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よろず臨時話し合いのぼやきスレ。 (臨時)スレッドオペレーター:PULL.
現在「論戦スレ。」で行われている話し合いから外れて話したい方々へ…。
どうぞここを使ってください。
このスレはsage推奨です。

そんなわけで復活してしまったこの出戻りゾンビスレ、
他のスレでは書き込めない、
つぶやきぽつり愚痴等等はどうぞこちらへお書き込みくださいませ♪。

関連スレ。
論戦スレ。(論戦はこちら(↓)で)。
http://po-m.com/forum/threadshow.php?did=170770
雑談スレッド7軒目(雑談はこちら(↓)で)。
http://po-m.com/forum/threadshow.php?did=170262

[101]しろう[2009 04/09 01:00]
>奥主 榮さん、
それは私の事ですか?(私の事ではないと解って訊いている。)
直接PNを挙げたらいかがですか?

ちょっと激情に溢れた発言に見られます。
きちんとあちらで反論を述べればいいではないですか。
 

[99](1+1)/4[2009 04/08 08:44]北村 守通石川和広
# sage。

# うわあああ、本スレが変なことになってる! [423]さんは、自分の意見も意見のひとつにすぎないってことで言ってるんだって信じたいところだ;
# つうか、いかにも「ひどい目に合った人でも遭わせた人でもないひと」が考えそうなことなのでがっかりしたですだ。(自分の身の回りにもそういう反応するひとがけっこういる)。

# 当方も、キー!っとなってたときに 結構極端な単語を書いたけど、
# あれって そういうことと関わってきたことない人にとっては いやーな単語でしかないわけで、嗚呼やっちゃったな! と後々思いました。
# なので、ちょっっと考えてほしいです。
# あと一言。たった一語で ココロの逆鱗に批れるということはあったりするもんですだよ、(当方の逆鱗スイッチは[177]でした)まさにこの間の当方がそんな感じ。一時のヲチ率は異常、だったかも;

# なんか また(門外漢にもかかわらず)置いちゃった 個人的にキたら消します。
 

[98]佐々宝砂[04/06 17:55]伊藤透雪北村 守通深水遊脚
かきちらしてみる。

どうせ私たちはネイティブに古典文法を知るわけではない。私たちが古典文法と古語を用いて書いても、それは擬古文に過ぎない。しょせん偽物である擬古文に求めるべきは、「正しさ」ではなく「それらしさ」である。ところが、文法の変遷とともに「それらしさ」は変化する。平安時代らしさと江戸時代らしさはちがう。その違いはある程度の古典教養がないとわからない。

難しいのは、古典教養の多少だけでなく世代によって「それらしさ」の感じ方がなり異なるかもしれないということだ。江戸も平安も万葉もごちゃまぜで、あるいはいずれの時代にもつかわれなかった文法で書かれたとしても、「それらしさ」を感じる人はいるだろう。そりゃまあそれでよい。読者は何を感じようと自由だ。

だがそのような「それらしさ」の変化や個人差を承知の上で、私はあえていいたい。どうせ偽物とはいえ擬古文は丁寧に作れ。雑に作るな。物事にうとく詩歌にも詳しくない人を騙して喜んではいけない。通を騙してうならせろ。
 

[97]白井明大[2009 04/06 00:24]深水遊脚石川和広
sage

かのっぴさん

こんばんは。

そのひとつは詩ですね。そう思っています。

ところで、ひとつだけかのっぴさんにお伝えしなければならないことがあります。

ボルカさんと大谷さんが白熱したときのことです。
大谷さん側が書き込みを削除したあとも、しばらくの間、ボルカさんの投稿だけが残っていたことを、かのっぴさんが指摘なさっていたかと思います。おぼえておいででしょうか。

そのとき、実はボルカさんは、書き込み等の停止処分を受けており、自身の投稿や書き込みを取り下げることができない状態だったのです。
私は直接、ボルカさんからそのお話を聞きました。ご自身も、そのことを歯がゆく思っていらっしゃいました(消したいのに消せない状態にある、ということをです)。

ボルカさんがご自身の散文で、そうした経緯をお書きになるだろうと思い、静観しておりましたが、このほど退会なさったので、その旨お伝えしておきたく、ここに書き込みしております。
(この書き込みをすることは、ボルカさんに了承を得ております)

以上です。過ぎた話とはいえ、誤解が生じたままでは私も寝起きがわるく、事情をお伝えさせていただきます。
 

[95]深水遊脚[04/05 20:29]白井明大
sage

 オフでの制裁にはならないでしょうね。話が私的な域を越えているのだから。

 ことは男性の深層心理にも関わってくる問題で、誰か一人の振る舞いの奥に、似たような思考をもつ幾多の男性の存在があるのも現実。その思考を法と倫理で押さえ付けるのは必要であり議論も尽くされたように思う。他の方法は考えられないかな?法や倫理で割り切れない複雑なものを見据えて、表現するのは誰の役割かな?
 

[93]北村 守通[04/02 03:11]
>>92

仲さん、有難うございます。またまた後退中ですが、様々な選択枝から今は色々とより分けてみるべきなのか、と考えていて考えれば考える程に難しく、しかし面白いことに手をつけてしまったのかも知れない、と思ったりもしています。(不謹慎すぎますけれども)
しばらく長い作業が自分の中でも続きそうですが、また幾つかの方向性が浮かびつつあったりもします。(定型フォーマットの上での批評と自由書式での批評だとか)
もう少し流れがまとまったら、また提言させていただきたいな、と思っています。
 

[91]石川和広[2009 04/01 22:28]
>孤蓬さん
僕の言葉はある程度前置きのようなもので、石原吉郎を一時期読んでいまして、これをみなさんにいつか紹介しようと思ってたんです。いろいろいうより、すごく簡潔にして的を射ているので。最近岩波ジュニア新書からも石原吉郎のシベリア抑留について取材したものがあるようなので買いました。まだ読んでいませんが。。
今日は花見に行きました。寒かったけれど、気分はよかったです。大阪堺市の大山公園というところです。
というわけで、ちょっといい具合に疲れていますので今日はありがとうございました。おやすみなさいませ。失礼します。
 

[90]孤蓬[2009 04/01 22:21]
>石川和広さん
おっしゃるところは、理解できます。
 

[89]石川和広[2009 04/01 22:13]
>孤蓬さん

お返事ありがとうございます。
僕が適切な返答を差し上げることができるかどうか心もとないのです。
というのは、僕とていつも平静ではなく非常に感情的なところが多々あるのです。自分がこうだと信じるところを貫徹したくなる時が多々あります。ですので、これといってうまい返事はできないし、孤蓬さんもそれを期待しておられるのでもないと思います。

ただ、僕はなんとなく孤蓬さんが自分の「如何ともしがたい」部分を仰って下さって、ほっとしたのです。うまくいえませんが。

僕からはあまり申し述べることではないのですが、様々な形で孤蓬さん自身も言い争いに参加していますよね。もちろんそれぞれに理由のあることでしょうから、ここで申すには手に余ります。だからどちらの立場がどうこうというようには今は申し上げにくい状況です。事の当否はいかなるものであれ、非常に難しい状況です。なぜかというと僕もこのフォーラムで様々な人と論争になったことがありますが、ある程度のところまで発展した争いはなかなか気持ちとしても論理の上でも整理がつけ難いものです。それで僕自身苦しい思いをなんどかしたことがあります。
さて長々と述べてしまいましたがこれは孤蓬さんのみならず僕もそして様々なこのサイトでの事柄に関して、直接の関係や効果は持たないにしても何か通じるものがあるように思うのです。その文章を後で引用します。
言葉というのは意想外の様々な波紋や反映を心に呼び起こすので、僕は芸術はそれに基礎をもつのではないかと思います。その心から言葉がいかなる不思議か、立ち上がるのだと思う。ひとくちに心といっても、それはそこから自分がそうであるところの何かや、他者が他者であることの意味が浮かび上がってくる裂け目のようなものではないかと思っています。心はそのようにある場合にはわかりにくく、鋼鉄のように沈黙し、ある場合は綿毛のようにやわらかく素朴で当てどなく儚いように思うのです。
以下、詩人、石原吉郎の言葉です。この言葉は僕に何よりも深く刺さりました。



人間が蒙るあらゆる傷のうちで、人間によって背負わされた傷がもっとも深いという言葉を聞きます。私たちはどのような場合にも一方的な被害者であるはずがなく、被害者であると同時に加害者に転じうる危険に瞬間ごとにさらされています。そういう危険のなかでなおかつ人間の深い連帯の可能性(…)を見失わないためには、人間はそれぞれの条件的な、形式的な結びつきから一度は真剣に自分の孤独にたちかえって、それぞれの孤独のなかで自分自身を組み立て直すことが必要であると思います。深い孤独の認識のみが実は深い連帯をもたらすものだという逆説をお考えになってください。

(「肉親へあてた手紙−一九五九年十月」石原吉郎)

sage
 

[88]孤蓬[2009 04/01 20:20]
>石川和広さん
>>82 >>83
おっしゃることは良く理解でき、納得するところも多々あるのですが、そもそも私には誰かに物を教えようとか、何かを伝えようとか、文学や言葉を豊かにしたいとか、そういった衝動はあまりないのです。(もちろん、私の言などが誰かの参考になることは、幸いですが)
しばしば私は、「日本語の現状に対するプロテストだ」と説明していますとおり、異議申し立てなのです。
特に、理不尽な要求や、めちゃくちゃな論理による抗弁や、感情的な言いがかりなどに対しては、大人然として鷹揚に構えることは到底不可能で、折伏せずにおくものかと、狷介になってしまいます。
恥ずかしながらこの疳性は如何ともしがたいところがあります。
申し訳ありません。
 

[87]山田せばすちゃん[2009 04/01 18:19]
世に問うならば問うたなりの覚悟をせよ、という主張と覚悟のないものは世に問うな、という主張は似ているようで違う。
つか卑近な賭け事の例で更に進めるならば、駒を張るな、とはいわないのだ、なぜならばいかなる事情があろうと駒を張らないものが続出すれば、賭場が盛らなくなってしまうではないか(笑)
だからといって張ってしまったあとからそんなこととは知らなかった、ならば張るんじゃなかったなどという泣き言をいちいち聞いていても賭場は成り立たないわけで、とりあえず一旦は張っていただく、そのあとで張り続けるか賭場から去るかはその人次第、ということで。
 

[85]佐々宝砂[04/01 11:24]石川和広
#>>77 気づいている人は気づいているのだなと思いました
 

[84]山田せばすちゃん[04/01 09:57]伊藤透雪
ここに教える/教わるの力学なんか導入するとまたファシズムだの社会主義リアリズムだの見当外したラベリングが始まりそうだな。
ということで
「見て習うのは勝手だが教えるつもりはさらさらないやね。」
 

[83]石川和広[2009 04/01 08:59]
>82の追記

追記)これは私自身の子どもの頃の経験が投影されています。僕は字や文章を覚えたり読むのは得意なほうでした。でも走るのや縄跳びや鉄棒、水泳つまりスポーツはダメでした。父はスポーツが得意でそんな私とよくスポーツをしてくれました。しかしそのときこうしたらうまくなる、縄跳びはこう飛ぶとやり方や知恵を教えてくれるのです。ですが、自分の中でそれが実感をともなって飲み込めなければ、父がいくら親心からいっても、いつまでも鉄棒も縄跳びもうまくなりませんでした。もちろん父は優しさからいってくれるのでうれしい反面、父の言うとおりできず、父に素直になれず、へそを曲げてもいました。いきなり20すぎて、肉体労働をしていたら、懸垂ができるようになっていました。ずっと友達にもスポーツができず笑われていたのでうれしかった。時間がかかるとはそういうことです。これはスポーツに限らず言語でも仕事でも、何事にも習得には時間がかかり、内的な過程が大事で、気づいたらひょいと出来ていたということも皆さんにもあるのではないかと思いました。

※今日はいい天気だし、いいたいことはかなり(一方的に?)いいましたので一旦筆をおきます。また気になることがあったら顔を出します。
 

[82]石川和広[2009 04/01 08:45]
>孤蓬さん

私もかつて厳しい合評会での議論等も経験しましたので
文学を育てる力がやさしさばかりではなく、互いの相克や闘争の部分が
あるのを存じています。
文学が世界に対して向けられたものであるなら
様々な他者の声が投げかけられます。

自分自身厳しい批評を受けたり「文学修行」的な側面が自分の書くことを作ってきたようにも思います。悔しいことも苛立つことも、泣くことも、相手を時には不快にさせることもまた経験であります。

ただ、そうして思ったのですが自分が伝えたいとするものがありますよね。メッセージ・思い、それは相手に伝わるまで時間がかかるというのがコミュニケーションの常道だと思うのです。
孤蓬さんなら孤蓬さんが伝えたいことが、相手になかなか浸透しない場合、相手も内的に葛藤を起こしているはずです。もちろんそれで感情的に言い返されるのは孤蓬さんも腹が立つかもしれない。

でも、実際孤蓬さんの知識が有効に伝わったほうがいいと思います。ならば、相手が受けいれるのに時間がかかるという人間の心的なシステムを信頼しようではないかと思うのです。言葉は人間の中で深く咀嚼され、それを我が者とするには時間がかかり、しかし時間をかけて醸成されることが言葉の強い力をもたらすと思うのです。そこを信じたいと私個人は思うことがあります。いや、信頼というと生半可かもしれませんが、文学を形成する力は闘争や相克の一方で、互いを「待つ」じっくりと向き合う。それで無理ならその場は退くことも文学や言葉を育てるのに必要だと思います。
言葉は孤蓬さんのように該博な知識を持つ方も、子どもも病者も等しくつかうのですから、裾野が広いものだということは、孤蓬さんも存じているはずです。そのように裾野が気が遠くなるほど広いのだから、伝わらない時に潔く退くことも文学や言葉をゆくゆく豊かにするのではないでしょうか。なぜなら文学や言語を含む文化は時間が育ててきたのは孤蓬さん自身が年来述べておられることだからです。

孤蓬さんもいうように、それぞれが孤蓬さんの指摘を受けいれるかは自由だし孤蓬さんも老婆心ながら伝えているのだと述べていますよね。だけど、孤蓬さんもしばしば力んでいるようにも見受けられる。互いが苦しそうに見える。そのことが私に懸念されているのです。ですから優しくしろとかそういうことではなく、結果的に文学や言語のためを考えるなら、その時に伝わらないことは諦める、待つことも孤蓬さんのメッセージをゆくゆく伝えられるベターな方法だと私は思ったりします。
孤蓬さんの活動を抑制するのではなく、各フォーラム会員がよりよく参加、活動するためのひとつの意見として理解してくだされば助かります。
 

[81]山田せばすちゃん[2009 04/01 08:18]
連帯を求めて誤爆を怖れず。
 

[80]孤蓬[2009 04/01 05:27]
>>77
誤解をして、申し訳ありませんでした。
ただ、>>73については、私のスタンス闡明ということで、
そのまま残しておきます。
 

[79]北村 守通[04/01 01:46]
>>77
の奥主さんの言葉が僕に突き刺さってくる。
正直、自分の構想に基づいて色々紙に書き出してみたりしていたのですが、自分の考えの浅はかさ、というか何というか…。
ただ、やっぱり思ってしまうのはこれまで色々な議論とかを拝読させていただいたりしてきたけれども、それがシステムなんかの与えられモノに対する不満だとかだったりするのであれば、自分自身で欲しいモノを組み立ててみるなりなんなりすればいいのに、という思い。これが納まりきらなくなってきて、そう思っている自分がいるのならば動いてみるべきだろうし、という妙なモノが支配していたりするのですよ。
キャンプ場に水道がない、と不平を言うのならば水を得る為の行動を起こせばいい。単純にそういう思い。こういうのがもしかしたら傲慢なのかも知れない。
公衆の面前に発表される作品あるいは存在には様々な評価がつきまとうのは当たり前のことであって、それを選択して排除する、というのは他者の否定に他ならない。かといってどんな形でもいいのかというと、勿論そんなことはない。
それで僕自身はそれを受け入れているし、図太さもある。そして僕自身は今の環境を十二分に満喫しているつもりなんですけれども、そうではなく、ただ誰かのせいにして済ませたりする風潮がどことなく感じられて、それがどうしても嫌でたまらないんですよ。
 

[78]白井明大[2009 04/01 01:00]
sage

奥主さん
こんばんは。議論スレのほうでいただいておりました質問、さきほど拝見いたしました。
おっしゃっていることに相違ありません。
こんがらがりかけた糸をほぐそうとしてくださいましたこと、感謝いたします。

時間というものは、そのとき目にみえなかったものを、あとでよくみえるようにしてくれたりもするということを、たびたび思い知らされます。
読み返してつくづく、じぶんの至らなさに気づきます。

煎じ詰めると、おたがいの考えに対立はなく、
すりあわせの地点を見落としていただけのようです。
もうしばらく、黙し考えていようと思います。
 

[73]孤蓬[2009 03/31 21:29]
私の名が出たので申しますが、私は>>70に書かれているようなことは十分自覚しているつもりです。
以前、某所で私と激しい議論をした相手が、数日後、亡くなってしまった事がありました。
当時も私は、現在のようなスタンスでしたので、敵は多く、人の死を種に、ここぞとばかりに私を責立てるさもしい偽善者もいましたが、私は今なお、揺るぎません。
言論の自由とは、裏を返せば実に過酷なものであり、彼我共に傷つける諸刃の剣なのです。
その覚悟こそが私にとってのモラルであり、議論において、容赦しない、手加減しないことは、論敵を対等な存在として尊重する私の礼儀でもあります。
 

[72]石川和広[03/31 11:17]北村 守通
山田さんのいうことはある真実であると思うのです。
だから否定はしないんです。

例えは変だけど将棋とか初心者と有段者がお手合わせする場合がありますよね。そんとき、飛車を落とすとかハンデをもうけたりする。ゴルフもハンデがあります。

これは相手を甘く見ているんじゃないでしょ。先にその道に入って腕を磨いた人間と入りたてや、うまくないけど楽しみたい人の間にある現実的な落差やちがいに根差しているんだと思う。

本でも講座でも入門編と上級編がある。手加減や、やさしさではなく、道に入ったキャリアを考慮してるんです。

もちろん山田さんやあるいは孤蓬さんの指摘は論として一定の正しさをもつ。配慮もなされている。

しかし詩や歌にうまいへたはつけにくい。だが道浅い人と道に入って長い人の間のやり取りには、上のような事情を考慮して是非を問うのがいかなる立場からであれ建設的だなと私はこう思うのです。
 

[71]山田せばすちゃん[2009 03/31 10:26]孤蓬石川和広
はてさて「欲望」に浅薄深厚の分別をつけるのかどうかははなはだ疑問でもあるのだけれど、作品を世に問うことそれ自体も、自らを世界に有らしめたいという「欲望」のなせる業だということを自覚している投稿者ならば、自らの行為は一種の賭け事であり、負ければ確実に傷が付くことをあらかじめ承知すべきである。
 

[69]北村 守通[2009 03/30 23:30]
sage

再々軌道修正案

?期間を設定
?テーマを設定(各投稿板共通で三つほど?)
?各テーマに対して『合評会形式』『批評不可形式』の二種類で作品投稿を受付(文書グループを設定。)
?『批評不可形式』に対してはあらゆる感想不可(ただしポイント機能は有効)
?『合評会』形式の作品については、参加者が出展作品に対して『批評・散文コーナー』にて批評文を投稿(作品投稿期間と、批評投稿期間とについてはタイムラグを設定。また、作品出展者は他者の同グループの作品に対してポイントをつけてもよいが、感想はつけない。ただし、ポイントをつけた際には『批評および感想は別途散文コーナーにて』というメッセージを記入。
?期間終了と共に受付終了(グループを消去)

といった流れを再度考えさせて頂きました。なんかこうなるとえらくでか過ぎる話になってきてしまって、まぁ投稿板のジャンルごとに期間を別々において開催してみる、という形にした方がよいのかどうか、というのも考察中。でも、全体を一つの時期に巻き込んでなにかできれば、これまで幾つか開催されてきた祭り以上の祭りができそうな、そんな予感…
(そして期間限定ながらそれぞれの投稿のスタンスによる簡易的な住み分けもできるわけですし…)
ちょっと考えがやっぱり安直過ぎるのでしょうか?
いずれにせよ、これを実際にやってみるとなると協力者が欲しい。少なくとも知恵は借りたい(泣)。
 

[68]北村 守通[2009 03/30 11:24]深水遊脚
言いだしっぺですけれども

皆さんのご意見を聞いているうちにただただ頷くばかりでまた三歩くらい後退して考え込んでいます。
>>64
>「文法の構造を考慮しない」「考慮する」って違いは重要ではないでしょう。
>問題はヒトからの批判を受け付けるか受け付けないか、それだけです。

 時々『文法構造というものを無視してこそ表現者だろ』等といった発言も見かけていましたので、一度そういう住み分けも作ってみるのはどうだろう、という考えがあったのですね。期間限定、という形で自主開催でもっていくのならば、その辺のジャンル分けも回毎に変えることもできるので、どうだろう、と思ったりもしたんですよ。ん〜期間限定の住み分け、というよりも期間限定の”特集”みたいな形で考えていったほうがいいのだろうか?

>66
 なるほど、未詩・独白の廃止にはそういう経緯もあったのですね。一つ勉強になりました。個人的には”未詩”という言葉には憧れていましたけれどね。(なんだろう?って)
 
 

[67]深水遊脚[03/30 08:32]林帯刀北村 守通
>>57
 林帯刀様の書き込みを受けて。男性が我に返るきっかけ作りがその場では重要ですね。我に返り、そして内省しなきゃなりません。恋愛も性愛も、信頼を高度に築き上げてこそ双方が楽しめる、そういうものだから。勢いに任せたり相手の意思をコントロールしたりは駄目です。セクハラ野郎が妄想する型にはまった性幻想は、付き合わされるほうも迷惑ですし(その迷惑料で、ある商売が成立していますね。それほど迷惑なものです)。

止めに入るのもきっと気合いが要ります。普段からイメージトレーニングしておこうかな。


#下げ忘れ陳謝
 

[66]深水遊脚[03/30 06:44]北村 守通
sage

批判を受けずに快適に書きたいという罪のない希望、は叶えてあげればよいと私も思う。でも誰かの悪口を作品のかたちを装って批評禁止のカテゴリーに書き込むという不届き者も時に現れるから厄介ではないかな。現にかつての未詩独白で何度かそういうのを見たから。あと立場により意見が分かれるような主張、メッセージやそれを含む作品は、反論が封じられるカテゴリーに投稿されると、かえってやりとりが陰湿になる気がする。場外に飛び火するからね。

未詩・独白廃止の背景にはこれらの事情があったのではないかな。
軽い気持ちで書きたいという欲求は、ときに誰かを傷つける。強そうにみえても強くない人もいる。
 

[64]佐々宝砂[2009 03/30 00:50]北村 守通
ほんのすこしだけ。

現フォはSNSだというのは、最初は私が言った冗談だったように記憶します。
わたしは確かこう書きました。

「詩を綴りながら出会いを探す新感覚SNS! 年間わずか1000円の費用で自分だけの掲示板をつくることができますetc」

わたしは本当に冗談のつもりでした。
片野さんはどうしてどういう思いでこの場をSNSと称することにしたのかな、
と、ときたまふとおもいます。

>>63
かなりどうでもいい話ですが、
「文法の構造を考慮しない」「考慮する」って違いは重要ではないでしょう。
問題はヒトからの批判を受け付けるか受け付けないか、それだけです。
わたしはそう思います。
 

[63]北村 守通[2009 03/29 23:53]
 もうちょっと早く書き込みしようと思ってはいたのですが、色々と考えるところがありまして発言が遅くなりました。

 グループ分け、というのは発想の根源として河川における保護水域、というものをモデルにしていたところもあったりします。
 例えば一つの河川においてある支流については釣りを禁止にして水産資源などを保護しておく、この橋からこの橋の間は釣りはいいけれども、投網などを使った漁法はダメ、そしてあるダムから下流はどんな釣り方もオーケーといった様に分けていたりするんですね。
 しかし、単純にこのモデルとサイトを照らし合わせるにはやはり扱っているタイプが違うわけですから相違点が出てしまう。ある一つのフィールドに利用者がそれぞれの目的で集まっている、という点では同じなんですけれどもね。そういった点も踏まえて皆さんのご意見を伺っていると、正直自分の妄想していた青写真はガラガラと音を立てて崩れていっています。。

 自動車免許取立てのときの若葉マークみたいなものも考えたりしましたが、そうするとサイトのシステム自体にお願いする形になってしまいますし、勿論それが必要だということになればそういう提言を運営者の方にするのも一つなのでしょうけれども、どうもそうではなくてやれることがあると思うのですね。

 それで、今、頭の中で渦巻いているのは”期間限定”という条件付で何かしらできないか、と。今まで、よく散文コーナーでは『批評祭』などの会員の自発イベントが開催されていたわけですが、その形をとって期間限定の区画を作れないか、と思ったりしているわけです。イメージ的な流れはこうです。
?開催有効な期間を設定(例えば5月1日〜5月31日までの一ヶ月間)
?その期間に幾つかのグループを文書グループの形を使って作成
 例「批評なし、感想コメントなしのグループ」
  「合評会形式に参加するグループ(批評が少なくとも作者にとって好意
   的なものとは限らないものが発生する、厳しい批評が発生するかもし
   れない、ということを注意書き)」
  「文法の構造を考慮しない完全自由形式の短歌・俳句等」
  「文法の構造の整合性も考慮した上での短歌・俳句等」

 といった具合ですね。もちろん、上の形は今思いついているものであるだけで、もっと別のグループ分けなどができるかと思います。
?参加者は作品発表の際にあらかじめ用意された文書グループに登録して発表。勿論、イベントへの参加はまったくの自由で、通常の投稿スペースにて今まで通りのスタイルで投稿を続けて頂くのはまったくの自由。ただし、それぞれの文書グループがどの様なスタイルで構成されているかをきちんと読んだ上で参加してもらう。そこで発生することについては自己責任である、という趣旨は明文化しておいた方がいいのかも。
?期間が終了したら、文書グループを削除。(残しておいた方がいいんでしょうか?そこも悩むところ。)
?可能ならば、参加者から参加してみての感想の様なコメントを頂き、今後の参考にする。

といったところなんですね。こうすれば、少なくとも一時的とはいえ、住み分けができるわけで、かつ、恒久的なものではないですからその住み分けが長いこと存在することによって発生するトラブルというものは多少回避されやすくなるのではないだろうか、と思ったりしています。
 
 

[57]林帯刀[2009 03/29 01:53]北村 守通虹村 凌渡邉建志露草色深水遊脚白井明大
# sage
# 本来なら「論戦スレ」に書くべきとは思うのですが、流れのことなど考えて、こちらに失礼します。
# あ、こんなペンネームですが、私は女性です。

何年も前のことですが、朗読会の打ち上げに参加した際、セクハラに近いことを経験しました。
(念のため申し上げますと、私は当時も今現在もそのことについては少しも傷ついていないので、このことでの追求などは無用です)
たまたま隣に座った方がそういうそぶりを見せたとき、
同じテーブルにいた方が「嫌がってるからやめなさい」と注意してくださいました。
このおふたりはもともと知り合いだったようですが、
それでも実際にそうして声に出すことはそうそうできるものではないと思っていたので私も驚いて、今でも覚えています。

女性のひとりとして思うのは、現在進行形でセクハラ等がされているとき、
それを見つけたときに注意してくれる第三者の存在はとてもありがたいです。
電車で痴漢にあったときに思ったのは、突然のことで混乱してしまって、どうしたらいいのかわからない、ということでした。
「いやならいやと言っていい」のは当然ですが、そういう選択肢を思いつけないこともあるかもしれません。
逆に、人数の多いオフ会などでは、主催者がおひとりの場合はなおさら、すべてに目を配るのはとてもむずかしいこととも思います。
注意して見なければ分からない行為もあるでしょうし…。
たとえば、主催者の方が会に参加する信頼できるお知り合いに、
そのような行為を見つけたらすぐに呼んでくれるように頼んでおくとか、
そういう予防線もあったらいいんじゃないかと思いました。

# あとは、ボックス席の奥の席(壁際とか)に座ると逃げ道が一方向だけになっちゃうので、
# 逃げ道がいくつもあるようにちょっと気をつけて座るとか…
#
# あくまで私の体験と思ったことなので、女性がすべてそうだということではありません。
# この書き込みで、気分を害された方がいらっしゃったらごめんなさい。
 

[56]北村 守通[2009 03/28 22:09]
sage

>>50
 仲さん

>私が一つ危惧しているのは、グループ内で客観的な視野を持てるかどうか、ということと、もしグループから外れてしまった場合(グループ内でもめたりして)、外れてしまった人はどうすればいいのか、ということです。
またグループ間で論争みたいなことになった場合、今よりも収拾がつかない事態になることも考えられます。

グループ内のいざこざの可能性、グループ内のいざこざの可能性、その両方については確かに不安がありました。その点についてはどう煮詰めていくべきか、ということも含めて皆さんの意見なんかを聞いてみたいと思っていたんですね。しかし、私が想像していた以上の混沌を発生させる可能性があるということなのですね。

>>51
 ボルカさん

>住み分けみたいなことが実施されるなら、住み分けたあと、仲さんが指摘するようなへんな圧力になって行く可能性を避けていくってことも重要な観点なのかもしれないですね。

 そうなんですよね。この可能性についてはうまく誘導する方法を探さないといけないのかな、とも感じているところです。
私のコンセプト的なモノはボルカさんのおっしゃる

>たとえば「初心者が文法を気にしないで短歌を書くグループ」を作ったと仮定しますよね。そのほうがトラブルが減るかもしれません。

>そうじゃなくて、別に誰でも入ってOKなんけど、ここは初心者がフリーで試作品みたいのを展示し会って楽しむ企画なんですよ、ってことなら、わりとすんなりいきそうかもしれないですね。

の様な形で文書グループの機能なんかを使えればいいかなぁ、という漠然とした構想だったんですね。そしてそういう方向性もありなんだったら、嗜好の近い者同士で集まるのもありだし、防犯の呼びかけをするグループみたいなボランティアサークルみたいな存在もありなのかなぁ、などと手を広めて考えすぎたのかもしれません。

いや、しかしお二方の意見が聞けて正直嬉しく思っています。
あちらが立てばこちらが立たずで、まだまだ模索する必要性があるんでしょう。もっとも、たった何人かの考えだけで問題が解決するようならば、多分とっくの昔に解決しているのでしょうが。
 しかし、少なくともこうして考察することの蓄積があってなにがしかの形につながっていけるのではないかと楽観視しています。
 


 
 

[55]孤蓬[2009 03/28 20:27]北村 守通
sage
ローカル・ルールで作品に批判的な意見をしないように求めるようなカテゴリ、例えば以前存在した「未詩・独白」のようなものができれば、避難所にはなると思いますね。

>>54
なお、貴下が私を論破なさっても結構ですよ。
 

[49]北村 守通[2009 03/28 15:32]
sage

>>45
 仲さん
 
 グループの持つ、数の圧力的なものへの発展性、その点については確かに考慮すべき問題なのかもしれません。ただ、何かしらの形で住み分けができれば解消できるトラブルもあるか、と思いまして、そこに対する提言もあっての『同人』を表立たせては、という考えがあったのですね。
 例えば、『未詩・独白』という過去に存在したジャンルについて渇望する声もやっぱり聞いたりするんですけれども、私にとってはそれを必要とはしないジャンルではあったんですけれども、もしやっぱりそういう場を渇望するのであれば有志でそういうグループ設定みたいなものを行うのも手ではないかな、と思ったのですね。
 
>>46,47,48
 ボルカさん

 仲さんのおっしゃりたいのは、『グループ』という集団の持つ力の方向性が変な方向性に働くことを危惧しているんだと思うんですよ。なんか『○○派』はエライんだ、とか、グループに認められなかったらダメなんだとか、変な権威主義的な方向に走る危険性。純粋な住み分けで済めばいいんですけれども、そうじゃない危険性があるんじゃないかなって。
 仲さん自身は、そうしたグループ分けの必要性が個人的にはないし、そうした経験則と危険性のリスクと天秤にかけてみたら、グループ化というものについては疑問がある、というご意見なんだと思いますよ。
 

[43]佐々宝砂[2009 03/28 03:57]
片野さんは論戦スレで何度か発言しています。
抽出を使うとよくわかるとおもいます。
 

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