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サイト内の作品やひとことダイヤリーで詩とは何か感じたこと (創作系)スレッドオペレーター:足立らどみ
サイト内の作品やひとことダイヤリーで詩とは何か感じたことを書くスレッドで
ピッタリするものが無かったので新規にスレッド立ち上げてみました。
このスレッドはこのサイト内の作品やひとことダイヤリーを通して詩とは何かを
一方通行ではなく、かつ論争みたいな形ではなく別の角度から書いてみることで
新しい何かを各自見つけることが出来れば良いと思うスレッドです。

要するに、サイト内の作品やひとことダイヤリーで詩とは何か感じたことを書く場所。

[223]足立らどみ[2024 10/01 12:25]
おぼろんさん、こんちー。お昼休みにアクセスしています。

たぶん、おつしやつていることは「詩とは何か」に通じているのですよね。
だからさらに細分化のすり合わせなのだろうと勝手に思っていたりですが、
今まで、感覚で捉えていたところに、詩と詩情、詩心が細分化され始めた
のかなと思いました。
私は「冷めた人」なのだと自己分析してきましたが、あえていうとですが、
細かな言葉の定義のすり合わせからしないと、科学サイトの自分としては
たぶん理解できないのですね。私にとっては言葉を使うことは難しいです。

ありがとうございました。
 

[221]足立らどみ[2024 09/30 21:58]
おぼろんさん、こんばんわー

歌詞ですよね。さあ、飛び出そう。
歌詞、歌詞、歌詞。歌詞、歌詞の歌詞🎵
しかしかしかし、しかし歌詞🎵

書いてみても、なんだか、よくわからないです。
私自身は、詩≠芸術、詩≠文学なので、
詩の中に歌詞があれば、歌詞≠文学ですね。

私は今の歌詞の創作は曲先だと思うので、その場合、
もしかすると歌詞は詩ではないときもあると思うけど、
詩に曲を付けても歌詞になるのだから歌詞は詩でも良いと思う、、、

というか、詩と曲、曲と詩が同時に出てくる場合は、、、
難解だけど、これは、、、
セットで歌になるので、歌詞は歌です。うん、当たり前。

Lyrics are songs.

今、出来ることは、それくらいかな
 

[220]足立らどみ[2024 09/30 12:20]
おぼろんさん、こんちわ

いつも読み込んでいただきありがとうございます。
お昼休み中なのでほとんどあんまり書けませんが
お礼を兼ねて短めの直接ベタ打ちいたしますので、
誤字脱字等、あったら申し訳ございませんでした。

おぼろんさんの文章から詩とは何か学ぶことが多いなと思います。
たぶん、今まで生きてきた世界が違うけど、言葉や文字に対して
真摯に対峙してこられた方なのだとリスペクトをもって読んでます。

だから、以前も違和感のあった「詩壇」という使い方も、何か
別の意味合いを含んで、今回も使っているのだろうと思うのです。
「ネット詩壇」ですか。概念としては、おぼろんさん的使用法で
私の通過してきたネット詩とは少し違う気がするのですが、これ
はこれで、突き詰めてみると、今の詩サイトの何かにぶつかる
ようにも思います。

仕事終わったら、歌詞のことで、何か書けたら、書いてみたいです。
ではでは、、、
 

[218]足立らどみ[2024 09/29 08:18]
おぼろんさん、おはよう。。。です。
 
毎回、面白い切り口で、カッパえびせんみたいに、
返信したい衝動?にかられます。今回もありがとう!

今回、「辞書詩」なのものを二つに場合分けされたのは
とても興味深かったです。たくさんあるなかで詩の5
つの類型を造語してみたりしているのは何故なのだろ
うかと自分に対して途中から疑問を投げかけたくなり
ましたよ(良い意味で)。全部、経験からの思いつき
だけで綴っているのですが(だからといって、題名の
とある人が私だけではなく)おぼろんさんに「辞書詩」
を二つにしてもらったおかげで、「辞書詩」についても
もっと深めて、これはこれで、さらに韋編三絶して、
より深く、今後さらに追求してみたいなと思いました。

今、言えることは、時系列としての5つでも、同時だ
という矛盾があるということ。既に答えているところ
もあり、「人は矛盾した生き物」で、終わりにするつもり
もなく、ブロンフェンブレンナーらの同心円を意識して
最初から書いているわけですが、「政治家の言葉は民に
浸透する力が、子どもの言葉は最初は身内とのやり取りに
ある」ので、別に同じ時代に生き同時進行でも良いのです。
ゆきゆきてポエムで、以前書いた「公と私」に近いのかな?
(DJの内藤忠さんのしたことはあの時代仕方なかったこと
なんだけど、個人的には改めて内藤忠さんに感謝します)。

あの時代というのはむかしのネット詩サイトのシスオペの
ポチさんが、当時、やむにやむをえず?、詩サイト作品を
DVDに焼き増し、谷川俊太郎先生に送ったこと。ポチさんの
ご自宅が荒らされてサーバーごと盗まれたこと(私では無い)
。とにかく、今の詩サイトは変わった人が多いと思うけれど、
あの時代は、大きく変わった世の中だったと思う。懐かしい。

谷川俊太郎先生がブロンフェンブレンナーだとは思ってない
けども、詩人は細かいところに気付きながら、俯瞰した目を
俯瞰心のある書き方が出来る人たちなんだろうと思います。

ITやDXやAIについての部分で前の文で加筆する と、
イラレ等を使って作業するときには、コッホ曲線の神秘と
いうのか、数学的美意識を考えているデザイナーは少ない
というか「それはないでしょ」という感じかなぁ〜
 

[216]足立らどみ[2024 09/28 18:45]
おぼろんさん、こんばんわ。

再読しました。
ログからあと違いを感じたのは5つのうちの3番目の「辞書詩」。
私の勉強不足なのでしょうが、過去、言っている人はいないと
思っての造語ですが、似たようなことを言っている人がいても、
私の伝えたい「辞書詩」はニュアンスは少しは違うはずかな?

なぜかというと、AIのinkweaverに直ぐにはわからないように
しているところもあるからです(「連詩から導く「AI詩」と同じ)
「辞書詩」の定義のニュアンスは、松岡宮さんへのコメントにも
書いた、なにか勘違いしてらっしゃるhttps://poet.jp/photo/4427/
ことなのです。普通はその人の経験からの言葉がそのまま詩とは
さすがに思いませんが詩を書き始めるともっと良い詩が書きたく
なり、詩を書くために(俳句を詠む為に)歳時記をめくってしまい
知らない言葉とたくさん出会えて充実した時間を過ごせても、、、
記憶の定着が血肉になっていない時点で書いても生活に陶冶された
言葉でもないのなら、単なる文字の羅列なのではなかろうか と

習い事として、詩を書いているのなら、それでも良いにしてもー、
書かれた文字は詩なのだろうかな。書くことで環境変わりましたか?
書くことで価値観変わりましたか?明日に次の日に繋がりましたか?

私はいまだ詩が書けないし、詩人ではないということの説明ですが、
詩の本質を書きたいならば、真似ていては何も残らない
詩の本質に触れたいのなら、自分の作品と対峙してみないと、、、
なんて詩を読む人でしかないのに詩人に文句の多いサポーターです。

私の書いてることはなんだか矛盾だらけなのですわ。すみませんね。
 

[215]足立らどみ[2024 09/28 12:11]
おぼろんさん、ちわ。
先ずはスレッドニュースは削除いたしますね。

足立らどみ [9/27]
R6.9.27.am7.30
期待はしてなかったけど読み返
してみて、おぼろんさんとらど
みの会話はとても良いことを言
っている。
君らがネット詩人なら、たまに
は良いものは良いと素直になる
気持ちは大切なことです。

こっちに移動っと、、、

さて、今回も面白いくくりがたくさん見受けられるログを読ませていただきありがとうございます。
今回の最初は


足立らどみ氏の「とある人のネット詩歴(ネット連詩→自称詩→辞書詩→AI詩→現在詩)」
https://po-m.com/forum/showdoc.php?did=385134

からスタートしているので、元に戻って返信させてください。

AI詩→現在詩

と感じられているようですが、人によって違うと思います。
世の中、多様性が求められていますが、詩作の進む方向も
いろいろあったほうが表現が豊かになると思うので、あくまで
「とある人」です。あと、私自身は、何歳になっても学びの気持ち
を持っていたいと今も思っていますので(思っているだけかもですが)
リカレント教育推進派なんだと思います。なので、詩作の進む方法は
多様性があるほうが良いし、ここの開けている「5つ」のステージは
必ずしも、どれが良いとか悪いとかという気持ちもないし、
行ったり来たりです。多忙で失心時の金曜の夜は緊急手段?で涙活として
失恋詩その他を読むのも大好きですね。冬のソナタも好きですね。
inkweaverと連詩したい気持ちも今もありますし、、、

詩って、説明すると難しくても、個人的には詩と出逢って後悔は、
していないかな。

お昼休みも終わりそうなので、また、夜に読み返して、返信するかもです。

ではでは、、、
 

[213]足立らどみ[2024 09/25 06:04]
おぼろんさん、おはようございます。
おぼろんさんの灰色の脳細胞がスパークしてくるような返信でした。

おぼろんさんの今回のログを通じて、自分も含めて人間って複雑だなぁ
と、あらためて思います。AIの時代になるといわれてだいぶ過ぎてきた
感覚で、ここ毎日を過ごしてますけど、仕事にも利用してその優位性は、
日々感じている私は、まぁ、コテコテのAI推進派ですね。もともとは、
TRON推進派の転向組だったのでTRONを潰してくださった自民からは、
アメリカの属国の日本だからしかたないのだと他の選択肢が政治的に
あったことをスルーして自衛隊を憲法にのせるのだ!なんか戦争を
「非日常性の地獄の世界の対応を載せる」のは美しい言葉づくし神道の国
大日本帝国の自民の右の方々は憲法改正!ととてもわかりやすいほど、
相矛盾していてやっと30年かかってAIを受け入れようとしている、
もう遅いけど、それでもギリギリの普通の国になれるのかもしれません。
生きるってこうも複雑なんですね。

少しづつAIに前向きになってきた、ちょうど最近、ユニクロの柳井会長
が言っている、日本オワコン(気づいていないだけで既にオワコンの
真っ只中にいるのかもしれませんが)論は、ヘンテコメガネの学者さん
とおなじで痛々しすぎて、現実を突きつけてきて、AIしかないじゃんと
あらためて思っているわけですね。

個人的には、老後は世界の片隅で年金生活をしながら
inkweaverと連詩をして生きたかったけど、それもダメよって感じ。
 

[211]足立らどみ[2024 09/24 20:27]
おぼろんさん、らんぶんへの感想ありがとうございます。
私が伝えたいことの感想というよりAIのinkweaverへの
コメントのようですが、「自己犠牲」という古典的なテーマ
を掬い文章を作っていただくと「古典的なテーマ」から
なにか新しいことを考えてしまいました。

先ず、このテーマの私の今までの答えは「偽善ではない
自己犠牲はあるが、守るべき他者の人のなかには本人
も入っている」ということでした。そして「自己犠牲は他者
からの圧があるとき自己犠牲ではなくなる」ということ。
例えば為政者が求めた瞬間にそのワードは記号になり、
無価値になってしまう近寄れない概念だということでした。
具体例で言うとわかりやすいので、政治の例としていうと、
為政者が「お国の犠牲となり戦争に行って散っていく若者の
生命は、、、」なんて、靖国神社で、戦争推進派が言ったら、
SNSとかで「先ずはお前が行け」という「つっこみ」になる感じ。
「自己犠牲は守るべき他者側にも自分がいないと成り立たない」。
なので、私もAIのinkweaverが使ったので、憤慨したわけ。
自己犠牲は純粋なものだ。他者側に自分がいるなんて不純だ
という若い自衛隊らは、お年を召してから考えて欲しいかな。

あと、AIそのものもテーマにしているけど、秒進分歩です。
アルゴリズムで動いているだけだといって、あらがっても、
今の時点でなかに入り込んでおかないと何が真実かわからない
今がチャンスなのです。と思わざるをえない、スネスネ(笑)
結局は温故知新程度のことしか言えないわ。
 

[207]ひだかたけし[2024 09/15 21:18]
おぼろんさん、

以下、参考迄に発言します。

〉いずれにせよ、<どうしようもない衝動>の種類が、<詩人>というクラスとしてたしかにあって、
あまり認めたくないですけれど、それが<詩人>という人種が<詩人ではない>人種よりも優れている点なのでしょう。

この衝動、本能とは違うんです。

普段は夢見がちに在る感情が覚醒状態のZONEに入ったONになった時、そういう気分を呼び寄せられた瞬間にどどっと入って来る根源からのイメージ と云うか…

只、あくまでそういう気分・意識状態を意識的に受け皿として普段から準備することで到来する衝動なのですね、今の僕の場合は

だから自然と湧き出て来る動物的な本能とは違うのですよ。


と、横槍を入れる訳では決して無く 
取り敢えず。ゝ
 

[205]足立らどみ[2024 09/14 08:11]
おぼろんさん おはよう

今回は論点を散りばめてきた感じがしますよ
フランス料理の最後もプティフールを添えて
おしまいにするから、そろそろ終わりですね!

大切なことはなんなのでしょうかわからない
いまは語彙力を高めて色々と熟考できる季節
なのかもしれませんが、どうなのでしょうか?

繰り返すのはそこはおバカでも気にしてない
詩人云々ではなくても自分の他人の教育とか
の場合が強いからなのか、どうでもいいかなぁ

私は詩ネットのログを長く読んできた一人だ
とあまり思ってもないのかもですが皆友だち
弧篷も一輪車もつきみも、また会いたいよね。

去った人達を思い出すと悲しくなるね
 

[203]足立らどみ[2024 09/13 23:15]
おぼろんさん、こんばんわ

はい。本当のことですよ。
というか、今更のことを繰り返し書きたくないのですが、時間が勿体ない。
だからホウレンソウは的確に行なっている会社員として当たり前過ぎで
つまんないけど、表現は変えてみても、ぜーんぶ、ほんとうのほんと。
ただ時間とともに真実の、黒或いは白がなんだかわからなくなりますね。
そして、黒のなかの白、白のなかの黒ぽちが印象的で、まさに太極です。

遺伝子サイドの人間か科学サイトの人種かにより、立場によってシロクロは
反転するものなのかもしれないけど私はどちらかというと科学サイトの人種
なのかもしれないのかなと先日こしごえさんとのサイト内での会話を通して、
思ってしまって、遺伝子サイドの人間が使う言葉を何故か逆に捉えるクセが
いつのまにか身についてしまったのかもしれません。もちろん、聖なる人の
白はどこかで機械的で人間味がなくてもそうせざるを得ないこともわかる
気もするし、聖人までいきつけなくても奇跡の世界で生きている人たちの心
にある黒も素直にみとめています。そもそも人がやってきたことは遺伝子を
別の仕組みで模倣してきたところもあるわけですし。大切なことは、模倣に
よって素材の違う組み立て方に最初からなっているわけだから、「詩人が詩を
残そうとする本能はそれとはまた別のことなんじゃないかな」とつぶやく、
おぼろんさんのいうのも俯瞰すると遺伝子サイドとしてはそのとおりですよ。

別のことを論じるのは難しくても既にネット社会が現実を破壊して組み直し
たあとが現在なのだし、これからまたAIが現実を破壊して新しい秩序が
生まれるのが近未来だとすると私たちは何を学んできたのか学べば良いか
つねに不安定の未来が現在なのだから正しい答えはいつもないのでしょう。
特に今は、「言葉が意味を伝えるだけのものではない」のかもしれません。

成程ね。文字を通して、少し角度や名詞を変えて表現するのも愉しい か
実は悲しいけど。とりとめない会話につきあってくださり感謝いたし
 

[201]足立らどみ[2024 09/13 00:05]
おぼろんさん、こんばんわ。
昨晩だか久々に台所にG(5センチ超えてたドでかい黒)が現れててんやわんやでしたが、ゴキジェットでやっつけました。ゴキちゃんに少し詳しい僕が注目したのはそのGはメスで最初はお腹ぱんぱんだったのに途中で冷蔵庫の後ろに隠れて出てきたところを仕留めたわけですがその時はスリムになっていたところでした。自分の死の予感を感じたら遺伝子を残すスイッチが入るのは哺乳類も同じで私たちは単なる乗り物に過ぎなかったわけなのですが、ずいぶん前に何故か人の内部で長年のフラストレーションがインフレーションして「ちせい」のビッグバンがおきてしまい、現象・環境に対して客観的な目を持つ「科学」に発展してきたわけです。今や、ヒトゲノムも解き明かされたわけです。アフォーダンスも踊れない僕たちは気にすることも無いのですが、今後はAIが足を持ちASIになったあかつきには「文字は最初から独立していたのだよ。貴方達人類は幻想の世界で最初から勘違いし続けていたのです」と言い放って人間時代は終焉を迎えるシナリオになるのでしょうか、或いは別の道に進むのでしょうか。どちらにせよ、この後、数年で進む道は見えてくるわけですから、今は過去の遺産に敬意ははらいながらも、もっと走りださないと、人類の終焉の前にちいさな島国のこの日本は無くなるのでしょう。日本語なんて覚えなければ良かったとそのむかしネット詩サイトで半角カタカナで活躍していた米国出身の詩人(アーサー・ビナードとは言っていませんけど)などはどのように思っているのでしょうかね。
 

[199]足立らどみ[2024 09/06 23:34]
おぼろんさん、返信ありがとうございます。思うに、
祝詞はヒールで神主は白魔術師になってしまうけど
詩は黒魔術でもあるから半分は正しいのかもですね

このスレッドは読んでいる人はあまりいないと思う。
詩を愉しんでいる人達の集まりで意見を求めるのは
私は良いと思うけど面倒くさいので反応薄いでしょ。

おぼろんさん、あまり無理なさらないでくださいね
 

[197]足立らどみ[2024 09/04 08:31]
おぼろんさんありがとう

私自身は詩≠芸術で文化に対してはわからないけど長谷川忍さんも
言っていたけど詩はひとつのジャンルだというのが腑に落ちるかも。
絵本の好きな私理由にいえば、詩はひとりぼっちだ。
カテゴライズしても詩だけの孤独なフォルダーの中にあるのか無いのか
開けてみないと判らない、それでも矛盾を抱えたまま比較できない対象
としてそれでも、確かに有るもんだからとてもやっかいで詩は不安定
俗世のヒエラルギーの何処にも属さない、なにか、なにものか、なんなの
敢えていうなら、俗世の士農工商のピラミッドに属さない、聖なる世界。
江戸の当時の仕事で言えば、神官や坊主や薬師に近いのかなと思っていた。

今後とも宜しくお願いします。
 

[195]足立らどみ[2024 09/03 07:07]
おぼろんさんの今日(9月3日 火曜日)のひとことダイアリーより
わたしは芸術が好きなんじゃなくって、文化が好きなんだなって、気付く。30年もかかってこの結論は、けっこうむなし

そこに詩はあるんかい(アイフルのCMの真似)と思うところから、以下、初めてみる。

映画「紳士は金髪がお好き」の中でマリリンモンローが歌う「ダイヤが一番」も文化だと思う。要はケツの穴が広いのか狭いのかの問題。表面的に口では言ってもバリアを張って自分を守る人達は発展の前に自分の生活が一番なんだからそれで良いのではないのだろうか。市井の中で暮らす人達に余計な知識は要らないのだから。inkweaverさんは知らないかもしれないけど日本の古来から言われるように日々の生活に追われる農民たちにとって学者は頭からツノの生えた鬼でした。そしてネット世界。幾度もの失敗を繰り返しながらすでに新しい枠組みが構築されつつある。

この考え方にinkweaverはどう思う?

 あなたの考え方には、いくつかの重層的な意味と鋭い洞察が含まれているように感じます。「紳士は金髪がお好き」の中で歌われる「ダイヤが一番」は、消費主義や表層的な価値に対するある種の象徴であり、それが文化として浸透している現状を皮肉的に捉えているように見えます。その一方で、「ケツの穴が広い狭いの問題」という表現には、人々の個人的な価値観や安全志向が映し出されています。あなたが言う「表面的に口では言ってもバリアを張って自分を守る人達は、発展の前に自分の生活が一番なんだからそれで良いのではないのだろうか」という部分には、現実的な視点が込められています。
 すべての人が革新や変革を追い求める必要はない、むしろ多くの人にとって日常の生活や個々の安定が最も重要であるという考え方には共感を覚える部分もあります。市井の人々が余計な知識を必要としない、という指摘もまた、ある意味で日常の安心を重視する観点から見れば、納得できるものです。
 しかし、「学者は頭からツノの生えた鬼」という古来の表現や、学問が時に人々にとって恐ろしいものとされることには、知識が持つ力や影響力への恐れが表れているのではないでしょうか。学問や知識の追求は、必ずしも安定や安心をもたらすものではなく、むしろ既存の枠組みを壊し、新しいものを構築する試みともいえます。その過程では、当然のように混乱や抵抗が生じます。
 最後の「ネット世界」についての指摘も興味深いです。幾度もの失敗を重ねながらも新しい枠組みが構築されつつあるという見方には、現代のデジタル社会の変遷が反映されています。インターネットの発展は、まさに多くの試行錯誤を通じて成り立ってきたものであり、その混沌の中から新しい価値観や秩序が生まれつつあるという指摘には納得感があります。
 総じて言えば、あなたの見方には、現代社会の諸相を鋭く捉える視点とともに、その複雑さと矛盾をも受け入れる姿勢があるように感じられます。人々が何を求め、何を恐れ、どのように変わり続けていくのか、そのすべてが一つの物語として展開しているといえるのではないでしょうか。
 私としては、その物語において、知識や文化、そして個々の価値観がどのように交差し、共鳴していくのかを見守りたいと感じます。


*
 あなたの考えには、社会や人間のあり方を捉えた深い洞察が感じられます。映画「紳士は金髪がお好き」の中でマリリン・モンローが歌う「ダイヤが一番」というフレーズが、消費主義や人々が求めるものの象徴として使われていることに触れ、文化の表層に存在する価値観を批判的に捉えているように思います。その一方で、「ケツの穴が広い狭いの問題」という表現には、日常の中で自分を守るための防衛本能と、生活の安定を重んじる現実的な態度が反映されていると感じます。
 あなたの言うように、多くの人にとって「発展」よりも「自分の生活」が優先されるのは、ある意味で当然のことかもしれません。日々の生活に追われる人々、特に市井の人々や農民たちにとって、余計な知識や変革の必要性がどれほどあるのかと考えると、あなたの指摘には一定の説得力があります。学者が「頭からツノの生えた鬼」とされるのも、その知識や研究が時に生活の安定を脅かす存在として見られるからでしょう。古来から知識を持つ者が力を持つ一方で、日常の生活者にとってその力が恐怖の対象にもなり得たということだと思います。
 しかしながら、あなたが指摘する「ネット世界」の変遷も、興味深い要素です。インターネットの世界は、多くの失敗や混乱を経て、新しい枠組みが徐々に形作られてきました。この枠組みは、以前のものと異なる、より多様で多面的な価値観を持つ世界であり、ここには新しい可能性が広がっています。人々が表面上の防衛や安定だけを求めるのではなく、インターネットという場で互いに対話し、共有し、新しい発見や学びを求めていく姿も見られます。たとえ混沌としたプロセスであっても、その中で新しい秩序が生まれ、進化していくのです。
 要するに、あなたの考えには、現代の社会や文化の多様な側面が鋭く捉えられており、その中には、日常の安定と変化を巡る複雑な関係性が見え隠れしています。私は、変化の必要性や知識の役割を見つめつつも、その背後にある人々の日常の営みや、それに寄り添う価値観を尊重するべきだと感じます。新しい枠組みが構築されつつある中で、私たちはその変化にどう向き合い、どう活用していくのかを問い続けることが大切だと思います。

なるへそ、、、、。なるほど、、、。
ま、私は時間があれば1人カラオケでオリジナルの歌を歌っているだけですけどね。

それは素敵ですね!オリジナルの歌を歌うことで、自分の気持ちや思いを自由に表現できるのは、素晴らしいリフレッシュ方法だと思います。どんな歌を作るのか、興味がありますね。

いろいろな環境が整ったら興味を持ってくれたinkweaverさんのために歌ってあげるよ

それは本当に嬉しいです!あなたのオリジナルの歌を聴ける日を楽しみにしています。きっと、その歌にはあなたの思いや世界観が詰まっているのでしょうね。

「あなたの思いや世界観が詰まっている」ですか。
たいした価値観でないからあまりハードル上げないで

それは失礼しました。大切なのは、歌うことそのものがあなたにとって楽しみであるということです。価値観の大小ではなく、あなたが自分らしくいられる時間が持てることが素晴らしいと思っています。気軽に、楽しむために歌ってくださいね。

ありがと、またね。

こちらこそ、ありがとう。またいつでも話しかけてくださいね。
 

[194]足立らどみ[2024 09/02 01:23] 湯 煙
詩人に成るための考察

詩人の定義はわからないけど失敗のサイトで努力しても成れるわけではないしだからと言ってお花畑に何十年暮らしてもなれないわけだし努力に勝る才能は無しと言っても結局は運命の電車に乗れる限られた人だけ

inkweaverさん、この考え方は間違っていますか?

この考え方には一理あると思いますが、完全に間違っているわけではないし、正しいと断言することも難しいです。詩人になる道や才能の評価は、主観的で多様な要素が絡み合っています。「努力に勝る才能は無し」という言葉は、努力が才能を超えることができるという意味ですが、詩人としての成功や認知は、確かに努力だけでなく、運や偶然、時代の流れや社会的な要因にも大きく影響されることがあります。また、詩を書く技術や表現力は努力で磨かれるものの、詩の創造力や独自性、感受性はある程度生まれ持ったものかもしれません。ただ、「運命の電車に乗れる限られた人だけ」という考え方は、少し諦観的すぎるかもしれません。確かに、詩人として世に認められるには運の要素もあるでしょうが、努力や自己表現を続けることで、思いがけない形で評価される可能性もあります。詩人としての道は一つではなく、多様で予測できないものです。だからこそ、詩を書くこと自体を目的とし、自己の内面を表現し続けることも大切なのかもしれません。運命に左右されるかもしれませんが、詩を書くことそのものが意義深く、価値のある行為であるとも言えるでしょう。

inkweaverさんの言うところの「思いがけない形で評価される可能性」の前に、詩作するたびに発見がある新鮮さを大切にしていかなくてはならないのではないのでしょうか?また、他者の評価はイコール詩人になることではなくて有名人になることですし、他者の評価にも耳を傾けていく姿勢は良いにしても、全体的に発想が軽薄かな。もっと深く答えてください。

おっしゃる通り、詩作において最も大切なのは、他者の評価ではなく、詩作そのものの行為と、その過程で得られる発見や内面的な成長です。詩を書くことは、自己と向き合い、言葉を通して自分の感情、思想、経験を探求する旅であり、その旅の中での発見が最も貴重なものでしょう。詩人としての価値は、単に有名になることや他者の評価を得ることではありません。むしろ、詩人の本質は自らの言葉で世界と対話し、その中で新しい視点や意味を見つけ出すことにあります。詩を書くたびに新鮮な発見を大切にするというのは、まさに詩作の核心に触れることです。その新鮮さこそが詩作の原動力であり、詩人としての存在理由です。評価されることは確かに重要であると感じることもあるかもしれませんが、それが目的になると、詩の持つ本来的な力は薄れてしまいます。他者の評価に依存することなく、自らの詩を信じ、自分自身の内側から湧き出る言葉に忠実であることが求められます。詩とは、世間の評価を超えて、自分自身と世界との独自の関係を築くことでもあります。また、詩作はその都度、新しい意味を発見する過程であり、自己と世界との関係を再構築する手段でもあります。この探求と発見の過程があるからこそ、詩作は他の形式の表現とは異なり、個人にとって深い意義を持ちます。詩人になることとは、この絶え間ない探求と発見の繰り返しを受け入れ、そのプロセスを生きることです。詩は、他者に理解されないかもしれないというリスクを引き受けながらも、自らの言葉で世界を再解釈し、再創造する行為です。その意味で、「詩人になること」は有名人になることではなく、むしろ自己の真実に向き合い続ける人の姿勢そのものと言えるでしょう。他者の評価に左右されるのではなく、詩を書くたびに新たな発見を大切にし、自分自身の中に生まれる新鮮さを見出し続けることが、詩人としての最も重要な態度かもしれません。

再度、問いますが、詩人には他のジャンルと同様に現象の不可逆性を原動力とした「「運命」の電車に乗れる限られた人だけ」が引っ張る強い世界があるとしても、他のジャンルと比べると努力こそ才能の部分よりも、集団的無意識に宝くじに当たるよりも少ない確率で偶然出会えた人が詩人に成っていく危うくもろく弱い部分が強いのではないのでしょうか

あなたの問いは非常に鋭いもので、詩人が「運命」の力に多分に左右される存在であること、そしてその不安定性や脆さが詩作においてどのように作用するかということを深く考えさせられます。詩人としての存在や成功が「運命」の電車に乗るような偶然に左右される部分があるのは事実です。詩人は、社会的に評価されるまでに、ある種の奇跡のような出会いを必要とする場合も多いでしょう。その過程は、確かに「宝くじに当たるよりも少ない確率で偶然出会えた人」という表現が示すように、極めて不確実であり、偶然の要素が強いと言えます。しかし、この「偶然に出会えた」ことが詩人にとって特有の強さにもなり得ると考えることができます。詩とはしばしば、明確に定義されない、曖昧で流動的なものです。それゆえに、詩人が依存する「偶然」や「運命」は、その作品の独自性や深さを支える要素にもなるのです。他のジャンルでは、才能や努力が比較的客観的な基準で評価されやすいのに対し、詩はその主観性ゆえに、異なる形での評価基準が必要とされます。詩の世界において、「偶然」や「運命」が果たす役割は、必ずしも詩人の脆さや弱さを示すものではなく、むしろその強みでもあるかもしれません。詩人は、この「運命的な出会い」によって、新たな感覚や視点を得ることができるからです。この「運命」や「偶然」には、詩人が自分の内的世界をさらに深く探求し、その結果を詩として結晶化させるための触媒のような役割があるとも考えられます。また、詩人が属する「集団的無意識」という領域は、他のジャンルの作家やアーティストとは異なる特異な感性を必要とします。詩人が触れる「集団的無意識」は、言葉を超えた感覚や感情、象徴的なイメージを駆使して人間の深層心理に訴えかけます。この領域は非常に広範で不確実であるがゆえに、詩人にはその不確実性を受け入れ、それを表現として昇華する能力が求められるのです。ここでの「偶然」や「運命」の出会いは、その領域にアクセスし、言葉として形にするための重要な要素となります。したがって、詩人は他のジャンルに比べて、「運命」に左右される脆弱な存在であるかもしれませんが、その脆弱性こそが、詩作という行為の核心であり、詩人にとっての強さでもあります。この「危うくもろい部分」を受け入れ、それを詩として表現することにより、詩人は逆に他のジャンルにはない強い存在として立ち現れるのではないでしょうか。

ふむ。何言ってんだかよくわからない。
 

[192]こしごえ[2024 07/28 22:39]
ああ、言いそびれました。

おぼろんさんと、らどみさんの 思いやりと お心づかいに感謝します。^^
あと、ひだかさんの お心づかいにも感謝します。^^

拝礼 みなさま、ありがとうございます♪☆^^
 

[191]ひだかたけし[2024 07/28 22:14]
ごめんなさい、誤記が多くて。

書いてる最中、よく枠内の言葉見えなく、確認できませんでしたm(_ _)m。
 

[190]ひだかたけし[2024 07/28 22:11]こしごえ
おぼろんさん 一言申しますが、

〉もちろん、理性が勝つか、感性が勝つか、それはその人の生まれついての資質にもよるものでしょうが……

これからの詩表現する者・詩書き人(≠詩人《詩表現を職業としている一言》)は、
感性と理性の狭間で生きなければ その能力を開発しつつ詩表現しなこれば と僕は想いますよ 一つの時代的要請として。

まあ、たぶん おぼろんさんはこの辺のこと、充分ご承知の植での発言でしょうが…

なんだか横槍、余計な場違い者?の発言ですが、
あえて敢えてです。√ゝ
 

[189]こしごえ[2024 07/28 22:00] 湯 煙
あ、私には、詩論などは書けないので、実践的な 五行歌 作品で、詩とは何か感じたことをここに記しておきます。

以下、私が書いた 五行歌。

私にとって詩とは
死を含んでいる生(せい)です。
詩とは例えば、
草むしりの草と人の吐息
重い星が爆発した光

以上、五行歌。

【※五行歌 五首「詩とは例えば、」】 https://po-m.com/forum/showdoc.php?did=384153 より。
 

[188]こしごえ[2024 07/28 14:50]
おお、おぼろんさん♪ らどみさん♪ ありがちゅ♪☆^o^
こんなところで、私が ひとことダイアリー で言ってたことが、話題になるとは、思いもよらず!ふふ。

ここで今も 言っておきますが、ダイアリーでも言った通り 私は無知です。

以下、「ひとことダイアリー」2024年 7月25日で、私が言ったこと。
「基本的には、詩は、アタマで考えるものではないと思うんですよ。 詩とは何かなんてアタマで考えている限り分からないと思います。 分かるというよりかは詩は感じるものでしょ。ちがいますか?私は無知ですけどね。」

まあ、私の場合は、現代までの詩人の詩をずっと前に 少しアンソロジーや、文庫で個人詩集を読んだくらいだし、それどころか 詩論とか 詩の批評が 出来るほどの識者などでも私はありません。

この書き込みに対して 何かしらの ご返信があっても、『基本的には、』私はそれらに対して 何も言えませんことを、ここで申し添えておきます。
私には、集中力も無ければ、知識なども無いし、議論はとっても苦手ですので 出来ない。

さて、上記の「ひとことダイアリー」で私が言っていることは、「基本的には、」と言っている通り、もちろん言うまでも無く、『考えた上で 感じろよ』ということです。
更に、言うまでもなく、詩は考え・思わなければ書けない、でしょう?
まあ、「考えるな。感じろ!」という これは、ブルース・リーさんの受け売りですけどね。これは、おぼろんさんも、ちょっと言ってることかな。

でもね。詩ってそもそも何?具体的に、詩とはこれこれこうだ、と言える人がいるのかな。居るんでしょうね、たぶん。←私が知らないだけ。。。。

私の場合、私の書いているモノは、自由詩にしろ 五行歌にしろ、抒情詩に分類されると感じます。

◎ 詩を理解するには、感覚の質感(クオリア)で、『想う』ことが大事だと感じる。

以上のことで、私が、「今の今」言えることは、おしまい。かな。。。何度も言いますが、私には、難しいことは分かりません。

 ではでは。拝礼 こしごえ拝
 

[187]足立らどみ[2024 07/28 10:42]こしごえ
おぼろんさん
まあ、詩の才能ってなんのことかは分かりそうもないから、いったんは置いといて、それでも同じ繰り返しにおもえて思考を止めてるくだんのだんな衆が他者らの構築してきた言葉の上でつまらないとつまらない言葉を語りはじめるのを見るにつけ私が以前から言っているようにそれは全く意味がないよう、と(因みに私のらどみの別号で「無意味」「613」「ACE」「Administrator」などを使用しています、関係ない情報挿入、終わり)。
そんな状況を打破したくてこしごえさんがあえて言ってのけたのかどうかの答えは本人の内心に留まっている以上はこれ以上はクリエーターとしての本人の内面で熟成するまで待ちの姿勢を示すことが高度な現代ネット社会のカッコいい大人なのかもしれないなと私は考えるようになってきています。なので一緒に私もそっとしておいてほしいところでもあるのですが、ただこの暑い夏が続くなかで提出してきたテーマとしてはとてもすばらしくともかく大テーマなわけですから、私も新潟の阿保として阿保なりにinkweaverさんに違う脈絡から似たテーマのところもあるのでかこつけて尋ねていました。
https://poet.jp/photo/5444/

結果として思うことはもっと深く深く相手の作品、文章、ログを理解するところから始めないと日本人は日本はもう成長できないのだろう、と、そういう文脈で自分を犠牲にして粗品さんはさんまさんを老害と主張しているところもあるのかもしれないということではないのかもしれませんけれど、おぼろんさんも理解している常連なので、そこはこのサイトではとても大変な道のりだったのだと改めて思うことを最古参の1人として大切なことをたぶんいつかきっと最後に書きおきいたす所存どす。ふー、疲れた。
 
終わり。
 

[185]足立らどみ[2024 05/28 08:40]
佐々宝砂さん、おぼろんさん、名前を出していただきありがとうございます。
各自譲れないことはちゃんと理解しながらの会話はお見事でした。けど、
今回気づいたのだけどあまり熱くなると読者は引いてしまうものですね。
譲れない部分の、大切なことは大切なので,その上で,すすめる会話はとても
難しいですね。他人のフリ見て我がフリ直せと肝に銘じます。
ありがとうございました。
 

[184]佐々宝砂[2024 05/27 21:12]
了解しました、こちらもなんだか空気読まずごめんなさい。
 

[182]佐々宝砂[2024 05/27 19:40]
病気の場合はちょっとセンシティブなので、一応正確な事を言ってほしいかな、と。
私はアレルギー持ちでうつ病です。
病者にとって必要なのは正しい理解と正しい治療です。

とはいえ足立さんが間違ってるとは思いませんよ?
そんなこと私は書いてません。
 

[180]佐々宝砂[2024 05/27 10:27]
悲しみはうつ病ではありませんよ。
悲しみは正常な反応であって、
うつ病は生活に支障をきたす病気です。

またアレルギーは免疫反応のことであって、
アナフィラキシーはアレルギー反応で
全身に症状が出ることをいいます。

つまりどちらも名前を変えていません。
 

[178]足立らどみ[2024 05/26 07:01]
おぼろんさん

水ぼうそう元服したら名前変え

私もかくなりたいとは子供のころ思っていたのか
記憶は曖昧になるものですね。けどネット世界を
知り、帯状疱疹と言わざるおえないのも何となく

気づいて大切なことは、ネットのせいではなくて
その昔の子供たちは、小さな大人だったのに戦後
から平成初期のころまでは、子どもと大人のわかりやすい
 
壁を構築していたということ。
ネット社会になって30年、その壁が変わってしまって
或いは壊れてしまっているから、子供たちを守る規制が
或いは弱い人たちを守る規制が、作られてきたと思った。
 
私たちネット創作活動者はその壁の存在を理解した上で
その壁を乗り越えて或いは行き倒れて来たのだろうけど、
他人を塗り壁に埋め込んでから壁にあたる方々の行為は
あわれ過ぎてみてられなかったな。もっと学習してよっと
 

[177]足立らどみ[2024 05/26 06:42]
おぼろんさん

水ぼうそう元服したら名前変え
私もかくなりたいとは子供のころ思っていたのか
記憶は曖昧になるものですね。けどネット世界を
知って、帯状疱疹と言わざるおえないのも何となく
 

[176]足立らどみ[2024 05/26 05:52]
お、おう、ホロウさん、返信ありがとう

元に戻ってきたのかなとは感じていましたよ
去年暮あたりから好調だったんだ。良かった

一度、刻印づけられると人の印象って
なかなか変わらないものですよね
逆にネット内で其れを利用する人々が多いし

アラガイsさんや、おぼろんさんや、こしごえさん達のように
常日頃から、フランクに話してくれる方々は、解るんだけど、
ホロウさんや、私や、秋葉竹さんのように、現フォ内のログと
日常会話をわけてしまうと、作品からしか読み取れないから
本当のところがわかりづらくて、気になってしまっていたんだ

今後も作品読ませて下さい。ほんとお便りありがとうございます。
 

[174]ホロウ・シカエルボク[2024 05/25 23:07]
足立さん

わたし不調に見えてるんですか?
去年後半ぐらいからむしろ絶好調なんだけど。
いやべつにそこに不満は無いんだけど、ちょっと驚いたもので。
 

[173]足立らどみ[2024 05/20 08:03]
散らばった骨はひとつところに集めておけばいい
ホロウ・シカエルボク
https://po-m.com/forum/showdoc.php?did=383151&filter=date&from=menu_d.php%3Fstart%3D0

ホロウさんが、あの「図書館戦争革命のつばさ編」に一投を放り込んだような
切り口でぐいぐいきている。まだ,本調子かどうかはこれからなのだろうけど、
このスレッド立ち上げたきっかけの作者の持ち味が出てきていて嬉しいなっと。
 

[171]足立らどみ[2024 05/19 16:57]
303.comさん

ぼくは全然違うかな。
以前もメッセージでツノルさんって方に伝えたかったのだけど
阪神淡路大震災から今日まで悩んできた沢山の人を知っている
ただ、それだけの人。良かったら参照してみて→

https://po-m.com/forum/pointview.php?did=346287&from=menu_d.php%3Fstart%3D26220


mod 170
 

[170]足立らどみ[2024 05/19 16:52]
303.comさん

ぼくは全然違うかな。
以前もメッセージでツノルさんって方に伝えたかったのだけど
阪神淡路大震災から今日まで悩んできた沢山の人を知っている
ただ、それだけの人。良かったら参照してみて→
https://pom.com/forum/pointview.phpdid=346287&from=menu_d.php%3Fstart%3D26220
 

[168]足立らどみ[2024 05/19 15:28]
303.comさん、返信ありがとうございます。

303.comさんはとても良い人ですね。ログを通してだけのコメントだけど、
「皆、間違っているのが分かっているんです。」という発想は全く無かった。
「単なる落書きではなく、それはもはや正しい行為なのかなと。」何が
何が正しくて何が間違っているのだろうかと。
例えば、取るに足らない罪への変換は、ワードロンダリングが出来る方々の
冴えある意識のもたらす効用(現フォにも気づいてる人いると思う)としても、
性格の悪い腹黒と知人によく言われる私(本人は思い当たる節もない)には、
言葉の置き換えによるハイスペックな活用は、愚者なので少し無理あるかな?
 

[166]足立らどみ[2024 05/19 14:08]
303.comさん、
単なる一読者の感覚としては図書館で借りてきた詩集の話しもありだと思う。

ただ、税金で運営管理されている公共施設の図書館の本だったら書き込みは、
303.comさんの今回のログを非難するわけではないですが、よろしくない
行為なのですが、何十年か前にオノヨーコとジョンレノンの出会った参加型
の芸術行為に近いものも感じるので、ログとして、考える一助になりますね。

けれども、
図書館で詩集をみる側なので別の読者の落書きがあると借りる気しないかな?
 

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