ニューススレ[445]
07/10 21:29
汰介

全然話しは繋がらないんですが、、、
例えば、聖書なんかを読むと、「神を汚す言葉は許される」と言う様な言葉があったと思いますが、
つまり、始めに言葉があった とするならば、言葉が現実の行動を形作るのならば、
例えば、昔で言えば、隠れキリシタンなんか踏絵を踏めば良かったのに、と思います。
それは、許される行為になるのでは、と思います。
イスラム教でも、豚は神聖な生き物となったのも、ただ単に知らずに生で食べたら、当たった=バチが当たる、と言う様なことなのかも知れません。

結局、「死」に向かうまでに、どういう展開をするかの違いだけで、
大人である、と言う事は、幼い時の体験の、複雑に見せかけている単なるデフォルメで、
そのデフォルメを掻い潜って、自分自身にとってしっくり来る単純な理由が分ってしまえば、心情的にも収まってしまう様なごくごく単純な事かもしれません。
権力も結局は自分についた心なりの傷のデフォルメに過ぎないのでは、とも思います。
突付かないと肥大するし、かと言って突付くのもめんどくさい、と言う。

大体、神がいるのならば、戦争自体を既に視野に入れているし、矛盾や、間違いさえ計算に入れているはずなので、宗教自体が、その言葉通りの展開を間に受けるべきではない筈ですし(宗教は信じるならば、その言葉の背後に考えつかない様な展開が含まれているのかもしれませんし、ひょっとすると、愛と言う言葉で誤魔化さなければ、大抵の人間は堪えられない様に出来ているのか、それともそう刷り込まれたのかは分りませんが、考え様によれば、そう言う健康でない人間に対しての出来うる限りの応急処置、と言う考えも成立ちます、かといって、その応急処置をしなければもっと酷くなるのかも知れません)、
つまり、権力(表向きの言葉はどうでもよろしく)への志向も結局、何らかの真の原理にこき使われる、又は、単なる自分でも確かでない、初恋に対する求愛行動ではないか、友思います。修辞法を尽くしての。(暴力をちらつかせれば現実的に重みが増しますし。)

(注意)因みにチューハイ3本入ってます(笑)。
スレッドへ