雑談スレッド5[522]
2004 08/14 12:17
もぐもぐ

>>515
あざれあさん
>>513の「1837年−リトルネロについて」に関して補足します。

「千のプラトー」自体は、著作としては1980年の著作のようです。詳しいことは知りませんが、現代思想の文脈では、ポストモダンの思想だとかして、もてはやされたこともあったようです。

「差異」について。
これは単に私の理解ですが、差異自体はどのような観察者の視点からもそれぞれ認識されるものなので、「完全に客観的な絶対的な」観察者の視点を不要にしてしまうようなものなのだろうと思います。或る観察者の視点から認識される差異は、別の観察者の視点からは認識されないわけですから、この辺りがそれぞれの観察者にとっての意味の差異を生み出していくというような形になるのではないでしょうか。

署名について。
「領土化の要因は・・・まさにリズムやメロディーの<表現への生成変化>に、つまり固有の質(色彩、匂い、音、シルエット・・・)が出現するところに求められるべきなのだ」(前掲書365頁)
「署名や固有名とは、すでに形成された主体の符号ではなく、みずから領域や領土を形成する符号である。署名は一個の人間を標示するものではなく、領域を形成する無根拠な行為である」(365頁)
なお、「領土とは、・・・複数の「指標」によって標示されるものであり、これら指標はあらゆる環境の成分から取り込まれる」(363頁)
テリトリーを作る署名ですので、それぞれの動物固有のものであり、人間の存在は前提とはならないでしょう。

署名の具体例として取り上げられているのは、鳥や魚の色(珊瑚礁の魚が示す色彩)、良くある(糞便等による)臭い付け、あるいは「スキノピーティス・デンティロストリス」などという鳥が「毎朝、予め切り取っておいた木の葉を下に落とし、それを裏返して色の薄い裏側を地面と対照させることで、目印を作り上げる」等の変わった例も挙げられています。
人間の場合にはポスター、ないし立札、素朴芸術、など。また、「ラジオやテレビは、個々の家庭にとっていわば音の壁であり、テリトリーを標示している(だから、音が大きすぎると近所から苦情がくるのだ)」(359頁)
「スキノピーティスは素朴芸術を実践しているのだ。芸術家はスキノピーティスである・・・この点からすれば、芸術が人間だけの特権ではないことは明白だろう」(366頁)などと面白いことも書いてありますので、署名ないし芸術において、人間と動物の両者に相違があるとは見ていないようです。

署名の意味ですが、
解釈としては、署名は意味を持っているのではなくて、署名によりテリトリー(意味)が成立する、という形なので、署名者自身が署名の意味を認識している必要はないと思います。署名者以外の者が、その署名を認識すると同時にテリトリーが機能する(意味が生じる)といった感じなのでしょう。

なお、テリトリーは異なる種については作用しないようなのですが(この辺は生物学上の定義を見てみないと実際のところは分かりませんが)、この解釈として、種の分化の話も出てきています。
「領土は、同一種の成員の共存を保証し、これを調整するために成員を相互に隔てるばかりか、異なる種ができるだけ多く共存できるように、異なる種を分化させるのである」(370頁)
署名の相違が、異なる種(種族)を成立させる(或いは共通の署名に対する反応の差異によって種が定義される)といったような考え方なのだろうと思います。この意味では、署名は生き物の「自己表現」(他者に対する自己の成立)として行われると言えるかも知れません(署名によるテリトリーが機能すること自体が、始めて同族を成立させ、また、同族でなければ自己も他者もないわけですから)。

無生物の場合について。
テリトリーはもともと動物行動的な概念なので当てはまりませんが、それ以外の部分は無生物にも当てはまる形で記述されているようです。自他の認識をするかしないかは、生物固有の特徴というか殆ど生物の定義そのものなのでしょうが、この辺りのことまでは主題的には扱われていないようです。ただ、全体として、物質と生命を連続的に扱うような視点で記述がなされていることが多いようです。

「リトルネロ形式とは、バロック時代の協奏曲に多く見られた形式で、ロンド形式同様、ある同じ旋律(リトルネロという)が、異なる旋律を挟みながら何度も繰り返される形式のことである」とありましたので(Wikipediaより)、「1837年−リトルネロについて」と題されたこの章自体は、こうした旋律の観点から各種の事象(概念)を見ていこうとして書かれたものなのだろうと思います。
書き出しも哲学書としては変わっていて、こんな形です。「暗闇に幼な子がひとり。恐くても、小声で歌をうたえば安心だ。・・・道に迷っても、なんとか自分で隠れ家を見つけ、おぼつかない歌をたよりにして、どうにか先に進んでいく。歌とは、いわば静かで安定した中心の前ぶれであり、カオスのただなかに安定感や静けさをもたらすものだ」(359頁)
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