2011 10/08 13:35
中川達矢
さっそく書いていただいたのに、反応がないとさみしいですよね…。
岩成達也さんの著作は、詩集なら読みました。
妻を失くし、また、キリスト教との付き合い方の観点から描かれた作品は、日本の他の詩人にはない世界観で独特です。
僕としても繋がる点(字は違えど名前が同じ、キリスト教)があり、共感できる部分がありますが、そういう方でなくとも、その世界観には何かを感じざるを得ないような作品だと思います。
何より、その「寂しさ」というものがにじみ出てきます。
叙情詩というのは、国語の授業で
「叙事詩」「叙景詩」「叙情詩」の区別をつけるために教わったぐらいで、
今の日本のほとんどの詩は、叙情詩と分類しておけば、テストで間違えないよ、と教わりました。
しかし、実際、何を持って「叙情」とするのか、もしくは、「叙景」「叙事」とするのか、という点は不明です。
そもそもそういったものは、分類するための道具でしかないのでは、とも思います。
叙情性を問うならば、詩情という言葉で問うのがいいとは思います。
それは、散文・韻文の違いもそうなのですが、おおざっぱにいえば、詩を詩たらしめるものとはなにか、ということです。
そうすれば自ずと叙情というものが見えてくるのではないでしょうか。
現代詩フォーラムにいてしょっちゅう思うのが
「日記」と「詩」の違いですね。
口が悪いことを言えば、
「それって日記でいいじゃん」という作品が多いかな、という印象を受けてしまうからです。
しかし、それも、孤立し合っているものなのではなく、お互いに干渉されながら、お互いに浸かり合っているように思えるのです。