2011 11/29 13:43
中川達矢
題材をありがとうございます。
>「わたし」が女性で、「あのひと」が男性と解釈するのが一応は自然かもしれません。
というのはすんなり納得できたのです。
その要因を探るとしたら、それはやはり「いっぽんの木」とか掴まされる存在であるからだと思うんですね。
ここに一つの男性像を植え付けてしまうような気もするのですが、なぜそれが男性像なのか、ということを探ればジェンダー論になってめんどくさいことになります。
中には、逆のケースもあり得るよ!なんて言う人もいると思います。
男性が女性にしがみつくこともあると思います。
それでも、この詩のいいところは、自然的に、流れの上でそのような像を描き出してくれたことです。
(作者が新川和江という女性であるという背景を抜きにしても、その像を描くことができる)
全然関係ないですが、「らめーる」という80年代に女性詩人が中心となった詩誌が話題になっていて、そこで新川さんや石垣さんや白石さんやらが活躍していましたね。
僕の「ばかもの」という名前も茨木さんの詩から拝借したものですが、僕はあの女性たちの詩がストレートながらパワフルで好きなのです。
と言っても、僕は生まれてませんでした、はは。
#というわけで、顔を出す頻度があがってますね。