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生贄合評スレ (創作系)スレッドオペレーター:いとう
試験的に作ってみます。上手く回らなかったら消します。

やり方。
1.作者が合評して欲しい作品のURLを貼り付ける。合評開始。
2.誰でも好きなことを好きなように。基本的に何でもあり。
3.なんとなく場が収まったら、次の生贄を待つ(笑)。

注1
合評される作品の作者は、合評内容に対してどのような発言権も持ちません。
つまり、自分の作品に対する発言は禁止。最初にURLを晒すだけ。
作者が特定の発言に星を入れるのも禁止します。

注2
合評中は、新たな作品のURL貼り付けを認めません。
合評は1作品に対してのみ、行っていきます。

[446]蛾兆ボルカ[02/22 22:03]
梓ゆいさん
ご批評ありがとうございます。
本作品の核となるものを捉えて、やや読みにくいかもしれない拙作にアプローチして頂き、深謝しております。
励みになります。


るるりらさん
ご批評ありがとうございます。
身内を見送りました際、お線香のあげ方の作法を通じて、親鸞の横超にふれ、感じ入ったことがあります。
横、という概念を拡げつつ丁寧な読みをしてくださり、嬉しく思います。

※拙作について締め切らせて頂きます。
次の方、どうぞ。
 

[445]るるりら[2017 02/21 15:44]
ひさしぶりに、このスレに書き込みをさせていただきます。
なぜか雪の中で、、レオナルド・ダ・ヴィンチの『モナリザ』は、何だか楽しそうな顔をしてるよねというような ことを想うのか。モナリザって 謎の微笑みなわけですが、なんだか楽しそうな顔なのか。それはモナリザが コケティッシュってことかしら?

このようことを想ってしまう話者は、映画アメリの主人公のようなところがあると思いました。なぜモナリザなんだ。おもいついちゃったのよ とりとめがないことは 楽しいよね。と、目をきょろきょろさせているような気がしました。

大きな雪片と小さな雪片は、どちらが早く地面に落ちるのか。
たまたまセレクトしたふたつの雪片 風の吹き方では まいあがるケースだってあるだろうけれど
雪という動的な景色の中で、全体に縦の動きの中にあらわれる横のながれが あらわれるのだそうだ。
話者は 幻の川のようなものを見て、その水平とともに歩きたい見たいと言っている。もしや横超?

ホワイトアウトとは また 違う感覚なのだろうなあと思う。
ホワイトイン(私の造語です。)というべき景色がそこにはある気がする。その川は 一種の覚醒の世界のような気が

いたしました。モナリザって 弥勒菩薩ぽいと 個人的には思います。 
 
 

[444]梓ゆい[2017 02/19 02:22]るるりら
私には、難しく感じる表現の箇所がある中での感想申し訳ありませんが

「ゆっくり落ちようとする雪ほど、長く滞空してきた間に融けて密度が高くなり、私の目の前にくる頃には同じぐらいの速度になるのかも知れない。
ひとひら、ひとひらが少しづつ違う速度でありながら、全体では同じような速度で降っている。」

上記の部分が、雪が降る様子を広い視点から見た一番重要な物を持っていると感じました。
 

[443]蛾兆ボルカ[02/10 18:50]
タイトル:
雪が降る

URL:
http://po-m.com/forum/i_doc.php?did=326936
よろしくお願いします。
 

[442]梓ゆい[01/14 19:54]
一括返答失礼致します。作品を深く読んで下さりありがとうございます。主観になってしまうと、見えない部分が多くなり足りなかったり、深くなることが出来ない事が嫌でも出てきます。頂いたご意見参考に再度作品を練り直します。
次の方どうぞ。
 

[441]st[2017 01/10 06:53]
>>440
さすがに鋭い指摘ですね。"痛む足を引きずって"に違和感を
感じたのは、それを見ながら何もしないのはおかしいという
ことでしょうか。それなら以下のようなエピソードを入れれば
違和感がなくなるかもしれません。

痛む足を引きずって
遠くから訪ねてくる孫娘に
お茶とお菓子を出そうとする
齢88の祖母の姿に
おもわず寄り添い支えた

その姿は神々しくて
台座に座り穏やかに微笑む
仏様よりも尊い。

二人で並び茶をすすり
縁側で転寝をする秋の午後

背中を丸めた祖母の横顔は
ゆりかごで眠る赤子のように可愛らしい。
 

[440]鵜飼千代子[2017 01/09 14:55]st
母方の祖母宅に帰省した時に食品庫の菓子鉢にいつもピーナツチョコレートが入っていたのを
思い出しました。祖母宅では好きでいつも食べていたのだと早合点していたのですが、帰省し
たらすぐに食品庫にダッシュする孫へのおもてなしに祖母が帰省する度に準備しておいたのだ
と後年母から聞いてじんわり来た事を思い出しました。

全部読んだら意味はわかるのですが、一読目は初っ端少しもたつくかな。いっそ1行目をラス
トに持ってきて調整するのもありかなと思いました。

孫からの視線で書かれていてその点では成功しているのですが、おばあちゃんの立場であれば
もう少し控え目に書いて欲しいことはなかろうか。その辺り、詩の深みになりそうな部分かな
と思いました。経験していないと考えもしないこともあります。忘れたくないこと、書いてい
きたいですね。
 

[439]st[2017 01/09 07:00]
良い詩ですね。しいて言えば、もう少し長くして
話題を追加するとか、ここは詩人の方ばかりです
から、もしポイントなどをお望みなら、詩人好み
の表現を工夫すればよいと思います。でも、詩人
好みといっても、いろいろ異なる嗜好をお持ちで
すから、むずかしいですよね。例えば童話のよう
にするとかーーー。
 

[438]梓ゆい[2017 01/06 03:30]蛾兆ボルカ鵜飼千代子st
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=324598
本年もよろしくお願い致します。
ようやくかけた違うテーマのものを出しました。
 

[437]蛾兆ボルカ[11/23 12:47]
るるりらさん

ご批評ありがとうございます。

>注1
>合評される作品の作者は、合評内容に対してどのような発言権も持ちません。

と、あります。

作者と読者ではなく、作品と読者の交流を楽しむコンセプトなのかな、と思いますので、頂いたご批評の内容に私からはコメントしませんが、本作品は批評しにくく思われた面もあったご様子。
そうした面にも言及しつつ、様々な面からご批評頂きまして、有り難く思っております。

では、次のかた、どうぞ。
 

[436]るるりら[2016 11/19 15:31]
こんにちは
『孤独な友に』
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=323979
について書かせていただきます。

まず 一連目だけで、おかずぬきで ご飯が三杯はいけそうです。
しかし、二連目以降が、いざ批評しようとすると しどろもどろとなりました。
人名が たくさんでてきており、批評をしようとすると
あらぬ方向から 狙撃されそうな 嫌な予感がします。
人物名というのは 人によって 知っている事柄に相違がでます。
したがって、蛾兆さんと 同じ物をどの程度読んできたかも 試されてしまう気もしました。なんだかそこらへんのせいで、批評する気持ちが、萎えぎみだったのですが、一連目には魅力を感じました。

≫俺の詩に3回以上出てきたひとは
俺の友だちみたいなもんだ
と、君はいう

私の場合は、これと似た感情を 読書に対して もっています。
読書というもは、書き手の感受性を読者は、追体験する感じを体験することがありますので、
読書をするのは 友達を増やすみたいなもののような気がしています。
詩作と読書との違いは、詩作は 作者からのアプローチだから、
読書よりも 詩作のほうが 友達感が強いかもしれないなと、思いました。

がんもどきは、雁の似せてあるから がんもどきだとすると、
この詩の友達のようなものは ともだちもどきかもしれず
この「君」という人物にとって 詩とはなんだろう?
極端に生き方をした様々な人名の人々のことを、ともだちもどきとして包括しようとする瞬間。
この「君」の場合は 他人を他人とは思わない時間が 詩なのかもしれない。

孤独な夜に 大勢の ともだちもどきをひきつれて
まっすぐに飛ぶ雁の群れみたいな心の飛行をしている感じがしました。
わたしには 飛行の目的はわからないけれど、
分かるようでわからない飛行、それが トリスの飛行かもしれない。

ふわりと お酒で おさめたところが こ憎いと思いました。
そして、人名を読み返して やっぱり 怖いです。なにを批評させたがっておもっておられるやら
と、思いました。ひぃ
「君」「君」というてはるけれど、蛾兆さんご自身のことを「君」というてはる気がしました。

詩の主体性を ぼんやりとさせたいのは 孤独だからかしら?
逆に、ひとりではないという詩なのかもしれないです。
 

[435]蛾兆ボルカ[11/12 20:16]
『孤独な友に』
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=323979

よろしくお願いします。


※すみません。
二ヶ所、修整しました。

どう見ても友だちじゃないんだが
まあいいや
と、君はいう

と、いう

と、君は嬉しそうにいった

と、君は嬉しそうにいう
 

[434]るるりら[2016 11/01 12:32]蛾兆ボルカ
梓ゆいさん、蛾兆ボルカさん
貴重なご意見ありがとうございます。

るるりらは スランプに悩んでおりました。
余談になりますが、いま童話を書こうとしております。
モチーフがこの詩に関係するので この詩をたたいていただくと
打開策が見えると思い こちらにあげさせていただいていた次第です。
大変、たすかりました。ありがとうございます。

十一月となりました。どうぞ
次の方、どうぞ このスレッドをお使いくださいませ。
 

[433]蛾兆ボルカ[10/26 13:01]
呼吸する椅子 /るるりらさん
>>http://po-m.com/forum/i_doc.php?did=155456&from=listbytitle.php%3Fenctt%3D%25E5%2591%25BC%25E5%2590%25B8%25E3%2581%2599%25E3%2582%258B%25E6%25A4%2585%25E5%25AD%2590

青い鳥の性質が三回語られています。


青い鳥は疾走する

その飛翔は光のように速い

青い鳥は
呼吸する椅子にしか座らない

これを鳥のイメージで頭に描こうとするとうまくいきません。

・疾走の、走るイメージが鳥イメージを邪魔します。
・光に近い速さで飛ぶなら肉眼もカメラでも見えないし、摩擦で燃えてしまいます。
・とまるのではなく、座るということが鳥のイメージを邪魔します。

希望ということの隠喩としては、鳥と希望の似ているところを示し、かつ鳥イメージも使うのが初歩的なやりかただと思うのですが、ここではそうした読みはうまくいきませんでした。
そこでこれを、「この作品はそうした詩ではないのではないか?」、と考えて、「希望」と「私がすること」の二者で考えてみました。すると、希望の象徴である青い鳥がとまるかと、「できることを日々努力する私=生きている椅子」と、「しかし瞬間的にしかとまらない光速の鳥=希望」の関係を想いました。

総合して考えますに、撞着語法の詩として、ある種のなぞなぞを解くように読むと、面白い表現として読めるように思います。
だけどごく普通には、比喩に使用したイメージの混乱により、多弁なのに弱い表現になっているようにも読めるなあ、と思いました。
 

[432]梓ゆい[10/24 17:43]
(わたし)という一言を、もう少し削った方が読みやすくなると感じました。

最後の二行部分をひとつ削る
ふたくくり目の物をひとつ削る等。
 

[431]るるりら[2016 10/24 10:09]

[430]梓ゆい[10/24 09:49]
一括書き込み失礼致します。返答ありがとうございます。父が亡くなってから時間が経過して少しずつではありますが、受け入れる事ができつつあります。今回のご意見を拝見し、身内とは言え人の事を織り混ぜて書くことの難しさを改めて痛感しました。宮沢賢治などお名前が出てきた方の作品再度拝見してみます。最後に、投稿することが中心で他の方の作品のご意見を中々書けず申し訳ありません。お時間を見つけて、できうるかぎり私も感想やご意見を書き込みさせて頂きたく思います。

次の方、作品の書き込み宜しくお願い致します。
 

[429]るるりら[2016 10/17 08:57]
>>427梓ゆいさんの作品【対話】についてです。

おはようございます。おひさしぶりです。(梓ゆいさんにとって、わたしが おひさしぶりかどうか わかないのですが、私にとって現代詩フォーラム自体が おひさしぶりなのです。)
いつだったか、梓ゆいさんは コメントで 仏壇に手を合わせてから
詩に向かうと言っておられた気がしています。今朝は、私も そうしてみました。
切ないですね。なにが 切ないかといいますと
生きてるということは、おおいに悲しいことに出会うものだし おおいにおいしいものを食べることもあれば おおいに笑うこともあるのですが、それらの激しい感情は 過去に体験した事よりも たいした感情の起伏ではない様子。そこが 切ないと 思いました。ベースにある感情の起伏は 常に あまり大きくないから この書き方をしておられる。それって いかばかりの悲しみだろうかなあと 想うのです。

生きていて、もっとも激しい感情に 突き動かされるときは、だれしも やはり 愛する人の死に向き合うときが 一番 激しい気持ちに向き合うのでははないでしようか?
わたしも父を亡くしておりますので、この詩を読んで 父の臨終のときのことや 幼い自分に遊んでくれたこと それから御馳走を喜んでいっしょに食べたこととかを 思いました。(そして、それらのことは なにげに 私も 拙詩として書いてきた事柄でもありますよ。)

ただ、梓ゆいさんのお父さまの 遺されたものって、あるいは 私の父が私に遺したものって
思い出だけだろうか?違うと思うのです。

お父さまが遺されたのは思い出ではなくて、本当は
梓ゆいさん ご自身だと思うのです。

私の文章は、詩に対する批評には なってないと思います。最近、詩と向き合う時間が少なくなっているからなのか批評なんてできません。今日は ひとりの人として書かせていただきました。
梓ゆいさんに なにかしら われをわすれてしまうくらいの とっても素敵なことが起こることを祈っています。
 

[428]蛾兆ボルカ[10/15 19:38]
>>427
梓ゆいさん
【対話】

拝読して、この詩を批評するのは難しいなあ、と思いました。

作者の存在感はよく出ているし、思いもよく伝わるように思うのですが、感動しません。傑作とは思いませんでした。
僕ごときに、その理由の解明はできないのですが、読めた範囲で僕なりに批評めいたことを書いてみます。
感性の違いによる読みおとしもあろうかと思いますが、お許しを。

まず構成ですが、よく工夫され、読者がついて行きやすくできていると思います。
現在の気持ちを、もっとも重いウエイトで決めている死の事実を、臨終の描写で描き、次に、楽しい思い出で死者への想いに別の一面を加え、深めます。
最後に死者の存在そのものの、自分にとっての重要性を語り、死者を見つめて歌います。

>少しづつ
のリフレインが、その想いの性質を詩的に語ってもいます。
少しづつ、臨終の記憶から、食欲に関わる身体反応から、存在への思考(思想)から、死者への悼みを深めています。

なのになぜ、僕は感動しないのか。
おそらくですが、僕という個人がこの詩に心打たれない理由は、お父さん個人の、ひととしての素敵さが、僕にはよくわからないからではないか、と思います。
人間技で、はたしてそれが表現できるかどうか、それはわかりません。
だけど、お父さんに何か、そのひとだけしか持たない、他人の僕すらもそのひとを悼まずにいられない何かがあるのではないか。それはこの詩には表現されていないのではないか、と、思いました。

例えば、智恵子抄の智恵子は、たった数語の詩的な言葉と、レモンをかじったという以外は、僕にとって記憶に残す価値のない女です。
でも光太郎は、そのわずかなものを文学にとどめて、智恵子を忘れがたい人物にしました。
彼女がいた以上、福島のあだたら山を素敵な山に戻さないですますことは、僕の考えでは、絶対に許されません。

また、宮沢賢治の妹は、
『あめじゅとてちてけんじゃ』
と、言った以外は、僕にとってはどうでもよい少女です。
賢治にとっては、妹がそう言おうが言うまいが、どうでも良くなかったに違いありませんが、賢治はそれを文学にとどめます。そして彼女を、僕にとって忘れがたい少女にします。

奇蹟みたいな技術の例ですけど、死者を詩で悼むとき、目指すのはそういうことなんじゃないか、と、僕は思いました。
 

[427]梓ゆい[2016 10/13 04:55]
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=322835
よろしくお願い致します。
 

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