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詩と散文を作る手段全般についての情報と意見交換 part2+α (創作系)スレッドオペレーター:中川達矢
情報のタネローン

part1はこちら
http://po-m.com/forum/threadshow.php?did=217908


このスレッドのテーマは詩と散文を作る手段全般についての情報と意見交換です。

テーマ別レスマップ

下記アドレスの右側に番号を付ければレスを開くことが出来ます。
http://po-m.com/forum/thres.php?did=241016&did2=

<トピック1(詩に直結すること)>
普遍性(75 90)
詩情・抒情性(70 84)
記号・意味(の解体)(71 95)
イメージ・メタファ・象徴(67 71 75 81 83 95)
レトリック(65 71 73 81)
読者との関係性(65 71 73 81)
詩作・推敲(64 67 70 72 83 96 99)

<トピック2(フリートピック 巡りめぐって詩に?)>
恋愛(79 80 84 86-90 94 96 97 98 99 100)
ジェンダー(97 99 100)
同性愛(97 98)

<人名>
尾崎亜美(80)、小田和正(90)、西野カナ(94 96)、木下牧子(91)
入沢康夫(82)、宮沢賢治(82)、新川和江(86 88 89 91)、石垣りん(88 89)
白石かずこ(88 89)、茨木のり子(88 89)

<キーワード>
美意識(64 67)、作者と作品の関係性(65)、現代詩の閉鎖性(65)、多義性(67 71 72)
限定・無限定(67 71 73)、わかりやすさ(75)、慣用句(75)、発話者の視点(82)
二人称(84 90)、物語性(87)、ラ・メール(88)、寓意(92)
デノテーション(95)、コノテーション(95)、マナ識(95)、アラヤ識(95)
『真夜中の野次さん喜多さん』(しりあがり寿)(98)
『東海道中膝栗毛』(十返舎一九)(100)
ジェンダークィア(99)

<書籍>
『レトリック感覚』佐藤信夫著 講談社学術文庫(81)
『詩のこころを読む』茨木のり子著 岩波ジュニア新書(89)
『言葉・狂気・エロス』丸山圭三郎著 講談社学術文庫(95)

<過去のレスマップ>
1番から61番まで(62)
63番から100番まで(101)

[22]中川達矢[2011 10/29 12:34]
ダメだ、今はどんなキャラでも駄目だ。

蛙さんはガチにやりたい感じなんですかね。
井戸端会議はお嫌いなんですかね。
お酒は好きですよね。
みなさん、自分の持てる言葉を駆使して語り合えればいいんじゃないかなー。

先ずは、顔文字さんが賽を投げてくださった「ニュース」についてですが、顔文字さん的には話題となっているニュースを取り上げたかったのだと思いますが、自分としては、先ず、ニュースそれ自体の扱い方を考えつつ、それを考えるために話題になっているニュースの事例を利用すればいいと思いますが、いかがでしょう。

いろんなことが起きた中で、おそらく言葉にしようと思ってもできなかった人が多かったのではないでしょうか。
今だから感じることやらなんやらを知りたいですね。
自分は、あの大地震で何だか体の中が空っぽになった感覚になってしまい、しばらく詩を書けなかったような記憶があります。

とか言って、ただ単に大地震の話になってしまいましたが…、ニュースについて語りましょうか。
あ、何となく詩と絡められたらいいですね。
 

[21]……とある蛙[10/29 11:15]
…っで、テーマはNewsそれ自体の扱い方について?、それとも最近話題となっているNewsについて?いずれにしても現フォの投稿された物はほとんどが会議室のレス程度が多いけど(笑)。井戸端会議というか(笑)。
 

[20]中川達矢[10/29 09:58]
>>20
久々なのと、スレオペってこともあり、どうしたらいいんでしょうね、へこへこ。
以前のように爆弾キャラになってればいいんすかね、へこへこ。
新境地としてのウザキャラはいかがでしょう、へへっ。
 

[16]中川達矢[2011 10/29 08:47]
>>14
どうぞ、どうぞ、お願いいたします。
ニュースと言えば3月11日のこともあり、「真の情報」を求め、人はさまよっていたのではないかと思います。
それは、今もか…。
公表される情報は既に距離感がうまれてしまったものであり、数ヶ月前に盛んに聞いたベクレル・シーベルトといった庶民の新発見の感覚は鈍ってしまい、本当に危ない状態が何であるか、その判断ができなくなってしまっていますね。
誰がおかしいとか、そういった問題ではないでしょうが、ホットスポットなどと呼ばれる場所に住み続ける人は住み続けるわけです。
3月11日ということよりも原発の方に走ってしまいましたが…、たまたま今回はこの素材にそって話をしただけで、ニュースはもっと幅広いものですね。

自分は、大学院の入試勉強でちょっとやった映像とか写真の効果についてだったらほんの少し話せそうなので、機会をうかがって登場したいと思います。
 

[15]中川達矢[2011 10/29 08:44]
>>13
どうぞ、お好きになさってください!
気負いは捨てて、しゃべりたいことをしゃべってください。
それに反応があるかどうかは別ですが…。
そして、時には聞いてください。
インプット+アウトプットですね。
 

[12]中川達矢[2011 10/28 10:22]
>>10
おやおや、待ってました。
自分も音沙汰なく消えてしまってすいません。

とりあえず、みんな雑談でも
ライトからヘビーな話題でも
なんでも
何かあったらこのスレッドを使うような
そんな場所に
ここはなりたい
 

[11]……とある蛙[10/28 08:23]
>>10
お帰りなさい。俺が言うことじゃない(笑)。
 

[9]……とある蛙[2011 10/26 11:19]
写生論に関するメモ

※しゃ‐せい【写生】 [名](スル)景色や事物のありさまを見たままに写し取ること。絵のほかに、短歌・俳句・文章についてもいう。スケッチ。「梅の花を―する」「―旅行」
しゃせいせつ【写生説】
正岡子規の唱えた俳句・短歌の方法論。絵画の理論を移入し、実物・実景をありのままに具象的に写し取ること。子規以後、俳句では河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)・高浜虚子ら、短歌では伊藤左千夫・長塚節(ながつかたかし)・斎藤茂吉らによって理論的追求が行われ、散文では写生文として適応された。



客覿の景色でも主観の感情でも、単純なる叙写の内部に広ごつてゐるものでなければならぬと思ふのである。即ち句の表面は簡単な叙景叙事であるが、味へば味ふ程内部に複雑な光景なり感情なりが寓されてゐるといふやうな句がいゝ
(ホトトギス」大正13年3月号)
客観写生は花鳥諷詠とあいまって自然を詠うものと考えられるが、その自然(対象)には「人間界」も含まれている。
客観写生は高浜虚子の造語

「まず観察することが基本ですが、それを繰り返していると、対象が自分の心の中に溶け込んできて心と一つになる。そうなると心が自由になり、最も心が動くようになる」

「万葉集」にある「寄物陳思」(きぶつちんし)つまり「ものによせて思いを述べる」と理解してもいい。 写生といい客観写生といい、それは現代でも有効な創作方法である。

正岡子規は、「写生」の重要性を終始、一貫強調した。
 月並俳句の知識や教養にもたれた「ひねり」「くすぐり」を、子規は嫌った。ひねり、くすぐりは一種の暗喩や隠喩のはたらきによりかかり、頭の体操のような「お遊び」となる。知識をベースにした句は「分かる」レベルを特定し、レベルに達しない人々を拒否する傾きが生じる。

 写生は、対象を自分の感覚で捉え、感性に触れたものを掬いあげる営みに他ならない。対象との触れあい語り合いのなかから生まれる表現行為である

茂吉 「実相観入」。「実相に観入して自然・自己一元の生を写す。」これらの言葉に「汎神論」的性格を見出すことは容易であろう。

写生とはsketchという意味ではい、生を写す、神を伝えるという意味だ。この言葉の伝統をだんだん辿って行くと、宋の書論につき当る。つまり禅の観法につき当るのであります。だから、斎藤(茂吉)氏は写生を説いて実相観入という様な言葉を使っている。空海なら目撃というところかも知れない、空海は詩を論じ、「須らく心を凝らして其物を目撃すべし、便ち心を以て之を撃ち、深く其境を穿れ」と教えている。心を物に入れる、心で物を撃つ、それは現実の体験に関する工夫なのである。
(小林秀雄)

朔太郎の詩の象徴様式に関する一視点
長野隆

?詩の形象(観念を具象化した像)の可視化→鑑賞する側の心的な一つの機能
可視的形象を現実の定立(提出された判断主張)→写生詩、叙景詩(風景を描いた詩)可視性にとらわれる。
?自然感情に多感な民族性???では限定された自然→感情そのものの発露を約束(日本の詩歌)
自然の具象による象徴庁の有限域
竹という詩 上段部は竹の印象のみ→現実の竹の写生 異様な情調(雰囲気)象徴の有限域が自然可視化とは詩的現実???の求め方
およぐ人という詩  行為としての現実ではなく行為者そのものの現実 現に泳いでいるものを書いた詩ではない。

?象徴を意識すればするほど詩の形象は奇妙にリアリティを持ってくる。
 

[8]……とある蛙[2011 10/08 17:49]
[4]の文章は岩成さんの著作のレジュメ乃至はメモなのでその点私の考えと一致するものではありません。

中川さんがお読みになった詩集は花椿賞を取ったものだと思いますが、私は読んでいません。彼自身受賞について、普段の自分の詩とあまりに違う詩集なのですこし戸惑ったというような談話がどこかに載っていました。

それはそれとして言葉の解体に関して無意味な記号の羅列とするようなことを書いたのは行き過ぎないしは不正確なぼやきだと自分も思っています。

ところで、言葉の解体に関して岩成さんの本で引用されていた詩を一部再引用しておきます。

++++++++++++++++++++++++++

とらじいえあつく竈めいであつく於ろうつく

  ?

と奥くり 蜚かりするながら

ひとたび<最い始>、想いへ佇りいて、超えりゆく
聴し、ことり、みはく博ち、聴する億
   怪かしり、かすくか檄よする破か 撼しながら
   裂する訝か著し鵠しながら
悉り、識り、閃らり内らり越え、方すくかり 時創りなし、
透おり 流り 流り 握くり 思すくわ悛り
  翔すかりー想すかり充り 放り、
  見すわ充(み)り
慄るり 慄るり 慄るり 黙はく黙はく拍ち
搏すらり、搏すらり、み、はく黙搏ち
翔くり、みいり 翔すかすくり霜すかみりするながら
     怡らり みいり震るわみりするながら
哭し、堪し、悲切し、創りする想い 交り越え 覚り 自らするな
がら/ 交くり超えり把くり 翔すかり 自ら 覚くりするながら

 ?

溢ふり、こぼり、……(以下省略)

┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼

言葉の意味と構文の全壊=言葉の未聞の韻流
ということなのですが、どのように感じますか。
ある種の規則性があり、山本陽子語のような物が発生しているようです。
音韻と視覚で詩を成立させることが出来るでしょうか??

少なくとも 実験としての評価はともかく、何の感動もなく成功とはいえないと思いますが。

無意味な記号と言うのはそれ自体記号論では自己矛盾ですので、私の論述は間違いです。
記号ではなく、線描の図形と言うべきでした。言葉も厳密な意味では口頭で発語される言葉なのか、文章化された中での言葉なのかという問題があり、厳密に言えばかなり不正確なのでその点もご容赦ください。
 

[7]中川達矢[2011 10/08 13:56]
美術の話を少々…。

19世紀後半に印象派が生まれ、そこから科学的要素を取り入れた新印象派、20世紀初めになると第一次世界大戦という世界が交わる大規模な戦争のもとで「ダダイズム」などがうまれ、美術はますます変容化し、かの天才的(?)な画家であるピカソが属する「キュビズム」と言われる形式が生まれます。
この「キュビズム」の特徴は、立体性を平面にあらわすということ。
それは、ある意味で立体の分解を用いて平面に表現しているのだと自分は感じます。

この観点は、蛙さんが出した「意味の解体」に繋がるのではないでしょうか。
一つの現象を表現したい!という時、どうしても、創作者のフィルターを通して作品に反映されてしまう。
そのフィルターが技法となる。
印象派であれ、新印象派、キュビズムなどなど。

これこそ詩を作る手段なのでしょうが、
「書きたい!」って思ったことをどのようにして書いていくのか、
そのまま書くのか、違う現象を結びつけるのか、言葉を洗練していくのか、なんやらかんやら。
ましてや詩を書くきっかけなど、「書きたい!」と思ったから書く人がすべてではなく、何となく言葉をすらすら〜っと書いてしまう人もいるでしょう。
その段階からも疑う余地がありますね。

ちょっとそれてきた…。

言葉を解体すれば、無意味な記号になるのでしょうか。
そこには疑問があります。
具体的にどういった解体を指しているのかわからないので、正確に言えないのですが、記号が記号であるためには、差異性がそうさせるのであり、記号は一つとして存在しえないものだと、記号論の前提としてそうあります。
(もちろん、ここにも批判は行えるのでしょう)
自分でもあまりそう考えていない極論を言えば、記号は常に他の記号との関わりを持っており、また、それだけでなく、読者のコンテクストによって解釈されるのだと思います。
無意味な記号というのは、記号自体がそうさせるのではなく、読者のコンテクストと結びつかない、つまり、読者の経験や知識がその記号と無関係だったのではないでしょうか。
だからこそ、閉塞的・個人的なテクストは、あまり共感し得ないものになる可能性がある。
そこが「日記」と「詩」の違いなのかな、とも考えられますね。

そこで便利なのは、「きみ」とか「あなた」とか「かれ」とかの代名詞。
対象が限定されているようでいて、厳密には限定されていない。
だから、あまり閉塞感が出ずに共感を生みやすいのかな、という気がします。

#思うがままに書いてみました。
#どうぞ批判してください。自己反省もします。
#また、この流れをぶった切って、書きたいことを書いてください。
#くだらないことでもなんでも話しましょう。
 

[6]中川達矢[2011 10/08 13:35]
さっそく書いていただいたのに、反応がないとさみしいですよね…。

岩成達也さんの著作は、詩集なら読みました。
妻を失くし、また、キリスト教との付き合い方の観点から描かれた作品は、日本の他の詩人にはない世界観で独特です。
僕としても繋がる点(字は違えど名前が同じ、キリスト教)があり、共感できる部分がありますが、そういう方でなくとも、その世界観には何かを感じざるを得ないような作品だと思います。
何より、その「寂しさ」というものがにじみ出てきます。

叙情詩というのは、国語の授業で
「叙事詩」「叙景詩」「叙情詩」の区別をつけるために教わったぐらいで、
今の日本のほとんどの詩は、叙情詩と分類しておけば、テストで間違えないよ、と教わりました。
しかし、実際、何を持って「叙情」とするのか、もしくは、「叙景」「叙事」とするのか、という点は不明です。
そもそもそういったものは、分類するための道具でしかないのでは、とも思います。

叙情性を問うならば、詩情という言葉で問うのがいいとは思います。
それは、散文・韻文の違いもそうなのですが、おおざっぱにいえば、詩を詩たらしめるものとはなにか、ということです。
そうすれば自ずと叙情というものが見えてくるのではないでしょうか。

現代詩フォーラムにいてしょっちゅう思うのが
「日記」と「詩」の違いですね。
口が悪いことを言えば、
「それって日記でいいじゃん」という作品が多いかな、という印象を受けてしまうからです。
しかし、それも、孤立し合っているものなのではなく、お互いに干渉されながら、お互いに浸かり合っているように思えるのです。
 

[5]……とある蛙[2011 10/06 14:59]
文芸という芸術についてのぼやき

最近詩って奴が分からない。ギンズバーグは「主観的真実が読者あるいは鑑賞する者を得て客観化して初めて詩という名に値する芸術が成立する」としている。そうであれば鑑賞する者は一人でも良いのか、極端な話自分一人とどう違うのかという話にもなりかねない。言葉というやっかいなものを扱う詩という文芸は、素材自体に意味があるため問題なので、素材自体意味を持たないたとえば粘土、絵の具、音いや空気の振動に 意味を持たせるのは人間のリフレインを中心とした規則性の性癖ではないか。ならば、究極の芸術とは規則性を自覚した無規則なリフレインであってフリージャズ辺りだったのだろうか。
言葉という固まりの解体ができない(山本陽子さんなどは解体しているが)以上、その意味の範疇の組み合わせで、鑑賞者との関係性を構築して行くしか言葉の第2の意味を獲得することは出来ない。
 言葉を解体すれば、無意味な記号でしかないので、無意味な記号を並べて曼陀羅模様みたいな抽象画にするしかないのかもしれない。言葉の意味の範疇を厳格に考えて行くと詩などはとても書けなくなる。詰まるところ感覚の問題でしかない。そして読者が一人でもよいと言うことになると芸術としての詩作など成立しなくなる。表現された創作物が、ある種の感動を鑑賞者に与えるものであっても、地域的普遍性と時間的普遍性を獲得しなければ芸術作品とは言えないであろう。

※現状の多くの詰まらない現代詩を参考にしたような上手な作品を読んでも、ほぼ無感動で退屈なのは中身がないからです。→それであれば意味を解体してしまえというのは一つの方向だと思います。我慢して読んで素晴らしいなどと言っているのは嘘くさい。
 

[4]……とある蛙[10/04 23:04]
詩(論)を求めてMEMO
「詩の方へ」から
   岩成達也著 2009思潮社刊

詩の仕組み

基本ー抒情性と行分け

言葉が素材である以上、散文になりがち
※散文→言葉の組み合わせ→意味の組み合わせ→概念の束

抒情性とは概念の表出ではないこと→感受(感情)の総体のさしだし

行分けの仕組み→行間での概念の非連続・意味の跳躍など→「内容」・「第2の意味」読み取れ

詩の成立→言葉から意味(概念)を奪う→意味を奪われた言葉の組み合わせ→第2の意味の発生
?調べによってイメージを作る
?異質の言葉の並地による第2の意味の発生
?語句や文意の脱臼によって言葉の意味を変えて行く
?言葉の意味と構文の解体、言葉の韻流化(山本陽子)
 

[3]中川達矢[2011 10/04 22:05]
どうぞ、どうぞ、どんどん書き込んでください。
もうカオスにしてしまいましょう。
みんながみんな、詩とか散文について語り合えばいいと思います。

あさってはノーベル文学賞の発表ですね。
いったい誰が受賞するのでしょう。
おそらくその作家を知るのは、受賞されてから初めて知ることでしょう、はは。
 

[2]……とある蛙[10/04 21:35]
復活ですか。おめでとうさん。ひとつ読んだ本のメモでも書込しようかな。
 

[1]中川達矢[2011 10/03 20:22]
皆様、前回は逃げてごめんなさい。
私が中川です。
ご心配かけてごめんなさい。
自戒の意を込めて復活させました。
もはやいらないスレッドなのかもしれないけれど
どうかゆるりとやっていきましょう。

ひとまず、しゃべりたいことをしゃべろう。

#田代さん、メール頂いたのにすいませんでした…、僕は元気です。
#またいつかオフ会やりましょう
 

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