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実はいまやるべきことが十くらいあるのですが、やる気が起きんので、なんか書きます。 まずはドジさんの発言。雑談スレ4[233]より引用。 >ぼくは詩で女を口説くほど落ちぶれてはいない。 >詩で女を口説くほど詩をバカにもしていない。 日本には古来、詩で異性を口説く美しい慣習があり、天皇家のみなさんもおおらかに愛を乞う歌を書きました。愛の歌の交換もありました。そのようなものを相聞歌と称します。詩で女を口説くのが「落ちぶれる」ことなら古代の天皇も落ちぶれてたとゆーことなのかな。私は、詩で女を口説くということが、詩をバカにしてることだとは思いません。ドジさんが「口説く」ということをバカにしてるんではないのかな。 さて、それではそろそろ働きます。私は働くおばさんなのです。 by 佐々宝砂 いやー、お金がかかるだけだから、これは遊びですね。 by 片野晃司 参照先不明 参照先不明 >>15 詩を手段にするか目的にするか。というたいへん古くからあるお話になりつつありますね。私個人にとっては、実のところ詩は「結果」です。現実路線のために書こうが、たとえネオナチのために書かれようが、心なくしててけとーに「こんなんなら若いのに受けるだろ」と思って書いたものであってすら、「結果」として生まれた詩は、誰ぞの心を打ってしまうことがあります。詩は目的でも手段でもなく、「結果」だと私は思っております。 こどもの言葉が恐ろしいまでに心を刺すことがありますね。こどもの心なりに何か考えて言葉にしたから詩のようになったとも言えるけれど、実際問題としては語彙と知識が少ないがゆえ「結果」として詩のようになったに過ぎません。心なくしてもおそらく「結果」としての良詩は生まれます。心にもないことを私は書き得ます。それを思うと自分がたいへんに悲しい存在だと思えてくることがあります。 私がドジさんに「口説いてみろ」と言ったのは、彼がこの詩のサイトにきておきながら詩のおすすめもせず投稿もしてはいなかったようだからです(この投稿をした時点で確認したところ、ドジさんはいまだおすすめも詩の投稿もしてはおりません)。「詩を書いてみろ」という意味のアジテーションを、ドジさんの語調にあわせた答として「詩で口説いてみろ」と私は書いたのでした。理由がどうであれ、経過がどうであれ、それでいい詩ができたらめっけもんです。私は嬉しいです。 by 佐々宝砂 >>佐々宝砂 >ドジさんが「口説く」ということをバカにしてるんではないのかな。 宝砂さん、たぶんあなたが仰ったことばの意味は、 「わたしを感動させるような詩を書いてみて下さい。そうすればわたしはあなたに惹かれるでしょう」 というほどの意味でしょう。 そのこと自体はべつになんでもないごくあたりまえの気持ちでしょう。 でも、わたしはわたしの詩によってだれかを感動させたり感心させたりするのでしょうか? もしそうならうれしいが、そうでないならだれかから軽蔑されることになるのだろうか? あなたの言い方からすると、詩を書く行為はそのような可能性の下にあるものの事であるといふことになる。 また、ひるがえって愛について考えてみるに 愛というのはそのような選別意識の下にあるものなのだろうか? へたっぴーな詩を書く詩人がもしあなたのお気に召さないのならその詩人はその件に関してはあなたの愛を得られないのだろうか? へたっぴーな素人の詩をとても好み、いわゆるプロなどの詩があまり好きでないわたしなぞはいったいどうなるのだろうか。 わたしは「口説く」といふことをバカにはしていない。それどころかそれを人生最大の目的にしていますが。 ただし詩をものだねにしたくはないというか、詩では口説けないのです。詩を愛の前に対置させたくない。それではあまりに重すぎるふたつをモノとして量ることになるではないか。という感じはありますね。 by ドジ >>17 私はかなりいい加減な人間ですので、誰が書いたものでもかまわんのです。それが私にとって面白かったり、怖かったり、感動させたりするならば、ね。素人が書こうとも、昔々の天皇が書こうとも。あるひとつの詩が誰かを感動させることがある。全く同じひとつの詩が誰かを怒らせることもある。笑わせることもある。詩にかわりがなくとも、読み手が違うだけで詩の与える効果は大きく異なります。 ま、実を言えば単に私の恋愛対象の好みの問題とも言えます。私は「詩で口説く」ことのできる人が好き、詩と作者を切り離せる人が好き、詩をものだねにして恥じない人が好き、バカになるべきときにはバカになることができる人が好き、「愛」だなんて言葉を使った恋愛詩は書けないような人が好き、なのですよ(笑)。「詩は重い」「愛は重い」と考えているとしても、それを口に出すようなタイプは、私の好みではないのです。つまりドジさんは詩を書こうと書くまいと、私の好みの男性ではないようです。 by 佐々宝砂 参照先不明 ドジ君 すまんな、俺が佐々好みの男らしいぜ(笑) by 山田せばすちゃん 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 >「愛」だなんて言葉を使った恋愛詩は書けないような人が好き、なのですよ(笑)。 詩について語ることと、詩を書くこととはまるで違うでしょう? ごっちゃにしないで下さい。 わたしは「愛」だのといった指示表出丸出しのコトバを使って詩を書くほどには、 まだまだ、詩に狎れてはいませんよ。 しかし詩について語るときには縦横にそういった指示語を使いますよ。 当たり前の話ではありませんか。 by ドジ あー。議論用スレッド欲しいねぇ。片野さん、作りませんか?<他人任せ 議論したい人はそっちへ移動、てな感じで。 by いとう 参照先不明 >ともかくドジさんは私にふられたのですから、それだけは認識してください。 あらら、とうとうぼくはふられたんですか。 ネット上でふられる体験は初めてなのですが、やっぱり悲しいものですね。 もっとも女性にかぎらず、ぼくは生まれつき何につけふられっぱなしなものですから かなりの耐性はできております。 ええ、涙なんか流しません。 悲しみをかんじるはずの大脳皮質の表皮が象の足裏のようにぶ厚くなっておりまして、 しわくちゃで黒ずんでほとんど鈍痛すら感じなくなっております。 いや、ときには、つらいはずのその刺激が厚い表皮を通過する間にどこをどう間違ったのか笑いすら催すほどになっております。はて、 これは神さまのご配慮だと感謝すべきなのでしょうか。 ところで「女子供のいうことは聞かない」というのは、石畑さんがいかにも女性らしく 快不快の原則でぼくの話の内容を切り捨てて下さったからでして そういうやわらかな暴力に対しては聞く耳をもたないという態度で挑むしかなかったのでございますですよ。 正直言って、だいたいが詩なんか書いている女は気持ち悪いという偏見が抜けないのでして。中にはまれに気持ち悪くないひともいるが、そういう人は決して快不快の原則でだれかを排除なんかしないわけでしてね。そういう意味で、石畑さんは、まだまだだと感じたまでのことです。 ま、貴重な体験をしました。 失礼します。 by ドジ アニメでもこういうキャラクターいるよね。なかなかいい味出してますな。 by 片野晃司 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 煙草がきれた、車がない、いちばん近いコンビニは歩いて二十分だが、道中まったく街灯がない、おまけに途中に墓地がある!ので行きたくない……ああっ、煙草が吸いたい。 アンテさんもネプチューン好きで、いとうさんは結婚後の新井素子には?なのね、いずれも同志だ。でも私、新井素子のヒロイック・ファンタシーは評価しないな、『ディアナ・ディア・ディアス』は駄作に近いような気がする。で、わたくしアンテさんと同じく山口県まで行きました(あっはははです。もちろん『あなたにここにいてほしい』を読んだがために)。私もグリーン・レクイエム好きでマンガまで読みましたが、映画は見てません。なんか怖くて見られないのです。 で、いとーさん、火浦功ですよ(笑)。ひろしくんではありません。でもって岬くんは岬兄吾なのだ。でもって、ホーガンとかニーヴンとかティプトリーとかは、古典?とゆーか近代以降のSFで、まだ彼等の仕事は必要だし、彼等の出した問いには答が出てないし、古典じゃないよね。古典だったら、ステープルドンとか(古すぎ)。ヨコジュンの「古典こてん」とか。 いやまったくSFの話をするときりがないのですが、ミステリの話をしてもきりがないです。サイバーパンクの話をしてもきりがないです。ヒロイック・ファンタシーの話もきりがないです。わが母はロバート・E・ハワードのコナン・シリーズ(ハヤカワ版コナン。未来少年でも江戸川コナンでもないし、できればコナン・ザ・グレートでもない)が好きで、私はフリッツ・ライバーのファファード&グレイ・マウザー・シリーズが好きでした。ムアコックは、昔の火星ものや、ルーンの杖秘録やコルムなんかは好きだったのですが、エレコーゼあたりからわけわかんなくなったので、やめました。 by 佐々宝砂 参照先不明 佐々さん、皆さんSF好きが多くてなんか不思議ですね。僕は中学生の頃の夢はSF作家になることだったのです。高校くらいのときだったか、SFマガジンで豊田有恒さんがショートショートの投稿欄の選者をやっていた頃によく投稿したものです。もちろんみんな没で一度だけ豊田さんから短評をいただいた程度でしたけれど。同時期投稿していて目立っていたのが岬兄吾さんでした。高井信さんもいたんだっけか。僕は実は偶然彼と同じモチーフを思いついていて、それは言葉に関するものだったけれど、どうしてもうまくかけないでいたところ、見事に先を越されそのぼぼ同じアイディアで切れ味のいい良質の奴を書かれてしまったんで、それ以来ショートショート書いていないのです。当時、僕はプロットを立て、書いても書いてもズレた「表現」の部分だけがふくらみ決めたはずのプロットがだいなしになってどこかへいってしまうのでした。僕はまだ「詩」というものに出会ってはいなかったけれど、それはまぎれもなく散文詩としかいいようのないモノであったのです。僕は散文詩という言葉すらろくに知らなかった。ただ、SFが好きな内向的な少年に過ぎなかったのです。かっこつけて「非A」がどうのこうのと文庫本を持ち歩いていたけれどほんとうに好きだったのは、シェクリィだったり、ブラッドベリだったり、ブラウンだったり星新一だったりツツイだったり小松だったり平井だったり、したのです。ニュー・ウェーブに訳もわからず憧れていました。川又千秋が好きでした。彼の評論のリリカルなスノビズムが。 by 川村 透 カール・セーガンの「コンタクト(下)」をお持ちの方売って下さい。 それが駄目なら、必ず返すので、一週間ほどお貸しください。 風呂やトイレで読みませんから。 m(_ _)m by ポロリ 片野さんが5/9にUPされたトップページ画像。 ミラーマンと超人バロム1・・・一番左がわからない・・・見たことあるようでわからない・・・。とても気になる。 by 前方後円墳 doji52 往復書簡 はあはあと息を切っていつもぼくは20キロの道のりを自転車で通ったのだったね。 工場の煙突があり、高速の下をトラックが走り、ドブ川が流れ、砂利道からは砂ぼこりがたった。 携帯電話も郵便局も嫌いだときみがいったので、ぼくはそうしたのだ。たったひとこと「うん」と返事をするのにも往復二時間をかけて阿倍野から藤井寺までを走った。花が生けられた柵の上の郵便受けに封筒を投函し(ときには葉書を)ふたたび自転車をこいで家路についた。あのころの汗のなんと爽やかで気持ちよかったことか。 ベランダの窓からシャツを風になびかせてあなたが走ってくるのをいつも息を飲むように見守っていました。髪はライオンの鬣(たてがみ)のようになびき、必死のあなたの形相。まるで飛び散る汗が目に見えるようでした。 そして、手紙を投函したあなたが、窓の方にちらっと視線を泳がせて名残り惜しそうに帰ってゆくのを、いつもじりじりしながら見送っていたのです。あなたの姿が消えたら、すぐに階段を走り降り、手紙を鷲掴みにしてまた二階のお部屋に駆け上がったものです。 すぐに開封したいのを我慢して、おあずけをくった犬みたく手紙を前に正座し、息を整え、わざとお湯など沸かしてお茶を淹れたりしました。 それから、もう我慢ならぬとばかりに狂おしくあなたの手紙をむさぼり読んだのです。そこにはたった一行 「おはよう」とだけ書かれてあったこともありました。 それからわたしはトレパンに着替え、運動靴を履き、ふふふ、20キロ往復のマラソンに出かけるのでした。あなたに新たな手紙を届けるために。 つづく by ドジ >[169]片野晃司 >ドジさん、重複発言の消し方わかりましたか〜? あ、ご返事遅くなってすみません。 すぐにご返事したかったのですけど、なんかな、ご親切が身にしみまして。 いちおう、わかりません。(なんだ、この返答の仕方は...汗) よろしければ、アドバイスを。 by ドジ >以降、T小学校という風に、イニシャルで配慮願えれば幸いです。 はあぁ〜? T小学校ぉ〜? なんでしょうかそれは? で、そんなにヤバイ工場の敷地内で働いている工員たちは大丈夫なんですかぁ〜? 周囲の住民たちの健康は? 土壌調査はちゃんと行われるの? なんでT小学校なんていう匿名にするんですかぁ〜? 子どもたちだけの問題でもないでしょう。そんなヤバイ話は。 それとも政治決着が着いたからこれ以上その件で、世間にヤバイ工場の問題を探られたくないということでしょうか? よくわかりませんね〜。 by ドジ えーとですねー、つまんないんで尋ね人します。 詩人さん、あるいは元(?)詩人さん、もしくは行方不明の詩人さんたち。(敬称略でペコリ) ・枕元京平 / シバ とも名のっていた。なんかはてなダイアリーでみけた方がそうかなーとも思うんですが、確信なし。 このフォーラムにも登録はしているけれど、音沙汰なしです。四月末にログインした形跡はありました。 いとうさんとこのことだま選集にシバ名義であり。ギルドにもシバ名義であり。 ・笠間俊介 / ネリ、マメ色 とも名のっていた。以上お二人は札幌在住です。のはずです。 やはりpoeniqueの選集に両名義であり。 ・竹上 泉 / 京都の方だったような…。選集にあり。 ・あだむくらいん / この方は彗星のように現れ、消えました。一時的なペンネームだったのかな。 詩人ギルドの、リンクされていないページ(Googleで探すと出てくる)に作品があります。誰だったのだろう?? ・(はゆ)さん / 不明。三重あたりの人だったと記憶。 以上の方の消息をご存じの方、もしくは本人いらっしゃったらご連絡下さい。m(_ _)v by クリ 参照先不明 >>199 (はゆ)さんって括弧付きで、まだギルドのMLがあった頃登場したひとですよねえ。 下のサイトでお名前を見つけました。 http://oboegaki.fc2web.com/top2.html かっこがとれて、はゆさんになってますが三重在住だし同一人物だと思います。 by 佐々宝砂 >TAKEさん、 ○○は××であるべきである!....なんて、きょうびとてもダサいすよ。 いかほどのお人か知りませぬが、そういうマッチョな文体でいったい 何を、だれを黙らせたいのですか? 矮小なやつをですか? 理解力の劣るやつをですか? 立派でないやつをですか? ネットでしか発言できない障害者をですか? 「永遠の焦燥感と虚無感をもつ「バーチャルハート」」? をですか。 黙らせて満足なのですか? さて、そうやって、ゆっくり自慢話をする環境をつくりますか。 ただただ、恐れ入る立派な御仁だ。 by ドジ >>199 こんにちは。クリさん、 竹上 泉さん、はい、京都の方ですね。お友だちです。今は詩ではなくて、同人誌で小説をかかれているそうです。クリさんによろしくお伝えくださいとのことでした。 by サダアイカ (aika) 参照先不明 参照先不明 >>235 >>236 私は飲み屋で自分の夫のことを自慢たらたらでのろけるので(結婚十一年ですが)、 男運の悪いママに「出てけー」と怒られたことがあります。 でも好きなもんは好きだもんね。 by 佐々宝砂 参照先不明 すでに四十時間以上起きていて、そのうち半分以上が労働によって消費されました。疲れていますが眠れません。なんとか眠る方法は、ないのかしら。薬物に頼っても、アルコールに頼っても、カウンセリングに頼っても、宗教に頼っても、眠れません。いや笑い事ではなくて、深刻に悩んでいます。 by 佐々宝砂 >248 佐々さん、眠れましたか?僕は週末から吐き気と頭痛に悩まされています。なんだかけっこう目が泳いできました。わりあいと危険かもしれませんので帰って横になります。とにかく横になりましょう。 by 川村 透 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 夏の夜、畑や田のあぜ道から「ジーーーー」という音がすることがあります。 昔、父から「あれはみみずが鳴いているのだ」と教えられ、今でもあの音を聞くと「あ、みみずが鳴いている」と思います。 でもあの体のつくりであの音がでるわけないよなあ。 by 片野晃司 参照先不明 やーみなさんありがとうございます。 クビキリギスは違うかもしれません(気持ち悪いだなんて、かわいいじゃないのっ)。これで声がでかいなら。とにかくとっつかまえてみるのが最もまっとうな解決策かも。 そうそう、オケラの可能性は考慮したんですよー。いなかもんですので、オケラは家に飛び込んでくるときがあるくらいです。「ケラ」という書きかたしたので、意味が通じなかったかも、です。で山せばさんの言う遊び、私も知ってます。別役実は、『虫づくし』のなかで、奥ゆかしく「どーれくらい?」と聞くと「こーれくらい♪」と返してくれる虫だと書いておりました。かの『虫づくし』という本を思い出すとき、私は必ず「すりぎりき」「ぎおろこ」と唱えたくなります。「すりぎりき」は「きりぎりす」の逆です。今日本で「すりぎりき」と唱えてる人、いったい何人? by 佐々宝砂 >oldsoupさん こういう虫はだめかしら。 http://poemlyricrevo.hp.infoseek.co.jp/images/monki.jpg (↑モンキアゲハ、撮影佐々宝砂) by 佐々宝砂 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 >288 Fiorina さん 始めまして。 「ツァラストラ」は確か文庫の上巻だけ買って読もうとしましたが、挫折した記憶があります。後は「道徳の系譜」「この人を見よ」位です。 いずれも「さっぱり」分りませんでしたが。 ニーチェについて良く知らないで、少ない材料でニーチェを独断的に語る、、、 これこそある意味、実に ニーチェ的 であると、勝手に思っています。 by 汰介 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 決定打があるかどうかという短絡的な議論ではなくってですね、片野さん、そういう方向付けがほしい、という事です。少なくともすぐにでもできそうなことなのに現場でやってなかったのは「何人来たのか」「誰が来たのか」「何のために来たのか」「何を見て来たのか」「どこから来たのか」についての分析の為の資料集めでした。いっぱい来た、にぎやかだった、良かった良かった、おつかれさーん、ではなく、じゃあ来年は?次回は?どうやったらもっと人が来るのか、もっと詩が売れるのか、場を提供する側はやはり考えるべきなのではないでしょうか?「TOKYOポエケットは、詩誌や詩集の販売・朗読・交流のイベントです。」と主催者側が謳っている以上。 片野さんの言われたことでやはりちょっと俺も考えねばならないかなと思ったのは、俺は自分が扱ってる商品の特質は知ってるし、それをどう売るべきか、という方策も考えはしましたけど、じゃあ、商品としての詩の特質についてはどうなんだろうと、それをもう一度考えるべきなのかしら、とか。確かに見た目と価格と性能があるい程度比例していて、よほどのことがない限り買い手の期待を裏切ることの少ない(いやまったくないわけでもないのよ)商品と、個々人による評価基準がまちまちで、彼にとっての名作がすなわち彼女にとっての名作であるとは言い切れない詩とでは、その売り方つまり商品との出会いのさせ方もおのずから変わってくるでしょう、ならば、多品目少量展示の今のポエケットの商品陳列のあり方、その中から読者と作品が触れ合える場の創出についても、一考の余地はあると思います。 by 山田せばすちゃん 参照先不明 ・・・んなこたぁ、自分で考えなよ。 詩と呼べるかどうかは、書いた本人は詩だ、というんならそれはそうなんでしょうよ、としかいえないし、半ば執着ったってなんに執着してるのかは見えてこないし(まさかここのポイントに執着してるとか、そんなこともないだろうけれど)そんなもん正しいとか正しくないとか誰が決めるって言えば書いてる本人だし、その上で書くのも書かないのも自由だし。 ただまあ、自分がホッとするために書いたもんを人様に見せてどうしようって言うんだろうというところに気がついたあたりから詩は立ち始める。・・・立てないでやめてっちゃう人もままあるけどね。 誰のためって(苦笑)俺はずっと書いてきてるけど「私にために書いてください」なんて子こといわれたことはただの一度だってないよ(苦笑)そういう幸せな体験をしたことのあるやつのほうがたぶん圧倒的に少ないと思うけどな。 by 山田せばすちゃん >>354 あたしゃ、人に「他の人の為には書くのに、私の為には詩を書いてくれない〜」と拗ねて見せたことはありますよ(笑) 誰かに捧げる自己満足とか捧げられて嬉しいという甘ったれた他者依存だけじゃー、つまんない詩になることがありがちですが、んでも、詩の実用価値のひとつとして、そういう面を評価するのも悪くねーな。真摯に誰かの為に書かれた詩で、まったく無関係な他人が感動することだってままあるし。 「人に捧げる詩」というだけでなく、そーいえば、私が短歌詠みはじめて間もない頃、同人誌への批評として、ある編集者さんが言った、「誰を読み手としているのか見えない歌が多い」という言葉にぎょっとしたなぁ。おもねるとか、戦略とかではなく、それこそミントさんが自問自答したという疑問に近いものがあるのではないかと思いました。 by 白糸雅樹 参照先不明 ハードな一週間が終わり、脳味噌がただれているような気がします。こういうときにニューススレに書いたりするととんでもないことになるのは明白なので(もちろん私が悪くて「とんでもなく」なるのですよ)、まだニューススレにはレスしません。Ohatuさん他みなさんすみません、まだ待って下さい。とはいえ、今書かねばならぬこと、まだ新鮮なうちに書かねばならぬこともあって、私はそれを書かねば眠れません。書かずにはおれません。いまはとりあえず東京ポエケットのことを書かせて下さい。 よそ(http://www.poetry.ne.jp/event/poekett/index2.html) でもここでも、私は「ポエケ」と「コミケ」を比較対照して話しました。チャットやリアルタイム会議室でも同様の比較をしました。そうしたところ、必ず出てくるレスのひとつに「コミケとポエケじゃ人数が違う規模が違う」という内容のものがありました。私はそういうレスを予想しなかったので、少し驚きました。言うまでもないと考えていた私が年寄りなのだろうとは思いますが、初期のコミケは、単なる少人数のバカの集まりに過ぎませんでした。買いに来たのがせいぜい5、6人というものさえあったそうです(我が友人の証言)。日本SF大会の初期のころも、似たようなものだったでしょう。冗談ではなく「SF」と「SM」を勘違いされた我が母の証言によれば、まさしく「少人数のバカの集まり」に過ぎなかったようです。なにごとも最初のうちは規模が小さい。人数が少ない、認知度が低い。当たり前のことです。いきなり大規模な開催を求めるのはおかしいと私は考えます。ちょっとずつ、規模を大きくしてゆけばいい。そして私は、もうポエケットは江戸博物館の会議室にはおさまりきらなくなりつつある、と言いたいのです。 また、東京である必然性もなくなってきていると思うのです。たとえば私の住む静岡でなら、今回のポエケット会場より広い会場で、かつ屋根がある、という場所を見つけることが容易です。交通も便利です。宿泊施設もあります。ただ閑古鳥がいつも鳴いています。人員がないのです。だから今すぐに静岡でポエケットをやれと言われても難しい。地方都市はどこも似たようなものでしょう。器ばかりがあり、中身がありません。一方、東京ポエケットには濃密な中身がありました。あの狭い空間に、あの短い時間に、濃密すぎる中身、しかもその濃密さは、親密さや、ひそやかな共感とはいささか離れたものでした。要はバラバラな濃密が群れていたのではないかと思います。あのようなタイプの濃密さは、もっと広い空間に向けて解放してゆくほうがいいんじゃないかと思います。 比較して申し訳ないけれども、ポエケ翌日19日に開かれた雅樹さんのイベント「ねずみのしっぽを集めたねこは」の場合は、少人数・濃密・親密・ひそやかな共感というものが満ちておりました。現在のポエケットとは全く逆方向に向くべきイベントでしたし、それが成功していたとも感じます。 それからすこし、私の今日の暮らしぶりを書かせて下さい。私の暮らしは日々変わります。今日は販促マネキンの仕事をしました。いなかのスーパーのカレー売り場で、せっせせっせと風船を作り子どもに分けてまわり、風船をぶるんぶるんまわしてウチワをがんがん叩いて叫ぶよ叫ぶ、「カレーがおやすくなっております! ただいまカレーフェア開催中! ○○○円お買いあげの方にスクラッチくじを引くチャンス! ここでしか手に入らないレアものオリジナルグッズがもれなく当たります! 空くじなし!」、とにかく全部の台詞に感嘆符付き。それが仕事ですからマネキンの私は叫びます。それが仕事ですからマネキンを終えた私はカレーの売り上げを数えます。それが仕事ですからマネキンの私は簡単なマーケット調査もします。一日叫んで、ひとつあたり98〜300円のようなものを、合計でいくつ売ったか。数えていると悲しくなります。ええ、ものを売るという行為は、いえ売らなくとも人に何かを手渡すという行為さえも、ほんとうは、とても、難しいのです。私は、余った販促商品を抱えて派遣会社にとぼとぼ帰りました。余るといつも悲しくなるのです。でも、悲しむ必要はない、と私の経験が言います。派遣会社のスタッフも言います。マネキンとしての私の能力は、割と高く評価されます。だから私はマネキンとして報酬を得るのです。 私は現場の人間です。工場の、農場の、売場の。 詩の現場は、いま、どこにありますか? by 佐々宝砂 詩の現場はそこここにあるさ、石川さんのようにデイケア行って朗読なさるのだって、そうだろうし、もちろんポエケットだって詩の現場ではあるだろう。問題にすべきなのは現場のあるなし、ではなく、どこが現場なのかという規定でもなくって、現場にいるときの詩人の立ち居振る舞いそのものなんじゃないのか。 by 山田せばすちゃん 参照先不明 >353 なんつーかそのう、小さな疑問からはじまった豊かな(稚拙であろうと、 未熟であろうと当事者にとっては過程として豊かである) 議論の輪ってものが 答えをだれかに簡単に出されることによって、とても 小さな結論に縮こまって終わるということがよくある。 ミントさんの小さな自問はだれにとっても違ったかたちで芽生えているものだし (もちろんぼくにとっても常に) それは議論の過程自体が大事であるというような種類の疑問であって、 それをね、どこかの偉そうなアホがね、やっぱし偉そうにね ぽい、と わかったようなことを言ってハナシを断ち切り、とても小さな世界に 押し込めてしまうことがある。 結論てのは小さな小さな世界に大きな議論の輪を萎縮するってことですよね。 こういう素朴な疑問をね、それこそ 自称、大御所みたいなアホがね、左の耳から右の耳に通り抜けさせている。 だから、どこへいってもつまらない詩もどきが多いのかもしれません。 by 一番絞り 今〆切前なのに詩ができず死にそうな思いなのですが(毎度こんなこと言ってら、私ったら、笑)、どうしてもひとこと書きたくて。 ミントさん発言、 >感動が詩なんだ。 > >生きているっ と実感することが。 この結論は、広がってるように見えて、実は小さな結論のように思います。固まりすぎのようにも思います。でも私はこうした言葉を批評したくないので(するべきでないと思います)、なるべく何も書きません。本来ならばレスしません。「自分で考えろ」というやませばさんのレスは、いい加減にみえて実は的確で、冷酷にみえて実はそれほどつめたくありません。ミントさんは結論がほしいわけではないのでしょうから、自分の言葉で、自分で、考えるべきなんです。たとえば「純粋なものを書けてない」と考えることは易しい。でも「純粋なもの」ってなんですか。ミントさんにはわかりますか。私にはわかりません。やませばさんはアドバイスをしていますが、答を出してはいません。彼が出した答は彼の答に過ぎず、ミントさんの答ではない。 という文章を、わたしは>>372へのレスとして書きました。 by 佐々宝砂 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 >394 ミントさん始めまして。 何となく面白かったので、ちょっとだけ言わせてください(そういうの真面目に考える人って、何か楽しくて良いです)。 僕の小さい頃の疑問に、「虫には耳あるんだろうか、音聞こえてるんだろうか?」ってのがありました。小学校だったか、国語の教科書に載っていましたが、ファーブルが大砲打ったりして「セミには音が聞こえるのか」実験したとか。 結局セミは人間とは違う周波数の音を聞いているらしいんですけれども、じゃぁあのセミの鳴き声は、セミ自身には全然違う風に聞こえているのかな?と、随分不思議に感じた記憶があります。 実際のところ、お互い他の種類のせみの鳴き声は(周波数が違ったりして)聞こえないんでしょうかね、どうなんでしょう? あと、虫とか、普通どうやって仲間を見分けているのか、素朴に不思議に思います。違う種類の虫とかと、お互い勘違いしたりはしないんでしょうか?脳みそも小さそうなのに(というか、脳みそあるのかな。何か分からないけどそれに相当するようなものはやっぱりあるんでしょうね)、生き物って大したものだなと思います。 by まつお 静けさや 岩にしみいる 蝉の音 という芭蕉の句がありますね。 あれは、芭蕉が見た景色だけ詠ってるのか? 蝉の音って言ってるし、岩に静けさか、蝉の音が入ってるよね。 よくわかんないね、感じる主体が。 基本的に、僕は思うけど、蝉が考えたり考えなかったりは、人間にはわかんないかも。 自分にとって、蝉の出す音がどう言う意味を持つかが、僕は大事で、、 ミントさんは、違う見解を持ってるようで。 しかし、本能と感情って、分けたのは、科学であって、一応、僕も、生きる都合上、科学の考えにのっとってるときもあるし、でも、あんまり分けすぎるのも、まずい気がする、、あくまで僕の考えだけど。 by 石川和広 >ミントさん 調べればわかることは、あるていど自分で調べたほうがいいと思います。蝉は夏だけに鳴くとは限りません。チッチゼミやハルゼミは春に鳴きます。あと、蝉のメスは鳴きません。鳴くのはオスだけです。ということから、蝉がどうして鳴くのか、想像してみて下さい、ミントさん、想像できなかったら調べたらいいかと思います。 >石川さん 芭蕉の句は正しくは「閑さや岩にしみ入蝉の声」です。「しずけさ」ではなく「しずかさ」、「蝉の音」ではなく「蝉の声」。解釈は自由ですけれども。 >まつおさん まつおさんのご意見が私には面白くて、そういやバッタの耳が足にあるのは知っているがセミの耳は果たしてどこにあるのだろうか、とネットを調べたら、セミの耳は腹部にあるのだそう。腹にある腹弁という膜が人間の鼓膜の役割をするそうです。ところで、セミの声は羽をこすることによって出るのだけれど、ただ羽でこするだけでは音が小さい。腹部に共鳴させることによってでかい声になります。とゆーことは、人間で言うなら耳と口がものすごく近くにある、というような感じなのでしょーか?(ちょっと違う気もする) と書いてから、記憶違いのような気がして、今度は図鑑で調べました。上記を訂正です。 蝉は羽で音を出すのではありませんでした、まさしく「腹」で音を出しているのでした。蝉のオスの腹部には音を出すための筋肉があって、その筋肉で音を出し、腹の中で共鳴させるのだそうです。今度こそはまちがってないことを祈ります。とゆーか、まちがったこと書いてすみません。 by 佐々宝砂 参照先不明 ううっ、三日ほどアクセスしないうちに、絡みたい発言がぁっ。いっぱいぃっ。 長文になります。 372の一番絞りさんの発言にポイントを入れた。が、実はものすごく迷ったのだ。というのも最後の一行が。嫌だ。嫌な文が含まれている発言にポイントを入れるのも変な話だ。しかし、その部分以外の大意は大賛成なのに、一番絞りさんの意見への批判が多く、せっかくの一番絞りさんの問題提起に応えている人がいない気がする。(奥主さんが378へのコメントを書いているが。先越されて悔しい。なまじT-THEATERで奥主さんと一緒に活動することが多いので、似た意見を書くとつるんでいるみたいですげー嫌なんだが。ちくしょー。しかし、奥主さんだけに言わせておくのも悔しいんで、書く。それに奥主さんがコメントした一番絞りさんの378は他者への非難が強くて私は嫌いだ。)372は最後の一行がなかったらまったく迷わずにポイントを入れていたと思う。 議論が進むうちに話が逸れていって、ミントさんと山田せばすちゃんさんの最初のやりとりについて、一番絞りさんが指摘していたことが、紛れて見えづらくなっている気がするので、改めて引用する。 >なんつーかそのう、小さな疑問からはじまった豊かな(稚拙であろうと、未熟であろうと当事者にとっては過程として豊かである)議論の輪ってものが答えをだれかに簡単に出されることによって、とても小さな結論に縮こまって終わるということがよくある。ミントさんの小さな自問はだれにとっても違ったかたちで芽生えているものだし (以上、372の一番絞りさんの発言より) 「結論を言ったわけではない」というのは、せばすちゃんさん自身から反論が出ていて、ま、その反論は間違っちゃいないと思うので、そこはともかくとして。 「稚拙であろうと、未熟であろうと当事者にとっては過程として豊かである」って部分、重要じゃねーかい? 正直言って、ミントさんの353発言、私は稚拙だと思うよ、悪いけど。山田せばすちゃんさんが言った、「自分で考えなよ」という354発言、間違っちゃいないとは思うよ。 でもさ、「自分で考えなよ」って、わざわざ言うほどのことかしらん? 当たり前すぎることじゃねーか。せばすちゃんさんは敢えて当たり前のことを言うほど親切なんだろうけれど、んでも、真面目に悩んでいる時に、正論言われてしまったら、どうすりゃいいんだい? ミントさんは355であっさり反省してしまっているけれど、いいの? ほんとにそれでいいの? (「いいの?」ってゆーのはミントさんに向けてと言うより、「書く」ことの意味で悩んでいる人に向けて言っているんだけどさ。) 「書く」ってことへの疑問、何故書くことに執着するのか、自分を疑う気持ち、書くことで何を求めているのか、ミントさんの353発言は、ほんとに根本的な問題だし、それを素直に表明したミントさんの発言に、せばすちゃんさんが書いた返事は、やっぱり、何度読み返しても、「答えを書くつもりではなかった」というせばすちゃんさんの意図を外れて、 >詩を書くということについて正しいとか正しくないはあるか。 衝動が起きる。衝動が文字を打ち込ませる。 (353のミントさんの発言より) などの問題提起を、「自分で考えるべき問題」と言うことで、中断させてしまったと思う。 それでいーのか? ほんとにいーのか? いや、自分で考えるべき問題を、人に相談するのは未熟だよ。だけどさ、未熟がいけないかい? 未熟な人間の集まりで成り立っている場所としてここを使ったらいけないかい? 人と話す(答えを貰うんじゃないよ)ことから、改めて自分で見つけるもの、けっこうあるんじゃないかい? 私は未熟だ。すぐにみぃみぃ泣く。自分に自信がない。その癖、感じの良い謙虚な文章で論を述べることもできない。ある場所(現代詩フォーラムではない)に朗読会の感想を書いた末尾に、「文章が硬くて読みづらい(一見エラソー)なのは、批評文を書くときの私の癖なので、お許し願いたい。高みからものを言う心算はなく、精確に記述したいとの想いからである。」と書いたら、「もし悪癖だとお考えなら是非直していただきたい。不愉快きわまりない。」という抗議を貰った。 だけど思うのだ。私がこのように存在する以上、それを非難する人がいても仕方がない、と。 by 白糸雅樹 もう一つ書きたいことがあるのだが、論がぶれないよう発言を分けます。 「大嫌い」と言われたらかなしい、と書けるひとが羨ましい。 「ナニ書いても否定されるような悪意の支配する様な場所に、罵詈雑言浴びながら自分でも何を書いたんだか分からん様なモノを書きつづけられるのか、と言われたらオレはどうだろう。一寸すくんでしまうな。」とあっさり書けるひとが羨ましい。 いや、私だって嫌われたらかなしいよ。しんどいよ。 否定されるような場所で、自分で「分からん様なモノ」を書きつづけるとしたら、一寸どころじゃなくてすくむよ。 時には傷ついて、公衆の前でみぃみぃ泣き叫ぶくらい、しんどいと思う。 んでも、もっと怖いのは黙殺されること。 そして、黙殺までいかなくても、日々、私がしんどく感じていることは、適当に誉められることだ。「まぁいいんじゃないの」と。その程度のレベルだと認識されているのだと思う。 以前、私はT-THEATERのパンフのプロフィールに、「ヴァイオリン弾き、歌人、詩人、朗読人を目指して修業中」と書いていた。それは、私がやっていることが、まだプロレベルではないということがよく判っているので、その引け目からだ。 だけど、ある時期から、それは止めようと思った。アマチュアだと自ら公言することで、手加減を期待するのは嫌だから。手加減した批評しか貰えないのはつらいから。 いまでも、自分の創作物のレベルの低さに忸怩たるものはある。それでも、自分がその程度だということも含めて、プロなみの批判に晒されたい、と思う。 by 白糸雅樹 参照先不明 どこかで何か私に関わる問題が起きているけど、めんどくさいというか、何がなんだかわからないのでたいへん困る。私は策略に与していないし、ギルド出身(笑)だからってフリーメーソンじゃないので陰謀計画も練ってはいない。私、偽悪趣味はあるものの生真面目な清く正しきプロテスタント(もっとも最近かなり信仰の危機ではある、真面目な話、信仰を放棄するかもしれない)。酒抱えてたって飲んではいけない場所なら飲まない。仕事中ならまして飲まない。なにしろ駅のホームの禁煙すら破ったことはないのだ。つまり私は、書籍販売中に禁酒禁煙の場所で酒飲んだりはぜーーーーーーーったいにしねえぞ、ゴラァ(^_-) と誰に向けたんだかわからん台詞はこのへんで終わりにして、 >白糸さん せばさんの大根切りは基本的にレスなしでいこうという場所だから、批評しましょスレに書いたらどうかなあ、とも思うけど、そもそも問題の※さんの作品が批評受け付けない「未詩」に投稿されたものなので、いまはあれ、さわらないほうがいいかも………です。 by 佐々宝砂 こばにゃ、ふぃおさん。 袂って、てぬぐいとか、ちょっと入れておくのに便利ですよね。(あれ、なんかふぃおさんの袂評価からずれた。。。。) あと、メモとかペンとか、帯に挟めるし。私、着物を自分で着られないので、せめて今年こそ浴衣着て練習したいって思ってます。でもまだ一度も着てないのよー。しくしく。着てくと、着崩れた時に自分で直せないから、誰か直してくれる人がいる場所じゃないとだめなんだもの。 浴衣で自転車、いいなぁ。うち、駅から遠くて自転車なので、余計着物着づらいの。以前、親に、「着物で自転車に乗りたいので袴買ってくれ」って頼んだら、「着物がもったいない。自転車なんてとんでもない」ってえらく怒られてしまいました。えーん。 普段、私、ロングスカートで自転車に乗っている(ついでに、薄い、布の量の多いスカートで、車輪に巻きこんで転んだこともある(爆))ので、着物で自転車、それより安全じゃないかぁ、って思うんだけれどね。ああ、大正時代にもどりたい。。。。(笑) んでもって、第四次新思潮に首突っ込みたいにゃぁ。にゃぁにゃぁ。 by 白糸雅樹 片野晃司さん。 >>外で会ったらこつん! くらいでは済まさなくなるぞ。(ボルカの「低劣な詩論で詩批評するな」発言に対するわたしのスレ) >一番絞りさん、あなたが子供か大人かは存じませんが、世の中、書いてはいけないことがあることを >勉強したほうがいいでしょう。 だれかに向かって批評するな、と強制するのも書いてはいけないことざんしょ。 別に「こつん!」というのは直接的物理的暴力のことではないよ。 人間てのは相手の目を見て話さなければ成らんことがあると言っているだけ。 相手の目をちゃんと見て話もできないことを、掲示板上で書いても卑怯だし、 しょうがない そいうことを言っていることがわからんかね。 ま、〈世間〉では「こつん!」から暴力を連想するかもしれないが、そうではないことを 断っておく。 by 一番絞り >433 だぁからぁ〜、 わかりませんか? 「低劣な詩論で批評するな」と強制するような発言がまかり通ってるから 相手の目をみて言えないような事は言うなよてことです。 掲示板だから気をつけろということですよ、わたしも。 同じ意見ですよ。 わたしの罵詈雑言については、これはちょっと気をつけるように しましょう。 別に音をたてないオナラが高級だとも思ってませんが、 そういうオナラをするように我慢して「勉強」しましょう。 by 一番絞り もともと鬱病っぽかったのが悪化してはや3年。一時期は薬がてんこもりの10種類近くだったのが、いまや2種類になった。鬱病って治るのねという感慨を抱いて喜んでいたのもつかのま、ずいぶんマトモになってきた頭で考えてみれば、鬱病悪化したのそもそも誰のせいだよー。をーい。少なくとも3年間、私は怒ることもできなかったのだ。それほど私は弱気になっていたし、うんざりもしていた。でも私は謝罪を要求しない。私自身も知らぬうちに人を傷付けまくっているのだろうから。今回のポエケ飲酒疑惑でも、私は謝罪を要求したりしたくなかった。私自身は、要求していない。 なんて書くと片野さんに迷惑だと思う。別な場所の話だし。なので、 sage by 佐々宝砂 >>438 汰介という名前の人からは、何か問題のあるようなことをされてはいません…… 三年前に、汰介さんが別な名前を持っていたとしたら、また話は別ですけど、 ま昔話ですから、蒸し返すのはやめます。昔話をした私が悪いのです。 by 佐々宝砂 権威になりたいって気持ちがあるんだよなあ、俺。笑 でも、おんなじくらい権威になんかなりたかない、って気持ちもある。 自分の及び知らぬところで勝手にけなされるのはまあ許せるけど、 聞いてもまともに論理を教えちゃくれないような中傷を受ける、それはなんか許せん。 だって俺は俺だもん。 俺の論理でやってんだもん。 けなしてもいいけど、俺を不快にするならちゃんと俺を論破してからにしてよ。 せめて納得させるとか、理解させるとかさ。 みたいなことを、最近なんとなく考えてる。 by れつら 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 >>495 自分なりの意味を、捉え方をつめこみすぎて、相手が捉えにくくなる事もあると思うんです。閉じ込めていって、何か対象を、封じ込めて、しまう危険もあるし、感じのように、 色んなものや人や世界の動きを形にすることによって、膨らんでゆくこともあると思います。 とにかく、言葉の読みは、まず、自分なりの捉え方が第一だと思いますが、そのことを発語する時には、読みの複数性にさらされる覚悟もいります。 自分を大切にするには、そのことも必要なんですが、それの覚悟がないときもあります 自分の直感から、伸ばしていって、それをなるべく固くしないことかな。そうしないと 言葉は、育ちにくくなるかなあと。 言葉に関しては、正解はないにしても、お互いが、如何に、一緒の地面に立てているかを確かめないと、人間の感覚は、奔放でもありますから、地を荒らしていくこともありうるでしょうか? by 石川和広 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 >>511 あざれあさん、はじめまして。 「差異」は、確かに重要な概念ですよね。なぜかこれまで名前が出ていませんが、有名どころの哲学者では、やはりドゥルーズの名が挙がるのではないかと思います。 生物も含めて論じたものとしては、ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー」(河出書房新社、宇野邦一他訳、1994年)中の、「1837年−リトルネロについて」という章があります。私はきっちり生物学をやったことはないので、引証の仕方とか、正確さについては判じかねますが。 ここでは、カオス(環境の中間状態)からリズムが発生し、リズムがある行為(署名とか芸術とか呼ばれている)によって「表現」としての質を与えられた際に、その編成(アレンジメント)としての「テリトリー」が成立する、というような記述から話が始まっています。テリトリー(同じ種の中の自他の境界線のようなものでしょうか)というのは恐らく意味の原初形態でしょうから、発想としては、差異から意味が発生する、というような発想なのでしょうね。 これ以降も、この「テリトリー」を編成する内外のアレンジメントがどのように展開して、人物とか風景、スタイル、エートス、種の分化、労働(職業)、儀式や宗教、「生まれ故郷」(理念とか目標でしょうか)、等々の、各種の生物行動的・文化的事象の発生に繋がるのかを跡付けています。最終的には、創造としての芸術論にも話が及んでいるようです。 一種の「おはなし」というか概念地図なのですが、差異を根底において、リズムとテリトリーとかの観点からこういった諸々の事象を見るというのは、普通しないように思いますので、それなりに興味深いものかなと私は思っています。 参考に若干引用しますと、「差異」については、「差異を最も一般的な形で述べるならば、だいたい次のように言いあらわすことができるだろう。つまり一方に地層化されたシステムと地層化のシステムがあり、もう一方に存立性をもち、自己存立する集合がある、その両者のあいだに確立されるものが差異なのだ、と」(前掲書386頁)などと書かれています。 或いは「意味」の成立に関係すると思われる記述としては、 「領土とは、まさに一つの行為であり、この行為がすべての環境とリズムを触発して「領土化」をおこなうのだ・・・厳密にいえば、環境の成分が方向を指示するのをやめて、次元を指示するようになったとき、また機能的ではなく表現的になったとき、領土が生まれるのだ・・・こうした生成変化、こうした出現を、<芸術>と名づけることができるだろうか」(同書363-5頁) なとどあります。 ベルクソンの影響を随分と受けた哲学者だったそうなので、それなりに科学的事象についても解釈の対象に取り込んでいて、古典哲学とは一風違うものとなっているようです。表面的に目立つ部分が多いので、きちんと読み込めている例は少ないようですが、科学等をきっちりやっていらっしゃる方なら、そういった部分に惑わされずに読めるのかな、などと思います。 なお、より普通の哲学書としては、ドゥルーズの単独著書として、「差異と反復」という著作もあり、こちらも有名のようです(邦訳は同じ出版社から)。 by もぐもぐ 参照先不明 参照先不明 参照先不明 うつ病のテレビコマーシャル、あれは、やだね。 大変でしたね、とか言う医者、僕の知る範囲ではいないよ。 内科行って、「糖尿大変ですね」とか云わないのと一緒かな?! でも、ああいう風にしないと、医者に行かないのかな? ただ、精神科医で、きちんとした人は、山ほど病気見てるから、 ちゃんと問診することが、先だろうなと思う。 暴論かな? by 石川和広 >>527 私はほとんどテレビをみないのでそのコマーシャルは知らないんだけど、 「つらかったでしょう」とは医者に言われたことあります。 5つくらい神経科やら精神科やら心療内科やらにかかって、そのうちふたつでは 「つらかったでしょう」というたぐいのことを言われました。 もちろん、きちんと問診をしたあとの話ですけどね。 ちなみに私は15年越し精神病であります。三年ほど前に悪化し鬱病と診断されました。 パニック障害もありましたし、みごとに不眠で食欲性欲なしで、下痢と便秘の 繰り返しでどこどこ痩せました。ダイエットの必要なしです(笑 病名がついてからだんだん治ってきて、一時期は袋にてんこもりだった薬も、 いまはわずか二種類になりました。 鬱病っぽいなら医者に行った方がよいということ、鬱病が治る、ということだけは 宣伝したほうがよいように思います。 by 佐々宝砂 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 >>541 500書いたら誰でも上手になるってそれってかなり乱暴だな(苦笑) ミントさんがそうだって言うつもりは毛頭ないけれど、吟味した500と書き飛ばした500じゃ全然違うだろうし、もし、とりあえず500書かなくちゃ、とかなんとかそういうわけのわかんない強迫観念に駆られて書いたとしたら、そんなんで詩が上手になるような気は全然しないぞ、俺は。 上手くなったかどうかはわかりませんって書いてるけど、そのあとに自作についてご自分なりに分析や反省があるのだから、そういう風に思える分は上手になっていかれるのでしょう、きっと。 ご健闘をお祈りいたします。 by 山田せばすちゃん ためいきさん、はじめまして。 僕は、あざれあさんの発言は死刑宣告に感じられませんでした。それぐらいで死んでたら奥主さんに限らず、とっくに物書きは絶滅してるでしょう(笑) 僕は、奥主さんの文を芸と呼びました。しかも本人の云うように、そこには、必死のものがある。しかし、また視点を変えてみれば、実存文学としては、かなり出し惜しみの多い文だと思う。 僕は、あざれあさんのような発言は、批判であり、痛烈な励ましだと感じた。 by 石川和広 >>556 御意見拝聴。そうですね、どちらにもスタンスがあるからね. 「物書き」、うーん、今疲れてるので、休ませてください。ためいきさんも、一緒に考えてね。ぼくも、思わず書いたので。すんませんな。ではまた。 by 石川和広 さっきまで割と元気だったのですが、ネットのあちこち見てたら元気をなくしました(笑)。別に誰のせいでもないですよ。つーかたぶん、私自身のせいです。などと考えてしまうのは鬱のひとつの症状に間違いなく、だから私はさきほど抗鬱剤を飲みました。こういう意識の流れは、私にとってかなりよろしくないのです。 奥主さんののろけ話に何らかの意味があろうとなかろうと、譲れないものがあろうとなかろうと、それはこの場において一服の清涼剤です。少し離れた場所から、読者を応援するような面もある。実際に何を言わんとして書いたものなのかは、私にはわかりません。ただ、読者にある種の快楽を与えるものではあり、そういう意味で、読者の気分をいやーな鬱にする文章よりも好ましく思われます。付け加えておきますが、文を読むことが原因の鬱には、いやーなのと気持ちいいのとあります。 by 佐々宝砂 こんにちは ためいきさん そうですかね? 一番絞りさんは、誰かを落として、誰かを持ち上げる。 奥主さんのスタンスには、大事なものがあり、ぼくは、それを芸と見て、別枠連載の提案もしました。 持ち味が でてないんじゃないかというのが、あざれあさんの考えで、ぼくは、それに、ああそうかと思い書いたら、あなたが、物かきって何?と聞いてきました。 僕は長らく考えてなかったので、休ませてほしいと云ったし、疲れてもいました。 それと、雑談だから、そうでしょうねとかは、ありなセリフだと思う。 ぞんざいに聴こえたかも知らないけど、私は、あなたの問題意識がわからんかったから、 スルーのつもりで、休ませてといい返事しました。 ぼくが、一番絞りさんに、突っ込む?のは、彼が、ああいえばこういうで、ひどいことをいい、お互いを尊重できにくい状況をつくるからです。 ぼくは、疲れていたし、今も物書きについて、考えるのもまとまりません。 それと、少し、あなたも考えてください。人に答えを求めようとしかけています。でも、物かきって、自問自答するものと思うし、考えるその営みが、その人を、書く人へと否応なく駆り立てる。しかし、書いて自分で捨てる人もいるでしょう。カフカは死ぬとき、未発表原稿を燃やしてくれと友だちに、云ったが、友だちは残したので、今のカフカ作品の多くが日の目を見、文学に多大な影響を与えました。 自意識の中に知らないうちにかどうか、他者と同じ地平に立ちたいと思い、あるいは、何故か、見せたくなるのです。私の場合。他者に託したカフカも他者にゆだねたわけです。 だから、物書きの像という言い方が、私には、わかりません。営みそのものを指す名辞だと仮定してみましょうか。 とりあえず、そう雑談で,とりとめなく 語りました。長い? by 石川和広 >一番絞りさんは、誰かを落として、誰かを持ち上げる。 石川さん、もういい加減、こんなコトバ遊びはやめなさいな。大人気ない。 よく目を見開いてください。あなたがやってることでしょう? ここで。 わたしを落として、奥主さんを持ち上げているじゃないですか。 上のようなことを言うのなら、まず、あなたが、わたしとの関連で奥主さんを 持ち上げるのようなことをしては(しかも言った尻から!) 説得力(これもだれかさんの常套句だが)ないですよ。 おたく(ら)の「倫理的な物腰で得点をかせぐやり」方は、いずれ、長いスタンスでは 疲労しますよ。 そのときのために、いまから、よーく自分を見つめなおしておくほうがいいと 思いますよ。 by 一番絞り 参照先不明 参照先不明 >>566 あたしは、誰なのかな。不愉快な思いをしたなら、そういわないと、顔が見えないので、わかりません。私は鈍感なので。 >>565 あのー私と同一人物と思われてる方、心外ですよね。 それと、お二方に、お尋ねします。おたく(ら)とか、阿吽の呼吸とか、私は、なんかの陰謀の主導者でしょうか?だとしたら、私も、大物になったものだ。 再び質問、私は誰なのかな。私は丈夫な人なのかな。 これも、言葉遊びなのかもしれないけど、 by 石川和広 >>571 一瞬、混乱しました。ドキドキしました。 今も、一安心というわけには、いきません。人を傷つけるのは、こわいです。でも、なぜか、わからないけど、誰かを傷つける。 ただ、なんだか、わからないけど、さっき、ためいきさんが、礼と云ってたけど、礼を尽くしても、つくしても、やはりそれは、他者への配慮があって、相手に、本当にわかってもらいたい、寧ろ、わかってもらえないのは、悲しいけど、それでも、僕の何かが、相手に傷を負わせても、何かを伝えたくなる時がある。 僕は、ネットに参加したのは、ここ半年くらいで、洗練された振る舞いはできません。古い方、つくられた方、の発言も、皮肉かなと思ったりすることもある。けれど、 ネットというメディアには、直接、伝わらないものもあるし、善し悪しもあるからこそ、ネット歴の長い方は、一見、婉曲的にも取れる話法で、伝えたりするのかなと、 逆に、ある仕方で、私的な事柄を書く人もいます。 私は、対面での合評や、詩の会の経験しかないので、逆に、野蛮に見えることもあるかも。だから、乱暴な言葉は、知らない者同士で使うと、合評とかで喧嘩に生るから、気を使います。でも、そればかりだったら、まずいので、言葉遣いは、そのままで、戦う時もありました。伝えたいこともあるので。 書き手の礼の問題から外れたかもしれないし、一瞬、ここをやめようとも、おもったけど、思ったより体がきついので、外に出るのは。やりたいなとは思う。 ネットに慣れられるかはわからないけど、緊張するし。 by 石川和広 参照先不明 参照先不明 参照先不明 >539 >538 今更。自分への戒めにしても中傷のようでひどいので削除しました。 by 山内緋呂子 参照先不明 参照先不明 オリンピックは嫌いじゃないけど、 テレビ付けるとどこもかしこもオリンピックなのは嫌い。 いっそのこと、オリンピック専用チャンネル作って欲しい。 オリンピックだけ流すチャンネル。もちろん4年に1度だけ放映(笑)。 by いとう 参照先不明 いつも「退会しなくても。。。」と思いつつ見送るんですが。 でも、退会することが節目になって決意とか飛躍につながっていくのならいいんじゃないかな、と思ったり。 。。。って、退会すると消えてしまう>>614へのコメントでした。 まあでも、そんなに大げさに考えなくても、またいつでも気楽に遊びに来ていただけたらうれしいです。 by 片野晃司 管理人である片野さんへ申し入れます。 最近、気がついたのですが「ためいき」さんが、わたし(一番絞り)を「ドジ」氏と同一人物であるかのように発言されています。 しかし、わたしは「ドジ」氏とは知り合いですが、同一人物ではありません。 「ためいき」さんはわたしが二重ハンドルを使っていると誹謗したことになります。 この手の誹謗中傷に対してわたしが取る手はただひとつしかありません。憶測や状況証拠にもとづく誤解をめぐって 延々と中身のないやりとりがつづくのを回避し、早急にこの手の悪辣な誹謗に対処するには、「ドジ」氏にお願いして それによって、両者が間違いなく同一人物ではないと確認できる、わたしと「ドジ」氏の具体的実際的なプロフィールをここに公開することです。 「ドジ」氏に相談しましたが、快く了解してくれました。 さて、用意が整ったので申し上げます。 わたしはyahoo BB のADSLを使っています。ドジ氏は関西電力系のeo64です。 もちろん、ブロバイダーも通信機器も通信速度も違います。 ドジ氏とわたしとは同じ大阪の同じ区に住んでますが一キロ近く離れています。 わたしは天下茶屋。ドジ氏は北開です。 わたしの頭文字は「横」が付きます。文学学校でも有名人であるドジ氏の頭文字は「岩」です。 「岩」と聞けば、知る人はああ、あの、ということになるでしょう。 年齢は一歳違いです。 ともに文学学校で学んだことがあるだけです。 ふたりが契約したブロバイダーの両会社の契約者名や住所年齢電話番号が違うことを、わたしがあなたにこれから送る私信に書かれた個人情報をもとにyahooとK-オプティコムに確認して下されば、早いのです。 もっとも、ここまで真摯に情報を公開して、わたしが「ドジ」氏でないことを言い募っても、わたしがだれかと結託して 「おまえのパソコンをおれが使っていたことにしてくれ」と口裏を合わせれば、結局、どうにでも誤魔化せることではあります。 (よほどの親友でもむづかしいでしょうが)(しかし、片野さんはID情報が見れるはずだから、その辺は確認できるはずですが...) 結局、このような掲示板でだれかを捕まえて「二重ハンドル」だと憶測や状況から指摘することは 証明不可能なことを承知でだれかを貶めることにしかならないわけです。 懸命な片野さんならそれぐらにのことはおわかりになると思います。また、掲示板の管理人としてはそのような 証明不可能なデマを振りまくことを厳にきびしく指導するのが当然だと思います。 いかがお考えでしょうか? なを、両者が同一人物でないことが証明された場合は当然のことながら「ためいき」さんへ慰謝料等の損害賠償請求ということも「ドジ」氏に協力していただいた以上、 仕方ないということになります。 その場合はよろしくご協力下さいますようお願い申し上げます。 566]ためいき[2004 08/21 18:21] >>565 ああ、一番絞りさんだ。名前を変えてまでの長いお芝居ご 苦労さまでした。意識的か無意識的か、阿吽の呼吸、なかなか見ご たえありましたよ。 思ったほどご本尊の権威化がうまくいかなかったのか、残業です か(笑)どうせ大阪の文学学校に関与しているなら、長谷川龍生さ んあたりにご本尊の原稿に一筆貰って、それを錦の御旗に乗り込ん でくればずっと効果的だったのに。 568]ためいき[2004 08/21 18:43] >>567 汰介さん 違いますよ。ドジさんです。 by 一番絞り 参照先不明 >ボルカさん 僕はカフカは装幀から駄目で読まなかった。 エズミさんのいうように、あの人のくちずさむフレーズは光るな。滑るときはあるけども あの人はカットの重ね方がすごい。しかし、あくまで長大にしたいのは彼が歴史を書きたいからかも知れない。あの人は特有のひっかかりをかなり執拗に追っている。なんか批評みたい。でも、彼はあくまで鑑賞させたくて批評的介入は拒んでる気がするし、江藤淳もあの人には激怒してたな。自分が書き始めるとあんなゴリゴリ書けないって、怖いし。春樹氏の妄念は長大な叙事詩みたい、ノリト? by 石川和広 参照先不明 > 石川さん いやもう「母性」にはやられっぱなしですよ(笑) わたしは「女には母性が備わっている」という言説を ぜんぜん信じていないのですが しかし 母と自分との関わり 母になった妹や友人たちとの関わり 30代半ばにして母にならない自分との関わり あるのかどうかわからない自分の「母性」が 圧迫されたままゆがんで他者に悪い形で関わるのではないか という杞憂のような恐怖 とかには やれやれ(by 春樹)と思います もう「母性」という言葉が適当に使われてる と感じた時点で ぜったい じゃあそもそも括弧つき〈母〉ってなにさ って思っちゃうしねー 男は〈母〉になっちゃいかんのかい? そんなことあるめぇ とか 括弧つき〈父〉である母親だっているだろーし...... すみません 酒も入って まったくよろしくない反応です ちょっと考え直してみます...... by 田代深子 正直全然関係ない話で恐縮ですが、自転車乗ってたら轢かれました。軽傷でしたけど。 by ピッピ 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 みなさん、聞いてください。 ほんとうのことをいうと、わたしは人のことはどーでもいいエゴな人間です。 世の中のことも何一つ真剣に憂いてはいない。 三島由紀夫なんてね、どーしてあそこまで日本国のことを憂いできたのか、ほとほと感心する。 あるいは連合赤軍。どうしてあそこまで世界のことを憂いて行動できたのか。 戦争も平和も関係ない。わたしの目的はただひとつ。金とオンナ。 これはしょーじきな気持ちです。 貧乏人を援けたいなんて露ほども思わない。障害者の手助けをしょうとも思わない。 差別と闘おうとも思わない。他人が死のうが苦しもうがへー気です。 これはほんと、不思議なくらいに他人の苦しみになんの痛痒も感じない。 でだ、いくらなんでもここで書き止めれば人非人丸出しだ。 たとえそうだとしても 人は、いくらんなんでもそれなりの見栄というものもある。 もんだいは、金とオンナというわたしの唯一の目的と世界平和、反差別、戦争反対が結びつけばよい。 だれかそのような理論を展開してみせてくれんかね。 そうすれば人非人のわたしもすくわれるというものだが。 by 一番絞り 参照先不明 参照先不明 参照先不明 一番絞りさん、お久しぶりー。と思ったら、帰っちゃうんか(^^;) 僕は以前加藤さんのアレントの読み変えは素敵だと思った。。 なかなか己自身のもうデタラメな欲から、彼は、私利私欲ていうたけど、そっから公的なものを考えるって、僕は目からウロコだったな。正直おお、これでいいのだみたいな、勇気づけられた… オレも何か云うてええねんみたいな、ウルフルズ状態。 だけど実際大変さ。あの方昔国会図書館務め、めちゃ本読んでるしなあ。文難しい時あるし。奥主さんも難しい皮肉あるしなあ。あんたも。僕は皮肉下手やで。 by 石川和広 参照先不明 参照先不明 ワタナbシンゴさん!ゴンシbナタワさんになって帰ってきてぃやんの!わらうの!こんにちはありがとうございました。 by 山内緋呂子 汰介さんの発言で自分に書き落としがあったなと思って そう。見落としかけてた、ことは、日本がテロルの危険に完全に晒されきった。これは、国益とか以前に、というか僕らの命に関わること。マジでヤバイ。僕としても死者に対しては、肯定も否定もできん。 テロリストたちは、憎しみの連鎖の中で、自殺も辞さないほど決意が固い。そして多分それを食い者にする武器商人は繁盛する。アメリカが殺すほど、相手は自分達を殺そうとするアメリカや同盟の日本の部隊への憎しみは更に… 撤退も何も…当然の事は暮らしと生を破壊する事が憎悪の火種… by 石川和広 追記。ボルカさんにも答えておく意味で。僕は、批判や違いを明確にする作業は大事だと考えます。自分の学んだり生きた事から話すのがまず始め。世の中を嘆くなら毎日山ほどやれるしどこの媒体でもやってるし。でも、それらを聞いては元気がなくなるばかり。まずテロルをずっと内在してきた、この国の歴史がある。それが僕の内在する日常性だと今考えてる。それへの落ち着いた感度を育てるにはリアルタイムに振り回され過ぎるとマズイ気する。僕は本ばかりだが紹介。加藤典洋「日本の無思想」飯島洋一「ミシマからオウムへ」片岡義男「日本語の外へ」 by 石川和広 参照先不明 参照先不明 参照先不明 >>810 >ちょっとアメリカの、自分の国が持たないものへのジェラシーを感じてしまいます ご存知かもしれませんが、 太平洋戦争で古都、京都が空襲を逃れることができたのは歴史ある美しい町並みを破壊することを 米国の学者が強く反対したからだという〈神話〉がまことしとやかに伝えられていますが、事実はそうじゃなかったみたいですね。 広島・長崎への原爆投下までには、いかにもアングロサクソンらしい徹底した用意周到さがあったわけで、まず、 「原爆投下目標選定委員会」なるものが開かれている。 その選定委員会とそれにつづく科学者や軍高官、陸軍大臣などの暫定委員会で満場一致で採択された投下候補地の 一番に選ばれたのが京都でした。 http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/gennbakutoukaiinnkai.htm 上記のURLの記述はかなりおおまかで、他の資料とは食い違いもありますが、おおむね、 京都以外には広島・小倉・新潟の各都市が候補だったといわれています。 で、そのためにさまざまなテストをしなければならない。いわゆる「模擬原爆」パンプキンの投下テストです。 そのため統合作戦本部は四都市へのあらゆる爆撃、攻撃を禁止し、よって、これらの都市は空襲に会わなかった。 というのが真相のようです。 さまざまな資料によると京都への原爆投下は必至だったようですが、一説によるとスチムソン陸軍大臣と 統合作戦本部との確執の結果、京都は原爆投下をまぬがれたといわれています。 by 一番絞り 参照先不明 今日前働いてた心身障害者施設のメンバーのおっちゃんが結婚したという知らせが来ました。長い間ひとりぼっちだった。人から馬鹿にされたり障害者の知友と葛藤したり。僕は職員だった時発作が元でなくなった方がいて列席して話したり。 僕はひとりになれてるか怪しいけど、ひとりぼっちから、出てくる中で自己とのそして社会との葛藤にさいなまれるトバ口か渦中にあります。 そこで差別か他者との妥当な距離からくる言葉かわからない言葉も出てしまう時もある。しかし他に普通に助けられて自己を知ることも多い。その意味で共同性といいました。 by 石川和広 参照先不明 参照先不明 >共同性少し固い表現なんで、つながりと付けました。 >友達や恋の気持、思い出大切なものの事です。 石川さん、ありがとう。 わたし、鈍いもので、このことばが孤独なわたしを心配してくれて 語っていることばだと、いまやっと気がつきました。 大切な友達や思い出、そういうものは大切だと仰っているのだと思います。 姿のみえない掲示板でなにをいっても信用してもらえないかもしれませんが そういう人やものなら、ほんのすこし、このわたしにもあります。 というか、女の人にはよくモテます。 年下のかわいい女性から熟年の金持ちの有閑マダムまで。 信用できないでしょうけどね。こんな怒りんぼうがと。(笑) でも、だめなんですね。続かない。 こないだも若い女の子から小雨の降るなかビニールの雨傘の柄が折れるまで 公衆の面前で頭や背を叩かれました。 わたしはじっと叩かれていました。そして、彼女の怒りがおさまるのを待って 自転車の後ろに乗せて家まで送ってやりました。 この子は過食、不眠、人格障害、「ひきこもり」などの複合症で精神病院に通っていましたが やっと薬中毒の桎梏から開放させたばかりでした。 それこそ死ぬ気で付き合っていました。 余計なことですが、セックスはしておりません。 今朝の早朝の某テレビ局でこの女性の特集をやっていたのでご存知かもしれませんが ある映画の主演をして、やっと立ち直りました。 その上映会のあとでわたしに結婚してくれといってきました。 わたしはこれで彼女が完全に回復したなと確認しました。 もうわたしは必要ないと。 その上で、いままで我慢していたうらみつらみ、怒りをぶっつけて出入り停止にしました。 自分を殺して徹底的にやさしくつくすけれど、相手が立ち直ったら ぼろくそに批判して、てめーがどういう人間か思い知らす口です。 金持ちの有閑マダムも旦那がいるのに通ってきますが門前払いします。 他人からみれば、もったいないほどの女性ですが...。 どういうわけか、わたしは結局、女性に限らず友達を冷たく拒絶してしまいます。 相手が立ち直るまでは一所懸命つくすのですけどね。 もう大丈夫となると、きちっと線を引く。 こんなそんなで、わたしはいつもひとりですけど、 案外、こころのなかでは「よくやっているな」と自己採点して満足している部分もあります。 ふふふ。ちょっとカッコいいこと書きすぎましたかね。 でも、すべてほんとうのことです。 >>834 風さん、ご指摘ありがとうございます。 そうですね、かなり不適切な発言でした。 気分を害した方がおられましたら謝罪します。 すみません。 by 一番絞り >>835 あら、一番絞りさんて、やっぱりドジさんでしたね。 ??? どうして? ドジさんも彼女の共通の友人ですよ? たくさんの人たちが彼女には関わって、みなで支えてきたんです。 ま、ときどきドジさんも書き込みしているかも、ですが。 by 一番絞り しょうがない、身の潔白を証明するために [石原大介さん追悼飲み会及び生誕記念祭] にドジさんとわたし一番搾りふたりで出席することにしました。 いま、電話でドジさんの了解もとりました。 そのかわり二人の新幹線代金、ホテル代、飲み代、いままでさんざん下衆のかんぐりした方々に 分担して払ってもらいますよ。 ドジさんも久しぶりに東京に行ける(それも銀座)と、とても喜んでいます。 by 一番絞り 参照先不明 参照先不明 >>838 あれ?一番絞りさん、ドジさん、あれ?石原大介追悼及び生誕記念祭に来てくださらないのですか?あら。ぬかよろこびかしら。 >さんざんかんぐりした方に分担してもらいますよ これ?どうなんでしょう。そんなに皆様懐暖かくないですよー。ご冗談ですよね。 というより皆様大勢集まると思ってらっしゃるらしく先日も私信いただきましたが人がたくさん集まる所は苦手、という方が多いようです。少人数ですよ。ご心配なく。ご遠慮なく是非石原大介や、詩を愛する方々皆様いらしてください。 by 山内緋呂子 >金さんによると、一緒に大阪の工廠跡に鉄を掘りに行ったら >一日で穴割り(けつわり:しんどいので逃げること) >したやつだよ本当はと笑っていました。 何年か前、体力も無いのに、何を血迷ったか、 牡蠣の梱包のバイトに行って、 ラクチンだと勘違いして、思いきり肉体労働で悲惨な目に会いましたね。 一日で、逃げ帰りました。恥ずかしくてその日分の給料すら放置ですね。 まあ、関係ないですけど、こち亀を思い出しましたね。関係ないですけど。 by 汰介 参照先不明 参照先不明 まあどうでもいいんだけど、と前置きして、本当はどうでもいいわけでもないんだろうなという話をしたいと思うのですが、別に戦争とか政治とか哲学とかの話はしません。こいつわけわからんひとりごと言ってら、くらいに思ってください。なんなら読まずに捨て置いてください。それでけっこうです。 なんかこう、淋しいです。退会する人がいるということが。いや退会自体はしかたないと思うけれど、退会する人がいるとその人の発言はみんな消えちゃうので、その人の発言にレスした発言は浮いてしまいます。無意味になる、とは言い切らないけど、なんかへんなことになってしまいます。いない人に対する言葉になってしまいます。そんなこと言ってもまあ愚痴にしかならんし、退会するなとは言えんし、つまりまあともかくしかたないんで、そりゃ私とてわかってますけど、でもねえでもねえでもねえ。せっかくもらったポイントも消えちゃうし、なんてまあそんなこと言うのは私のエゴだ。わかっちゃいる、わかっちゃいるのですよ私とて。でも。 よくわかりません。 私は名前を替えません。別ハンはありますが、はっきり言って私の別ハンにはそれぞれ意味があります。別名義で書いてる私の文章は、みな、佐々宝砂の文章とは趣を変えております。趣を変えたからこそ別ハンなのですが、ここ現代詩フォーラムにおいては、そういう別ハン作品さえも佐々宝砂名義でおいてます。別ハンで登録することもできないではないでしょうけど、あえて佐々宝砂名義にしています。私は、私です。それを証明できる人はここにおりませんが、私は一度も退会せず、発言と作品をめったに削除しません。間違ってた場合や「ひでーもの投稿しちゃった」と思ったときはたまに削除しますけど、そのような場合でもレスやポイントがついてれば削除はしません。訂正するだけです。私は、でたらめに分裂した「佐々宝砂」という人間の同一性を保とうと努力しています。読者のために、ではなくて、自分のために、なのかもしれません。 よくわかりません。 Fiorinaさんは退会したり発言を削除したりしてますよね。でも名前は替えていません。雰囲気も変わりません。Fiorinaという人間の同一性は、関わりの薄い私にも感じられます。退会する気持ちも、発言を削除する気持もよくわからんのですが、名前がいつも同じなので、まだFiorinaさんは安心できる相手だなという気がします。もちろん、名前を替えると言っても、「名前を替えます」と宣言して替えるならいいんですよ、それならなんにも問題は感じない。 よくわかりません。 名前を替えると自分が変わりますか。他人の態度が変わりますか。まああるていど他人の態度は変わるのかもしれませんね、それは多少、想像ができます。誰ぞに対する私の態度だって、かつてと変わったかもしれません。もし私の態度が変わったとしたら、それは私がバカなのです。だって、名前が替わっても、人が変わったようには見えない人が多いのですから、少なくとも、私にそう思えてならないのですから。 名前を替えるなら、中身も意図的に努力して変えたらいかがかしら。あるいは、名前を替える程度で、簡単にすりかわるような薄っぺらな中身なのかしら。それとも、名前を替えることによって他人の態度が変わること、それを期待しているのかしら。 退会したり、削除したり、名前を替えますと宣言せずに退入会しなおして名前を替えたり、ああ、わからない。なぜそういうことをする必要があるんだろう。わかんない。わからない。真剣に深刻に本当にわからない。もしかしたら、単に、私がバカなのかもしれません。というか、たぶん、私はバカなのです。 でも私は、「替える」と「変える」は意味が違うっていうこと、「替える」と「変わる」はさらにさらに意味が違うっていうことを、知っています。 by 佐々宝砂 参照先不明 参照先不明 >>859 もう、ほとんど絶望的になるね。 だからね、だからさぁー、ねっ? このわたしをパッシングしろってんだよ。 わたしに星を付けた人を脅迫しないでさ。 「明快な批判」なら結構なのよ。 しかし、星を付けた無関係な人への脅迫は これは間違いなく異常でしょう? おたくおかしいと思わないの、こういうことが。 ったくもう。 おたくらって、新興宗教教徒みたく自分の思念 以外、何もみえないのかねー? わたしの文章を目をちゃんと開いて読んで見なさいな。 非常に単純明快なことを言ってるんだけどね。 それだけ頓珍漢なことをいわれるとがくっつとするよ。 何が書かれてあるか、非常にわかりやすく、簡単に書いてある。 ところがどうしてそれが読めないのか。 つくづく不思議だな。 人間て。 by 一番絞り >>853 風さん、あなたがマルクスの考え方に共鳴していることはよくわかりました。 それはそれで大切なことだということは認めます。 あなたの言うとおりのことでしょう。 さて、ちょっと一服しましょう。 その上で、聞いてくださいね。 たとえば『資本論』の[第1部:資本の生産過程第1篇:商品と貨幣第1章:商品] を仮に読んで御覧なさいな。 言っては悪いですが、こんなアホな文章をだれが読めますか? だれにでも直感的に理解できている非常に簡単な市場原理を、だれにも理解できない 非常にむつかしい書き方、言葉で書いてある。 わたしはこんなばかばかしい文章を読む人の気がしれない。 あるひとはマルクスの『資本論』のエキスは剰余価値説にあるといい またあるひとはマルクスの考え方の本質はあなたのいうように「疎外論」にあるという。 群盲象を撫でるに等しい。 そのくせマルクス自身は「わたしはマルクス主義者ではない」と言っている。 共産党からも除名されたしね。 わたしにいわせればマルクスの考え方を認めるところはひとつしかない。 ひらたく言えば、 「資本家は悪いやつだ」「資本主義は感心しない」 そう明快にいっているところだけです。わたしにはそれで十分。唯物論だのなんだの、 興味のあるひとは勝手に研究すればいいでしょうが、 マルクスの小難しい理論、たとえば剰余価値理論も、ときあかせば非常に簡単な加減乗除の 算数だ。(古典派経済学者ペティ、スチアート、カンティロン、ケネー、アダムスミス、マルサス、 リカードらの功績の上に築かれたものです) そんなものをことさらむつかしく難解に書いてある。 無理して読まなくても、じつはだれもが直感的にわかっていることだと思う。 だからこそ、たとえばあなたでも、だれでもマルクスを読んで納得することができるのです。 読んではじめて知るのではない。 もともと知っていたことを確認するにすぎません。 それがマルクスのようなかたちになるか、もっとわかりやすいかたちになるか その違いだけでしょう。 マルクスを信仰的に賛美するのは人の自由です。 わたしはそれが悪いとは思いませんが、なにか唯物論がわからなければ哲学じゃない みたいな言い方には賛成できません。 哲学というのはあなたのいうようになんらかの概念を獲得しなければできないような 特殊なものではなく 「どこのだれもが、そのままで、」(フッサール)できるものだと思っています。 by 一番絞り 私が誰のことともわからぬ発言をしているのは、その相手が退会した場合、またその人が自分の発言を削除した場合、私の発言がおかしいことになるからです。だから私は、一度退会しまた入会したとおぼしき人や、しょっちゅう発言を削除する人にたいしては、レスというかたちでの発言を控えることにしました。だから、私の発言は、本当に、特定の誰かに対するものではないのです。ここにいる、あるいはここを見る、不特定多数すべての人に対する発言であるとお考えください。この発言もまた、そういう性質のものです。 そうそう、私は言いがかりをつけません。もしかしたら間違ってつけることもあるとは思いますが、その場合でも責任はとります。もちろん相手が自殺しちゃったとか退会しちゃったとか鬱病になっちゃったとかそういう種類の事故に対しては責任はとれません。とれませんけど、そのような事故を引き起こした犯人が私であることは認める所存です。ゆえに、私は退会しないし、発言を削除しません。 もういちど念のために申し上げます。私は特定の誰かを非難しているわけではありません。あるいは、私自身を含むすべての人を批判しているのです。 by 佐々宝砂 参照先不明 ここ雑談スレには登場したかどうか覚えがないけど、ボルカさんは確かに男性でしたなあ。でもって片野さんも男性でしたし、山田せばすちゃんも男でしたなあ。まあ裸にひんむいてはいないので断言はできませんが。そいでもって風さんはどうも男性のようですよ。見てないのでよくわかりませんが。 だいたいが性別なんてふたつじゃなかろうし、偏見だと人を非難する前に勉強しなくちゃねえ、と自分では思ってます。まず、性別には4種類ありますな、 ・身体の性(肉体的性別) ・性自認(精神的性別) ・性的指向(どの性を愛するのか) ・ジェンダー(社会的性別) 佐々宝砂は、身体的性別と性自認が女性で、性的指向は両性です。ジェンダーはよくわかりません。家庭内では、共働きで、家事をまあそれなりにうまく分担しています。しかし世間は私を社会的な意味で女性として扱います。私は地区の保健委員になれますが、祭の総代になれません(面倒なので祭の総代なんてやりたくないですが)。性別なんてどっちでもええやんそんなもん、というのが私の基本的考えです。 でもってさらにさらにどーでもいい話ですが、私は可愛げのない女と可愛げのある男が好きです(この場合の性別は身体的性別ですよ念のため)。 by 佐々宝砂 具体的に申し述べたほうが、どうしても、いいようですね。 風さんは誤解しています。私は風さんのことを言ったわけではありません。 私は風さんを批判したわけではありません。 私は、スレオペをつとめておいて退会する場合のことを批判しました。 スレオペの退会と同時に、そのスレッドに書かれた発言はすべて消えます。 スレオペの退会により、退会していない人の発言も消えます。 つまり、消されたくない発言も消えてしまうわけです。 あとで読み返したいなあと思っていた文章も、消えてしまうわけです。 スレオペの場合は、あらかじめ退会を宣言してくれないと、困ります。 そういう意味で、スレオペの退会はけっこう迷惑がかかってしまうわけなのです。 (現在は片野さんの尽力により、スレオペの退会によりスレッド全体が消えることはなくなりました。システム関連2参照のこと) あざれあさんはスレオペをつとめていましたが、退会のさい、そのスレッドを アーカイブしてから退会しました。そのやりかたがまっとうだと私は思ったのです。 by 佐々宝砂 >>879 と似たような主旨のことを システム欄にも投稿してあります。 そのため片野さんはシステムを変更してくれたのです。 また、ここは雑談スレなのですから、 システムに関わる、またこの場の入退会に関わる 私の雑感を書いても悪くはないと思います。 by 佐々宝砂 その昔、ぼくはいわゆる「前衛現代音楽」に夢中だったころがある。武満徹や メシアンの死には涙したものだった。でも一方でぼくは、何年も音楽やってて ロクに楽譜も読めないヘタレだった。「当然」この世界では、そんなヤツに人 権なんかありゃしない。後輩からは嘲られ、指揮者には人間扱いしてもらえ ず、それでも音楽が好きだから一生懸命やってきた。 ホントにいるんだよ、紙に書かれた音符をどうしても音に変換できないヤツっ て。でもここで話したいのはそんなことじゃない。 並みいる作曲家のなかでも、ぼくは間宮芳生の大ファンだった。現代の作曲家 なんて詩人並みに名前を知られていないから解説するけど、「日本のバルトー ク」とも呼ばれる、自分のスタイルを貫いた、そうだなあ、武満徹を谷川俊太 郎だとすれば、彼は黒田三郎みたいなもん。 間宮さんのピアノ協奏曲3番の日本初演があるってんで、いそいそと上野まで出 かけていった。指揮は間宮さん本人、ピアノは気心のしれた、フィンランド帰 りの舘野泉さん。客席はと見れば、普段のミーハーっぽくない演題のせいか、 専門家らしき人がなにやら内輪話に華を咲かせていたよ。 演奏は…ひどいものだった。間宮さんらしきフレーズもいくつかあったけど、 うねうねと音が飛び跳ねるだけの残骸のような音楽。演奏が、当時経営危機が 囁かれて、団員の質の低下が叫ばれていた日本フィルで、その技量のなさも あったんだろうけど。かえって外人指揮者によるシベリウスの2番やルトワフス キの小品のほうが、下手なりに愛情を感じて、好感を持ったよ。 次の日の新聞に、初演のリポートが載っていた。なんと絶賛の嵐だ。他の演奏 は「深みがない」とかバッサリ切り捨てていたかな。ぼくは納得できなかった よ、当然。間宮さんの『タブロー』『オンゴー・オーニ』と比べて、あの曲は あまりにお粗末だ。間宮さんの曲が好きで好きでたまらないぼくは、声を大に して叫びたかった。 でも、ぼくの声は届くわけがない。ぼくは何も言っちゃいけないんだ。ぼくは セリエリズムも複雑な和声法も知らない、ましてや楽譜もロクに読めやしな い。人間以下のぼくが音楽を語っちゃいけないんだ。 批評スレでの有井さんのレスを読み返して、ふとそんなことを思い出した。無 論、彼女の真意はそっちにあるわけじゃないけど。 by 角田寿星 >>883 なんでそういう受け止め方になるのかな、 わたしにはよくわからない。 というより、この文章からわかることはただひとつ。 あなたが新聞の解説者をじつはこころのなかでは非常に権威として認め、 その前にひれ伏しているということです。 これは性格とか人生観の違いかもしれませんが、わたしだったら新聞の解説や 評価なんか あたまからバカにしていますから 屁とも思いませんね。 なーんだ、やっぱりマスコミで食っていくというのは大変なんだ、ずいぶん無理してんだろ くらいにしか思いません。 心の中で評者を「ばーか」間宮なら間宮の真骨頂がわからないのかと軽蔑します。 だのに、そこでどうして、 >人間以下のぼくが音楽を語っちゃいけないんだ。 にすぐなるのか、わたしにはよくわからない。きっと世間をじつは心の中ではとても大きい権威あるものとして 心の中で醸成しており、その自分のなかの他者があなたを責めるのでしょう。 しかし、わたしはそんなことはないんだと、言いたいんです。 生まれつき足も手もない赤ん坊は、そのままだったら自分を不具だとか身体障害だとか思いませんよ。 すべて成長するとともに醸成される社会規範や価値観がそう思わせるのでしょう? でも、純粋に見れば、じつは身体障害ではない。これは間違いなく言える。 社会的産物です。 あなたの劣等感も社会的産物だから、純粋に自分をみつめることができれば、それがどうした? と居直れるはずですよ。 有井さんの詩観はとても奥が深いし、それなりの苦労苦悩の上に出てきたものです。だれだって そのひとにとっての「詩でないもの」をもっているはずです。でなければ「詩であるもの」もありえないと思うんです。 どうか、なによりもどんなに低いと思う能力でも自分の生まれつきのものだと思って自信を持ってください。 わたしはそうやってきました。 偉そうなことを言いましたが、わたしは有井さんに詩を教わった(と勝手に思っている口ですので、 ちょっと口をはさませて頂きました。 by 一番絞り >>883 >人間以下のぼくが音楽を語っちゃいけないんだ。 いくらなんでも卑屈すぎる表現だと思います。 そう言う過去を一旦忘れて自分のペースで自分の世界の中だけで楽譜を読む位の方が、 はっきり言って早く読める様になると思います。 それか、自分の特に好きな所だけをつまみ食いするかですね。 それだけでも十分気持ち良いと思いますね。 一人だと不安だろうが、なんだろうが関係ないですし。 回りに取り残されている様な気分になるかも知れませんが、 むしろそこからが音楽ないしは芸術の真骨頂だと個人的には思います。 一々回りのペースに合わせる必要はないと思います。 大体楽譜を読めるからと言って全ての曲まで全て素晴らしいとは限りませんし、 大体歌が元々とすると他の楽器や音階等は全て屈折した物で、 大まかな意味で言ってしまえば大きなお世話ですし、 職種のひとつに過ぎません。 いきなり私に新体操のトカレフやれって言われても、いかにそれに感動しようが、 無理なのと一緒です。ま、私は鉄棒大嫌いですけど。 逆上がりすら偉い苦労しましたし。 出来た時は多少は嬉しかったですが、 むしろ強烈なコンプレックスの方が強いですね。強烈です。 多分普通に鉄棒とか体育がそれなりに出来て、 勉強も普通に出来ていれば、音楽はやってないと思いますね。 人並み程度には聴いてるんでしょうけど。 by 汰介 >最後にひとつ。新聞に権威なんかあるはずないじゃん。 そうじゃなくて、新聞に音楽批評をかいた評者のことをいってるんです。 もしあなたがこの音楽評論家たちの意見に権威を感じていないのなら それでいいのですよ。 なにも卑屈にかれらの視点から自分を差別しなくとも。 >つまらん話をした。 いや、べつに「つまらん話」じゃないですよ。 同じような思いをしてるから、レスをしたんです。 それをあなたはレスをした相手を選んでいる。 相手がどんな人間であろうと、発言の内容で応答すればいいのにね。 すでにしてあなたはとても社会的な自己差別の意識に冒されていると いうことです。 だから、これからも自己卑下の悩みはつきないでしょう。 第一、有井さんの名前をだすほどのことですか。 固有名詞を出すのなら、それなりにきちっと対応しなさい。 これでは単にガキのように文句をいってみただけというボルカとかOhatuのレベルと かわりない。 このフォーラムをこんな「幼児」の集合場所にしてはいけないよ。 ったく。それなら最初から泣き言をいうな。 :::::::::::::::::::::::::::::::: それから佐々さん、おたくがあちこちに星をつけまくっているのは かまわないが、 おたくとは関わりたくないという意思表明は消したわけではないよ。 「システム欄」に書き込んだものをわざわざ、わたしと風さんの 対話の中に押し込んだことは事実だ。 そういう下卑たやつとは関わりたくないんだ。 by 一番絞り この場でいくらあんたがボルカ氏やOHATU氏やら、片野氏の「政治的スタンス」からの誹謗中傷を叩いてるつもりでも、振り下ろした拳は確実に誰にも届いてないみたいだぞ。んで、こんな小さな場で、たとえボルカ氏やOHATU氏や片野氏が改悛して涙を流して自己批判したところで君の憂いている社会的政治的状況はそれこそ1ミリとて動くまいよ。 まさかどっかの元代議士みたいに「小さなことからコツコツと」社会状況改善のためにここで論陣張ってるわけでもあるまいに。 てめえのやってることはただの趣味だと、認めるんなら早いほうがいいと思うぞ。 趣味趣向です、と。 皆さん多大な不快感を感じたり、あるいは迷惑を被ったりされて申し訳ありませんが、言わせてください。いわないではいられないんです、病気なんです、と。 謙譲しとけばいいのに。 by 山田せばすちゃん >その意見がこの場に来るみんなに同意されるなら仰せに従いましょう。 >せっかく差をつけるための、星付け機能があるんだ。(笑) >おたくのお仲間(ボルカやOhatu、佐々ら)以外の方から十以上、 >ソンとおりだ! という意味でおたくのレスに星がついたなら、 >さっさと出て行きましょう。 あ、ひとつ点いたよ。 これでおれも、知らない人から結構きらわれているんだな。(笑) さー、どんどん点けてくださいよ。遠慮なく。 「お仲間さん」たちよ。 Ohatuやボルガのように、しつこく怨んでつけまわしはしません。 これはとても興味深いひとつの詩の儀式だ! #大統領選挙にも締め切りがある。 #とうぜん、締め切りを設けます。 #そうだな、今日いっぱいてことで。はい。(爆 by 一番絞り >>それからな、病気というが、天皇家の血縁の連続のことに言及しただけの投稿者に「ツバを吐いてやる」といったお前のほうが病気なんだよ。 いや君から言われるまでもなく俺は病気だよ。 時々自己嫌悪に駆られてフォーラム退会しようかとも思ってるよ。 で「天皇家の血縁の連続のことに言及しただけ」とあるがその言い分は正確ではないな。 彼は「その連続」のためなら女性差別も身分差別もあってしかるべきである、と言ったので、俺は彼の事を「唾棄すべき差別者」と呼んだだけのことだが。追い出したのかどうかということに関しては、俺が追い出した、という自覚はないな、彼が最近登場しないのは彼自身の生活環境が変わってネットに出没しにくくなってるというだけのことだと思ってるからね、詳しくは彼のHPの日記に書いてあるから。 それから俺は君に出て行けとは一言も言ってないので、何でそんな今日中に星が10個点いたら出て行くとか出て行かないとかの話になるのかその文脈が今ひとつ理解できないのだが、10個以上点いたからといって出て行けともいわないけれど、たとえ星が10個点かなかったからといってそれを根拠にして自分の存在が認められたとかそういう風には思わないほうがいいとは思うよ、世の中には「俺や君とは係わり合いになりたくない」という意見だってちゃんとあるわけだからね。老婆心ながらご忠告だ。 by 山田せばすちゃん >まさか「一番絞り」って人知ってる?って訊くわけにもいかないだろうしさ。 いやね、だからさ、おれがおまえに直接会いに行ってやるよ。うん。 待ってろよ。びびらなくてもすぐ済むよ。 というか、おれは退会したんだったな。 これで終わりにするぜ。 でわ、みなさんごきげんよう。 by 一番絞り 参照先不明 ろくなネタも詩も評論も考え付かないし、最近生活時間帯が変わって早寝早起きで心身ともに健全になりつつある盟友佐々宝砂はメッセンジャーにもいないし、別に深夜にパソコンの前にいることなんざ何もないのだ。 ないのだが惰性で1時2時までパソコンの前でうだうだしている俺はなんなんだ。 そういうわけで昼間のこの時間の俺はとても眠い。 そういう雑談なのか? by 山田せばすちゃん 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 >>959 参加表明。 あと、この企画において、私自身の「未詩・独白」に投稿された作品を自由に批評してもらってかまいません。 批評する気も起きないほどの拙作かもしれませんが、とりあえず(笑)。 by いとう >>959 参加表明。 質問ですが、批評は何作おこなってもOKですか? ぼくは某サイトで、80〜100字くらいの徹底した印象批評を得意としてるんで、この際だ から最低100作くらいやってみようかな、と思ってるんですが(そんなの批評じゃない、 というツッコミはさておいて)。 by 角田寿星 参照先不明 参加表明。きいぼおど直ったらね。苦笑 拙作はどこに投稿されていようと、過去に投稿されて削除されたものだろうと、 自由に滅多切りして頂いてかまいません。ご要望があれば投稿しなおします。 by れつら 参照先不明 参照先不明 >973 鳴門さん 鳴門さん 鳴門さん 3度も呼べば出てきそうな気がするんだけどなー by 田代深子 参照先不明 参照先不明 >>959 「批評寺三十六房」私的経過報告。 ただいまわたくし、「自由詩」「短歌」「俳句」につき、12/1午前0時投稿分より順次批評を行っております。現在、35人、35作品済み。目標は100人ですが、まあそこらあたりはテキトーです。12/12に一気にアップする予定です。 「11月の投稿だけどオレも批評してくれ」または「お前なんかにオレの詩を批評されちゃ迷惑だ」という方は、私信で結構ですので、ご連絡下さいまし。 なおこれが、「フライングの宣伝行為でー、ダメじゃんぞおー」となりましたら、このレスは削除いたします。悪しからず。 by 角田寿星 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照
雑談スレッド4 http://po-m.com/forum/threadshow.php?did=7769 雑談スレッド3 http://po-m.com/forum/threadshow.php?did=5563 雑談スレッド2 http://po-m.com/forum/threadshow.php?did=2450 雑談スレッド http://po-m.com/forum/threadshow.php?did=2 「自分自身に関する事細かな話を公衆に披露したいというのはブルジョワ的な誘惑」と言った人もおりましたがw ぼくは、ネットにあまり慣れてないのですが、奥主さんは、何か場慣れしているなあと感じます。なんか場が煮詰まってくると、奥主さんは、やわらげる内容のことを書かれている気もします。 のろけがすきかどうか、に話は行っているみたいだけど、僕は、奥主さんの文章が、ただののろけを、見事に書いているので、シリーズものの散文として、発表しても面白いかなと思いました。カキコミよりは、ひとつの芸みたいなもの、エンタテイメントを感じる。 これは、川元さんの批評と少し関わることかなとも、、、 特別であろうとなかろうと、のろけ話を人にちゃんと面白く聴かせられる人は聴かせたらいいんではないかしら(笑。 人によってはのろけ話がとても下手な人がいて、どこでデートしたの、いくらの飯を食べたのとか、そういうことばかり話すひともおります(そういうのはのろけでなく単なる金銭的自慢話であると思ふ)。 明日から2日仕事を休んで次は昼勤シフトになります。夜勤明け最後なのをいいことに、朝までやってる(というか客がいる限りやってる)スナックに行き、昼まで飲んでました。店に入った時点で、マスターがもう完全に酔っぱらっていて、かつ仕事を完全に投げていて、酒を客につくらせるのは当たり前、氷の補充も客にやらせる、しまいには客に煙草を買ってこさせるという傍若無人、というか人事不省(笑)、それをいいことに、本来は有料で歌わせていただくカラオケを完全無料で三時間歌いまくりました。実を言えば、普段だととても唄などうたえない私なのです。だいたい、カラオケで古い洋楽やるとみんな引くでしょ。そもそも曲がない。ドアーズなんてカラオケじゃ二曲しかない。でも私日本語で歌えと言われるといきなり「ここに幸あり」とか「ジャワのマンゴ売り」とかになっちゃうし。ま、ともかく久方ぶりに歌いまくって気分良かったのでした。 のろけでも詩の話でもなくてすみません。 寝ちゃった。白糸さんスレに移ったのでみなさんノロケ話に戻ってください。中断失礼 >>534 ためいきさん こんばんは、はじめまして。 んー、同じナルシシズムでも私の感覚では『私は“愛していて”そんな私が愛しい』かな。もちろんノロケは相思相愛で成り立つものですけれども。 ちなみに私も人のノロケ話好きです。しらふで臆面なくノロケる人とか大好き。“愛してるオーラ”を発してる人に触れると幸せな気持ちになります。 私も時々しらっとノロケます。(いや、人に言わせると時々ではないらしいが) あんまり関係ないかもしれないけど、 俺はノロケ話聞くの好き。見ず知らずの人だろうと。 >>528 そうやね。 僕が、あまり良い医者にかかったことないのかもな。 快方に向かってるのは、何よりですね。 医者に行った方がいいのは、事実だな。 けれど、やばい医者に、かかると、訳わからんこと言われたり、 治りにくいケースもあるね。 ぼくは、三年位かな、今の医者の診察が合わないので、医者を 変えようと思ってるところです。 発病時期は???です >>527 私はほとんどテレビをみないのでそのコマーシャルは知らないんだけど、 「つらかったでしょう」とは医者に言われたことあります。 5つくらい神経科やら精神科やら心療内科やらにかかって、そのうちふたつでは 「つらかったでしょう」というたぐいのことを言われました。 もちろん、きちんと問診をしたあとの話ですけどね。 ちなみに私は15年越し精神病であります。三年ほど前に悪化し鬱病と診断されました。 パニック障害もありましたし、みごとに不眠で食欲性欲なしで、下痢と便秘の 繰り返しでどこどこ痩せました。ダイエットの必要なしです(笑 病名がついてからだんだん治ってきて、一時期は袋にてんこもりだった薬も、 いまはわずか二種類になりました。 鬱病っぽいなら医者に行った方がよいということ、鬱病が治る、ということだけは 宣伝したほうがよいように思います。 うつ病のテレビコマーシャル、あれは、やだね。 大変でしたね、とか言う医者、僕の知る範囲ではいないよ。 内科行って、「糖尿大変ですね」とか云わないのと一緒かな?! でも、ああいう風にしないと、医者に行かないのかな? ただ、精神科医で、きちんとした人は、山ほど病気見てるから、 ちゃんと問診することが、先だろうなと思う。 暴論かな? 北村太郎という詩人の、僕の好きな言葉は 「死とは、固有名詞からの、地名からのさようならなのだ」だったかな。 でも、死んでも、名が生きることもありますけど、また、カフカなら、カフカが、残りますが、もう、カフカの何かは、カフカという名からは、抜けていて、今見てるカフカ作品は、ぬけがらかな? というか、作品を書いたら、ぼくは、よく自分の抜け殻だと思うのだけども、そういうのを、ドウルーズさんは、脱領土化といったのかな? >>515 あざれあさん >>513の「1837年−リトルネロについて」に関して補足します。 「千のプラトー」自体は、著作としては1980年の著作のようです。詳しいことは知りませんが、現代思想の文脈では、ポストモダンの思想だとかして、もてはやされたこともあったようです。 「差異」について。 これは単に私の理解ですが、差異自体はどのような観察者の視点からもそれぞれ認識されるものなので、「完全に客観的な絶対的な」観察者の視点を不要にしてしまうようなものなのだろうと思います。或る観察者の視点から認識される差異は、別の観察者の視点からは認識されないわけですから、この辺りがそれぞれの観察者にとっての意味の差異を生み出していくというような形になるのではないでしょうか。 署名について。 「領土化の要因は・・・まさにリズムやメロディーの<表現への生成変化>に、つまり固有の質(色彩、匂い、音、シルエット・・・)が出現するところに求められるべきなのだ」(前掲書365頁) 「署名や固有名とは、すでに形成された主体の符号ではなく、みずから領域や領土を形成する符号である。署名は一個の人間を標示するものではなく、領域を形成する無根拠な行為である」(365頁) なお、「領土とは、・・・複数の「指標」によって標示されるものであり、これら指標はあらゆる環境の成分から取り込まれる」(363頁) テリトリーを作る署名ですので、それぞれの動物固有のものであり、人間の存在は前提とはならないでしょう。 署名の具体例として取り上げられているのは、鳥や魚の色(珊瑚礁の魚が示す色彩)、良くある(糞便等による)臭い付け、あるいは「スキノピーティス・デンティロストリス」などという鳥が「毎朝、予め切り取っておいた木の葉を下に落とし、それを裏返して色の薄い裏側を地面と対照させることで、目印を作り上げる」等の変わった例も挙げられています。 人間の場合にはポスター、ないし立札、素朴芸術、など。また、「ラジオやテレビは、個々の家庭にとっていわば音の壁であり、テリトリーを標示している(だから、音が大きすぎると近所から苦情がくるのだ)」(359頁) 「スキノピーティスは素朴芸術を実践しているのだ。芸術家はスキノピーティスである・・・この点からすれば、芸術が人間だけの特権ではないことは明白だろう」(366頁)などと面白いことも書いてありますので、署名ないし芸術において、人間と動物の両者に相違があるとは見ていないようです。 署名の意味ですが、 解釈としては、署名は意味を持っているのではなくて、署名によりテリトリー(意味)が成立する、という形なので、署名者自身が署名の意味を認識している必要はないと思います。署名者以外の者が、その署名を認識すると同時にテリトリーが機能する(意味が生じる)といった感じなのでしょう。 なお、テリトリーは異なる種については作用しないようなのですが(この辺は生物学上の定義を見てみないと実際のところは分かりませんが)、この解釈として、種の分化の話も出てきています。 「領土は、同一種の成員の共存を保証し、これを調整するために成員を相互に隔てるばかりか、異なる種ができるだけ多く共存できるように、異なる種を分化させるのである」(370頁) 署名の相違が、異なる種(種族)を成立させる(或いは共通の署名に対する反応の差異によって種が定義される)といったような考え方なのだろうと思います。この意味では、署名は生き物の「自己表現」(他者に対する自己の成立)として行われると言えるかも知れません(署名によるテリトリーが機能すること自体が、始めて同族を成立させ、また、同族でなければ自己も他者もないわけですから)。 無生物の場合について。 テリトリーはもともと動物行動的な概念なので当てはまりませんが、それ以外の部分は無生物にも当てはまる形で記述されているようです。自他の認識をするかしないかは、生物固有の特徴というか殆ど生物の定義そのものなのでしょうが、この辺りのことまでは主題的には扱われていないようです。ただ、全体として、物質と生命を連続的に扱うような視点で記述がなされていることが多いようです。 「リトルネロ形式とは、バロック時代の協奏曲に多く見られた形式で、ロンド形式同様、ある同じ旋律(リトルネロという)が、異なる旋律を挟みながら何度も繰り返される形式のことである」とありましたので(Wikipediaより)、「1837年−リトルネロについて」と題されたこの章自体は、こうした旋律の観点から各種の事象(概念)を見ていこうとして書かれたものなのだろうと思います。 書き出しも哲学書としては変わっていて、こんな形です。「暗闇に幼な子がひとり。恐くても、小声で歌をうたえば安心だ。・・・道に迷っても、なんとか自分で隠れ家を見つけ、おぼつかない歌をたよりにして、どうにか先に進んでいく。歌とは、いわば静かで安定した中心の前ぶれであり、カオスのただなかに安定感や静けさをもたらすものだ」(359頁) >>520 奥主さん、こちらこそ、よろしくです。 >>516「生命とは何か」は、ちゃんと、残ってますです。 あと、もぐもぐさんが、ドウルーズを出してましたね。ぼくは、カフカ論は、読みました カフカを、方言の文学というか、多言語混交の文学と見ておりまして、ヨーロッパというのは、アメリカ大陸より、狭い?所に、色んな民族が国がひしめいておるでしょ。それで カフカは、チエコのユダヤ人でしょ。 何気に、ドウルーズは、領土とか、高原とかね、使いますね。あれ、やっぱファシズムとか、共産主義とか、あるいは、昔から、ある帝国とかですな、ああいうのに、対する歴史の読み替えをしたかったんでしょうな、戦争だらけでしたから。 フーコーも、レビ=ストロースとかね、みんな、地層とか出してくるでしょ。彼らは 歴史の問題を、今ここの空間から、掘り出せる何かに置き換えようとしたのでは?昔にもどれ!みたいなのは、山ほど、ありますからね。それと起源論争とか、ロマン主義の人間中心主義=今もありますな、自然を守ろうとか言うので、自己陶酔してる人とか。への批判がありみたいな。 しかし、差異に関して、どおいうことを いってたかわかりませんが、新しく文章が出来上がっていくときの、感じを、地すべりとか、地殻変動とか、に例えたかったのかなあ、と。 フーコー論とかも良かったなあ。でも、科学的にしても、文学的にも、なんとなく、ほかのポストモダンの方々より、無理して書いてる印象があった、ぼくには。 あをの過程さんの、排除を産まない倫理大切と思います。同感です。逆に、ルソーとか、ホッブス、ヒュームなんかおもろいかも。ヒュームは、カントに対して、ヘーゲルの 精神とか、ショーペンハウエルの意志とかじゃなくて、さきのドウルーズは、ヒュームから学んだんですが、差異とかに近い考え方を出した人です。 いわば、「疑い」を大切にした人かな。ニーチェも、これも、ドウルーズの元ネタですが、「偉大なる人間は懐疑家」だと申しております。 >>511 ひたすら雑談なんですが。シュレーディンガー「生命とは何か」岩波新書、当時の科学の流れを(分子?)生物学のほうにががっと引き寄せたアジ的名著、みたいなバクゼンとした理解なんですが、そしたら歴史的名著みたいなんで、売れまくっているかと思いきや「絶版」で唖然とした覚えがあります(いまだ絶版中っぽいです)。古本屋で買ったら旧字体だったりしました。で、やめてしまうあたり根性なしです。旧字体で読みきった本ってそうそうないなあ…こういうわたしを見て、ひとによっちゃあ日本文化の衰退、とかいいそうな気がするなあ。いや、たしかに旧字体読めたほうが良いなあとは思うのですけれど。で、追記 絶版ではないらしい。アマゾンでも在庫がないという状態で、出回っていない、という状況は変わらず、やっぱり残念、なのかもしれない。 お山から下りてきた佐々宝砂です。んむ。ブツリガクにソシュール? 存在と時間? 記号? ほーきんぐ? 荒地派? なんだっけそれ。もうすこし頭が文明人に戻ってきたら読み返します。おべんきょになりそうなのでたのしみです。 お山に籠もっているあいだ、なんどかファミリーキャンプのひとたちを見かけました。名古屋弁の子ども(兄妹らしい)の妹がいわく、「おたまじゃくしって渦巻きあるんだね!」おたまじゃくしの内臓が渦巻き状に透けてみえるのは、私には当たり前のことだけど、ふーむ、子どもにはそういうのも発見、だよなあ。と感心したり。品川のナンバーの車からおりてきた子ども(兄弟)が、ちっこいアマガエルをつかまえてクーラーに入れているのも見ました。ダンゴムシを大量捕獲して瓶につめてる子どもとゆーのも見ました。ああいうの、あとでどうすんのだろ………まあ、あんなことひとつひとつが子どもには夏の貴重な体験なんだろうなと思いつつ、私は黴びた餅を削っていました。友人が「こんなもん捨てる」というので、お山の食料としてもらってきたのです。黴を削って、干して、醤油につけて、油で揚げるとけっこううまく食べられるものです。真夏のお山に暮らす私はほとんどホームレスですね(笑 あざれあさんのちょうちょうの話を読んで、むかーしむかしのそのまたむかしに、確か朝日新聞夕刊の記事で「ひらら考」という文章が載っていたのを思い出しました。子どものとき読んだので誰が書いたのかまではわかりません。でもとても印象的だったので、中身はまだなんとなく覚えているのです。その「ひらら考」によれば、「蝶々」または「蝶」という言葉は、蝶が飛んでいる様を表した中国由来のオノマトペであって、やまとことばではないらしい。やまとことばで「蝶」を表す言葉ができる前に、中国から「蝶」という言葉が入ってきてしまったわけです。しかし、もしも、やまとことばで蝶を表現するオノマトペが生まれていたらどんなものだったろう……というのが「ひらら考」の問題提起でした。「ひらひら」という言葉こそが蝶を示すやまとことばのオノマトペであろうと「ひらら考」の筆者は書いていました。私も同感です。ファミリーキャンプに来ていたとても幼いこどもが、「ひらひら」と言ってました。そしてたとえば「きらきら」が縮められて「きらら」になるように、やまとことばのオノマトペが名詞に変化する場合、4文字→3文字に縮められる傾向にある、ならば「ひらひら」は「ひらら」に変化し、やまとことばにおける蝶の呼び名は「ひらら」になったであろう……と「ひらら考」は結論づけていました。 萩原朔太郎は、詩作のなかで、蝶が飛ぶ様を「てふ てふ」(tefu tefuと読むのであって cho cho ではない)と表しました。その重そうな羽ばたきは大きなアゲハチョウのもののように思います。私は、小さなふつうのシジミチョウやシロチョウの羽ばたきにふさわしく思われる「ひらら」という言葉、生まれる前に中絶させられたのを、無理矢理復活させられ、でも生き延びなかったこどものような、その言葉が大好きです。 >>511 あざれあさん、はじめまして。 「差異」は、確かに重要な概念ですよね。なぜかこれまで名前が出ていませんが、有名どころの哲学者では、やはりドゥルーズの名が挙がるのではないかと思います。 生物も含めて論じたものとしては、ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー」(河出書房新社、宇野邦一他訳、1994年)中の、「1837年−リトルネロについて」という章があります。私はきっちり生物学をやったことはないので、引証の仕方とか、正確さについては判じかねますが。 ここでは、カオス(環境の中間状態)からリズムが発生し、リズムがある行為(署名とか芸術とか呼ばれている)によって「表現」としての質を与えられた際に、その編成(アレンジメント)としての「テリトリー」が成立する、というような記述から話が始まっています。テリトリー(同じ種の中の自他の境界線のようなものでしょうか)というのは恐らく意味の原初形態でしょうから、発想としては、差異から意味が発生する、というような発想なのでしょうね。 これ以降も、この「テリトリー」を編成する内外のアレンジメントがどのように展開して、人物とか風景、スタイル、エートス、種の分化、労働(職業)、儀式や宗教、「生まれ故郷」(理念とか目標でしょうか)、等々の、各種の生物行動的・文化的事象の発生に繋がるのかを跡付けています。最終的には、創造としての芸術論にも話が及んでいるようです。 一種の「おはなし」というか概念地図なのですが、差異を根底において、リズムとテリトリーとかの観点からこういった諸々の事象を見るというのは、普通しないように思いますので、それなりに興味深いものかなと私は思っています。 参考に若干引用しますと、「差異」については、「差異を最も一般的な形で述べるならば、だいたい次のように言いあらわすことができるだろう。つまり一方に地層化されたシステムと地層化のシステムがあり、もう一方に存立性をもち、自己存立する集合がある、その両者のあいだに確立されるものが差異なのだ、と」(前掲書386頁)などと書かれています。 或いは「意味」の成立に関係すると思われる記述としては、 「領土とは、まさに一つの行為であり、この行為がすべての環境とリズムを触発して「領土化」をおこなうのだ・・・厳密にいえば、環境の成分が方向を指示するのをやめて、次元を指示するようになったとき、また機能的ではなく表現的になったとき、領土が生まれるのだ・・・こうした生成変化、こうした出現を、<芸術>と名づけることができるだろうか」(同書363-5頁) なとどあります。 ベルクソンの影響を随分と受けた哲学者だったそうなので、それなりに科学的事象についても解釈の対象に取り込んでいて、古典哲学とは一風違うものとなっているようです。表面的に目立つ部分が多いので、きちんと読み込めている例は少ないようですが、科学等をきっちりやっていらっしゃる方なら、そういった部分に惑わされずに読めるのかな、などと思います。 なお、より普通の哲学書としては、ドゥルーズの単独著書として、「差異と反復」という著作もあり、こちらも有名のようです(邦訳は同じ出版社から)。 >>506あをの過程さん、はじめまして。 木田元さんの本は、昔、岩波新書の「ハイデガー」を読んだことがあります。戦後、闇屋 をやったりして、苦労して、大学に入ったユニークな方ですね。 そこに、生物学者のユクスキュルという方の、話が出てきました。「環界」という言葉を、よく覚えています。>>511あざれあさんも、きっと興味がもてると思います。 生物には、例えば、ハエには、ハエが感知する世界があるように、というふうに、ハイデガーは、「存在と時間」で、人間だけじゃないんだ、世界を持つのは、とか。個体 まあ、ハイデガーは、ここにあるものというみたいなんですが、それぞれに、存在しているペースがあって、それは、バラバラに見えるんだけど、それは、今生きている人間のペースが周りと不調和なだけであって、皆、気がつきなさいとかセッキョウ臭いのがハイデガーの弱みなんですが、、 これは、人間の性ですかね。 それと、ハイデガーは、ニーチェの予感してた「すべての存在は肯定の歌をうたっている」というのを、つまり、存在全体の調和を、証明したかったみたいなんですが、世界戦争前だったから、焦りすぎて、本をまとめられなかった。 ていうか、ハイデガーは、神様になりたかったのかなあと思う。 まさに、普通の場所、今、生きている場所から、それを、ぼくは、あざれあさんのように科学には、詳しくはないんだけど、戦後に「荒地派」っていたのだけど、やっぱり、限られたインテリだったですね。戦後の荒地から、詩を書いたのは、すごかったけど、もっと、間口の広い、第二の荒地みたいなのが、あったらなあと。 だって、新しい荒廃は、そこここにあるきがしますから、ハイデガーみたいに、大上段からでなくても、それぞれの実践を、ゆるく尊重できたらいいなあと自戒を込めて、思いますです。 奥主さん、こんにちは。 旅行から、お帰りになったのですか? >>503 またちょっとちょこちょこ。 それはきっと、作家さんとかの仕事かな。文学とか神話とか・・・。 ちょうちょうの起源。私はきいたことないけれど、ギリシア神話とか、なんかないかなぁ。それとも、どこかの全然知られてない民話に、落ちてたりとか、しないかな。 ちょっと追加。 何をどう応用したのか私にはさっぱりわからないけど、レヴィストロースだとか、ソシュールを文化人類学とか神話学に応用して「構造主義」だ、とか。 そんなところで引き合いに出されるくらいだから、「意味」付けとかそういうのには、ソシュールさんはきっと冷たかったんでしょう。「言葉とかいったって、所詮記号、その構造を明らかにするのが科学としての言語学の任務なのだ!」みたいな(勝手に想像)。 でも、歴史とかから言葉の意味を説明するのはもともとやってたわけだし、ソシュールさんがでてきたからそゆのが消えたわけでもないでしょうし。一方で、文法構造から意味の生成を説明する文法理論とかも、ソシュールさんじゃないけど言語学で頑張ってやってる人もいるらしいし。そういうのって面白いのかも。 そこまで立ち入るともろ言語学なんでしょうけれど、「言葉の自己生成」みたいな観点からやってるひとも、なんかいそうな気はしますよね。私もちょっとそれは知りたい。今度言語学の本でも探してみよっと。 >>500 なにか、ある哲学者に、「哲学とは、私は途方に暮れている、というかたちをとる」という言葉があった気がするんですが、これは、哲学に限らないと思うんですね。 言葉だって、自分の感覚だって、おぼつかない足取りでも、ある地平を踏みしめている。 そこから、様々な風を受けながらも少しずつ、進む。 確証を求めるのは、へんてこだというのは、鋭い、なにか学ばされるものがあります。 ただ、僕は、頑固なので、このあたりは、ゆっくりと行きたい問題圏です。 暮らしとか、生活が、なにか、大事なものに思われてきます。 今日は、ありがとうございました。 すこし、いろいろあって、疲れました。 お休みなさいませ。 >>495 多分、花の種類とかも、ソシュールから見ればやっぱり記号だから、 「食べられる花と食べられない花」「匂いのする花としない花」「大きい花と小さい花」「花びらが少ない花と沢山ある花」「春に咲く花と夏に咲く花」とかの色々な「差異」が、どんどんどんどん積み重ねられていって出来ていった区別だ、とか考えるんでしょうね、きっと。 例えばこれなら、2の5乗で、全部区別しようと思ったら32種類の言葉が必要になるけど、手持ちの言葉がそんなに沢山ないこともあるかもしれない。そういうとき、手持ちの言葉の数で何とか全体をカバーしようとして、何種類分かの意味をいっぺんにかぶっちゃうような言葉が幾つか出てくることになる、って感じなんじゃないかなー、と私は思います。 逆に言葉がありすぎて余ってたら、ほんとは同じものなのに別の名前で呼ぶとか、そういうことも起こってくる。 でもこれ、言葉数に応じて個々の語がカバーする意味の範囲が変わる、って部分は面白いんですけど、じゃぁもともとの言葉数自体はどうやってきまったんだ、っていうのがなんかよくわかんないですよね。言葉自体を生き物として、「発展する」(数が増えるとか)っていうような部分への興味は、ひょっとしたら、ソシュールにはちょっと薄かったのかもしれない。 >>495 自分なりの意味を、捉え方をつめこみすぎて、相手が捉えにくくなる事もあると思うんです。閉じ込めていって、何か対象を、封じ込めて、しまう危険もあるし、感じのように、 色んなものや人や世界の動きを形にすることによって、膨らんでゆくこともあると思います。 とにかく、言葉の読みは、まず、自分なりの捉え方が第一だと思いますが、そのことを発語する時には、読みの複数性にさらされる覚悟もいります。 自分を大切にするには、そのことも必要なんですが、それの覚悟がないときもあります 自分の直感から、伸ばしていって、それをなるべく固くしないことかな。そうしないと 言葉は、育ちにくくなるかなあと。 言葉に関しては、正解はないにしても、お互いが、如何に、一緒の地面に立てているかを確かめないと、人間の感覚は、奔放でもありますから、地を荒らしていくこともありうるでしょうか? >>490 伸びていく、という表現おもしろいですね。うれしいです。そんな感じだと思います。 ソシュールは、もう、かなり、言葉を記号と見なしてたようなんですが、言葉も生き物だというのは、なんか展開を期待しうる感じですね。 >[493]山田せばすちゃん[2004 08/12 22:32] >491 >ああ、勘繰りでしたか、それは申し訳ない、ではわざとやってるのではないか、と言ったことは撤回します、陳謝します。 >でも、「後出しじゃんけん」であることには間違いはないので、あとから文章を補遺した >いという一番絞りさんの性癖もお聞きはしましたが、今後ご注意いただければ、と存じます。 >私ですか? >私はもちろん自分の体験や経験に基づいて論を組み立ててはおりますが、あえて自分は >こうだった、ああだったと直接的な体験を引き合いに出すようなことは避けておりま >す。小泉首相ではないけれど、人はそれぞれがそれぞれの人生を送っているわけで、そ >の体験はみんなそれぞれの自身にとって絶対ではありますが、他人にとっては相対的な >ものでしかないと思います。今の私を形成しているのは当然、過去の体験や経験ではあ >りますが、どのような経験、体験からどのように自己が形成されて今に至るのかについ >ては、他人に語るほどのこともないと思います。それぞれがそれぞれに私を見てくれれ >ばいい。あるいは、今の私に、過去の体験につながるような「におい」を、過去に似たよ >うな体験をした方は感じるかもしれないけれど、それにも私はなるべく答えたくはありません。 >以上のような理由で、実は俺はこうこうで、という論法を私はとらないのですが、ご理 >解いただければ幸いです。 なんだ、それじゃあ「後出しジャンケン」って、そもそも無効じゃないですか。あなたにとっては。 わたしが原発で働いたことは「他人にとっては相対的なものでしかない」のでしょう? だったらなんで「後出しジャンケン」になるのかね? 原発で働いたことは、今回の事故をより具体的に知りうる立場であることを説明しただけのことで そもそもそういう立場から特に石川さんに注意を促していないことは、最初のレスを読めばわかることです。 焼かれた死者のことを、井戸端会議のような口調で、安易に枕にふる態度を注意したのであって 原発労働者もくそもない。 ちょっと感受性の強い人ならえっ? と思うような書き方だった。 それに対して、「ギャグ」「お笑い」というフォーラム主催者からのレスがあったから、より詳しく わたしの立場と気持ちを伝えただけのことです。 基本的にこういう掲示板では顔を見知った相手の場合は少々の語気の荒さや、ことば使いの悪さは 許容されます。相手の顔や雰囲気を思い出して、ま、しょうがないやという感じでね。 それはあなたの「唾吐き」発言が それほどひどい反発を受けないで済んだことでもあきらかでしょう。 しかし、わたしや※さんのような知己でない「顔のない」相手の発言はどうしてもきつく感じられ、 許容の範囲が狭いことは わたしも知り合いの掲示板で知り合いと話していて、初めて参加した顔のない人の発言に許容度が低いことを 自覚して、わかっています。 そういうハンデが現実社会で顔見知りになってない匿名参加者にはある。 ところが本来公平であるべき主催者の片野さんが、そういう側面を承知かどうか、顔見知りでないフォーラム参加者に 「ギャグ」「お笑い」というコトバを投げつけてきた。 これは知人を批判するな、黙れ! と受け取られても仕方がないでしょう。こういう不公平な主催をするなら おたくら内輪で会員制の掲示板にすればいいのだよ。 広く一般の人を呼び集めるなんてこんな不公平な一方的な態度でね、おこがましい、 それならそれなりの態度を貫いて欲しいものだ。 そう思ってね、詳しくこちらの立場を説明し、片野さんの姿勢を問うたのだよ。 おたくのお下劣な勘繰り、片野さんのいちいちしゃしゃり出てきて、顔の見えない相手への揶揄。 これをなんとかできないのなら、ここは顔見知りの内輪のフォーラムにすべきだよ。 >491 ああ、勘繰りでしたか、それは申し訳ない、ではわざとやってるのではないか、と言ったことは撤回します、陳謝します。 でも、「後出しじゃんけん」であることには間違いはないので、あとから文章を補遺したいという一番絞りさんの性癖もお聞きはしましたが、今後ご注意いただければ、と存じます。 私ですか? 私はもちろん自分の体験や経験に基づいて論を組み立ててはおりますが、あえて自分はこうだった、ああだったと直接的な体験を引き合いに出すようなことは避けております。小泉首相ではないけれど、人はそれぞれがそれぞれの人生を送っているわけで、その体験はみんなそれぞれの自身にとって絶対ではありますが、他人にとっては相対的なものでしかないと思います。今の私を形成しているのは当然、過去の体験や経験ではありますが、どのような経験、体験からどのように自己が形成されて今に至るのかについては、他人に語るほどのこともないと思います。それぞれがそれぞれに私を見てくれればいい。あるいは、今の私に、過去の体験につながるような「におい」を、過去に似たような体験をした方は感じるかもしれないけれど、それにも私はなるべく答えたくはありません。 以上のような理由で、実は俺はこうこうで、という論法を私はとらないのですが、ご理解いただければ幸いです。 >>490 あざれあさん 私も全然良く分かってるわけじゃないんだけど、 多分、赤と朱色の境界線とか、そんな話でいいんじゃないかなぁと。 きっと、概念の幅っていうか、そんな話じゃないかなぁと思います。 例えばもし色を表す概念が白と黒しかなかったら、 私たちが普通赤とか青とか色々区別して呼んでるものも全部、 単に明るさだけに着目して「白」とか「黒」とかに振り分けちゃってるかもしれない。 もし生き物を表す概念が「人」と「虫」しかなかったら、 私たちが動物とか鳥とか魚とか昆虫とか色々区別して呼んでいるものも全部、 大きさだけに着目して、人間並みに大きいものを「人」、そうでないものを全部「虫」って形で区別していたかもしれない。 子供は「虫」で、大きな犬は「人」だとか呼んでたかもしれない(「虫が人を散歩に連れて行った」とか・・・)。 用意されている言葉の数に応じて、注目する特徴(差異)の部分も変わるし、概念の幅も変わるということじゃないかなぁ。と私は思ってます。 >[480]山田せばすちゃん[2004 08/12 14:22] >今回の一番絞りさんの論法ってさ「後出しじゃんけん」じゃん。 >最初にとりあえず、怒って見せて、それに対する反論が出てから、次に実はこうこう >で、だから俺の怒りは当然だ、みたいな。 >最初から、石川さんの発言に対してかつて原発労働者だったことを表明してから、怒っ >て見せれば、誰もそれに違和を感じなかったかもしれない。 >これは俺のかんぐりだから、違うというのなら、それこそ怒ってくれてもいいし、俺は >謝罪することも辞さないけれど、もしかして意識してやってません?そういうの。 >まず >暴れて見せて、誰かが食いついてきたら実はこうこうなのだ、って、言い方悪いけれ >ど、やくざの因縁のつけ方と同じだよね。暴れて見せて、事態を紛糾させておいてから >「わしは実は○○組のもんや、おそれいったか」みたいな感じ。 >それが常套手段になっちゃうと、「また暴れてるけど、関わらんとこ」みたいなさ、そ >ういう扱いになっちゃうんじゃないかって気がする、もしかしてなりつつあるのかもし >れないけれど。 山田さん、それは勘ぐりですよ。 ぼくは書きながら考え、あとになって、あー、こういう風に書いとけばよかった、とくやしがるタイプで どんどん時間と共に、書いた文章を次から次へと校正するくせがあるくらい、遅く点く蛍光灯です。 あなたのいうような高等テクニックは、考えたこともない。 はじめてお聞きしました。 何を言われても、怒る気もしないですよ、ここまでお下劣だと。 しかし、こういうお下劣さでだれかの真面目な意見をクソまみれにするのはいけないね。 ところで、よく使うんですか? おたくは? こういうテクニック。 >>487、うーん、どうも、その辺りになると、つうか、「意味」って言葉をめぐっては、哲学、言語学は、にぎやかなんだが、捉え方の差異はね、たぶん、ニーチェとか、ハイデガーとかの方が、気にしてて、ニーチェは、解釈も、その人の意志や、パワー、生命力によると考える。 どっちかといえば、ソシュールは、言語学の人だから、言語は、彼の仕事の観察対象で あったみたい。だから、体系っていうのね、学者だから。 なんかね、うろおぼえなんですけどね、たとえば、「赤」という言葉があるでしょ。 これは、他の黄とか、白とかがないと、それとの違いがないと、「赤」という語は単独では、存在できないらしい。今読んでる本にも、出てきたのね。 他の語との、無際限な、ちがいの繋がりが、言葉の世界だっていう、これまた、壮大かつ 、あれ、そうでもないかなっていう。 だから、一つの語は、単一の事柄を、指し示す、というのを、「ちがうなあ」って、感じた意味では、たぶん、あざれあさんの直感は近いな。 >>484 ソシュール、おお、今、「現象学」関係の本読んでたけどね、あの人は、ほとんど、本出してないらしいね。 生徒の講義ノートを、参考に、一冊だけ本出したみたいね。 晩年は、ダジャレの研究をしてたらしいな。 僕は、頭が変になったときは、よく図書館に行ってたよ。 夏涼しく、冬暖かい。 僕の近所の図書館には、裏にテラスがあってね、そっから、池が見えるんだ。何も出来なくて、辛い日々は、今はもう、行く元気もないし、長いものも読めないが、前はよく行っててさ、司書より本のならびに、詳しくなったよ。 言語は、差異の体系、らしいけど、ぼくは、あまり詳しくないけど、日々の会話の、ずれに敏感で、他人によって、語の示すものが、ちがう。その直感を大切にしたのかな? 丸山圭三郎を少しかじったりしただけで、ぼくは単なる独学者なんだけど、、 こんなんいうたら、また刺激してしまうかもしれないけど、 僕は、やっぱり、原発労働者だと、はじめから、いうてたとしても へんな絡み方だと思うよ。 だって、雑談スレなのにね、何も云えなくなるよ。 僕は、今行われてる宇宙や物理学の議論の、先には、原発とか核の問題が地続きにあるだろうと思った。 だって、そういう知見の先に、テクノロジーはあるから。 僕は、辛いんだ。一番絞りさんが、辛いのとは別かもしれないけど。 小学校の頃とか、ぼくの地区は人権教育が盛んで、毎年、夏になると 原爆の、当時のフィルムとか、見るわけです。よりによって、給食の前に 飯がノドとおらなくて、、、、 辛かったです。なんかね、そこまでしてしまうと、平和について、考える前に 逆効果ではないかと。 しんどくなってしまって。 一番絞りさん、残念ながら、僕は、あなたとは、同じ気持ちになる立場にいるというと 何か、嘘だと思うの。本当に、科学、日常、そして、文明の三者の関係を考える点においても。だって、まず立場の違いは、明確にせずに、議論に引きずり込むのは、山田さんも言うようにフェアでないと思うな。 ぼくは、それから、詩を書いてることは、日々感ずることに、正直でいることだと思うから、井上陽水の「傘がない」じゃないけども、自分を大切にしなきゃ、みんなのことも考えられないというのを介護の現場で学んだ。 僕にとっては、あなたの言うようにすることは、僕が間違っているとしても、なんか変だと思う。 僕は、うまくいえないのだ。人の死が、辛いから。だから、僕の真情が、出てきてからの哀悼を、この場で言うかわからんが、それが、出てこないうちに、お前は、当事者のみになれよ!と恫喝されて言うのは、政治家が、まことに残念ですとか、いうみたいで、すごく嘘つきみたいです。 だから、残念だ。もしかしたら、一番絞りさんの気持ちを、聞けて、そして、僕も、何事か考えが深まったのかもしれないのに。その機会がなくなっていくのは。 それぞれ、生活があるんだ、そこに、どう橋をかけるか、模索するのも、文学の仕事かと思います。 失礼しました。 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 スレッドを新規に作成したり、コメントを書き込むにはログインが必要です。
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