区分で上代とか古代とかっていうのあれどういう順番でしたっけ」と訊ねてみました。日本語じゃなくて日本文学のですけど、といって教えてくれたのは大まかには
上代(奈良・飛鳥)
中古(平安)
中世(鎌倉・室町・戦国)
近世(江戸)
近代・現代、かなーということでした。
近代と現代の境い目は曖昧、まぁ戦前戦後で分けることが多いみたいです、とのこと。あとは二人で昔の日本語って文学資料以外の資料はないわけだし(よく考えるとウソですね。手紙とか日記とか商売の記録やまつりごとのあれこれとか)こんなでいいんじゃないかなーという話になりました。時代時代の境い目で必ずしも言葉に大きな変化があったかどうかはその時々でしょうけれどっていうか日本語に大きな変化があったのはこことここっていう話はちゃんとどこかで読むか何かしたことがあるのですけどすっかり忘れてしまいました。三葉虫の絶滅を以って古生代終わり、アンモナイトの絶滅を以って中生代終わり、とかそんな風な分かりやすい目安だったかどうかは定かではありませんが。
それにしても書かれたものしか残っていないということ。梁塵秘抄とか、今様を歌うことに人生を賭けてたような天皇さまは(上皇さま?)は譜面のようなものであれどんなにか音をとどめておく術を欲しただろうにと思われます。
連続投稿3回目終わりの小池でした。
 

[120]小池房枝[2008 11/17 19:13]
ドラスティック、徹底的で激烈なさま。
アナクロニスティック、アナクロニズム。その時代の一般的な流れに逆行していること。時代錯誤。
レトロスペクティヴ、レトロスペクティヴだとないですね。カタカナでひこうっていうのが既に無理なのかもしれませんがスペルがすらすらわかるわけでもないのでレトロ。レトロだと復古調である・こと(さま)。懐古趣味。スペクティヴは、ええと、パースペクティブなら遠近法、透視画法、遠景、展望、予想、見通し、視野。
レトロスペクティヴとアナクロニスティックは読んでなんとなく予想したとおりでしたけどドラスティックは初めて意味を知りました。使い勝手がいいのでここ、重宝しています。こないだのよきかなの「よき」もここで調べました。http://dictionary.www.infoseek.co.jp/
他にも便利なページ等、教えていただけたらうれしいです。>ROMの方、ROMでない方、皆様。

#貴下ってかわいい響きですね。きか。きかきか、かきこき。
 

[117]小池房枝[2008 11/16 21:46]
せっかくリンク貼っていただいたのでno.112、少し書き足しました。訂正ありがとうございました。あの、今後とも何かありましたなら出来れば直接に聞かせてくださいまし。わざとです冗談ですって仰られてほんとですか?ほんとですね?って今でもちょっとどきどきしています。
それじゃぁ少しは態度控えるかというとせっせとno.112など書き足している小池房枝でした。
 

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