雑談スレッド5[818]
2004 11/18 22:20
一番絞り

詩人というものの、ほんとふの資質のひとつに「豫言能力」があるべきだとわたしは常々考へている。
また、哲學者や思想家あるいは社會科學の學者が數千ページを費やして語る内容を、
詩人は數行のことばで傳へる能力もあるべきだし、
ほんとふの詩人にはそれがあるとわたしは信じている。
たとへばわたしが

 きみの目の前のコップも61億三千萬人の手が觸れてできている
 うそじゃない

と書いたとしよう。
これは詩的な比ゆでもなんでもなくて、ある意味、嚴然たる事實をあらわしてゐる。
簡單なことだ。コップはガラスでできている。その原材料の産出、運搬の過程から販賣にいたる順路に
どれだけ多くのひとたちが關わるかを想像してみればいい。順に辿っていけばいひだろう。販賣まで考慮しなくていい。
運搬の時點ですでに地球上の全人口61億三千萬人がかかわってゐる。ガラスの原材料である珪砂(けいしゃ)は
原産國からおそらくタンカーで海外に運ばれるのだろう。このタンカーをつくるのにも鋼鐵の掘り出し、
運搬、溶鑛爐の建設がある。
鋼材の運搬に運送會社がかかわり、トラックの運轉手の晝飯をくわせる食堂のおじさんもかかわり、
食堂の肉じゃがなら肉じゃがのジャガイモをつくった農家の人たちも關わり、その農家の鍬や
、農藥を作ったひとたちも關わる。
あるいはタンカーをつくる造船工塲の溶接工、その溶接工のバーナーをつくる會社、工塲と辿っていくだけでも、
すでにして地球上のすべての人類がコップひとつに關わっていることは容易に想像できる。
したがって、地球上の61億三千萬人ひとりでも缺けてはこの目の前のコップは存在しなかった。
と過去形で言える。そういうことを詩人は直感で感じて、ことばでしたためるのだ。
同じことを事實關係をもとに資料を驅使して社會學者が論文として發表しようとすれば
どれほどの紙數が必要かわからない。
詩人にはそういふことを直感で書き込む能力があると信じている。
最近、つくづく驚いたのはつぎの詩篇の冒頭のことばだった。

  われわれの魂は 時が来るまで 薄黝い麻袋に入れて
 壁にか懸け並べられてゐる われわれは肉を喰ふが それ
 は われわれの仲間の─遠い仲間の 肉である 喰は
 ねば生きられない それは百数十万年生きのびて来た迷
 信の最後のこだまでもあらうか 小舎の上に大枝をさしか
 けてゐる橡の梢で いま 蝉が神に変わり 神が蝉に変わる

           『漂う舟 わが地獄くだり』入沢康夫

この詩はアフガンやイラクの地獄繪卷のはるか十年前に書かれている。
遠い仲間の肉を喰らわねば生きられない現代の桎梏、
 蝉が神に變わり 神が蝉に變わる
ときがくることを豫言していた。(冒頭の章は「到来まで」となっている)
さすがに詩人てぇ人種は、つくづくすげーやとおもわざるをえない。
そしてまた、この詩人はいまのわたしのかすかな、かすかな、幻のごとき
「のぞみ」についても最後に言及してくれてゐる。

 こんなにも 荒れてゐるのに
 こんなにも まつ暗なのに
 私の
 もう祈ることも忘れ果てた視界を
 白く
 あまりにも白く
 かすめたものよ
 鴎よ
 本当に
 おまへは鴎なのだらうか
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