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ニューススレ (雑談系)スレッドオペレーター:管理人預かり
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[489]一番搾り[07/11 21:31]
まあ、どんな意図の下にかかれようとしている批評であっても
批評は批評でしかないのだから、その内容を見たうえで批判すればいい。
どうせくだらない意図の下に書かれた批評なんか力を持ち得ないのだから
弾圧なんてとてもとてもおぼつかないだろう。
問題はそんなことではなく、書かれた内容をみて批判すべきものを
前もって、これこれの意図の下に批評を書くのはいかん、といった
予防的弾圧をすることだ。
あたりまえのことだが、批評は自由である。
その自由を奪う行為、言説にはあくまでも抵抗する。
ましてそれを弾圧しているのが天皇主義・国家至上主義者の※さんや
人生をまだよく生きたとはいえぬ親のスネ齧りの厨房たちだとくれば
絶対に※さんの詩の批評はやめぬ。

#...と、大見得をきったところで、鼻くそをほじくる。
#(カンベンシテヨ、アホラシクナイカイ?)
 

[487][07/11 20:38]
 ところで一番搾りさん、
>>[455]
>>[456]
>>[469]
 に対しての御意見、お聞かせ願えませんでしょうか。(補記、>>[475]後半。)
 

[486][07/11 20:19]
>>[480]
 ohatuさん、それでいいです。というか私自身、もう何日も前に「国の前にはクニがあった」という内容の詩を書いています。発表していないけどね。そういうこともあり、もぐもぐさんの「くに」発言は、とても嬉しかったです。

 さてさて。アメリカは州が国、国が世界だという考え方を内包している、まるで中華主義のような国です。これは小林至さんの著書で語られている事実です。この理念を持っている国(含む中国)は往々にして諸外国を対等な関係とは考えず、下に見ているフシがあります。こういった側面も、要因のひとつになっているのではないかと思われます。
 アメリカは民主主義という名目での資本主義を戦渦の中に輸出してきた国ですから、アメリカが戦争を止めただけでは何も変わらないでしょう。それに変わる、新しい何かを発生させる必要があります。そこに充てはまるだろうと考えているのが、先のホンダ社長の経営哲学であり、本来の日本に根ざしていたものだと思います。・・・って、これは小泉内閣によって駆逐されつつあるものなんですけどね。(汗

 互いのアイディンティティを尊重し合うというのは、非常に大切なことです。実際、日本の企業が海外に進出する際には、その国の生活習慣等を下調べしたのち、それを元にした企業経営を行っていると聞きます。
 戦時下だった頃の日本軍だって、日本語と鳥居建築は強要したものの、基本的には自身の手で独立してもらおうとの考えに立った政策を推し進めていました。(これは後に八鉱一宇という考えになりました。)台湾も朝鮮も道路整備は万端、フィリピンなんか、日本に占領して貰いたかったと言ってたくらいですからね。(逆に、アメリカは正反対。イラク国内を走る米軍車両の窓に、ポルノ写真が外向きに飾られていたのを見て、自分たちのことしか考えていない国なんだな、相手の国の文化なんか尊重し得ないんだな、って、悲しくなりましたから。)

 想像力を持ち合うというのは、とても難しいかもしれません。紛争地域に置かれている国の人々とは識字率すら低いままでしょうから、その想像力に対する何らかの補完がされなければなりません。また、こういった発想の柔軟性そのものが日本人のアイディンティティに根ざすものでもあり、それを踏まえた上での考察も必要となってきます。
 何にせよ、どんな人にも分かり、届く方法。中国が盛んに行っている恨日活動くらいのそれが必要になるでしょう。恨むのではなく赦す(許すではない)ですから、これは難しいと思います。

 周囲の幸福が自身を幸福にし得る、この考えを誰しもが保有出来るかどうか。キーワードになるのは、やはり日本の文化だと思います。例えば「潔さ」の中には負けず嫌いを諌める心があって、遡れば武士道といったものに通ずる。(そして教育勅語にも繋がるんじゃないでしょうか。)江戸時代の安泰が世界中から歴史上の奇跡だと言われますが、私はそうは思いません。
 あの時代の日本の良さを世界規模で再現出来たなら。可能性は、あると思います。

 私の手持ちの本に、明治天皇御制読本というのがあります。どうせ軍国主義まみれだろうと、せせら笑う人が居るかも知れません。ところが、とても素晴らしい内容です。心が綺麗になります。読んでみた方の誰からも、これは面白いし為になると言われます。
 戦争アレルギーの人々が、その時代を構築したもの総てを否応無く非難します。けれど、確かにその時代の終結までの日本には、とても良いものが受け継がれて来ていました。ここを見つめ直した先には、きっと新しい未来があるのだと思います。
 

[485]もぐもぐ[07/11 19:24]※
天皇制、及び宗教に関して、雑記。


天皇制というのは、とても難しいポジションにある。

1.それは長い伝統をもったある氏族のことである。その氏族がどういう伝統をもってきたか、それ一つだけで膨大な話が出てくるだろう。

2.それは帝国憲法における主権者であり、日本国憲法における正統性の一つの要素である。日本国憲法は、帝国憲法との連続性を確保するために、天皇制を最小限の形で存続させている。
2-1.これは一つに、天皇が帝国憲法時代における権威として一定の連続性を持っているということである。
2-2.またもう一つに、天皇は日本国憲法上の一機構として、限定的だが欠かすことの出来ない一定の役割を持っている、ということである。
(日本国憲法下では、天皇は、内閣総理大臣や最高裁判所長官の任命や、国会の召集・解散、法律の公布等の、形式的な国事行為しかすることができなくなった。
他方、これは別の側面から見ると、その形式的な国事行為がない限り、総理大臣も、最高裁も、国会も、法律も、機能しない訳で、その限りで、天皇の存在というのは、日本国憲法の不可欠の一部である。)

3.天皇は国民統合の象徴である。この象徴というのは、多数人の集まりでしかないネーションを、一つのまとまりとして現すための記号である。
なお、象徴といえば、国旗や国歌も国民統合の象徴であるが、これらは単に法律上定められた象徴であるのに対して、天皇は憲法により直接的に明示された象徴である点が、少し異なっている。また、憲法上、天皇が国民統合の象徴であることは、国民の総意に基づくものと規定されている。
因みに、象徴を積極的に崇拝したりする義務などは、どこをどうつついても出てこない。(例が悪いかもしれないが、これは、鳩が平和の象徴であるからといって、鳩を崇拝しなければならないわけではないのと同じである。)但し、憲法上の国事行為として正当に執り行われている儀式については、それを妨害することは、恐らく憲法上の権利の濫用として、認められないだろう。

4.その上、天皇は、国家神道においては、その祭祀の主宰者として特別な地位を保有している。これはその宗教における諸々の独自の理論によって規定されているだろう。

このように、天皇の立場は、極めて込み入ったものである。それに対してはっきりと一貫した姿勢をとることは、そう簡単なことではないと思われる。


2-2.と3.の意味における天皇は、日本国憲法によって、その統治機構の一部として新たに創出された、特殊な機関であると考えておけばよいのではなかろうか。その権利義務の内容は、憲法規定によって判断される。
(基本的に、天皇は、憲法典に列挙された限定的な国事行為以外の行為は、行うことができない。
この点一つ問題になるのは、天皇が各地を訪問したり、自治体やら外国やらで各種の会議や祭礼に参加したり、ということが、国事行為として認められるか、という点である。憲法上明文の規定は存在していないので、法律を制定して、天皇が行うことのできるこうした例外的な国事行為の範囲を明確化することが望ましいように思われる。
もう一つの問題は、憲法上、天皇や、その他国旗や国歌といった象徴に、どのように接しなければならないのかという問題である。これもはっきりした規定はないので原則的には立法者による憲法解釈に委ねられてはいるが、崇拝するか忌避するかという問題は、思想良心の自由に立ち入るものなので、それについて法律等で立ち入って規定することはできないだろう。
これは更にややこしい問題を孕んでいるが、原則的には、憲法上の正当な国事行為や、法律に則った公務執行としての儀式において、使用される各種の象徴を物理的に毀損することはやはり禁止されるだろう。また、その儀式が公務である限りにおいて、その遂行を積極的に妨害したりすれば、公務執行妨害などの罪に問われる可能性は否定できない。
但し、起立しないとか、歌わないとか、その程度の消極的な妨げについては、これは単なる社会的な礼儀やスタンスの問題であって、法律上どうこうという話にはならない。主催者側は皆儀式に協力してくれた方が嬉しいだろうし、他方、やむにやまれぬ思想上の理由によって、あえて、礼儀に反するようなこともせざるを得ない、と思っている場合とてありうる。この辺はここの人や場面ごとにおける個別的な話し合いと妥協の問題であり、それだけに極めてセンシティブな問題でもある。
なお、いずれにせよ、そのような場で何らかの特定の行為をとったことが、後に公的な場面における不利益扱いを招く理由とされてはならない、ということは、少なくとも言えると思われる)

1、2-1、4の点については、歴史上の事実の捉え方や、特殊な神道理論に基づく問題となるので、思想良心の自由や信教の事由によってカバーされる領域に関わる。
まず4について、関連して、国家がどの程度宗教行事に関与できるかという政教分離の問題が生じる。これは国家が特定の宗教を支援・助長してはならないとかいうような基準で判断される。
そのように国家が能動的に宗教行事に関与してくる場合を除いては、残りは原則、歴史や、神道理論をどのように認識するかという問題になり、これは基本的には個々人が経験や学習を通して判断していくべき事柄である。天皇家の歴史に通じた者や、神道の信奉者が、それを説き広めたり、それに反対する者が、それに反対するよう説き広めたり、するのは何れも自由な私的活動として正当な事柄である。
但し、特に宗教の問題については、その個人が受けたことのある宗教的訓練の度合いによって、それぞれの宗教観の落差というのは埋めがたい場合も多い。良かれと思ってした熱心な布教活動がトラブルを引き起こすことは、どのような信仰においてもしばしば起こることである。この辺、各個人が、本当にその他者を説得したく、それに最もふさわしい手段をとっているか、技量が試されるところである。(真正面からの論破が自分の信仰・信念等を広めるためにふさわしい手段であるかは、個々のケースによって見極めが必要であろう)

相対的に、今の日本では宗教アレルギーが強いようである。しかし、宗教が数千年に渡って人間の文化の深いところ浅いところで影響を与え続けてきたことは事実なので、単に非合理的であるとかいった形で単純に全ての宗教を一刀両断切り捨ててしまうことは、極めて多様な多数の宗教や、それらの宗教の影響の下形成されていったそれぞれの文化の多様性に目を瞑ることになってしまい、各文化の相互理解のためにはかなりマイナスである。信仰するにせよしないにせよ、それぞれの宗教やその基礎理論の概略について、正当に把握しようと試みることは、全ての人にとって有意義な経験になると思われる。


あと、個人的な信条として思うに、

思想良心の自由にせよ、信教の自由にせよ、単に憲法上対国家的に主張できるというだけの話を超えて、各人の人生観に関わる極めてセンシティブな問題を生じさせる可能性を絶えず孕んでいる。最終的にどの見方を受け入れるにせよ、そのそれぞれの時が、各人の人生観の根底に触れうる、とても危険な瞬間であること、そして気づかぬ間に無形の暴力をふるってしまっている瞬間になりやすいことに、その怖さに敏感であり続けることが、いかなる思想宗教の前提としても必要になってくることと思われる。

勿論べらんえ口調で語るのも、一つの愛情ではあると思うのですが。
 

[479][07/11 17:35]
 とりあえず皆、今やってる「報道特集」を見ましょう。イスラエルの壁について、やってます。17:54まで。
 

[475][07/11 17:12]
 ohatuさんへ。
 作られることを目的として作られた人工国家であるアメリカならば、そのアイディンティティ(建国時においてのそれ、=フロンティア精神、=侵略行為)だって作られることを目的に作られたものなんだろうし、そうであれば、何かしら作り変える方法があるんじゃないのかな。っていうのが私の案です。
 今、世の中で起きている戦争紛争すべてには、アメリカが何らかのカタチで関わっているのだから、その大元を軌道修正出来ればなぁ。出来るかもしれないよね。って。

 もうひとつは、ホンダの社長さんの有名な経営哲学から。企業の利益は雇用により社会に還元すべきものであり、そうすることで皆が幸福になれる。このサイクル理論を飛躍させることが、世界平和へと繋がるのかもしれない。では、どう飛躍させればいいだろう。ってね。

 あと、誰かが話の流れを無視して揚げ足取りしてきそうな気がするので、補記。「大事」ではなく「後か先か」に、ついて。
 これは、>>[404]にて導き出されている、私の最新の時点における思考結論です。古い記事を引っ張り出してきて、あれ?こんなこと言ってたじゃん?なんて批判は止めて頂きたいので。(勿論これはohatuさんのことではありません、念の為。)
 

[471]一番搾り[07/11 17:01]
ふふふ。ま、煩悩の徒でありますのでねー。
批評くらいで弾圧ができるものなら、という意味だけど
そそらく、待ってたとばかりに「誤読」したハエがたかると
思って、消しました。
 

[470]一番搾り[07/11 16:59]
>アイデンティティという概念自体が危険なんだよ

そんな馬鹿な話は聞いたことがない。
概念を用いること自体が危険ならば、それを否定することも出来ない。

>ある行為に対して刑罰を与えると、それが殺人であればりっぱな 生きるという人権を
>侵害していますよね。

これ、ご文章の意味不明だよね。
?刑罰を与えることが犯罪者の人権を侵しているのか
?殺人という行為が殺された人の人権を侵しているか
どちらともとれる、ずいぶん、非論理的なご文章だ。
で、勝手にこちらで?の意だと解釈してと、
あれっ? あーたの言ったのは最初はそうではなく、国家権力の暴力の有効性について
言ったのでしょ? 人権を侵害させないために国家は暴力でもって殺人者を刑務所に収容したり、死刑に処する、の意味でおっしゃった。
だからわたしは「人権を侵害させないために」国家は犯罪者を刑務所に入れるのではなく
「法に触れたから」入れる、それはつまり有無をいわさず国家秩序のゆらぎなさを
現前化させることが目的であるからといっている。

>貴方の論理では触れるための行為というものが抜けてるんですが、正直大丈夫かと。
>社会に適応できてるのか心配です。

別に適応できなくともいいし、できても構わないと思ってるんですが、
基本的に法を侵す行為というのはこれは裁判官だけに出来る特別な行為なんでね。
裁判官が法律の条文どおりにお仕事を行わないで、
私情でもって知り合いの女性に負わせる罰則を緩めたと。そういう場合だけです。
下々の者は法を犯すことなんかできません。
抵触するだけ。はい。

>俺はガンジーの非暴力の裏にも虐殺はあったし

これも日本語のご文章としては意味不明。
ガンジーの非暴力運動が虐殺を招いたのですか?
非暴力思想そのものが虐殺を招来させる構造をもっていてそのような結果を
生じさせたのですか?
それとも、運動の過程で権力から弾圧をくらって、運動員が虐殺されたのですか?
さっぱりわからない。
後者の場合ならガンジーの運動が虐殺を招いたのではなく、
どんな運動であれ、反権力闘争がぶちあたるものではないのかね?
ちょっと意味不明だ。

>もう頼むから、誤読しまくらないでください。


それならちゃんとした日本語書いてよ。論理的なのを。
 

[469][07/11 16:56]
>454,455
 更に追記。大事だから優先されるわけじゃない。必要だから優先されるプロセスなのだということ。後者は、一番搾りさんへの短歌にて示していた通り。前者が無かったせいで、誤解を招いていたということなのでしょうか。

 あと、おまけ。(これは一番搾りさんとは関係の無いことです。)
 姜尚中は石原慎太郎都知事の三国人発言に対し、彼がその発言をどういった経緯と趣旨を以って行ったのかについては触れずに、三国人という発言をしたから(都知事は)韓国人等を差別していると断定、批判を展開した。自著にまで書いた。そして今も、彼は都知事を非難し続けている。
 

[464]もぐもぐ[07/11 16:32]※
参考に。

別段どこということはないけれど、
>396
に関係するかも。

ナショナリズムの観念をきっちり考えるのはなかなか難しい。

言語や住む土地を共通する、特定の文化的アイデンティティーをもった集団(くに、民族、ネーション)が、それを支配する他の国家から独立して、自分たちだけの独立した国を形成したい(ナショナリズム)、というのは、20世紀を通して進展した大きなうねりであった。第二次大戦の頃には、せいぜい50幾つかの独立国家しか存在していなかったが、その後の植民地独立運動ラッシュを経て、現在は200近い独立国家がある。この過程で、様々な困難を孕みながらも、このナショナリズムの運動は、「民族自決(権)」として、国際に認知されるようになっていった。

ところが、この権利は、諸刃の刃でもあった。言語と住む土地の共通性で境界線を上手く割り切ることのできない場合は、実際上極めて多い。歴史的な経緯から(先の支配国の行政区分とか)そのような共通性を無視して境界線を確定した人口国家は、多数生まれてしまっていた。これらの国家においては、異なった文化的アイデンティティーを持つ集団を何とか統合するために、共和制を取り、大統領に強い権威をもたせることで、無理に国家的統一を維持していくという形が取られるより他なかった。そのため、大統領の独裁が強くなってなかなか政権が交代しなかったり、その大統領が逝去した時点で、統一が破綻して内戦が始まるパターンが続出することとなった。ユーゴやルワンダの内戦は、その顕著な、そして悲惨な例であった。

同じナショナリズムが、宗主国からの独立の達成という悲願のために、また同じ国内の異民族の排除という悲劇のために、等しく作用する。

この見極めは、とても難しい。

(なお、ナショナリズムは、同じ民族が多数分布する他国の領域を、合併・併合してしまうことの論拠にもなる。ナチス・ドイツが急速にその領土を拡張していったのも、戦争という手段を用いることすらなく、ナショナリスティックな主張を掲げて、同じゲルマン民族が多数居住している他国領域を、合併・併合することによって行われたものだった。)
(また、ナショナリズムが進展していくなかで、いつのまにかそれが人種主義に摩り替わってしまう場合もある。これも、特に無政府的状態が生む、悲劇の一つである。)


これは、当事者の意思というより、事実の問題である面が大きい。言語の異なるものは、その意思疎通は極めて難しく、それに人種や宗教の差が加われば、その齟齬は簡単に回復不能なほど大きくなる。それを無理やりに統合できるのは、経験的な観察によれば、大統領に強い権力を集中させるような、強権的な体制をとる場合だけである(恐らく、言語毎に派閥が出来てしまい、正常な国会運営や、行政機能の遂行が、極めて困難になってしまうからではなかろうか)。その権力が解体すると同時に、再びその言語等の相違による違和感は、分離独立や、排除を求める争いとして噴出する。これは世界の各地で繰り返されている悲劇のパターンであった。

異なる言語の共生は実際容易ではない。米国でさえ、増えていくヒスパニック系の存在をまともに認め、スペイン語による放送等がなされるようになったのは、つい最近になってからの出来事である。米国は南北戦争によって辛くも人種主義は克服したが、言語による差異を克服し、多言語の共生を受け入れることについては、はるかに遅れている。一方の言語を維持しようとすれば、他方の言語との摩擦が生じ、押さえつける強い権力がなくなった時点で、その摩擦は暴力的に爆発する。内戦は愚かだ、他民族を排除するのは愚かだ、ということは確かだが、それが繰り返し生じるのには、現実的に見て、十分な原因があるはずである。

文化的アイデンティティー、例えば、日本というくに(日本語という言語、日本という場所)の大きさ、は、普段の生活の中では特段意識されることがない(外国暮らしを余儀なくされ、若しくはされたことのある、人ならば多かれ少なかれ敏感になるものと推測される)。言語を奪われること、住む場所を奪われること、その大きさは、それを経験したことのないものにとっては、計り知れないほど大きなことかもしれない(自分のこれまでの生活を根こそぎ奪われ、不利な境遇に丸裸で放り出されてしまうのだ。時にはそれは、個人のアイデンティティーすら、危機に晒してしまうかもしれない)。現実的に見ても、明日の生活すら、その仕事のために用いる十分な言語力がなくては成り立たないのだから、不利な言語環境におかれた人々は、ほぼ必然的にその生活状況も悪化するだろう。

明日から公用語が英語とフランス語になり、太平洋の小さな島に強制移住させられたとして、それでも別に構わない、と言い切れるような人もいるかもしれない。けれどもそれは、極めて高い柔軟性を持った、一部の人に限られてしまうのではないだろうか。失うことを恐れる人もいる。また、全てを失ってしまったが故に、もはや闘うことに何の躊躇いもなくなった、そういう人も、恐らく、いる。

勿論、その支配言語を用いる民族が、極めて寛大であり、手厚く諸々の権利を保障し、その生活の質が落ちないように最大限の努力をする、そうした状況も、ありえないわけではない。むしろ、支配民族は、その国の統一と、正当性を維持するために、できる限りの保証を行うことだろう。数世代を経る内に、「アメリカ人」のような、ただ言語とその国のみを自分たちの共通の基盤(アイデンティティー)とする、新しい民族が生まれるかもしれない。それはそれで、一つの解決ではある。
だがまた、特にそのような権利保障が不十分な場合に、その支配を跳ね除けることを目指して、闘いに立つことは、文化的アイデンティティー(言語、土地)を喪失してしまうことの苦痛と不利益の多大さを考慮に入れるなら、必ずしも否定し去ることはできないようにも思われる(時代は変わった、民族自決権はもはや完全に否定された、と言えるだけの特段の事情は、私には見つけられない)。民族を巡る内紛は、政治的理由による内戦や革命以上に、激烈になる可能性を秘めているように思われる。


日本は前世紀初頭から中ごろまで、他民族の土地を占領し、その言語を奪って植民地とするような経験をした。他方、遠くさかのぼれば、絶えず欧米の強国の圧迫に晒され、そのぎりぎりの中で、前近代的な幕藩体制を、近代的な民族国家(ネーション・ステート)に作り変えていく努力を続けてきた。いわば、日本語や日本という土地を失ってしまう、文化的なアイデンティティーを失ってしまう、その恐怖を味わい、また他民族にその恐怖を味わわせる、双方の経験をした。いわば、ナショナリズムという前世紀の大きな渦の中を、身をもって経験してきた。そのような経緯に照らして、自らのネーションにも他のネーションにも等しく配慮するような、そうした位置取りを、多かれ少なかれ、考えてみる必要はあるのかもしれない。


なお、「戦争」という言葉は、武力による紛争全般をさすのに通常用いられるが、基本的には対国家間における武力紛争について用いられる言葉である。内戦や、国連の強制行動は、それとは多少異なった側面を持ち合わせているため、一旦、区分して考える方が適当であるように思われる。
(特に、国家以前のネーションが国家になるために闘う民族独立のための紛争と、既にネーション・ステートとして成立した国家が他のネーション・ステートを侵略・併合するために行う戦争とは、「民族自決」が国家の正当性の一源泉として認められている限りにおいて、区別して考えた方が良いように思われる)
 

[462]一番搾り[07/11 16:27]
>俺がここで何を発言しようかは自由じゃない。貴方はそれを弾圧しようとしてるのよ

ばぁか抜かせ。
てめえが議論している人たちに向かってどんなことを言ってきたか
よく振り返ってからものをいえ。
あほらしい。
 

[461]一番搾り[07/11 16:23]
>456

>アイデンティティなんてものは全体主義やファシズムにも変容するし

あ〜、よく読むように。
アイデンテイテイってことをさかんに言っているのはお米印さんの方。

>殺人鬼を刑務所に投獄するのも、他の人権を侵害しないために 国家権力または
>法という暴力をもってして行ってるわけでしょ。気づいてほしいところだけだ。

他人の人権を侵害しないために投獄するのではないですが。はい。
六法全書をよく読んでつかあさい。
法に触れたから罰を与えるだけのことです。
そこに倫理的な、あるいは犯罪予防的な意図はありません。
なぜ倫理的犯罪予防的意図がないのか。そりゃあ明らかでしょう。
たとえば六法全書に「人殺しは悪いことだ」、と書いて御覧なさい。
国家は戦争できませんよ、これは。はい。

>イラク人の人権を侵害してでも結果としてイラク人のためになればいいというプラグマテ
>ィックな考えと同じ方向性にも向いちゃうよね

だあからあ〜。何度言ったらわかるの「人権を侵害してでも結果として...」
ではなく、侵害しちゃいけないと言ってるでしょうに。
勝手に都合のいい仮定を設定する癖はいい加減やめなさい。
わかりましたね。

>無駄なロマンチシズムに浸ってる前にさフォーラムの議論好きなみなさん

無駄だろうが有意義だろうが本人が決めること。
おめえこそ、クソにもならないことを言ってまぜかえすのをやめろよ。
うん?
 

[458]一番搾り[07/11 16:05]
こりないやつだな、この「いかいか」というやつはしかし。
こ奴「やめたほがいい」の連呼だが、いったい議論の内実がなんであれ
やめたほうがいいのか、やったほうがいいのか、はっきりしていらあね。
てめえは、では、どんなものなら「やってもいい」と許すのかね。
危険思想が聞いてあきれらあ。
てめえのその姿勢そのものが、まさしくそうであることに
「そろそろ気がつきなよ」
同レベルだろうと何だろうと、どんなレベルでも自由な議論を奪ってどうする?
ええ? 「ばりばりの実存主義哲学教授」(爆笑)に習った厨房さんよ。
それともてめえのご自慢のばりばりの哲学的議論なら
「やってもいい」ってか。
「まず考える力と自己分析能力をつけようよ。」
それは、おめえにそのまんまおかえしするよ、あほたれ。
 

[455][07/11 14:06]
454追記。
 先に来るものは優先されるけど、どちらも大事。
 

[454][07/11 14:03]
>453
 それは一番搾りさんなりの解釈、捉え方からの視点に沿ったものでしょう。何よりも、最初から相手の意見を屁理屈だと言って退ける姿勢では、相手の意見を自身にとって都合の良い解釈でしか読み込めないものですよ。
 どちらが大事ではなく、どちらが先に来るのかという話を私は展開していました。それをあなたは「先に来るものが大事で後にされた方は大事じゃない」と解釈した。幹の為になら枝葉を切るという例え話も、そう。まず幹が育って、そこから枝葉が生えてくるのが木でしょう。これも、先か後かの話。
 

[453]一番搾り[07/11 13:04]
>452
どちらも必要かどうかはともかく、
現時点ではどちらへの要求もあるのでしょうからこれは認めざるをえない。
国家というより、”私権を調整する役割に徹した”公的権力という意味でなら
条件付で〈国家〉の存続を認めますよ。
ですから、最初から別に矛盾など指摘しているわけではない。
人権と国家とを並列に並べて、どちらかに優先順位があるような言い方をするから
おかしい、と最初から言っているわけです。
とくに※さんの意見にね。
あなたは、人権が守られるためにはまず「正常に機能する国家」が必要だと言っているわけで
国家安寧・秩序維持のためには人権を抑圧すること、人命を奪うこともありだとは
少しも言ってない。
つまりは※さんの考え方とは大幅に違う。
※さんは人権を超越する国家というものがあると言っている。
であるのに※さんが遂一、あなたの意見に星印を付けているのがわけわからない。

※さん、ね、ちょっとあなたおかしいよ、その星印は。
コウモリみたいだ。
人権弾圧ならそれを堂々と押し出してくださいよ。
隠れキリシタン(笑)じゃあ、あるまいし。
 

[452]もぐもぐ[07/11 10:52]※
>450

んー、表現が悪かったんでしょうか。誤解を招くような表現でしたらお詫びします。
常識的に言いましても、無味乾燥な知識から言いましても、
1.人権保障という大きな目的のために国家は作られており、
2.その人的・物的施設が有効に機能していることは、全ての人権保障の大前提である。
訳です。

私は2.の部分を取り出して「その意味で、実際上、国家は人権に先立っている」と書きました。
一番搾りさんは1.の部分を取り出して「まず、人権を求める声が、そのような国家の出現のために先立って湧き上がらなければならんてことだ。」と書かれている。

特に矛盾はないと思います。どちらが、というより、どちらも、必要なことです。

私個人の意見を、といわれれば、
国家は本質上人権保障のためにある「べき」ものですので、その政府が人権をきちんと保証していない場合には、批判されて当然だと思いますけれども。
 

[451]一番搾り[07/11 09:35]
自分のアタマで考えるのをやめて
大ガッコーで詰め込まれたことを無批判に受け止めて
無味乾燥な知識をそのまんま開陳する。
世も末だ。
 

[450]一番搾り[07/11 08:15]
>人権は、それを守るための国家が正常に機能していなければ、実効的に保護されえない。(略)
>その意味で、実際上、国家は人権に先立っている。

実際上? 実際上なら、国家はかならずしも人権に先立っていませんが?
はい。あなたの屁理屈の上では先立っているかもしれませんが。
それはそうだ。
あたりまえのことだ。
ひとつ教えて下さいませんか?
いったいあなたのいう、「人権を守るための国家」って実際上どこにあるのか?
どこにそのような理想的な国家があって、「正常に機能してい」るのか?
わたし不案内なものですので、よければ教えて下さい。
たとえばじゃあ、北朝鮮は無政府状態じゃないよね。無政府状態じゃないのに悲惨な殺戮
や弾圧が行われている。
アメリカも無政府状態じゃないよね。
無政府状態じゃないのにアフガンやイラクはもとより世界中に出向いて殺戮を繰り返している。
他国民の人権(生きる権利)を弾圧し蹂躙している。
これはあなたの理屈からいうと国家が正常に機能していないからなんだよね。
で、だ。
それこそ実際問題として、現実に、国家が正常に機能していないのだから人権を求める声があがるのだよね。
あなたの理屈から当然帰納されるケツロンだ。
つまし、あなたのいう理想的な国家を現出させるためには
まず、人権を求める声が、そのような国家の出現のために先立って湧き上がらなければならんてことだ。
実際そのように民衆と権力との相克は歴史的に動いてきたのじゃないの。
あとさきが逆なんだよ。
 

[449]もぐもぐ[07/11 06:42]※
なお、人権は、それを守るための国家が正常に機能していなければ、実効的に保護されえない。無政府状態の国で、どれだけ悲惨な殺戮が起こるかは、ユーゴやルワンダの先例を見ても明らかなことである。その意味で、実際上、国家は人権に先立っている。
なお、この際の国家というのは、統治機構としての、人的・物的施設の集合体のこと(要は国会や行政庁のこと)である。国民主権だろうが天皇主権だろうが、大統領制だろうが議院内閣制だろうが、自分で制定した憲法だろうが他国から押し付けられた憲法だろうが、とにかく統治機構の人や物がきちんと動いていてくれれば、人権は守られ「うる」。統治機構が機能不全に陥ってしまうと、人権どころではない(他国からの細々とした善意の支援にすがるしかないとか)。

勿論別の問題として、人権を全く守らないような政府が登場した場合にはどうなるのかという問題が起きる。この場合には人権を守るためにその政府と闘うしかないだろう(所謂「抵抗権」)。政府はそもそも人権(「人権」というのが西欧の歴史上現れた、特殊な前提をもった概念だというのなら、もっと一般的に、「人民の福祉」とか、「人民の幸福」とか言っても良い)を守るためにあるのだから、全く人権を守らないような政府は変えてしまうより他ない。この場合、革命や内戦が起きるが、人権を全く守らないような国に生き続けるよりは、ましである。ロビスピエールの恐怖政治の続くフランスや、黒人奴隷制の引かれる合衆国に住みたくなかったら、その政権を倒すために闘うしか道はない。(問題は、見極めが難しいことや、勢力が拮抗した内戦になった場合に無駄に戦闘が長引きがちになること、等である。イラクの場合には、外部からの介入で、かつ、前者についてあまり合意が取れていなかった上に、更に、後者まで怪しくなったので、話がややこしくなった。)
 

[448]もぐもぐ[07/11 05:59]※
参考に。

民族主義、という考え方は、最近では割と嫌われた考え方になったらしい。「大和民族」についての民族主義への信頼感の喪失と違和感(基本的には義務教育までの学校教育による)が、民族主義一般についての不信や違和の感覚にも繋がっているのだと思われる。これは別に、良いことでも悪いことでもない。そういう時代に育って、或いはそういう時代に生まれて、そういう時代の空気を自然なものとして身に付けてきた、ということに過ぎない。民族の自立が、他の人々を殺してでも成り立たせなければならない最重要事項だ、という切迫感は、日本という国が独立を取り戻して、経済的にも復興を果たし安定した地位を確保してからというもの、実感からは程遠いものとなった。

けれども、ナショナリズムは、政治的に見たとき、前世紀の長い間そのとても重要な役割を果たしてきた概念だったと思われる。第一次大戦の頃や、第二次大戦後時点で欧米諸国の植民地だった国々にとっては、自分たちの独立を確保するために、ナショナリズムの理論に依拠することは、不可欠だった。一つの民族が、一つの国を。それを主張しない限り、自分たちの国が、他国の植民地やその他の形で従属的な地位に置かれ続けることを、正当に否定できる理論は他には存在していなかった。

パレスチナ問題は基本的にはナショナリズムの問題だった。イギリスの二枚舌外交やらなんやらで、パレスチナ人と、ユダヤ人が、同じ場所に、自分たちの国を作るという、矛盾した状況が生まれてしまった。ユダヤ人は、数千年前からの自分たち古来の土地を、正当に取り戻したのだといった。パレスチナ人は、そんなものはただの屁理屈で、ユダヤ人は侵略者だと言った。同じ土地をめぐって、複数の民族が相争う。特殊な政治的事情によって引き起こされたという特徴はあるにせよ、それは歴史上いつでも繰り返されてきたことだった。

ある国家が国家として統一されるまでには、長い武力による争いが続く。それは国家間の戦争でもないし、内戦ともまた違うものだけれども、同じ土地に住む者が、互いに武器を取り、殺しあう、そうした過程だった。日本は江戸時代の開始までに基本的に殆どの土地が幕府の支配下に統一されていたけれども、ドイツやイタリアのように、統一国家の形成自体が19世紀後半になるまでなされなかったような国もざらではなかった。そのような統一が、歴史上、いつの段階で起こるのかは、別に決まった法則があるわけではない。今もまだ、国内の統一が果たされずに、内戦を繰り返し続けている国も、幾つもある。パレスチナのように、ユダヤ人という大量の移住者によって新しい国家が建国されてしまった場合に、自分たちの土地をユダヤ人国家に統合されてしまうのかそれとも独立した自分たちだけの国を持つのか、なかなか定まらない、そうしたことも、当然に起こりうる。そのとき人は武器を取って相争うだろう。時代が進んでも、武器が進歩しても、出来事の本質はそう変わらない。武力なしに、ある土地が、一つの国家へとまとまりをなす、ということは、歴史のどこを探しても見つけることはできないのではないかと思われる。

アイデンティティーという言葉は多様に使用されうるので、自分のアイデンティティーを自分の民族に、例えば大和民族に、重ね合わせろと言われたとき、反発を感じてしまうひとも多いのは十分に理解できることである。一方、アイデンティティーというのは必ずしも個人単位で語られるものではなくて、集団として、その共通基盤をなすものとしても語られるものである。例えば、日本語を話し、日本というこの土地に住んでいる、そんなことは自分のアイデンティティーでは絶対無い、という人もいるかもしれない。けれども、個人としてではなくて、集団として、その共通基盤はなにか、という観点から考えれば、日本語を話し、日本というこの土地に住んでいる、それは、その集団のアイデンティティーの絶対的な基盤を形作っている。

民族主義は、極めてしばしば人種主義と混同されてきた。けれども、人種が、皮膚の色や、その他の身体的特徴による遺伝的なものであるのに対して、民族主義は、住んでいる土地や言語の、それに基づいた文化の共通性という、社会的に伝承される特徴に依拠したものである。民族という言葉に語弊があるのなら、文化的アイデンティティー、とでも言ったらいいのかもしれない。土地や言語の共通性による、文化的アイデンティティー。それは漢字ではなくひらがなで「くに」と呼ばれてきたものであって、それを近代的な統一国家(「国」)形成の基盤にしよう、というのがナショナリズムである。

ナショナリズムは、そもそもは、決して個人に特定の生き方を強要するような、そうしたものではなかった。むしろ、逆であった。共通の生き方(土地や言語)をしているから、一つの国家を作ろう、そうした発想だった。

ところが、ナショナリズムには、もう一段階の役割がある。国家を作るといったとき、具体的に誰がその任務に当たるのか、どうしてその人がその任務に当たることができるのか、という問題である。これは国内的な執政者の正統性の問題であって、多くの場合、正統性の保証のために、その「くに」の中で漠然と高い権威をもつと考えられてきた誰かが、正式に、新しいその執政者に執政を委ねることを宣言する、という形を取る。ある者が正統な執政者と認められるためには、常にこのような形で何らかの儀式が必要になるのである。(完全にこのような古い権威から断絶する、「革命」のケースにおいては、人民集会の形が取られる。)これは基本的には、本当は誰でもいいはずの執政者に、何故その人がなっているのか、ということを正当化し、お墨付きを与えるために、あえて古い権威に依拠するというものであって、その説得力は、執政者の政治の被治者となる者が、古い権威に信頼を抱いていればいるほど、大きくなる。なお、これは事実上の説得力に過ぎないものであり、その古い権威を「信頼しなければならない」とか「保存しなければならない」義務は、原則としてどの被治者も負っていない。その一方で、執政者は、その古い権威こそが自分の正統性の源泉であることから、極力被治者に古い権威を「信頼させ」「保存させ」ようとする。

土地や言語の共通性という、文化的なアイデンティティーに基づく国家形成としてのナショナリズム。一つの統一国家の中での、執政者の正統性の源泉としてのナショナリズム。その正統性を保持し存続させるために、古い権威を被治者に「信頼させ」「保存させ」ようとするナショナリズム。ナショナリズムは、様々な段階で、様々な形において働いており、そうした複数の機能を安易に混同することは出来ないであろう。

なお、今の日本国憲法も基本的にナショナリズムに依拠している。ナショナル、国民、が主権者であって、憲法の正統性の源泉だからである。他方、日本国憲法は帝国憲法の改正として行われたもので、帝国憲法自体は天皇を主権者、正統性の源泉としていた。日本国憲法の、国民が主権者という立場を徹底させるなら、共和制として、人民集会によって憲法が採択されていなければ正統性を維持できない筈であるが、帝国憲法との連続性を保つことによって、辛うじて人民集会の不在という欠陥が回避されている。この意味では、帝国憲法、そしてその主権者としての天皇があったからこそ、日本国憲法は辛くも正統性を維持しているのであり、古い権威としての天皇もまた、日本国憲法が依拠するナショナリズムの一部を構成している。日本国憲法は、文化的アイデンティティーと、古い権威との、双方の形のナショナリズムに依拠することによって、始めて正統性を確保している。(勿論ここから、全ての人が「古い権威を信頼し保存しなければならない」という意味でのナショナリズムまでは引き出せない。)
 

[447]一番搾り[07/11 01:34]
>445
隠れキリシタンにとっての踏み絵とは何だったのか、
というハナシ、とても興味がありますね。
キリシタンを探し出して磔刑に処してやろうという姦計に満ちた策略のもとに
幕府の絵師が製作したマリア像など本来、キリスト教的な神聖は注入されるわけでもないし
キリシタンも「似非」としてそのマリア像を一蹴できたはずなのに
かれらはどうしてそれを神聖と感じたのか?
死と交換できたのか。
ぼくにはまるでわからない。
隠れキリシタンにとって「教えを隠す」という行為がすでにして踏み絵を踏むという
行為に近いとぼくなんかは思う。
ならば今更、踏んだっていいではないか。
それこそ完全に「隠れ」てしまえば。

信仰のないものにとって踏み絵はただの紙切れだ。
そのただの紙切れが人をして死を賭けさせる。
いや、まだ「本人が生命を投げ打つ」うちはよかった。
名誉のために自分の命をも犠牲にした韓国出身の日本国国会議員がいたな。
そのように自分の命よりも大事なものが自分の中にあり、自分の命と交換する
ことはあってもかまわない。
ところが大事な何かのために自分の命ではなく、他人の生きる権利を蹂躙し、
他人の生命を無理やり投げ出させる事態が
今日、当たり前に出来している。

踏み絵を踏んだキリシタンは大事な何かのために死を選んだ。
一方、大事な何かのために幕府は他者に死を選ばせ、磔刑にして殺した。
前者は、アイデンテイテイといえばアイデンテイテイのためといえなくもない。
後者は、〈国家安寧〉のためだろう。
アイデンテイテイのために人が他者の命を求めても,
しょうがないではないか。
他者の死を代償に得られるアイデンテイテイなんて、あるのかいな。
 

[446]佐々宝砂[07/10 23:13]
『アメリカ人にとってイラク人の命よりも大事な守るべきものがある』のはある意味当たり前でもありますから、言い換えます。どうも、具体的な言葉を使うと通じないようです。ここで笑ってはいけませんか? 私は微笑したい気分なのですけれども。

冒頭の文章を、「他者の人命にかえても守るべきものが、自分の生命ないし自分にとって重要な人物の生命以外にも存在する」か否か、という問いにかえたいと思います。
 

[445]汰介[07/10 21:29]
全然話しは繋がらないんですが、、、
例えば、聖書なんかを読むと、「神を汚す言葉は許される」と言う様な言葉があったと思いますが、
つまり、始めに言葉があった とするならば、言葉が現実の行動を形作るのならば、
例えば、昔で言えば、隠れキリシタンなんか踏絵を踏めば良かったのに、と思います。
それは、許される行為になるのでは、と思います。
イスラム教でも、豚は神聖な生き物となったのも、ただ単に知らずに生で食べたら、当たった=バチが当たる、と言う様なことなのかも知れません。

結局、「死」に向かうまでに、どういう展開をするかの違いだけで、
大人である、と言う事は、幼い時の体験の、複雑に見せかけている単なるデフォルメで、
そのデフォルメを掻い潜って、自分自身にとってしっくり来る単純な理由が分ってしまえば、心情的にも収まってしまう様なごくごく単純な事かもしれません。
権力も結局は自分についた心なりの傷のデフォルメに過ぎないのでは、とも思います。
突付かないと肥大するし、かと言って突付くのもめんどくさい、と言う。

大体、神がいるのならば、戦争自体を既に視野に入れているし、矛盾や、間違いさえ計算に入れているはずなので、宗教自体が、その言葉通りの展開を間に受けるべきではない筈ですし(宗教は信じるならば、その言葉の背後に考えつかない様な展開が含まれているのかもしれませんし、ひょっとすると、愛と言う言葉で誤魔化さなければ、大抵の人間は堪えられない様に出来ているのか、それともそう刷り込まれたのかは分りませんが、考え様によれば、そう言う健康でない人間に対しての出来うる限りの応急処置、と言う考えも成立ちます、かといって、その応急処置をしなければもっと酷くなるのかも知れません)、
つまり、権力(表向きの言葉はどうでもよろしく)への志向も結局、何らかの真の原理にこき使われる、又は、単なる自分でも確かでない、初恋に対する求愛行動ではないか、友思います。修辞法を尽くしての。(暴力をちらつかせれば現実的に重みが増しますし。)

(注意)因みにチューハイ3本入ってます(笑)。
 

[444]一番搾り[07/10 21:13]
>謝ってんだから突っ込むなよ(w

いや、あなたほどの人がどうして早トチリをするのかと思って。
いまさら削除するのもなんなので、こちらも早計であったことを謝罪します。
 

[442]一番搾り[07/10 19:49]
>アメリカ主導の平和維持軍参戦にワーイとか言って

ワーイなんていってないが?

>挙句の果てに自分では鉄砲担がないつもりか?

日本が侵略されたって、殺されても(多分)鉄砲担がないよ。
しかし、自分で武器を調達して自分を守る事はありうる。
 

[439]山田せばすちゃん[07/10 19:38]
>>428
悪意に満ちてるというより俺はむしろ敵意に満ちてるぜ?
※クンに俺の意見をわかってもらおうとは思わない、というかわからないだろうなあ、とは思う。ただ、俺は個人がいかなる思想を抱こうがいかなる神を信じようが一向に構わないが、人前で口にしていいことと悪いことはわきまえるべきだと、そう思うだけだ。
正確にいうと、※クンが自分と同じ思想信条の連中と、それらが集まることが明確になっているBBSで雅子さんに代理母をさせようが、天皇制のためなら人権は制限されてもかまわないと断言しようが、一向に構わない。道端で酒かっくらって気勢を上げてる親父を見るのと同じように、横目で迷惑そうな顔をして俺はそ知らぬ顔で通り過ぎるさ、聞こえないように口の中で「馬鹿じゃねーの?」くらいは言うけどな。ただここはそういう掲示板じゃないんだから、いい加減にしろよ、といいたいだけだ。
そういうこというやつは差別者だぞ、と。
敵意の源は明らかにここさ、※クンが差別者であること。
で、だな、差別者と断罪することは差別ではないのかという素朴な疑問には、日本の法律では刑事裁判において有罪が確定したやつは明らかに人権の一部を(あくまでも一部な、人間扱いしないで懲罰で殺しちゃうとか、、はたまた全部を剥奪しちゃう死刑とかはあっていいのか、という話は別な)剥奪されるわけだが、これは差別とは言わないだろ?本人に明らかに責任のある事態でそういう境遇になることを俺は差別とは呼ばない。自業自得、と呼ぶ。(まあこの慣用句もなあ、業という言葉を仏教的に拡大解釈しちゃえば、前世で悪いことしてたから今世でそんな境遇なのだ、とか言う差別構造を補強しちゃいかねない論理のにおいがするから、使いたくないっちゃあ使いたくないんだが、自己責任っていかにも流行っぽくてやだなあとか)
思想信条の自由ももちろん大事だがそれらはすべて公共の福祉に反しない範囲においてにしてもらいたいもんだね。ついでに言うと思想信条の自由とは何を信じてもいいということではあるけれど、人前で俺が信じてるもんは正しいのだ、なぜそれがお前にはわからんのだ、わかれ!と叫んでもいいというもんではないし。
いや俺としては、本人が心中どう思っていようとも、この場でだけは天皇制が日本のアイデンテテーだ、とかいったという事実を撤回しろ、と。伝統は人権を超越する、といったことは不適切でした、と言え、と。
思わなくてもいいから言ってもらいたいもんだ。
でも「思ってないけど一応言います」とか言うような留保つきの中途半端な認め方するなら、まだてめえはそういうこというのか、とますます敵意を募らせる、と。
そんな感じだな。
 

[438]一番搾り[07/10 19:18]
>僕たちとブッシュの境界線って、自分を第一に考えるという点において、
>そんなにはっきりしてますか?

なんとまあ、もの凄い詭弁だが、しかし、なかなか反論もむずかしい。
「自分を第一に考える」という日常の生活態度において、ブッシュの欲望とぼくとの間にそれほどの
差はないのじゃないかな。
ぼくは生きる延びるために今後ひょっとすると他人を殺すかもしれない。
しかしブッシュ政権の軍事行動が「自分を第一に考える」という原理からのみ発動されたものとも思えない気がする。
気がするけれども他方、強弁すれば人間の行動はすべて「自分を第一に考える」ことから発しているのだと無理に言えば言えなくもない。
とするとだ、とすると「イラク人の命」をなによりも大事にするように感じ、それを主張する感性というのは
ひょっとすると「自分を第一に考える」という原理から発動されたものでもあるということになる!

あと、ぼくたちがパチンコをしたり美味しいものを食っている行為が、イラク人の命より大事なことだと
意識してパチンコしたり、メシを食っている人はまず一人もいませんよ。
イラク人の命より大事なことだから、ぼくたちはパチンコしたりメシを食うのではない。
と思いますよ。
 

[437]汰介[07/10 19:12]石川和広
懲りずに、阿呆参上。

なんか「羅生門」の世界ですね。「藪の中」とか。
 

[434]佐々宝砂[07/10 18:41]
私が※さんとこのような話をはじめた経緯、と言いますか、私の側からの理由を述べておきます。火がついたきっかけは雅子さんの病気に関する報道でした。生命よりも大事な、人権よりも大事な、死を賭してでも守らねばならぬものがあるという※さんの主張は、※さんがこれまでニューススレに書いてきたアメリカ批判(特にイラク人虐待のことなど)と矛盾を来すと私は考えました。※さんの考え方をアメリカ側に敷衍するならば、アメリカは「イラク人の命よりも大事な守るべきものがある」と考えてもかまわないことになります。実際アメリカはそのように考えているのではないか、と私は憂慮しています。

>石川さん
一応、元に戻してみました。
 

[432]佐々宝砂[07/10 18:28]石川和広
とりあえず、現時点での私のまともな意見は>>420
 

[431]石川和広[07/10 18:26]一番搾り
言説への批判は、その人の人格を、自分の頭の中で、持ってる概念にはめ込んで、裁断することではないと思いますが、、
 それと。
 何の議論をしてるのかな?その対象は?

いろんな方が相手の議論の態度ばかり、批判し始めている。もちろん、僕も、障害者介護や、詩の会や、親や、医師とか、と議論したりしたことはあって、相手の態度に腹立つときは、山盛りだ。でも、議論で力づくで、相手は変えるのはむづかしい。
 自分も、相手も、絶対的に、正しいとはいえない。だから、共通の土台を探る。

 しかし、その共通了解への手がかりが得られないことも多々ある。
 ただ、「ブラックジャックによろしく」のようなマンガが、売れるのは、人権以前の、いのちを、どう考えるか。医療というものへの関わりは、日々の生き死にに、関係するから、そういうところから、いのちをもう一度、捉えなおしたいという、色んな人の気持ちの、反映じゃないかな?
 いのちと、社会の関係かな、、、?
 

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