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[43]中川達矢[2017 09/07 22:29]★2
多分、私、忘れ去られている存在だと思うのですが、個人的ながら、詩を書き始めたのが約9年前で、その時、一番最初に見つけたのがここで、投稿を始めました。
一度、詩と散文を語るスレにて、:-)さんのもとでオフ会も開き、その後を引き継いだのですが、放置状態が続き申し訳ありません。
そんなこんなはさておき、日程が合い、お知り合いの方がいれば参加させていただきたいと思います。未定ではあります。
[153]中川達矢[2013 05/16 19:30]
皆さん、それぞれのスタンスを表明(?)してくださって、ありがとうございます。
詩に対するスタンスも様々であり、このような表明、外形化することによって初めてわかることもあるかと思います。
無責任なことを言えば、「その人にとって、その時、詩とはこういうものである」というものがあれば、その姿勢が、詩にもあらわれると僕は思っています。
それはつまり、人が異なれば、詩が異なるのと同様、時が異なれば、同じ人であろうと、詩が異なっていくように。
ただ、時を隔てたとしても、同じ人が書いた作品には、どことなく、共通性なるものがあると思うんです。
それこそが、その人の揺るがない詩への姿勢なのかな、と思い...
[144]中川達矢[2013 04/25 11:15]★3
はなもとあおさん
書き込み、ありがとうございます。
率直な感想として、詩は勉強するものなのか、楽しむものなのか、その点からの議論も必要になってくる気がしました。
僕自身、ついつい難しい言葉を使って、詩を語ったりしてしまうことがあるのですが、詩の感想を述べる時、難しい言葉をつらつら並べると、その批評の言葉に妥当性があろうとも、胡散臭さなるものが出てきてしまうんじゃないか、とも思ってしまいます。
極端なことを言えば、詩に対する感想もまた詩になりうる、と考え、その感想もまた、人の目にさらされるものであることを意識しなければならないのかな、と。
もしよろしければ…、はなもとあおさんが仰った、「創作の暴力的側面」ということについて、もう少しご説明いただけたら…、と思います。
あと直感的になりますが、揺らぐ自分がいなければ、詩を書き続けることはできない気がします。詩は一瞬一瞬の記録になりうるかもしれないですが、書き上げて、その詩および自分に満足してしまったら、書き続けることはできないような…。
[141]中川達矢[2013 02/26 00:32]
最近読んだ、野家啓一『物語の哲学』において、森有正さんの論が紹介されていたような気がします。
N.K.さんがご指摘なさるように、ただ単に経験を積むことがいいのではなく、それが活用され、詩論・理論の理解に繋がるのは盲点でした。
おそらく循環されていくものでしょう。
経験が主観的、詩論・理論が客観的(一概に分類はできませんが…)が、循環的に影響を及ぼすような気がします。
森さんのおっしゃるのは、体験が点で、経験が線のようなものであり、体験は出来事、一瞬一瞬であり、それを蓄積していくことで経験になっていく。
そして、その蓄積していく主体が必要であり、その主体こそが、「いま・ここ」で体験を語...
[139]中川達矢[2013 02/25 18:54]
放置癖がある中川です、ごめんなさい。
ひとまず、久々に、このスレをあげてみます。
詩作、思索メモとしてお使いいただけたら、と。
出来る限り、僕もコメントできるようにしていきます。
最近は、現象学・解釈学を学んでいるのですが、
(ずいぶんと話が飛躍…)
詩論や理論を学ぶことが、果たして、読書を豊かにするのか、ということを常々考えます。
現段階で意見を述べさせていただくなら、それはNOで、豊かにしないような気がします。
じゃあ、何が豊かにしてくれるかって、
敢えて、根拠を示さずに、結論だけ投げときますが、
経験を積む
および
他人の話を聞く
この二つが根本的に大事なのではないか、と思っています。
というわけで、議論の余地を残し、
これに即さなくても、皆様のご自由な「しさくメモ」をお書き下さい。
[125]中川達矢[2012 05/15 08:21]
戻りました。
朗読については、蛙さんのおっしゃる通り、テクニックが存在してしまいます。
そうすると、一つの不安としては、朗読によってむしろ解釈が狭くなる恐れがあるということ。
ただ、それはあくまでも広義の音が目の前にあり、それを踏まえてどう解釈するか、はテクニックと別のものかもしれません。
昔の和歌・俳句は文語。
古典の授業でもそうですが、古語の理解でよくなされるのが、現代語訳、そして、なんといっても助詞の役割。
ここで疑問が生じるのは、果たして日常会話において、助詞の正当性をどれだけ疑っているのか。
仮に、習慣的な違和感と名付けますが、「〜は〜した」「〜を〜した」では動作の...
[117]中川達矢[2012 05/11 23:51]
詩の解釈や雰囲気を壊す、のではなく、それがあくまでも現存しているのであって、それを含めて解釈するのではないでしょうか。
と、先ず目に入ったことから返信をして…、
#疲労とお酒でまともではない、いいわけ
詩と散文の違いを語るのもめんどそうなので…、
#詩はこういうものだ、と、こういうものだから詩だ、という二つの語り方があるとして、ひとまず、黙読、音読の側面から詩を見てみようと。頭から詩はこういうものだ、と決めていては、それ以上も、それ以下もない。
何となく皆さんの詩作の方向が見えたような気がするのです。
頭でっかちに語るならば、詩にはリズムが必然的に伴っている。
それは和歌・俳句→文語...
[112]中川達矢[2012 05/10 20:29]
なんか疲れてしまって、書こうと言ったからには何かしら書かないといけないのですが…。
まあ、皆さんって詩を書く時に、声に出してますか?
僕は書き終わったら声に出しています。
なぜって、声に出して、リズムのチェックをするんです。
自分が気持よく読めたからといって、他の方が気持よく読めるとは限らないですが、最低限、自分ですら気持ちよく読めないものは出したくないかな、って自分の表明ですね。
書き言葉と話し言葉の一致、(言文一致)は明治時代、二葉亭四迷の『浮雲』によってなされたとされ、詩の歴史で言えば、もう少し遅く、川路柳江が元祖とされながらも、文語定型詩(新体詩)から口語自由詩の変遷は、...
[111]中川達矢[2012 05/10 11:31]
蛙さんに退屈だから面白いテーマを設定してくれ、とケツを叩かれました。
そこで、先ずは、何故退屈かと思われたのかを蛙さんに説明していただき…、ということはせず、とりあえず近況報告でもしてみます。
4月から大学院に入り、「現代詩の受容体系」について研究しようなどと意気込んだ青年中川は、この1カ月でぼこぼこにされます。
「詩ってなんですか〜?」という質問が絶えず飛び込む。
僕は答えられません。
考えたことがないからです。
というか、そんなこと考えなくても詩は書けます。
だけど、詩を読むにあたっては若干必要な気もするのです。
改めて新体詩から現代詩までの流れを抑え、また、吉本隆明の詩論を読んだりしています。
そろそろ大学に向かわねばならないのですが、僕がこの1カ月で考えてきた、「詩の朗読」について、帰宅したらまとめてみます。
[108]中川達矢[2012 04/22 10:40]
お久しぶりです。
また何か語りましょうか。
詩が遊びかどうかは、僕は干渉してはいけないような気がして触れられないのです。
ただ、楽しんでいるかどうかは重要な気がして、僕は一体詩を楽しんでいるのかどうか。
芸術、という観点におけば、楽しみといった概念から遠いような気もしますが、詩は芸術なのかどうか、そして、やはり偉大な画家やら作家やらは根底に楽しみがあって、それをきっかけに芸術をつくったのではないか、なんて。
とりあえずネタふりとしてそんなことを言っておきます。
[102]中川達矢[2011 12/08 15:12]
かのっぴさん、ありがとうございます!
更新いたしました。
前のスレッドの時みたいに、
一人の人が語りたいことを語る方式でもいいのかもしれないなー。
話題提供だけじゃなく、その後も一定期間の間、その方を中心に何かを語っていただけないでしょうかー。
[100]中川達矢[2011 12/07 19:19]
意外と反応があり、
そして、
ただのあほうさん、ようこそ。
ジェンダー論を出してしまうと、いわゆる「恋愛」とは離れてしまうおそれがあったのですが、それでも何かしらの発話が生まれてよかった。
やじさん、きたさんの物語を全く知らない…。
東海道中膝栗毛ですよね、十返舎一九でしたっけ。
動物における同性愛。
動物ってなんだか、本能的だと人間が規定してしまっているようでいて、いや、人間も十分本能的だろうと思うのです。
今日も授業の中でジェンダー論なんかをならったのですが、100%の男、100%の女なんているんだろうか、なんてことがトピックの一つでした。
性行為だけが全てなわけでは...
[97]中川達矢[2011 12/05 23:53]
反応ありがとうございます。
恋愛、とは違いますが、ジェンダー論、フェミニズムの問題なんかも男女関係の問題として、文学とは切り離せない関係になりました。
ここで、こういった性別問題の関する一つのトピックを置いておきます。
ゲイが否定される。
その行為の特徴の一つに、いくら性交しても子どもを産めない環境であることを指摘できる。
しかし、男女の性交だって、生殖を目的とした性交がどれだけあることか。
つまり、コンドームをつけたカップルの性交なんて、ゲイの性交と同じである。
異性を愛する自分が正常であり、同性を愛する人が異常であると考える人は、この点において言えば同類である。
(女性の肉体的な環境については、この場合、考えておりませんが…。それに端的に申し上げており、この意見が全てではないと思います。ジェンダー、セックス、セクシュアリティの一つの問題として例を挙げました。気分を悪くされる方がいたら申し訳ありません)
[94]中川達矢[2011 12/03 14:38]
若者らしい話題として、2chのコピペの中にこんなのがあります。
西野カナという歌手が歌詞の中でどれだけ会いたがってんねん!というものです。
西野カナ
『君に会いたくなるから』 ♪会いたかった〜君に会いたくなるから〜いつか会おう
『遠くても』 ♪会いたくて会えなくて〜会いたいの私だけなの?会えなくて切なくなる〜会いたい会いたくて仕方ないよ
『会いたくて 会いたくて』 ♪会いたくて 会いたくて 震える〜会いたいって願っても会えない
『love & smile』 ♪君の笑顔に会いたいから〜会えない日も見守って
『もっと…』 ...
[93]中川達矢[2011 12/03 14:37]
この名前、呼びかけにくいと本当によく言われます。
ふつうに中川の方でかまいません。
小田和正さんの歌は好きです。
あまり歌詞に注目したことがないですが…。
そういえば、合唱曲で歌う詞に恋愛ものってあるのでしょうか。
複数の人が個人のことを歌うっていう奇妙な現象がおきそうで、なかなかないんじゃないでしょうか。
気のせいですかね。
伊藤さんへ
せっかくですので、話題が少ないと言えども、もう少しこの話題を続けていきましょう。
今変えてしまうところころ変わっているように感じてしまいます。
申し訳ないです。
[88]中川達矢[2011 11/29 13:43]
題材をありがとうございます。
>「わたし」が女性で、「あのひと」が男性と解釈するのが一応は自然かもしれません。
というのはすんなり納得できたのです。
その要因を探るとしたら、それはやはり「いっぽんの木」とか掴まされる存在であるからだと思うんですね。
ここに一つの男性像を植え付けてしまうような気もするのですが、なぜそれが男性像なのか、ということを探ればジェンダー論になってめんどくさいことになります。
中には、逆のケースもあり得るよ!なんて言う人もいると思います。
男性が女性にしがみつくこともあると思います。
それでも、この詩のいいところは、自然的に、流れの上でそのような像を描...
[85]中川達矢[2011 11/28 22:25]
そして、伊藤さんにはあえて隠喩を多用してみてほしいですね。
使いこなすぐらいに隠喩を使ったら何か見えるもの、わかるものがあるかもしれません。
悩むぐらいなら使いまくるか、全く使わないか。
ちょっと端的に述べてしまいました。
僕だっていろいろと悩むことがあるのですが、
今のようなことを自分に言ってやりたいですね。
[84]中川達矢[2011 11/28 22:24]
名ばかりスレオペです。
かのっぴさんの働きには感謝するばかりです。
レスのまとめについては、とことん甘えさせていただきます。
蛙さんも新しい議題を提案してくださいましたが、今はひとまず、かのっぴさんの出した「恋愛」について扱いましょうか。
現代詩フォーラムでも恋愛を扱った詩って多いと思うんです。
僕は好意的に読まないだけで、「あなた・きみをおもう」なんていう詩は何気に多いですよね。
「きみ」って詩の中に出た時って意外と作者の暴力だと僕は考えていて…、「そのきみってだれ?」ってことはわからないわけです。
それをこえて何かを思わせてくれる詩ももちろんあるのですが…。
そのよ...
[79]中川達矢[2011 11/26 22:28]
毎回同じ展開になってしまってますね、ごめんなさい。
来週からは最低でも週に3回現れることを約束…、目指したいと思います。
伊藤さんから投げていただいた隠喩の話は、僕のせいか、次第に読者の存在について語られてしまいましたね…。
とりあえず今後の流れをかのっぴさんにお任せします。
もちろん、自分も参加していきますが。
恋愛。
自分は長くお付き合いをしている方がいますが、
今まで詩を書いてきた中で本当に1度ぐらいしか詩のネタにしたことがありません。
書けないと言えばそうなのかもしれませんが、書こうとも思わないですね。
多分、個人的すぎることをあまり書きたくないという僕の信念が邪魔をしているのでしょう。
[68]中川達矢[2011 11/14 17:35]
僕なんか、まじめすぎる、ってか、あたまがかたいから、こう、僕のレスに負けじと、簡単で、やわらかいレスしてくれる人がいて、中和してほしいなあ、なんて。
[67]中川達矢[2011 11/14 17:34]
かのっぴさん
かのっぴさんのレスと詩を読み、考えたのは…、
読者は作品を読む上で、作品の言葉からイメージを限定していくのでしょう。
読者自体はもともと広がりを持った存在であり、詩の言葉が持つイメージが読者を限定していく、って同じことを2回言ってますね。
多義性のまま、放り込む、というのは賛同できます。
自分もそんな感じで書こうとは意識しています。
その上で、どう書いていくかとなると難しい。
さきほどの伊藤さんへのレスでいえば、「多義性のまま」というのはかのっぴさんの作者としての美意識であって、読者がそこに辿りつくことはない。
それよりも最初に述べた、詩の言葉によってイメージが限...
[65]中川達矢[2011 11/14 16:52]
蛙さん
蛙ワールド炸裂ですね。
現代詩への嫌悪感は前々から感じていました。
現代詩の閉鎖性は同意できます。
詩が当たり前に読まれる時代(ソースなし)からマイナー文学へと陥ったという風に感じてしまうのです。
「結局中身の無い人間が、中身のあることが書けないのは当たり前だというのが結論です」
というのも一時期、僕は考えていました。
ただ、この考えって実に私小説的な考えだと思うんですね。
作者と作品の関係性が強く、僕自身、作品を書く上で、経験していないことを具体的に書く時に苦しむものだと思っております。
書けないことはないとも思うのですが、果たして、とある作者が経験していないこと、つまり、フィクション全体を読者が読んだ時に、その作品の価値基準がそこにあるのかどうか、と問われた時に、作者の人間性が疑われるものなのか。
作品が読者を選ぶのかどうか。
その一つとして、伊藤さんが投げかけてくださったメタファーの問題は、一つの問題としてつきものだと思います。
[64]中川達矢[2011 11/14 16:46]
伊藤さん
「そういう学びは必要ない、自分のやり方で良い」
という言葉、僕もそうだとは思います。
ただ、「自分らしく書く」ということが当たり前のようでいて難しい。
そのことを具体的に言語化するならば、
「自分の美意識を書く」ということでしょうか。
これはあくまでも一つの例です。
自分らしく書くというのは、自分が思考した、もしくは、感じた何かを書くということ。
それを踏まえた上で、他者の作品からの影響はないと言えども、無意識にでも自分が何かを美しいと感じるものがあるかもしれません。
別に美しくなくても、汚くても詩は書けますね。
あくまでも「自分らしく」を言語化した一つの事例にすぎませんが、「自分の美意識を書く」など、「自分らしく」の中にもある程度の方向性は持っているものだと思います。
そのようなものが、伊藤さんの創作の糧であったり、メタファーの問題にも繋がっているのではないでしょうか。
[63]中川達矢[2011 11/14 16:38]
かのっぴさん、ありがとうございます!
ご丁寧な分類ですね。
これ、今後もやっていくとなると相当手間がかかるような…。
ちょっと体調が悪く、おとといときのうと泊まりがあったりしてレスが遅れました。
今からちょっとずつですが、レスしていきたいと思います。
[54]中川達矢[2011 11/12 10:40]
>51
かのっぴさん
表現の受け取り方の差異は、読者のコンテクストに委ねられているのでは、と僕は考えています。
ロラン・バルトの「作者の死」以降、読者の数だけ作品が存在するなどと言われ、しかし、スタンリー・フィッシュは「解釈共同体」という概念によって、無責任な読書体系を読者の集合体によって解決しようとしました。
ただ、それは、個人的な読みの排除にも繋がりそうなことです。
自分では平易なつもりでも読者には難しい、とありますが、これは批判でもなく、かのっぴさんが書く時は、読者の存在を意識しますか?
(この表現は伝わらないだろうな〜、とかそんな想定のことですね)
>52...
[53]中川達矢[2011 11/12 10:29]
>50
伊藤透雪さん
投げかけありがとうございます。
隠喩(メタファー)については僕も頭を悩ませる議題です。
単純に詩のわかりやすさを失わせるものではありますが、メタファーに対しての嫌悪感は、もしかしたらうまいメタファーに出会っていないことから起きるのかもしれません。
それはおそらく僕にもあてはまることでしょう。
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=236940
これは「めだまやき」というメタファーについて書いた僕の詩です。
新書で 瀬戸賢一『メタファー思考』(講談社、1995)を読み、そこから着想をいただきました。
思え...
[49]中川達矢[2011 11/10 19:48]★1
なかなか現れなくて、ごめんなさい…。
そして、顔文字さんがいなくなってしまわれた…。
いずれ戻ってくると信じて、ちゃんとオペレートしないとだめですね。
ニュースについて様々考えさせられることがあったと思います。
僕なんかが気になるのは、
ちょっと前にも述べましたが、ニュースが思想を伴うということ。
それを踏まえて、その受容者(視聴者)が
ニュースを鵜呑みにするのか
ニュースを思考・解釈するのか
ニュースは一方的に伝えられるもので
それ自身に反論はできません。
デモという形で反論するころ、そのニュースの出来事はとっくの前に起きていること。
それを事前に防げるかどうか、...
[43]中川達矢[2011 11/04 09:35]
あ、スレオペ降格の危機、;(
どうしましょ。
ニュースって、実は記事を書く人の裁量も反映されていて…、
○○新聞は右だ、左だ、など、そんなこと僕にはわからない。
ニュース自体そのものが思想と切り離せないんじゃないかなって。
それは歴史も同様。
[hi]storyはstoryとしての物語。
これはギャグとかじゃなくて、一時期哲学だか文芸批評だかでそういう見方がされた。
ある意味、歴史も受容の仕方次第で書き換えが可能なんですよね。
WW?という出来事は、一つしかないはずなのに
それに対する歴史の捉え方は国や地域の数ほどある。
正しい歴史なんてないんじゃ。
[32]中川達矢[2011 10/29 19:25]
なんかこの雑談っぽいノリがいい感じでやんす。
僕はサッカー・野球・相撲・なんやら・かんやらといったスポーツが大好きで、もちろん大迫君も高校生時代から知ってました。
それだけです。
ニュースの都市伝説として
North East West Southの4つの方角の頭文字を合わせて、ありとあらゆる方面からの情報という語源という説がありますね。
ところで、ニュースを耳に、もしくは、目にする機会の媒体は何が多いんでしょう。
なんだかんだ言ってテレビが一番多いような気がします。
もちろん最近ではネットも多くなってきているのでしょう。
「現代詩フォーラム」という場で語る場合、どうしてもネットを使っているユーザーが集まっているため、ここには自然とネットで情報を集めている人がつどいそうですが…。
無意味なアンケート、「Yahoo!を使っている人に聞きました。あなたは一日どれくらいネットを使いますか?」みたいな。
それって前提条件おかしいじゃん、みたいな。
あれ、なんだか話がそれてるじゃん、みたいな。
[22]中川達矢[2011 10/29 12:34]
ダメだ、今はどんなキャラでも駄目だ。
蛙さんはガチにやりたい感じなんですかね。
井戸端会議はお嫌いなんですかね。
お酒は好きですよね。
みなさん、自分の持てる言葉を駆使して語り合えればいいんじゃないかなー。
先ずは、顔文字さんが賽を投げてくださった「ニュース」についてですが、顔文字さん的には話題となっているニュースを取り上げたかったのだと思いますが、自分としては、先ず、ニュースそれ自体の扱い方を考えつつ、それを考えるために話題になっているニュースの事例を利用すればいいと思いますが、いかがでしょう。
いろんなことが起きた中で、おそらく言葉にしようと思ってもできなかった人が多かったのではないでしょうか。
今だから感じることやらなんやらを知りたいですね。
自分は、あの大地震で何だか体の中が空っぽになった感覚になってしまい、しばらく詩を書けなかったような記憶があります。
とか言って、ただ単に大地震の話になってしまいましたが…、ニュースについて語りましょうか。
あ、何となく詩と絡められたらいいですね。
[20]中川達矢[10/29 09:58]
>>20
久々なのと、スレオペってこともあり、どうしたらいいんでしょうね、へこへこ。
以前のように爆弾キャラになってればいいんすかね、へこへこ。
新境地としてのウザキャラはいかがでしょう、へへっ。
[16]中川達矢[2011 10/29 08:47]
>>14
どうぞ、どうぞ、お願いいたします。
ニュースと言えば3月11日のこともあり、「真の情報」を求め、人はさまよっていたのではないかと思います。
それは、今もか…。
公表される情報は既に距離感がうまれてしまったものであり、数ヶ月前に盛んに聞いたベクレル・シーベルトといった庶民の新発見の感覚は鈍ってしまい、本当に危ない状態が何であるか、その判断ができなくなってしまっていますね。
誰がおかしいとか、そういった問題ではないでしょうが、ホットスポットなどと呼ばれる場所に住み続ける人は住み続けるわけです。
3月11日ということよりも原発の方に走ってしまいましたが…、たまたま今回はこの素材にそって話をしただけで、ニュースはもっと幅広いものですね。
自分は、大学院の入試勉強でちょっとやった映像とか写真の効果についてだったらほんの少し話せそうなので、機会をうかがって登場したいと思います。
[15]中川達矢[2011 10/29 08:44]
>>13
どうぞ、お好きになさってください!
気負いは捨てて、しゃべりたいことをしゃべってください。
それに反応があるかどうかは別ですが…。
そして、時には聞いてください。
インプット+アウトプットですね。
[12]中川達矢[2011 10/28 10:22]
>>10
おやおや、待ってました。
自分も音沙汰なく消えてしまってすいません。
とりあえず、みんな雑談でも
ライトからヘビーな話題でも
なんでも
何かあったらこのスレッドを使うような
そんな場所に
ここはなりたい
[7]中川達矢[2011 10/08 13:56]
美術の話を少々…。
19世紀後半に印象派が生まれ、そこから科学的要素を取り入れた新印象派、20世紀初めになると第一次世界大戦という世界が交わる大規模な戦争のもとで「ダダイズム」などがうまれ、美術はますます変容化し、かの天才的(?)な画家であるピカソが属する「キュビズム」と言われる形式が生まれます。
この「キュビズム」の特徴は、立体性を平面にあらわすということ。
それは、ある意味で立体の分解を用いて平面に表現しているのだと自分は感じます。
この観点は、蛙さんが出した「意味の解体」に繋がるのではないでしょうか。
一つの現象を表現したい!という時、どうしても、創作者のフィルターを通して...
[6]中川達矢[2011 10/08 13:35]
さっそく書いていただいたのに、反応がないとさみしいですよね…。
岩成達也さんの著作は、詩集なら読みました。
妻を失くし、また、キリスト教との付き合い方の観点から描かれた作品は、日本の他の詩人にはない世界観で独特です。
僕としても繋がる点(字は違えど名前が同じ、キリスト教)があり、共感できる部分がありますが、そういう方でなくとも、その世界観には何かを感じざるを得ないような作品だと思います。
何より、その「寂しさ」というものがにじみ出てきます。
叙情詩というのは、国語の授業で
「叙事詩」「叙景詩」「叙情詩」の区別をつけるために教わったぐらいで、
今の日本のほとんどの詩は、叙情詩と...
[3]中川達矢[2011 10/04 22:05]
どうぞ、どうぞ、どんどん書き込んでください。
もうカオスにしてしまいましょう。
みんながみんな、詩とか散文について語り合えばいいと思います。
あさってはノーベル文学賞の発表ですね。
いったい誰が受賞するのでしょう。
おそらくその作家を知るのは、受賞されてから初めて知ることでしょう、はは。
[1]中川達矢[2011 10/03 20:22]
皆様、前回は逃げてごめんなさい。
私が中川です。
ご心配かけてごめんなさい。
自戒の意を込めて復活させました。
もはやいらないスレッドなのかもしれないけれど
どうかゆるりとやっていきましょう。
ひとまず、しゃべりたいことをしゃべろう。
#田代さん、メール頂いたのにすいませんでした…、僕は元気です。
#またいつかオフ会やりましょう
[125]中川達矢[2011 09/05 11:34]
道しるべにならない道端の
おわりなきおわり
でも
癒されなければ黙ってる
のなかで
ふつふつと沸く約束
つまらない決め事をやぶって
枠を踏んでいく
数多の秋
[112]中川達矢[2011 08/15 20:59]
へそをつなぐ
ガイアとコスモスの
軌道の中に入っていた
惑星の一人称
わい
不器用で謝罪
そして断罪
受容が
つつみこむ
[109]中川達矢[2011 08/12 22:07]
あっち
うばすてやま
ふうかをまって
うまるんだろう
にちじょう
くりかえし
あきる
だから
変わるに決まってるでしょ
[104]中川達矢[2011 08/06 00:27]
おそらく
海からおおくが
うまれてしまった
ひかりと挨拶するために
みずときたいとを集めて
やしなっていくと同時に
捨てられていくのが酸素
じゅんかんのバランスが
くずれてしまう
きっと
うまれたものは
いかりをおぼえてしまった
[95]中川達矢[2011 07/26 00:39]
くびれがうまれる前に
すきまをうめていた
小さなじぶんをさがす
雲散霧消
げんしてきな空間の
可変性を問う
ぶんめいの実写版があらわれ
そらから落ちてきたのは
よく知っている自分だった
[89]中川達矢[2011 07/22 21:31]
見えない粒子が
物語のかげを消そうと
みどりをなでていく
水平のうごきに逆らって
天をおもう先に
まだ見ぬこうげんを見る
あれは
百年、千年かと
樹齢を思えば
その光合成を支えていたのは
あの粒子だろう
[84]中川達矢[2011 07/20 21:57]
きっと
札幌だろう
振り返る後に
リデュースすれば
古き良き時代を
なんたらかんたらなどと
雑言を聞きたくも無い
東西南北
選択肢は4つでもなく
さて
すすもう
[80]中川達矢[2011 07/17 13:06]
ちがうよ
ガリレオは宗教
によって処刑
された残念
無念の残滓は
土の養分になって
たまごのからとかたを
ならべて
くさったとうふ
[76]中川達矢[2011 07/16 11:31]
四六時中流れ込む
プロパガンダのネオンが
瞳孔で反射に反射
認識が無ければ導かれることもなく
景色が虚像であることを知れば
世界は反転する
[70]中川達矢[2011 07/07 20:37]
つかめないから
速度がはやくなる
そうして
うしろのえいこうを
神棚からだしては
布で拭いたりして
仏壇にかざる
ておくれだけど
賞賛の手紙を
おくらせていただく
#69のsadame3さんの詩は至宝です。こんなに鮮やかな詩は滅多に見られません。その思いを込めて。
[68]中川達矢[2011 07/06 21:43]
残滓をお吸い物に
養分を汲み取る茎の
管を割る風に
吹かれている影
つまりは
人が動くことに
文化や文明
そして
歴史を感じては
三種の神器を想う
[65]中川達矢[2011 07/05 17:18]
そんなかんじ
あいまいでごまかして
中途をさまよえば
かずをうしなっていく
それが
たいいんれきの弱さで
2012年を大事にしている
きょうにあしたはなく
びょうしんのくりかえしを
ながめるだけ
[63]中川達矢[2011 07/05 15:43]
たまには
晴れてもいい
梅雨はみえないから
あるようでないもの
知らせは
六感にはいりこんで
のうてんきな
ためいきをすう
でてくるのは
あせでいいだろう
[59]中川達矢[2011 07/04 13:36]
十字架は
くびにぶらさげるのではなく
せおってはこぶもの
一歩か、二歩かあやまって
雨宿りにしっぱいすれば
ささる視線はつめたい
犬のように
懇願する姿勢も
足音は止まない
#流れが停滞しているというか、展開が少ないような印象が…。
[56]中川達矢[2011 07/04 10:11]
ろうどうと
ろうそくとのちがいが
わからなくなって
おさけを飲む
そのまま
あまつゆをためた
ふろに入れば
えだにもなって
天と地とを
あおぎみる
[53]中川達矢[2011 07/03 17:27]
とめどなく
を
さずけよう
さらさらした
くものなかで
しろをみつけられない
#ひかり。さん、ご迷惑をおかけしてすいませんでした…。
[49]中川達矢[2011 07/02 23:30]
どじょうも
おたまじゃくしも
ひるも
たべられるよ
たべようとしないだけで
わからないことはおおい
きみがいう「今日」というものが
ほんとうにきょうなのか
こんにちわからなくなっている
[47]中川達矢[2011 07/02 13:11]
烏を追って
そうだな
百里ぐらい行こうか
埼玉からだと
名古屋までいけるかな