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質問スレ (創作系)スレッドオペレーター:片野晃司
詩に関する質問と、それに答える人のためのスレ。

[55]山田せばすちゃん[10/08 02:20]
あきらさんへ。
詩に技術は確かにある、という立場に私は立っておりますが、ただしそれは書かれた詩について帰納法的に導かれるものであって、詩に先立って技術があるわけではないと思ってもおります。たとえば比喩という技法は確かに存在しますが、誰も最初から比喩の詩を書こうと考えて書き始めるわけではなく、書かれた作品の中に初めて比喩という技法は存在すると、そういうわけです。その観点からは「詩を書くに当たって」留意すべき技術も形式もありはしないのです。要は好き勝手に書いてくださって結構なのですが、書かれた詩には歴然と技術的な巧拙は存在する、と。
また、詩には文体の制約も文法の制約も一切合切ありませんができれば他人様が読んだときに理解できる、もしくは理解してみようとつい思いたくなるようなもんを書いていただいたほうが友達なくさないで済むと思います。
ついでにいうと好き勝手に書いてもだめなやつはどんだけ技術的を勉強してもやっぱりだめなので、そういう人はさっさと詩を書くなんて事はあきらめたっていいんじゃないかなどとつい考えてしまうこの頃です。現時点においては別に詩を書けるからといって就職が有利になるわけでも大学進学に役立つわけでも給料が増えるわけでもないので、あんまり執着しないほうがいいような気もしますが、いかがなもんでしょうか?
 

[54]黒川排除 (oldsoup)[10/08 00:20]
呼吸をすること、歩くこと、文字を書くこと、
それらは学ばずともできることで無意識の領域の話ですが、
それらに規定を加えようとすると乱れが生じます。
(呼吸を意識してみることです)
詩を書くことは文字を書くことの派生だと考えますが、
それは何も文字を書くことを意識し、規定したものではないと考えます。
むしろそれは自然な欲求なのです。
ですから「詩への派生」は規定によるというより、楽しむことによります。
楽しむことにより自分の中に「この行為は詩だ」という型ができるのです。
逆を言えば、筆記、文字を書く、並べることの楽しみ、または文字への親しみこそ
詩に対する唯一の規定だとわたしは考えます。

ところで注意点と言うのであれば、
1、意図的でない誤字脱字をしないか、
 した場合はそれを詩だと言い張る能力を身に付けること。
1、目的の一つとして見られることを強く意識すること。
1、怠惰であること。
ですかね。もっとありそうです。無くていい感じもしますが。
 

[53]いとう[10/07 22:58]
>あきらさん
現代詩、というより口語自由詩は、
定型からの自由がある(自由に書く)のではなく、
自由に定型を選択できるから「自由詩」であるという意見を以前どこかで読んで、
すごく納得した記憶があります。
あきらさんの言うように、詩というのは「ただ自由に書けばいい」ものではないと私自身も考えていますが、
同時に、それは規則(技術上の約束事や注意点)などに縛られるようなものではなく、
逆に、そのような規則を自分で作っていくべきものだとも思っています。
迷った時は、他の人の詩や詩論を読んだりするのもいいのですが、
それは、無批判に受け入れるべきものではなく、
きちんと自分の中で咀嚼(そしゃく)しなければ血肉となりません。
その意味で、あきらさんはあきらさん自身の「自由詩」を作っていく、書いていくのが、
最良ではないかと思います。頑張ってください。
 

[52]片野晃司[10/07 22:33]
すごく真剣に考えた答えだったので、「?」を付けられると心外なんですけど。。。
とても難しい質問だと思います。どなたかうまい答えありますか?
 

[51]あきら[10/17 22:03]
片野さん、早々のお答え(?)ありがとうございます。
が、私の質問は「文章上の規定はどのようなことがあるのですか?」 という意味でしたのですが。
 

[50]片野晃司[10/07 19:55]
>>49
1)読者や第三者の身体を傷つけたり、生命を奪ったりしてはならない
2)読者や第三者の財産に(詩の対価以上に)損害を与えてはならない
詩は紙の上の文字でなくてもかまわないわけですが、たとえば、鋭利な鋼でできていたり、倒壊の危険があるような展示方法であったりするのは問題があります。
 

[49]あきら[10/07 16:04]片野晃司
作詩は若葉マークの身の上ですので、これから書いていくにあたり、技術上の約束事や注意点などについて知りたいのです。
現代詩も ただ自由に書くというわけにはいきませんよね。
どなたか ポイントをお教え下さい。 よろしくお願い致します。
あきら
 

[48]多々田 駄陀[08/07 17:47]
片野さん、早速のご返事ありがとうございます。いろいろ調べていただいたみたいですみませんでした。感謝します。
 

[47]片野晃司[08/07 17:24]
>巻頭詩の編集著作権は現代詩フォーラムにあります。
すみません、編集著作権にはあたらないです(と思う)。
あと、
>無記名での部分編集の成果物に著作権があるかどうか
無記名(匿名)であるかどうかは関係ないようです。
http://news.braina.com/2002/1111/judge_20021111_002_0005___.html
巻頭詩については、不特定多数による共同著作物という感じでしょうか。
ほかの方の意見もお聞きしたいですね。
 

[46]片野晃司[08/07 13:01]
著作権上の問題としては、まず、巻頭詩の編集著作権は現代詩フォーラムにあります。けれども、作品そのものの著作権に関して、無記名での部分編集の成果物に著作権があるかどうかははなはだ疑問です。ただし、たとえば、著作権のある作品が巻頭詩にまるごとコピーされたとしたら、その時点で著作権の問題が発生します。訴えられたら当該巻頭詩の削除と、アクセスログを当局に提出してコピーした人を特定するともに、「誰かの作品のコピーかどうかなんてWeb管理者がいちいち調べてられるか」と、真っ向から争うことになります。
まあそんななまぐさい話はともかく、編集著作権を持っている僕としては全然オッケーですよ。「私の作品です」と言って巻頭詩をコピーしたら問題ですけど、出典を明らかにした上で、自分の作品として昇華しているんですから問題ありません(巻頭詩に著作権がない、という前提で)。
 

[45]多々田 駄陀[08/07 01:03]
巻頭詩を拝借したことに対するご意見、ご批判も拝聴したいのですが。よろしくお願いします。
 

[44]多々田 駄陀[08/07 01:00]
以前の巻頭詩を拝借して、作品にしたてたのですが、コピーライトはどうなるんでしょう?少し気になっています。よきお知恵を。
 

[43]片野晃司[07/24 20:57]
美柳さん、
えーとですね、上の入力欄に
mod 41
と(数字は修正したい発言の番号)入れて「送信ボタン」を押すと、打ち間違いも修正できますですよ。削除は(たとえば41番を削除したい場合)
del 41
と入力して「送信ボタン」。
 

[42]美柳 章[07/24 21:01]
またまた長いのに挑戦しました。
僕の生活で起こった実際のお話なので
面白くないかもしれませんが、
日常に近いモノに仕上がっています。
是非読んでみて下さいね。↓コチラ
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=758
 

[39]片野晃司[07/23 12:19]
ジェンダーとは「性差」のことで、生物学的な性差には使われず、社会的、文化的な性差に使われます。「男らしさ」「女らしさ」もジェンダーです。
 

[38]美柳 章[07/23 11:37]
ジェンダーですね
 

[37]美柳 章[07/23 11:35]
ジェンターとは?・・・すみません勉強不足で
 

[36]片野晃司[07/23 11:31]
美柳さん、こんにちは^^
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=731ですね
僕は思うに、女性と男性ってあんまりかわらないと思うんです。
でも、性別関係なく世の中にはいろんな人がいて、無限の個体差がある。
もっとジェンダーから自由になったほうが面白い詩が書けるんじゃないでしょうか。
 

[35]美柳 章[07/23 11:17]
久しぶりに長いの書いてみました!!!
初の女性口調で書いてみたのですが、どうだったでしょうか・・・
自分の感想は日本にこんな女性がいるのか?です(苦笑)
初めは良かったのですが、後の方がちょっと行き過ぎだったような気がします。
皆さんの感想を聞かせてください。
題名は「私、生きてる」です。
 

[34]多々田 駄陀[07/23 04:08]
フォーラムに投稿しながら、自分の情けないのが、やはりポイントを気にしてしまう自分なのです。そんなことはどうでもよくて、短い詩を「無理」にでも、書きながら感じることは、「書いた詩句で本当に終わりなのか?」ということですね。もっと、そこから始められるだろう、とか、まだまだ書きたいくせに、とか思いながら...。
 

[33]黒川排除 (oldsoup)[07/22 01:31]
書く事も読む事も、「つくりあげる」ための作業だという事は変わらない。
だから、
書く側が自分の書いた意味を読み手に再現して欲しいと思うのも、
読む側が自分の読んだ意味で書かれた詩を規律しようと思うのも、
勝手だと思うのです。エゴだと。
どんな詩が好きかと言われれば、自分の詩と答える。
長さ短さは、詩においては意味の質や量を変化させるものではないと感じます。
短い詩の利点は可視範囲内(あぁ、もっとうまい言い方があるはず)に
すっぽり収まってしまう事にあると思います。
反面、聴覚的には長い詩の方がいいのかもしれません。
っつーか、えーっと、長い詩は面倒かな?
書いている途中や書き上げた瞬間の快感は長い方が長い分良いのだけれども。
 

[32]佐々宝砂[07/22 01:07]
私は、長いのも短いのも(極端に言うなら小説も俳句も)好きで書くヒトです。
ここでは主に短いものを投稿しています。
「意味ありげ」「思わせぶり」を作品の目的にした「小説」というものも、
世の中にはあるので(たとえば怪奇作家兼詩人デ・ラ・メアのように朦朧法を
使う作家の小説とか)、やっぱりいちがいに言えないのではないかと
私は思います。
でもやっぱり俳句で物語を語るのは難しいですね(あたりまえ)。
どうしても瞬間芸になります。まるでCMみたいに。
 

[31]多々田 駄陀[07/22 00:47]
谷川俊太郎と寺山修二の書簡詩篇(?)のビデオの中で、谷川俊太郎がこんなことをいっていました。
「意味と無意味の間に、『意味ありげ』というものがある。」
渦巻さんのいう「思わせぶり」な感じということと谷川がいう「意味ありげ」ということの関係を考えることは美柳さんのいうところの短い詩の良さっていうところに辿り着きそうな気がします。
まだ、「知らない意味」と...。
 

[30]美柳 章[07/22 00:16]
長い詩かぁ・・・
長い詩はわかりやすい。
でも、僕の好みから言えば書き手の意志を
読み手がそのまま受け入れる詩というのは、
面白さに欠けると思うんですよねぇ・・・
例えば、「真っ赤な夕日」という言葉に対し、
達成感に満ちたモノか切ないモノか、
短い詩ならば選択を強いられると思うんですよ。
ストーリーってその詩を読んで自分で作っていくモノだと思うんです。
そこに短い詩の良さがあると思うんです。
なんて言っても、ただ長いのが面倒なだけだったりして(笑)
 

[29]多々田 駄陀[07/16 02:33]
どうも、一度に発言できない性質(たち)かも知れない。
渦巻さんの発言から、あえて私も美柳さんみたく四行詩に挑戦してみたくなりました。自由詩投稿の方でしばらく頑張ってみようかな?
 

[28]多々田 駄陀[07/16 02:24]
詩のストーリー?
私はできれば崩したいクチなんですけど、崩れたところで別世界のストーリーが流れることを期待しているかもしれません。
かな。
 

[27]多々田 駄陀[07/16 02:22]
どんな詩が好きか?
言葉の意味が素直に響いてくる詩と
言葉の意味が崩れながら絶妙にバランスを保っている詩。
かな。
 

[26]渦巻二三五[07/14 22:27]
四行、五行くらいの短いのって、どうも思わせぶりな感じなのが多いような気がします。どちらかというと私は短いのが好みなんですが、思わせぶりなのはあんまり好きじゃないです。二十行前後が読みやすいですねー。
物語が受けやすいのは、読むのに努力がいらないからじゃないですか。ストーリーがわかればそれで読んだ気になれますもの。
 

[25]片野晃司[07/14 11:53]
(これは http://po-m.com/forum/bbs.php#285 に対するレスです。)
なんとなくの傾向としてはストーリーのあるものが強いようですね。ストーリーというほどでなくても、時間が詩の中に流れているものが人気があるようです。
長さが長いものもポイントが入っていますね。逆に、4行、5行くらいの短いものは点が得られにくいようです。これは、長い詩ほど長く読み手を作品に引き止めていられる、という単純な話かもしれません。一瞬で読み終えてしまう短い作品は、インターネット上の大量のフローの中では(ポイントを稼ぐという点では)不利、ということかも。短い作品でも、じっくり立ち止まって読めばいい作品もあると思うんですけれども。短くてもいい作品はあるし、ストーリー仕立てでなくてもいい作品はある。とりあえず、ポイントを得られることが多い作品の傾向についてだけ書きました。
 

[23]EnoGu[06/27 19:56]
仰るとおりだと。 免疫のないワタクシメなんか、おかげで三日間くらい頭んなかが台風銀座でした。 でも久々にまともな本を読めてスリリングでした。 …んでなんかもっと、他にオススメありますか?(笑)
 

[22]片野晃司[06/25 12:15]
題名の前に前置きがあって、題があって、本文がくる、っていうのは前例がありそうですね。
「詩の構造についての覚え書」はブレインストーミング的なところがあって、答えが出る出ないにかかわらず、考えてみることに意味があるのかも。
 

[21]EnoGu[06/25 02:20]
>>4 題名のヴァリエーションネタで入沢氏の本のなかにひとつ面白いのを見つけました。 またしても引用です。 > 詩作品の題の置き場所は、絶対に本文の前でなければならないか。 …もひとつ… >題自体がいくつかの意味の層を持ち、その層に完全に平行して本文の意味も多層化するといった作品を思い描いてみること。 …だそうで。 なんのこっちゃ。
 

[20]EnoGu[06/25 02:06]
批評スレに書いた文章ですが、ほとんど自分で書いたという実感がなくて、言葉の使用なんかにはかなりあやしいものがあります。 疑問や指摘などあれば、ぜひともご教授願います。 一日たって読み返して今、「しでかした!」なんて青ざめているしだいです。:blush:
 

[18]EnoGu[06/24 09:07]
ちょっとだけ長いので「批評」のスレッドのほうに書き込みました。 まあ、笑ってやってください。
 

[17]片野晃司[06/23 20:50]
EnoGuさん^^
まるまる引用だけだとまずいですけど、そこそこ噛み砕いて書いていただけたらさいわいです〜。
 

[16]EnoGu[06/23 17:54]
>>12 >>13 入沢氏の本、今読み終えました。 とてもとても面白くて、自分のなかの混乱が少し整理できた感じです。 「概略」ですかぁ…。 文章の引用は法的に大丈夫ですか? とにかくがんばってみます。
 

[15]片野晃司[06/23 08:54]
http://po-m.com/forum/threadshow.php?did=268
題名だけの詩のスレつくりました。やってみないことには何事もわからない、っと。
 

[14]黒川排除 (oldsoup)[06/23 00:32]
あ、題名しかない詩というのは面白いですね。
でもそれが題名しかない詩なのか題名の無い詩なのか
囲うものがない状況で判断させるのは難しいのかも。
題名の無い詩なら、きっと題名的なものは読者の中で
意識的にせよ無意識にせよ考えられるでしょうね。
題名が題名である事を殊更に必要とする詩なら
ある程度は簡単なのかもしれないけれど。
 

[12]片野晃司[06/22 20:29]
>ポルカさん
あ、いえいえ、誤読じゃないです、合ってます。すごく昔に買ったはずなんですが、内容がちゃんと思い出せなくて。。。
「詩の構造についての覚え書」についての概略、どなたか御紹介ください。
#EnoGuさん、「詩の構造についての覚え書」もう読まれました?
 

[8]渦巻二三五[06/10 12:30]
「詩において、題名とは、一体どう扱われるべきものか」は書かれた詩によって違ってくると思うのですけれど…。
私も題名には悩むことが多いです。自分が書くときはもちろん、読むときも。
あんまり深く考えたことはありませんが、自分が書くときは、題名は作者である自分にとってどうかというよりも、読む人のことを考えてつける、という感じですねぇ。
ほとんどの場合、詩を読むときに最初に目にするのは題名です。
まず題名を見たときに何を思うのか。その題名を見た自分は何を期待するのか。
そして、本文を読んでから再び題名を見たときの満足とは何なのだろうか。
もし、題名について考えるなら、そういうことを抜きには私はちょっと考えられません。
ところで。
いつだったか、poeniqeの詩会で、「本文中の語句がそのままタイトルに使われていない」のを良しとしたコメントを書かれた方がいたのを思い出したんですが、そういえば、あれはどういうお考えだったのでしょうねぇ?
 

[7]黒川排除 (oldsoup)[06/10 01:43]
記号性の打破、再構築、
真の言語への到達!を常に目標としております。
そしたら現代も古代もへったくりゃもないじゃないか的なんですが
疑いようも無くその位置はおれの真ん中に気取って立っており
あー難しいですね?
ただ現代だからといって現代臭い文明の利器を組み込めばいい
というわけでは決してなく現代の感性に未来視的な性格を与えつつ
底部に無言語時代の情熱を沸き立たせたいなぁとじぶんは思っております。
誰だって詩で伝えたい物は言語の形成する「言語の向こうの物」ですものね?
 

[6]EnoGu[06/10 01:29]
片野さんの紹介している本、今日注文しちゃいました。 勉強します。
 

[5]EnoGu[06/10 01:26]
私がなによりもここで皆さんに訊いてみたいこと。 皆さんにとって「現代詩」とはなんですか? こんな質問をするのはもしかしたら凄く厚顔無恥なことかもしれません。 誰にとってもこれは面白いテーマ、永遠のテーマなのではないか?という憶測もありつつ。 未熟者である私に考えるヒントを与えていただけたらと思います。 
 

[4]片野晃司[06/07 07:01]
入沢康夫の「詩の構造についての覚え書」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/detail/-/books/4783716129/contents/ref=cm_toc_more/250-4121903-1766627
に、題名についてもなんか書いてあったと思って本棚探したけれども埋まってて出てこなかった(泣 のでうろ覚えですけど、極端な設問を出発点としていろいろ考えてみよう、みたいな感じの本で、題名についても書かれていたので紹介したいのですけど、うーん、どこに埋まっちゃったものやら。
自由詩にとって題名は
・題名がなくてもいい
・題名のほうが本文より長くてもいい
・題名があって本文がない詩というのもあってもいい
・題名がテキストでなくても、画像でも、音でも、物でもいい
・題名と本文が等価でもいい
と、極端なことを考えていくと、どんどん題名に対する固定観念みたいなものが壊れていきます。
というわけで、題名をつけるときは迷いに迷って、いつまでも決まりません。
 

[3]山田せばすちゃん[06/06 13:43]
ども。
例えば、落語の場合、演目に付けられているタイトル(俺の好きな話だと「文七元結」だとか)は、もともとは、高座でネタがかぶらないようにするための「符丁」にすぎなかったのだという話を聞いたことがありますが、俺の場合もパソコンのフォルダ内で見分けがつく程度にしとこうかなあ、程度の軽い気持ちでタイトルつけてます。
 

[2]EnoGu[06/06 03:32]
失礼します。私にとっての詩作品とは例えていうと一つの毛糸玉みたいなもんです。そしてタイトルとはそこから引っ張り出した毛糸の一部です。その毛糸の一部分は毛糸玉の目に見える表面に張り付いていたかも知れないし、奥のほうから鈎針を使ってほじくり出したのかも知れません。一つの作品の言葉はこのように、タイトルも含めて一本に繋がっているものです。字面となって現れているのは毛糸玉の表面と引っ張り出された部分(タイトル)。単位である言葉どうしの繋がり方というのは勝手気ままなものです。ある言葉は隣の言葉を要約するかもしれないし、象徴、連想、しりとり、などがあれば、いつくかの言葉の集合(蛋白質のような)もの同士も互いに影響を与え合っています。…って俺、なに書いてんだろ? だんだん自分でもわからなくなってきてしまいました。こんなんで会話になっていますか?
 

[1]黒川排除 (oldsoup)[06/05 01:52]
うーむ、使われていない。おれがなんとかしよう(させてください)!
詩において、題名とは、一体どう扱われるべきものでしょうか。
書かれた詩の表象しているものや方向性を凝縮したものが題名なのか、
書かれた詩との間にさらなる詩的関係を築く独立した存在が題名なのか、
それとも関係はないのか、はたまた他の扱い方があるのか。
どうあるべきかではなく、自分の中でどうあるのかを、
質問してみたいのですが、どうですか?答えていただけますか?
(ちなみにおれは上から二番目を心掛けたいと思いつつ
一番目の方に緩やかに進んでいってしまうのでアレレ?なのですがー)
 

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