2024 03/21 02:53
ハァモニィベル
AI が登場する遥か以前には、縁側で将棋を指してる光景をよく観ましたね。
(縁側将棋)を子供ながら横から覗いて見ると、大抵は、例外なくヘボ将棋でしたが。
平均的な日本人の(縁側討論)も、大抵は、例外なくヘボ討論なのは、TVのワイドショーに限らず報道を観てもよくわかります。
地球規模で現代という今の時代を憂える場合、どうしても結局のところ
<近代合理主義> と <反・近代合理主義> が 真剣にディベートする事が必要かつ重要になる筈ですが、
そのとき、<ヘボ将棋>というのは、そのどっちでも無いわけです。次元の外にあるのがヘボ将棋です。
ところが、どういうわけか<ヘボ将棋派>というのは、自分たちは<反近代合理主義>だと錯覚してるフシがありますね。
理性や直感力がイマイチだから、いつまでもヘボ将棋なんだ、とは思わないわけです(なぜなら、理性も直感力もイマイチだから)
なので、確かに、らどみさんの言うように、「ディベート苦手」からまずは克服するのが、何よりも効果的でしょうね。
理性を超えるには、理性を踏まえた上での、<その先>の話ですから、<それ以前>の話では、話にならないからです。
何でも「脱」っすれば超えられるわけではない、という事でしょうね。
「詩人でないような批評家はいるが、批評家でないような詩人はいない」
とは、ボードレールの言葉だったと思いますが、
《ディベートができなくても詩は書ける(YES or NO》 という命題で、
苦手なディベートを、ではなく、溌剌としたディベートをしてみて欲しいですね。
まあ、議題(の方)は自由で、何でもいいんでしょうけどね・・・。
* * *
例えば、こんな【命題】
①《ディベートの慣習が無い国に、議会があっても滑稽である(YES/NO)》
② 《現代アートは、芸術ではない(YES/NO)》
③ 若い人は、老人よりも頭が良い(YES/NO)
肯定側/否定側、どちらに立つにせよ、反対側の論者を論破できますか?
(というより、反対側の立場に立って物が見られるでしょうか?)
まあ、③は、ナンセンスですけどね笑
YESだとしたら、天才児は、歳をとる毎に馬鹿になっていく、ことになりますからね。
結局は、集団単位、世代単位で括れる話ではなく、単なる個人差の問題なだけでしょう。
人間というのは年月を経ても、ほとんど変わらないのが現実でしょう。
大昔、ソクラテスは、「一番無知な自分よりも、立派で権威ぶってる人たちのが何と愚かなことか」
と実感を素直に語ったせいで死刑にされたが、
・・・・果たして、現代のいまも、そうした構図が変わってニンゲンが向上したと言えるだろうか。
(終)