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実はいまやるべきことが十くらいあるのですが、やる気が起きんので、なんか書きます。 まずはドジさんの発言。雑談スレ4[233]より引用。 >ぼくは詩で女を口説くほど落ちぶれてはいない。 >詩で女を口説くほど詩をバカにもしていない。 日本には古来、詩で異性を口説く美しい慣習があり、天皇家のみなさんもおおらかに愛を乞う歌を書きました。愛の歌の交換もありました。そのようなものを相聞歌と称します。詩で女を口説くのが「落ちぶれる」ことなら古代の天皇も落ちぶれてたとゆーことなのかな。私は、詩で女を口説くということが、詩をバカにしてることだとは思いません。ドジさんが「口説く」ということをバカにしてるんではないのかな。 さて、それではそろそろ働きます。私は働くおばさんなのです。 by 佐々宝砂 いやー、お金がかかるだけだから、これは遊びですね。 by 片野晃司 参照先不明 参照先不明 >>15 詩を手段にするか目的にするか。というたいへん古くからあるお話になりつつありますね。私個人にとっては、実のところ詩は「結果」です。現実路線のために書こうが、たとえネオナチのために書かれようが、心なくしててけとーに「こんなんなら若いのに受けるだろ」と思って書いたものであってすら、「結果」として生まれた詩は、誰ぞの心を打ってしまうことがあります。詩は目的でも手段でもなく、「結果」だと私は思っております。 こどもの言葉が恐ろしいまでに心を刺すことがありますね。こどもの心なりに何か考えて言葉にしたから詩のようになったとも言えるけれど、実際問題としては語彙と知識が少ないがゆえ「結果」として詩のようになったに過ぎません。心なくしてもおそらく「結果」としての良詩は生まれます。心にもないことを私は書き得ます。それを思うと自分がたいへんに悲しい存在だと思えてくることがあります。 私がドジさんに「口説いてみろ」と言ったのは、彼がこの詩のサイトにきておきながら詩のおすすめもせず投稿もしてはいなかったようだからです(この投稿をした時点で確認したところ、ドジさんはいまだおすすめも詩の投稿もしてはおりません)。「詩を書いてみろ」という意味のアジテーションを、ドジさんの語調にあわせた答として「詩で口説いてみろ」と私は書いたのでした。理由がどうであれ、経過がどうであれ、それでいい詩ができたらめっけもんです。私は嬉しいです。 by 佐々宝砂 >>佐々宝砂 >ドジさんが「口説く」ということをバカにしてるんではないのかな。 宝砂さん、たぶんあなたが仰ったことばの意味は、 「わたしを感動させるような詩を書いてみて下さい。そうすればわたしはあなたに惹かれるでしょう」 というほどの意味でしょう。 そのこと自体はべつになんでもないごくあたりまえの気持ちでしょう。 でも、わたしはわたしの詩によってだれかを感動させたり感心させたりするのでしょうか? もしそうならうれしいが、そうでないならだれかから軽蔑されることになるのだろうか? あなたの言い方からすると、詩を書く行為はそのような可能性の下にあるものの事であるといふことになる。 また、ひるがえって愛について考えてみるに 愛というのはそのような選別意識の下にあるものなのだろうか? へたっぴーな詩を書く詩人がもしあなたのお気に召さないのならその詩人はその件に関してはあなたの愛を得られないのだろうか? へたっぴーな素人の詩をとても好み、いわゆるプロなどの詩があまり好きでないわたしなぞはいったいどうなるのだろうか。 わたしは「口説く」といふことをバカにはしていない。それどころかそれを人生最大の目的にしていますが。 ただし詩をものだねにしたくはないというか、詩では口説けないのです。詩を愛の前に対置させたくない。それではあまりに重すぎるふたつをモノとして量ることになるではないか。という感じはありますね。 by ドジ >>17 私はかなりいい加減な人間ですので、誰が書いたものでもかまわんのです。それが私にとって面白かったり、怖かったり、感動させたりするならば、ね。素人が書こうとも、昔々の天皇が書こうとも。あるひとつの詩が誰かを感動させることがある。全く同じひとつの詩が誰かを怒らせることもある。笑わせることもある。詩にかわりがなくとも、読み手が違うだけで詩の与える効果は大きく異なります。 ま、実を言えば単に私の恋愛対象の好みの問題とも言えます。私は「詩で口説く」ことのできる人が好き、詩と作者を切り離せる人が好き、詩をものだねにして恥じない人が好き、バカになるべきときにはバカになることができる人が好き、「愛」だなんて言葉を使った恋愛詩は書けないような人が好き、なのですよ(笑)。「詩は重い」「愛は重い」と考えているとしても、それを口に出すようなタイプは、私の好みではないのです。つまりドジさんは詩を書こうと書くまいと、私の好みの男性ではないようです。 by 佐々宝砂 参照先不明 ドジ君 すまんな、俺が佐々好みの男らしいぜ(笑) by 山田せばすちゃん 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 >「愛」だなんて言葉を使った恋愛詩は書けないような人が好き、なのですよ(笑)。 詩について語ることと、詩を書くこととはまるで違うでしょう? ごっちゃにしないで下さい。 わたしは「愛」だのといった指示表出丸出しのコトバを使って詩を書くほどには、 まだまだ、詩に狎れてはいませんよ。 しかし詩について語るときには縦横にそういった指示語を使いますよ。 当たり前の話ではありませんか。 by ドジ あー。議論用スレッド欲しいねぇ。片野さん、作りませんか?<他人任せ 議論したい人はそっちへ移動、てな感じで。 by いとう 参照先不明 >ともかくドジさんは私にふられたのですから、それだけは認識してください。 あらら、とうとうぼくはふられたんですか。 ネット上でふられる体験は初めてなのですが、やっぱり悲しいものですね。 もっとも女性にかぎらず、ぼくは生まれつき何につけふられっぱなしなものですから かなりの耐性はできております。 ええ、涙なんか流しません。 悲しみをかんじるはずの大脳皮質の表皮が象の足裏のようにぶ厚くなっておりまして、 しわくちゃで黒ずんでほとんど鈍痛すら感じなくなっております。 いや、ときには、つらいはずのその刺激が厚い表皮を通過する間にどこをどう間違ったのか笑いすら催すほどになっております。はて、 これは神さまのご配慮だと感謝すべきなのでしょうか。 ところで「女子供のいうことは聞かない」というのは、石畑さんがいかにも女性らしく 快不快の原則でぼくの話の内容を切り捨てて下さったからでして そういうやわらかな暴力に対しては聞く耳をもたないという態度で挑むしかなかったのでございますですよ。 正直言って、だいたいが詩なんか書いている女は気持ち悪いという偏見が抜けないのでして。中にはまれに気持ち悪くないひともいるが、そういう人は決して快不快の原則でだれかを排除なんかしないわけでしてね。そういう意味で、石畑さんは、まだまだだと感じたまでのことです。 ま、貴重な体験をしました。 失礼します。 by ドジ アニメでもこういうキャラクターいるよね。なかなかいい味出してますな。 by 片野晃司 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 煙草がきれた、車がない、いちばん近いコンビニは歩いて二十分だが、道中まったく街灯がない、おまけに途中に墓地がある!ので行きたくない……ああっ、煙草が吸いたい。 アンテさんもネプチューン好きで、いとうさんは結婚後の新井素子には?なのね、いずれも同志だ。でも私、新井素子のヒロイック・ファンタシーは評価しないな、『ディアナ・ディア・ディアス』は駄作に近いような気がする。で、わたくしアンテさんと同じく山口県まで行きました(あっはははです。もちろん『あなたにここにいてほしい』を読んだがために)。私もグリーン・レクイエム好きでマンガまで読みましたが、映画は見てません。なんか怖くて見られないのです。 で、いとーさん、火浦功ですよ(笑)。ひろしくんではありません。でもって岬くんは岬兄吾なのだ。でもって、ホーガンとかニーヴンとかティプトリーとかは、古典?とゆーか近代以降のSFで、まだ彼等の仕事は必要だし、彼等の出した問いには答が出てないし、古典じゃないよね。古典だったら、ステープルドンとか(古すぎ)。ヨコジュンの「古典こてん」とか。 いやまったくSFの話をするときりがないのですが、ミステリの話をしてもきりがないです。サイバーパンクの話をしてもきりがないです。ヒロイック・ファンタシーの話もきりがないです。わが母はロバート・E・ハワードのコナン・シリーズ(ハヤカワ版コナン。未来少年でも江戸川コナンでもないし、できればコナン・ザ・グレートでもない)が好きで、私はフリッツ・ライバーのファファード&グレイ・マウザー・シリーズが好きでした。ムアコックは、昔の火星ものや、ルーンの杖秘録やコルムなんかは好きだったのですが、エレコーゼあたりからわけわかんなくなったので、やめました。 by 佐々宝砂 参照先不明 佐々さん、皆さんSF好きが多くてなんか不思議ですね。僕は中学生の頃の夢はSF作家になることだったのです。高校くらいのときだったか、SFマガジンで豊田有恒さんがショートショートの投稿欄の選者をやっていた頃によく投稿したものです。もちろんみんな没で一度だけ豊田さんから短評をいただいた程度でしたけれど。同時期投稿していて目立っていたのが岬兄吾さんでした。高井信さんもいたんだっけか。僕は実は偶然彼と同じモチーフを思いついていて、それは言葉に関するものだったけれど、どうしてもうまくかけないでいたところ、見事に先を越されそのぼぼ同じアイディアで切れ味のいい良質の奴を書かれてしまったんで、それ以来ショートショート書いていないのです。当時、僕はプロットを立て、書いても書いてもズレた「表現」の部分だけがふくらみ決めたはずのプロットがだいなしになってどこかへいってしまうのでした。僕はまだ「詩」というものに出会ってはいなかったけれど、それはまぎれもなく散文詩としかいいようのないモノであったのです。僕は散文詩という言葉すらろくに知らなかった。ただ、SFが好きな内向的な少年に過ぎなかったのです。かっこつけて「非A」がどうのこうのと文庫本を持ち歩いていたけれどほんとうに好きだったのは、シェクリィだったり、ブラッドベリだったり、ブラウンだったり星新一だったりツツイだったり小松だったり平井だったり、したのです。ニュー・ウェーブに訳もわからず憧れていました。川又千秋が好きでした。彼の評論のリリカルなスノビズムが。 by 川村 透 カール・セーガンの「コンタクト(下)」をお持ちの方売って下さい。 それが駄目なら、必ず返すので、一週間ほどお貸しください。 風呂やトイレで読みませんから。 m(_ _)m by ポロリ 片野さんが5/9にUPされたトップページ画像。 ミラーマンと超人バロム1・・・一番左がわからない・・・見たことあるようでわからない・・・。とても気になる。 by 前方後円墳 doji52 往復書簡 はあはあと息を切っていつもぼくは20キロの道のりを自転車で通ったのだったね。 工場の煙突があり、高速の下をトラックが走り、ドブ川が流れ、砂利道からは砂ぼこりがたった。 携帯電話も郵便局も嫌いだときみがいったので、ぼくはそうしたのだ。たったひとこと「うん」と返事をするのにも往復二時間をかけて阿倍野から藤井寺までを走った。花が生けられた柵の上の郵便受けに封筒を投函し(ときには葉書を)ふたたび自転車をこいで家路についた。あのころの汗のなんと爽やかで気持ちよかったことか。 ベランダの窓からシャツを風になびかせてあなたが走ってくるのをいつも息を飲むように見守っていました。髪はライオンの鬣(たてがみ)のようになびき、必死のあなたの形相。まるで飛び散る汗が目に見えるようでした。 そして、手紙を投函したあなたが、窓の方にちらっと視線を泳がせて名残り惜しそうに帰ってゆくのを、いつもじりじりしながら見送っていたのです。あなたの姿が消えたら、すぐに階段を走り降り、手紙を鷲掴みにしてまた二階のお部屋に駆け上がったものです。 すぐに開封したいのを我慢して、おあずけをくった犬みたく手紙を前に正座し、息を整え、わざとお湯など沸かしてお茶を淹れたりしました。 それから、もう我慢ならぬとばかりに狂おしくあなたの手紙をむさぼり読んだのです。そこにはたった一行 「おはよう」とだけ書かれてあったこともありました。 それからわたしはトレパンに着替え、運動靴を履き、ふふふ、20キロ往復のマラソンに出かけるのでした。あなたに新たな手紙を届けるために。 つづく by ドジ >[169]片野晃司 >ドジさん、重複発言の消し方わかりましたか〜? あ、ご返事遅くなってすみません。 すぐにご返事したかったのですけど、なんかな、ご親切が身にしみまして。 いちおう、わかりません。(なんだ、この返答の仕方は...汗) よろしければ、アドバイスを。 by ドジ >以降、T小学校という風に、イニシャルで配慮願えれば幸いです。 はあぁ〜? T小学校ぉ〜? なんでしょうかそれは? で、そんなにヤバイ工場の敷地内で働いている工員たちは大丈夫なんですかぁ〜? 周囲の住民たちの健康は? 土壌調査はちゃんと行われるの? なんでT小学校なんていう匿名にするんですかぁ〜? 子どもたちだけの問題でもないでしょう。そんなヤバイ話は。 それとも政治決着が着いたからこれ以上その件で、世間にヤバイ工場の問題を探られたくないということでしょうか? よくわかりませんね〜。 by ドジ えーとですねー、つまんないんで尋ね人します。 詩人さん、あるいは元(?)詩人さん、もしくは行方不明の詩人さんたち。(敬称略でペコリ) ・枕元京平 / シバ とも名のっていた。なんかはてなダイアリーでみけた方がそうかなーとも思うんですが、確信なし。 このフォーラムにも登録はしているけれど、音沙汰なしです。四月末にログインした形跡はありました。 いとうさんとこのことだま選集にシバ名義であり。ギルドにもシバ名義であり。 ・笠間俊介 / ネリ、マメ色 とも名のっていた。以上お二人は札幌在住です。のはずです。 やはりpoeniqueの選集に両名義であり。 ・竹上 泉 / 京都の方だったような…。選集にあり。 ・あだむくらいん / この方は彗星のように現れ、消えました。一時的なペンネームだったのかな。 詩人ギルドの、リンクされていないページ(Googleで探すと出てくる)に作品があります。誰だったのだろう?? ・(はゆ)さん / 不明。三重あたりの人だったと記憶。 以上の方の消息をご存じの方、もしくは本人いらっしゃったらご連絡下さい。m(_ _)v by クリ 参照先不明 >>199 (はゆ)さんって括弧付きで、まだギルドのMLがあった頃登場したひとですよねえ。 下のサイトでお名前を見つけました。 http://oboegaki.fc2web.com/top2.html かっこがとれて、はゆさんになってますが三重在住だし同一人物だと思います。 by 佐々宝砂 >TAKEさん、 ○○は××であるべきである!....なんて、きょうびとてもダサいすよ。 いかほどのお人か知りませぬが、そういうマッチョな文体でいったい 何を、だれを黙らせたいのですか? 矮小なやつをですか? 理解力の劣るやつをですか? 立派でないやつをですか? ネットでしか発言できない障害者をですか? 「永遠の焦燥感と虚無感をもつ「バーチャルハート」」? をですか。 黙らせて満足なのですか? さて、そうやって、ゆっくり自慢話をする環境をつくりますか。 ただただ、恐れ入る立派な御仁だ。 by ドジ >>199 こんにちは。クリさん、 竹上 泉さん、はい、京都の方ですね。お友だちです。今は詩ではなくて、同人誌で小説をかかれているそうです。クリさんによろしくお伝えくださいとのことでした。 by サダアイカ (aika) 参照先不明 参照先不明 >>235 >>236 私は飲み屋で自分の夫のことを自慢たらたらでのろけるので(結婚十一年ですが)、 男運の悪いママに「出てけー」と怒られたことがあります。 でも好きなもんは好きだもんね。 by 佐々宝砂 参照先不明 すでに四十時間以上起きていて、そのうち半分以上が労働によって消費されました。疲れていますが眠れません。なんとか眠る方法は、ないのかしら。薬物に頼っても、アルコールに頼っても、カウンセリングに頼っても、宗教に頼っても、眠れません。いや笑い事ではなくて、深刻に悩んでいます。 by 佐々宝砂 >248 佐々さん、眠れましたか?僕は週末から吐き気と頭痛に悩まされています。なんだかけっこう目が泳いできました。わりあいと危険かもしれませんので帰って横になります。とにかく横になりましょう。 by 川村 透 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 夏の夜、畑や田のあぜ道から「ジーーーー」という音がすることがあります。 昔、父から「あれはみみずが鳴いているのだ」と教えられ、今でもあの音を聞くと「あ、みみずが鳴いている」と思います。 でもあの体のつくりであの音がでるわけないよなあ。 by 片野晃司 参照先不明 やーみなさんありがとうございます。 クビキリギスは違うかもしれません(気持ち悪いだなんて、かわいいじゃないのっ)。これで声がでかいなら。とにかくとっつかまえてみるのが最もまっとうな解決策かも。 そうそう、オケラの可能性は考慮したんですよー。いなかもんですので、オケラは家に飛び込んでくるときがあるくらいです。「ケラ」という書きかたしたので、意味が通じなかったかも、です。で山せばさんの言う遊び、私も知ってます。別役実は、『虫づくし』のなかで、奥ゆかしく「どーれくらい?」と聞くと「こーれくらい♪」と返してくれる虫だと書いておりました。かの『虫づくし』という本を思い出すとき、私は必ず「すりぎりき」「ぎおろこ」と唱えたくなります。「すりぎりき」は「きりぎりす」の逆です。今日本で「すりぎりき」と唱えてる人、いったい何人? by 佐々宝砂 >oldsoupさん こういう虫はだめかしら。 http://poemlyricrevo.hp.infoseek.co.jp/images/monki.jpg (↑モンキアゲハ、撮影佐々宝砂) by 佐々宝砂 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 >288 Fiorina さん 始めまして。 「ツァラストラ」は確か文庫の上巻だけ買って読もうとしましたが、挫折した記憶があります。後は「道徳の系譜」「この人を見よ」位です。 いずれも「さっぱり」分りませんでしたが。 ニーチェについて良く知らないで、少ない材料でニーチェを独断的に語る、、、 これこそある意味、実に ニーチェ的 であると、勝手に思っています。 by 汰介 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 決定打があるかどうかという短絡的な議論ではなくってですね、片野さん、そういう方向付けがほしい、という事です。少なくともすぐにでもできそうなことなのに現場でやってなかったのは「何人来たのか」「誰が来たのか」「何のために来たのか」「何を見て来たのか」「どこから来たのか」についての分析の為の資料集めでした。いっぱい来た、にぎやかだった、良かった良かった、おつかれさーん、ではなく、じゃあ来年は?次回は?どうやったらもっと人が来るのか、もっと詩が売れるのか、場を提供する側はやはり考えるべきなのではないでしょうか?「TOKYOポエケットは、詩誌や詩集の販売・朗読・交流のイベントです。」と主催者側が謳っている以上。 片野さんの言われたことでやはりちょっと俺も考えねばならないかなと思ったのは、俺は自分が扱ってる商品の特質は知ってるし、それをどう売るべきか、という方策も考えはしましたけど、じゃあ、商品としての詩の特質についてはどうなんだろうと、それをもう一度考えるべきなのかしら、とか。確かに見た目と価格と性能があるい程度比例していて、よほどのことがない限り買い手の期待を裏切ることの少ない(いやまったくないわけでもないのよ)商品と、個々人による評価基準がまちまちで、彼にとっての名作がすなわち彼女にとっての名作であるとは言い切れない詩とでは、その売り方つまり商品との出会いのさせ方もおのずから変わってくるでしょう、ならば、多品目少量展示の今のポエケットの商品陳列のあり方、その中から読者と作品が触れ合える場の創出についても、一考の余地はあると思います。 by 山田せばすちゃん 参照先不明 ・・・んなこたぁ、自分で考えなよ。 詩と呼べるかどうかは、書いた本人は詩だ、というんならそれはそうなんでしょうよ、としかいえないし、半ば執着ったってなんに執着してるのかは見えてこないし(まさかここのポイントに執着してるとか、そんなこともないだろうけれど)そんなもん正しいとか正しくないとか誰が決めるって言えば書いてる本人だし、その上で書くのも書かないのも自由だし。 ただまあ、自分がホッとするために書いたもんを人様に見せてどうしようって言うんだろうというところに気がついたあたりから詩は立ち始める。・・・立てないでやめてっちゃう人もままあるけどね。 誰のためって(苦笑)俺はずっと書いてきてるけど「私にために書いてください」なんて子こといわれたことはただの一度だってないよ(苦笑)そういう幸せな体験をしたことのあるやつのほうがたぶん圧倒的に少ないと思うけどな。 by 山田せばすちゃん >>354 あたしゃ、人に「他の人の為には書くのに、私の為には詩を書いてくれない〜」と拗ねて見せたことはありますよ(笑) 誰かに捧げる自己満足とか捧げられて嬉しいという甘ったれた他者依存だけじゃー、つまんない詩になることがありがちですが、んでも、詩の実用価値のひとつとして、そういう面を評価するのも悪くねーな。真摯に誰かの為に書かれた詩で、まったく無関係な他人が感動することだってままあるし。 「人に捧げる詩」というだけでなく、そーいえば、私が短歌詠みはじめて間もない頃、同人誌への批評として、ある編集者さんが言った、「誰を読み手としているのか見えない歌が多い」という言葉にぎょっとしたなぁ。おもねるとか、戦略とかではなく、それこそミントさんが自問自答したという疑問に近いものがあるのではないかと思いました。 by 白糸雅樹 参照先不明 ハードな一週間が終わり、脳味噌がただれているような気がします。こういうときにニューススレに書いたりするととんでもないことになるのは明白なので(もちろん私が悪くて「とんでもなく」なるのですよ)、まだニューススレにはレスしません。Ohatuさん他みなさんすみません、まだ待って下さい。とはいえ、今書かねばならぬこと、まだ新鮮なうちに書かねばならぬこともあって、私はそれを書かねば眠れません。書かずにはおれません。いまはとりあえず東京ポエケットのことを書かせて下さい。 よそ(http://www.poetry.ne.jp/event/poekett/index2.html) でもここでも、私は「ポエケ」と「コミケ」を比較対照して話しました。チャットやリアルタイム会議室でも同様の比較をしました。そうしたところ、必ず出てくるレスのひとつに「コミケとポエケじゃ人数が違う規模が違う」という内容のものがありました。私はそういうレスを予想しなかったので、少し驚きました。言うまでもないと考えていた私が年寄りなのだろうとは思いますが、初期のコミケは、単なる少人数のバカの集まりに過ぎませんでした。買いに来たのがせいぜい5、6人というものさえあったそうです(我が友人の証言)。日本SF大会の初期のころも、似たようなものだったでしょう。冗談ではなく「SF」と「SM」を勘違いされた我が母の証言によれば、まさしく「少人数のバカの集まり」に過ぎなかったようです。なにごとも最初のうちは規模が小さい。人数が少ない、認知度が低い。当たり前のことです。いきなり大規模な開催を求めるのはおかしいと私は考えます。ちょっとずつ、規模を大きくしてゆけばいい。そして私は、もうポエケットは江戸博物館の会議室にはおさまりきらなくなりつつある、と言いたいのです。 また、東京である必然性もなくなってきていると思うのです。たとえば私の住む静岡でなら、今回のポエケット会場より広い会場で、かつ屋根がある、という場所を見つけることが容易です。交通も便利です。宿泊施設もあります。ただ閑古鳥がいつも鳴いています。人員がないのです。だから今すぐに静岡でポエケットをやれと言われても難しい。地方都市はどこも似たようなものでしょう。器ばかりがあり、中身がありません。一方、東京ポエケットには濃密な中身がありました。あの狭い空間に、あの短い時間に、濃密すぎる中身、しかもその濃密さは、親密さや、ひそやかな共感とはいささか離れたものでした。要はバラバラな濃密が群れていたのではないかと思います。あのようなタイプの濃密さは、もっと広い空間に向けて解放してゆくほうがいいんじゃないかと思います。 比較して申し訳ないけれども、ポエケ翌日19日に開かれた雅樹さんのイベント「ねずみのしっぽを集めたねこは」の場合は、少人数・濃密・親密・ひそやかな共感というものが満ちておりました。現在のポエケットとは全く逆方向に向くべきイベントでしたし、それが成功していたとも感じます。 それからすこし、私の今日の暮らしぶりを書かせて下さい。私の暮らしは日々変わります。今日は販促マネキンの仕事をしました。いなかのスーパーのカレー売り場で、せっせせっせと風船を作り子どもに分けてまわり、風船をぶるんぶるんまわしてウチワをがんがん叩いて叫ぶよ叫ぶ、「カレーがおやすくなっております! ただいまカレーフェア開催中! ○○○円お買いあげの方にスクラッチくじを引くチャンス! ここでしか手に入らないレアものオリジナルグッズがもれなく当たります! 空くじなし!」、とにかく全部の台詞に感嘆符付き。それが仕事ですからマネキンの私は叫びます。それが仕事ですからマネキンを終えた私はカレーの売り上げを数えます。それが仕事ですからマネキンの私は簡単なマーケット調査もします。一日叫んで、ひとつあたり98〜300円のようなものを、合計でいくつ売ったか。数えていると悲しくなります。ええ、ものを売るという行為は、いえ売らなくとも人に何かを手渡すという行為さえも、ほんとうは、とても、難しいのです。私は、余った販促商品を抱えて派遣会社にとぼとぼ帰りました。余るといつも悲しくなるのです。でも、悲しむ必要はない、と私の経験が言います。派遣会社のスタッフも言います。マネキンとしての私の能力は、割と高く評価されます。だから私はマネキンとして報酬を得るのです。 私は現場の人間です。工場の、農場の、売場の。 詩の現場は、いま、どこにありますか? by 佐々宝砂 詩の現場はそこここにあるさ、石川さんのようにデイケア行って朗読なさるのだって、そうだろうし、もちろんポエケットだって詩の現場ではあるだろう。問題にすべきなのは現場のあるなし、ではなく、どこが現場なのかという規定でもなくって、現場にいるときの詩人の立ち居振る舞いそのものなんじゃないのか。 by 山田せばすちゃん 参照先不明 >353 なんつーかそのう、小さな疑問からはじまった豊かな(稚拙であろうと、 未熟であろうと当事者にとっては過程として豊かである) 議論の輪ってものが 答えをだれかに簡単に出されることによって、とても 小さな結論に縮こまって終わるということがよくある。 ミントさんの小さな自問はだれにとっても違ったかたちで芽生えているものだし (もちろんぼくにとっても常に) それは議論の過程自体が大事であるというような種類の疑問であって、 それをね、どこかの偉そうなアホがね、やっぱし偉そうにね ぽい、と わかったようなことを言ってハナシを断ち切り、とても小さな世界に 押し込めてしまうことがある。 結論てのは小さな小さな世界に大きな議論の輪を萎縮するってことですよね。 こういう素朴な疑問をね、それこそ 自称、大御所みたいなアホがね、左の耳から右の耳に通り抜けさせている。 だから、どこへいってもつまらない詩もどきが多いのかもしれません。 by 一番絞り 今〆切前なのに詩ができず死にそうな思いなのですが(毎度こんなこと言ってら、私ったら、笑)、どうしてもひとこと書きたくて。 ミントさん発言、 >感動が詩なんだ。 > >生きているっ と実感することが。 この結論は、広がってるように見えて、実は小さな結論のように思います。固まりすぎのようにも思います。でも私はこうした言葉を批評したくないので(するべきでないと思います)、なるべく何も書きません。本来ならばレスしません。「自分で考えろ」というやませばさんのレスは、いい加減にみえて実は的確で、冷酷にみえて実はそれほどつめたくありません。ミントさんは結論がほしいわけではないのでしょうから、自分の言葉で、自分で、考えるべきなんです。たとえば「純粋なものを書けてない」と考えることは易しい。でも「純粋なもの」ってなんですか。ミントさんにはわかりますか。私にはわかりません。やませばさんはアドバイスをしていますが、答を出してはいません。彼が出した答は彼の答に過ぎず、ミントさんの答ではない。 という文章を、わたしは>>372へのレスとして書きました。 by 佐々宝砂 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 >394 ミントさん始めまして。 何となく面白かったので、ちょっとだけ言わせてください(そういうの真面目に考える人って、何か楽しくて良いです)。 僕の小さい頃の疑問に、「虫には耳あるんだろうか、音聞こえてるんだろうか?」ってのがありました。小学校だったか、国語の教科書に載っていましたが、ファーブルが大砲打ったりして「セミには音が聞こえるのか」実験したとか。 結局セミは人間とは違う周波数の音を聞いているらしいんですけれども、じゃぁあのセミの鳴き声は、セミ自身には全然違う風に聞こえているのかな?と、随分不思議に感じた記憶があります。 実際のところ、お互い他の種類のせみの鳴き声は(周波数が違ったりして)聞こえないんでしょうかね、どうなんでしょう? あと、虫とか、普通どうやって仲間を見分けているのか、素朴に不思議に思います。違う種類の虫とかと、お互い勘違いしたりはしないんでしょうか?脳みそも小さそうなのに(というか、脳みそあるのかな。何か分からないけどそれに相当するようなものはやっぱりあるんでしょうね)、生き物って大したものだなと思います。 by まつお 静けさや 岩にしみいる 蝉の音 という芭蕉の句がありますね。 あれは、芭蕉が見た景色だけ詠ってるのか? 蝉の音って言ってるし、岩に静けさか、蝉の音が入ってるよね。 よくわかんないね、感じる主体が。 基本的に、僕は思うけど、蝉が考えたり考えなかったりは、人間にはわかんないかも。 自分にとって、蝉の出す音がどう言う意味を持つかが、僕は大事で、、 ミントさんは、違う見解を持ってるようで。 しかし、本能と感情って、分けたのは、科学であって、一応、僕も、生きる都合上、科学の考えにのっとってるときもあるし、でも、あんまり分けすぎるのも、まずい気がする、、あくまで僕の考えだけど。 by 石川和広 >ミントさん 調べればわかることは、あるていど自分で調べたほうがいいと思います。蝉は夏だけに鳴くとは限りません。チッチゼミやハルゼミは春に鳴きます。あと、蝉のメスは鳴きません。鳴くのはオスだけです。ということから、蝉がどうして鳴くのか、想像してみて下さい、ミントさん、想像できなかったら調べたらいいかと思います。 >石川さん 芭蕉の句は正しくは「閑さや岩にしみ入蝉の声」です。「しずけさ」ではなく「しずかさ」、「蝉の音」ではなく「蝉の声」。解釈は自由ですけれども。 >まつおさん まつおさんのご意見が私には面白くて、そういやバッタの耳が足にあるのは知っているがセミの耳は果たしてどこにあるのだろうか、とネットを調べたら、セミの耳は腹部にあるのだそう。腹にある腹弁という膜が人間の鼓膜の役割をするそうです。ところで、セミの声は羽をこすることによって出るのだけれど、ただ羽でこするだけでは音が小さい。腹部に共鳴させることによってでかい声になります。とゆーことは、人間で言うなら耳と口がものすごく近くにある、というような感じなのでしょーか?(ちょっと違う気もする) と書いてから、記憶違いのような気がして、今度は図鑑で調べました。上記を訂正です。 蝉は羽で音を出すのではありませんでした、まさしく「腹」で音を出しているのでした。蝉のオスの腹部には音を出すための筋肉があって、その筋肉で音を出し、腹の中で共鳴させるのだそうです。今度こそはまちがってないことを祈ります。とゆーか、まちがったこと書いてすみません。 by 佐々宝砂 参照先不明 ううっ、三日ほどアクセスしないうちに、絡みたい発言がぁっ。いっぱいぃっ。 長文になります。 372の一番絞りさんの発言にポイントを入れた。が、実はものすごく迷ったのだ。というのも最後の一行が。嫌だ。嫌な文が含まれている発言にポイントを入れるのも変な話だ。しかし、その部分以外の大意は大賛成なのに、一番絞りさんの意見への批判が多く、せっかくの一番絞りさんの問題提起に応えている人がいない気がする。(奥主さんが378へのコメントを書いているが。先越されて悔しい。なまじT-THEATERで奥主さんと一緒に活動することが多いので、似た意見を書くとつるんでいるみたいですげー嫌なんだが。ちくしょー。しかし、奥主さんだけに言わせておくのも悔しいんで、書く。それに奥主さんがコメントした一番絞りさんの378は他者への非難が強くて私は嫌いだ。)372は最後の一行がなかったらまったく迷わずにポイントを入れていたと思う。 議論が進むうちに話が逸れていって、ミントさんと山田せばすちゃんさんの最初のやりとりについて、一番絞りさんが指摘していたことが、紛れて見えづらくなっている気がするので、改めて引用する。 >なんつーかそのう、小さな疑問からはじまった豊かな(稚拙であろうと、未熟であろうと当事者にとっては過程として豊かである)議論の輪ってものが答えをだれかに簡単に出されることによって、とても小さな結論に縮こまって終わるということがよくある。ミントさんの小さな自問はだれにとっても違ったかたちで芽生えているものだし (以上、372の一番絞りさんの発言より) 「結論を言ったわけではない」というのは、せばすちゃんさん自身から反論が出ていて、ま、その反論は間違っちゃいないと思うので、そこはともかくとして。 「稚拙であろうと、未熟であろうと当事者にとっては過程として豊かである」って部分、重要じゃねーかい? 正直言って、ミントさんの353発言、私は稚拙だと思うよ、悪いけど。山田せばすちゃんさんが言った、「自分で考えなよ」という354発言、間違っちゃいないとは思うよ。 でもさ、「自分で考えなよ」って、わざわざ言うほどのことかしらん? 当たり前すぎることじゃねーか。せばすちゃんさんは敢えて当たり前のことを言うほど親切なんだろうけれど、んでも、真面目に悩んでいる時に、正論言われてしまったら、どうすりゃいいんだい? ミントさんは355であっさり反省してしまっているけれど、いいの? ほんとにそれでいいの? (「いいの?」ってゆーのはミントさんに向けてと言うより、「書く」ことの意味で悩んでいる人に向けて言っているんだけどさ。) 「書く」ってことへの疑問、何故書くことに執着するのか、自分を疑う気持ち、書くことで何を求めているのか、ミントさんの353発言は、ほんとに根本的な問題だし、それを素直に表明したミントさんの発言に、せばすちゃんさんが書いた返事は、やっぱり、何度読み返しても、「答えを書くつもりではなかった」というせばすちゃんさんの意図を外れて、 >詩を書くということについて正しいとか正しくないはあるか。 衝動が起きる。衝動が文字を打ち込ませる。 (353のミントさんの発言より) などの問題提起を、「自分で考えるべき問題」と言うことで、中断させてしまったと思う。 それでいーのか? ほんとにいーのか? いや、自分で考えるべき問題を、人に相談するのは未熟だよ。だけどさ、未熟がいけないかい? 未熟な人間の集まりで成り立っている場所としてここを使ったらいけないかい? 人と話す(答えを貰うんじゃないよ)ことから、改めて自分で見つけるもの、けっこうあるんじゃないかい? 私は未熟だ。すぐにみぃみぃ泣く。自分に自信がない。その癖、感じの良い謙虚な文章で論を述べることもできない。ある場所(現代詩フォーラムではない)に朗読会の感想を書いた末尾に、「文章が硬くて読みづらい(一見エラソー)なのは、批評文を書くときの私の癖なので、お許し願いたい。高みからものを言う心算はなく、精確に記述したいとの想いからである。」と書いたら、「もし悪癖だとお考えなら是非直していただきたい。不愉快きわまりない。」という抗議を貰った。 だけど思うのだ。私がこのように存在する以上、それを非難する人がいても仕方がない、と。 by 白糸雅樹 もう一つ書きたいことがあるのだが、論がぶれないよう発言を分けます。 「大嫌い」と言われたらかなしい、と書けるひとが羨ましい。 「ナニ書いても否定されるような悪意の支配する様な場所に、罵詈雑言浴びながら自分でも何を書いたんだか分からん様なモノを書きつづけられるのか、と言われたらオレはどうだろう。一寸すくんでしまうな。」とあっさり書けるひとが羨ましい。 いや、私だって嫌われたらかなしいよ。しんどいよ。 否定されるような場所で、自分で「分からん様なモノ」を書きつづけるとしたら、一寸どころじゃなくてすくむよ。 時には傷ついて、公衆の前でみぃみぃ泣き叫ぶくらい、しんどいと思う。 んでも、もっと怖いのは黙殺されること。 そして、黙殺までいかなくても、日々、私がしんどく感じていることは、適当に誉められることだ。「まぁいいんじゃないの」と。その程度のレベルだと認識されているのだと思う。 以前、私はT-THEATERのパンフのプロフィールに、「ヴァイオリン弾き、歌人、詩人、朗読人を目指して修業中」と書いていた。それは、私がやっていることが、まだプロレベルではないということがよく判っているので、その引け目からだ。 だけど、ある時期から、それは止めようと思った。アマチュアだと自ら公言することで、手加減を期待するのは嫌だから。手加減した批評しか貰えないのはつらいから。 いまでも、自分の創作物のレベルの低さに忸怩たるものはある。それでも、自分がその程度だということも含めて、プロなみの批判に晒されたい、と思う。 by 白糸雅樹 参照先不明 どこかで何か私に関わる問題が起きているけど、めんどくさいというか、何がなんだかわからないのでたいへん困る。私は策略に与していないし、ギルド出身(笑)だからってフリーメーソンじゃないので陰謀計画も練ってはいない。私、偽悪趣味はあるものの生真面目な清く正しきプロテスタント(もっとも最近かなり信仰の危機ではある、真面目な話、信仰を放棄するかもしれない)。酒抱えてたって飲んではいけない場所なら飲まない。仕事中ならまして飲まない。なにしろ駅のホームの禁煙すら破ったことはないのだ。つまり私は、書籍販売中に禁酒禁煙の場所で酒飲んだりはぜーーーーーーーったいにしねえぞ、ゴラァ(^_-) と誰に向けたんだかわからん台詞はこのへんで終わりにして、 >白糸さん せばさんの大根切りは基本的にレスなしでいこうという場所だから、批評しましょスレに書いたらどうかなあ、とも思うけど、そもそも問題の※さんの作品が批評受け付けない「未詩」に投稿されたものなので、いまはあれ、さわらないほうがいいかも………です。 by 佐々宝砂 こばにゃ、ふぃおさん。 袂って、てぬぐいとか、ちょっと入れておくのに便利ですよね。(あれ、なんかふぃおさんの袂評価からずれた。。。。) あと、メモとかペンとか、帯に挟めるし。私、着物を自分で着られないので、せめて今年こそ浴衣着て練習したいって思ってます。でもまだ一度も着てないのよー。しくしく。着てくと、着崩れた時に自分で直せないから、誰か直してくれる人がいる場所じゃないとだめなんだもの。 浴衣で自転車、いいなぁ。うち、駅から遠くて自転車なので、余計着物着づらいの。以前、親に、「着物で自転車に乗りたいので袴買ってくれ」って頼んだら、「着物がもったいない。自転車なんてとんでもない」ってえらく怒られてしまいました。えーん。 普段、私、ロングスカートで自転車に乗っている(ついでに、薄い、布の量の多いスカートで、車輪に巻きこんで転んだこともある(爆))ので、着物で自転車、それより安全じゃないかぁ、って思うんだけれどね。ああ、大正時代にもどりたい。。。。(笑) んでもって、第四次新思潮に首突っ込みたいにゃぁ。にゃぁにゃぁ。 by 白糸雅樹 片野晃司さん。 >>外で会ったらこつん! くらいでは済まさなくなるぞ。(ボルカの「低劣な詩論で詩批評するな」発言に対するわたしのスレ) >一番絞りさん、あなたが子供か大人かは存じませんが、世の中、書いてはいけないことがあることを >勉強したほうがいいでしょう。 だれかに向かって批評するな、と強制するのも書いてはいけないことざんしょ。 別に「こつん!」というのは直接的物理的暴力のことではないよ。 人間てのは相手の目を見て話さなければ成らんことがあると言っているだけ。 相手の目をちゃんと見て話もできないことを、掲示板上で書いても卑怯だし、 しょうがない そいうことを言っていることがわからんかね。 ま、〈世間〉では「こつん!」から暴力を連想するかもしれないが、そうではないことを 断っておく。 by 一番絞り >433 だぁからぁ〜、 わかりませんか? 「低劣な詩論で批評するな」と強制するような発言がまかり通ってるから 相手の目をみて言えないような事は言うなよてことです。 掲示板だから気をつけろということですよ、わたしも。 同じ意見ですよ。 わたしの罵詈雑言については、これはちょっと気をつけるように しましょう。 別に音をたてないオナラが高級だとも思ってませんが、 そういうオナラをするように我慢して「勉強」しましょう。 by 一番絞り もともと鬱病っぽかったのが悪化してはや3年。一時期は薬がてんこもりの10種類近くだったのが、いまや2種類になった。鬱病って治るのねという感慨を抱いて喜んでいたのもつかのま、ずいぶんマトモになってきた頭で考えてみれば、鬱病悪化したのそもそも誰のせいだよー。をーい。少なくとも3年間、私は怒ることもできなかったのだ。それほど私は弱気になっていたし、うんざりもしていた。でも私は謝罪を要求しない。私自身も知らぬうちに人を傷付けまくっているのだろうから。今回のポエケ飲酒疑惑でも、私は謝罪を要求したりしたくなかった。私自身は、要求していない。 なんて書くと片野さんに迷惑だと思う。別な場所の話だし。なので、 sage by 佐々宝砂 >>438 汰介という名前の人からは、何か問題のあるようなことをされてはいません…… 三年前に、汰介さんが別な名前を持っていたとしたら、また話は別ですけど、 ま昔話ですから、蒸し返すのはやめます。昔話をした私が悪いのです。 by 佐々宝砂 権威になりたいって気持ちがあるんだよなあ、俺。笑 でも、おんなじくらい権威になんかなりたかない、って気持ちもある。 自分の及び知らぬところで勝手にけなされるのはまあ許せるけど、 聞いてもまともに論理を教えちゃくれないような中傷を受ける、それはなんか許せん。 だって俺は俺だもん。 俺の論理でやってんだもん。 けなしてもいいけど、俺を不快にするならちゃんと俺を論破してからにしてよ。 せめて納得させるとか、理解させるとかさ。 みたいなことを、最近なんとなく考えてる。 by れつら 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 >>495 自分なりの意味を、捉え方をつめこみすぎて、相手が捉えにくくなる事もあると思うんです。閉じ込めていって、何か対象を、封じ込めて、しまう危険もあるし、感じのように、 色んなものや人や世界の動きを形にすることによって、膨らんでゆくこともあると思います。 とにかく、言葉の読みは、まず、自分なりの捉え方が第一だと思いますが、そのことを発語する時には、読みの複数性にさらされる覚悟もいります。 自分を大切にするには、そのことも必要なんですが、それの覚悟がないときもあります 自分の直感から、伸ばしていって、それをなるべく固くしないことかな。そうしないと 言葉は、育ちにくくなるかなあと。 言葉に関しては、正解はないにしても、お互いが、如何に、一緒の地面に立てているかを確かめないと、人間の感覚は、奔放でもありますから、地を荒らしていくこともありうるでしょうか? by 石川和広 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 >>511 あざれあさん、はじめまして。 「差異」は、確かに重要な概念ですよね。なぜかこれまで名前が出ていませんが、有名どころの哲学者では、やはりドゥルーズの名が挙がるのではないかと思います。 生物も含めて論じたものとしては、ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー」(河出書房新社、宇野邦一他訳、1994年)中の、「1837年−リトルネロについて」という章があります。私はきっちり生物学をやったことはないので、引証の仕方とか、正確さについては判じかねますが。 ここでは、カオス(環境の中間状態)からリズムが発生し、リズムがある行為(署名とか芸術とか呼ばれている)によって「表現」としての質を与えられた際に、その編成(アレンジメント)としての「テリトリー」が成立する、というような記述から話が始まっています。テリトリー(同じ種の中の自他の境界線のようなものでしょうか)というのは恐らく意味の原初形態でしょうから、発想としては、差異から意味が発生する、というような発想なのでしょうね。 これ以降も、この「テリトリー」を編成する内外のアレンジメントがどのように展開して、人物とか風景、スタイル、エートス、種の分化、労働(職業)、儀式や宗教、「生まれ故郷」(理念とか目標でしょうか)、等々の、各種の生物行動的・文化的事象の発生に繋がるのかを跡付けています。最終的には、創造としての芸術論にも話が及んでいるようです。 一種の「おはなし」というか概念地図なのですが、差異を根底において、リズムとテリトリーとかの観点からこういった諸々の事象を見るというのは、普通しないように思いますので、それなりに興味深いものかなと私は思っています。 参考に若干引用しますと、「差異」については、「差異を最も一般的な形で述べるならば、だいたい次のように言いあらわすことができるだろう。つまり一方に地層化されたシステムと地層化のシステムがあり、もう一方に存立性をもち、自己存立する集合がある、その両者のあいだに確立されるものが差異なのだ、と」(前掲書386頁)などと書かれています。 或いは「意味」の成立に関係すると思われる記述としては、 「領土とは、まさに一つの行為であり、この行為がすべての環境とリズムを触発して「領土化」をおこなうのだ・・・厳密にいえば、環境の成分が方向を指示するのをやめて、次元を指示するようになったとき、また機能的ではなく表現的になったとき、領土が生まれるのだ・・・こうした生成変化、こうした出現を、<芸術>と名づけることができるだろうか」(同書363-5頁) なとどあります。 ベルクソンの影響を随分と受けた哲学者だったそうなので、それなりに科学的事象についても解釈の対象に取り込んでいて、古典哲学とは一風違うものとなっているようです。表面的に目立つ部分が多いので、きちんと読み込めている例は少ないようですが、科学等をきっちりやっていらっしゃる方なら、そういった部分に惑わされずに読めるのかな、などと思います。 なお、より普通の哲学書としては、ドゥルーズの単独著書として、「差異と反復」という著作もあり、こちらも有名のようです(邦訳は同じ出版社から)。 by もぐもぐ 参照先不明 参照先不明 参照先不明 うつ病のテレビコマーシャル、あれは、やだね。 大変でしたね、とか言う医者、僕の知る範囲ではいないよ。 内科行って、「糖尿大変ですね」とか云わないのと一緒かな?! でも、ああいう風にしないと、医者に行かないのかな? ただ、精神科医で、きちんとした人は、山ほど病気見てるから、 ちゃんと問診することが、先だろうなと思う。 暴論かな? by 石川和広 >>527 私はほとんどテレビをみないのでそのコマーシャルは知らないんだけど、 「つらかったでしょう」とは医者に言われたことあります。 5つくらい神経科やら精神科やら心療内科やらにかかって、そのうちふたつでは 「つらかったでしょう」というたぐいのことを言われました。 もちろん、きちんと問診をしたあとの話ですけどね。 ちなみに私は15年越し精神病であります。三年ほど前に悪化し鬱病と診断されました。 パニック障害もありましたし、みごとに不眠で食欲性欲なしで、下痢と便秘の 繰り返しでどこどこ痩せました。ダイエットの必要なしです(笑 病名がついてからだんだん治ってきて、一時期は袋にてんこもりだった薬も、 いまはわずか二種類になりました。 鬱病っぽいなら医者に行った方がよいということ、鬱病が治る、ということだけは 宣伝したほうがよいように思います。 by 佐々宝砂 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 >>541 500書いたら誰でも上手になるってそれってかなり乱暴だな(苦笑) ミントさんがそうだって言うつもりは毛頭ないけれど、吟味した500と書き飛ばした500じゃ全然違うだろうし、もし、とりあえず500書かなくちゃ、とかなんとかそういうわけのわかんない強迫観念に駆られて書いたとしたら、そんなんで詩が上手になるような気は全然しないぞ、俺は。 上手くなったかどうかはわかりませんって書いてるけど、そのあとに自作についてご自分なりに分析や反省があるのだから、そういう風に思える分は上手になっていかれるのでしょう、きっと。 ご健闘をお祈りいたします。 by 山田せばすちゃん ためいきさん、はじめまして。 僕は、あざれあさんの発言は死刑宣告に感じられませんでした。それぐらいで死んでたら奥主さんに限らず、とっくに物書きは絶滅してるでしょう(笑) 僕は、奥主さんの文を芸と呼びました。しかも本人の云うように、そこには、必死のものがある。しかし、また視点を変えてみれば、実存文学としては、かなり出し惜しみの多い文だと思う。 僕は、あざれあさんのような発言は、批判であり、痛烈な励ましだと感じた。 by 石川和広 >>556 御意見拝聴。そうですね、どちらにもスタンスがあるからね. 「物書き」、うーん、今疲れてるので、休ませてください。ためいきさんも、一緒に考えてね。ぼくも、思わず書いたので。すんませんな。ではまた。 by 石川和広 さっきまで割と元気だったのですが、ネットのあちこち見てたら元気をなくしました(笑)。別に誰のせいでもないですよ。つーかたぶん、私自身のせいです。などと考えてしまうのは鬱のひとつの症状に間違いなく、だから私はさきほど抗鬱剤を飲みました。こういう意識の流れは、私にとってかなりよろしくないのです。 奥主さんののろけ話に何らかの意味があろうとなかろうと、譲れないものがあろうとなかろうと、それはこの場において一服の清涼剤です。少し離れた場所から、読者を応援するような面もある。実際に何を言わんとして書いたものなのかは、私にはわかりません。ただ、読者にある種の快楽を与えるものではあり、そういう意味で、読者の気分をいやーな鬱にする文章よりも好ましく思われます。付け加えておきますが、文を読むことが原因の鬱には、いやーなのと気持ちいいのとあります。 by 佐々宝砂 こんにちは ためいきさん そうですかね? 一番絞りさんは、誰かを落として、誰かを持ち上げる。 奥主さんのスタンスには、大事なものがあり、ぼくは、それを芸と見て、別枠連載の提案もしました。 持ち味が でてないんじゃないかというのが、あざれあさんの考えで、ぼくは、それに、ああそうかと思い書いたら、あなたが、物かきって何?と聞いてきました。 僕は長らく考えてなかったので、休ませてほしいと云ったし、疲れてもいました。 それと、雑談だから、そうでしょうねとかは、ありなセリフだと思う。 ぞんざいに聴こえたかも知らないけど、私は、あなたの問題意識がわからんかったから、 スルーのつもりで、休ませてといい返事しました。 ぼくが、一番絞りさんに、突っ込む?のは、彼が、ああいえばこういうで、ひどいことをいい、お互いを尊重できにくい状況をつくるからです。 ぼくは、疲れていたし、今も物書きについて、考えるのもまとまりません。 それと、少し、あなたも考えてください。人に答えを求めようとしかけています。でも、物かきって、自問自答するものと思うし、考えるその営みが、その人を、書く人へと否応なく駆り立てる。しかし、書いて自分で捨てる人もいるでしょう。カフカは死ぬとき、未発表原稿を燃やしてくれと友だちに、云ったが、友だちは残したので、今のカフカ作品の多くが日の目を見、文学に多大な影響を与えました。 自意識の中に知らないうちにかどうか、他者と同じ地平に立ちたいと思い、あるいは、何故か、見せたくなるのです。私の場合。他者に託したカフカも他者にゆだねたわけです。 だから、物書きの像という言い方が、私には、わかりません。営みそのものを指す名辞だと仮定してみましょうか。 とりあえず、そう雑談で,とりとめなく 語りました。長い? by 石川和広 >一番絞りさんは、誰かを落として、誰かを持ち上げる。 石川さん、もういい加減、こんなコトバ遊びはやめなさいな。大人気ない。 よく目を見開いてください。あなたがやってることでしょう? ここで。 わたしを落として、奥主さんを持ち上げているじゃないですか。 上のようなことを言うのなら、まず、あなたが、わたしとの関連で奥主さんを 持ち上げるのようなことをしては(しかも言った尻から!) 説得力(これもだれかさんの常套句だが)ないですよ。 おたく(ら)の「倫理的な物腰で得点をかせぐやり」方は、いずれ、長いスタンスでは 疲労しますよ。 そのときのために、いまから、よーく自分を見つめなおしておくほうがいいと 思いますよ。 by 一番絞り 参照先不明 参照先不明 >>566 あたしは、誰なのかな。不愉快な思いをしたなら、そういわないと、顔が見えないので、わかりません。私は鈍感なので。 >>565 あのー私と同一人物と思われてる方、心外ですよね。 それと、お二方に、お尋ねします。おたく(ら)とか、阿吽の呼吸とか、私は、なんかの陰謀の主導者でしょうか?だとしたら、私も、大物になったものだ。 再び質問、私は誰なのかな。私は丈夫な人なのかな。 これも、言葉遊びなのかもしれないけど、 by 石川和広 >>571 一瞬、混乱しました。ドキドキしました。 今も、一安心というわけには、いきません。人を傷つけるのは、こわいです。でも、なぜか、わからないけど、誰かを傷つける。 ただ、なんだか、わからないけど、さっき、ためいきさんが、礼と云ってたけど、礼を尽くしても、つくしても、やはりそれは、他者への配慮があって、相手に、本当にわかってもらいたい、寧ろ、わかってもらえないのは、悲しいけど、それでも、僕の何かが、相手に傷を負わせても、何かを伝えたくなる時がある。 僕は、ネットに参加したのは、ここ半年くらいで、洗練された振る舞いはできません。古い方、つくられた方、の発言も、皮肉かなと思ったりすることもある。けれど、 ネットというメディアには、直接、伝わらないものもあるし、善し悪しもあるからこそ、ネット歴の長い方は、一見、婉曲的にも取れる話法で、伝えたりするのかなと、 逆に、ある仕方で、私的な事柄を書く人もいます。 私は、対面での合評や、詩の会の経験しかないので、逆に、野蛮に見えることもあるかも。だから、乱暴な言葉は、知らない者同士で使うと、合評とかで喧嘩に生るから、気を使います。でも、そればかりだったら、まずいので、言葉遣いは、そのままで、戦う時もありました。伝えたいこともあるので。 書き手の礼の問題から外れたかもしれないし、一瞬、ここをやめようとも、おもったけど、思ったより体がきついので、外に出るのは。やりたいなとは思う。 ネットに慣れられるかはわからないけど、緊張するし。 by 石川和広 参照先不明 参照先不明 参照先不明 >539 >538 今更。自分への戒めにしても中傷のようでひどいので削除しました。 by 山内緋呂子 参照先不明 参照先不明 オリンピックは嫌いじゃないけど、 テレビ付けるとどこもかしこもオリンピックなのは嫌い。 いっそのこと、オリンピック専用チャンネル作って欲しい。 オリンピックだけ流すチャンネル。もちろん4年に1度だけ放映(笑)。 by いとう 参照先不明 いつも「退会しなくても。。。」と思いつつ見送るんですが。 でも、退会することが節目になって決意とか飛躍につながっていくのならいいんじゃないかな、と思ったり。 。。。って、退会すると消えてしまう>>614へのコメントでした。 まあでも、そんなに大げさに考えなくても、またいつでも気楽に遊びに来ていただけたらうれしいです。 by 片野晃司 管理人である片野さんへ申し入れます。 最近、気がついたのですが「ためいき」さんが、わたし(一番絞り)を「ドジ」氏と同一人物であるかのように発言されています。 しかし、わたしは「ドジ」氏とは知り合いですが、同一人物ではありません。 「ためいき」さんはわたしが二重ハンドルを使っていると誹謗したことになります。 この手の誹謗中傷に対してわたしが取る手はただひとつしかありません。憶測や状況証拠にもとづく誤解をめぐって 延々と中身のないやりとりがつづくのを回避し、早急にこの手の悪辣な誹謗に対処するには、「ドジ」氏にお願いして それによって、両者が間違いなく同一人物ではないと確認できる、わたしと「ドジ」氏の具体的実際的なプロフィールをここに公開することです。 「ドジ」氏に相談しましたが、快く了解してくれました。 さて、用意が整ったので申し上げます。 わたしはyahoo BB のADSLを使っています。ドジ氏は関西電力系のeo64です。 もちろん、ブロバイダーも通信機器も通信速度も違います。 ドジ氏とわたしとは同じ大阪の同じ区に住んでますが一キロ近く離れています。 わたしは天下茶屋。ドジ氏は北開です。 わたしの頭文字は「横」が付きます。文学学校でも有名人であるドジ氏の頭文字は「岩」です。 「岩」と聞けば、知る人はああ、あの、ということになるでしょう。 年齢は一歳違いです。 ともに文学学校で学んだことがあるだけです。 ふたりが契約したブロバイダーの両会社の契約者名や住所年齢電話番号が違うことを、わたしがあなたにこれから送る私信に書かれた個人情報をもとにyahooとK-オプティコムに確認して下されば、早いのです。 もっとも、ここまで真摯に情報を公開して、わたしが「ドジ」氏でないことを言い募っても、わたしがだれかと結託して 「おまえのパソコンをおれが使っていたことにしてくれ」と口裏を合わせれば、結局、どうにでも誤魔化せることではあります。 (よほどの親友でもむづかしいでしょうが)(しかし、片野さんはID情報が見れるはずだから、その辺は確認できるはずですが...) 結局、このような掲示板でだれかを捕まえて「二重ハンドル」だと憶測や状況から指摘することは 証明不可能なことを承知でだれかを貶めることにしかならないわけです。 懸命な片野さんならそれぐらにのことはおわかりになると思います。また、掲示板の管理人としてはそのような 証明不可能なデマを振りまくことを厳にきびしく指導するのが当然だと思います。 いかがお考えでしょうか? なを、両者が同一人物でないことが証明された場合は当然のことながら「ためいき」さんへ慰謝料等の損害賠償請求ということも「ドジ」氏に協力していただいた以上、 仕方ないということになります。 その場合はよろしくご協力下さいますようお願い申し上げます。 566]ためいき[2004 08/21 18:21] >>565 ああ、一番絞りさんだ。名前を変えてまでの長いお芝居ご 苦労さまでした。意識的か無意識的か、阿吽の呼吸、なかなか見ご たえありましたよ。 思ったほどご本尊の権威化がうまくいかなかったのか、残業です か(笑)どうせ大阪の文学学校に関与しているなら、長谷川龍生さ んあたりにご本尊の原稿に一筆貰って、それを錦の御旗に乗り込ん でくればずっと効果的だったのに。 568]ためいき[2004 08/21 18:43] >>567 汰介さん 違いますよ。ドジさんです。 by 一番絞り 参照先不明 >ボルカさん 僕はカフカは装幀から駄目で読まなかった。 エズミさんのいうように、あの人のくちずさむフレーズは光るな。滑るときはあるけども あの人はカットの重ね方がすごい。しかし、あくまで長大にしたいのは彼が歴史を書きたいからかも知れない。あの人は特有のひっかかりをかなり執拗に追っている。なんか批評みたい。でも、彼はあくまで鑑賞させたくて批評的介入は拒んでる気がするし、江藤淳もあの人には激怒してたな。自分が書き始めるとあんなゴリゴリ書けないって、怖いし。春樹氏の妄念は長大な叙事詩みたい、ノリト? by 石川和広 参照先不明 > 石川さん いやもう「母性」にはやられっぱなしですよ(笑) わたしは「女には母性が備わっている」という言説を ぜんぜん信じていないのですが しかし 母と自分との関わり 母になった妹や友人たちとの関わり 30代半ばにして母にならない自分との関わり あるのかどうかわからない自分の「母性」が 圧迫されたままゆがんで他者に悪い形で関わるのではないか という杞憂のような恐怖 とかには やれやれ(by 春樹)と思います もう「母性」という言葉が適当に使われてる と感じた時点で ぜったい じゃあそもそも括弧つき〈母〉ってなにさ って思っちゃうしねー 男は〈母〉になっちゃいかんのかい? そんなことあるめぇ とか 括弧つき〈父〉である母親だっているだろーし...... すみません 酒も入って まったくよろしくない反応です ちょっと考え直してみます...... by 田代深子 正直全然関係ない話で恐縮ですが、自転車乗ってたら轢かれました。軽傷でしたけど。 by ピッピ 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 みなさん、聞いてください。 ほんとうのことをいうと、わたしは人のことはどーでもいいエゴな人間です。 世の中のことも何一つ真剣に憂いてはいない。 三島由紀夫なんてね、どーしてあそこまで日本国のことを憂いできたのか、ほとほと感心する。 あるいは連合赤軍。どうしてあそこまで世界のことを憂いて行動できたのか。 戦争も平和も関係ない。わたしの目的はただひとつ。金とオンナ。 これはしょーじきな気持ちです。 貧乏人を援けたいなんて露ほども思わない。障害者の手助けをしょうとも思わない。 差別と闘おうとも思わない。他人が死のうが苦しもうがへー気です。 これはほんと、不思議なくらいに他人の苦しみになんの痛痒も感じない。 でだ、いくらなんでもここで書き止めれば人非人丸出しだ。 たとえそうだとしても 人は、いくらんなんでもそれなりの見栄というものもある。 もんだいは、金とオンナというわたしの唯一の目的と世界平和、反差別、戦争反対が結びつけばよい。 だれかそのような理論を展開してみせてくれんかね。 そうすれば人非人のわたしもすくわれるというものだが。 by 一番絞り 参照先不明 参照先不明 参照先不明 一番絞りさん、お久しぶりー。と思ったら、帰っちゃうんか(^^;) 僕は以前加藤さんのアレントの読み変えは素敵だと思った。。 なかなか己自身のもうデタラメな欲から、彼は、私利私欲ていうたけど、そっから公的なものを考えるって、僕は目からウロコだったな。正直おお、これでいいのだみたいな、勇気づけられた… オレも何か云うてええねんみたいな、ウルフルズ状態。 だけど実際大変さ。あの方昔国会図書館務め、めちゃ本読んでるしなあ。文難しい時あるし。奥主さんも難しい皮肉あるしなあ。あんたも。僕は皮肉下手やで。 by 石川和広 参照先不明 参照先不明 ワタナbシンゴさん!ゴンシbナタワさんになって帰ってきてぃやんの!わらうの!こんにちはありがとうございました。 by 山内緋呂子 汰介さんの発言で自分に書き落としがあったなと思って そう。見落としかけてた、ことは、日本がテロルの危険に完全に晒されきった。これは、国益とか以前に、というか僕らの命に関わること。マジでヤバイ。僕としても死者に対しては、肯定も否定もできん。 テロリストたちは、憎しみの連鎖の中で、自殺も辞さないほど決意が固い。そして多分それを食い者にする武器商人は繁盛する。アメリカが殺すほど、相手は自分達を殺そうとするアメリカや同盟の日本の部隊への憎しみは更に… 撤退も何も…当然の事は暮らしと生を破壊する事が憎悪の火種… by 石川和広 追記。ボルカさんにも答えておく意味で。僕は、批判や違いを明確にする作業は大事だと考えます。自分の学んだり生きた事から話すのがまず始め。世の中を嘆くなら毎日山ほどやれるしどこの媒体でもやってるし。でも、それらを聞いては元気がなくなるばかり。まずテロルをずっと内在してきた、この国の歴史がある。それが僕の内在する日常性だと今考えてる。それへの落ち着いた感度を育てるにはリアルタイムに振り回され過ぎるとマズイ気する。僕は本ばかりだが紹介。加藤典洋「日本の無思想」飯島洋一「ミシマからオウムへ」片岡義男「日本語の外へ」 by 石川和広 参照先不明 参照先不明 参照先不明 >>810 >ちょっとアメリカの、自分の国が持たないものへのジェラシーを感じてしまいます ご存知かもしれませんが、 太平洋戦争で古都、京都が空襲を逃れることができたのは歴史ある美しい町並みを破壊することを 米国の学者が強く反対したからだという〈神話〉がまことしとやかに伝えられていますが、事実はそうじゃなかったみたいですね。 広島・長崎への原爆投下までには、いかにもアングロサクソンらしい徹底した用意周到さがあったわけで、まず、 「原爆投下目標選定委員会」なるものが開かれている。 その選定委員会とそれにつづく科学者や軍高官、陸軍大臣などの暫定委員会で満場一致で採択された投下候補地の 一番に選ばれたのが京都でした。 http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/gennbakutoukaiinnkai.htm 上記のURLの記述はかなりおおまかで、他の資料とは食い違いもありますが、おおむね、 京都以外には広島・小倉・新潟の各都市が候補だったといわれています。 で、そのためにさまざまなテストをしなければならない。いわゆる「模擬原爆」パンプキンの投下テストです。 そのため統合作戦本部は四都市へのあらゆる爆撃、攻撃を禁止し、よって、これらの都市は空襲に会わなかった。 というのが真相のようです。 さまざまな資料によると京都への原爆投下は必至だったようですが、一説によるとスチムソン陸軍大臣と 統合作戦本部との確執の結果、京都は原爆投下をまぬがれたといわれています。 by 一番絞り 参照先不明 今日前働いてた心身障害者施設のメンバーのおっちゃんが結婚したという知らせが来ました。長い間ひとりぼっちだった。人から馬鹿にされたり障害者の知友と葛藤したり。僕は職員だった時発作が元でなくなった方がいて列席して話したり。 僕はひとりになれてるか怪しいけど、ひとりぼっちから、出てくる中で自己とのそして社会との葛藤にさいなまれるトバ口か渦中にあります。 そこで差別か他者との妥当な距離からくる言葉かわからない言葉も出てしまう時もある。しかし他に普通に助けられて自己を知ることも多い。その意味で共同性といいました。 by 石川和広 参照先不明 参照先不明 >共同性少し固い表現なんで、つながりと付けました。 >友達や恋の気持、思い出大切なものの事です。 石川さん、ありがとう。 わたし、鈍いもので、このことばが孤独なわたしを心配してくれて 語っていることばだと、いまやっと気がつきました。 大切な友達や思い出、そういうものは大切だと仰っているのだと思います。 姿のみえない掲示板でなにをいっても信用してもらえないかもしれませんが そういう人やものなら、ほんのすこし、このわたしにもあります。 というか、女の人にはよくモテます。 年下のかわいい女性から熟年の金持ちの有閑マダムまで。 信用できないでしょうけどね。こんな怒りんぼうがと。(笑) でも、だめなんですね。続かない。 こないだも若い女の子から小雨の降るなかビニールの雨傘の柄が折れるまで 公衆の面前で頭や背を叩かれました。 わたしはじっと叩かれていました。そして、彼女の怒りがおさまるのを待って 自転車の後ろに乗せて家まで送ってやりました。 この子は過食、不眠、人格障害、「ひきこもり」などの複合症で精神病院に通っていましたが やっと薬中毒の桎梏から開放させたばかりでした。 それこそ死ぬ気で付き合っていました。 余計なことですが、セックスはしておりません。 今朝の早朝の某テレビ局でこの女性の特集をやっていたのでご存知かもしれませんが ある映画の主演をして、やっと立ち直りました。 その上映会のあとでわたしに結婚してくれといってきました。 わたしはこれで彼女が完全に回復したなと確認しました。 もうわたしは必要ないと。 その上で、いままで我慢していたうらみつらみ、怒りをぶっつけて出入り停止にしました。 自分を殺して徹底的にやさしくつくすけれど、相手が立ち直ったら ぼろくそに批判して、てめーがどういう人間か思い知らす口です。 金持ちの有閑マダムも旦那がいるのに通ってきますが門前払いします。 他人からみれば、もったいないほどの女性ですが...。 どういうわけか、わたしは結局、女性に限らず友達を冷たく拒絶してしまいます。 相手が立ち直るまでは一所懸命つくすのですけどね。 もう大丈夫となると、きちっと線を引く。 こんなそんなで、わたしはいつもひとりですけど、 案外、こころのなかでは「よくやっているな」と自己採点して満足している部分もあります。 ふふふ。ちょっとカッコいいこと書きすぎましたかね。 でも、すべてほんとうのことです。 >>834 風さん、ご指摘ありがとうございます。 そうですね、かなり不適切な発言でした。 気分を害した方がおられましたら謝罪します。 すみません。 by 一番絞り >>835 あら、一番絞りさんて、やっぱりドジさんでしたね。 ??? どうして? ドジさんも彼女の共通の友人ですよ? たくさんの人たちが彼女には関わって、みなで支えてきたんです。 ま、ときどきドジさんも書き込みしているかも、ですが。 by 一番絞り しょうがない、身の潔白を証明するために [石原大介さん追悼飲み会及び生誕記念祭] にドジさんとわたし一番搾りふたりで出席することにしました。 いま、電話でドジさんの了解もとりました。 そのかわり二人の新幹線代金、ホテル代、飲み代、いままでさんざん下衆のかんぐりした方々に 分担して払ってもらいますよ。 ドジさんも久しぶりに東京に行ける(それも銀座)と、とても喜んでいます。 by 一番絞り 参照先不明 参照先不明 >>838 あれ?一番絞りさん、ドジさん、あれ?石原大介追悼及び生誕記念祭に来てくださらないのですか?あら。ぬかよろこびかしら。 >さんざんかんぐりした方に分担してもらいますよ これ?どうなんでしょう。そんなに皆様懐暖かくないですよー。ご冗談ですよね。 というより皆様大勢集まると思ってらっしゃるらしく先日も私信いただきましたが人がたくさん集まる所は苦手、という方が多いようです。少人数ですよ。ご心配なく。ご遠慮なく是非石原大介や、詩を愛する方々皆様いらしてください。 by 山内緋呂子 >金さんによると、一緒に大阪の工廠跡に鉄を掘りに行ったら >一日で穴割り(けつわり:しんどいので逃げること) >したやつだよ本当はと笑っていました。 何年か前、体力も無いのに、何を血迷ったか、 牡蠣の梱包のバイトに行って、 ラクチンだと勘違いして、思いきり肉体労働で悲惨な目に会いましたね。 一日で、逃げ帰りました。恥ずかしくてその日分の給料すら放置ですね。 まあ、関係ないですけど、こち亀を思い出しましたね。関係ないですけど。 by 汰介 参照先不明 参照先不明 まあどうでもいいんだけど、と前置きして、本当はどうでもいいわけでもないんだろうなという話をしたいと思うのですが、別に戦争とか政治とか哲学とかの話はしません。こいつわけわからんひとりごと言ってら、くらいに思ってください。なんなら読まずに捨て置いてください。それでけっこうです。 なんかこう、淋しいです。退会する人がいるということが。いや退会自体はしかたないと思うけれど、退会する人がいるとその人の発言はみんな消えちゃうので、その人の発言にレスした発言は浮いてしまいます。無意味になる、とは言い切らないけど、なんかへんなことになってしまいます。いない人に対する言葉になってしまいます。そんなこと言ってもまあ愚痴にしかならんし、退会するなとは言えんし、つまりまあともかくしかたないんで、そりゃ私とてわかってますけど、でもねえでもねえでもねえ。せっかくもらったポイントも消えちゃうし、なんてまあそんなこと言うのは私のエゴだ。わかっちゃいる、わかっちゃいるのですよ私とて。でも。 よくわかりません。 私は名前を替えません。別ハンはありますが、はっきり言って私の別ハンにはそれぞれ意味があります。別名義で書いてる私の文章は、みな、佐々宝砂の文章とは趣を変えております。趣を変えたからこそ別ハンなのですが、ここ現代詩フォーラムにおいては、そういう別ハン作品さえも佐々宝砂名義でおいてます。別ハンで登録することもできないではないでしょうけど、あえて佐々宝砂名義にしています。私は、私です。それを証明できる人はここにおりませんが、私は一度も退会せず、発言と作品をめったに削除しません。間違ってた場合や「ひでーもの投稿しちゃった」と思ったときはたまに削除しますけど、そのような場合でもレスやポイントがついてれば削除はしません。訂正するだけです。私は、でたらめに分裂した「佐々宝砂」という人間の同一性を保とうと努力しています。読者のために、ではなくて、自分のために、なのかもしれません。 よくわかりません。 Fiorinaさんは退会したり発言を削除したりしてますよね。でも名前は替えていません。雰囲気も変わりません。Fiorinaという人間の同一性は、関わりの薄い私にも感じられます。退会する気持ちも、発言を削除する気持もよくわからんのですが、名前がいつも同じなので、まだFiorinaさんは安心できる相手だなという気がします。もちろん、名前を替えると言っても、「名前を替えます」と宣言して替えるならいいんですよ、それならなんにも問題は感じない。 よくわかりません。 名前を替えると自分が変わりますか。他人の態度が変わりますか。まああるていど他人の態度は変わるのかもしれませんね、それは多少、想像ができます。誰ぞに対する私の態度だって、かつてと変わったかもしれません。もし私の態度が変わったとしたら、それは私がバカなのです。だって、名前が替わっても、人が変わったようには見えない人が多いのですから、少なくとも、私にそう思えてならないのですから。 名前を替えるなら、中身も意図的に努力して変えたらいかがかしら。あるいは、名前を替える程度で、簡単にすりかわるような薄っぺらな中身なのかしら。それとも、名前を替えることによって他人の態度が変わること、それを期待しているのかしら。 退会したり、削除したり、名前を替えますと宣言せずに退入会しなおして名前を替えたり、ああ、わからない。なぜそういうことをする必要があるんだろう。わかんない。わからない。真剣に深刻に本当にわからない。もしかしたら、単に、私がバカなのかもしれません。というか、たぶん、私はバカなのです。 でも私は、「替える」と「変える」は意味が違うっていうこと、「替える」と「変わる」はさらにさらに意味が違うっていうことを、知っています。 by 佐々宝砂 参照先不明 参照先不明 >>859 もう、ほとんど絶望的になるね。 だからね、だからさぁー、ねっ? このわたしをパッシングしろってんだよ。 わたしに星を付けた人を脅迫しないでさ。 「明快な批判」なら結構なのよ。 しかし、星を付けた無関係な人への脅迫は これは間違いなく異常でしょう? おたくおかしいと思わないの、こういうことが。 ったくもう。 おたくらって、新興宗教教徒みたく自分の思念 以外、何もみえないのかねー? わたしの文章を目をちゃんと開いて読んで見なさいな。 非常に単純明快なことを言ってるんだけどね。 それだけ頓珍漢なことをいわれるとがくっつとするよ。 何が書かれてあるか、非常にわかりやすく、簡単に書いてある。 ところがどうしてそれが読めないのか。 つくづく不思議だな。 人間て。 by 一番絞り >>853 風さん、あなたがマルクスの考え方に共鳴していることはよくわかりました。 それはそれで大切なことだということは認めます。 あなたの言うとおりのことでしょう。 さて、ちょっと一服しましょう。 その上で、聞いてくださいね。 たとえば『資本論』の[第1部:資本の生産過程第1篇:商品と貨幣第1章:商品] を仮に読んで御覧なさいな。 言っては悪いですが、こんなアホな文章をだれが読めますか? だれにでも直感的に理解できている非常に簡単な市場原理を、だれにも理解できない 非常にむつかしい書き方、言葉で書いてある。 わたしはこんなばかばかしい文章を読む人の気がしれない。 あるひとはマルクスの『資本論』のエキスは剰余価値説にあるといい またあるひとはマルクスの考え方の本質はあなたのいうように「疎外論」にあるという。 群盲象を撫でるに等しい。 そのくせマルクス自身は「わたしはマルクス主義者ではない」と言っている。 共産党からも除名されたしね。 わたしにいわせればマルクスの考え方を認めるところはひとつしかない。 ひらたく言えば、 「資本家は悪いやつだ」「資本主義は感心しない」 そう明快にいっているところだけです。わたしにはそれで十分。唯物論だのなんだの、 興味のあるひとは勝手に研究すればいいでしょうが、 マルクスの小難しい理論、たとえば剰余価値理論も、ときあかせば非常に簡単な加減乗除の 算数だ。(古典派経済学者ペティ、スチアート、カンティロン、ケネー、アダムスミス、マルサス、 リカードらの功績の上に築かれたものです) そんなものをことさらむつかしく難解に書いてある。 無理して読まなくても、じつはだれもが直感的にわかっていることだと思う。 だからこそ、たとえばあなたでも、だれでもマルクスを読んで納得することができるのです。 読んではじめて知るのではない。 もともと知っていたことを確認するにすぎません。 それがマルクスのようなかたちになるか、もっとわかりやすいかたちになるか その違いだけでしょう。 マルクスを信仰的に賛美するのは人の自由です。 わたしはそれが悪いとは思いませんが、なにか唯物論がわからなければ哲学じゃない みたいな言い方には賛成できません。 哲学というのはあなたのいうようになんらかの概念を獲得しなければできないような 特殊なものではなく 「どこのだれもが、そのままで、」(フッサール)できるものだと思っています。 by 一番絞り 私が誰のことともわからぬ発言をしているのは、その相手が退会した場合、またその人が自分の発言を削除した場合、私の発言がおかしいことになるからです。だから私は、一度退会しまた入会したとおぼしき人や、しょっちゅう発言を削除する人にたいしては、レスというかたちでの発言を控えることにしました。だから、私の発言は、本当に、特定の誰かに対するものではないのです。ここにいる、あるいはここを見る、不特定多数すべての人に対する発言であるとお考えください。この発言もまた、そういう性質のものです。 そうそう、私は言いがかりをつけません。もしかしたら間違ってつけることもあるとは思いますが、その場合でも責任はとります。もちろん相手が自殺しちゃったとか退会しちゃったとか鬱病になっちゃったとかそういう種類の事故に対しては責任はとれません。とれませんけど、そのような事故を引き起こした犯人が私であることは認める所存です。ゆえに、私は退会しないし、発言を削除しません。 もういちど念のために申し上げます。私は特定の誰かを非難しているわけではありません。あるいは、私自身を含むすべての人を批判しているのです。 by 佐々宝砂 参照先不明 ここ雑談スレには登場したかどうか覚えがないけど、ボルカさんは確かに男性でしたなあ。でもって片野さんも男性でしたし、山田せばすちゃんも男でしたなあ。まあ裸にひんむいてはいないので断言はできませんが。そいでもって風さんはどうも男性のようですよ。見てないのでよくわかりませんが。 だいたいが性別なんてふたつじゃなかろうし、偏見だと人を非難する前に勉強しなくちゃねえ、と自分では思ってます。まず、性別には4種類ありますな、 ・身体の性(肉体的性別) ・性自認(精神的性別) ・性的指向(どの性を愛するのか) ・ジェンダー(社会的性別) 佐々宝砂は、身体的性別と性自認が女性で、性的指向は両性です。ジェンダーはよくわかりません。家庭内では、共働きで、家事をまあそれなりにうまく分担しています。しかし世間は私を社会的な意味で女性として扱います。私は地区の保健委員になれますが、祭の総代になれません(面倒なので祭の総代なんてやりたくないですが)。性別なんてどっちでもええやんそんなもん、というのが私の基本的考えです。 でもってさらにさらにどーでもいい話ですが、私は可愛げのない女と可愛げのある男が好きです(この場合の性別は身体的性別ですよ念のため)。 by 佐々宝砂 具体的に申し述べたほうが、どうしても、いいようですね。 風さんは誤解しています。私は風さんのことを言ったわけではありません。 私は風さんを批判したわけではありません。 私は、スレオペをつとめておいて退会する場合のことを批判しました。 スレオペの退会と同時に、そのスレッドに書かれた発言はすべて消えます。 スレオペの退会により、退会していない人の発言も消えます。 つまり、消されたくない発言も消えてしまうわけです。 あとで読み返したいなあと思っていた文章も、消えてしまうわけです。 スレオペの場合は、あらかじめ退会を宣言してくれないと、困ります。 そういう意味で、スレオペの退会はけっこう迷惑がかかってしまうわけなのです。 (現在は片野さんの尽力により、スレオペの退会によりスレッド全体が消えることはなくなりました。システム関連2参照のこと) あざれあさんはスレオペをつとめていましたが、退会のさい、そのスレッドを アーカイブしてから退会しました。そのやりかたがまっとうだと私は思ったのです。 by 佐々宝砂 >>879 と似たような主旨のことを システム欄にも投稿してあります。 そのため片野さんはシステムを変更してくれたのです。 また、ここは雑談スレなのですから、 システムに関わる、またこの場の入退会に関わる 私の雑感を書いても悪くはないと思います。 by 佐々宝砂 その昔、ぼくはいわゆる「前衛現代音楽」に夢中だったころがある。武満徹や メシアンの死には涙したものだった。でも一方でぼくは、何年も音楽やってて ロクに楽譜も読めないヘタレだった。「当然」この世界では、そんなヤツに人 権なんかありゃしない。後輩からは嘲られ、指揮者には人間扱いしてもらえ ず、それでも音楽が好きだから一生懸命やってきた。 ホントにいるんだよ、紙に書かれた音符をどうしても音に変換できないヤツっ て。でもここで話したいのはそんなことじゃない。 並みいる作曲家のなかでも、ぼくは間宮芳生の大ファンだった。現代の作曲家 なんて詩人並みに名前を知られていないから解説するけど、「日本のバルトー ク」とも呼ばれる、自分のスタイルを貫いた、そうだなあ、武満徹を谷川俊太 郎だとすれば、彼は黒田三郎みたいなもん。 間宮さんのピアノ協奏曲3番の日本初演があるってんで、いそいそと上野まで出 かけていった。指揮は間宮さん本人、ピアノは気心のしれた、フィンランド帰 りの舘野泉さん。客席はと見れば、普段のミーハーっぽくない演題のせいか、 専門家らしき人がなにやら内輪話に華を咲かせていたよ。 演奏は…ひどいものだった。間宮さんらしきフレーズもいくつかあったけど、 うねうねと音が飛び跳ねるだけの残骸のような音楽。演奏が、当時経営危機が 囁かれて、団員の質の低下が叫ばれていた日本フィルで、その技量のなさも あったんだろうけど。かえって外人指揮者によるシベリウスの2番やルトワフス キの小品のほうが、下手なりに愛情を感じて、好感を持ったよ。 次の日の新聞に、初演のリポートが載っていた。なんと絶賛の嵐だ。他の演奏 は「深みがない」とかバッサリ切り捨てていたかな。ぼくは納得できなかった よ、当然。間宮さんの『タブロー』『オンゴー・オーニ』と比べて、あの曲は あまりにお粗末だ。間宮さんの曲が好きで好きでたまらないぼくは、声を大に して叫びたかった。 でも、ぼくの声は届くわけがない。ぼくは何も言っちゃいけないんだ。ぼくは セリエリズムも複雑な和声法も知らない、ましてや楽譜もロクに読めやしな い。人間以下のぼくが音楽を語っちゃいけないんだ。 批評スレでの有井さんのレスを読み返して、ふとそんなことを思い出した。無 論、彼女の真意はそっちにあるわけじゃないけど。 by 角田寿星 >>883 なんでそういう受け止め方になるのかな、 わたしにはよくわからない。 というより、この文章からわかることはただひとつ。 あなたが新聞の解説者をじつはこころのなかでは非常に権威として認め、 その前にひれ伏しているということです。 これは性格とか人生観の違いかもしれませんが、わたしだったら新聞の解説や 評価なんか あたまからバカにしていますから 屁とも思いませんね。 なーんだ、やっぱりマスコミで食っていくというのは大変なんだ、ずいぶん無理してんだろ くらいにしか思いません。 心の中で評者を「ばーか」間宮なら間宮の真骨頂がわからないのかと軽蔑します。 だのに、そこでどうして、 >人間以下のぼくが音楽を語っちゃいけないんだ。 にすぐなるのか、わたしにはよくわからない。きっと世間をじつは心の中ではとても大きい権威あるものとして 心の中で醸成しており、その自分のなかの他者があなたを責めるのでしょう。 しかし、わたしはそんなことはないんだと、言いたいんです。 生まれつき足も手もない赤ん坊は、そのままだったら自分を不具だとか身体障害だとか思いませんよ。 すべて成長するとともに醸成される社会規範や価値観がそう思わせるのでしょう? でも、純粋に見れば、じつは身体障害ではない。これは間違いなく言える。 社会的産物です。 あなたの劣等感も社会的産物だから、純粋に自分をみつめることができれば、それがどうした? と居直れるはずですよ。 有井さんの詩観はとても奥が深いし、それなりの苦労苦悩の上に出てきたものです。だれだって そのひとにとっての「詩でないもの」をもっているはずです。でなければ「詩であるもの」もありえないと思うんです。 どうか、なによりもどんなに低いと思う能力でも自分の生まれつきのものだと思って自信を持ってください。 わたしはそうやってきました。 偉そうなことを言いましたが、わたしは有井さんに詩を教わった(と勝手に思っている口ですので、 ちょっと口をはさませて頂きました。 by 一番絞り >>883 >人間以下のぼくが音楽を語っちゃいけないんだ。 いくらなんでも卑屈すぎる表現だと思います。 そう言う過去を一旦忘れて自分のペースで自分の世界の中だけで楽譜を読む位の方が、 はっきり言って早く読める様になると思います。 それか、自分の特に好きな所だけをつまみ食いするかですね。 それだけでも十分気持ち良いと思いますね。 一人だと不安だろうが、なんだろうが関係ないですし。 回りに取り残されている様な気分になるかも知れませんが、 むしろそこからが音楽ないしは芸術の真骨頂だと個人的には思います。 一々回りのペースに合わせる必要はないと思います。 大体楽譜を読めるからと言って全ての曲まで全て素晴らしいとは限りませんし、 大体歌が元々とすると他の楽器や音階等は全て屈折した物で、 大まかな意味で言ってしまえば大きなお世話ですし、 職種のひとつに過ぎません。 いきなり私に新体操のトカレフやれって言われても、いかにそれに感動しようが、 無理なのと一緒です。ま、私は鉄棒大嫌いですけど。 逆上がりすら偉い苦労しましたし。 出来た時は多少は嬉しかったですが、 むしろ強烈なコンプレックスの方が強いですね。強烈です。 多分普通に鉄棒とか体育がそれなりに出来て、 勉強も普通に出来ていれば、音楽はやってないと思いますね。 人並み程度には聴いてるんでしょうけど。 by 汰介 >最後にひとつ。新聞に権威なんかあるはずないじゃん。 そうじゃなくて、新聞に音楽批評をかいた評者のことをいってるんです。 もしあなたがこの音楽評論家たちの意見に権威を感じていないのなら それでいいのですよ。 なにも卑屈にかれらの視点から自分を差別しなくとも。 >つまらん話をした。 いや、べつに「つまらん話」じゃないですよ。 同じような思いをしてるから、レスをしたんです。 それをあなたはレスをした相手を選んでいる。 相手がどんな人間であろうと、発言の内容で応答すればいいのにね。 すでにしてあなたはとても社会的な自己差別の意識に冒されていると いうことです。 だから、これからも自己卑下の悩みはつきないでしょう。 第一、有井さんの名前をだすほどのことですか。 固有名詞を出すのなら、それなりにきちっと対応しなさい。 これでは単にガキのように文句をいってみただけというボルカとかOhatuのレベルと かわりない。 このフォーラムをこんな「幼児」の集合場所にしてはいけないよ。 ったく。それなら最初から泣き言をいうな。 :::::::::::::::::::::::::::::::: それから佐々さん、おたくがあちこちに星をつけまくっているのは かまわないが、 おたくとは関わりたくないという意思表明は消したわけではないよ。 「システム欄」に書き込んだものをわざわざ、わたしと風さんの 対話の中に押し込んだことは事実だ。 そういう下卑たやつとは関わりたくないんだ。 by 一番絞り この場でいくらあんたがボルカ氏やOHATU氏やら、片野氏の「政治的スタンス」からの誹謗中傷を叩いてるつもりでも、振り下ろした拳は確実に誰にも届いてないみたいだぞ。んで、こんな小さな場で、たとえボルカ氏やOHATU氏や片野氏が改悛して涙を流して自己批判したところで君の憂いている社会的政治的状況はそれこそ1ミリとて動くまいよ。 まさかどっかの元代議士みたいに「小さなことからコツコツと」社会状況改善のためにここで論陣張ってるわけでもあるまいに。 てめえのやってることはただの趣味だと、認めるんなら早いほうがいいと思うぞ。 趣味趣向です、と。 皆さん多大な不快感を感じたり、あるいは迷惑を被ったりされて申し訳ありませんが、言わせてください。いわないではいられないんです、病気なんです、と。 謙譲しとけばいいのに。 by 山田せばすちゃん >その意見がこの場に来るみんなに同意されるなら仰せに従いましょう。 >せっかく差をつけるための、星付け機能があるんだ。(笑) >おたくのお仲間(ボルカやOhatu、佐々ら)以外の方から十以上、 >ソンとおりだ! という意味でおたくのレスに星がついたなら、 >さっさと出て行きましょう。 あ、ひとつ点いたよ。 これでおれも、知らない人から結構きらわれているんだな。(笑) さー、どんどん点けてくださいよ。遠慮なく。 「お仲間さん」たちよ。 Ohatuやボルガのように、しつこく怨んでつけまわしはしません。 これはとても興味深いひとつの詩の儀式だ! #大統領選挙にも締め切りがある。 #とうぜん、締め切りを設けます。 #そうだな、今日いっぱいてことで。はい。(爆 by 一番絞り >>それからな、病気というが、天皇家の血縁の連続のことに言及しただけの投稿者に「ツバを吐いてやる」といったお前のほうが病気なんだよ。 いや君から言われるまでもなく俺は病気だよ。 時々自己嫌悪に駆られてフォーラム退会しようかとも思ってるよ。 で「天皇家の血縁の連続のことに言及しただけ」とあるがその言い分は正確ではないな。 彼は「その連続」のためなら女性差別も身分差別もあってしかるべきである、と言ったので、俺は彼の事を「唾棄すべき差別者」と呼んだだけのことだが。追い出したのかどうかということに関しては、俺が追い出した、という自覚はないな、彼が最近登場しないのは彼自身の生活環境が変わってネットに出没しにくくなってるというだけのことだと思ってるからね、詳しくは彼のHPの日記に書いてあるから。 それから俺は君に出て行けとは一言も言ってないので、何でそんな今日中に星が10個点いたら出て行くとか出て行かないとかの話になるのかその文脈が今ひとつ理解できないのだが、10個以上点いたからといって出て行けともいわないけれど、たとえ星が10個点かなかったからといってそれを根拠にして自分の存在が認められたとかそういう風には思わないほうがいいとは思うよ、世の中には「俺や君とは係わり合いになりたくない」という意見だってちゃんとあるわけだからね。老婆心ながらご忠告だ。 by 山田せばすちゃん >まさか「一番絞り」って人知ってる?って訊くわけにもいかないだろうしさ。 いやね、だからさ、おれがおまえに直接会いに行ってやるよ。うん。 待ってろよ。びびらなくてもすぐ済むよ。 というか、おれは退会したんだったな。 これで終わりにするぜ。 でわ、みなさんごきげんよう。 by 一番絞り 参照先不明 ろくなネタも詩も評論も考え付かないし、最近生活時間帯が変わって早寝早起きで心身ともに健全になりつつある盟友佐々宝砂はメッセンジャーにもいないし、別に深夜にパソコンの前にいることなんざ何もないのだ。 ないのだが惰性で1時2時までパソコンの前でうだうだしている俺はなんなんだ。 そういうわけで昼間のこの時間の俺はとても眠い。 そういう雑談なのか? by 山田せばすちゃん 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 >>959 参加表明。 あと、この企画において、私自身の「未詩・独白」に投稿された作品を自由に批評してもらってかまいません。 批評する気も起きないほどの拙作かもしれませんが、とりあえず(笑)。 by いとう >>959 参加表明。 質問ですが、批評は何作おこなってもOKですか? ぼくは某サイトで、80〜100字くらいの徹底した印象批評を得意としてるんで、この際だ から最低100作くらいやってみようかな、と思ってるんですが(そんなの批評じゃない、 というツッコミはさておいて)。 by 角田寿星 参照先不明 参加表明。きいぼおど直ったらね。苦笑 拙作はどこに投稿されていようと、過去に投稿されて削除されたものだろうと、 自由に滅多切りして頂いてかまいません。ご要望があれば投稿しなおします。 by れつら 参照先不明 参照先不明 >973 鳴門さん 鳴門さん 鳴門さん 3度も呼べば出てきそうな気がするんだけどなー by 田代深子 参照先不明 参照先不明 >>959 「批評寺三十六房」私的経過報告。 ただいまわたくし、「自由詩」「短歌」「俳句」につき、12/1午前0時投稿分より順次批評を行っております。現在、35人、35作品済み。目標は100人ですが、まあそこらあたりはテキトーです。12/12に一気にアップする予定です。 「11月の投稿だけどオレも批評してくれ」または「お前なんかにオレの詩を批評されちゃ迷惑だ」という方は、私信で結構ですので、ご連絡下さいまし。 なおこれが、「フライングの宣伝行為でー、ダメじゃんぞおー」となりましたら、このレスは削除いたします。悪しからず。 by 角田寿星 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照
雑談スレッド4 http://po-m.com/forum/threadshow.php?did=7769 雑談スレッド3 http://po-m.com/forum/threadshow.php?did=5563 雑談スレッド2 http://po-m.com/forum/threadshow.php?did=2450 雑談スレッド http://po-m.com/forum/threadshow.php?did=2 >使う筋肉が違うんですね。 それは痛切に感じましたね。筋肉の使い方次第で、 そこまで疲れないコツがあるんでしょう。 まあ、それを差し引いても決定的に運動神経と体力はないですが。 >三日間も全身の筋肉が痛んで寝込みました。(笑) 私も暫くはまともに歩けませんでしたね(笑) と言うか、最低限の筋肉が無いと、やったら駄目ですね。 他の人の仕事の邪魔になるだけですし。 まあ、もっと運動神経あったら出来る仕事の幅も広がって、色々出来て良いんでしょうけど。 >これがまた「自閉症」の集中力ですかね、耳元の三十センチ近くで大声で名前を >呼ばれているのに >気がつかないくらい読書に集中できました。 これはなんとなく分かります。 私も場合によっては「自閉」状態になりますね。 ただ、終始では無くて、 最近はそれでも、一時に比べてコントロール出来つつありますが。 一番絞りさんの表現を借りるならば、 「自閉」状態に入ると、 複数の人間が、肉感的に自分の身体に訴えてくるような状態になって、 窒息しそうな苦しい状態になりますね。 なにか、自分でも気付いていない、自己暗示にでもかかってるんでしょうかね。 まあ、昔足立区に住んでいたことがあったので、 某教祖の怨念でも乗り移ったのかも知れません。 冗談ですが。 >>832 風さん、長い書き込みご苦労様でした。 壁のような圧倒的な文字の集積をやっと読めました。 とりあえず読めただけですが。 ただ、あなたは何かとてつもない思い違いをされているのでは ありませんか? 曰く、 哲学的思考においての意味と.. 哲学的にはそういう意味では使いません... 哲学が難しいと言われる理由に... 哲学的に言えば... 哲学の基本的条件は... 哲学的考察のみがそのことを... 云々。あなたの、この哲学への独特の思い込みがわたしにはとても奇妙に思えるのです。 「哲学者」ってなんでしょう。 だれがこんな堅苦しい、当を得ない翻訳語をあてたかしりませんが真の意味は 「ものを考える人」です。 カントもキルケゴールもマルクスもニーチェも「ものを考える人」です。 ならば、哲学とは「ものを考えること」です。 伝統的な西洋哲学的思考のみを「哲学」というのならフッサールは厳密にはこの範疇に入りません。 他にも入らない人がいっぱいいます。 でも「ものを考える人」ならフッサールも入ります。親鸞もはいります。 だから仏教「哲学」として成り立つわけです。 要する「哲学」とは、べつにあなたのいうような特殊なことではなくて 「ものを考えること」です。 「ものを考える人」はだからわたしに言わせるとすべて哲学者です。 あまりにも平易な定義かもしれませんが、この定義だとすべての「ものを考える人」を ひとしなみに掬い取ることができるのです。 マルクスの『資本論』でなされている「疎外」ということばの定義をあなたは ことこまかに示してくれましたが、 わたしたちひとりひとりがじつはそのことはよくわかっているのです。でもうまく表現できないだけです。 マルクスはマルクスのために「疎外」の定義を下しているのでしょう。 わたしはわたしでそれを言い当てているつもりです。 あなたはあなたでそれを言い当てればいいと思います。 すべてにズレがあってあたりまえですし、また、なければいけません。 でないと世界解釈が一義的になる危険があるし、異見や異論が成り立たないわけです。 でも、あくまでもあなたがマルクスの定義に従ってマルクスの意図する語彙を用い、論を展開したければ それもいいでしょう。 というより、いわゆる哲学論議というのはそういうものです。 が、それは〈一般言語表象〉という一種の言語ゲームなのだとわたしは考えています。 あなたが努力されていかにマルクスから難解な思意を読み取ったとしても それは現実には反映できるものではないのです。 抽象的な言語ゲームの世界のデキゴトなんです。 「疎外」なら「疎外」という感じをさまざまなひとたちがさまざまなかたちで表現するとき はじめて現実が起動するのです。 まして、あなたが最後に書かれた箴言などは現実にはまったく意味のないことだと わたしは考えています。 ちょっとビール飲みすぎてふらふらしてますので、もう寝ます。 >>847 ああ、 そういう経験ならわたしにもありますよ。 冷凍倉庫へ大型冷凍車の荷物の積下ろしのバイトへいったことがあります。 零下何度という車内で動いているとすごい汗で 仕事を終えるまでにシャツを三枚も着替えました。 着替えなければ仕事にならないほど、下着が汗でどぼどぼになるんです。 重いくらいにね。 使う筋肉が違うんですね。 六十歳のベテランの日雇い老人がひょいひょいと積みおろしていました。 でもわたしはそれから三日間も全身の筋肉が痛んで寝込みました。(笑) 二度と行かなかったですね、あのバイトだけは。 >>848 仰ることはよくわかります。 ただ、わたしは「ひきこもり」も「自閉症」も〈病気〉だとは思ってないんです。 「自閉症」ってのはかってに周囲が名づけたものでしょう。 こどもたちにとっては生まれたままのそれが自然だし、ふつうのはずなのに、社会が在るから 〈病気〉になる。 わたしも幼いころは「自閉症」(かってに「自閉」なんてコトバ学者に使われちゃ自閉症の子も かなわんよな)に近いような状態でした。 でも、わたしが育ったのは大きなお寺ですから周囲がかなり勝手にさせてくれた。 幼いころから大きな暗い書庫で本ばかり読んでました。 これがまた「自閉症」の集中力ですかね、耳元の三十センチ近くで大声で名前を 呼ばれているのに 気がつかないくらい読書に集中できました。 でも、知能知数が低いことやコミニケーション能力が劣っているということで 当時の言い方で言うと「白痴」「低脳児」扱いされました。 じっさい「低脳」だったのかもしれません。 当時の小学校、中学校の通信簿をみると1〜5評価で1と2ばかりです。 3がただひとつ。社会科にのみ。 自閉症と呼ばれているこどもが、自閉という差別的なことばをそのまま受け入れることはないし、 親もそのような呼称を抗議すべきだったでしょうね。いまも平気で使われているようですが。 いずれにせよ「低脳」のわたしがそのとき考えたのは コペルニクス的発想の転換で、むしろ「低脳」っていいところがあるんじゃないか てことです。 知能優秀な人にわからないことがわかるんじゃないかということです。 逆に、知能優秀な人間の本人たちが永久に気がつかない間違いを 唯一指摘できる存在なんじゃないか そういうことを漠然と考えました。 わたしが知的なものに直感で反発やうそを感じるのはそのせいかもしれません。 いずれにせよ、 目下、あなたの書いた壁のようなマルクスについての書き込みを読むのに四苦八苦です。 圧倒的な字の壁ですね、あれは。読む前に疲れてしまいますよ。(笑) >金さんによると、一緒に大阪の工廠跡に鉄を掘りに行ったら >一日で穴割り(けつわり:しんどいので逃げること) >したやつだよ本当はと笑っていました。 何年か前、体力も無いのに、何を血迷ったか、 牡蠣の梱包のバイトに行って、 ラクチンだと勘違いして、思いきり肉体労働で悲惨な目に会いましたね。 一日で、逃げ帰りました。恥ずかしくてその日分の給料すら放置ですね。 まあ、関係ないですけど、こち亀を思い出しましたね。関係ないですけど。 あー、あー。風さんに謝ってソンしたっと。(笑) 風さんの指摘を受けて、そうか「自閉症」なんて使ったかとすぐ謝り、 いま、その部分を削除しょうかと自分の書き込みにあたっていたら 「自閉」ということばは使ったが「自閉症」を比ゆとしても 形容としても使ってないんだな、これが。 なんだ、これは。風さん、「自閉」と「自閉症」では大違いですよ。 もし「自閉」というコトバを「自閉症」と結びつけることがふつうなら もはや何もいえなくなる。 「肥満」もいえない。「肥満症」があるしね。(笑) 「自閉」とは病気でなくともだれだってやっていることです。 >>843 「石原寛子」ってあたらしい呼び名、かっこいーですね。 なんか芸能アイドルっぽくて、ちょっと良すぎるかもしれないけど、 かわいいですよ。 いやね、ちょっとした悪ふざけでいってみただけでして。 気をつかわせてごめんなさい。盛会になるでしょうね。 いい供養になると思います。 >>838 あれ?一番絞りさん、ドジさん、あれ?石原大介追悼及び生誕記念祭に来てくださらないのですか?あら。ぬかよろこびかしら。 >さんざんかんぐりした方に分担してもらいますよ これ?どうなんでしょう。そんなに皆様懐暖かくないですよー。ご冗談ですよね。 というより皆様大勢集まると思ってらっしゃるらしく先日も私信いただきましたが人がたくさん集まる所は苦手、という方が多いようです。少人数ですよ。ご心配なく。ご遠慮なく是非石原大介や、詩を愛する方々皆様いらしてください。 >>840 あれ? Fiorinaさんは行かれないのですか? 東京に在住の方ではなかったのか。 それならわたしもやめとくかな。(笑) そうだ、今月の29日に大阪文学学校でだれでも入れる特別講座があります。 金時鐘(キム・シジュン)さんの講座です。おもしろい人でね、とても楽しい詩人、ゆかいな講座です。 今映画化されている「血と骨」の裏話もしてくれるでしょう。 あの小説の作者は金さんを兄貴と慕っている方ですが、 金さんによると、一緒に大阪の工廠跡に鉄を掘りに行ったら 一日で穴割り(けつわり:しんどいので逃げること) したやつだよ本当はと笑っていました。 わたしも久しぶりに出席してみようと思います。 では、みなさん、そこでお会いできたらいっぱいやりましょう。 でわ。でわ。 >>839 >ネットの何か不透明生を、幾分かでも解消できますもんね。 まったくそのとおりで、ほんというとわたしは掲示板はどこも写真つき 住所、経歴などオープンにすべきで、そうでないと書き込めないぐらいのほうが いいとつねづね思っています。 ま、いずれにせよ、東京は一度いかなければと思っていたので、行く予定ですが。 しょうがない、身の潔白を証明するために [石原大介さん追悼飲み会及び生誕記念祭] にドジさんとわたし一番搾りふたりで出席することにしました。 いま、電話でドジさんの了解もとりました。 そのかわり二人の新幹線代金、ホテル代、飲み代、いままでさんざん下衆のかんぐりした方々に 分担して払ってもらいますよ。 ドジさんも久しぶりに東京に行ける(それも銀座)と、とても喜んでいます。 >>835 あら、一番絞りさんて、やっぱりドジさんでしたね。 ??? どうして? ドジさんも彼女の共通の友人ですよ? たくさんの人たちが彼女には関わって、みなで支えてきたんです。 ま、ときどきドジさんも書き込みしているかも、ですが。 >共同性少し固い表現なんで、つながりと付けました。 >友達や恋の気持、思い出大切なものの事です。 石川さん、ありがとう。 わたし、鈍いもので、このことばが孤独なわたしを心配してくれて 語っていることばだと、いまやっと気がつきました。 大切な友達や思い出、そういうものは大切だと仰っているのだと思います。 姿のみえない掲示板でなにをいっても信用してもらえないかもしれませんが そういう人やものなら、ほんのすこし、このわたしにもあります。 というか、女の人にはよくモテます。 年下のかわいい女性から熟年の金持ちの有閑マダムまで。 信用できないでしょうけどね。こんな怒りんぼうがと。(笑) でも、だめなんですね。続かない。 こないだも若い女の子から小雨の降るなかビニールの雨傘の柄が折れるまで 公衆の面前で頭や背を叩かれました。 わたしはじっと叩かれていました。そして、彼女の怒りがおさまるのを待って 自転車の後ろに乗せて家まで送ってやりました。 この子は過食、不眠、人格障害、「ひきこもり」などの複合症で精神病院に通っていましたが やっと薬中毒の桎梏から開放させたばかりでした。 それこそ死ぬ気で付き合っていました。 余計なことですが、セックスはしておりません。 今朝の早朝の某テレビ局でこの女性の特集をやっていたのでご存知かもしれませんが ある映画の主演をして、やっと立ち直りました。 その上映会のあとでわたしに結婚してくれといってきました。 わたしはこれで彼女が完全に回復したなと確認しました。 もうわたしは必要ないと。 その上で、いままで我慢していたうらみつらみ、怒りをぶっつけて出入り停止にしました。 自分を殺して徹底的にやさしくつくすけれど、相手が立ち直ったら ぼろくそに批判して、てめーがどういう人間か思い知らす口です。 金持ちの有閑マダムも旦那がいるのに通ってきますが門前払いします。 他人からみれば、もったいないほどの女性ですが...。 どういうわけか、わたしは結局、女性に限らず友達を冷たく拒絶してしまいます。 相手が立ち直るまでは一所懸命つくすのですけどね。 もう大丈夫となると、きちっと線を引く。 こんなそんなで、わたしはいつもひとりですけど、 案外、こころのなかでは「よくやっているな」と自己採点して満足している部分もあります。 ふふふ。ちょっとカッコいいこと書きすぎましたかね。 でも、すべてほんとうのことです。 >>834 風さん、ご指摘ありがとうございます。 そうですね、かなり不適切な発言でした。 気分を害した方がおられましたら謝罪します。 すみません。 >戦争への想像力を被害妄想と決め付けて、 被害妄想とはいかなくても、的を外れた捉え方はするし、し得ると思います。 本当の本質とは関係ないでしょうが。 >ほめられるどころかこういうガキに「バカ」といわれるのだろうね。 むしろ、この逆に作者さんが、突発的にイラクに行きそうな危うさを、 持っているのでは、と思いました。 そう言う衝動的な事をした人に、 衝動的に「なんでそんなことしたんだ、バカ!」と言ってしまいそうな自分も正直いる訳です。 要するに団体行動が嫌いな人にとっては、 団体行動に縛られると感じる事自体が、すでに内なる「戦争」であり「恐怖」であって、 その中身が「戦争反対」であろうが「戦争擁護」であろうがどうでもいい訳です。 それだけ身近な人間関係に疲弊している訳です。 それは心の中で葛藤している訳です。 自分の言葉で語るだけでも既に「戦い」です。 イラク戦争だって、宗教と言う見ようによっては、 単なる言葉の羅列の意味合いの違いだけの為に戦争してる訳です。 それが地面に根を張っているだけに、ややこしいんですし。 武器を使わなければ良いと言う問題でもないと思います。 確かに武器は話し合いの場すら無くしますが、 じゃあ、話し合いによって、武器ほどの即効性は無くても、 ジワジワと追い詰めて、結局飢え死にする者を出してるんでは、 しょうがないと思います。 しかもそのジワジワが戦争をするのか?と急ぎ足で突きつけられた時に、 反対と言えなくしてしまうんでしょうね。 まあ確かに、戦争は反対です。 が、イラクの事についても分からないし、 もう、もつれにもつれて、考えるのもおっくうである事は間違いないです。 結局、専門性に委ねるしかない。 突き詰めれば、どっちが悪いのか?と言う問題でしょうし。 人の痴話喧嘩に割って入る位、メンドクサイ問題です。 「ケンカは止めようよ」と言って わざわざ止めに行けるのはそれこそ、喧嘩の当事者よりも腕力が強いか、 それとも弱みでも握っているかで無いと、 そのケンカは表面上穏やかに終らないでしょうし。皮肉な事ですけど。 当事者よりも腕力が無かったらぶん殴られて終わりでしょうし、 下手すれば刺されるでしょうね。 それで何とかできればそれはその人は「英雄」かも知れませんが。 稀ですよ。そんな人は。 そんな人がいないから武器だってできるんですし、 腕力を正義に使えないから、武器ができるんです。 そこまで行くと、結局は「金」の問題に行き着くでしょうね。 自分が思う以上に、見えない力が働くでしょうね、金の力は。 一切を平均化しますからね。 主義以前に、金をどうするか、と言う問題でしょうね。 金自体が常に天下の回り物でないといけないのに、 どこかにいつまでも滞ると、絶対バランスがくずれるでしょうし。 重油にこびり付いて取れないのかもしれませんが。 まあ、精々言えるのは金の上に乗っかりすぎた生活をしすぎて、 何時の間にか空高く上がっていて、 気付いたらそのまままっさかさまと言う事にならない事を願うだけですね。 落ちた時の衝撃は、それは凄まじいでしょうし。 それだけデモーニッシュで不気味なものですね。 横道それましたが。 多分そう言う実際の現実の出来事や経験を通して、戦争も見る事もあるでしょうし。 まあ、これだけの事を書くだけでも、もう疲れますし。 粘土で顔を洗ってるかのようですね。 >戦争反対とか反ブッシュとか、ぼくあれって本質的でないなぁと思います。 >時代の風潮に流されてそんなこと言ってる人ってのは >同じように時代の風潮に流されていざ日本がどこかと戦争はじまったら >実はまっさきにその現場にいたりするかも知れませんねえ。 >(にんげんのげんじつと未来:ミキ改め馬野幹(本年で変更) http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=24012&from=menu_d.php?start=0 上の馬野さんの意見に星を付けているひともいるので、いちおう批判しておきます。 反戦という理念は、 たしかにほとんどの人の胸にあるでしょうね。しかし、それは「風潮」なんていう問題ではないでしょう。 大昔から、たとえば主婦なんかは戦争なんて大嫌いだと思ってきたでしょうしね。どうして男はそんなに戦いが好きなのかと。 風潮や流行ではなく「戦争反対」は大昔から人々のこころに住み着いた素朴な理念ですよ。 それから反ブッシュはたしかに世界的な風潮ですよ。しかし、それがどういう風に何に「本質的でない」と言っているのかが よくわからない。 理念的に素朴に戦争反対を念じてきたわたしなんかは「反戦」を叫ぶこと自体が「本質的」でないことはよくわかるんです。 どう「本質的」でないかというと、それは畢竟、戦争反対「行為」ではなく、単なる戦争に反対するという「発話」行為にすぎないと。 発話行為だけじゃ、「本質的な戦争反対行為」にはなってないと。むしろわたしは戦争に反対している善人です という自己宣伝効果はあるかもしれないけどね。 でも、この文章の作者は戦争反対という立場から、その問題を真剣に考え込んだ上で「本質的」でない と言ってるのではない。そういうことなら、うなずけない意見でもない。ところが、この方は 戦争反対という理念から言っているのではなく戦争反対と叫んでいる連中というのは「被害妄想」だ というところに収斂させたいがための揶揄だということが、前段のお話でわかる。 世界から被害がなくなるかどうかは別にして被害妄想がなくなることはないという。 つまりニホンはこんだけ安全で平和じゃないか。食い物は山ほどあるし、人々は楽しく贅沢放題に暮らしているじゃないか。 何を心配しているのだ? いい加減にその被害妄想をなんとかしろと。 この方はそういっているわけだ。 こういう子どもに、戦争反対と叫ぶことの意義を、どうやって説明すればいいのか真剣に悩んでしまうな。 たしかに戦争反対と叫びながら、いざ戦争が始まれば戦時体制にいともやすやすと組み込まれてしまう文学者はいるでしょう。 でもわたしはそういう局面で生きるために仕方なく体制に屈してしまう、そういう人たちを責める気はあまりないな。 それより、反戦を叫べる自由がまだある今、叫ばない人をこそ責めたいな。 戦争への想像力を被害妄想と決め付けて、現状にやすやすと安泰しているこどもさんが >体現のない理論はもう意味ないとこまで来てると思います といったところで、いったいそれなんなの? おたくこそ、体言どころか妄想すらないじゃない? のとお聞きしたくなるが、 ま、お子さまのことば遊びに何もこんなに目くじら立てることはないのだろうけど、詩を書いている人が こんな幼児な発言に何人も星をつけるなんてね。信じられないよ。 パチンコは無心に台面に向かってひとりでマスをかいているようなものです。 カラオケもそうですね。 わたし自身はカラオケボックスにいって歌ったことはなく、 いつも飲み屋や立ち飲み屋で歌ってますが、 あれもマスですね。ひとりで悦にはいっている。 こういう「マスかき文化」はわたしも嫌いじゃないですよ。 カラオケもパチンコもこの国の風俗文化ですがある意味、 ニホンという国全体が「ひきこもり」つづけてきたということでしょうね。 癒しとしての「ひきこもり」じゃなく、ほんとうの自閉。 いまその自閉空間でニホンコクミンはサルのようにマスをかいている という構図ですな。 このサルのマスカキ集団には目がない。というか、目が腐っている。 外界の有様をそのまま伝える機能がなく、極度の乱視と斜視がかかっている。 イラクのファルージャでは戦後復興の調査のために入ったアメリカの技術視察団 でさえ、あまりの破壊のすさまじさに 「どこから手をつけていいのかわからない」と、工兵たちがほとんど泣き出した というのに、日本のマスコミはくわしいことをなにも伝えない。 だいたい酷民の税金を使って送った自衛隊の活動状況を日々伝えてこそ マスコミであるのに、いったいどんな活動をしているのか 酷民にはなにも知らされない。また、知らされなくても文句もいわないマスかき酷民がいる。 で、たいへんだぁ〜、海外ではこんなことになってんだぞー、少しは外も見ろよー なんてことをわたしのように言うものがいたら「被害妄想」だんなんて これっぽっちも世間をしらないガキにかたづけられる。 戦争反対とか反ブッシュとか、ぼくあれって本質的でないなぁと思います。 時代の風潮に流されてそんなこと言ってる人ってのは 同じように時代の風潮に流されていざ日本がどこかと戦争はじまったら 実はまっさきにその現場にいたりするかも知れませんねえ。 にんげんのげんじつと未来:ミキ改め馬野幹(本年で変更) http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=24012&from=menu_d.php?start=0 こういう批評に対して「このバカ」と一言で畳んでしまうのは簡単だけど、 これも「ひきこもり」のなせる所業とおもえば哀れすら催す。 自分の目で見ようとそこへ行くだけで劣化ウラン弾の影響をうけるバクダッド に勇敢にも単身入るようなことをすれば ほめられるどころかこういうガキに「バカ」といわれるのだろうね。 僕はパチンコは何かすぐ金がなくなるのと音がうるさいので少しだけやったけど、あっさりヤメました。 カラオケは、歌は好きなので、体調が良いときは行ってました。 ほんまは、あんな狭いとこはキライなんだけど、デートとかの時は二人になれるので、ありきたりだけども、行ってた時期もあるよ 河原を自転車で走りつつタミオさんなどを歌い狂ったりしました。河原は気持ちいい。体がガタガタなんで、もう少し元気になれば行きたい思います 共同性少し固い表現なんで、つながりと付けました。友達や恋の気持、思い出大切なものの事です >>827 >一番絞りさんは、他者の視線を己自信の中にくりこんで、しまう >といったらいいのかな? >そういう形で、精神の病が起こると。そういうことで、 >僕として、理解してよろしいのでしょうか。 あ、こちらこそ、どうも。 素人が生意気なことをいってしまったようですが、 いちおう弁明しておきますと、 わたしが「内なる他者の視線」といったのは意図的に 〈他者の視線を己自信の中にくりこんで、しまう〉 という意味ではなくて、人間誰しも社会的動物である以上、 幼児から大人になるにつれて自然にくりこまれくる意識、つまり 社会的な規範や価値観という意味です。 そういう社会的共同体的な規範や価値観で自分自身を差別してしまう。 それが精神の病いのもとにあるのじゃないかと自分ではおもっています。 ですからこのような社会規範、共同体的な価値観に意識を占領されている 人が自らを差別し痛めつけ自分で自分を排除しようとするのじゃないか。 そこを断ち切るにはあらゆる意味で自由にならなければならないと。 つまり、赤ん坊の無垢な意識にもどれれば、いいのですがね。 たとえば自分が「暗い顔をしている」という意識があれば 赤ん坊だったらそれが当たり前、ちっとも「暗い顔」ではないとおもうでしょうね。 それが生まれつきのふつうだと。 暗いとか陰湿だとか、シツコイだとか、ケチだとか、ブスだとか あらゆるマイナーな言語とそれの意味するところは 所詮、だれかに押し付けられたものに過ぎず、たいした意味はないのですけどね。 >一番絞りさんのいうひとりは、共同性を何らかの形で必要とするだろう。 >つながりといってもいいかもしれない。 共同性というものが、なんらかのアイデンティティ=同一性のもとに、 ともにある状態をさしているのなら わたしはそのような「共同性」=アイデンティティというものを否定します。 それこそ、そのような共同性は、あらゆる精神の病の源だと理解していますし 差別、排除、暴力の源泉だとおもっています。 家族、会社、宗教・政治団体、国家といった単一の集団に同化することは 自らを疎外することにつながると考えています。 さまざまな価値を整序化する中心的・支配的な価値が欠けていることは いわゆる「アイデンテイィティクライシス」ではなくて、逆に、そのような あるひとつの価値観が自己を支配するような状態を、たとえばハンナアーレントは 「アイデンティティの危機」といっているようです。 自己の中に複数の価値観をもてば、そこに対話がはじまり、決して自らを 自らが差別するような事態にはいたらないのじゃないかと、やや図式的ですが そんなふうに考えてみたりします。 他者論ではそれを内なる他者というような言い方をしているようですが わたしにとってそれは他者ではなく、内なる複数の自己とでもいうべきものです。 アイデンテイィティなんてだれがつくった語彙かしりませんがクソくらえです。 ひとりの状態を恐れることはまったくないのであって、 月並みな言い方ですが、内的な宇宙は外部と同じ構造だし、外部と同じほど広いし そこで複数の自己を築き上げることも容易だとおもうのですが どうして社会はそれを異常扱いするのか、わたしにはわかりません。 もっともわたしは「ひきこもり」というものを知りませんが。 中年になってからもサーフィンを楽しみ、ラグビーに夢中になってます。 ただ、カラオケとかパチンコって、あれどうみても「ひきこもり」ですよね。 日本人って、本来、ひきこもり好きなんじゃないのかな。 今日前働いてた心身障害者施設のメンバーのおっちゃんが結婚したという知らせが来ました。長い間ひとりぼっちだった。人から馬鹿にされたり障害者の知友と葛藤したり。僕は職員だった時発作が元でなくなった方がいて列席して話したり。 僕はひとりになれてるか怪しいけど、ひとりぼっちから、出てくる中で自己とのそして社会との葛藤にさいなまれるトバ口か渦中にあります。 そこで差別か他者との妥当な距離からくる言葉かわからない言葉も出てしまう時もある。しかし他に普通に助けられて自己を知ることも多い。その意味で共同性といいました。 あっ、どうも。 一番絞りさんは、他者の視線を己自信の中にくりこんで、しまうといったらいいのかな?そういう形で、精神の病が起こると。そういうことで、僕として、理解してよろしいのでしょうか。 大体、自分の実感にも当てはまる部分はあります。 そうして、僕は精神を強く病む人たち、僕もふくめていいのかな、生活にかなりの支障をきたす場合は、ひとりぼっちという感覚がかなりの威力で立ち現れてくる。たぶん、一番絞りさんのいうひとりは、共同性を何らかの形で必要とするだろう。つながりといってもいいかもしれない。 石川さん、こんにちわ。一番絞りです。 いまどきの社会・世界情勢で、ある種の不安、精神的異常性を抱えていない人は ほとんどいないとおもいます。 わたしだってかなり危ないところにいます。 いわゆる突発性のパニック症候群には再三襲われています。 人間が精神を病むのはこれは人間だけのものだと思います。 たしかに猫や犬もそれに似た症状を示すことはあるようですが それは心身症=ストレスが身体にあらわれるとでもいうべき症状のもので 精神の悩みではないだろうと推測します。 生まれたての赤ん坊が脳外科的な疾患はともかく、だれひとりとして 精神に病いをもって生まれてこないのでもわかるとおり あるいは、生まれたての赤ん坊が成長して周囲がデブばかりだったら デブということになんの痛痒も感じないのと同じように 精神を不安定にさせ悩ませるのは自らの中にある他者の視線がそうさせるのだと思います。 そういう意味で自分の中からそういう「差別意識」=一種の社会意識を払拭し、 ほんとうの意味での孤独を選択し、「一人」になれたらそういう障害は どこかに吹っ飛んでしまうものでしょう。 「ひきこもり」というのはまさしくそういう擬似的な癒しのスタイルであって むやみにそこから引きこもる人を引き出そうとする社会の論理には 腹立たしいものを感じます。 わたしはマルクスの唯物論だとかそういった「論」がいくら 論理的であっても、その「論」によって世界を一義的に説明したり、一義的に現象を解読する ようなことはどこかおかしいと思っているのです。 むしろフッサールの提唱する「現象学的還元」「本質直感」によって 個々人が世界をそのときそのときの状況をかんがみて自在に読み解くことが 好ましいと思います。 わたしの唯一尊敬する日本の哲学者、今村仁司によると 「現象学的還元」とは 「あたりまえのことに驚く能力」の由だそうです。 サルトルは文学はアフリカの子供たちを救えるかといったということですが それはやはり哲学者の陥る罠であって、そんな言い方でなにほどかのものを 言い当てていると思うのが間違いなのです。 フッサールならこういっていたでしょう。 「アフリカの飢えた子どもたちは文学を救えるか?」 昔サルトルが文学はアフリカの子供たちを救えるのか?といったことがあるそうな。彼は真摯に、且つ植民地的感性の自覚より、他人への批判がたぶん先行していたかも。だから他の思想家は豊かさの享受を、彼等はキリスト教を背景としながらだから原罪として感じながら、しかし、サルトルの批判は、直感的に、何かゼータクと感じたかも。他の方のその後にも問題があるのかも。 ある種の豊かさの中で育つ苦があり、で個人差はある。感じ方も。これから僕らは個人の負う責任は苦しくも何とか受け止めえても社会保障国防に関して過超な負担を負うだろう。 卒業時に、精神を重篤に病んだ知り合いがいて、もしかして自分ももう少し且つ決定的にひとりぼっちだったら、似た状態にいたかもしれない、と戦慄しました。 今でも、家にいてつよい不安に襲われますが、卒業後、何度も面接に落ちたり、なぜかというと、暗い顔だからそんなでは世間を生きていけないと説教とか。デイケアにも通ったりして、統合失調症の若い子の家に遊び行ったりしました。 僕もしんどいけど、何となく苦の質的な違いを感じた。 但し自らの差別的と云うか先入観もあると感じながら。何か運命の違いを友情と同時に感じた。 おはようございます。風さんの、大学のお話、年齢が上の方のようなので、僕は30代なので、ちょっと緊張しながら書いてます。 でも、僕も編入学を検討したり、退学届けを取りに行ったり、を思い出した。 直感的に今の自分の行いが自分自身の気持ちを裏切っていると強く感じるときでした。叫びのような? 僕の場合は、そのシビアな時をゼミの先生に何とか助けられしかし大学を出た後も、しばらく河原で強い焦りと重さを感じて日がな何もできなかった。淀川べりで段ボール建築の人をよく見た。死にそうな気分の中 帰る家がまだあると想った 風さんの意見にはおおむね賛成だけど、唯物論をやってればいいというのには、 ちょっと抵抗があるなあ。 〈疎外〉という手垢のついたアカデミックな概念に組みしたくはないけれど、 あえて〈疎外〉ということばの意味を、なんらかの原因によって自分で自分自身を軽蔑したり、 疎んじたり、批判したりし、その結果、過食とかひきこもりとか不眠とか人格障害に陥ることだと自分風に解釈し、 それを「自己疎外」と呼べば、その原因はフォイエルバッハの唯物的疎外論にもとめられるものでもなければ、 その延長線上にあるマルクスの、人間の商品化という形での人間からの「人間の自己疎外」が原因であるともわたしはおもわれないな。 (たしかにそのような人間の商品化という側面はあるかもしれないが、人間はそういう面ではかなりタフな存在だろうとおもう。 その程度のことで人間は毀れるものではない) たしかにこのような世界認識で何かがわかったような気になるかもしれないが、このような世界の捉え方がでは現実生活で有効であるかというと、単に知識として頭にしまわれるだけのものでしかないような気もする。 そしてときにそれを取り出し、現象にそれをあてはめる体のものであり、そういう人が多いような気がする。 わたしにいわせると自己疎外の原理は非常に単純なものであって、(単純だからこそとてもむつかしい問題でもあるのだけど)一言でいうならば 自己疎外は自分の中の〈他者〉がそうさせている と昔から直感的にそうおもってきた。 ひきこもりも自殺も過食もすべて根本的な原因は自分の中の〈他者〉がそうさせているのだろう。 自分を信じられないで、自分の中の他者の価値観に重きをおくことがすべての悩みの根本にあるんじゃないかと。 自分の中の他者(の価値観)が自分を痛め、自分を非難し、自分をいたたまれなくさせ、自殺やひきこもりや精神の均衡を失わせる。 逆にいうと、ひきこもりや自殺や精神病に陥る人たちは人並み以上に感性が鋭いところもあるが、非常に差別的であるということでもある。その差別的な社会的な眼差しが内に向かっているにすぎない。 ただ、自分の中の他者=あるいは内なる社会というのはまさしく自分以外の他人が存在したときから 人々の心の中に生じたものであって、そのようなものの価値観から自由になることはむつかしい。 多大な犠牲を必要とする。しかし、詩を書くことは、 ひとつの手立てかもしれない、と漠然とおもっている。 詩人というものの、ほんとふの資質のひとつに「豫言能力」があるべきだとわたしは常々考へている。 また、哲學者や思想家あるいは社會科學の學者が數千ページを費やして語る内容を、 詩人は數行のことばで傳へる能力もあるべきだし、 ほんとふの詩人にはそれがあるとわたしは信じている。 たとへばわたしが きみの目の前のコップも61億三千萬人の手が觸れてできている うそじゃない と書いたとしよう。 これは詩的な比ゆでもなんでもなくて、ある意味、嚴然たる事實をあらわしてゐる。 簡單なことだ。コップはガラスでできている。その原材料の産出、運搬の過程から販賣にいたる順路に どれだけ多くのひとたちが關わるかを想像してみればいい。順に辿っていけばいひだろう。販賣まで考慮しなくていい。 運搬の時點ですでに地球上の全人口61億三千萬人がかかわってゐる。ガラスの原材料である珪砂(けいしゃ)は 原産國からおそらくタンカーで海外に運ばれるのだろう。このタンカーをつくるのにも鋼鐵の掘り出し、 運搬、溶鑛爐の建設がある。 鋼材の運搬に運送會社がかかわり、トラックの運轉手の晝飯をくわせる食堂のおじさんもかかわり、 食堂の肉じゃがなら肉じゃがのジャガイモをつくった農家の人たちも關わり、その農家の鍬や 、農藥を作ったひとたちも關わる。 あるいはタンカーをつくる造船工塲の溶接工、その溶接工のバーナーをつくる會社、工塲と辿っていくだけでも、 すでにして地球上のすべての人類がコップひとつに關わっていることは容易に想像できる。 したがって、地球上の61億三千萬人ひとりでも缺けてはこの目の前のコップは存在しなかった。 と過去形で言える。そういうことを詩人は直感で感じて、ことばでしたためるのだ。 同じことを事實關係をもとに資料を驅使して社會學者が論文として發表しようとすれば どれほどの紙數が必要かわからない。 詩人にはそういふことを直感で書き込む能力があると信じている。 最近、つくづく驚いたのはつぎの詩篇の冒頭のことばだった。 われわれの魂は 時が来るまで 薄黝い麻袋に入れて 壁にか懸け並べられてゐる われわれは肉を喰ふが それ は われわれの仲間の─遠い仲間の 肉である 喰は ねば生きられない それは百数十万年生きのびて来た迷 信の最後のこだまでもあらうか 小舎の上に大枝をさしか けてゐる橡の梢で いま 蝉が神に変わり 神が蝉に変わる 『漂う舟 わが地獄くだり』入沢康夫 この詩はアフガンやイラクの地獄繪卷のはるか十年前に書かれている。 遠い仲間の肉を喰らわねば生きられない現代の桎梏、 蝉が神に變わり 神が蝉に變わる ときがくることを豫言していた。(冒頭の章は「到来まで」となっている) さすがに詩人てぇ人種は、つくづくすげーやとおもわざるをえない。 そしてまた、この詩人はいまのわたしのかすかな、かすかな、幻のごとき 「のぞみ」についても最後に言及してくれてゐる。 こんなにも 荒れてゐるのに こんなにも まつ暗なのに 私の もう祈ることも忘れ果てた視界を 白く あまりにも白く かすめたものよ 鴎よ 本当に おまへは鴎なのだらうか 〈帝国〉への対抗言語はどこにあるか。あるいは〈帝国〉から定義されることへの抵抗。 そういったものを漠然と考えている。 たとえば〈帝国〉は「テロを撲滅」するという。「撲滅するまで〈テロとの戦い〉をやめない」という。 しかし国際司法裁判所から世界で唯一、「テロ国家」と名指しで非難され、有罪の判決を受けたのが当のその〈帝国〉であるという奇態。 そのテロ国家が「テロ撲滅」を叫ぶという究極の言語暴力。言葉とその意味を根底から踏みにじるのだ。 あるいは「低強度紛争戦略」http://www.h6.dion.ne.jp/~kazu-t/LIC/Lic.htm(テロ活動)をいち早く国是として数十年も前から世界中に適応していたのがその〈帝国〉であるという奇態。 またその究極の言語侮蔑・破壊を常態としてテンと知らぬふりを決め込んでいる言論人。 奇態が、定義することによって「正義」に変わる...という言語の死滅。 そういったものに対抗し、抵抗するためには、残念ながら相手方の〈帝国〉の土俵で 相撲をとらねばならない現実がある。 それは大手書店や図書館へ行って、既存の思想書や哲学書、あるいは、それとは切っても切れない最近の流行性言語論を ひもといてみればわかる。 これがまたとてつもなく矛盾した行為なのである。 たとえばデリダならデリダの書物を開く。すると、難解な定義の山があふれ出てくる。読み込みにくい独特の語り口が門戸に立ちふさがる。 知識人にとってはあたりまえの語彙であり表現かもしれないが、 その語彙の定義を確かめるためには永遠ともいえる書物の森に分け入らねばならない。 たとえばデリダの『声と現象』なら、フッサールの書物に戻ってひとつひとつの語彙にあたり、 フッサールを読めば読んだで、さらにマルクスへと引き戻され。マルクスを読めば、読んだでまたまた、そこからモンテニュー、ヘーゲルなどに戻らなければならない。 ヘーゲルを読めばカントということになり、ついにはギリシャ時代の哲学者にまでさかのぼる。 読めば読むほど、固有に定義された語彙の「へその緒」のつづきはずるずると引けども引けどもきりがない。 哲学思想書というのは、いわば、特権的な知的階級によって意味づけされた「定義」集の山にわけいり、そのなかにはいりこんで 身も心も一体にならなければ理解できない代物だ。 高校、大学から社会人へと長い時間をかけてそれらの語彙の世界に埋没し、一体化した人はそれでいいだろうが ふつうの人にとってはたまらなく特殊で狭い、共同体の世界である。 フーコにしたって日常のなかにひそむ権力構造を暴くといいながら、自分自身はテンと疑いもなく こういった知識人の特権的言語を平然と使っている。 そういう点を鑑みれば、日本の吉本隆明が平易なことばで思想を伝えようとしている態度にはさすがに見るべきものがある。 なに、一見難解とはいえ、中身はとんでもなくあたりまえのことを言ってるにすぎないのだ。 ただただ、知的特権性を守護するための意味づけされた語法、用法、表現法をもちいるにすぎない。 構造主義などという流行性の言語論などもばかばかしいほど単純であたりまえのことをわざわざひねくって言っているにすぎない。 しかしわたしのような素人、庶民にはとてつもなく偉大な思索がそこに理解不能なことばで書かれているようにみえる。 こういうものとどう戦うのか、がいまのわたしの課題であり、そのひとつのヒントが「ハウルの動く城」だった。 詩の批評専門のサイトがある。 正直言って、一見さまざまに意匠がこらされ、念入りに修辞の糸が職人芸のようにそれぞれ織られているが、退屈だった。 おおざっぱにいうと、それは結局、知的特権階級の過剰で余剰なサロン言語にしかすぎない。 そのようなものが「程度が高い」「詩的な香りのする」批評というものだろう。いや、まさにそうでなければならないのだろう。 >>813 ぼくは中年になってはじめて詩(とくに現代詩)に興味をもち、それで 日本で唯一の詩の専門学校(小説部門もありますが)へ三年間通った。 現代詩のどこがおもしろかったかというとそれはもう当然、「わからない」ところ。 ぜんぜん読めないし、意味不明だし、ちんぷんかんぷんだった。 そこがとても魅力的で、腹立たしいような、くやしいような、不思議な気分だった。 「わからない」ということがある意味、新鮮なことだとはそれまで考えもつかなかった。 でも、一見難解だった現代詩が、学校に通いはじめて数ヶ月もたつと 一行目をとらえた瞬間に何かがすっとこころに届くようになる。 意味を追いさえしなければ、これほどわかりやすいものもないのだと了解した。 すると、とても退屈になった。 あ、ここで作者は書いている途中でちょっと迷ったな、というところまでわかる。 書き手が、どんな詩人の系譜のフォームを踏襲しているのかも一目瞭然になる。 どんな心情の宗教にハマっているかも。 そうすると、どれを読んでも鼻につき、詩が読めなくなった。 これは初心者のハマる傲慢病かもしれない。 あるとき、 このフォーラムを立ち上げた片野さんに「ほんとうは詩が嫌いなんじゃないの」 と掲示板で指摘されたことがある。そのとき、あ、とおもった。 いつのまにか詩がわたしの中で楽しくなくなっている。 あまり好きでなくなっていることに気づいた。 正直いって、わたしはこのフォーラムに投稿されている詩の忠実な読者ではない。 ほとんどまるっきり読んでないのじゃないかな。 迷惑をかける前に退会するべきかもしれない。 しかし、詩が退屈になるのと平行して、いままでまったく興味のなかった「建築」に少し 関心がいくようになった。 あらら、「建築」というのはこれほど面白いものだったのか、という感じ。 というか退屈な現代詩の代りを「建築」にもとめたのかもしれないな。 たとえば宮崎駿監督の最新作「ハウルの動く城」というアニメにヘンな城がでてくる。 これがなにかとてもわたしのこころを打った。この城を見ているだけで理由もなく愉快で こころが温まる。 いったいあれは何だろう、と無意識にぼんやり考えていたのか。 ある日、淀川の大きな、長い長い橋梁を自転車でよいしょよいしょと渡っていて何気なく下を見下ろし、 「あ、これだ!」と内心声をあげた。 たぶん間違いなく「ハウルの動く城」のヒントになっているはずのものがそこにあった。 葦の茂った河川敷に、ぽつんとひとつホームレスの人がつくった「家」があった。 それがまあ、なんと、すべての部品が、拾い集めた廃品でできている。 壊れたテレビの側面だけだとか、コタツの脚一本だとか、花瓶のかけらだとか、どれもこれもが もはや製作物・製品として意味を付与されることのなくなった、ほんとうのゴミばかり。 それらが集ってひとつの「小屋」ないしは「家」を作っている。 小屋の主には失礼だが、それはみごとな傑作だった。まったく非対称なデザイン。 予想を裏切る物品の配置。建築の常識を完全に覆す構成。でありながらかろうじて屋根と四角い壁だけは なんとか成り立たせているのだ。 万歳! と叫びたくなるような爽快感と開放感があった。 それは何ものによっても規定されたり意味を付与されることのない建築物なのだ。 「意味のあるもの」によって固められた最近の詩にまつわる思想や批評。 それらは結局、「意味を付与し、付与されたもの」による強固な、固定的な、権力的な、体制的な構築物でしかないのではないか? そういう思いがあった。 そのような息苦しさを宮崎駿のアニメ(思想)は意識してか無意識にかこの「ゴミの城」によって吹き飛ばしている。 わたしも詩の批評を、もはや意味を付与されなくなった、ゴミのようなことばをかき集めて書いてみたかった。 しかし、それはどうも叶わないことのようだ。 どう考えてもそれは「低レベル」の作品とみなされる。実際そうだから、みなされてもいいけどね。 フォーラムのレベルを疑わせしめるとまで言われれば、続けるわけにはいかないしね。 ま、そんなことはどうでもいいことだ。 で、短い本題。 イラクやアフガンの死者のことに思いを奪われ、建築物のことには気がつきませんでした。 日本の伝統的な建築物は移動や建て替えなど自在にできることを前提にしてつくられているもののようですが 西洋の場合は半永久的にパーマネントにそこに建てるものらしいです。 それを破壊されるということは、まさに自らの魂や歴史を壊されるという思いがあるでしょうね。 アメリカというのは、うーん、まさにブルドーザーですね。世界中を平坦にして、そこに、みな同じかたちの カマボコ兵舎のような家をつくらせるのが夢なのでしょう。 >>810 >ちょっとアメリカの、自分の国が持たないものへのジェラシーを感じてしまいます ご存知かもしれませんが、 太平洋戦争で古都、京都が空襲を逃れることができたのは歴史ある美しい町並みを破壊することを 米国の学者が強く反対したからだという〈神話〉がまことしとやかに伝えられていますが、事実はそうじゃなかったみたいですね。 広島・長崎への原爆投下までには、いかにもアングロサクソンらしい徹底した用意周到さがあったわけで、まず、 「原爆投下目標選定委員会」なるものが開かれている。 その選定委員会とそれにつづく科学者や軍高官、陸軍大臣などの暫定委員会で満場一致で採択された投下候補地の 一番に選ばれたのが京都でした。 http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/gennbakutoukaiinnkai.htm 上記のURLの記述はかなりおおまかで、他の資料とは食い違いもありますが、おおむね、 京都以外には広島・小倉・新潟の各都市が候補だったといわれています。 で、そのためにさまざまなテストをしなければならない。いわゆる「模擬原爆」パンプキンの投下テストです。 そのため統合作戦本部は四都市へのあらゆる爆撃、攻撃を禁止し、よって、これらの都市は空襲に会わなかった。 というのが真相のようです。 さまざまな資料によると京都への原爆投下は必至だったようですが、一説によるとスチムソン陸軍大臣と 統合作戦本部との確執の結果、京都は原爆投下をまぬがれたといわれています。 >まあ、できるだけ楽しく話しましょうよ。 まったくもってその通りで、どうも俺はこの手の話題になると短気でいけない。 俺の短慮から発せられた言葉に傷ついた人達すべてに、この場を借りてお詫び申し上げる。 最終形態に向かって、今実現可能な物事を追求することと、 大局的にみた物事の最終形態を追求することは話の次元が違う。 そこは勘違いしてはいけないポイントだった。 理念として平和を追求し続けることに対して、俺がなんのかんのと文句を言う気はないし、言うべきではない。 それは個人個人の、尊重すべき思想の元に行われていることだから。 ……。 ここから先はほとんど独白なのだが。 冷静になってみれば、どうやったって帰ってこないものに手を伸ばしたいだけなのだと気づいてみる。 失くしたもんは失くしたし、奪ったものは奪ったのだ。 それらの事実は厳粛に受け止め、背負っていかねばならない。 そして、背負うことの重さに歩みを止めてはならない。 それが結果として生きているものの務めだろう。 (情けないことに、しょっちゅう立ち止まっているという事実があったりして 俺がまず戦うべきは己自身となんだろうと思ったりする) 「信じようよ」と語りかけてくれた言葉たちは素直に嬉しい。 今朝、子ども達が笑っていた。 明日も当たり前に子ども達が笑えて、そして育つことの出来る未来を目指して 一歩一歩、前を向いて歩いていこうと、まずは己に語る。 最後に考えたのは、命の価値についてだ。 そんなことは、一生考えたって答えなど出ないものなのかもしれないが ここに限らずフォーラムの幾つかのスレッドをみて、かくも命とは(人に限らず)重いものなのかと感じた。 これらの話題の元になった香田さんの死が無意味に終わらないこと、 香田さんの魂が迷わず、安らかにあることを心から祈る。 ボルカさんへ 突然色々まくしたてたことについてはお詫び申しあげます。 自分でも短慮を起こしていると思いつつ、そう見えてしまう人間もいるのだと、 その人にとって、単純な言葉一つが刃になってしまうのだということだけ言いたくて、 例に挙げさせていただいてしまった。その点もお詫び申し上げる。 ボルカさん自身が女性の政治参加を否定なさっていないことなどは、 前の文面からでも読み取ることが出来ました。 これはすごく私的な見解で人に押し付けることではありませんが、 俺は女性・男性を問わず、政治に積極的に参加して欲しいと考えています。 もはや、国際問題は外交官だけが扱うものではなく、我々全てにとって身近な問題であるからです。 そして、そうしていくことが、いずれ来る未来に有益かもしれないと考えているからです。 他人事のようにみえる仰り方はして欲しくなかった。それだけでした。 ただ、個人個人の思想は押し付けるものではないので、その点はお気になさらないでいただきたい。 俺も現在ファルージャで起こっている戦いが、戦士のものだとは思えません。 イラクに派遣された自衛隊がなんのためにあの場にいるのかも、正直謎です。 真の国際貢献とはなんなのか? どういう形で実現されるべきか? 今も考えています。 >>804 >普通名詞というのは、すべての人に公平に開かれているものだとしたら、それを用いて詩を書いたことが、すぐに特定の誰かに結びつく状態、というものは、自由な表現の場として少し問題があるのではないでしょうか? ああ、それ分かります。 私もたいして深い意味も無く、固有名詞使って、よく考えたら失敗だったなと思いましたもん。 一般普遍色が強い名詞を個人が使うと、物凄いプレッシャーになりますね。 私の場合、もう遅いと言わんばかりに、強引にゴーイングマイウェイで行きましたが、 あんまり、と言うかかなり良い気分ではなかったですね。私の場合は。 それだけ霊感と言うんじゃないですけど、力の強い言葉だと思いますね。 公で、個人が使うには。 それなりの意図があって使うのは良いでしょうけど、 あんまり考えが無いのならば、使わないほうが無難ですね。 自分の思っている以上に振り回されると思います。 と言うか、個人的には、だれかが依然使っていたその固有名詞を再び使って、 その個人色を塗りつぶして欲しいと思いますし(笑)。 まあ、お陰で見える事もありましたが。 >やさしい習慣の積み重ね この言葉は非常に魅力的だ。俺にとって詩を目指すことは「やさしい習慣の積み重ね」なのだろう。芸術に盛んであれと願うのは人間を育てることであり、美しい風景を創りあげることに他ならない。 俺はここで、そしてまた別の場所で探し続けている。かつて捨てた信念を、思想を。新しく育てるべき種を、もう一度育てたいと願う芽を。恐怖を取り去る方法を、根付いた憎しみや恨み、負の遺産を墓にだけ持っていく方法を。あるいは、負の遺産を清算する方法を。 ああ、そうだ。真実の平和があったなら、俺にとって大切なものも、他の誰かにとって大切なものも無為に失われることはなかった。そして、これからも失われることはない。それは異論をはさむ余地のないことだ。究極の理想、すなわち戦争に対する平和だ。 俺は平和それ自身が虚しいものだと考えているわけではない。俺が虚しいと感じるのは、回避する方法がありながら回避されずに戦争が引き起こされた事実。回避する努力をする前に引かれてしまった引き金。それによって現実に失われたものが、傷ついたものが目を向けられることすらなく忘れ去られていくことだ。真に平和を願い、祈り、そのために魂を捧げ、信じ続けた人々がその信頼を裏切られることだ。 俺は願っている。こうしてここで俺なんぞの言葉に応えて、自分の信じる戦争について、平和について語ってくれた人たちが裏切られることがないことを祈っている。戦争なんぞ、知らずにすむなら知らなくていいのだ。憎むことも恨むことも知らない者ならばこそ、戦争の極限状態など知らない者なればこそ、どこまでも弛むことなく疑うことなく平和への道を進むことが出来るのではないかとも思う。それもまた希望だ。 俺は自分に問いかけている。風さんたちが仰っていることが正道であることを感じながら、反発を覚えてしまうのは何故なのか? 望むのは戦争ではなく平和だと言い切れるのに、それを虚しく思うのは何故なのか? 今ふと思い至ったことがある。 俺がなにより虚しく思うのは、反発を覚えているのは、平和を願い祈りながら戦争への道を転がり落ちようとしている自らの姿なのだ。 俺は今こうして日本に暮らしていて、極限の状態からは開放されているけれど、真実自分が今の平和を感受して良いのだと思えていない。強いて言うなら、地雷原を歩いている気分だ。今、目の前にテロリスト達が現れて破壊と殺戮を宣言した時、和解は可能なのだろうか? とてもそうは思えない。戦争という名の爆弾の導火線に既に火はついており、俺たちはそれが縮んでいくのを眺めている 日本列島という名の前線基地が利用されることを、ただただ黙って眺めている。眺めているだけならばまだ良い。俺たちは導火線を縮めることに加担しているのではないか? それが故意であれ、過失であれ、無意識であれ。 俺たちは米国の武力に護られている。俺たちは他国の民の富を搾取して日々を生きている。俺たちはインターネットという戦争の道具を使用し、今もWWWの中を飛び交う数知れぬ暗号文は、砲火とテロのトリガーとなっている。例えば大人たちが子ども達に、そして自らに夢と感動をと買い求めるディズニーの商品もまた、人を殺すための武器に変わっているのだ。 平和を現実にする困難や、現実にする過程で失われていくであろうものを考えるのは心が重い。平和を導くにも力が要る(この場合、力とは武力を意味しているわけではない)。力を持つ統率者も必要だろう。今、無為に殺されようとしている者たちをどうすれば護ることが出来るのか? 国庫を空にしても武器の全てを灰にするには足りないとき、どのような手段がその代わりとなりえるのか? 今現実に起きている憎悪の連鎖をどこで、どのように断ち切ればよいのか? 問いかけは尽きず、俺は未だに俺自身の心の戦場を彷徨っている。 過去を断ち切れない弱い俺の悲哀なんぞ、俺が独りで墓場にもって行けばよい。 最終的に、それは実に正しいことだ。憎悪は連鎖させるべきではない。 Liberate te ex inferis. 己を救うのは神ではない、己自身なのである。 だが、事実を事実として語ることすら許されないのか? 少なくとも俺は、ドラマの中の不幸をみて涙を流そうなどと考えているような人々には、その台詞を吐いて欲しくない。 戦いで何かを護ろうとすることは野生の思考だというが、野生もまた人の一部なのだ。骨の欠片すら残さず吹き飛んだある人は、俺の友人達は、恩人は、恋人は、間違いなく人であった。彼らは人として、自らの信じるものの為に闘った。死や戦いを美化するつもりはないが、彼らを獣と呼ばれて喜ぶ気は到底しない。 どうか、この場で語られた言葉たちを不用意には用いないで欲しい。言葉は立派な刃になりえることを詩を紡ぐ人間ならば知っているはずだ。そんなつもりはなかったのであろうが、戦場に生きる者たちを、そこで命を懸けて戦う兵士達を無為に冒涜する数々の言葉が発せられた事実に気づいているだろうか? 戦争をゲームと同列に扱うとはどういうことなのだ? 女は政に関わらなくてよいとはどのような理由からなのだ? 武力を行使しないなら、政治という手段を用いずにどのように破壊を止めるのだ? 今軍部に身を置いていること=命の簒奪者であることを選んでいるという等式はどこで成立するのだ? 自衛隊員も含めた各国軍の全ての人間が自ら命を弄ぼうとその職についたのか? そうではないだろう。 正しいことなら人の心を抉っても良い訳ではない。 戦争が起こるもっとも多くの理由は、思想や宗教や民族の違いではなく現実的な理由がある。が、思想・宗教・民族の違いもまた、おおむね現実的な理由によって分かれてきたのである。人間が精神的な生き物でもある以上、それらを一つのファクターとして忘れてはならない。自らの思想を信念を貫き、護り通す事を、確かに世界の人々は実行している。けれど、その道はけしてけして平坦などではないのだと知っていて欲しい。正道を貫こうとするとき、時として非道な道を通らねばならない現実を心の片隅にでかまわない、置いておいて欲しい。 それらを背負う覚悟をもって平和を語るなら、俺などにもう言うことはない。 最後に、平和について、戦争について、この場所で必死に問いかけ、語ってくれた人たちに俺は心からの感謝を捧げる。 ありがとう。 辻まことによれば、「防衛」は甲虫で、「この不潔な甲虫は恐怖からわいた」のだそうですよ。 そういえば音楽も絵本スレもあるけど、絵とか写真のスレはないな… 僕、実はパソコンなくて近所にただで使える施設のを利用したり、携帯からやってるんだよね。 だから、というかスレが多いしさ、パソはないし、鬱でからだがめんどくさいから買いに行かないし、優柔不断だし… その割に作品は多作だわ口はあちこちだすはオレは少し軽躁なんかも。 軽躁の一言 フォーラムで国民投票してみたら、だれが首相になるのかな? なんか川柳というか笑点みたいだ。こないだ清野さんのサイトを見たら、ブッシュの小噺サイトリンク在り http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041109-00000008-mai-int 硝煙のファルージャ このたびのイラク戦争では10万を越える一般市民が死んだ。 家族友人、100万の恨みを買って、石油利権強奪とイスラエル支援の為の侵略戦争を米帝は展開しているわけだが、 人口30万のファルージャではこのたびの米軍突入の前に、既に700人の一般人(女子供)が虐殺されている。 米軍と傀儡政権によるファルージャ突入で、またどれだけの市民が死ぬのだろう。 ファルージャはアルカイダ゙系など、外国から来たテロリストの巣になっているというが、 家族を殺された多くの市民も、救いようのない怒りを胸に、武装蜂起の列に加わっているようだ。 開放の虎アラファトが死のうとしている今、 ファルージャで米帝に異議申し立てをした者たちが圧殺されようとしている。 指をくわえて見ているしかないのか? 俺は今、東アジア反日武闘戦線の闘争を思い出している。 真っ黒な心で。テロリストの心で。 米国領事館はその辺にもある 僕は斗宿さんの云うこと、慎重に考えてみた自分なりに 平和ボケは?だが、かなり傷付いてると感じた ヘミングウェイの小説にも出ますが、帰還兵は鬱状態を持つことが書かれ、帰った国の雰囲気に戻り難くなると。だから、戦争ボケと呼ぶのは、ちと。僕の祖父は招集され死線をさ迷い帰ってきたので彼が帝国の戦に加担していたけど、先の大戦は拒んでも処刑されるから、どちらを選んでも罰の中死んだかも。故今の僕いなかったかも 斗宿さん正義を武器に変えた。友救う為。大切な日常が更に壊れる事。が貴方が選んだ事。竹内浩三の詩を読んでみて 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 スレッドを新規に作成したり、コメントを書き込むにはログインが必要です。
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