よろず臨時話し合いのぼやきスレ。[98]
04/06 17:55
佐々宝砂

かきちらしてみる。

どうせ私たちはネイティブに古典文法を知るわけではない。私たちが古典文法と古語を用いて書いても、それは擬古文に過ぎない。しょせん偽物である擬古文に求めるべきは、「正しさ」ではなく「それらしさ」である。ところが、文法の変遷とともに「それらしさ」は変化する。平安時代らしさと江戸時代らしさはちがう。その違いはある程度の古典教養がないとわからない。

難しいのは、古典教養の多少だけでなく世代によって「それらしさ」の感じ方がなり異なるかもしれないということだ。江戸も平安も万葉もごちゃまぜで、あるいはいずれの時代にもつかわれなかった文法で書かれたとしても、「それらしさ」を感じる人はいるだろう。そりゃまあそれでよい。読者は何を感じようと自由だ。

だがそのような「それらしさ」の変化や個人差を承知の上で、私はあえていいたい。どうせ偽物とはいえ擬古文は丁寧に作れ。雑に作るな。物事にうとく詩歌にも詳しくない人を騙して喜んではいけない。通を騙してうならせろ。
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