【petit企画の館】/蝶としゃぼん玉(390) 連座 萬草庵 参軒目(113) 生贄合評スレ(452) ぼやき・愚痴・嘆きの野原(320) 音楽スレッドVol.2(597) よろず臨時話し合いのぼやきスレ。(402) システム関連スレ3(702) 題名だけのスレ12(658) 廃人がポツリとつぶやく部屋14(933) ながしそうめん9軒目(587) 好きなフレーズ その3(838) ことことひとこと。その2。(868) 論戦スレ。(969) 題名だけのスレに詩をつけるスレ(26) 詩がかけない〜!(313) 牌に命を刻む愚か者に捧げる麻雀スレ(127) 夢を見たら書き込むスレ2(673) コーヒースレッド(301) 食べているかい?(190) 名前の理由、聞かせてもらっていいですか?(239) [分類別リスト] [過去ログ倉庫] [すべてのスレッドを表示] Home

ケータイ優先スレ2 (雑談系)スレッドオペレーター:片野晃司
街なかでふと思いついたフレーズなどをとりあえず携帯から書き込んだり、街で出会った出来事などを書いてみたり。パソコンからもふつうに書けますが、いちおう、携帯電話からの書き込み優先、ってことで。

[895]佐々宝砂[2012 10/09 22:04]
sage
なんとなく古い話題に乗っかる。
「おられますか」という表現は静岡では普通です。静岡で生まれ育った私は「おる」という言葉に謙譲のニュアンスを感じません。でも静岡の言葉が標準語と全く同じかというともちろんそんなことはなく。

お見えですか? と尋ねる言い方について - 国語 - 教えて!goo http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7516250.html

この回答をみると『「お見えですか」とは方言でも共通語でも言いません』と書いてあるのだけど、東海地方ではよく聞く表現だよなあと思いました。実際「愛知県ではよく聞く」という回答もあります。静岡県でもよく聞きます。「いらっしゃいますか」という意味で「見えますか」という人も珍しくはありません。年齢層の高い集団(方言が多用される)では、「いらっしゃる」や「おられる」より「見える」を使う人のほうが多いくらいだと思います。
 

[894]孤蓬[2012 09/16 12:00]
sage >>893 の追記
「おる」という言葉に、必ずしも謙譲のニュアンスを私が感じなかったのは、私が育った熊本弁の影響だろうと、今、遅ればせながら気付きました。
熊本弁では、「いらっしゃる」を意味する尊敬語に、「おらす」「おんなはる」というものがあります。
「おらす」の「おら」は「おる」の未然形、「す」は尊敬の意を表す四段活用の助動詞です。
上代語にも、尊敬の助動詞「す」がありますが、熊本弁の「す」はおそらくこの上代語に起源を持つものと思われます。
また、「おんなはる」の「おん」は「おり」の撥音便、「なはる」は共通語(現代口語)の「なさる」に対応します。
くだくだと申しましたが、いずれにせよ、熊本弁において「おる」は尊敬語にも使用される語彙であり、このような背景があって、私は必ずしも「おる」に謙譲のニュアンスを感じず、「おられる」という表現にも違和感を覚えないのだということに、はたと気付いた訳です。
 

[893]孤蓬[2012 09/16 10:40]
sage 《訂正とお詫び》
>>886 で私は、
>「おる(をり)」はもともと、単に「存在する」「座っている」という意味合いだったのが、時代とともに謙譲のニュアンスが加わり
と申しましたが、この私の認識は、いささか誤っていたようです。
国語学者の大野晋は、「をり」について、「低い姿勢を保つところから、自己の動作については卑下、他人の動作については蔑視の気持ちを込めて使う」と述べています。
大野によれば、すでに奈良時代において「をり」の用例は、「自己の動作について使うのが大部分」だったということで、平安時代以降は自己の動作のほか「従者・侍女・乞食・動物など」に用いられてきたということです。
このような学者の解説から見ると、
>私自身はアナクロニズムに沈溺する性分のためか、「おる」という語そのものにア・プリオリな印象として謙譲のニュアンスを感じることはありません。
と述べた私の感覚は、「おる(をり)」に関する歴史的な用例、一般通念から外れたものであったと訂正しなければなりません。
大変失礼しました。
 

[892]小池房枝[2012 09/08 20:46]孤蓬
*** こんな敬語表現を思いつきました。***

御拙作、拝読いたしました。

#久々にはみだしエリオットしとりあそび。
 

[891]小池房枝[09/08 02:37]
sage
久しぶりに夜空を見上げると月がちょうどアルデバランと木星の直近に。オリオンも悠々と。九月。
#調子のいいこと言いやがって以外での「のたまう」をコロッと忘れていました。思い出すのに数瞬かかりました。
#敬語は尊敬とか謙譲とかほんとは嫌いです。軽過ぎるのはいや。でも軽やかなのがいい。臆することなく傲ることなくただ丁寧でありたい。何に対しても。
 

[890]深水遊脚[09/02 11:58]
sage

 「のたまう」がやや殺伐とした論争で相手を揶揄する文脈で皮肉をたっぷり絡めて用いられていたのも何度か見ました。OLさんの愚痴で上司の見当違いな発言を引くときにも「のたまう」が使われていました。なんだか「貴様」や「手前」がたどった変化をじかに見ているような気がしたので書いておきます。使用頻度としてはそれほど高くないとは思いますが。
 高貴な身分の人が周りを引っ掻きまわすような発言をして実際混乱する、その様を面白おかしく表現するのに「のたまう」が合うのかもしれません。あるいは身分に教養が伴っていない事例は昔からありふれていて、こうした皮肉や揶揄が「のたまう」の裏の意味として昔からあったのか、私にはわかりませんが、あったんだろうな、とは思います。

 それにしても、謙虚さを欠く人に対する世間の目は、どこも厳しいですね。変な謙譲表現と自己愛は、2つ合わせて、ディフェンスなのではないか、と考えるとしっくり来ます。

 とはいえ小池さんが書かれた「つたない」のニュアンスが本当の謙譲だとは思います。己をみつめて、高みに行こうとしていなければ相手がどの高みにいて、己の立ち位置はどこなのかということが本当には分かりませんから。
 

[889]孤蓬[2012 09/01 16:09]深水遊脚
sage 現代日本語において、「おる」が謙譲のニュアンスを示すことは多々ありますが、要は文脈に依存する訳ですね。
私は、「いらっしゃいます」とほぼ同義で「おられます」が使われる状況をしばしば経験しており、この言い回しに関し、現代日本語表現として特に違和感は感じません。
ただ、私自身は「おられます」より「いらっしゃいます」を常用しているように思います。

なお、自分の知らないことを他者が知っているなどは、ごく普通のことであり、逆に他者が知らないことを自分が知っているなども、ごく普通でしょう。
ただ、他者との交流のうちに「この人はいろんなことを御存じだな。博識だな」と感じることも、しばしばあります。
「博識ですね」という文言が意味するところは、文脈によって左右され、場合によっては純粋な感嘆でしょうし、場合によっては皮肉な厭味でしょう。
また、自分は真摯な賛辞として「博識ですね」と言ったつもりが、相手には不快にとられることもあるのでしょう。

「貴様」や「お前」の意味の変遷も、文字通りに言辞が用いられないアイロニー的な語法にその根があるように思います。
 

[888]小池房枝[2012 09/01 15:03]
sage 直接の関係は全然ないんですけど今、ふと、思い出したこと。話をしてて、たまたま自分の知らないことをたまたま他人が知ってると突然「博識ですねー」とか言い出す人。一体ご自身、どんだけ物知りなつもりでいたわけ?とよく思ったものです。
 

[887]小池房枝[2012 09/01 14:55]深水遊脚
sage 日本語の二人称はほんとになんでこうなんでしょうか。オマエって御前だったのでしょうしテメーも手前だったのでしょうし、真逆になるメカニズムが知りたい。裏と表の文化なのか。
「小池さーん、いらっしゃいますかー?」と聞かれたら「はーい、おりまーす」と答えちゃうので私にとって「おります」は未だ一応謙譲語です。もし仮に今、曖昧になって来てるものがあるとしたら、それは尊敬語と謙譲語の語彙の区別ではなく「謙譲」という感覚、概念そのものなのかも。言葉が時代とともに振り子が振れるようにぶれたり移り変わって行ったりする中で、見え見えの謙遜とかハイハイどうせの卑下とかは遠近で散見しますがまずちゃんと「自分」というものがなければ「謙譲」もないのでしょう。それとも存在してないのは「相手」なのかな。
 

[886]孤蓬[2012 09/01 10:44]深水遊脚
sage 物事は時代によって変化するので、今昔比較するといろいろおかしなことが起きますね。
「貴様」「お前」などの二人称はかつては敬称でしたが、現代の用法は全く逆ですし。
「おる(をり)」はもともと、単に「存在する」「座っている」という意味合いだったのが、時代とともに謙譲のニュアンスが加わり、今では「おられます」は謙譲語と尊敬語が入り混じった変な表現と見る向きもあるようです。
ただ、私自身はアナクロニズムに沈溺する性分のためか、「おる」という語そのものにア・プリオリな印象として謙譲のニュアンスを感じることはありません。
したがって「おられます」という言い回しに違和感はないですね。
それから、「申される」「参られる」という言い回しも、現代口語としては謙譲語と尊敬語の混じった変な表現になりますが、古典の世界では「申さる」も「参らる」もごく一般的に用いられていますね。
 

[885]小池房枝[2012 08/31 16:25]深水遊脚孤蓬
sage 敬語には例えば大まかに言って「尊敬」「謙譲」「丁寧」或いは「美化」等々のカテゴリーや学説があるわけですが、「尊敬」と「謙譲」の区別がけっこう行き当たりばったりになってるのか省みて私自身、「××先生?おられますよ」という表現に違和感を覚えない。こちら側の人間であるから「いらっしゃいます」ではなく「おります」、そして自分より目上乃至は先生という意味合いに対する社会通念上「〜られます」。で、「おられます」になる。
ただ、わりと多くのひとは「拙作」にしても何にしても例によってそれっぽい単語としか考えてないのかも。古語にも文法があるといわれて寝耳に水と同様、かっこ良さげな言葉だからいいじゃん、的な。自分用オンリーの謙譲語と相手方向けの尊敬語、どこかで習ったり教わったりはしてるのでしょうが、つい最近テレビで気が付くまで私もバスケは5人でするものだと知りませんでしたし。
#あ、うわぁ、今、思いついて検索かけてみましたならば、皮肉ではなく普通の文脈でやっぱりありました>「××さんの拙作」。もはやお二階、お蜜柑、おビール等々と同じ軽さですね。
 

[884]小池房枝[2012 08/31 03:41]深水遊脚孤蓬
sage 私の拙作、と書いたり言ったりしてしまうひとは「私の傑作」に対して「私の拙作」があるのでしょうか。駄作という言葉を使うのはそれこそ自尊心が許さないのか「私の駄作だってこんなにレベル高いんだぜ」という意味なのか。
拙作の拙、つたないという言葉が、もしも死語になりつつあるのだとしたら悲しい。雑だというニュアンスはなく、書き飛ばしたという意味でもなく、下手でも誠実、一生懸命。その上で尚、力、及ばず。そのことへの自覚。そんなイメージ。
#確か時代劇などでは某(それがし)同様、自身を指して拙者(せっしゃ)とも言いますから、将来的には、近未来的には、小物である、大物でない、とるに足りない人物である、という意味で「お前なんか拙者だ〜」とか言い合いっこしてたりして。「貴方にしては随分拙作ですね」とか。
 

[883]深水遊脚[08/30 15:07]
 「私の拙」といれて検索するといろいろおかしな文章がでてきます。実際に本を出版した人も「私の拙作」とやっているのをみると、大丈夫かな?と思ってしまいます。

拙作=私のつたない作品

であり、拙作に「私の」をつけると重複にならないか?調べてみたくて先に小池さんが貼って下さったリンク先を調べましたが、意外にも載っていませんでした。

 「私の」を重ねてしまうのは、謙譲表現に心を同化しきれない、ささやかな自己愛の抵抗なのかもしれず、これ以上厳密に調べるよりむしろそっと眺めるべきものにも思えてきました。

sage
 

[882]小池房枝[2012 08/20 11:00]N.K.ツふるる
sage 深更、アパートの無断花壇に水をやっていると向かいのアパートの駐車場に二段重ねで打ち捨てられたプランターがあった。オシロイバナが咲いていた。見てしまったからにはしょうがない。こっそりおすそわけの水やりに行くと、オシロイバナは下のプランターから伸びていた。多少の雨では水を得まいが下の段の土には陽も直接には当たらない。何にしても強いことだ。
#で、今朝は久々に朝方外出し帰ってくると駐車場に人が倒れていた。というか日陰でアスファルトの上に寝てた。苦しそうではなかったが、だんだん日陰が後退するのでさすがに様子を見に行った。大丈夫ですか熱射病になりますよ〜。起きた兄ちゃんはだいじょぶですだいじょぶですと繰り返していたが「ハイ、冷たい麦茶」とペットボトルを差し出すと(うちの冷蔵庫の薄いやつ)素直に受け取って飲んだようだった。退去させるのが目的ではないので朝顔など見に行って戻ると歩み去るところだった。おじぎをくれた。結局なんだったのかはわからずじまい。
 

[881]小池房枝[2012 08/19 03:28]ツ
sage 白いシャツの胸元にチョコレートエクレアを落としたっ。帰ってきてから石鹸で洗ったら落ちたっ。良かったっ。
#つやんつやんのテンパリングし立てのチョコレートのようなカブトムシを川原で見て来ました。樹液あむあむしてました。
 

[880]孤蓬[2012 08/18 00:07]
sage 日本語だとどうですかね。
私も、日本語では表現しにくい気がして英語にしたのですが。
 

[879]小池房枝[2012 08/17 23:44]
sage ダブルミーニングも含めて日本語に訳すと/日本語で表現すると/どんな感じになりますかしらん?
#嘘つきって、英語でもそういう人物って意味合いで使われるの面白いです。例えば日本語で約束破り、とかだったら約束を破ること、であっていっつも約束守らないやつ、の意味にはなりにくいはずなので。

クレタ人は嘘つきだとクレタ人が教えてクレタ。これもダブルミーニング。
 

[878]孤蓬[2012 08/17 23:41]
sage
そうですね。
ただ、his opponentがいささか説明的にも感じられるような・・・
結局、私は自分自身の作文に執着しているようですね(^^)
 

[877]N.K.[2012 08/17 23:32]
sage
A liar will call his opponent a liar.
でしょうか、シンプルに言うと。
#これも特定の個人を中傷しているように響いていましたらご寛恕を。
 

[876]孤蓬[2012 08/17 23:24]
sage
>One who always tells a lie calls another one a liar.
>A person known as a liar calls his opponent a liar.
いずれも、意味はより明確に伝わるようになったと思います。
ただ、ことわざ的な一言としては、文全体の音の調子が大事だと思うのです。
上記二つの文は、どうもことわざというより、説明文的な気がしてしまいます。
 

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 
 
スレッドを新規に作成したり、コメントを書き込むにはログインが必要です。
Home
0.1sec. ver 050714.4.0
スレッドニュース

現代詩,詩,poem,comic,掲示板,投稿,本,詩集,CD,DVD,出版,音楽,短歌,俳句,印刷,芸術,漫画,アート