雑談スレッド5[825]
2004 11/19 12:03
一番絞り

石川さん、こんにちわ。一番絞りです。

いまどきの社会・世界情勢で、ある種の不安、精神的異常性を抱えていない人は
ほとんどいないとおもいます。
わたしだってかなり危ないところにいます。
いわゆる突発性のパニック症候群には再三襲われています。
人間が精神を病むのはこれは人間だけのものだと思います。
たしかに猫や犬もそれに似た症状を示すことはあるようですが
それは心身症=ストレスが身体にあらわれるとでもいうべき症状のもので
精神の悩みではないだろうと推測します。
生まれたての赤ん坊が脳外科的な疾患はともかく、だれひとりとして
精神に病いをもって生まれてこないのでもわかるとおり
あるいは、生まれたての赤ん坊が成長して周囲がデブばかりだったら
デブということになんの痛痒も感じないのと同じように
精神を不安定にさせ悩ませるのは自らの中にある他者の視線がそうさせるのだと思います。
そういう意味で自分の中からそういう「差別意識」=一種の社会意識を払拭し、
ほんとうの意味での孤独を選択し、「一人」になれたらそういう障害は
どこかに吹っ飛んでしまうものでしょう。
「ひきこもり」というのはまさしくそういう擬似的な癒しのスタイルであって
むやみにそこから引きこもる人を引き出そうとする社会の論理には
腹立たしいものを感じます。

わたしはマルクスの唯物論だとかそういった「論」がいくら
論理的であっても、その「論」によって世界を一義的に説明したり、一義的に現象を解読する
ようなことはどこかおかしいと思っているのです。
むしろフッサールの提唱する「現象学的還元」「本質直感」によって
個々人が世界をそのときそのときの状況をかんがみて自在に読み解くことが
好ましいと思います。
わたしの唯一尊敬する日本の哲学者、今村仁司によると
「現象学的還元」とは
「あたりまえのことに驚く能力」の由だそうです。

サルトルは文学はアフリカの子供たちを救えるかといったということですが
それはやはり哲学者の陥る罠であって、そんな言い方でなにほどかのものを
言い当てていると思うのが間違いなのです。
フッサールならこういっていたでしょう。
「アフリカの飢えた子どもたちは文学を救えるか?」
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