2012 05/10 20:29
中川達矢
なんか疲れてしまって、書こうと言ったからには何かしら書かないといけないのですが…。
まあ、皆さんって詩を書く時に、声に出してますか?
僕は書き終わったら声に出しています。
なぜって、声に出して、リズムのチェックをするんです。
自分が気持よく読めたからといって、他の方が気持よく読めるとは限らないですが、最低限、自分ですら気持ちよく読めないものは出したくないかな、って自分の表明ですね。
書き言葉と話し言葉の一致、(言文一致)は明治時代、二葉亭四迷の『浮雲』によってなされたとされ、詩の歴史で言えば、もう少し遅く、川路柳江が元祖とされながらも、文語定型詩(新体詩)から口語自由詩の変遷は、萩原朔太郎が祖とされていますね。
ふむ、そうすると、日本のちゃんとした詩の歴史なんて100年なんでしょうかね。
いや、でも、新体詩なんて見ても、五七調や訳詞ばかりで、ああ、俳句・短歌の流れは詩には欠かせないわけです。
が、それは、あくまでも過去から現在に向かっての見方であり、現在から遡る形であるなら、現代詩の歴史は1960年からなんじゃないかって。
戦後詩は、韻文が持つ共同体性を否定し、自由な書き方がなされました。
が、あまりにも思想的価値に重きを置きすぎており、それに嫌気がさしたのが、60年代で「日常」を書いたっていいじゃないか〜、というムーブメントがありました。
そんなことでようやく詩が自由詩になりえたのではないか。
なんて、歴史的なことは置いといて、まあ、詩には韻文性が伴っていた歴史があり、その韻文性に共同体性を見出していた一派がいた、という記述もあるのです。(ソースはあるのですが、今はめんどうなので、希望があれば引用します)
言葉の持つ思想性など、バルトに言わせれば、作者の死、解釈なんていくらでもできますが、言葉の持つ音韻性=物質性は均等なんじゃないかって。
つまり、本=黙読=個人的、に対して、声=音読=集団的要素があるんじゃないかって。
長くなりました、すいません。
根つめて書いていないですが、とりあえずこんな感じでネタ投下しときます。