2013 05/16 19:30
中川達矢
皆さん、それぞれのスタンスを表明(?)してくださって、ありがとうございます。
詩に対するスタンスも様々であり、このような表明、外形化することによって初めてわかることもあるかと思います。
無責任なことを言えば、「その人にとって、その時、詩とはこういうものである」というものがあれば、その姿勢が、詩にもあらわれると僕は思っています。
それはつまり、人が異なれば、詩が異なるのと同様、時が異なれば、同じ人であろうと、詩が異なっていくように。
ただ、時を隔てたとしても、同じ人が書いた作品には、どことなく、共通性なるものがあると思うんです。
それこそが、その人の揺るがない詩への姿勢なのかな、と思います。
詩には、レトリック、テクニックなどがあると思いますが、これらは、その時その場で自在に使えるものだと思います。
ただ、何かを言葉で書きあげる、という作業は、選択が伴われます。
その選択こそが、人によって異なってくる。
僕は、他人の作品を読む時、このようなことを念頭に置いています。
作品はできあがったものとして、不動の位置にありますが、他の選択可能性を思うことであったり、その人がその時に書いたのだということを思ったりすることで、見方が広がるのではないか、と思っています。
少し雑感として書いてみました。