2008 11/06 00:54
ふるる
孤蓬さんへ
お返事ありがとうございました。
おっしゃるとおり、作者に「ここ直せ」という権利は誰にもありません。
ですが「正論の持つ逃げ場のなさ」はどうでしょう。
正論や一般論は「罪」や「誤り」を照らし出すものであり、それは往々にして「ゆえに」「お前が悪い」「間違っている」「悔い改めよ」という結論とセットです。
と私は思います。日常でわざわざ「これが正しいんだよ」と言う時は必ず「だからこれ間違ってるから直した方がいいよ」という言葉とセットだから。それで自分の非を責められて
「うぐぐぐ(正論持ってこられたら立つ瀬ないじゃん)・・・ごめんなさい」
となることもしばしばですし。
ジャッジするというのは、作品の良し悪しをジャッジするという意味ではなくて、
「強力なカードである(直すべきである、という強制力を暗に持つ)正論を突きつけていいものかどうか」を誰がジャッジするのか、ということです。
いきなり突きつけられたら作者は、
(私はこれがいいと思ってるのに、正論持ってこられたら立つ瀬ないじゃん)(直す?直さない?どうしよう?)となって、孤蓬さんは「直すかどうかは作者の自由」と思っておられるのにもかかわらず、作者側は自由を奪われた感じで、苦しいと思います。
だから指摘してもいいですかと断るなり、ついでにいいところを褒めるなり、誤りの指摘がメインですよ、というのではなくしたらいいのかなと。
まあ、「正論」や「一般論」や「辞書に書いてあること」や「歴史が証明しているもの」を突きつけられた時に何をどう思うかは人それぞれで、「そんなのただの正論だろ」「そんなの見せられても自分は違うしなあとしか思わない」と軽くいなせる人もいると思うので、あくまでも私個人の感想ですが。
長々と失礼いたしました。