2004 08/13 16:20
石川和広
>>506あをの過程さん、はじめまして。
木田元さんの本は、昔、岩波新書の「ハイデガー」を読んだことがあります。戦後、闇屋
をやったりして、苦労して、大学に入ったユニークな方ですね。
そこに、生物学者のユクスキュルという方の、話が出てきました。「環界」という言葉を、よく覚えています。
>>511あざれあさんも、きっと興味がもてると思います。
生物には、例えば、ハエには、ハエが感知する世界があるように、というふうに、ハイデガーは、「存在と時間」で、人間だけじゃないんだ、世界を持つのは、とか。個体
まあ、ハイデガーは、ここにあるものというみたいなんですが、それぞれに、存在しているペースがあって、それは、バラバラに見えるんだけど、それは、今生きている人間のペースが周りと不調和なだけであって、皆、気がつきなさいとかセッキョウ臭いのがハイデガーの弱みなんですが、、
これは、人間の性ですかね。
それと、ハイデガーは、ニーチェの予感してた「すべての存在は肯定の歌をうたっている」というのを、つまり、存在全体の調和を、証明したかったみたいなんですが、世界戦争前だったから、焦りすぎて、本をまとめられなかった。
ていうか、ハイデガーは、神様になりたかったのかなあと思う。
まさに、普通の場所、今、生きている場所から、それを、ぼくは、あざれあさんのように科学には、詳しくはないんだけど、戦後に「荒地派」っていたのだけど、やっぱり、限られたインテリだったですね。戦後の荒地から、詩を書いたのは、すごかったけど、もっと、間口の広い、第二の荒地みたいなのが、あったらなあと。
だって、新しい荒廃は、そこここにあるきがしますから、ハイデガーみたいに、大上段からでなくても、それぞれの実践を、ゆるく尊重できたらいいなあと自戒を込めて、思いますです。