雑談スレッド5[849]
2004 11/20 21:11
一番絞り

>>847
ああ、
そういう経験ならわたしにもありますよ。
冷凍倉庫へ大型冷凍車の荷物の積下ろしのバイトへいったことがあります。
零下何度という車内で動いているとすごい汗で
仕事を終えるまでにシャツを三枚も着替えました。
着替えなければ仕事にならないほど、下着が汗でどぼどぼになるんです。
重いくらいにね。
使う筋肉が違うんですね。
六十歳のベテランの日雇い老人がひょいひょいと積みおろしていました。
でもわたしはそれから三日間も全身の筋肉が痛んで寝込みました。(笑)
二度と行かなかったですね、あのバイトだけは。


>>848
仰ることはよくわかります。
ただ、わたしは「ひきこもり」も「自閉症」も〈病気〉だとは思ってないんです。
「自閉症」ってのはかってに周囲が名づけたものでしょう。
こどもたちにとっては生まれたままのそれが自然だし、ふつうのはずなのに、社会が在るから
〈病気〉になる。
わたしも幼いころは「自閉症」(かってに「自閉」なんてコトバ学者に使われちゃ自閉症の子も
かなわんよな)に近いような状態でした。
でも、わたしが育ったのは大きなお寺ですから周囲がかなり勝手にさせてくれた。
幼いころから大きな暗い書庫で本ばかり読んでました。
これがまた「自閉症」の集中力ですかね、耳元の三十センチ近くで大声で名前を
呼ばれているのに
気がつかないくらい読書に集中できました。
でも、知能知数が低いことやコミニケーション能力が劣っているということで
当時の言い方で言うと「白痴」「低脳児」扱いされました。
じっさい「低脳」だったのかもしれません。
当時の小学校、中学校の通信簿をみると1〜5評価で1と2ばかりです。
3がただひとつ。社会科にのみ。
自閉症と呼ばれているこどもが、自閉という差別的なことばをそのまま受け入れることはないし、
親もそのような呼称を抗議すべきだったでしょうね。いまも平気で使われているようですが。
いずれにせよ「低脳」のわたしがそのとき考えたのは
コペルニクス的発想の転換で、むしろ「低脳」っていいところがあるんじゃないか
てことです。
知能優秀な人にわからないことがわかるんじゃないかということです。
逆に、知能優秀な人間の本人たちが永久に気がつかない間違いを
唯一指摘できる存在なんじゃないか
そういうことを漠然と考えました。
わたしが知的なものに直感で反発やうそを感じるのはそのせいかもしれません。
いずれにせよ、
目下、あなたの書いた壁のようなマルクスについての書き込みを読むのに四苦八苦です。
圧倒的な字の壁ですね、あれは。読む前に疲れてしまいますよ。(笑)
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