サイト内の作品やひとことダイヤリーで詩とは何か感じたこと(250) 連座 萬草庵 参軒目(237) Youtube配信スレ(301) ながしそうめん10軒目(102) 全自動一行物語シアター(755) 谷川俊太郎さんの好きな詩について教えてください(6) 雑談スレッド7軒目(625) ことことひとこと。その2。(886) システム関連スレ3(768) 貴方の座右の銘はなんでしょうか?(94) 題名だけのスレ12(748) 恋文(699) エリオットしとりあそび(18)(636) 食べているかい?(487) 韻踏み処(21) 絵本スレッド(180) うっかり寝落ち。 2023年4月(3) 好きな詩人(98) フリーの書き出し集(7) ぼくのわたしの美味しいカレー(115) [分類別リスト] [過去ログ倉庫] [すべてのスレッドを表示] あと、コンビニとか、病院とか、老人ホームに置いてもらったり・・・ そうこうしているうちに、自費出版本が話題をかっさらう日が来ることを 願っています。 by ルルカ new >詩とは何か感じたこと 商行為とは商人が行う行為をいう(定義①) 商人とは商行為を行う者をいう(定義②) というわけで「詩」とは何か、感じる為には 「詩人」とは何かを感じる必要があるようだ。 私は、まず、詩人についてはこう感じる。 詩人とは、詩人になりたくてなるものではない。 そういう人は、詩人ではないのだ、本質的にも根本的にも。本当は。 詩人とは、そんな者にはなりたくないけれど、どうしても なってしまう哀しい運命にある者のことなのだ。 そういう詩人の運命にある者、すなわち《詩人》が書くものは、 詩を書こうとしなくても、そこには自ずと詩があるものだ。 書いたものが、エッセイであれ、コメントであれ、そういう人が書いたものに は、必ず《詩》が宿っているし、宿ってしまうものだ。 本質的にも根本的にも詩人でない者が、逆に、詩を書いてみても そこに、詩は現れない。 そういうものなんだろう、と私は感じる。 こういう細やかなスレッドにおいても、何かが書かれ、それが文であるとき そこに、たいした《詩》がないのであれば、その書き手は推して知るべしの者 でしかない。と。 もっとも、平凡に生きられる人の方がずっとシアワセなのだろうが。 by ハァモニィベル アノ「県知事の差別発言」 時事ネタですね(笑)。 天狗猿が、 ニホン猿に向かって、 「お前たちはゴリラなんかより利口なんだ」 と言った。というねアノ。 そしたら、 別のニホン猿の群れがこぞって 「あ、サベツだ。サベツだ。エンガチョ」 と一斉に報道した。 というね、確か、そんな話だったような・・・ などと発言すると問題ですかね(笑) というか、 最早、《詩》でしょうね。 これを絵に描いて壁に落書きすれば たんなる数億円のアーティストなだけでしょうけどね(笑) * by ハァモニィベル
ピッタリするものが無かったので新規にスレッド立ち上げてみました。 このスレッドはこのサイト内の作品やひとことダイヤリーを通して詩とは何かを 一方通行ではなく、かつ論争みたいな形ではなく別の角度から書いてみることで 新しい何かを各自見つけることが出来れば良いと思うスレッドです。 要するに、サイト内の作品やひとことダイヤリーで詩とは何か感じたことを書く場所。 あと、コンビニとか、病院とか、老人ホームに置いてもらったり・・・ そうこうしているうちに、自費出版本が話題をかっさらう日が来ることを 願っています。 そうなんですか!オンラインショップはあっても、自費出版本だけを売っている書店がないんですね? じゃあ、わたし、パイオニアかなぁ~( ´∀` ) 作って、チェーン店みたいにしていけないかなぁ。 だれか、作ってほしい。 んで、もっと気軽に自費出版本を読めるようになったらいい。 あと、自費出版本を置いている図書館とかあっても良さそう!! 楽しそう!! ぜひ、誰かに、それやってほしい!!! 自費出版は今はPDFを自作して、印刷だけ任せるというタイプがあるようです。原稿用紙やWORDのファイルなどからPDFを起こしてくれるサービスを行っているところもありますが、かなりの暴利です。 >自費出版本だけ売ってる書店とか作ったら、良さそう。 これについては、わたしが調べた限りではなさそうですね。オンデマンド出版の会社で、ランキングなどを公開している会社ならばあります。 それか、自費出版本だけ売ってる、オンラインショップとかなら、 書店開くより、コストがかからなそう。 もう、あるのかな。 自費出版は、わたしは大変だなぁ。 大変な人、多いんじゃないかなぁ。 自費出版本だけ売ってる書店とか作ったら、良さそう。 おぼろん 様。そうなんですか!自費出版。 う~ん。 自費出版というと、フォローしてくれるところと、してくれないところにわかれますもんね・・・ 残念なことに詩の世界は自費出版商法に乗っ取られてしまいましたね。30年くらい前からそうですが、ネット詩やオデマンド出版、電子書籍などが普及した今でも、詐欺まがいの商法を展開している会社がある。詩人はそうしたことに対しては自衛しなければならない。自らの積極性、他者を受け入れる寛容さ、二つがなければならないのです。 CM、ネット、新聞、雑誌・・・ あらゆるメディアを駆使出来るわけです。 宣伝部門というわけですね。 それが、いわゆる会社の広報とかになるわけですよね。 作品の、商品価値を上げるためのバックアップをする仕組みも必要ですよね。 それが、出版社だったりするわけですよね。 おぼろん 様。 詩は個人のものであり、他者のものでもある。 もっともです。商品としてみることも出来ると、私も考えます。 その商品価値をあげていくのが、筆者でもあり、読者でもあると思います。 それが、研鑽につながっていくと。 ルルカ new様。詩が個人のものであるか、他人の物であるのか、という問題ですね。わたしの意見はあいまいです。他人のものであるか、自己のものであるのか。そこで、言い方は悪いですが、詩とは一個の商品、あるいは一個の造形物である、という考え方が生まれてきても良いと思うのです。自己のものであるとともに、他者のものでもある。いずれにせよ、研鑚は必要だと思うのですが。 詩とは畢竟人生観の表明なのですが、己自身の人生観の表明であってはいけない。他者の人生にも共感し得るものでなくてはならないのです。それが、短歌や俳句との違いです。詩は長い(短いものもありますが)。その中で、如何に他者の生を生きるか、己を滅却するか、という課題もあると思うのです。 おぼろん 様。 確かに詩は、人間が作り出すものですから、世界の進化の様に、詩に関しても一種の限界があると思います。 ですから、成長し過ぎた世界、成長しきった世界から、次のレベルを求めるのであれば、そこに、おぼろん 様がおっしゃったように、人間的な弱さ、味わいを、さらに出す。 それが、成長は個性への踏み台と、考えてはいかがなものかと存じます。 つまり、詩についても、詩の成長、つまりは進化がありますよね。 そこで、どう上手く、成長から個性重視へとハンドルを切っていくか。 そこが、いわゆる争点ではないかと考えます。 ルルカ new様。詩は成長させていくもの。その通りだと思います。ですが、人間的な限界というものがあり、それが詩の限界点だとも思うのです。言い換えれば、詩の個性。詩はその叙述者にとって最高のものではなくても良い。人間的な弱さが詩の味わいでもある。詩とは人間的な限界に迫るものなのでしょうか。 詩は成長するものではなくて、 成長させていくもの。 自然発生的ではなく、故意に、人の手が加えられていくわけですから・・・。 と、個人的には考えます。 眠れぬ夜。うたた寝をはするのですが、短時間で目座覚めてしまいす。おかげで昼間はぼうっとしており、皆様の詩も茫洋としてしか判断できず、わたしは詩から離れてしか把握していないのか、詩の世界から離れてしまっていうのでは、という感慨。詩は世界の感好感であり、そしてそれを越えて行くものである。最近はリリー氏の詩に、抽象世界と実世界の混交、詩のなかに世界論を見出しています。一見して日常描写、しかし、そこに哲学的なテーゼもオリジナルなテーマも現れてくる。新しい詩の潮流、従来の詩のスタンダードとは違った可能性を見ます。 ランボー以降、詩は成長したか。あくまでも砂漠をさまよっている気がする。 哲学は数学について行けていない。数学と科学は哲学についていけていない。新しい秩序が必要である。 詩とは、書きつつ死へと向かっていく私たちが、この世界へ残していくもの だと思います。 読み方も同じですしね。 詩(し)と死(し) 死のための 詩 詩の先にある 死。 ひとことダイアリーに投稿できなかったので。 疲れ切って、詩を読む。詩とは人を救うものではなかったのか、という根本的な問題と直面する。総論と各論とはどのように対立し得るのか。そのことに興味を持つこのごろ。 ホロウ・シカエルボクさんの作品は書くのは大変なんだろうけど よいとおもいます。このスレッドの最初にも例として載せたけど、 ロック魂ってこんな感じなのかもしれません。 誤字・脱字がひどいので、散文のカテゴリーに再投稿しました。すみません。 このスレでは誤字脱字は訂正できないのですね。すみません。 ホロウ・シカエルボクさんの詩について。氏の詩は長いです。そして起承転結もはっきりしていない。そのことが氏の不人気につながっていると思うのですが、ここは忍耐力を身に着けて、氏の詩を最後まで読んでみるべきだと思います。氏の氏は叙景や叙事と抒情・叙事が一体となっており、なかなかストーリーを追うことができません。あるいは、著者自身がストーリーなどくそくらえと思っているのですが、それは好き嫌いの問題でもあります。氏の詩において特筆すべきは、叙事や叙景と抒情と叙志がシームレスにつながっていること。ある光景から心理に入り、そこから再び叙景へとつながっていくこと。そこには論理を越えた詩にしか表現できないことがあると思うのです。それが詩の技巧というものです。詩とは単なる叙述ではなく、読者の心理的な感性に訴えるものである。そこでは起承転結というものは重視されない(散文では起承転結が重視される)。そういう点において、ホロウ・シカエルボクの作品は正しく詩である。長いゆえに、あるいはその論理展開が複雑であるために、なかなか評価されていないことはもったいないことだと思います。わたしは長すぎる詩や難解な詩は忌避する傾向にありますが、ホロウ・シカエルボクにはどうしても惹きつけられるものがある。それは、氏の内包している詩想(ポエジー)によるところなのでしょう。すなわち、わたしは詩人としての氏を信頼している。このことには難しい側面もあります。果たして、わたしは氏の詩を今後とも信頼していけるだろうかと。詩人はその成長に従って変化していかざりを得ない存在です。ですが、今のところわたしはホロウ・シカエルボク氏の氏に「ついていけている」。そこには信頼があるのです。依存とは言いますまい。それとは大分位相が違うものですから。氏の氏は叙事や叙景から抒情・叙志へとシームレスに移行する。そこでは、詩が言語的な世俗性とは違う、詩のみにようる文章の叙述がある。そのようにわたしは思います。氏の詩について詳細な批評はできませんが、この詩人が稀有な者であるということは認識しています。どうか、皆様も氏の詩の長さにとらわれず。詩におけるポエジーに目を向けていただけたらと思います。 恋をしているときはみんな詩人だ。とはいえ特に精神的に調子がよくないときには書かないほうがいいですね。逆に思いつめるようになる。自然に書きたくなるときが一番いいのでしょう。波はありますよ。 アラガイs様。最近体調が悪いのでなかなかコメントをつけられないです。それと、完成された作品にはひだかさんの批評にも書いたように無言をもって対峙しますので、なかなか言葉が出てこないのです。 現在詩は流通された単語ではなかった。 2023年9月21日 おぼろんさんも頑張ってください。怖れずにコメント付けていただき。思わぬ反応があったりして、それが糧にもなります。 それから僕も時々現代詩人会のサイトを眺めて見たりするのですが、もう充分に通用する人は何人もおられると思いますし、詩人会のメンバーの方だってきっとおられるでしょう。名前を変えて。わたしなどもそのほとんどが即興で、ちょっとこれは稚拙で軽いな、と自分で感じるものがほとんどで、その他の方々も多くは気軽な気持ちで書き込みされている。ポイントですからね。気張る必要もない。わたしなど出しゃばりでしゃばるときにはでしゃばって、執拗にウザいと思われるかもしれません、が、できるだけ胸を捉えた、また残念な思いには忌憚なく意見させてもらっています。そういう方々が限られていますね。少し残念です。どうぞ、気を縮めないでコメント載せてください。 現在詩人かな 作品そのものに関しての感想ではないのですが、近頃コメント欄でのやり取りが面白く、長文で、老舗サイトの面目躍如という気がしています。一時期に比べて投稿数も増えましたし、わたしはなかなかポイントをつけないのですが、目を見張るようなオリジナルな作品が増えている気がします。やはりここは現代詩人の登竜門なのだということに思いをいたしています。 もう鬱陶しいでしょうが、改めて、シーニュ、シニフィエ、シニフィアン 悪夢の重さや軽さは、書き手はちゃんと把握出来ていたのではないかなあ その上であえて、悪夢と書かせたところが気になりました。 そこまでテキスト上で、悪い意味で浮いてる感じはしなかったので ぼくが詠ませていただいた限り、あー、すごいなあー しかないです。 アラガイs さん ありがとうございました。 そうですね。今一度見ていて、なにものともつかない悪夢を乗せて亡霊がインターステイツをはしる~これは意識の中で見るという現実と非現実感の錯綜に近いわけだから、(悪夢)という言葉は取り替えたほうがいいかもしれない。例えば、~なにものともつかない眼をとか、あたまの中では実際に高速道路を亡霊が疾走するわけだから、思い切って~白線を乗せて~とか、より現実感を表現したほうがいいのかも知れないですね。まあ、いろいろ考えると、正解はなくても絞られておもしろい。 あ、足りませんでした。 すっきりと、読めることは、大事なのでしょうか。 蛇足です。 おはようございます。 物申すには、だいぶ勇気がいりますね。 見る、と言う行為、動詞、動作が中田満帆様のこの詩に必要だったのか 悪夢、という漢字二文字が強くって、扱えるものなのか、と提起します。 前提として、いいなあと思う詩だったことも、付け加えますね。 とか、魘されてみた悪夢を乗せて~とか寝汗をかいた悪夢を乗せて~とか、なにかしらみた、という行為を位置づけたほうが文章的にははまるのではないか、とか思うです。 「ぼくらが幽霊になるまでに」中田満帆さんの作品だけど、ちょっと気になる箇所があって意見したことを考えてみたい。それは冒頭のほうに出てくる~なにものともつかない悪夢を乗せて亡霊がインターステイツを走る。の部分。概ね彼の表現は個性的でもあり、秀逸でもあるわけだけど、僕としてはこの箇所を言葉の綾として捉えたわけで、これが夢ならば問題もないと思ったわけです。それで悪夢を考えてみたい。文字通り何か悪い夢をみるから悪夢としての表現は成り立つわけで、そのことは次にくる~亡霊がインターステイツを走る。とに被さってくるわけで、はじめから、なにものともつかない悪夢を乗せて~という表現は言葉の綾としてみれば表現的にはおかしいのです。なので、(なにものともつかない)これは僕はべつになくてもいいとは思って意見させてもらったわけだけど、この表現を被せるならば、なにものともつかない夢を乗せて亡霊がインターステイツを走る。のほうが表現的には正しいと思うのだけれど、なにものともつかない夢を乗せて~というよりも、昨晩みた悪夢を乗せて亡霊がインターステイツを走る。のほうが文章的には悪夢イコール亡霊とつながり、わかりやすくてすっきりと読める。と思うのだけれど、どうだろうか。 最近 たまに、考えること、五感、視覚、聴覚、触覚、味覚、あああとなんでしたか。 詩や文章は必ず視覚に他ならないと思うんですが(朗読されるときは聴覚かな 今って、他のエンタメは五感全てに刺激的ですよね。 或いはそう作られようとしている気がする 先日本当久しぶりに遊園地に行ったら驚きました。 それでも、僕が好きなのは、詩か小説か、音楽か 特に詩だなあと思うのはなんでだろうと、 お邪魔しました ベルさんのログにある >そのまま未だ 何処からの引用か分からなかったけど、現代詩フォーラムは常に^^ 初心者向けサイトの面もあると思うと、大切なことを書いてあると、 思いました。 詩には文字にして他人にみせることでその人の伝えたくない側面も 伝えてしまうことになると考えると、個性というのか知らないけど、 「そのまま未だ」もそうせざるをえない何かが滲み出ているのでは? 詩は論文ではないのだから、倒置法もありな世界で、読み手としては! はっと立ち止まり、つまらないとかも含めて(ほとんどがつまらない けど)詩は成り立っていると基本的な本に書いてあったような記憶が あります。 もち、推敲は、大切 今日のひとことダイヤリーから 2023年8月11日 確かに、テクニックと知識を共有する初心者向けサイトは重要ですが、石村氏のような熟練者のアプローチも有益ですね。古きネット友の失敗も学びの一環として伝えることで、新しい世代に良い指針となるでしょう。詩は雄叫びを通じて感情を表現する素晴らしい方法です。 個人名を書いてみても所詮はInkweaverさんにとっては記号処理の対象なのだろう。 Inkweaver 確かに、テクニックと知識を共有する初心者向けサイトは重要ですが、石村氏のような熟練者のアプローチも有益ですね。古きネット友の失敗も学びの一環として伝えることで、新しい世代に良い指針となるでしょう。詩は雄叫びを通じて感情を表現する素晴らしい方法です。 ハァモニイベルさんのお説はそのとおりだと思います。よしあしにつけ、ただ文体の癖というものは個人によって違いもあり、そのことが魅力にもなる。重要なのは文章前後との関係でその流れでしょうね。推敲。特に散文体の場合は誤字もあり、可笑しな表現や必要の無い部分もあったりとを繰り返したりしているものですから。ね。 未だそのまま~一言で言えばセンスの問題でもあるのだ。 一行削ったり、片方や両方の文字を取り去ったりすれば、 それで良くなるのかどうか? 言葉の並べ方のセンスが無いだけかも知れない。たんに。 >そのまま未だ この表現の不味さのポイントは、畳語的だからではなく 言葉が流れる音と意味のリズムが酷いからではないだろうか。 未だそのまま という風に並べれば、滑らかに成立する。 別に片方削ったり、両方省いたりする必要はない。 確かに論文や説明文なら、お説の通り、 未だ置いてある そのまま置いてある と、どちらかで充分で、片方は余分ですが、 芸術的な文章(語り手の感覚や認識に比重のある文章)で、 未だそのままだ と書いても別に、自然だし、悪くはない。 けれども、「そのまま未だ」という並べ方組合わせ方は酷いなとすぐ気づかないよう では話にならない。それに続けて、意味的にもリズム的にも滑らかに着地させ難い。 そのまま未だ 音信不通である とかね。それなら成立するだろうけれど。つまり、重ねる事で、その継続が、 意識の中で徐々に薄れていってる継続ではなく、今も昨日の事のように 新鮮に意識されている継続だ、という微妙なニュアンスを伝える表現として。 読解にしろ、推敲にしろ、パターン処理するだけの思考からは的外れな見解しか出てこない。 表現の精妙さに精確にこだわるところに、クリエイティブな《推敲というに値するだ けの感性の苦闘と閃き》が初めてあるんだろうな、と思う私は、こうも思う。 表現に✕を付けるのはただの校正としか思わない。 自分で◎が付けられる表現を造形してみせて初めて推敲になる。 と。 * 推敲。誤字はもちろん特に同意語的な綴りなどは文章を間延びさせてしまいます。また機嫌を損ねてもいけないので、こちらにひとつ例に挙げさせてもらいますが、~私は、そのまま未だ~これなどはそのままか、未だ、のどちらか、あるいは両方を省くべきだろうと考えます。このことは私自身も含めて思うままに書いていればよくやる手癖のようなものでもあるのです。なので推敲はやはり必要にもなるのです。 お邪魔します 休日 文章を書くことは 楽しいです、と。 前置きは置いといて 推敲は 難しいなあと何度も考えさせられます 著名な作品に物申すなんて無理ですから 自分の詩をぐだぐだいじってみます。 また、長文は意味がないので1行目だけ 細かな砂利と一緒に寄せ 滑り落ちてゆく 向こう側へ くるぶしまで濡らしては かえすゆらぎ 見上げれば 三角形の それぞれの頂点が 数万年の誤差で またたいている 細かな砂利と 2連目に星座みたいなんをもってきたので 細かな砂利? いらないです 波が打ち寄せるさまと、それがくるぶしをくすぐるさまが伝われば 何でも良いんですが 砂利はないなあ、或いは細かな がないなあ 砂利なら細かが伝わるし 粒子 でいいんだろうなあ 海岸を話者の立ち位置に据えたので あんな書き方になったんでしょね。 致命的なのは 一緒に寄せ 波を題名にもってきて 動詞で 一緒に 波 感が台無しです。 2連目 見上げれば は仰げば の方が少しすっきりする気がします カメラワークとして、話者がその前に 遠くに見える船 とか見ててそこから 見上げれば なら分かるけど 自分が描いたものだから いっとう 苛立ちますね 最後に この詩は 詩と呼ぶにはおこがましい ノートの隅にある殴り書きは どうしても描きたかったかなと考えると 全然 今はそう思います ただ 描いた瞬間は 本気な自分がいたはずですが 全く思い出せず とはいえ ぼけるには余りに先は長い 盆 よりも コロナ罹患後の3種の薬、内2種は同意書が必要、だったかな よくよく調べて、医者に確認し服薬をおすすめします。 お邪魔しました。 今日(8月6日 日曜日)のひとことダイアリーから アラガイsさん 地域の過疎化が、再び地域の活性化を、っていくら言っても親元で暮らせない子供が多いんだから、無理強いしたって彼らの気持ちは変わらないよ 以下、Inkweaverさんから同意見です。 Inkweaver 地域の過疎化が再び地域の活性化を望んだとしても、 親元で暮らせない子供たちの気持ちは変わらないことは 確かに理解できます。 過疎化を解消し、地域を活性化させることは地域社会の 繁栄のために重要ですが、子供たちの心情を無視して 無理強いすることは適切ではありません。 親元で暮らせない子供たちは、自分の境遇や環境が変わることに対して 不安や心の負担を感じていることでしょう。 彼らの気持ちを理解し、共感し、適切なサポートを提供することが大切です。 地域の活性化と同時に、子供たちの幸福と成長を重視する対策が必要です。 子供たちの立場や意見を尊重し、彼らが安心して成長できる環境を整えることが、 地域全体の発展にもつながることを忘れずにいましょう。 過去ログ発掘隊隊員の足立らどみです。 今回、詩とは何か感じたのは、現フォのポイントってなんだろうと思ってたら 見つけた、stさんへのコメントからです。全体の流れがわからないので、 切り出すことで、間違った情報を流すというつもりはなく、詩とは何かを 感じて切り出します。発言者及び関係者の皆様に には、感謝いたします。 ** ポイントに責任を/st 以下の方がこの文書を「良い」と認めました。 - 道草次郎 自分は今のところ現代詩フォーラム、ビーレビ(これは始めたばかり)、Twitterにて詩を投稿しています。そのうちビーレビにおいては投稿数に制限があり実質的に無理ですが、基本的には投稿しまくりのスタンスです。現代詩フォーラム、Twitterにおいてはバカみたいに投稿しまくっているのが現状です。Twitterにおいては制限がありませんので、一日に10編を投稿する事もあります。これはひとえに承認されたい欲求を満たす為であります。それ以外に有り得ません。ただ、そんな数打ちゃ当たる式の粗暴なやり方でも、時々、ハッとするような反応があるのも本当で、それがまた面白いところでもあります。それは大海に墨一滴ほどのものですが、自分にとっては時として有難いものです。 そして現代詩フォーラムでポイントを入れる時心がけているのは、返礼ポイントをしないのは言うまでもないですが、その時読んでパッと良いと思ったものに入れることぐらいでしょうか。かなりライトな感覚でです。 じつにこのようなものです。ぼくの詩に対する態度はこのようなものに過ぎません。芯から興味を感じ、自分に必要と思われる詩やそれを書いた詩人の方とは個人的にやり取りするだけの話です。 評価はいただければそれはそれで嬉しいですが、だからと言って自分の詩が大したものだとかそんな事は考えません。挨拶程度のものだと解します。 ですから、概ね、自分の現代詩フォーラムその他での詩的生活(そんなものがあればの話ですが)、ただ刹那的な承認の欲求が満たされてゆくことをぼんやり感じていることに留まっています。 それがいいか悪いかという判断をぼくは持ちません。ただ、そういうことに嫌気がさしたら去るのみですから。去るとはつまり詩を完全にやめるということです。ぼくにとって詩を書くことは、詩をやめることへのなだらかな不時着みたいなものなのです。 最後は全く個人的な話になってしまい恐縮です。とりあえずこの辺で。 - アラガイs おはようございます。いつもありがとうございますstさん。癪にさわるかもしれませんが、皆さんのまっとうな意見と違って、ご承知のように私どもは返礼のように軽い気持ちでポイントも返していますし、ほとんどポイントの付かないような気になった作品にも辛口のコメントをさせていただいております。私は不甲斐ない人間なのでいただいたら返さなければならない、という昔の義理人情で育てられた世代です。詩の世界観に義理人情もくそもあるか!とお叱りを受ければその通りでございます。批評コメントをもらえれば当事者はもちろん書いた本人も少しの糧にはなるので推奨いたしますが、こちらにはたぶんですがかなり力量のある方々も軽い気持ちで書き込んで来られるような、気もいたしております。。それも私どもにはまたひとつの楽しみでもあります。 軽い気持ち。こちらのサイトには度を越したキツい言い方に制限が設けられているので強くは言えません、がそのぶん軽い気持ちでご愛嬌ポイントも送れます。付けられたポイントが気になるのならば、その当事者の方は直接付けた本人に理由を尋ねればよろしいのではないでしょうか?これは野暮ったくてなかなか難しいでしょう。 付けたコメントに返信をいただけないのはもちろん寂しいことではありますが、ただこれは意思を尊重して致し方ないと、始めからそのつもりで嘘偽りなく批評コメントの対象にはさせていただいております。 軽い気持ち。それほど私めはポイント云々にこだわってはいない、ということで、気も恥ずかしい返礼ポイントへのご容赦を付け加えておきます。 敬具。 ---2021/03/29 11:50追記--- ---2021/03/29 11:52追記--- ---2021/03/29 11:54追記--- - 田中宏輔 - TwoRivers 私自身はこちらのサイト利用歴は2年程度で、かなり気軽な気持ちで投稿もポイントもコメントもしている立場です。 そのため、あまり共感できる内容ではありませんでしたが、思いやりは感じる内容でした。 実際にtwitterの詩のイベントで賞を取った詩が、別サイトで全く評価されないみたいなことはざらにあります。 サイトによって評価されやすい作品(閲覧環境、ユーザの気分に合致しやすいもの)や、高ポイント作品はトップに表示されやすくインフレーション的にポイントが上がる等、ポイントは他にも色んな要因に左右されると思います。 私自身はポイントが付くと嬉しいという気持ちはありますが、作品が優れているかどうかは決してポイントだけではかれるものではないとも思ってます。(売れてる曲がいいものか、売れてる本がいいものか、自分と世間の評価と一致しないものはたくさんある) 「誰か一人の琴線に触れる」といった個人の絶対的な数値化できない評価も非常に大切だと思います。 一方でこのサイトでつけられたポイントを重要視している人がいるということも、どこかで意識していきたいと思います。 問題提起ありがとうございました。 - 空丸 以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。 - 一輪車 山人さんの気持ちはよくわかりますよ。 二十四時間、どこかでだれかに承認されてなければ落ち着かない そういう人はあらゆる投稿サイトに投稿する。山人さんは ところかまわずだ。いったい何箇所に投稿されているのかこちらが 把握できないほどだ。けっこうじゃないですか 詩も日記程度でいい。だから「サイコー」というのは当然でしょうね。 でもひとつ間違うと「サイコー」じゃなく「サイコ」になりかねないのが いまの自称詩人、もどきの方々の寂しい現状でしょうね。 『ここでTOPになった詩が、ちょっと改訂したとはいえ、 別の場所に投稿された時、ほとんど評価されないとは、あまりに 極端でひどすぎる。』 いつまでこんなバカなことをいってるんだ、stくん。 ちゃんと説明してやっただろうに。 ここはほんものの詩人の集まるところじゃない。 有象無象が群れて、ボス気取りの古参がはばを利かせている 幼稚なSNSなんだ。 最近はストーカを装う誹謗中傷まで堂々と横行している。 こんなところでトップ10になったからといってよそでも 評価せよというほうが、ぶっ飛んでるヨタ話だ。 ふざけたこといってないで、真面目に勉強しなさい。 自分たちの投稿する場をデマや中傷のない場にしようともせず 他人事として非難もしないおまえが、 なにを寝ぼけたことをいってるんだ。 そんな身勝手なおまえさんたちが選んだトップ10など 犬も食わぬわ。 ---2021/03/29 06:34追記--- ---2021/03/29 08:30追記--- ---2021/03/29 08:34追記--- 例 ホロウ・シカエルボクさんのひとことダイアリー 2023-01-24 まあ、我ながら小説にしろって話なんですけどw詩のリズムで書いてると詩なんですよねぇ。 で、感じたこと。 個人的には彼の作品は好きなのだけど、どうしちゃったんだろうと感じた。 小休憩のぼやきなのかな?詩にとってリズムや韻はそれほど大切なのかな? あ、ホロウさん読んでいても返信は求めていません^^ ホロウさんの勢いのある作品群の先に何か現れるのだろうかと、 前から気にしていたのに、リズムでつまずくなんてと感じたのです。 終わり 1 2 3 4 5 スレッドを新規に作成したり、コメントを書き込むにはログインが必要です。
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