詩と散文を作る手段全般についての情報と意見交換 part2+α[67]
2011 11/14 17:34
中川達矢

かのっぴさん

かのっぴさんのレスと詩を読み、考えたのは…、
読者は作品を読む上で、作品の言葉からイメージを限定していくのでしょう。
読者自体はもともと広がりを持った存在であり、詩の言葉が持つイメージが読者を限定していく、って同じことを2回言ってますね。
多義性のまま、放り込む、というのは賛同できます。
自分もそんな感じで書こうとは意識しています。
その上で、どう書いていくかとなると難しい。
さきほどの伊藤さんへのレスでいえば、「多義性のまま」というのはかのっぴさんの作者としての美意識であって、読者がそこに辿りつくことはない。
それよりも最初に述べた、詩の言葉によってイメージが限定されていく方向に近いのでは。

一つの作品に対して、多様な解釈ができることを証明するために、簡単にできることは、数多の読者を用意して、その作品について感想を述べさせれば、その作品は必然的に多様な作品なんだということがわかるでしょう。
しかし、一つの作品に対して、一人しか読者がつかないのだとしたら、その作品は果たして多様的であると言えるのかどうか。
その場合、鍵を握っているのは、作品であるより、その読者ではないでしょうか。
つまり、作者の方向性が問われるのではなく、読者の方向性(読み方)も問われているように思います。

#合いの手、ありがとうございます!
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