雑談スレッド5[514]
2004 08/13 21:58
佐々宝砂

お山から下りてきた佐々宝砂です。んむ。ブツリガクにソシュール? 存在と時間? 記号? ほーきんぐ? 荒地派? なんだっけそれ。もうすこし頭が文明人に戻ってきたら読み返します。おべんきょになりそうなのでたのしみです。

お山に籠もっているあいだ、なんどかファミリーキャンプのひとたちを見かけました。名古屋弁の子ども(兄妹らしい)の妹がいわく、「おたまじゃくしって渦巻きあるんだね!」おたまじゃくしの内臓が渦巻き状に透けてみえるのは、私には当たり前のことだけど、ふーむ、子どもにはそういうのも発見、だよなあ。と感心したり。品川のナンバーの車からおりてきた子ども(兄弟)が、ちっこいアマガエルをつかまえてクーラーに入れているのも見ました。ダンゴムシを大量捕獲して瓶につめてる子どもとゆーのも見ました。ああいうの、あとでどうすんのだろ………まあ、あんなことひとつひとつが子どもには夏の貴重な体験なんだろうなと思いつつ、私は黴びた餅を削っていました。友人が「こんなもん捨てる」というので、お山の食料としてもらってきたのです。黴を削って、干して、醤油につけて、油で揚げるとけっこううまく食べられるものです。真夏のお山に暮らす私はほとんどホームレスですね(笑

あざれあさんのちょうちょうの話を読んで、むかーしむかしのそのまたむかしに、確か朝日新聞夕刊の記事で「ひらら考」という文章が載っていたのを思い出しました。子どものとき読んだので誰が書いたのかまではわかりません。でもとても印象的だったので、中身はまだなんとなく覚えているのです。その「ひらら考」によれば、「蝶々」または「蝶」という言葉は、蝶が飛んでいる様を表した中国由来のオノマトペであって、やまとことばではないらしい。やまとことばで「蝶」を表す言葉ができる前に、中国から「蝶」という言葉が入ってきてしまったわけです。しかし、もしも、やまとことばで蝶を表現するオノマトペが生まれていたらどんなものだったろう……というのが「ひらら考」の問題提起でした。「ひらひら」という言葉こそが蝶を示すやまとことばのオノマトペであろうと「ひらら考」の筆者は書いていました。私も同感です。ファミリーキャンプに来ていたとても幼いこどもが、「ひらひら」と言ってました。そしてたとえば「きらきら」が縮められて「きらら」になるように、やまとことばのオノマトペが名詞に変化する場合、4文字→3文字に縮められる傾向にある、ならば「ひらひら」は「ひらら」に変化し、やまとことばにおける蝶の呼び名は「ひらら」になったであろう……と「ひらら考」は結論づけていました。

萩原朔太郎は、詩作のなかで、蝶が飛ぶ様を「てふ てふ」(tefu tefuと読むのであって cho cho ではない)と表しました。その重そうな羽ばたきは大きなアゲハチョウのもののように思います。私は、小さなふつうのシジミチョウやシロチョウの羽ばたきにふさわしく思われる「ひらら」という言葉、生まれる前に中絶させられたのを、無理矢理復活させられ、でも生き延びなかったこどものような、その言葉が大好きです。
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