2011 12/07 19:19
中川達矢
意外と反応があり、
そして、
ただのあほうさん、ようこそ。
ジェンダー論を出してしまうと、いわゆる「恋愛」とは離れてしまうおそれがあったのですが、それでも何かしらの発話が生まれてよかった。
やじさん、きたさんの物語を全く知らない…。
東海道中膝栗毛ですよね、十返舎一九でしたっけ。
動物における同性愛。
動物ってなんだか、本能的だと人間が規定してしまっているようでいて、いや、人間も十分本能的だろうと思うのです。
今日も授業の中でジェンダー論なんかをならったのですが、100%の男、100%の女なんているんだろうか、なんてことがトピックの一つでした。
性行為だけが全てなわけではないですよね。
伊藤さんの
差別感がなく、というのはジェンダー論における一つのキーワードだと感じます。
批判する、ということではないのですが、
差別感を主張するのとは別に、差別感を表層化させることも一つ大事なのかなとも思いました。
差別感の助長のためではなく、知らず知らずのうちに埋め込まれた差別感であったり、無意識の下の差別感への気づきをどこかでしないといけないのかな、とも。
今問題になってきているのは、生理的性と社会的性が切り離されるようになってから、難しくなってきたのだと思います。
逆にいえば、こういった問題がなければ、恋愛というものはもっともっと簡単に語れてしまうのかもしれません。
なぜ、男と女がうまれたのか。
それは、もともと一つの体を持ったものが
男と女にわかれ、それぞれが元の一つの体に戻るため
お互いを求めあっている。
なんていう物語がありますが、
これは簡単な物語として受容されやすいですが、
本質的なものは隠されていますね。
「恋愛」に関して
ちがう観点からもどんどん話題をなげこんでくださーい。
洋服とか食べ物とかなんでもかんでも。
ぼくはあまいものだいすきでーす!
(あまいもの=女性的という考えもまた偏見なんじゃないか、なんていう反論をおそれず…)
#かのっぴさんが述べた
#>それぞれに書くパッションを与えたのは何だろうか
#ということ、これをお互いに探れたらいいと思う。