雑談スレッド5[828]
2004 11/19 16:57
一番絞り

>>827

>一番絞りさんは、他者の視線を己自信の中にくりこんで、しまう
>といったらいいのかな?
>そういう形で、精神の病が起こると。そういうことで、
>僕として、理解してよろしいのでしょうか。

あ、こちらこそ、どうも。
素人が生意気なことをいってしまったようですが、
いちおう弁明しておきますと、
わたしが「内なる他者の視線」といったのは意図的に
〈他者の視線を己自信の中にくりこんで、しまう〉
という意味ではなくて、人間誰しも社会的動物である以上、
幼児から大人になるにつれて自然にくりこまれくる意識、つまり
社会的な規範や価値観という意味です。

そういう社会的共同体的な規範や価値観で自分自身を差別してしまう。
それが精神の病いのもとにあるのじゃないかと自分ではおもっています。
ですからこのような社会規範、共同体的な価値観に意識を占領されている
人が自らを差別し痛めつけ自分で自分を排除しようとするのじゃないか。
そこを断ち切るにはあらゆる意味で自由にならなければならないと。
つまり、赤ん坊の無垢な意識にもどれれば、いいのですがね。
たとえば自分が「暗い顔をしている」という意識があれば
赤ん坊だったらそれが当たり前、ちっとも「暗い顔」ではないとおもうでしょうね。
それが生まれつきのふつうだと。
暗いとか陰湿だとか、シツコイだとか、ケチだとか、ブスだとか
あらゆるマイナーな言語とそれの意味するところは
所詮、だれかに押し付けられたものに過ぎず、たいした意味はないのですけどね。


>一番絞りさんのいうひとりは、共同性を何らかの形で必要とするだろう。
>つながりといってもいいかもしれない。

共同性というものが、なんらかのアイデンティティ=同一性のもとに、
ともにある状態をさしているのなら
わたしはそのような「共同性」=アイデンティティというものを否定します。
それこそ、そのような共同性は、あらゆる精神の病の源だと理解していますし
差別、排除、暴力の源泉だとおもっています。
家族、会社、宗教・政治団体、国家といった単一の集団に同化することは
自らを疎外することにつながると考えています。

さまざまな価値を整序化する中心的・支配的な価値が欠けていることは
いわゆる「アイデンテイィティクライシス」ではなくて、逆に、そのような
あるひとつの価値観が自己を支配するような状態を、たとえばハンナアーレントは
「アイデンティティの危機」といっているようです。
自己の中に複数の価値観をもてば、そこに対話がはじまり、決して自らを
自らが差別するような事態にはいたらないのじゃないかと、やや図式的ですが
そんなふうに考えてみたりします。
他者論ではそれを内なる他者というような言い方をしているようですが
わたしにとってそれは他者ではなく、内なる複数の自己とでもいうべきものです。
アイデンテイィティなんてだれがつくった語彙かしりませんがクソくらえです。
ひとりの状態を恐れることはまったくないのであって、
月並みな言い方ですが、内的な宇宙は外部と同じ構造だし、外部と同じほど広いし
そこで複数の自己を築き上げることも容易だとおもうのですが
どうして社会はそれを異常扱いするのか、わたしにはわかりません。

もっともわたしは「ひきこもり」というものを知りませんが。
中年になってからもサーフィンを楽しみ、ラグビーに夢中になってます。
ただ、カラオケとかパチンコって、あれどうみても「ひきこもり」ですよね。
日本人って、本来、ひきこもり好きなんじゃないのかな。
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