07/11 05:59
もぐもぐ
参考に。
民族主義、という考え方は、最近では割と嫌われた考え方になったらしい。「大和民族」についての民族主義への信頼感の喪失と違和感(基本的には義務教育までの学校教育による)が、民族主義一般についての不信や違和の感覚にも繋がっているのだと思われる。これは別に、良いことでも悪いことでもない。そういう時代に育って、或いはそういう時代に生まれて、そういう時代の空気を自然なものとして身に付けてきた、ということに過ぎない。民族の自立が、他の人々を殺してでも成り立たせなければならない最重要事項だ、という切迫感は、日本という国が独立を取り戻して、経済的にも復興を果たし安定した地位を確保してからというもの、実感からは程遠いものとなった。
けれども、ナショナリズムは、政治的に見たとき、前世紀の長い間そのとても重要な役割を果たしてきた概念だったと思われる。第一次大戦の頃や、第二次大戦後時点で欧米諸国の植民地だった国々にとっては、自分たちの独立を確保するために、ナショナリズムの理論に依拠することは、不可欠だった。一つの民族が、一つの国を。それを主張しない限り、自分たちの国が、他国の植民地やその他の形で従属的な地位に置かれ続けることを、正当に否定できる理論は他には存在していなかった。
パレスチナ問題は基本的にはナショナリズムの問題だった。イギリスの二枚舌外交やらなんやらで、パレスチナ人と、ユダヤ人が、同じ場所に、自分たちの国を作るという、矛盾した状況が生まれてしまった。ユダヤ人は、数千年前からの自分たち古来の土地を、正当に取り戻したのだといった。パレスチナ人は、そんなものはただの屁理屈で、ユダヤ人は侵略者だと言った。同じ土地をめぐって、複数の民族が相争う。特殊な政治的事情によって引き起こされたという特徴はあるにせよ、それは歴史上いつでも繰り返されてきたことだった。
ある国家が国家として統一されるまでには、長い武力による争いが続く。それは国家間の戦争でもないし、内戦ともまた違うものだけれども、同じ土地に住む者が、互いに武器を取り、殺しあう、そうした過程だった。日本は江戸時代の開始までに基本的に殆どの土地が幕府の支配下に統一されていたけれども、ドイツやイタリアのように、統一国家の形成自体が19世紀後半になるまでなされなかったような国もざらではなかった。そのような統一が、歴史上、いつの段階で起こるのかは、別に決まった法則があるわけではない。今もまだ、国内の統一が果たされずに、内戦を繰り返し続けている国も、幾つもある。パレスチナのように、ユダヤ人という大量の移住者によって新しい国家が建国されてしまった場合に、自分たちの土地をユダヤ人国家に統合されてしまうのかそれとも独立した自分たちだけの国を持つのか、なかなか定まらない、そうしたことも、当然に起こりうる。そのとき人は武器を取って相争うだろう。時代が進んでも、武器が進歩しても、出来事の本質はそう変わらない。武力なしに、ある土地が、一つの国家へとまとまりをなす、ということは、歴史のどこを探しても見つけることはできないのではないかと思われる。
アイデンティティーという言葉は多様に使用されうるので、自分のアイデンティティーを自分の民族に、例えば大和民族に、重ね合わせろと言われたとき、反発を感じてしまうひとも多いのは十分に理解できることである。一方、アイデンティティーというのは必ずしも個人単位で語られるものではなくて、集団として、その共通基盤をなすものとしても語られるものである。例えば、日本語を話し、日本というこの土地に住んでいる、そんなことは自分のアイデンティティーでは絶対無い、という人もいるかもしれない。けれども、個人としてではなくて、集団として、その共通基盤はなにか、という観点から考えれば、日本語を話し、日本というこの土地に住んでいる、それは、その集団のアイデンティティーの絶対的な基盤を形作っている。
民族主義は、極めてしばしば人種主義と混同されてきた。けれども、人種が、皮膚の色や、その他の身体的特徴による遺伝的なものであるのに対して、民族主義は、住んでいる土地や言語の、それに基づいた文化の共通性という、社会的に伝承される特徴に依拠したものである。民族という言葉に語弊があるのなら、文化的アイデンティティー、とでも言ったらいいのかもしれない。土地や言語の共通性による、文化的アイデンティティー。それは漢字ではなくひらがなで「くに」と呼ばれてきたものであって、それを近代的な統一国家(「国」)形成の基盤にしよう、というのがナショナリズムである。
ナショナリズムは、そもそもは、決して個人に特定の生き方を強要するような、そうしたものではなかった。むしろ、逆であった。共通の生き方(土地や言語)をしているから、一つの国家を作ろう、そうした発想だった。
ところが、ナショナリズムには、もう一段階の役割がある。国家を作るといったとき、具体的に誰がその任務に当たるのか、どうしてその人がその任務に当たることができるのか、という問題である。これは国内的な執政者の正統性の問題であって、多くの場合、正統性の保証のために、その「くに」の中で漠然と高い権威をもつと考えられてきた誰かが、正式に、新しいその執政者に執政を委ねることを宣言する、という形を取る。ある者が正統な執政者と認められるためには、常にこのような形で何らかの儀式が必要になるのである。(完全にこのような古い権威から断絶する、「革命」のケースにおいては、人民集会の形が取られる。)これは基本的には、本当は誰でもいいはずの執政者に、何故その人がなっているのか、ということを正当化し、お墨付きを与えるために、あえて古い権威に依拠するというものであって、その説得力は、執政者の政治の被治者となる者が、古い権威に信頼を抱いていればいるほど、大きくなる。なお、これは事実上の説得力に過ぎないものであり、その古い権威を「信頼しなければならない」とか「保存しなければならない」義務は、原則としてどの被治者も負っていない。その一方で、執政者は、その古い権威こそが自分の正統性の源泉であることから、極力被治者に古い権威を「信頼させ」「保存させ」ようとする。
土地や言語の共通性という、文化的なアイデンティティーに基づく国家形成としてのナショナリズム。一つの統一国家の中での、執政者の正統性の源泉としてのナショナリズム。その正統性を保持し存続させるために、古い権威を被治者に「信頼させ」「保存させ」ようとするナショナリズム。ナショナリズムは、様々な段階で、様々な形において働いており、そうした複数の機能を安易に混同することは出来ないであろう。
なお、今の日本国憲法も基本的にナショナリズムに依拠している。ナショナル、国民、が主権者であって、憲法の正統性の源泉だからである。他方、日本国憲法は帝国憲法の改正として行われたもので、帝国憲法自体は天皇を主権者、正統性の源泉としていた。日本国憲法の、国民が主権者という立場を徹底させるなら、共和制として、人民集会によって憲法が採択されていなければ正統性を維持できない筈であるが、帝国憲法との連続性を保つことによって、辛うじて人民集会の不在という欠陥が回避されている。この意味では、帝国憲法、そしてその主権者としての天皇があったからこそ、日本国憲法は辛くも正統性を維持しているのであり、古い権威としての天皇もまた、日本国憲法が依拠するナショナリズムの一部を構成している。日本国憲法は、文化的アイデンティティーと、古い権威との、双方の形のナショナリズムに依拠することによって、始めて正統性を確保している。(勿論ここから、全ての人が「古い権威を信頼し保存しなければならない」という意味でのナショナリズムまでは引き出せない。)