2008 11/06 05:15
佐々宝砂
私の基本的な考え方、考えてみたら萬草庵に掲示してありました。
>一句中に口語と文語を混交すること、漢字や語法の間違い、季重なり、ダブル切れ字なども許すぞ。ちなみに普通の俳句結社ではいずれも許されない。私は許すことにしたけど、お約束破りなんて想定内のことに過ぎない。できれば私の想像を超えてくれ。こんなに自由で真面目な俳句投稿板は他にないぞー(過大広告)。ま、自由を味わいまくっていると「句」とは何かわからなくなるのが必然。
私はかつて俳句結社に所属していて、結社主宰に徹底的に訂正されるという経験をしてきました。誤字脱字はもちろん訂正されます。文語と口語の混淆も基本的にはいかんということになってます。それはそれで勉強になったのですが、「えーそんなのまで訂正しないでよ」と思うこともままありまして、私は結社を脱退しました。萬草庵の決まり事がゆるゆるなのは、結社の厳しさの反動ともいえますが、ゆるゆるなルールの中から面白いものが出てきたらいいなという考えから生まれたものでもあります。ただ世の中はそんなにゆるゆるな人ばっかりじゃないよ、という意味で、「ちなみに普通の俳句結社ではいずれも許されない。」という一文を添えました。
文法や文章で、何が正しくて何が間違っているかは、ほんとうのところは誰にも決定できないものだと思います。しかし、何がふさわしくて何がふさわしくないかは文章ごとに決まるものなのではないか、と私は考えています。たとえば、作中の人物が俳句をつくるとして、作中人物が小学校低学年だった場合、その作中作が完璧な文語と季語を用いた本格的なものだったらちょっと似つかわしくない。ちょっと間違ってたり口語的だった方がそれらしいと思います。高校生あたりが短歌を作るという設定だったら、ら抜き言葉など使用するとそれらしくなるかもしれません。明治時代の文豪が俳句を書くという設定なら、ら抜きなんか論外で、難しい漢語や文語を使うといいでしょう。つまり、それらしければいいのではないか、と思うのです。
私はときおり「ゆー」「とーり」「せんせー」などという伸ばす記号を使った表記をします。これは厳密に言えば間違いです。しかし私はその場その場で「ゆー」「とーり」などという表記をわざわざ選んで使います。具体的に言うと、主に文章を軽く見せたいときに使います。そんなにたいした話じゃねーんだよ、というサインのようなものかもしれません。
逆に、私は、がちがちの文語らしきもので書くこともあります。口語と文語を適当に混淆して書くこともあります。前に孤蓬さんが間違いを指摘して下さった拙作「伊栖之湖周辺の伝説について」
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=158716は、基本的には古風な口語で単語ひとつだけ文語が使われています。孤蓬さんが指摘して下さったのはその文語ではありませんでした。孤蓬さんが指摘したのは、単なる仮名遣いの間違いでした。だいたい大正期を想定した拙作の意図を孤蓬さんは汲んで下さったのだと思います。
言葉は時代とともに変わるものですけど、いったいどのあたりの何を表現したくて文語(らしきもの)を使うのか、使う前に一歩とどまって考えてできたらちょっと調べたりすると、おのずとふさわしい表現が書けるのではないかなーと私は思います。