震災の日、何をしてましたか? 何をしましたか?[7]
2011 03/30 12:56
小原あき

いた場所
新潟県(下越地方)の自宅の2階。

PCで家計簿とにらめっこをしていました。
(ちょっとガス代多くねーか)と思っていたところで短い縦揺れ、長い横揺れ。
横揺れは何分も続きました。
中越地震のときと同じくらいの揺れで(もしくはそれよりも小さかったかもしれません)
すぐにおさまるかと思ったけど、なかなかおさまらないので、
こたつに潜って眠っていた愛犬を呼び起こし、ヒーターを消し、廊下に出ました。
電線や木が揺れているのを廊下から眺めていました。
呼び起こされた愛犬は廊下を楽しそうに行ったり来たり。

揺れがおさまった頃、テレビを点けその被害の大きさにびっくり。
福島には祖父母が住んでおり、ちょうどその日に両親が祖父母のところへ行っていました。
母の携帯電話や祖母の携帯電話、祖父母の家の電話に何度も電話をかけましたが、通じず。
テレビを食い入るように見ながら、祖父母の家の震度を確かめながら無事を祈っていました。

いつもより早めに夫が仕事から帰宅しました。
会社は無事だけど余震により仕事にならないとのことでした。

家の中で倒れたものなどはなかったのですが、
火を使うのが怖かったため、
夕食は冷蔵庫にあった残り物(煮物など)を食べて済まし、
ずっとテレビのニュースを見ながら
夫は妹や親戚などに電話をかけ、
わたしは姉や両親・祖父母に電話をかけていました。
その後なんとか母の携帯電話からメールが届き、みんな無事だということ。

安心して眠りについたのは良いのですが、
翌日の朝方に同じくらいの揺れがあり目が覚めました。
長野・新潟の地震です。
ベッドにしがみついてその揺れをやりすごしました。
その直後、夫の妹(夜間の勤務をしている)から電話があり、無事を確認。
朝になり、福島の祖父母と両親に電話をかけ、無事を確認しました。

両親と祖父母は病院の帰りに車の中で地震に遭い、
ものすごく怖かったと母は話していました。
両親はその日に新潟に帰ってこられましたが、
一緒にいた神奈川の叔母はいまだに電車が動かないため、帰れないでいます。
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