2008 11/11 10:36
白井明大
孤蓬さん
こんにちは。
54でおっしゃっているように、
◯短歌や俳句などの短詩を、文語を用いて表現するのであれば、最低限文語の「てにをは」ぐらいは心得ていなければ覚束ない
には異論ありません。
ですが、
>>51でおっしゃっているような
◯短歌や俳句などの短詩では、片言のような表現しか出来なければ、質の高い作品を量産することは難しいと思います
には首肯しかねます。
文語を用いて、という条件が付されるのであれば、ということです。
口語を用いて、片言のような表現しか出来なくても歌(詩歌)はうたえるのですし、そもそも歌とは、片言のような表現にひとつの源泉を持っていたのではなかったでしょうか。
*
ちなみに。
写真の例はかえってわかりにくい例を挙げてしまいました。
例はわかりにくいと失格です。すみません。
(以下、余談)
ただ、わかりにくいとはいえ、デジカメ時代の基礎/高度テクニックの線引きということで考えると(「守離破」のお話はそういうことかと思いますが)、それはそれで楽しそうな論点です。もはや詩の話でもなんでもないので、あくまで余談・雑談です。
いま写真家の発言で散見されるのが、一概に高度テクニックのことばかりではない印象があり、よけいに面白い論点になりそうです。
「ピントも露出もカメラ任せ」など典型かと思います。ピントや露出は基礎テクニックの領域かと思うものですから。これは「守」の段階の話になるのだろうなと。脱線失礼。