半世紀余も前に消えてしまった
    青い春のネオン
     赤い夏のいさり火
      白い秋のかがり火
なのに 今 フェードアップしてくる
       黒い冬は 一条の鬼火
   ....
娑婆で「強く生きる」とは
   夢に燃えることなのか
   カルマに描くことなのか
      螺旋を 曲線を 放物線を
      それとも 直線そのもの を

娑婆の「縁が尽きる」とは ....
リグレットを放棄し
     カルマを軽視したままで
おらは忘れていないだろうか 
     アベニューの路肩に
      生き残っている
       ぺんぺん草の沈黙を・・・
そのう ....
足軽の思惑が逆巻く 丘のひだ
かがり火の消えた 鎮守のほこら
そこから
思惑の黄ないランプに照らされて
追憶に焼き付けられた 泥沼が浮かびあがる

そして そこから見えてくるのは
枯れた ....
鴉がどこのなにを見ているのだろうか

電柱の頭からうめきもせずに俺は俺で

キジバトがたむろするアベニューから

天馬とおぼしきちぎれ雲を眺めている

相変わらずコスモの塵埃を吹き続け ....
あんたはわざわざ回り道をしているね
(無駄骨を屁とも思っていないのかなぁ)

兄貴は平然と死生にたかを括っているね
(根明なのかそれとも天邪鬼なのかなぁ)

お前さんは故意に人混みを避けて ....
   あの「時」は「空」を称賛していた が
   その「空」は「時」を逆に軽蔑していた
       それは青い春の話である・・・

あの「風」は「光」を醗酵させていた が
その「光」は「風 ....
としつきのいとおしさに溺れるまま
カレンダーは残り一枚となった
まるでおらの余命のようだ

老いのうわべと衰えのもとでは 
ターミナルへの興味は傍観に等しい
乗り継ぎ駅には関心がそそがれた ....
庭木の虚空を指さす
  その たくましさに見惚れたとき
リグレットは にびいろの反芻に苛まれる
  そうして カルマが ルーズな演出を始める

「風」が立ち 「時」を騒がせている 
  「 ....
上機嫌な風で
庭木は味わっている
舞踊のたのしさを

  光の誘惑で
  トカゲは試みている
  逍遥のうれしさを

    「時」の流転で
     おまえは味わっている
    ....
公園の木立が醸しだす衣擦れに
つい呼び込まれる落ち葉の季節
自らの想いをまとめることもできず
今日も折りたたみ杖の同行で散策にでる

プロムナードに落とす
猫にゆがんだシルエットの裏には
 ....
入道雲をたたえ
   湿舌を呼びこみ
      晩夏を告げている
つくつくぼうしのひと鳴きを聞く
木陰を濃くした公園の広場

その許で
こどもたちは流れる時に邪念がない
       ....
窓のすだれがブランコを始めている
フロアーの隅で綿埃が踊り終えている
もうご存知でしょう
風も歌ったり呟いたりすることを

紋白蝶がサーカスを始めている
裸木がみどりのおめかしを終えている ....
平均余命が一桁となった 
      老耄にとって
それは それは 想いがなごむものだ
   住宅街を素通りしたとき
   たまたま耳にした
   おさなごの弾んだ
   金切声の基調演説 ....
祖母が大事にしていたサボテン
   それが枯れて軒下に放置されると
      ひ孫がデッサンの対象にしてしまった
(若し温室に並んでいたら
   祖母は民話の対象にしていたかも知れない)
 ....
ゆく夏を惜しむ理由でもあるのか
  とぎれとぎれになってしまった
    ひねもす続いたアブラゼミの読経

くる秋を愛おしむ理由でもあるのか
  まぶしく映えて行き交うようになった
    ....
夏 木陰からの風がほしいのに
    木漏れ日だけで充分なのに

冬 すきま風でも厭なのに
    日向ぼっこだけで満足なのに

どうして あまのじゃくなんだろう
    コスモスの花芯 ....
気温が寝返りを始めた
   セミの放尿が始まった
レースのカーテンがヨガを始めた
   海老の家老が目糞を掻き出し始めた
やがて 市道で唸り始めた
   ゴミ収集車が朝の鼻歌を
そして 近 ....
地平線をトリミングする山はない
(従って心を潤してくれる一級河川はない)
水平線を指呼できる前庭はない
(従って体を洗ってくれる潮騒は聞こえない)

そんな転居先の片田舎だが きょうは
遠 ....
そういえば二十数年も前のことだったかなぁ

三輪車に夢中だった孫の
   遊び相手をしながら
公園の勾配がある芝生の上に腰をおろし
それは それは 楽しいひととき と
   ためらはずにお ....
一日二十四時間声帯をチャック
虫歯の家並みを素通りして
歯肉炎のプロムナードをさまよう

伴走するアベニューからは
「時」に螺旋をえがく
  赤い「風」のサイレンと
「空」に山彦をひろげ ....
         かぜのやさしい日
  ガラス窓を開示して 勧めました
        レースのカーテンに
            腹式呼吸を

          ひかりの淡い日
裏木戸 ....
梅雨の隙間から覗く太陽が
   午後の峠を越したころ
 昼寝をむさぼっている街頭に
黄ない帽子がデッサンされる
   それは それはいとおしい風光だ
そして 宿題をいっとき忘れているのか
 ....
一度ならず 三度までも
easy going にあまえたまま
いのちびろいしてきた おいら
老残になって やっと気づく
「時」は「風」にながれ
  「空」は「光」にひろがっている 
  ....
梅雨の隙間がもたらす
  フォークダンスのひとときを
ウラノスに捧げようとしているのか
     足太鴉がわめきあっている

まさか 住宅街での縄張り争いでもあるまいに
それとも 恋の鞘当 ....
ほころび逝く身の上からは
  神経と細胞のだましあいで
       気力が消えている  
  肋骨と腹膜の差し違いで
       弾力が失せている

その上想像力も・・・欠けて
(花 ....
スパイラルの踊り場を形成している
      郊外の台地にたたずんで
黴臭い俯瞰図をひろげたとき

ベートーベンの交響曲第六番こそ
       漂ってはこなかったが
青い無窮の虚空に飛翔 ....
ほんぐもりではない
  うすぐもりでもない
うすばれともいえない
  どくとくのつゆぞらである
でも 紫外線はいちばん恵まれるという
  四季を通じて

いつのまにか ゆびがすべって
 ....
地元の放送局が報道の谷間で盛んに流す
  季節を告げる百花やwild birdを息抜きみたいに

だが コスモスだけは 天邪鬼にも
現世の四次元で 
       範疇外の狂い咲きを見せつけ ....
厳冬期 不本意な入院のため
   南の高気圧を敢えて待ち焦がれたのに
退院後は血圧・体温・体重に振り廻され
    長寿遺伝子ょ栄えあれ と
         一喜一憂の毎日
お笑い草とは  ....
信天翁(638)
タイトル カテゴリ Point 日付
不在のなかで  一自由詩213/1/11 20:54
気障な戦慄(六)自由詩113/1/6 19:38
不在の中に・・・自由詩113/1/2 23:03
氷柱の越年自由詩212/12/31 10:27
凍てついたサウンド(四)自由詩112/12/30 14:14
気障な戦慄(三)自由詩112/12/25 19:21
気障な戦慄(二)自由詩212/12/21 20:19
自由詩112/12/9 19:56
宇宙人のしわぶき(七)自由詩212/11/30 19:50
立ち枯れて自由詩812/11/23 19:43
宇宙人のしわぶき(四)自由詩212/11/14 20:50
宇宙人のしわぶき(二)自由詩312/9/30 20:30
宇宙人のしわぶき自由詩2+12/9/22 21:05
スローライフ(八)自由詩312/9/15 20:28
クィックライフ(六)自由詩6*12/9/8 19:49
とある日(八)自由詩212/9/2 20:27
・・・なのに自由詩612/8/28 18:58
reflection(8)--一国一城の家老--自由詩212/8/18 23:15
クイック・ライフ(4)自由詩1*12/8/11 19:59
クィック・ライフ自由詩412/8/3 20:33
スロー・ライフ自由詩412/7/28 20:28
ある日の空に向けて自由詩512/7/21 22:25
スロー・ライフ②自由詩412/7/16 20:38
ターミナル哀歌(十)自由詩212/7/7 20:57
光のサウンド(九)自由詩312/6/29 10:17
風のサイレン(九)自由詩2*12/6/24 21:05
もしかしてある日(四)自由詩112/6/17 20:39
忘れただけで・・・自由詩412/6/10 14:12
風のサイレン(四) 大自然のモノローグ自由詩112/5/27 12:38
光のサウンド(四)自由詩312/5/24 19:44

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