ニューススレ[447]
07/11 01:34
一番搾り

>445
隠れキリシタンにとっての踏み絵とは何だったのか、
というハナシ、とても興味がありますね。
キリシタンを探し出して磔刑に処してやろうという姦計に満ちた策略のもとに
幕府の絵師が製作したマリア像など本来、キリスト教的な神聖は注入されるわけでもないし
キリシタンも「似非」としてそのマリア像を一蹴できたはずなのに
かれらはどうしてそれを神聖と感じたのか?
死と交換できたのか。
ぼくにはまるでわからない。
隠れキリシタンにとって「教えを隠す」という行為がすでにして踏み絵を踏むという
行為に近いとぼくなんかは思う。
ならば今更、踏んだっていいではないか。
それこそ完全に「隠れ」てしまえば。

信仰のないものにとって踏み絵はただの紙切れだ。
そのただの紙切れが人をして死を賭けさせる。
いや、まだ「本人が生命を投げ打つ」うちはよかった。
名誉のために自分の命をも犠牲にした韓国出身の日本国国会議員がいたな。
そのように自分の命よりも大事なものが自分の中にあり、自分の命と交換する
ことはあってもかまわない。
ところが大事な何かのために自分の命ではなく、他人の生きる権利を蹂躙し、
他人の生命を無理やり投げ出させる事態が
今日、当たり前に出来している。

踏み絵を踏んだキリシタンは大事な何かのために死を選んだ。
一方、大事な何かのために幕府は他者に死を選ばせ、磔刑にして殺した。
前者は、アイデンテイテイといえばアイデンテイテイのためといえなくもない。
後者は、〈国家安寧〉のためだろう。
アイデンテイテイのために人が他者の命を求めても,
しょうがないではないか。
他者の死を代償に得られるアイデンテイテイなんて、あるのかいな。
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