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震災の日、何をしてましたか? 何をしましたか? (雑談系)スレッドオペレーター:いとう

後世に残す(遺す)、資料(史料)になると思ったので。

ルール1
どこにいたのか、できるだけ細かく。

ルール2
発言に対するレスは禁止。
データの蓄積を、スレッドの趣旨の中心に据えます。

[17]こうだたけみ[2014 08/27 09:50]
千代田区内の出版社で勤務中でした。
私の腕に掴まって怯えている同じ編集部の女性の表情、開いた瞳孔が目に焼きついています。
 

[16]itukamitaniji[2014 08/27 01:20]
仕事場にいました。大きくて、やかましい機械がたくさんおいてある、体育館みたいな工場をイメージしてください。

当時の私の仕事場は、外の世界とは隔絶されていました。雨が降っているのかいないのかすら、分からないほどです。

揺れも、全く感じませんでした。テレビもラジオも近くにはなく、情報も回ってきません。それでもどこかの誰かから、どうやら大きな地震があったらしいことが、何となく伝わってきた、ような記憶が曖昧ですがあります。

自分自身で、地震のことを確認したのは、仕事が終わって帰り道(もう夜の9時くらいだったでしょうか)、歩きながら携帯でSNSを確認した時です。ニュースの欄に、マグニチュード9.1だの、震度6だの書かれており、びっくりしました。しかし、その時もまだ、大事と捉えてなかったです。

帰り道に缶ビールを買って…呑気なものです、家に帰って、ビールを開けつつ、テレビを点けると、津波の映像が流れていました。そこからは、皆さんと同じ反応だと思います。
 

[13]Giton[2014 07/31 01:10]
1 職場(自営)で仕事中。

2 揺れが収まったので、従業員を直ちに帰した。そのまま定時まで作業してから帰宅難民の列に入り3時間歩いて帰宅。翌日は昼過ぎ出社して、震災関連の連絡に没頭。午前中は従業員がやってくれた。
  要するに、平常時と変らず。
 

[12]縞田みやぎ[2011 04/29 00:44]いとう
このスレッドに書き込もうとして書き始めたのですが,
恐ろしい長さになってしまったので別枠で。
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=231963

という書き込みだと趣旨に反するでしょうか。
 

[9]吉岡孝次[2011 04/10 19:11]
いた場所は、平日なので勤務先の2F(東京都港区)。
数日前にも感じたような揺れだったが、
建物が傾いたらドアが開かなくなる可能性があるので ついつい
足を運んで、自席からは遠くない2Fのドアを開放しにゆく。
開いて、廊下へ。
すると、揺れが大きくなって屋外待避を宣する声が後ろでした。
と、ここで気づく。
「階段室の1Fのドアが開かなくなったら!」
というわけで、逃げるように1F階段室のドアへ。
さて、ここでドアを開ければ事足りるというものではなくて、
開けっ放しにしておかなければならないわけなのだか、
どうやったら開けっ放しにできるのかがわからないので、とりあえず手で支える。
#ストッパーがすぐそばにあったらしいことを、直後に知った。


しばらくしてまた2Fに戻るが、余震。仕事にならない。

電車も自動車も当てにはならないと判断し、歩いて帰宅することにする。
ところが、ペーパードライバー(=ゴールドカード)なので、
どの道ををどう辿ればいいのかわからない。
会社にある道路地図とにらめっこし、帰宅路を決定したのは
結局、通常時の勤務終了時刻 て、定時退社かよ!

想定外だったのは、歩道の渋滞。
たぶん、新宿あたりについたのが午後8時くらいで、
池袋あたりについたのが、午後9時くらい。

新宿では小用を足したくて高島屋のタイムズスクエアに行ってみた。
閉店時間まぎわのアナウンスがなされていたが、店内には
いわば帰宅難民とおぼしきひとたちが多数座り込んでいた。
「シャキッとしろよ!」と今は言わなくて良かったと思っている。

小用は結局、別のビルの開いているトイレで済ませた。
そこにいたるまでの地下の階段・通路にも座り込んでいるひとたちがいた。
鉄道運行の再開を待っていたのかは、わからない。

とはいえ、連れだって会話しているのを聞く限り
徒歩組の方は意外に元気で
ただ、車道で頻繁に鳴る緊急車両のサイレンが
(救急病院の傍に住んでいて慣れっこなはずの自分に)
不慣れな不安を段々と覚えさせていた。

荒川にかかる橋を渡り、地元に着いたのが午後11時頃だったか。
ここまで来たら人だらけの大通りをなぞる必要もない。

(自転車を持たないので)休日にいつも歩き回っている街路は
夜だし、静かだった。
その静かさに安心したような記憶がある。
 

[7]小原あき[2011 03/30 12:56]小川 葉
いた場所
新潟県(下越地方)の自宅の2階。

PCで家計簿とにらめっこをしていました。
(ちょっとガス代多くねーか)と思っていたところで短い縦揺れ、長い横揺れ。
横揺れは何分も続きました。
中越地震のときと同じくらいの揺れで(もしくはそれよりも小さかったかもしれません)
すぐにおさまるかと思ったけど、なかなかおさまらないので、
こたつに潜って眠っていた愛犬を呼び起こし、ヒーターを消し、廊下に出ました。
電線や木が揺れているのを廊下から眺めていました。
呼び起こされた愛犬は廊下を楽しそうに行ったり来たり。

揺れがおさまった頃、テレビを点けその被害の大きさにびっくり。
福島には祖父母が住んでおり、ちょうどその日に両親が祖父母のところへ行っていました。
母の携帯電話や祖母の携帯電話、祖父母の家の電話に何度も電話をかけましたが、通じず。
テレビを食い入るように見ながら、祖父母の家の震度を確かめながら無事を祈っていました。

いつもより早めに夫が仕事から帰宅しました。
会社は無事だけど余震により仕事にならないとのことでした。

家の中で倒れたものなどはなかったのですが、
火を使うのが怖かったため、
夕食は冷蔵庫にあった残り物(煮物など)を食べて済まし、
ずっとテレビのニュースを見ながら
夫は妹や親戚などに電話をかけ、
わたしは姉や両親・祖父母に電話をかけていました。
その後なんとか母の携帯電話からメールが届き、みんな無事だということ。

安心して眠りについたのは良いのですが、
翌日の朝方に同じくらいの揺れがあり目が覚めました。
長野・新潟の地震です。
ベッドにしがみついてその揺れをやりすごしました。
その直後、夫の妹(夜間の勤務をしている)から電話があり、無事を確認。
朝になり、福島の祖父母と両親に電話をかけ、無事を確認しました。

両親と祖父母は病院の帰りに車の中で地震に遭い、
ものすごく怖かったと母は話していました。
両親はその日に新潟に帰ってこられましたが、
一緒にいた神奈川の叔母はいまだに電車が動かないため、帰れないでいます。
 

[6]松岡宮[2011 03/29 22:46]subaru★アオゾラ誤爆
居た場所
川崎駅そばファーストキッチン2階(商店街 京急ガードそば)

ゆっさゆっさ 小さなゆれではじまった
それがすこーしずつ大きくなっていった
隣の席の若い女性2名が
 うそ、え、こわい、とまんない、こわい、出ようよ、出よう! といいながら出て行った
そのうち揺れによってわたしの机の上のコーヒーがこぼれてきた
(しかしコーヒーが倒れるほどの揺れではない)
あわてて片付けつつ窓から下を見てみたりしていた
するとお店の方が2階にきて、外に避難してくださいと言った

コーヒー飲み干してから外に出ると人がいっぱい
京急の線路が揺れのたびにゴワンゴワンと建物にぶつかっている
駅に戻ったら川崎駅ビルが緊急点検で閉めるとのこと
JR川崎駅は駅員さんいっぱい
もちろんJR東日本はすべてとまってるというアナウンス
そのうち京急も全線とまっているので振り替えできませんという旨のアナウンス
バス停も人がいっぱい
都内の自宅まで歩くことを覚悟して、ひとまずはトイレ!
同じコトを考えている人が多くトイレは行列
ああもうすぐ 個室に入れる・・・

そのとき!
すごい余震がきた!
地震中にトイレはすべきなのかしないべきなのか判らないが
わたしはトイレは丈夫だと信じているので
すかさず和式個室に入り用を足す
余震 余震 揺れつつ 用を足す
ここでトイレが崩壊したらまぬけだなと思いつつ 生まれて初めての地震酔いも体験しつつ なんとか無事に用を足し 
都内の自宅まで歩くことにした

みちみち 写真を 撮った
その頃はまだ東北の被害もわからなくて 川崎で道路に出てきている人の顔は 苦笑とか 照れ笑いとか そんな感じだ

多摩川の河原から
鉄橋の真ん中に京浜東北線が とまっているのが 見えた
その光景がすっごく怖かった

ああ、あの鉄橋が壊れていたらどうしよう・・・・

といいつつ 何枚も写真を撮ってしまった

歩きながらauのIS01のワンセグをずっと見ていた
途中 いつのまにか足指から出血
こんな靴じゃダメだな自転車がほしいなあと思ったが 家に置き場がないなあと考え直し
島忠で歩きやすい靴を買った
道路はすでに渋滞
携帯電話も固定電話も通じない
のべ2時間ほど歩いて自宅に帰る
夫と無事を確認しあう

自宅は西へ向かう大通り沿いなので 
当日は 家の前を たくさんの帰宅困難者が 歩いていた

その後はTVやネットばかり観て 花粉症もあり 仕事はキャンセル 寝て 寝て 寝て 過ごした
IS01に地震速報アプリを入れた
 

[5]逢坂桜[2011 03/28 08:11]
いた場所:兵庫県神戸市兵庫区の山側、自宅マンション。

地震発生当時、子供の昼寝の寝かしつけをして、
2時間ドラマの再放送を見ていたら、突然、ニュースに変わった。
地震が起こったことはわかったが、
テレビはその後、ドラマに戻ることはなかった。
次々と流される地震の速報と、津波情報。
しかも津波は、警報どころか大警報が出て、範囲も広範囲で。
遠く離れた関西にありながら、津波は届くし、
旦那さんは神戸市沿岸部の埋立地で仕事中だし、で。
テレビの前から離れることもできず、目もそらせず、
部屋は子供がちらかしたまま、台所も洗い物がたんまり。
夕方、やっと旦那さんと連絡がついたが、
私の超不安を笑い、帰宅してテレビを見るまで、呆れていた。
が、テレビを見てからは一変。
阪神大震災の被災者の経験を思い出して、真剣にテレビを見ていた。
遅くまでテレビはつけっぱなしで、各局の地震・津波の続報を、
代わる代わる見ては、少しでも情報がほしかった。
ネットやチャットで、リアルタイムの情報を見ていた。
翌日は、息子の誕生会で、予定通り義母と義祖母が来訪した。
なごやかな時間だったが、テレビはつけっぱなしだった。
前日の注意報が、明石沿岸にも出ていたから、漁に出られなかったそうで、
市場に、旬のいかなごは並ばなかった。

いま、孤立した避難所の続報がないのが、気にかかる。
安否確認すら不明な、約2万人という大きな数字。
平穏な日常に感謝しつつ、自然の大きさに暗澹となる。
 

[3]小川 葉[2011 03/26 20:14]佐々宝砂あおばsubaru★
いた場所。
仙台駅東口付近の職場、オフィスビルの六階。
はじめごんごんと縦揺れがして、おわりかな?と思った瞬間、大きな横揺れ。
宮城県沖地震を体験した人から、立っていられないほどの揺れと聞いていたけれど、
まさにこういうのがきたんだね、と思いながら、
揺れがおさまるのを待っていたが、おさまりそうにないので、
誰かが声にならない声をあげ、逃げるよう促す。
けど、揺れがおさまるまで机の下でじっとしてる、という、
セオリーどおりのことをしていたけれど、あまりの揺れに怖くなり、
激しい横揺れの中、部屋を出て、非常階段を降りた。
すでに階段にはたくさんの人がいて、手すりにつかまりながら降りていく。
時々足がすくんで、お先にどうぞしながら、
降りて行ったけど、二階あたりまできたところで、
やっと揺れはおさまってきた。

それから走って、ビルの裏にある市バスの大きな駐車場に避難。
頻繁に余震が来る中、若い人たちが事務所に戻って、
社員の上着や鞄などを取りに行ってくれた。
その間にも余震、これには頭が下がったし助かった。

仙台駅の方から煙、Biviだとかエスパルだとか聞いたけど、
街にサイレンが鳴り響き、騒然としてきた。
誰かが携帯のワンセグを見てる、覗きこむと、
船が流されている、その近くにバスも見えた気がして、
ここ街中?と言うと、いや、港でしょうと、ワンセグの持ち主が苦笑する。

市バス職員から、バスの中で待機するよう、促される。
寒かったので助かった。
それにしても、妻に携帯メール(ショートメール)送信できない。
Gmailで送信したら、送信された。
しばらくするとTwitterで、同じく仙台に住む妹からDM届く。
そうかTwitterなら通信可能であることを知る。
妻にもTwitterやらせとけばよかったと後悔してると、
妻から返信、無事、あゆ(息子)も無事、と、
そのことを妹にもTwitterで返信。

それから各自、自宅待機するよう、会社からアナウンス。
帰ろうとしたら、どこからか、津波が来るので、
できるだけ高台に、という声も聞こえてきた。
仙台市街地は海から10キロ以上離れてるから、まさか、
と思ったけど、自宅近くに高松という丘の地区があるので、
とにかく家に帰ることにする。

宮町通りにはたくさんの人、
大雪が降っている、前の週にあった大きな地震後も、
雪が降っていた。そういえば、原爆が落とされた後も、
雨が降ったということを、なんとなく思い出していた。
裏口に抜け、自転車を走らせた。

家に着くと、妻と息子が家の前にいた。
隣の大家さんのおばあちゃんの無事を確認していた。
停電してたので、まずラジオと、以前登山してた時使っていた、
ガスバーナーを探したけど、家にはいるたびに強い余震あり、
出たり入ったりしてるうちに、暗くなった。

誕生日ケーキのろうそくに火をつけるも、三十分ともたない。
けれど、なんども着けて、その間にも不気味な余震。
眠れないので、酒を飲んだ。
携帯(iPhone)のバッテリーも消えて、
妻と息子が眠った。
僕は飲み続けた。朝まで眠れないと思ったけど、
朝方になると寒く、二人が眠る布団の中に入った。

水道はしばらく出ていたけど、やがて止まった。
食べものは、弁当用に作っていた炒飯や、肉野菜炒めが残ってたので、
それを食べた、けど、明日からどうなるのだろうと心配した。
それでもいつのまにか眠っていた。

翌日、ラジオと石油ストーブを見つけて、
情報と、暖と、調理はなんとかなった。灯油があったのだ。
暗くなるまでするべきことをして、
懐中電灯も電池も少し見つけて、
暗い中、焼きそばバゴーンを食べた。
限られた一杯の水を、石油ストーブで沸かして、
息子の分に入れたお湯を、妻のバゴーンに入れ、
最後に僕のバゴーンに入れて食べた。
あれが僕らが家族になってから、
最高においしい夕食となった。
余震が来て、外に出ると、
空を見上げた妻が、あれはなに!?と、
指差して叫んだ。

オリオン座が見えた。
北斗七星も、カシオペア座も、
北極星も見えた。
ふだん見えなかったものが、みるみる見えた。

その翌日の夜だっただろうか、
緊急地震速報の音がラジオから聞こえた。
息子が僕にしがみついた、揺れはこなかった、かわりに、
窓の外が明るくなって、それから家が、
ぱん、ぱん、ぱーん、と、明るく灯った。
死んだのかもしれないと思った、それは、
蛍光灯の光だったのである。

それからラジオでしか聞いていなかった、
海岸の街の現実を、映像で食い入るように見た。

ネットも通じた。
心配してくれる人からの連絡も届いた。
けれども、僕は、テレビの向こうにある、
はじめち見た映像に、
知らなかった現実に、ただひれ伏すことしか、
できなかった。

今もまだ、信じられないでいる、そのすべてを。
 

[2]虹村 凌[2011 03/22 09:14]小川 葉
いた場所。
東京都練馬区の友人宅(居候先)、軽鉄骨2階建てアパートの一階。

予備校でのバイトが終わり、春が近いので髪の毛を茶色にしようとブリーチをしていた。
ブリーチの待ち時間中が暇だったので、風呂の中で漫画を読んでいた。

全裸で逃げる気にはなれなかったので、とりあえず冷蔵庫の上の電子レンジや、
その電子レンジの上のコップ類が並んだトレイを抑える。
揺れが収まった後は、ガスが止まっていたので冷水でブリーチ剤を流した。
凍えるかと思った。
 

[1]いとう[2011 03/22 01:59]小川 葉subaru★
いた場所。
神奈川県横浜市中区。JR関内駅近くの居酒屋。地下1階。


知ってる人は知ってるけど、
今は居酒屋の店長やってます。

で、その時間、ちょうどランチも終わってそろそろディナーの準備をする頃で、
俺と料理長とランチのバイトの子が2人、4人か。たぶん。いました。

最初に揺れたときに横揺れから入ったので、
想像以上にかなり揺れはしたけど、
直下型ではないと思って結構冷静だった。
バイトの子の一人がすごく取り乱してたので、
「大丈夫だよ」と言いながら食器棚をずっと押さえてた。
あたふたしてる人には役割を与えるのが有効だと、
経験上知っていたので、
その子にも一緒に押さえてもらった。
皿が数枚割れた程度で済んだ。

揺れがおさまった後、震源地が知りたくて携帯でFMラジオを聴く。
が、情報なし。親しい人たちと連絡を取ろうとするが、
もちろん通話もメールも不能。
携帯からネットにつなげて、震源地が東北であることを知る。
関東で震度5、東北で震度7なのを把握。

ビルのブレーカーが落ちてたので、
まずはそこの回復から始める。
幸いなことに、その他被害はそれほどでもない。

30分後くらいに地区長(店長より上の人)が来る。
(いろいろ割愛)
結局そのまま営業することに。

ディナーのバイトの子たちとは、
連絡取れたり取れなかったり。
駆けつけてくれる子たちもいる。
来れなかった子もいる。

交通手段はほぼシャットアウトされてたので、
帰宅難民が街に溢れてるようで、その人たち相手に商売する。
上からいろいろ指示が飛び交う。が、もちろん錯綜している。
非常時なので朝まで店を開放しよう、というのもあれば、
こういう状況なので早く閉めて帰れる人は帰りなさいとか、
まーいろいろ。

とりあえずうちの店は閉めて帰ることに。
21時くらいになんとなくメールが復旧し始める。
安否の確認を各所に送って、妻(だけじゃないけど)の無事も、
このあたりで確認。

店を閉められたのが0時くらい。
JRは止まってたけど私営は復旧してたので、
乗り継いで家に帰る。午前2時。下北沢。
家の中も思ったより破損がなかった。
とりあえず次の日の仕事に備えて寝る。そういう一日だった。
 

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[9932]渚鳥 11/15 13:37
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