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【petit企画の館】/蝶としゃぼん玉 (創作系)スレッドオペレーター:ハァモニィベル
***

【petit企画の館】

当館へようこそ!いらっしゃいました。
お気軽に中へどうぞ。

この館の【趣旨・目的】は、あくまでも「創作を促進すること」です。

 --------------*--------------
ここでは、次のことを、お愉しみいただけます。
 --------------*--------------


◆Menu◆

【1】:プチ企画をつくり、この場に投げる。(テーマだけでもよい)
【2】:企画について検討し合うのもアリ。
【3】:企画者と参加者は、それに沿った作品をこの場/その他に投稿/報告する。
【4】:前のプチ企画が終了したら、次の企画を提案する。
【5】:自由に関連した話題を提供/談義しながら、創作意欲を刺激し合えればgood!

(注意書き)
********************************
詩に限らず、文芸全般・漫画原作・映画(ドラマ・舞台)シナリオ
など、和洋、古典・現代 を問わずに、俎上にのせてかまいません。
********************************

オカシナ記事が書かれた場合などには、スレ主の判断で、いきなり、又は注意忠告をした上で、
削除する場合もありますので、事前にご了承ください。

基本的には企画提案者が仕切ってくださる方がいいので、自由円滑に書いてもらえたら
うれしいです。読んでいる人が愉しいと思う場所にぜひしてください。

(尚、本スレッドは、下記スレッドを引き継いでいます。
 http://po-m.com/forum/threadshow.php?did=316267 )

それでは、開幕です。

********************************

[168]ハァモニィベル[2016 09/09 18:01]
追補

ちなみに、(お題)テーマ

も募集中です。

洒落たものがあったらこちらに、投げてみてください。

【プチ企画/テーマ:(・・・・・)by 誰々】

といった感じで、お願いします。

 

[166]ハァモニィベル[2016 09/09 12:09]
【詩人の本棚に寄贈します】

http://po-m.com/forum/thres.php?did=320802&did2=5
 

[165]ハァモニィベル[2016 09/08 20:53]
プチ企画第二弾

下記のテーマから選んで書いてください。

 ① はじめてきみにあったあの日
 ② あなたを飲み干してみたい
 ③ 子どものための幻想詩
----------------------------

尚、上に挙げたのはテーマであり、
「タイトル」ではありませんからご注意ください。

上記テーマに該当する「詩人の本棚」への御寄贈も歓迎します。


よろしくお願いします。


※第一弾に投稿された作品は以下です。
(テーマ/わが墓標とのダンス)
>>163『月と墓標』石村利勝
>>162『内なる影』渚鳥
>>161『純粋な記憶』ハァモニィベル

*

(詩人の本棚)
(第一弾テーマ)
(第二弾テーマ3つ)

いずれも投稿受付中です。

**
 

[164]ハァモニィベル[2016 09/08 19:52]
渚鳥さん、石村さん

お題へのチャンレンジ感謝いたします。

>お題を出されて書くというのが非常に苦手です。(>>163

この辺の感覚をめぐって
私も悩むといえば悩むんですが、全く逆の悩みです。

わたし(ベル)の場合は、「お題」なりテーマなり、キッカケを外からもらう方が、
ものが書きやすいんですね。

見るもの、聞くものが、意識(主観)に流れ込むと詩か批評になる性分なので、四六時中
詩人か批評家の状態でいます。(日常生活が凡人でいることを強いる環境で生きているので、
むしろ本来の自分を抑制したモードでいるのが死ぬほど苦痛ですが、仕方ありません)

なので、蓋をとってしまうと、24時間、詩人か批評家になってしまうので、
セイフティがかかってる私が、「お題」とか「テーマ」とかをトリガーにして
作品を瞬間的に発想したり構想したりして、書き上げるという、そんな仕組みをどうやら
持っているみたいです。

谷川俊太郎も、外から何か、キッカケがあるほうが自分は書きやすい、と雑誌で答えてましたが、
私からすると、その方が、自然なのです。

それで何を悩むのかというと、
キッカケが欲しいタイプは、キッカケがないと、とくに何か書こうと思わない、
ということで、普段の抑制モードを解除するキッカケが得られないまま過ごしてしまいます。

注文があれば、いくらでも書けるし、そこから想念をいろいろ発展させていけるけれど、
注文されないと、自分から、これを書いてみよう、という衝動が起こらない。

そして、そのキッカケは、自分で見つけるものではだめで、
面白いことに、自分の外からやってくるものがイイのです。

反応できない注文というのもあって、
お題そのものがオーソドックスなものは、苦手ですね。



お題大好き以外の人というのは、私が見た範囲では、二種類あって、

ひとつは、条件指定を苦手に感じるタイプのひとで、お題に沿おうとし過ぎてしまう人。自分のスタイルをかなり確定しているようなタイプのひとは、そのスタイルで、お題をこなそうとすると変調感を覚えるでしょう。

もうひとつは、「お題」が何であれあまり関係ない人で、そのタイプの人の作品を読むと必ず、
そのお題に即した作品として芯を食うように書かれていない、という印象を覚えるということがあります。


このスレでは、
あんまり、固く考えてないので、ともかく真剣に書いてみるのが何より、という姿勢を最上とします。


「お題」が出た場合のゲームのポイントは、

  作品が、どれだけ、そのお題の芯を食っているか、

という辺りにあります。

それは、遊びに見えて、じつはかなり高度なゲームだと言ってよいでしょう。


 

[161]ハァモニィベル[2016 09/07 01:17]
:プチ企画を追加します:

次のテーマで作詩してください。

  ( わが墓標とのダンス )


*  *  *  

私からは↓こちら。

『純粋な記憶』 
 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=321919
 

[160]ハァモニィベル[2016 09/03 19:46]
渚鳥さん
>>154「妥協しないこころ」

そういう心はを、大抵の本の書手が持ってますよね、
だから、読む方にもその心がある方がいいだろう、という
その辺りに反応した、そんなにズレてないアンテナだと、(私は)思います。



------+----------+------------+----------+--------

石村さん
>>158 (語源的考察)

「よむ」の語源的発想が東西で通じるものがあるというのは面白いですよね。
どうやら、「わかる」と相通じるものがあるようですが、

  (読み聞かせる)=〈読んであげる〉=説明する・講義する

といった行為を、潜在的に含意しているのかも知れません。
近代以降は、説明されたものを受け取る(内的に対話する)という意味まで
広がっている、そんな感じでしょうか。


------+----------+------------+----------+--------


わたしから

 「読む」について、私の考えを更に追加すると、


 読者が既に解っている(と思い込んでいた)ことが、読むことで、わからなくなる

 ということもあるでしょう。

 それを、ソクラテスなら喜ぶ筈ですが、

 また、物理学者のように世界を知ろうとする者でも、
 解れば解るほど、解らないところが出てくるでしょうから、

 (渚さんのいう「こころ」は、そこで真価を発揮することになるのでしょう)


 詩の場合でも、

 解っている(と思い込んでいた)ことが、詩を読んで、わからなくなる


 としたら、そういう詩は、読ませる詩でもあり、読みたい詩でもある、と
 思います。






紙上に書かれた思想は、砂上に残った歩行者の足跡に過ぎない。歩行者のたどった道は見える。
だが歩行者がその途上で何を見たかを知るには、自分の目を用いなければならない。

                   ― ショーペンハウエル ―


 

[156]ハァモニィベル[2016 09/03 15:40]
>>155 を受けて

【詩人の本棚に寄贈します】

 ◇ 『 The Incredible Journey 』 Sheila Burnford

----------------------------
https://www.amazon.co.jp/Incredible-Journey-Sheila-Burnford-ebook/dp/B004G5ZYGA/ref=sr_1_2?ie=UTF8&qid=1472883322&sr=8-2&keywords=The+Incredible+Journey

(邦訳は)

 ◇『三匹荒野を行く』バーンフォード/辺見栄訳 集英社



こちらはどうでしょう。


◇ 『果てしなき追跡』 D.P.マニックス/藤原英司 訳 集英社


 

[153]ハァモニィベル[2016 09/03 06:09]鵜飼千代子
*

【詩人の本棚に寄贈します】
 (今回は5冊一度に)

~ 〈読む〉ということを考えてみるために ~



 ◇ 丸谷才一 「読書感想文の害について」(『遊び時間2』所収)


----------------------------
本来批評であるべきものなのに、(ムリなことをさせられる生徒たちは可哀想だ)と
「読書感想文」という胡散臭い対象に、まっとうな切り込みを入れた名短文である。

文藝批評といふものが可能なのは、批評家が対象である一冊の本を読んだだけではなく
これまでずいぶんたくさんの本を読んでゐて、そのおかげで分析と比較の能力を身につけ
てゐるからである。〔…〕
 それなのに今、一人の子供は、・・・

ただ一冊読んだだけで、一冊の読後感を求められているのだ、と丸谷は言う。

・・・もうお座なりのことしか書く気力がない。能力もない。あとに残るのはただ、嘘をついたといふ
いやな感じだけであらう。

多くの夏休みの読書感想文は、このエッセイを対象にして書いたらよいだろうと思う。


#



 ◇ ロラン・バルト 「作者の死」(『物語の構造分析』 所収)

----------------------------
読者が、本文をいちど読んでしまうと、もはやテクストは読者の頭のなかにあるものであって、
作者のものであった本文は、「還元不可能な複数性」のなかへ消失してしまう。すると、つまり
〈こう読むのが正しい〉とは言えないのだ、という地平が開けてくる。
※これは、どう読もうと勝手だ、というのとは、ニュアンスが違う。むしろ独創的な読みが要求される
と私には思える。

★ロラン・バルトは、微成長を続けた人なので、一冊だけというわけにはいかない。そこで、
 ◇ 『ロラン・バルト著作集』(全10巻)みすず書房
といきたいが、全部精読することもない。
(『テクストの快楽』などは、むしろ読解してはいけない味わう本であろう。)
※バルトについては、機会があれば又取り上げてみたい。

#


 ◇ 『行為としての読書』 W・イーザー

----------------------------
言わば(本文と読者とのキャッチボール)の解析に関心を置いた「読者反応論」の古典である。
読むときの本文の拘束力を認め、多様な読みも、「容認可能な複数性」の範囲で考える。
本文が読者を巻き込んでいく「不確定性」、「空所」という相互作用の広がる契機や、
「解釈共同体」(これはフィッシュの用語)という閉塞的規制などが興味深い。

#


 ◇ 『声と現象』 J・デリダ /林 好雄 訳 (ちくま学芸文庫)

----------------------------
この記事の冒頭で、丸谷才一の言葉を引いたが、
一冊読んだだけで、一冊の読後感に浸って終われる人と、
ある一行を読んだとき、多くのことを想起できる人の、二項対立はありそうだ。
だが、どちらであっても【よい感性の器】がなくては、面白く読めない気もする。
例えば、ここで論じられている ◇ フッサールの 『論理学研究』 を知っていれば多分有利であろう。
しかし、それには、当時、数学では非ユークリッド幾何学が登場し、心理学でも人間の認識がさほど
当てにならないことが論議され、「知」というものが揺らぎはじめていたという時代背景や、
そもそも、「フッサールの現象学」について知らないと(それにはカントを知らないと)面白さは半減しかねない。
眼の前の対象の正体は〔 〕=括弧でくくり(Xと置く)、あくまでそれは、現前する現象として捉えるという、
その視点(現象学的還元)の手法は、そのままテクスト論の発想としてすぐピンとくるであろうし、
バルトを読むのに、ニーチェを知っていればピンとくるのと同じように、
「脱構築」もまた、プラトンの対話篇(ソクラテスの対話法)を知っていればスンナリと愉しめる。




 ◇ 「読書」 西田幾多郎 (青空文庫)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000182/files/3505_53075.html

----------------------------
難解な文章というイメージの西田幾多郎であるが、
好感のもてる率直な読書論は、スッキリしていて今でもべつに古くなってはいない。


私の読書というのは覗いて見るということかも知れない。そういう意味では、可なり多くの書物を覗いて見た、また今でも覗くといってよいかも知れない。本当に読んだという書物は極く僅ずかなものであろう。
 〔・・・〕
私はヘーゲルをはじめて読んだのは二十頃であろう、〔・・・〕はじめてアリストテレスの『形而上学』を読んだのは、三十過ぎの時であったかと思う。〔・・・〕それはとても分らぬものであった。然るに五十近くになって、俄かにアリストテレスが自分に生きて来たように思われ、アリストテレスから多大の影響を受けた。私は思う、書物を読むということは、自分の思想がそこまで行かねばならない。一脈相通ずるに至れば、暗夜に火を打つが如く、一時に全体が明らかとなる。


>書物を読むということは、自分の思想がそこまで行かねばならない。
>一脈相通ずるに至れば、暗夜に火を打つが如く、

書き手に匹敵するくらいの器を、読み手の方も持っていなくては、そこから注がれるものを
どうして受け止め切れるだろうか?その意味で、まさに至言である。



**

 〈読む力〉とは何か?

 高校時代、国語が苦手な理系の友人から、どうすれば出来るようになるのか、と相談されたことがあった。その友人は京都大学に進んだ優等生であったが、現代文(現国)が苦手で、いつもその成績は学年で二位だった。担当の国語教師がかなり難しい問題を出す人で、一枚目に授業でやった問題(通常の定期テスト)=50点、二枚目は入試問題=50点、それを合わせて百点満点、という形式で毎回出題してきた。問題の量が二倍あって、尚且つ、多くの生徒が残り時間が少ない状態で難問に挑まねばならなかった。なので、学年二位でも、いつも78点くらいだった彼は、つねに95点以上取っていた私に、何か秘訣でもあるのか、と訊いてみたくなったのであろう。

 私に言わせれば、それは簡単なことであった。
 国語の試験ができない人は、 「つぎの、文を読んで・・・答えよ」 と出題された課題文を読んで、そして答えているから、出来ないのである。国語の試験が(飛び抜けて)出来る人間というのは、課題文は当然、まず読むが、そしたら、それを出題者がどう読んだかのか、を質問を手がかりにして読み取っているのだ。
 だから、出題者が誤読していたら、その誤読に合わせて、解答してやらねばならない。だから、国語の試験というのは、実に馬鹿らしいなと思いながら、私は満点に近い成績を取っていたのだ。

 つまり、国語の試験は、①変な所でちょん切られた本文と、②必ずしも優秀でない出題者の頭のなかのテクストと、読み取らねばならない対象が2つあるのであって、滑稽なことに重点はむしろ②の方なのである。

 〈読む力〉とは、いったい何なのであろうか?


 

[152]ハァモニィベル[2016 09/01 23:25]

9月に入りました。現行の企画
【詩人の本棚】は、
狙いとしては、エピステーメーの展示や堆積という方向を目指したものでは全然ありません。
反対に、無知のアポリアを浮上させ、不断にドクサを粉砕しつづける微成長の記録でありたい、
というのがその本来の願いです。

9月はプチ企画を新規に投げていただいても構いませんが、現行の企画も、このまま並行して
継続いたしますので、有志がおられたら、
引き続き ご寄贈よろしくお願いします。

------+----------+------------+----------+--------



【詩人の本棚】に寄贈します。

 ◇ 『現代詩の鑑賞101』(大岡信 編・新書館)

----------------------------
「詩集」でもあるが、むしろ「鑑賞」集として。

「読者諸賢に編者から」、
という大岡信による、本書冒頭のまえがきに当たる文章がまず良い。

この簡易な形式の鑑賞書を編むことにしたのは、現代詩人が「鑑賞」という大切な手続きを無視し、
軽視しているうちに、私たちが日本語で書くということをどう逃れようもない条件としているという事実
まで、軽やかに無視できると考えているらしい作品が、泡のように作られては消えてゆく有様となって
しまったからである。

所収の鑑賞文は、人によって当たり外れがあるが、101の第一番目にある
三浦雅士の鑑賞などは、やはり見事である。



##



>>151 渚鳥さん

八木重吉は、わたしも【この本棚】に入れたいなあ、と思っていました。
私なら、八木重吉の詩は、以下ですね。

  『 無造作な 雲』

   無造作な くも、
   あのくものあたりへ 死にたい




*
 

[150]ハァモニィベル[2016 08/31 19:40]
*
>>147 石村さん 

良書の御寄贈 感謝します。

読書人が皆無ではない、とわかって嬉しいです。
その本の場合、復刊の情報もナイスだと思いました。

読書をめぐる思い出など
わたしもいろいろ回想モードに入りました(笑顔)。




学研 「新しい世界の童話シリーズ」は、1950年以降の翻訳童話文学作品が多かったようですが、
中には、1898年の下記も入っていました。

 ◇ 『おひとよしのりゅう』(ケネス・グレーアム作 石井桃子訳 学習研究社)

       (※『ものぐさドラゴン』(亀山龍樹訳・金の星社)は同じ作品。以下引用はこちら)

作者のケネス・グレアムは、『たのしい川べ』で知られています。

西欧における「竜」の悪しきイメージを、文化背景として知らないとこの作品の面白さがわかりませんが、
浜田広介『泣いた赤鬼』と合わせて読みたい作品です。

ドラゴンは友情の芽生えた、羊飼いの少年に言う。

 わしが地下におったころ、かるい気持ちで、ちょいとひねったつまらん詩だが、
 それについての、きみの、ざっくばらんな意見がききたいね。

竜を退治しようとする村人に呼ばれてやってきた高名な騎士に、少年は必死で言う。
 だれだって、あのドラゴンを一ぺん知ったら、すきにならない人はいません。
 あいつは、とてもみりょくがあって、とても信用できて、子どものように、むじゃきです。


「The Reluctant Dragon」の、Reluctant を 「おひとよし」と訳した、
石井桃子は、別のところでこんな言葉を遺しています。

  おとなになってから、あなたを支えてくれるのは、子ども時代の『あなた』です

だから、本棚を前に、

やがて詩人になった少年のことを、少年だった詩人が振り返っても
なんの不思議もないことだ、と私は思います。


------+----------+------------+----------+--------


>>149 渚鳥さん 

良書の御寄贈感謝します。

ネロの暴政吹き荒れる受難の時代、基督教徒の少女とクールな貴族の恋の歴史物語。

合わせて読むと興味深い本。
 ◇ 『ネロ』 G・ヴァルテル/山崎庸一郎訳(みすず書房)



#####



本企画中は、
読書をめぐる思い出談義なども歓迎です。

寄贈者同士の懇談/歓談も勿論OKです。

尚、

 ★ 本棚の対象は、

専門書、批評、コラム、小説、
童話、絵本、
画集、絵画、映画、ドラマ
マンガ、エッセイ、
歌詞(演歌、ポップス・・・)
何でも、

選択には寄贈者のセンスが反映しますので
寄贈者の方が、【詩人の本棚】に入れたいと思うものならOKです。

そして、もちろん

詩作品 もOKです。

(その場合は、詩集でなく、―→ 『作品1篇』・作者名 で御寄贈ください)

詩本文は不要ですが、サブコメントの中で必要に応じて「引用」するのは可能です。


では、ひきづつき宜しくお願いします。


 

[146]ハァモニィベル[2016 08/31 00:28]

【詩人の本棚へ寄贈します】

 ◇ 『鳥の言葉 ―ベルシア神秘主義比喩物語詩』 
     アッタール 著/黒柳恒男 訳 (平凡社東洋文庫)

----------------------------
わたしがむかし図書館ではじめて手にとった『世界文学全集』の第一巻は、ダンテの『神曲』から
始まっていた。紫式部の『源氏物語』から始めたらどうかと思うわたしであるが、本書も『神曲』
の前に入っていてもおかしくない。



ある日、鳥たちは皆で旅に出る。道中には、7つの(困難な)谷が待っている。―その中には「叡智」の谷もある―求める者に出逢うためには、それらの谷を通過しなければならなかった。最後まで残ったのはごく少数の鳥たちだけ。ボロボロになってようやく辿り着いた先に・・・、果して求めるものはあったのだろうか?
ペルシア神秘主義文学という狭い枠にとどまらぬ世界文学の遺産である。




★ この場所は記事を三回連続で書くとそれ以上書けないので、
  たぶん、企画はここでおわりです。


ありがとうございました。


 

[145]ハァモニィベル[2016 08/27 01:11]
【詩人の本棚へ寄贈します】

 ◇  『ファンタジーの文法』 G・ロダーリ /窪田富男訳(ちくま文庫)
 ◇  『猫と共に去りぬ』 G・ロダーリ /関口英子訳 (光文社古典新訳文庫)

----------------------------
「ファンタジーは、芸術家や詩人のような、ごく少数の選ばれた人々にだけ与えられた天与の才では」
なく、「誰でも創造することができる」、という優しい著者による発想の指南書が(上)。
聞き手をしっかり満足させるために、

>想像力もまた〔…〕それ自身の理性(レゾン)を持っている

という認識は、ポーに通じる。



上掲書で、「馬ー犬」ではダメだが、「犬ーたんす」はファンタジーになる、と言ったロダーリの短篇集が(下)。こちらは、香辛料の効いた16話が収録されている。



ロダーリは、
「子どもを読書嫌いにする9か条」 という文章も書いていて、その副題は、
  ― 読書の技術は習えるが、読書への愛は習えないー  である。



# 渚鳥さんファンタジーの寄贈ありがとう。
# C・W・ニコルは、『勇魚』もありますね。
# カミュ『反抗的人間』の邦訳は、ありますよ。私の手元にあるのは河出書房新社の『世界思想教養全集24 』で、中に佐藤朔訳で入っています(但、これは私が買ったときにもう既にかなり古書でしたが)。


  
 

[144]ハァモニィベル[2016 08/26 21:24]
【詩人の本棚へ寄贈します】

# 渚鳥さんの寄贈を受けて

 ◇ F・サガン 『悲しみよこんにちは』 
         
----------------------------
 これは、作者の感性に惹かれる、私の好きな小説の一つ。
 サガンという名前が折角でてきたので、これもぜひ本棚に加えましょう。


渚鳥さん  サガンに関する本の寄贈ありがとうございました。



F・サガンが、フランスの文壇に登場したのは1954年、処女作 『悲しみよこんにちは』が、世界20カ国で翻訳され500万部を超す大ベストセラーになり、18歳の少女は一挙に億万長者になった。(邦訳は翌、昭和30年。/米映画化され、日本で公開後、ヒロインの髪型である「セシル・カット」が流行したのは5年後の1960年頃の話だそう)

1964年に芥川賞を受賞した田辺聖子は、

戦後に流行った堅苦しい小説でなく、こんな風にすとんと女の子の気持ちを書けばいいのかと、新しいドアを開けてくれたのがサガンでした。

と、2004年に新聞の追悼エッセイでその小さくはない影響の一端を語った。



ソルボンヌの試験に落ちた18才の夏、家族を残して一人パリにもどると、追試験の準備をするかわりに、一気に書き上げた作品を、ふたつの出版社に持ち込む。そして、
編集者→社長→最も厳密な読手へと、「新しい才能の発見」が伝えられ確認された。
ライバル社も同じ原稿を読んでいる筈と、社長は焦るものの、サガンは睡眠中で連絡がとれず・・・。
300m先にあるライバル社でも事態は同様であったそうだ。

『悲しみよこんにちは』はみごと、出版されたその年、「批評家賞」を受賞する。(この賞の第 1回 は、カミュの『ベスト』 )。

富と名声を手に入れた十代の少女の、その後の享楽的で破天荒な伝説のはじまりでもあった。



サガンの最後の小説は、Le miroir egare 『失われた鏡』 (1996)。
 家賃の安い小さなアパートに越し、骨粗鬆症で外出も出来ないほど、この頃は、借金で経済状態も、クスリのせいで健康状態も、ボロボロで心身ともに苦境にあったらしい。
 この、最後になった小説も、原稿を親友に託してしまうほど、もう書けなくなっていた。
そこで、親友の中の一人の小説家が、サガンの文体を真似て書くことを試みる。だが、どうしても出來ない。それまで、サガンをさして評価していなかった彼は、そこではじめて彼女の文体に宿るセンスに気づき畏敬の念を持ったという。(結局、それは彼女自身で仕上げることになった)

 誰でもが、喪失感や孤独を軽妙なエレガンスの筆で描けはしないのである。


 

[142]ハァモニィベル[2016 08/25 13:17]
【詩人の本棚へ寄贈します】

◇ 『 I Am Not A Poet, But I Am A Poet.』 牧野信一
◇ 『文学とは何ぞや』 、同

◇ 『ゼーロン』 、同 
             (いずれも青空文庫にあり)

----------------------------
(前二作は)詩や文学から最も遠いのは、厚顔な〈無神経〉である、と
そう感じられる繊細な人たちへ。

(最後作は)自分にしか書けない詩を書くとは何か、を考えるために。

+

>>141を受けて、バタイユを寄贈しようかと思いましたが、
その前にこちらにしてみました↓。


石村さん、河上の本、御寄贈ありがとうございました。
この本の「アウトサイダー」の定義をめぐって、議論が拗れそうですが・・・(それも面白いでしょう。笑)
日本には、反体制に胸をかせる程の体制はない、という面白い論点の萌芽を見いだせる本でもあります。
過酷な環境の方が果実は甘くなるそうですから、人間のなかにも、まあ、〈安住できない〉宿命を生きる者が、
ごく少数の果実として収穫を残すのでしょう。



 

[140]ハァモニィベル[2016 08/23 21:10]
>>130 (課題投稿)



『空間』

空を洗う雨の音がして
強靭な風の闇に
寂しさが明るむ (外の景色)


金になる詩のような
CMの音が響く(室内) 

殉死したシンガーソングライターが
還元可能な『テクスト』を歌い
しこたま儲けてる

死ねない者だけ、 死ねない者だけ、が、
見えない場所の 隅で
空間を産卵する




# 石村さん課題投稿と、補足も、ありがとうございました。
#  補足は面白いですね。フリートークがザワツキそうな所です。
#   本棚に、バルトとイーザーその他が必要かも知れませんね。
 

[137]ハァモニィベル[2016 08/23 13:31]
【詩人の本棚へ寄贈します】

 ◇ 『文学空間』 M・ブランショ

----------------------------
言葉はけしてそれ自身ではあり得ない
ということを、知るために。


前回話題にした コウルリッジの場合、詩は「有機的統一体」としてあり、素材である言葉は、社会で共有された言わば(外にあるもの)=死んだもの・だが、そこに生気を吹き込むのが、「詩人の想像力」なのであった。

「私が話すとき、私の中で死が話している」と言う ブランショ にとっての「イメージ」とは、「不在の中に現前するもの」である。
ブランショは言う
>すべてが夜の中に消え去った時、『すべてが消え去った』が現れる

そこにあるのは、不在であり、〈死体的現前〉である。
>だがこの時どこでもない場所がすなわちここなのだ。死体的現前は、こことどこでもない場所との間にひとつの関係を確立する

ブ ラ ン シ ョ は読書についても、 「『墓石』 と の 愉 快 で 狂 お し い ダ ンス 」 と表現しているが、コウルリッジの『文学的自叙伝』を読むのはまさにその通りかも知れない(翻訳者が、これは原文で読んだほうがいいかも知れないと書いてる程だ)。翻訳で読んでも面白いのはブランショくらいかも知れない。そんな洒落た逆説に溢れたこの本とは、きっと遠ざかるほど近くなる素敵なダンスを愉しめるのではないだろうか。



# 石村さん更なる御寄贈に感謝します。
# 他のひとは、あまり寄贈する本を持ってないみたいなんでよろしく、です。
# 詩人の本棚らしくなって来るといいなあ。
 

[135]ハァモニィベル[2016 08/22 20:24]
*
【詩人の本棚へ寄贈します】

◇ 『文学的自叙伝』 S・T・コウルリッジ  ・・・・・(1)
◇ 『モルグ街の殺人』 エドガー・A・ポー  ・・・・・(2)

----------------------------
批評の源流へ。地層の奥から視界に入らなかったものが見えてくるかも知れない。
想像力と創造力について考えるために。



 (1)は、「詩人の想像力」について考えるために。
(ワーズワースやコウルリッジにとって、読者の共感を掻き立て、ハッとするような驚きを与える力を持つのが詩であった。)
コウルリッジは、既知の結合である「ファンシー」とは区別された「イマジネーション」の持つ(無からの)〈創造力〉について踏込んでいる。


 他方、推理小説を創造した、かの エドガー・A・ポーは、人間の発想に無からの創造力を認めない立場でのイマジネーション論を持っていたが、(2)の冒頭部分に、その「イマジネーション」論が垣間見えるのにお気づきだったろうか。
(分析には発想=思いつく力が必要だ。無から発想はできないから、既知の情報を新しく結合する「ファンシーやイマジネーション」が求められる。だが、発想があれば分析できるわけではない。ファンシーによる結合は確かに珍奇だがアホっぽく、整合的調和的な成果(美)を達成するのはイマジネーションを働かせた分析の方である。)※分析=理解/表現と置換えてみるとわかりやすい。 
その具体的例示があの小説=(2)なのだ。

**

 批評の文脈であの小説を読む者は、あまりいないだろうが、ポーの「イマジネーション」論にみえる整合的調和力こそ、ハッとするような驚きを掻き立て、読者に共感を与える力を持つものだ、とわたしは思っている。



# 石村さん二冊めのご寄贈、有り難う。

 
 

[133]ハァモニィベル[2016 08/22 13:59]
8・9月〈ぷち企画〉開催のお知らせ

* * * *

詩人の本棚

* * * *

(趣旨)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ここに、わりと巨大な「詩人の本棚」が、
空っぽのままであるとします。
そこへ、皆さんから、詩人のための本を寄贈して下さい。

一冊でも、複数冊でも構いません。何回かに別けてでも構いません。
そのとき、短いオススメのことば(長くても可)を添えて下さい。

●必読の本
●ぜひ考えておきたいテーマの参考図書
●じぶんが考えているテーマに関する本
●古典的な本
●最新の本
●世評は高いがそーでもない本
●あまり知られていないが有益な本
などなど etc...

参加者は、記事冒頭に下記の符号を付けて下さい。
 → 【詩人の本棚へ寄贈します】

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
それでは、宜しくお願いします。



  (例 ↓)


【詩人の本棚へ寄贈します】

  ◇ 『弓と竪琴』 オクタビオ・パス

----------------------------
>詩において言語は、〔…〕原初的な創造力を取り戻す
ポエジーについて考えるために。

とりあえず、最初の一冊として。


 

[132]ハァモニィベル[2016 08/22 13:54]
渚鳥さん 書込みありがとう。

提案を受けて、>>133 のようなプチ企画を開催しますので、宜しく
お願いします。
 

[130]ハァモニィベル[2016 08/21 09:47]
プチ企画募集中です/
(暫定的に以下のお題を出しておきます)

**************

 以下の詩を、あなたの詩に【翻訳】してください。

**************

●――――――――――――〔開始〕



  今宵私のパイプは橋の上で
  狂暴に煙を上昇させる。

  ・・・・・・

  私は明滅する「仁丹」の広告塔を憎む。
  またすべての詞華集アントロジーとカルピスソーダ水とを嫌ふ。

  哀れな欲望過多症患者が
  人類撲滅の大志を抱いて、
  最後を遂げるに間近い夜だ。

  蛾よ、蛾よ、
  ガードの鉄柱にとまつて、震へて、
  夥しく産卵して死ぬべし、死ぬべし。


  ◇(富永太郎『橋の上の自画像』但、一部省略してある)


――――――――――――●〔終了〕



・ここで言う【翻訳】は、=(同じ詩情を、各人の文体で表現し直すことではありません)
 貴方が読み取った内容を、あなたの言葉と詩で表現することです。

・作者が表現した詩情をうけて、さらにそれとは違う自分の詩情を紡ぎだして下さい。

・ 課題に応じる際は、「>>130」という符号を記事の頭に付してください。

・よろしければ、宜しくお願いします。でわ。


 

[129]ハァモニィベル[2016 08/15 23:24]
(メモ)石村さんの処で、ぼやきました。↓

http://po-m.com/forum/thres.php?did=321112&did2=20
 

[127]ハァモニィベル[2016 08/15 03:43]

スレ主より

私の言葉で云う「M反応」の数々を、此処でサンプリングしたいわけではないので、皆さんどうぞ、紳士淑女として、当たり前な所作でもって、愉しく活動してください。よろしくお願いします。

**

■スレ主から、注意勧告された人は、これまで、一名だけです。
【これは、最低マナー違反として、注意一回】


■個人的に苦言を何度も呈されている人が、やはり一名だけいます。
【これは以下の理由です】
 ◇ 会話(キャッチボール)において、球をまずちゃんと受け取れない(取らない)こと。
 この場合、作品投稿は問題ないのですが、フリートークの中身が深まっていきませんから迷惑です。

■投稿作品への批評は、わたしは真摯に行っているつもりですが、
 辛口なために、「傷つく」という人もいるようです。そういう人は、ここへの作品投稿は向きません。
 逆に、ここに投稿すれば、一定の場合を除いて、基本的にわたしは批評します。


■フリートークにおいても私は率直をこころがけていますので、
 時折、疑問に思った点を、質問してみることがあります。

 (例えば)
  ある翻訳語料理店で、繊細なグルメの舌を発揮した人が、
  とある日本語料理店では、味覚音痴を露呈しているように思えた場合、など
  私は、率直に、その人に、その辺を質問してみることがあります。
  (それだけのことであって、この場合、所謂「M反応」が来るかどうかを診ているだけです)

 この場合は、たいてい、個人的に質問するだけであって、特に、詰めた批判はしません。


■最後に、警告しておくことが一点ですね。
 
 **企画提案を偽装した破壊工作** は、このスレでは、ご遠慮願います。

 キャッチボールで受け取るのが悪質なまでに下手な人も、工作員といった様相を呈しますが、同じく
 投げるのを、わざと、取りにくく投げて、相手のエラーを誘う、という悪質な行為も、この場を汚しますね。

 他者作品と自作品を曖昧にして出すなどもこれ(破壊工作)に該当するので、二重に悪質とみなされます。


**

私は、このスレを、ひたむきに詩作に取り組む場と、して設置しています。
同時に、有意義に楽しく、ゲーム感覚で、やっていける場としても設計したつもりです。

しかし、

それに相応しい利用者がいないなら、「開店休業中」でもよく、
それは、それで、何かをあらわしているのでしょう。



 

[126]ハァモニィベル[2016 08/15 02:45]
渚鳥さん 勘違いしないようにね。

>功名心から為したことではなく、純粋に好きな詩でしたので、

は、奇妙に聞こえる「ので」、じゃないですか?
(貴方的には違うのでしょうか?)

 オリジナルの作者を尊重する意識。と
 読者への配慮も。
二つとも、欠けているって
ことじゃないですか。仮に、故意(わざと)でも過失(うっかり)の場合でもね。

引用を曖昧にするのは、
最低限のマナーに違反する行為じゃないんでしょうか?_

もし、もの書きとして、自分の書いたものがそうなっていたら、
真摯に反省し、早急に訂正するのが当然であって、少なくとも、

>謗り

などという言葉では表現しないように私は思いますけど。

というのが、>>125への感想です。


 

[124]ハァモニィベル[2016 08/14 16:58]


************************

 ↑ ( ここから、新しいプチ企画を募集します)

   新たなプチ企画に関する話題
   新しいプチ企画を提案して下さい。

 ※ 現在進行中のプチ企画はありません。





石村さんへ

(投稿が前後してしまい失礼しました)

----------------------------
私への質問への答え)
----------------------------

 御作品は、ボツになりませんよ(笑)。ちゃんと作品になってますから。
 やはり、悲しさ、と、楽しさ が両方ある作品ですね。
 心配が「解ってしまう」という意味では、失格かもしれませんが。

 私は、遊びはOKですよ。ゲームとして企画する場所ですしね。
 但し、
 単純な言葉あそび、や、おちょっくった工作行為。そして、校正もしてない下書きはダメですね。
それと、他人の作品を作者名を伏せて出す紛らわしい恥知らずな行為。
 凡そ、ダメなのはそれくらいです。

 何か、それ以上の禁則を、わたしが課していると思うのは、見ている人の勘違いか、
 向上心の無いわりに、傷つきやすくて行き場のないプライドの持ち主が、方向を間違えて発揮しがちな
 ある意味、最低で最悪な冤罪でしょう。


 以上で答えとして伝わったら幸いです。


(ご心配に深謝します)
 

[122]ハァモニィベル[2016 08/14 16:39]
蛾兆ボルカさん


>>117 で貴方が示された例
●――――――――――――〔引用開始〕
・解んないけど楽しい詩の例

ぞうさん

どっどうどどうと、クラムボン

ゆよーん、ゆやーん
――――――――――――●〔引用終了〕

>>121 で貴方曰く、
>あれは四例とも、いわゆる名作であり


とのことですが、

「名作」か「駄作」か 解るのは、「解かんないけど」には該当しないとしても、
わたしには、アレが「楽しい」とは感じませんでしたけど、適切な例なんですか?
っていう疑問があるよ、とお伝えしただけですよ。

しかも、「四例」だとは思いもしませんでしたので、
貴方から、「偏狭」だと言われても、そうなのかも知れませんね(笑)
(悪意のある例示の仕方でないならね。)

そんな貴方が、
例として名作だ、と言い張るならそれでも別に誰も困りませんから
別所で楽しまれるのが何よりだ、と心からそう思います。

問答するまでもなく
結論はじつに簡単なことでしたね。


 

[120]ハァモニィベル[2016 08/14 12:49]

蛾兆さんへ

「偏狭」だと思うのは貴方であって、

いつ私が、「駄作とみなした作品」を削除すると言いましたか?

(作品以前のものは削除される覚悟でどうぞ)と言っているんですよ。
頭脳を広く使って、よく読んでください。お願いしますよ。

作品以前のものでも何でもござれ、

というユルユルのスタンスでやる企画なら、中止したほうがいいでしょうね。


貴方が示した(例)が酷すぎました。
此処では、ただ、それが残念なだけです。

此処も「コンペ」の側面はぜんぜんありませんが、
作品以前の落書きを捨てるゴミ箱の側面もありません。
〈創作系〉に分類されていることをお忘れなく。

たいしてハードルを高くしていませんので、勘違いしないようお願いします。



 

[118]ハァモニィベル[2016 08/14 11:18]
>>117

私の作品は、
>『解らないけど楽しい詩』と、『解らないけど悲しい詩』
の両方に当て嵌まるものとして、一作で両方にエントリーできる
というツモリのものでしたが、

企画の意図とはズレているようですね。(例をみるとそう思います)

蛾兆さんによる
>解んないけど楽しい詩の例
を、私が見る限り、それが
>解んないけど楽しい詩
には見えないので、困りましたね。

「楽しい」をめぐる感性の問題がありそうですね。

また、ひどく書くのが楽(らく)そうに見えますが、それはどうなんでしょう?

あるいは、余程、抑圧された環境にいる者が、隠れてする落書き
といったような、じつに、ひ弱な表現といった印象なんですが、どうなんでしょう?

*(スレ主として一言加えると)

このスレは、落書きは推奨してないので、

果敢に挑戦して欲しい、と思うと同時に、クリエイターの方々には
私にボツにされて削除されることも覚悟して取り組んで欲しい、
とも思いますので、その点、よくよくご注意ください。

(下書き程度でない、実験と呼ぶに足る作品は、ボツにはしません。当然ながら)
なので、ボツにされても果敢に何度も投稿するのも実験精神というものです。
(尚、私が出した作品のようなものが良いとするわけでもありません。類似品はボツです)


** 雑談↓**

創作例について、検討する談論はおおいに結構です。

まずは、コンセプトと、作品条件について
もう少し煮詰めた方が、企画に説得力が出るだろうと思います。


 

[116]ハァモニィベル[2016 08/13 23:16]


喜劇なのは貴方だけはありません悲劇なのは私だけではありません唯あらゆるものが誰かを捨てるようにどこかへ腐っていくのです。一本の蝋燭がずっと淋しい炎で明るく笑いかけている窓辺の大きなグロキシニアの花は、それを背にして、空を旅する鳥をずっと見ています。人というもののない、見失われた星の何処かでも、波はうねり、砕け散って爆笑するのです。冬に短パンだった頃を懐かしんで。



#(一っぺんに二つ書いてみた )
 

[114]ハァモニィベル[2016 08/11 20:59]
 
>>113(渚鳥さん Thanks)
----------------------------
プチ企画A / (題名から内容を推測想像してみるゲーム)

➡『カフェの休業日』(渚鳥さんのお題)

*(ベルによる推測想像↓)*
 その良心的なカフェは、注文さえすれば一流の紅茶や珈琲をいつでも手軽に飲ませてくれるし、食器も高級。手製のティーコジーは毎回出てくるたびに変化があって歴史や未来への幻想に誘われたりする。ちょっとした料理も本格的である。
 そんな上質なサービスを格安で提供してしまう涙が出るような経営の下手さで、そのため繁盛すればするほど店自体は困窮するばかりだ。

 そういう店というのは、えてして、それに乗じて、頻繁にやってきては珈琲一杯で何時間も居続けて平気な客がいるものだ。くだらない話と店の雰囲気ぶち壊しの雰囲気を漂わすオバサンなどが典型で、店はそんな人に寄生されたりするものである。店主もさすがに、そういう人にもう来ないでくれとはなかなか言えないでいるのだが、そうすると、オバサンそのやさしさに更に便乗して性懲りもなく頻りにやって来て、何度たしなめられても懲りない、といった具合である。

 一方で、零細なその店のよさを惜しんで、援助する気持ちで通ってくれるお客さんもいる。ただ、そういうひとも、気持ちよりも大きな援助はできないもので、そのとても有り難いが、非力な援助だけでは、店はやっていけなくなるのである。せっかくの小さい援助も、店で携帯を充電する図々しいオバサンに、つねにちゃっかり回収されかねないからだ。

 そんなカフェは、じつは営業日が休業日に等しい、
という哀しみをづっと抱えている。

 カフェの名前をいっそ「休業日」にしてしまえ。 と、
 異化した、いや、イカシタ表現をしたりすると、看板を見た人達は、それをそのまま受け取って、ああそうなのね、と通り過ぎていく。たまに洒落を解するひとが立ち止まることがなくはないが、此処では、質のいいそんな村人にしても、そこに籠められた哀しみには残念ながら気づかないようだった。

----------------------------


これまでのプチ企画は、ここですべて終了です。
新たなプチ企画は、ご自由にどうぞ。


というわけで、
Good-bye.
 

[112]ハァモニィベル[2016 08/10 21:43]


プチ企画は、

  11日(山の日だとか)、投稿が無かった場合は、このまま打ち切ります。

----------------------------
四つの『題』が出ており、
それについて、「これはこういう内容の詩であろう」と各人が推理を述べる。
という企画でした。
 『題』は、あらたに、各人が追加してもよく、変形してもOKです。

----------------------------


では皆さん、さようなら。


 

[110]ハァモニィベル[2016 08/10 12:47]
靴ではないですよ。沼(水辺)にいる毒蛇です。
でも、自由に発想して構いません。



もう一題追加しますね。

追加→ :「心なき女のカリカチュール」


コットンマウスはアメリカ文学風なので、
フランス文学風のお題も追加です。

尚、お題の追加も、受付ますのでよろしく。


 

[107]ハァモニィベル[2016 08/10 11:07]
>>106 渚さんの「それはどこに」

 >>105の三題の内、どれか一つでよいので

  題名―→ 内容を推定・構想する

というのが、プチ企画Aですが、

渚さんは、二つめのお題について、
一挙に、書いてしまったわけね。
ま、それでもいいでしょう。

オチは、題名にすでに含まれているので、現代はさらに捻る
ひつようがあるのかも知れないけれど、
感触というか雰囲気がいいですね。先鋒としてはグッドです。


「3日前」にしたのはなぜ?
 という疑問が残りました


企画への反応、感謝。
 

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