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★【告知1/2】 一.下記の語群から30個の語句をすべて使って1作品を書きます。 ニ.作品は、幻想詩です。 以上、二点の縛りがかかりますので、よく下記語群をご検討ください。 (一の違反は失格とします。ニは、複数投稿可で2つめからジャンル超えても可です) (下記語群は、本日夜 12時に確定とします) このままでよろしいでしょうか? ――< 飴、暗号(呪文)、雨滴、映写機、エーテル(錬金術)、押入れ、 龍(バッグ)、カード、缶詰、合羽(傘)、記憶、傷、霧の夜、近所(近隣)、幸運、琴(なにか楽器) 匙(スプーン)、時間、水槽、接着剤、ゼンマイ、 血、電池、壺、 白鯨、腹痛、ふたり、108(任意の数字)、 薔薇、舟(船)、山高帽(帽子)、 勾玉、 >―― ★【告知2/2】 人間関係を、一人ひとつ、出して下さい、といいましたが、 幻想(詩)なので、人間関係でなくとも舞台(例:病院とか、学校とか、ある日の夏とか) でオーケーです。 【つぎの条件を追加します】 何か、舞台や人間関係を、一人一個以上出して下さい。(本日中) (皆さんから出された、舞台設定などは、全部盛り込みではなく、1つ選択式です。 中から1個だけ選んで、作品中に織り込んでください。1個は必須です) 【では、私から1つ】 【人間】/大人の男女が出てくる 【舞台】/時間が交錯します (まだ、私も含めて作品の構想がないと思いますので、いろいろ投げておく方がよいでしょう。何となくざっくりしたものを最初は出しておきますね。思いついたらまたレスします。) (本日夜、これしか出てないときは、これだけが確定します。ご注意) ★本日中は、この【舞台/人間関係】設定は、どんどん投げ込んで構いません。 ★★【創作ルール確認】 一、確定した語群32個のうち30個をすべて作品中に盛り込むこと。 一、確定した【舞台】の中から最低1個を作品中に盛り込むこと。 一、【舞台】は、【人間関係】でもよい。 一、必ず一本目は、幻想詩とする。二本目からジャンルフリー(複数投稿可) 一、本日(4月5日)夜12時に語群と設定は確定する。翌日より創作スタート。(13日締切) * by ハァモニィベル 参照先不明 >読解パーティー って何? >べるたん、感想と批評について >君の違いはどこにある? 簡単だよ。ごんぎつねを撃つのが感想で、ごんぎつねだと洞察するのが批評だよ。 この自分の洞察に自信がない輩が、批評という銃器を弄る真似事をすると、暴発まがいの暴言を吐くんだろーな。 どこかの「読解パーティー」なんて聞くと、 きっと、むかしの子どもが正月にやった、《福笑い》のようなものだろうと、 俺が予測批評したりするのはマズイかな? それにしても、 変だな メビのときより、俺はカイトの姿を見ないぞ。 by ハァモニィベル 参照先不明 参照先不明 参照先不明 ● ベルさんへ 深層的人間ってなんでしょう? ベルさんの企画でテーマがエトワールで、題を掲示してから詩を書くというのがありましたが、 そのうちのひとつに、ハァモニィベルさんの『深層放射路』というのが有りました。 「深層」って言葉がお好きなのかなあ。情報には二通りあって デジタルと アナログが有ると思うんです。 ウィキでパソパソとパソコンでデジタルな情報を集めるのは簡単なことで 「1960年」「深層的人間」で下記のようなことがあがってきました。これらをアナログになおさないと知識には ならないので、深層的人間ってなんなのか 教えてほしいです。 フィリップ・アリエスの『〈子供〉の誕生』(1960年)、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%80%88%E5%AD%90%E4%BE%9B%E3%80%89%E3%81%AE%E8%AA%95%E7%94%9F ミシェル・フーコーの『狂気の歴史』(1961年)、 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%82%E6%B0%97%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2 by るるりら 参照先不明 「星とたんぽぽ」 ねぇエトワール 見て御覧 中芯は 中空に在るよ 精一杯 背伸びする風の最果て つかめぬものを つかもうする指先 いちめんに咲く たんぽほのロゼットが地面をつかむ すべてのこどもだちが 飛べる空は まっすぐだ 天空だよ 嗚呼エトワール いつだって見ているよ 君が示しているのは あの空だね 雨の日も 心の中で見ていたよ 放射状にまとわりついている こどもたちの行く末を どの子もいとし子だ どの子も 中空に居てくれた 背筋を伸ばして まっすぐに立つよ 空が晴れたら きっと 子らは 旅立つ 子どもたちよ どうぞ思い出しておくれ きみらはみんな 中空に居た 光の一切さしこまぬ場所に行こうとも 思い出すことが辛くとも 思い出しておくれ 選ばれた晴れの日の今、君は 空に舞い上がる psハァモニィベルさんへ お誕生日おめでとうございます。 ハァモニィベルさんの一年が幸と稔の多い一年でありますように祈ります。 尚、 書きこみ量制限オーバーのため 過去の書き込み欄を訂正した形で、こちらに詩を置きました by るるりら 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 渚さん さっそくプチ企画ありがとう。 >これらからイメージするもの だから、むしろそれらの語を繰り込まない方がオシャレでしょうね。 いま、冷蔵庫が空なので餓死しない内に食料をGETしに行ってきます。 食事と買い物をしながらあれやこれやイメージしてみます。ではまた。 * by ハァモニィベル 参照先不明 参照先不明 # 蛾兆さんの『1時間目、理科』について 読んだ感じでは、1時間目というより「五時間目」という感じなのは、 次の点が、構成上疑問だからです。 >説明する、とは何ですか とあり、結局 >では説明とは何か、宿題にします とあり、そして、 提出されたレポートが >〔○○」の説明 となっているのは、何なのだろう。という疑問です。 説明とは何か(という質問に)―→○○についての説明(で答える) という作りでしたが、 ここには、 私としては、(説明についての説明)と来るか、 あるいは、(ベンチの説明=ベンチが語る説明についての説明) というようになってないと、しっくりこないわけでした。 この点は、明らかに、ベンチ以下項目についての説明になっています。 この構成上の捩れを、説明する必要のある作品かも知れません。 * # 作中の趣向については、マグネシウムについて述べたように好印象なのはいうまでもありません。 by ハァモニィベル >>535 渚さん 私のコメントは私の考えや印象を表明してるだけのことに過ぎないから 気にしないでね。ピンと来なければ、無視してください。 例えば下のようなコメントね まあ、おっしゃるように 単純な羅列ではなく、思いや意味があるんだろーなと感じたので そこは詩があるわけだから、むしろ、そこを丁寧に詩にするか、 まったく隠した表現にするほうが、作品を壊さないかな、と私的には感じた。 といったことなど、コメントに凹むことはないし、凹む人は面倒だよね。 渚さんの「詩歴が浅」いって言葉に傷つく、詩歴が長いヘタな人もいるんじゃないかな。だから、そこまで気にしてたら、こっちがヘタになっちゃう気がするな、(私はね)。 こう言うのは、私が自分をウマイと自惚れてるわけじゃないよ。 凹んだり自惚れたりする人ってのは、 他者の言葉を、他者の意味で理解できない人だから。 ま、これも、私の言葉を私の意味で理解して欲しいけどね。 私の勝手な意見に 傷つく場合は、るるりらさんみたいに、コメントを拒絶してくれれば 問題起こらないよ。 * by ハァモニィベル 参照先不明 参照先不明 >>540 蛾兆さんへ(追記です) 「より」で、レポートの一部から抜粋 というニュアンスを読み取ることができましたが、 散文詩であって、なおかつ、「説明とは」という主題を 作品の中で含んでしまったので、 その(一部より)だけだと、(曖昧な詩の場合と違って) 捻れ感を払拭するには弱い、というのが私の読んだ感触でした。 先生の設定如何で、スムーズな流れの作品になるかもしれません(賢治にするとか) 蛾兆さんのニュアンスを活かすなら、タイトルは、「一時間目、理科」 より、「理科、一時間目」のが雰囲気が増すように思いました。 * by ハァモニィベル # 黒髪さん、渚鳥さん 参加ありがとうございます。 黒髪さんの四行の印象: 一行目は、対象感覚が率直なときの表現で疑問もあるが良い 二行目は、そのまま分析的な表現のみなので紋切りな感じ 三行目が、黒髪節という感じの表現。もう少し詩にしたい所。 四行目。「不安」という言葉が安易に使われているのが残念。 *「不安」は黒髪さんのキーワードというべき詩情だが、いつも、 単にこの語で処理してしまっている印象があります。 渚鳥さんの四行: 「みんな」という語から、例示される「ひと」たちが 明るい人がいないので、嫌味と取られてしまうかもよ。(取り込もうとして疎外される) 《みんな》という語でくくられた世界観の中でどういうマッピングなのか この作品だと疑問を感じてしまうわけ。 ―→笑ってない皆んな、さあ笑おうよ (なら解るけどね)*ツマンナイけど。 むしろ、渚さんが書いた四行をコンセプトに、読者が自然とそうなるような 作品を書いてこそ詩人だと思うな(僕はね)。 ああ、二人に毒があるから、つられて僕までこんなの書いちゃうよ。 ダメだよ。もっと心のこもった作品を書かなきゃ。 * :べるの四行詩(2): 「迷宮入事件」 詩の、死亡推定時刻に、 あなたは、いったい何をしていましたか? 偶像崇拝?異端審問? えっ、罪の無い作文を書いてた? みんなやってるだって?笑わせちゃ困るよ。 * by ハァモニィベル # 黒髪さんへ >指定する必要 それは、ミステリの謎のようなもので、探偵だけに解るもの ということでも別にいいのです。ここで言っている死んだ詩に該当する ものを全人類が書いちゃいけないと言ってるわけでもないですしね。 どうやら改題というのを言い訳だと誤解する阿呆もいるようなんで ここでは、二重の含意ということには触れずに、 私の四行詩(2)では、黒髪さんが仰言るような「指定」は不要だと私の感覚では 思っている、とだけ伝えておきます。《死んだ詩》、《詩を殺すもの》というのは、文脈から推定可能だから、です。 偶像崇拝者が書くようなもの、異端審問する側が書くようなもの、ただの作文、といった文脈の限定の中で。 少なくとも、中島らもの作品は、生きてる詩、つまり詩でしょうね。 詩がいきるかしぬかは、個人のレベルでもあるし、 「文学の終焉」というのと同じ次元で国や時代レベルでの「詩の死」というものが あるのではありませんか。そこは読者の語感や認識にお任せします。 * by ハァモニィベル >>563ハァモニィベルさんへ そうか、生きている詩と死んでいる詩という批判精神をユーモラスに語った作品なんで しょうね。面白いなあと、思いました。初読で僕は、詩全体が死んでしまったよと書いて あるのかなあと思ったので、範囲を限定、規定して ほしいという気持ちになったので、「指定」をしてほしいと言いました。 でも、死んだ詩にならないように、不断の前進と、批判から学ぶことなくしては、おまぬけさんになって しまうということを、わかったような気がします。面白い詩だと思いました。 詩を殺すことは、自分を殺すことなんでしょうか。そうすると、自分を 殺そうとする者は、必然的に詩も殺しますから、精神の死の緩慢な 停止において、死と詩が相即であることになった場合には、そのentanglement を解きほぐすなら、最強の力を手に入れられます。そのようにして、詩人は 自らに課せられた重荷を、おろしてほっとできる。 もちろんそのようなことが、あらゆるレベルにおいて成立しているのだ という分別はしなくてはなりませんが、本当に死に近い人を、 救いたいと思うならば、自らが生きていないと、そういう行動をとったり、 発言したりすることが、不可能です。そのことが、ますます 我々に必要だということが、近年、明らかになってきています。 なぜある詩は死んだようなのか、書いた人はなぜ死を作り続けるのか、 と言った視点は、広く当てはまる見方でしょうし、詩の中で生き生きと した生命を、与え続けるということは、すなわちそれで良い詩、意味ある 詩です。そしてそれこそは心の問題です。探偵のように、心と詩を解読 するとしたら、それは一人の生きている人間として、人が人らしく あるための、願い続けてきた祈りの果てにある、現在と言うものが 心なぶること、生命の慰撫であると思います。 へたりこんでいないで、自分で立ち上がらなければならないとは、僕自身 にとっての、鼓舞です。死んでいてはだめだ、感覚器の助けもある、 そうした決意がもたらされた、ということこそ、この詩から僕なりに 導き出した、人から人への美しさです。 by 黒髪 渚さん 最近楽しかったことは何ですか? by ハァモニィベル 537のリンクがあり、そこには 私の名前もあるので、ひとことだけ。 わたしには、ベルさんを 拒絶する気持ちは、ありません。あのときのゲームルールの改定をお願いしただけです。一文ごとに点数の査定するゲームルールを 改定していただきたかっただけです。 by るるりら 参照先不明 # @プチ企画@【自動筆記】 :条件: (以下の語句群から、スタートに使用する語句を選んで書き出して下さい。(変更可) そのあとの展開は自動筆記で勢いにまかせて自由連想で書きます。 本スレの扉が430文字なので、だいたいそのくらいの字数の目安で。 尚、 推敲はとくに禁止しません。誤字を修正するしないも任意です。) <語群> 川が流れている / 半魚人の鱗だった / 車窓から見えたのは 瞳に爪が突き刺さったまま目が覚めた / 傘がどうしても開かない /「パンorライス?」 / 扇風機が探してるのは ※以上は変型しても構いませんし、 ご自身作成の語句をここに追加していただいてもOKです。 ~自由参加です~ * by ハァモニィベル 参照先不明 参照先不明 参照先不明 * カイトは、寺山修司のことばから、このスレの題を引いた とかつて言っていたようにおもいますが、 寺山に『さらばハイセイコー』という詩がありますね。 わたしは、キャッチボールを例に苦言を呈しましたが、 想像力の届く距離が短すぎるひとにはいまも唖然とするばかりです。 また、 スローボールのやりとりばかり見せられるのも、 飽き飽きするだろうな、と観衆の気持ちもつい「想像」してしまう。 ボードレールの言った「詩人の特権」ということを 考えたほうがいいでしょう。 >詩人は、思いのままに自分自身でもあり他者であることができるという、この比類なき特権を享受している・・・ わたしが出したキャッチボールが出来るできないという比喩は、そんなに軽いものではありませんよ。 * by ハァモニィベル 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 沈黙する詩行参加 「沈黙の判断」 沈黙には嘘なものとそうでないものがある。沈黙の中では、人は自らのみの思考をするのであり、意見表明のためにと 一生懸命に、励む。分かるか、虎よ。人の畏れは、力強いものなのだぞ。 心の中の言葉を隠し通す沈黙は嘘の沈黙であり、心の中に言うべき言葉が見つからない場合のことを嘘でない沈黙と言うだろう。 いつだってなんにだって、嘘つきは力があり、正直者は騙される。 そしてその区別が大事であるのは、嘘と正直が、混乱しているからなのだ。ある場合は嘘は効力があり、正直は力がない。 襲い襲われる時、沈黙が大きくかかわる。行動に移すことは、電光石火であったりもする。居合いだ。 意味のある沈黙は全て嘘である。沈黙するときにだけ嘘つきは輝き出し、沈黙するときにだけ正直者は失敗する。 つまり沈黙とは世界の転換である。沈黙を尊び、他人に話さない。なぜ話さないのか?それは、嘘つきが内省の中で自己を改め、 正直者が自らの限界を知り越えようとするということなのだからだ。お互いを受け入れないときにそうなる。嘘つきと正直者が、 一つの物事に一緒に取り組もうとしたとき、嘘つきは全くきれいな正直者を見て、正直者は羽目を外すことが嘘のないことを知る。 つまり嘘つきにとっては沈黙ほど大きな修業はなく、正直者には、沈黙はただの当り前なことだ。 正直者にとっては、新しい世界を夢見て、それを知っている嘘つきに習うことが出来て、嘘つきはやすやすとつける嘘のことを知る。 ここで言う嘘つきの嘘は、人をだますための嘘ではない。むしろ自分を──。 沈黙は全ての人に問うている。嘘を話さず、正直な言葉を探ることを。 嘘や正直と言った心のあり方に、それら二つの心の働きに、敏感であることだ。贖罪も懺悔も、沈黙の中心部から、 周りを温めるようにして、穏やかさを泣かせていくだろう。 心と現象は、お互いを必要としている。嘘と正直はちょっとしたいきさつの故のものである。 代理人の責は重く、皆で分担せねばならない。そして、僕は僕の中の嘘を、どこかへ向けて、寧ろ自分に向けて、 輝きの中に放り込みたい。すると誰かを喜ばせられるだろうか。僕は偽善者として嘘ばかり抱えてきた。 嘘を言わざるを得ないことが、僕の正直であり、他人の癇に障る憎しみの否定が、知り合った多くの人が指摘したところから、 許されざる行動への誘惑を断ち切らねばならない、僕の懺悔である。 悲しいということは、嬉しいということが乗り越えなければならないことだ。 怒りということは、現実と心情の両方に関わり、多くの怒りは自分だけの気持ちでなく、希望への祈りを含んでいる。許せないとして。 許すと許せないがお互いに顔を合わせたとき、きっと沈黙の後に何かが輝き出して、本当の気持ちがわかるだろう。 ねえ、聞いていてよ、沈黙した正直者のあなた。僕はあなたの徳をうらやましく思うけど、あなたの心が広いから──とてつもなく ──荷物を背負ってみるよ。少しでも力がついたから、少しでも知ったから。批判は当たっているようだったんだ。 そう、せめて、あなたのことを忘れない。 僕の身体の細胞も、頭の働きも、みんなあつかましいものかもしれない。 詩が正直者のためにあり、しかもその詩が嘘でできているなら、僕は詩と相性がいい。 詩が嘘つきのためにあり、しかもその詩が正直でできているなら、あらゆる子供が詩の天才であるだろう。詩は僕と子供のためにある。 この通りに全ての詩が見つめている目は悲しそうだったり嬉しそうだったりする。透明な瞳。 あつかましさを持ってもう三十数年が過ぎた。 ふてぶてしく生きていくのだと思った子供のころのことを、今なぜか思い出す。一粒の米くらいの希望を、心の中に持っている。 きっといつか、きっと誰かが、この短い生の中で、否定ばかりしないだろう。僕にとっての全ての幻を、 完全な形で僕自身が理解できるだろう。 夕方、影が差している。僕はそれを見る。それは僕の一部だ、決してまやかしなどではない。結局のところ、倫理的であるという ことは、個人によって違う意味のものなのである。倒れて砂を噛んだら、また自分の沈黙の中で、耳鳴りの中で思考するのだ。 立ち上がれ汝、虎である汝。 by 黒髪 参照先不明 参照先不明 沈黙する詩行をどう書こうかなあと いろいろ考えて食べるときの沈黙という発想を 思いつきました。 «姫たちのお茶会»嚥下の巻 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=318979&filter=date&from=menu_d.php%3Fstart%3D0 by るるりら 参照先不明 >>700石村 利勝さんの「かへる」 つい草野心平を想いましたが、我が家のまわりの田んぼは 水を張ったばかりです。 もうすこしすると うるさいほどなくのですが、 耳をそばだてる 静かな やさしみのような心を頂きました。 by るるりら 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 【蛾兆ボルカさんへ】 プチ企画 わたしにとって とても実りあるものでした。雷鳥みたいな鳥が 五芒星を描いて 人間を威嚇してくるだなんて 凄いですね。わたしは、自宅の玄関先で なにか猛禽類が鳩を捕獲するのをみて以来、鳥に心を奪われています。鳥瞰されているという実感って、モノの見方のひとつとして 人が持っていると良い物の見方ですよね。それで さまざまな詩に触れたいという原動力に私の場合は なっているのかも。 あと、私の質問のコメントに誤変換がありました。「立山」の詩は「立山」という場所の詩ですか?なのに「館山」にしてしまってました。ごめんなさい。 それはそうと、五月はプチ企画、私にとって実になりました。一日は すぎたけど、私の詩に いただいたコメントに対するお礼を ちゃんとは 言ってないので書かせてくださいね。 「姫たちのお茶会 下」についてなのですが。 石村さんが気にいってくださった。下記の箇所は、蛾兆さんの詩文の影響があります。 「影の縁には複数の色が滲んでいて」蛾兆さんの詩作品「五月下旬の葉色について」に書かれていることは ほんとそうだと思います。ついでにいうと この時期、森の中で咲く花は、白い花がおおいです。それにしても「緑」って みどりって読みますけど、「えん」とも読みますよね。 人間の関係をしめす語を 新緑の気持ち良い時期に 共有させていただきたかった、そんな気持ちで書きました。 蛾兆ボルカさんが、>>709で 「沈黙を纏うと、それらの意味が変わることが意識されてるのかもなあ、と、僕は思いました。 あるいは、意味の洋服を脱がされて、存在や行為そのものが裸で現れる、みたいな」 と 言ってくださってくるのですが、まさしく そんなことが書きたかったのです。だから、レスが零だと もう ほんと 恥ずかしかった。やらかした。と思って ちょっとだけ へこんでました。 ろうあ者の方が登場する映画のお話、興味深かったです。字幕も音楽もないだなんて、どういうことでしよう。なんという沈黙映画でしょうか?すごすぎます。 「シェークスピアの『ロミオとジュリエット』でも、相手が死んでると思うからこそ、あるいは不在だと思うからこそ、沈黙する恋人と語らう名台詞が飛び出します。 青春ってのは、いくぶんかは沈黙でできてるのかもね。」by蛾兆さん。 をお 金の言葉いただきました。【 青春ってのは、いくぶんかは沈黙でできてるのかもね。】 薔薇の瓶詰に入れて 持ち運ぼうと思います。宝にします。 今日から、私が沈黙するとき、私は 青春なんです。そういうことで、よろしく おねがいします。 【石村 利勝さんへ】 最後の連に対して 「すごいなあ、こりゃ。」と思ってくださって、嬉しいです。 自分でジャッジなんてできないので、詩人の勝ちだと言っていただいて、安心しました。 表の掲示板では どなたもなにもおっしゃらないものですから 読み手を 屈従の沈黙にしてしまったなー。と、思ってました。 アメリカからのご参加とても嬉しいです。どこかで方言を書いておられましたが、ご出身は西日本の方のような気がしています。わたしは 広島です。あらためまして こらからも よろしくお願いします。このたびは おかげでとても楽しい時間になりました。 by るるりら 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 石村 利勝さんへ 立原道造のパスティーシュ作品を 拝読いたしました。 わたしの場合は、立原道造の良き読者といえるほどには 彼の作品群を 読み込んではいないので、投稿させた作品が もと立原道造の詩集の中に あの作品があったら どのように感じるかについては、わたしには判断のしようがありません。 ただ、実は わたしも 立原道造の影響を受けて書いた作品があります。わたしのは、 パスティーシュとは言えない 立原道造オリジナルにあるような喪失の陰影をひっそりと感じさせるような詩とは 全くの別物となっております。 類似させている点は、ソネット形式であることくらいですが、照会させていただきます。 *********** 【飛行模型】 露草の花は ひかりをうけて翼のようだから おだやかな 面もちで 飛び石を踏み外さないように歩く 縁側で 竹ひごが 飛行機雲のように しなやかにのびている そのなかでも 軽量に飛行荷重に耐えられる強度の竹ひごを 選ぶ 細い腕からは もっとも うつくしい雫のような円が現われ もっとも うつくしい直角から、シンメトリーの翼が生まれる 暗い雲をも押し広げるにはプロペラより むしろスクリューと呼ぶのが相応しい 死の島の上を 渾身のゴム動力の一機 白い模型飛行機が 旋回するのだ 漏斗状にへこんだ 彼の胸は 高鳴る 島には 廃墟となった建物が 屋根を失い 雨風を受け入れ 死者も そこにいる さびしい魂のその島へ 彼は、飛行機を飛ばす by るるりら 参照先不明 * パスティーシュに関して一言だけ。 石村さんの言う「パスティーシュ」は、 >私自身が「パスティーシュをかく」と言った時 >念頭に置いていたのは、水村美苗氏の『續明暗』や >シャーロック・ホームズ物のパスティーシュ作品でした。 とあり、 それはそれで(高度な試みとして)いいと思いますが、 (わたしが)念頭に置くパスティーシュは、 最近、創作入門で奥義公開されているような創作技法のことです。 一例を上げれば、 辻原登『東京大学で世界文学を学ぶ』で、 その、「第十講義」=「ヘンリー・ジェイムズの『ねじの回転』を どう読み、どうパスティーシュするか」 に見えるような、手法です。 以上は、パスティーシュに関して参考までに注記しました。 突然失礼しました。でわ。 * by ハァモニィベル 参照先不明 蛾兆ボルカさん パスティーシュを、ジャンルとして分類してしまうと、二次創作的なものに なってしまい、書かれたものはどうしても、オリジナルの魅力に劣ることが多い(そこに 挑戦するのでしょうが)ような気がします。性質上、オリジナルの魅力を超えててもマズイわけですから。 私のように、パスティーシュを、作品ジャンルとしてではなく、 創作上の実践技法として実用的な立場で捉えた場合、 オリジナルはただのキッカケであるにすぎず、元の作品から飛躍したものが いかに書けるか、むしろ、独創性と発想力が問われることになります。 原型を全く感知させないほどならば、もうそれは純創作と言ってよいでしょうが、 敢えてオリジナルの手がかりを(わざと)残すとすれば、その場合は、 多少オマージュの気持ちが込められているか、あるいは、間テクスト性で原典の意味を含 ませたいが為の、教養ある読者へのヒントのつもり、といったことがあるかな、と思いま す。 また、別の意図として、 私がメビウスリングでスレ建てしている 「前の人の作品を、『自分の詩』に翻訳する」スレッド における私が書いた実践例はみな、創作技法としてのパスティーシュという立場で書か れていますが、 其処では、前の作品と後の作品を対照することで、後作品を書いた人の発想力や独創性 が明らかに示されるという狙いがあります。 * 私の立場(発想力と独創性を重視する)だと、 たとえば、 デュシャンの『泉』―→ これは泉である に対して、 マグリットの『これはパイプではない』 に至るほど捻ってこそパスティーシュと言えるわけです。 * by ハァモニィベル 参照先不明 参照先不明 参照先不明 文学極道に限らず、すべてのネットサイトは、使用上の注意をよくお読みになってご利用くださいませ♪ 蛾兆さんへの酷評コメントを小学生に見せたいと思っておられる レスの書き手はいないと 思います。 それより、漢字ドリルが作品になるなら、ほかの活字媒体のなにかが 新聞記事も 作品に成りえると、私は おもったのでした。それで、おもいついたのはバーチャル達川君。https://tats.jp/vtatsu.html バーチャル達川君というのは、様々な文章を 広島弁に翻訳するという翻訳ソフト搭載サイトです。 そして、それを利用して書いたのが下記のものです。 ******* 尻を振って 腰をくねらせる。 中米ジャマイカじゃぁ レゲェに合わせて、踊るんが習わしらしぃんじゃ。 先ごろ訪れた安部信三首相も、誘いに乗ってダンスしたんじゃ。 ぎこちのぉても 笑顔を忘れず、波長を合わせる腰つきゃぁ「努力賞」もんじゃったんじゃ。 ******** 元ネタは、中国新聞2015.10.5の天風禄の記事を、バーチャル達川君という広島弁翻訳ソフトにかけました。この記事をセレクトしたのは、ジャマイカという国名が良いと 思っただけです。このスレッドで子供の話がでたので、よほど 児童憲章とかを翻訳させようかしらと おもったけど、 どうにも躍動感が なくて残念なので、こちらにしてみました。 by るるりら 渚鳥さん え?渚鳥さんの意見は、 一、「 小学生が見ていると思うと なぜだか罪悪感にかれらるけど、 その反面、小学生の意見を ちゃんと聞いてみたい気がする。」 何を、渚鳥さんが 小学生に 見せたいたいような 見せたくないような気持ちかは、ソレは 蛾兆さんの作品かもしれないし 文学極道かもしれない。 わたしの意見は、 「すべてのネットサイトは、使用上の注意をよくお読みになってご利用くださいませ♪」って いいました。 by るるりら 参照先不明 参照先不明 »766石村 利勝さんへ 贋作文太兄ぃの場合が最高です。文章を読んだあと声を出して笑ったのは、ひさしぶりです。 何年か前に 日本では「カバチタレ」というドラマが放映されたのですが、 個人的には、(カバチタレいうても意味は わかるんかいの)と、思っていたのですが だからといって 翻訳できずにいたのですが、そーそーそういうニュアンスだなあ。 と、おもいあたり なんだか 心が 軽くなりましした。 バーチャル達川君は、ずいぶん昔からあるようです。ですが、達川さんは どうしておられるんでしようね。最近は、テレビでは おみかけしませんよ。でも、カープは 大昔のカープ全盛期を上回る人気ですよ。試合がある日の広島駅には 他県から カープの赤い服をきた大群が降りてこられます。なぜだか 全国的にカープファンが増えているようです。その調子だと広島弁がこの国の公用語になると思いますので、達川君は 伝説のサイトになると思います。 by るるりら 参照先不明 参照先不明 ●石村 利勝さま そうでした。詩の研鑚のために集っているのでございました。 作品を投稿させていただきます。 初夏の刹那 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=319554&filter=date&from=menu_d.php%3Fstart%3D0 by るるりら 参照先不明 参照先不明 参照先不明 ●>>786石村 利勝さんへ おはようございます。返信が遅れて 申し訳ありません。 「春と修羅」っていう龍みたいな詩魂に飛び乗って縦横無尽に飛び回っているさまだなんて、 それこそ 踊るくらいに嬉しい言葉をいただきました。関係あるかないか解りませんが、わたしは辰年うまれなのです。思い込みからか 蛇だの竜だのといった生き物は こどものころにずいぶん夢にでてきました。 この詩をアップしようとしていた頃に、渚鳥さんが 突然、 渚鳥さんも竜のようなものを感じておられる気がしないでもないのです。>>771 渚鳥さんは まだわたしの詩を御覧になってないのに わたしの詩が読めたのかと思いました。ケーリュケイオンの杖のデザインって、蛇のような竜のような生き物が くんずほぐれつ登っている図なのですが、わたしは 竜みたいなのに つきうごかされて書いただけだったのかもしれないです。 ああ びっくりしあぁ! どういったらよいかわかりませんが、なんだか すごいです。←わたしがというより、なにかが来てる気がします。 もっと書かねば! ●>>745 渚鳥さんへ 今は朝なんだけど こんばんわ(←作品に あわせたよ) 「夢一夜~第三夜」拝読しました。 以前拝見したパーションのもののは、たしか 一夜が三つではなく一夜、二夜、三夜という表記だったように記憶しています。 夏目漱石の『夢十夜』は この機会に再読してみました。 夏目漱石の『夢十夜』の場合は、全然違うお話の十個で作られていたと思うのですが、 渚鳥さんのこの作品は、別々のお話ではないような気がしました。同じ日におきたことが別の角度で描かれているととってもおかしくはないつくりになっていると 感じました。 たとえるなら以前お話しの出たケーリュケイオンの杖は 二匹の生き物がからまっているのですが、この三つの作品は 三つ編みのように 三様の詩魂(石村さんの言い方の真似ですぅ)が からまっていると読んでもおかしくないように おもいました。 へんな発言になるかもしれないのですが、物事を把握するのには三つの目が必要だと聴いたことがあるのを思い出しました。 それは、【鳥の目】【虫の目】【魚の目】の三つで、鳥というのは鳥のように広く全体を眺める。虫というのは足元の細部を見る。魚の目は、微妙な変化の流れを見るというものなのですが、渚鳥さんの本作品の構造と符合すると、個人的には思いました。 ●蛾兆ボルカさんへ 「作品『漢字の練習』」、について(贋作)」 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=319538&filter=date&from=menu_d.php%3Fstart%3D150 に、ついて。 わたしは、この作品について「おもしろいです」とだけ書いてます。あとで、ちゃんと書きたいとおもっていたので、超短文感想としました。 まず、自分の作品をパスティーシュする。もうこの時点を おもしろいです。 蛾兆さんが蛾兆さんという未知の詩人の作品をパスティーシュし、 未知の詩人蛾兆とかいう詩人の息子さんの漢字練習帳をパスティーシュ(とも言えると思います) している。 鶏が先か卵が先かじゃないですけど、 卵が詩を書いたのか! 卵の親が詩が書いたのか。卵の教師が詩を書いたのかもしれない。 卵が詩を書いた!のか 卵の親が詩が書いた!のか。 はたまた教師的ななにものかが詩を書いたのか! むむむ むむむ!これって 「啐啄同時」なのじゃあないかしらん。卵の中のヒナドリが内側から殻を破ろうとしていて、それを保護する親鳥も外側からつついている。 この詩には複数の愛が からみあっていて、ああ 人が成長するのは、ひとりじゃあないんだなあ。と思いました。 正直もうしまして 作品そのものより 自作の作品をパスティーシュする おわりなき詩作への情熱こそが、私としては とても勉強になりました。ありがとうございます。 by るるりら 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 みなさん おはようございます。 夏目漱石の草枕で思い出したのですが、そういえば 私も 草枕を真似したことがあります。 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=283203&from=listbytitle.php%3Fenctt%3D%25E7%2582%25B9%25E5%25AD%2590 「点子が、行く。」という作品です。読んでいただくと どなたでも 「吾輩ハ猫デアル」だと お考えだとは思うのですが、詩の中にある明治男のセリフが 草枕の模倣です。わたしが真似させていただいたときに 草枕って、随所に読者の 目を開かせる箇所があるのだなあと ちらと感じたのですが、まさか まるでそのまま作品としておられる方がいたとは!おどろきです。 by るるりら 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 遊びにきましたよ~ 「商店街にて」 http://po-m.com/forum/myframe.php?hid=11348&from=listdoc.php%3Fstart%3D0%26cat%3D1 室生犀星さん。 なにかで魚を赤と青と言っているのが印象的で 色彩はここから来た気がします。 楽しいねーっ by 田中修子 参照先不明 参照先不明 はっ。先生はどこー!! 先生ー!!(よく迷子になる) >>818蛾兆ボルカ さま 中島みゆき懐かしいー!! 愉快な方でしたね。テープにとっておけばよかった。 チョコ夫人と中島みゆきさんとマザーグースがかぶるとは~。 すごい発想だ!! >>823石村さん 詩は、犀星のから入りました!! 赤と青。だれだったかなぁ? デカダン的な誰だったかも。 技というものはあまり意識していないかなぁ、真似するだけ もう一回勉強しなおそう~ by 田中修子 参照先不明 参照先不明 ニューフェィスtanakaさん、ようこそ。 今月は、火ですか。あついですね。暑いので、この季節は 考えたくないこともあります。そこで距離がある火という意味で、星も良いのではないでしょうか? by るるりら 参照先不明 参照先不明 参照先不明 >>るるりらさん 言葉に旬、ありますね~。美味しい火星ジュースの季節!! >>石村 利勝さん じゃ、ちょっくら牛を褒めてくるでよ。 >>843いいな~なんだかいいな~。 >>渚鳥さん はじめまして~ 数いる田中のうちのローマ字のやつと覚えていただければ...... 発音はタナーカーで。 by 田中修子 参照先不明 全くの余談です。カープの試合を見に行きます。天気予報は、よくなかったのに 今は、晴れてます。なにとぞともに雨乞い、お願いします。 by るるりら 参照先不明 おっはようございます。 あのカープの大声援のただなかに身を置いた私は 人生がかわってしまった! どうしよう。ちょっと前の 辛気臭い自作詩が 他人の詩のようだ。わっはは ベートーベンでいうなら第九の気分! 試合当日は雷も予想されていたというのに、オペラの『ある晴れた日に』の歌詞が描いている理想の天気!いやあ おめでとう! 石村さん ごめんなさい。あの日の私は 愛でできていたので、 お弁当もお友達が むさしのお弁当の券をくれてたので カープうどんは食べれなかった。 でも 席がブースに近くて あの匂いは 味は 絶対落ちてない感じでしたよお! ごめんねごめんねー。 by るるりら 皆さんに、もし年号の決定権があったら、どんな年号をつけますか?漢字二文字の題名で詩を書いてみませんか? by るるりら わたしったら、とても まずいことを、いいましたか? なにか、いい企画は、ないかしら? by るるりら 参照先不明 旧かなは、正直 使ったことがないので、 祖父の書いたものを、読んでいるきがしています。厳密には、発音にも違いあるはずのに、わたしは、これまで、しらずにきました。 二文字課題は、「百合」にしようとおもってて、そのときに、旧かなで書いて 添削してほしいなあなんて、おもってました。 by るるりら * >>880 は、「旧仮名遣い」というもの一般についての、 教養の有る人、無い人、各人の持っている印象ということをご質問ですか? それよりも、「文極」の評価の精度の不足についてでしょうか? また、あるいは、御作品への感想・批評でしょうか? (こちら>http://bungoku.jp/ebbs/log.cgi?file=471;uniqid=20160514_774_8825p#20160514_774_8825p) 以上について、1つにまとめてお答えすると、 もっと流麗に書けるはずだ ということです(「率直に」わたしから見ると、です)。 尚、〈歴史的仮名遣い〉については、契沖以後に一定ルール化されたもので、むしろ明治期の文章で厳格であったものの、平安時代からずっと、実際は仮名遣いはアバウトだった、という専門家の指摘をどこかで読んだような気がします。そうだとすれば、旧仮名遣いを几帳面に一定に適用する必要があるのか疑問である、という議論もできそうで、実際に厳格一律にしない方が、文章を味わい深いものにできるかも知れないなどと無邪気な私なんかは思います。 旧仮名遣いの味わいを活かして、より流麗に書くべきであった というのが私の感想で、そうでないと籠められた折角の優しいメッセージまでがぎこちなくなってしまうと思うからです。 * by ハァモニィベル 「旧仮名遣い」とは少し異なりますが、文語口語の混用の問題 もあります。詩はもちろん、短歌や俳句でも同じですが、例えば 俳句の切れ字の問題があります。「や」「かな」「けり」を使う と、口語 ではないと指摘され、これにかわるものを探すと 、ろくなものがなく困ってしまい、俳句の投稿をやめました。 現代の俳句でも、これらを使ってもよいという説もあり、文語 と口語の混用はありふれたものであり、歴史的に見て正当な 用語法であるという説もあります。---現代短歌の口語化はめ ざましく、老巧新鋭を問わず口語の歌、文語口語を混用した歌を 詠んでいる---という事なので、文語口語を混用してもよいような 気がします。従って、代わる表現がない場合「旧仮名遣い」も問題 ないと思います。 by st 参照先不明 >>885 ああ、そっちでしたか。例の所の評価力について率直に話していいのかなあ、とわくわくしてしまいました。(笑)。 私もかつて、彼処でどなたかから、私の〈けっこうな自由詩〉に対して、使われてる言葉に季語の意識が足りない的な、的外れな意見をもらったことがありますよ(一気に疲れましたね)。 * そっちの話ではなく、 一般にある印象、という話だと(保守が云々といった政治論議を除けば)割合、予想がつく話になりそうですね。 例えば、中学生とか高校生レベルの頭なら、歴史的仮名遣いで旧漢字とか使われてたら、読めないし、読みたくないし、読まないでしょうね。よしんば、表面の言語表現がたどれたとした場合でも、彼らの年齢では古典の内容を深く捉えられないので、退屈な古典と同じようなものという印象で括られてしまうでしょう。 古典風まで行かずに、読みやすい文章の中に、旧仮名だけ混じっているのを見たら、何のためにそれを散りばめているのか不可解な不快現象として映るのではないか、と思います。(これをCとしましょう) 一方で、古文が読めるような人、擬古文が面白いと思える人は、露伴だろうと、鏡花だろうと苦もなく読めるので、擬古文調ならかえって新鮮な感じで愉しめるということがありますね。鏡花の古典風モダンな感じや、北村透谷の魅力が愉しめる人、そういう人は、そういうものが書かれていたら単に仮名遣いがどうの、という反応はしないでしょう。 * いずれにしても、旧仮名じゃなければ評価しているというのであれば、それが旧仮名だからダメ、というのは、上記の中学生・高校生レベルでの(C)から来る印象評価と同じだ、と私などは感じます。 * ちょうちょ と てふてふ は同じでしょ? っていうのと、違うでしょ?っていう感覚論争になるんでしょうが、 そんな所では、私だと ちょうちょ と てふてふ が飛んでいる って書いちゃいますね。 まあ、そんな感じです。 * by ハァモニィベル 参照先不明 ゆうか、渚鳥さんの詩に、すくわれました。 ありがとう。 by るるりら 【じぬんを ぐろぐろ】 突然、ブリッジぃと 言ふとき 身体を まげたり 「見ててぇ」と 言ひますと 一拍おいて 側転したり 【じぬんを ぐろぐろ】と 画用紙に文字を据ゑながら 「じめんを ぐるぐる」と云ふ 発音どほりには、書いてなひ なんと おどけて ゴム毬のよふ その横で 長い海外生活から帰国直後の友人が 「し」って どちらに曲がるかを おもゐだせんでね と言ふときの聡明な美人顔の、なんと すっきりしてゐること 「し」の形を 真剣に考えへる人が、わたしは好き こどもの真剣さと すこしもひけをとらない人が、わたしは好き ゆびさきで じぬんをぐろぐろしながらも 好きが あふれてゐます きようも たくさん 私は まちがへた あの人も すこしは なにかを まちがへた まちがへる人と まちがへない人 あなたは どちらが好き? わたしは まちがへる人が好き 真剣さが なんだか おかしくて 好き ************** ※おまちくだっているなんて 幸せです。 でも 百合は ちょいと おまちを、構想あるのに なぜか描けない by るるりら 旧仮名はポリシーのある人にこそ似合うという面もなくはないので 「真剣」な人にこそ好かれるべきかも知れませんね。 私は言語表現の幅として捉えていますが。 るるさんへ >>902 >※おまちくだっているなんて 幸せです。 待っているというより、自分で言ったことを忘れているんだろうなと 思っていると受け止めて頂ければ幸いです。 >ちょいと おまちを 確かに、「真剣さ がなんだか おかしく」思えますね。 * 漢字二字の題 ということでは〈タイトルの選択がいい〉と思う例はこれです。 http://uonomekikaku.sakura.ne.jp/foryou/poembbs/poembbs.cgi?mode=res&no=91344 by ハァモニィベル 参照先不明 参照先不明 「静笑」せいしょう 「穏淡」おんたん 「譲命」じょうめい 「聴声」ちょうせい 「座待」ざ、ざたい? のほほんといこうよのほほんと 怒っても泣いてもはじまらないよー みたいな年になったらいいなぁと思うます。 by 田中修子 参照先不明 参照先不明 カイトの表題と表紙を読めば、 ここは、空気を一色にする処じゃないでしょ。 一方で、軽妙・ほのぼの 。他方で、堅く、険しい。 又、 一方で、知的。他方で、愚劣。 それでいいわけだけど、日記を見せ合うだけの場所にしたいならともかく、 他人に書いたものを読んでもらおうとする場所なんだったら、 説得力のある言葉を使いたいかな、と僕は思う。 まあ、それだけです。(だから、変だな、と思ったら変じゃない?、って言うだけ) 此処の人たちが、みな、僕の方を変だと思うなら、僕が消えます。 ま、僕はこう書きながら、常に心穏やかですよ。 此処に書きに来てくれる人が皆、親切なのがわかってるから。 * by ハァモニィベル * 燃えて消えていく 遠ざかる川の 遠い後姿の原景に 1羽の鴨が泳いでゐる 昨日にそつと おいて行かれて ただ1羽の 何を犠牲にしたら 追ひつけるだらう 散亂した 觸れられるはずのない 意味のない貨幣のやうな 狂つた正常の手が伸びてくる * by ハァモニィベル こんばんわ石村さん、 わたしは、石村さんの詩に たすけられました。 「地球の上でうたふ歌」を、ある詩の掲示板で、最悪の気分になっていたに、嘘のように気分が晴れました。ありがたかったです。暗唱したいです。 ベルさん、こんばんわ。すごく、いい詩だなあ。って思いました。関係ないことを、いうようだけど まえに教えていただいたケストナーの人生処方詩集を買いました。照会していただいた「絶望第一号」を思いだし、今 買いたての本を開いています。うまく言えないけど、ベルさん、ありがとう。 うわあ、参加者増えてきましたね。 元号も、増えてる。いい作品が、いつぱい!。 テンションあがる。たかっぱしから、いいたいけど、寝たほうがよさそう。嬉しいな。ではおやすみなさい。 by るるりら 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 * 『MAIN STONE 』 ストラスブルグ美術学校で出会った彼女は、変わったものを描いていた。A3の画用紙49枚を使った大きなブリティッシュ・プディングの絵で、そこに描かれた何かに、いや、そこに彼女が描こうとしている何かに、きっと、誰にも解らない何らかの何かに、こそ、彼女が強いコダワリをもって伝えたい何かがあるんだと僕は思った。彼女がその絵を描いている間中ずっと番犬のビリーは爆睡中で、僕もやることがないから、彼女のアパルトマンをチェックアウトし、その頃暮らしていた屋根裏部屋にもどって数日寝転んで過ごしていた。ブリティッシュ・プディングのどの辺りにまで差し掛かった頃だったのだろう、突然、彼女から電話がかかって来た。 * by ハァモニィベル 参照先不明 * つまりね、 >>960 に私が書いた作中の彼女のように、 MAIN STONEを描き伝えようとするところに 作品の価値が生まれるのに、 ありもしないMAIN STONEを、いかにもあるように書いた 詩が多いんだよね。 (難解を解きほぐすとタワイモナイものも含めて) そういう贋せ物を書いてる人というのは、 詩を読む側にまわっても読めないんだよね。 ただ、そういうことだと、私は思っています。 * by ハァモニィベル 参照先不明 参照先不明 >>969 うーん、「嘘」って、どう捉えてるんです?(そこが不明) ニュアンスを区別してほしいな。 >作品になっていれば、嘘だろうと本当だろうと、いいのか これは、かなり粗雑な思考じゃないの? まず、「作品になっている」という点が、すでに高度に曖昧だしね そして「嘘」「本当」ね。 ---------------------------- 虚構でも、その方が真実が描かれていれば、―→本当の意味で「本当」では。 事実を扱っていても偏見で切り取ったものは、捏造にもなるのでは。 とかとか、色々疑問が出てくるんですけど、大丈夫?? 昔の「私小説」の「精神」を肯定してるからそもそも、「嘘」って評言を使うのか、 わたしにはよく解らない話ですね、その感想は。 * 昔、「一杯のかけそば」なるお話があったけど知ってるかな。 当初、実話ということで話題になった。ところが、作り話だと露顕して叩かれた。 あれなんかは、感動実話として騒がれたときに、一読して作り話だと私は感じたけど、 世間では話(作品)を鑑賞しただけでは見抜けなかったわけでしょ。 私から見たら、作品になってないレベルだけど、 世間には、(実話なら感動的だ)と、(恰も新仮名ならよいみたいな感覚でもって)通用してたわけだけれど、一体全体 そういうのはどうなの? 鑑識力、鑑定眼 という話になっちゃうんだけど、 渚鳥さんの話だと、その辺りが抜け落ちてるんじゃない??? ---------------------------- ともかく、最も重要だと思う点を最後に補足しておきます。 詩情の「嘘」はダメ ってことです。作品世界は虚構でも事実でもいいと思いますが、 〈詩情〉は、その作者の本物でないとダメだと思います。 (まあ、詩情不要論者という人達もいるんでしょうから、その立場だと コトバを捏ねてそれらしき詩情を誂えるわけだろうから、もしそうなら 私のように、自分の詩情を伝えるために言葉を紡ぎ出すのとは正反対ですね) 渚さんの感想だと、 詩情の「嘘」(パクったり誂えた詩情ね)も作品になってりゃいいってことに聞こえちゃいますが、まさか、どう考えてるのか、心配になりました。 まあ、そんなところです。(これ以上論じません) * by ハァモニィベル 参照先不明 まっくろで苦くてこんがりなコーヒー 喉をひんやりすべって 詩も男もできないときはできないさ それってダメなんかなぁ by 田中修子 参照先不明 参照先不明 >>978 (Syuukoさん) >>980(渚さん) >>981(石村さん) みなさん、Thanks ! 、「翻訳」という言葉に引きずられたのか、なんとなく原詩にひきづられている感が。まあ、丁寧に訳そうとした感なのかな。 わりと翻訳の文章が読みにくいというあの現象の秘密に通じる何かがあるような・・・。 ただ、普通に作品を展示されるときには見えない表情が垣間見えてナイスです。 (取組んで頂いたので) *** *私も書いてみました* * そんな瞳(め)で見ないでくれ。 男の背中を。 黙って ブラックを飲み干してる 俺の背中があるだけ だから。 見える? 何が? 何も無いさ。 やさしい詩なんてないんだ。 「幸福」にも汗ばむこの背中には。 * by ハァモニィベル 参照先不明 * 「冠は濡れて」 ユアーン及びユヨーンが、それこそ ユヤユヨン、ユヨユヤンと、往復し交錯していた。 ぼくの心だ Ho!Ho!Ho! 胃袋をはく 吐いたものは 幾時代かをへて また一つのメルヘンとなる 銀の雨のなか さらさらと 砂のように命が 流れ落ち 僕のボーヤは (硬い粘土の小さな溝を) (きららめきつつ) さらさらと 流れていく 悪魔のおじさんの 靴の先が かすかに濡れる所まで * by ハァモニィベル
大きな池があってひとつの川、たくさんの大きな木。 滑り台、砂場、ぶらんこもご用意しました。 みんなで鬼ごっこやかくれんぼができます。 野球やスケボーもできる大きな公園。 朗読している少女がみえます。 夏にはカラオケ大会だって演説や選挙もあるかもしれません。 ひとり川をながめてため息つくのも公園 もし詩や詞を構成する成分表があるとしたら人ひとり、もしくは大勢の人が絡んでいる無限の成分表なのかもしれません。 詩の多様性は人の生き方やり方の多様性を映しているのでしょう。 君が書きたいと思ったことはなに? Twitterみたいにぼやくこと? 昨日見た映画のブログみたいに感動を分かち合いたい? 詩のことで別の人間の視点がほしかったのかい もしかして、それは行き場のない言葉かしら 答えはなくたっていい。 ただ、聞いてほしかったのならそういってね。 もう少しそばにいるからね。 書きたいことを書いてみて 描けないことを描いてもいいんだよ。 ルールは公園らしく後からみんなで増やしていこう。 沈黙、継続、了解でーす。 はーい。終了。了解でーす。 記憶だけで、しゃべりました。再読してみます。 ごめん。わすれてください。 渚鳥さんへどういたしまして。 みなさんへ ちなみに つけやきばで いそいで 書いた私の最新の作品のようなものは 削除しました。 太宰の漁服記は、たしか人間が 魚になっちゃうお話ですね。 荘子の【逍遥遊】という話の冒頭は スケールが大きいですよ。 冒頭に すごく大きな魚がでてきて、その魚は すごく大きな鳥に 変貌しちゃうのです。 ベルさんみたいですね。大きな魚ぽい風情でしたが、突然 羽ばたこうとする。 だからですかね。私の想像の及ばない広く深い世界を知っておられるのは。自在で良いですね。 ただ、逍遥遊というお話は ちいさな鳥のことも言っていて、 ミソサザエは林に住んでいるが一枝こそが必要なんだそうです。 わたしは、ちいさな小鳥のサエズリのような詩にも 耳をそばだてたいです。 そこで蛾兆さんに質問です。 2 ミニマムリアリズムって なんでしょう? 渚鳥さんへ 漁服記だけは、わが家にありますが、青空文庫にもありますよ。 みなさんへ メビウスリングの勉強会は、企画が提案するスレが、別にありましたね。 そして、どういうタイムテーブルでお話がされるか、 日程などの提案があってから、お話をしてました。 それに、みじかい詩作品の一遍のみを 一か月 ゆっくり読むという企画もありました。 # 蛾兆ボルカさんへ ゲームに付き合っていただき有り難うございました。 また、何処かで交流する機会があったら宜しくお願いします。 # カイトへ 此処で いろいろやらせてくれてアリガトね。 ■渚鳥さんへ 「るるりらさんは元気いっぱいにボール投げてきてるのは分かるんです。ボールが3つか4つに分かれて見えたのは、私の乱視のせいかもよ!落ち込まないで。」by 渚鳥さん 私は、複数の方に ボールを 不特定多数の方に、いくつか投げましたよ。 ボールはたくさん投げたと思います。返していただけて嬉しかったボールも ありました。 渚鳥さんが かえしてくれるべきボールも ちゃんとかえしていただいたんで、わたしは元気です。なんくるないさー。 わたしが投げたのはバレーボールのようなものです。場外にするつもりで投げたボールもありましたよ。そして、実際放置していただきしまたあ。なんくるないさー。そして、なにより 渚鳥さんの 身体の調子も きっと よくなります。なんくるないさー。 ■蛾兆さんへ 鴨のお話も興味深かったですし、『六角亭』の詩も面白かったです。おかげさまで私自身の創造力が かきたてられてます。両方(鴨&六角亭)に仏教思想もおりまぜて 一度は、思考しました。 いまは 何も考えずに、わたしの詩が 降りてくるのを 待っている状況です。 ■紫の菫さんへ わたしが照会させていただいた詩に感応してくださってありがとうございます。 黙ることないですよお。 わたし自身、鴨の詩から まっさきに思い出したのは、わたし自身の経験した 生き物が私に見せてくれたナマの死を 思いました。 戦争と比べたら、あらゆる死が ちいさな話に思えて恐縮しておられる お気持ちも解ります。 わたしには近しい人々を続けて亡くした年が あるのですが、 そのとき私は「戦争みたいだ」と ネットに吐き出しました。そして、 「わたしの経験する死くらいで 戦争みたいだと言ってはいけない気がする。」 と 私も云いました。 すると 先輩詩人さんが 「命に差は、ないよ。」と云ってくださいました。そして、 その方の作品の中に はじめて飼った一羽の小鳥の死を表現しておられる詩を拝読したとき、 私は とても感動しました。 死への潜在的な恐怖は、生きている者の常として持っているはずですが、 その恐怖を内側に潜在させていないと 生きていけないことも、人間には あると思うのです。 ただ すっかり死を忘れるなんて、そんなの逆に 生きているとは言えない。 小鳥でも鴨でも死を わたしたちに示してくれるとき、わたしたちは 大切なことを感受させてもらっているのだと思います。 ●みなさんへ 「魔術的リアリズム」ですかあ。をお それは、みなさんの作品を読ませていただくのが楽しみです。 わたしは、オバマさんというリアルのほうに心を置きたいので、休憩です。 一応、 渚さん→るるさん→蛾兆さん。と、展開していた話を 受けて、提示したのが、魔術的リアリズム。というわけでした。 それが何故かは最後に書きましょう。 * プチ企画は、特に、何かを読んで、 キッチリ、「マジックリアリズム」で書かなきゃ、 という阿呆な理解でなければ何よりです。 (魔術的リアリズムの感じがその人なりにつかめていれば、 特に、何かを読むことは必要ありません) 因みに、 渚さんが、 マルケスや、カフカを読もうと前向きであるのなら、 むしろ、 サルマン・ラシュディ 『真夜中の子供たち』 の方をお勧めします。 * 私の発言の意図は、 蛾兆さんの発想が「SF的」だという感想が出て、ご本人もそれを半ば柔軟にうけとめていたので、 違和感を持った私から、ご両人とも「マジックリアリズム」をご存じないのですか、 と投げかけてみた。 というだけのことでした。 もし、何らかの造詣のある人がおられれば、 魔術的リアリズムをさかのぼって、 ジョージ・グロスの絵からのインスパイアといったことを話題にしても よいかも知れない、と、 (皆さんの戦争絡みのお話を受けて)なんとなく思ったのでした。。 私は、グロスの絵自体がけっこう好きですが、反骨の画家であったグロスは、 1933年ナチスの台頭で、(「呑気な」)アメリカへ亡命を余儀なくされやがて そこで鋭い風刺から作風がだんだん変化してしまいます。 グロス晩年の自伝の中で、彼はこんなことを書いています。 >その頃は、すべてに逆らわず、感謝するのを、自分はモットーにしていた。性格は変えられないなどという頑固な迷妄を捨ててしまえば、周囲に同化するのはたやすいことだ。 >同化するコツは、すべてを美しい!と、思うことだ。たとえそれが実際には美しくなくても * というわけで余談失礼。 # >芹の上、鴨 昼寝してうなされる(柳多留) イトコ同士以外、他人事はみな「鴨の味」らしいですね 蛾兆ボルカさん おはようございます。わたしにとって宇宙次元を座標においているかのように思えた蛾兆さんの視点の置き方の置き方のおかげで、なにやら やさしい はかりしれない視点とは こういうものではないかという夢を今朝は見る事ができました。語彙が乏しくて、そのイメージを表現することが私には不可能なのが残念です。 カイトさんが何を思って このスレを名付けたかは、ベルさんがおっしゃっているとおりだったと思います。カイトといえば お子さんが小学校に入学されて いまは、通学路になれてくれないかなあ。と思っておられるころです。 そういえば、わたしは、先日 子守りのボランティアで カイトさんと同じ立場の方と会議をする機会がありました。時間的に とても大変なのが手にとるように解るのです。わたしの子どもがカイトさんのお子さんと同じ年齢の頃。私も 詩を書いていました。今のカイトさんの言葉に触れたいと思うのは、あの日々が 眩しいということも あるなあと思ってます。 話は、かわりますが 私の書いた大統領の詩の件ですが、あれは蛾兆さんのおかげです。私は広島在住なので、実際に 日常生活の中で碑をみる機会や、被爆を経験しておられる方々と さりげない会話をすることは たくさんあるのですが、それらは なかなか詩にはなりにくいのです。それでも どうにか すくなくとも このサイトの中では 人目に触れやすいポジションに詩を置くことができました。感謝しています。ありがとうございます。 わたしにできることは、すくないです。実生活の中でできる ささいなこと。前向きにあるために出来ることが わたしにも あるかも知れません。ネットの交流とは無関係に、ちゃんと、小さな戦いを わたしも粛々と闘おうと思えています。ありがとうございます。 ベルさんへ 思い遣りの能力もなくて、 おわびの言葉もありません。 わたしは、おっしゃるとおり 会話の能力が 無いなのかもしれません。 それでもなんとか生きていけているのは、 私の実生活には そうとう ゆるい心で接してくれる人々がいて 恵まれているのだと 思います。 そのおかげで、こんな私でも 生きていることに気が付きました。 気が付くことができて よかったです。ありがとうございます。 ベルさんには これまでたくさんのアドバイスをいただいてきました。 私は、今でも いただいた言葉を反芻しつづけてはいますが、 ベルさんが 私が馬鹿なばっかりに 私に対して残念に思っておられることは、 理解しています。 どうぞ しようもないことに気をとめるこなく、 ベルさんの貴重なお時間が、ベルさんの さらなる ご活躍に結び付けられるためにありますよう 祈っています。 # 並行企画@プチ企画=【魔術的リアリズムの詩】を書こう! ~現行の企画と並行して行います。参加は自由。 (コツ) より日常をつきつめることで埋もれている異常を抉りだして下さい。 誰にでも書けるものではないので 参加は自由です。(無理だと思ったたら棄権して下さい) ** * カイトは、寺山修司のことばから、このスレの題を引いた とかつて言っていたようにおもいますが、 寺山に『さらばハイセイコー』という詩がありますね。 わたしは、キャッチボールを例に苦言を呈しましたが、 想像力の届く距離が短すぎるひとにはいまも唖然とするばかりです。 また、 スローボールのやりとりばかり見せられるのも、 飽き飽きするだろうな、と観衆の気持ちもつい「想像」してしまう。 ボードレールの言った「詩人の特権」ということを 考えたほうがいいでしょう。 >詩人は、思いのままに自分自身でもあり他者であることができるという、この比類なき特権を享受している・・・ わたしが出したキャッチボールが出来るできないという比喩は、そんなに軽いものではありませんよ。 * おはようございます。 蛾兆さん 「 僕はですね。 もう半分ぐらいは、次の戦後の視点に立とうかな、と思ってます。」って、 さらっと すごいことを おっしゃるなあと おもいました。 つぎの戦争の戦後。 ものごとには 原因があって結果があるのでしょうが、そして 戦争に さまざまな原因があって おこるのでしようが、戦争という結果が現実になっていないのに そのまだ見ぬ戦争の戦後の視点を 蛾兆さんは 半分も持つのですか? わたしには 蛾兆さんのお話って SF的シーソーだなあと思いました。 シーソーって遊具のアレのことです。 シー&のこぎりです。 シーソーの半分に未来戦争の戦後を置いて もう片方に蛾兆さんが据わっている図を 思い浮かべてみたけれど、 なんだか すごいなあ とほうもないなあと、呆然と思うばかりです。 プチ企画参加作品【はなかんむりの ちんもく】 しろつめぐさのさく みちは はなかんむり おかんむりだった あのひとの あたまに はなかんむりを かざりたい ゆうぐれ あの おいかりは はじめから はじめたいだけの ばくはつだったと かぜが おしえてくれた おちこむ日は むりに えがおなんか つくらずに ベートーベンの悲愴を聴くがいいよと ゆうやみも おしえてくれる 沈黙したままの たいようのね フレア いまも ばくはつしてる ちなみに この詩が、鴨のお話から、連想した詩です。 いつものことながら 駄文しかかけず、申し訳ありません。 *** 幻を見る人 田村隆一 四篇 空から小鳥が墜ちてくる 誰もいない所で射殺された一羽の小鳥のために 野はある 窓から叫びが聴えてくる 誰もいない部屋で射殺されたひとつの叫びのために 世界はある 空は小鳥のためにあり 小鳥は空からしか墜ちてこない 窓は叫びのためにあり 叫びは窓からしか聴えてこない どうしてそうなのかわたしには分らない ただどうしてそうなのかをわたしは感じる 小鳥が墜ちてくるからには高さがあるわけだ 閉されたものがあるわけだ 叫びが聴えてくるからには 野のなかに小鳥の屍骸があるように わたしの頭のなかは死でいっぱいだ わたしの頭のなかに死があるように 世界中の窓という窓には誰もいない * はじめ わたしはちいさな窓から見ていた 四時半 犬が走り過ぎた ひややかな情熱がそれを追った (どこから犬はきたか その痩せた犬は どこへ走り去ったか われわれの時代の犬は) (いかなる暗黒がおまえを追うか いかなる欲望がおまえを走らせるか) 二時 梨の木が裂けた 蟻が仲間の屍骸をひきずっていった (これまでに われわれの眼で見てきたものは いつも終りからはじまった) (われわれが生れた時は とっくにわれわれは死んでいた われわれが叫び声を聴く時は もう沈黙があるばかり) 一時半 非常に高いところから 一羽の黒鳥が落ちてきた (この庭はだれのものか 秋の光りのなかで 荒廃しきったこの淋しい庭は だれのものか) (鳥が獲物を探すように 非常に高いところにいる人よ この庭はだれのものか) 十二時 遠くを見ている人のような顔で わたしは庭を見た * 空は われわれの時代の漂流物でいっぱいだ 一羽の小鳥でさえ 暗黒の黒にかえってゆくためには われわれのにがい心を通らねばならない * ひとつの声がおわった 夜明けの 鳥籠のなかでそれをきいたとき その声がなにを求めているものか わたしには分らなかった ひとつのイメジが消えた 夕闇の 救命ボートのなかでそれをみたとき その影がなにから生れたものか わたしには分らなかった 鳥籠から飛びさって その声が われらの空をつくるとき 救命ボートをうち砕いて その影が われらの地平線をつくるとき わたしの渇きは正午のなかにある 鴨のお話から、 田村という人の書いた 鳥が落ちてゆく詩を、連想しました。←とりあえず、ここが、一番 言いたいです。 あとの文章は、付け加えのようなものです。 田村という人は ほかにも 死を連想させる詩を書いているのですが、 死を強く認識させるしている詩人は、戦争をご存知のことが、おおい きがします。 しかし、現代の物書きも 死を認識させることが多い。そこが、わたしには 不穏な きがする。 と、書きました。リンクを貼った理由は、 こんな私が、読むべき詩があると思う。その詩集を書いた人も、戦争をしっている。その詩集は読む薬といえる作品なのではないか?と、言う意味で、リンクを貼りました。 えーーーーと、オッケイですか? おはようございます。渚鳥さんの鴨のお話から 以前どなたかに教えていただいた田村隆一の「幻を見る人」という詩を思いました。 そして田村隆一の「腐刻画」という詩も ついでに読みました。 「腐刻画」の冒頭は、 »ドイツの腐刻画でみた或る風景が と、いう詩行ではじまります。このスレッドの名前は【詩ヌマデ...】ですが、 「死」は同時に「詩」。というのが、このスレッドの名前ですが、 瀕死の鳥を想う渚鳥さんのお気持ちにも、ソレに通じる詩を感じたのです。 死と詩が近い詩人は、戦争と関係していることが多いようです。(当然といえば当然かもしれませんが) ところが近年はどうなのでしょう。今年の正月番組の百分で名著という番組の中で、現在の書き手は なぜか戦争めいたものを書くと今の自分の気持ちに ぴったりくるという人が増えていると コメンティターの中のおひとりが おっしやっていました。たしかに 平積みされている本屋の本にも きな臭いものがあるようです。 田村隆一は、太平洋戦争後の詩人です。けれど、今の私たちが モラルのない すくいのない詩情のことを おもわずにいられないこの気持ちは なんなのだろうかと、思うのです。 ちなみに、私が いま 一番 購入したい本は、E・ケストナーの【人生処方詩集】です。http://blog.livedoor.jp/yukiesaoharu/archives/60324975.html まだ沈黙の詩がかけてないので、黙ります。では また @<沈黙する詩行>(私の2) * 低い石塀を越して 口をとがらせて 死んだ夫が 寝巻姿で立っているアトリエ 普通の場合ならば それで よかった * @【沈黙の詩行】@蛾兆ボルカさんの企画へ 参加作品/ * 「条痕」 ぼくは、〈沈黙〉のまわりで遊んでいたことがある。 なんの裏付けも無いことばよりもそれが信じられたのだ。 大人たちの居間で飛び交う〈ことば〉の ひどく空ろな虚構よりも。 太陽がぼくの影を見つけた日は特に、 子供部屋に置かれた巨きな鏡の中で 響いていく〈沈黙〉が確かだった。 定冠詞の付いた〈沈黙〉 いつもその沈黙の螺子(ねじ)を巻きながら 逃げ遅れた小道で 何億もの黎(くろ)い手に首や足を掴まれた。 そんなとき, 必死で伸ばした ぼくの手がつかむのは いつだって 瞬間の白骨。 * 渚鳥さんへ メッセージと 曲と、未発見の絵を 受け取ってくださって、ありがとうございます。 渚鳥さんのいらっしゃる公園は、 華があっていい感じだなあと、おもう人は 私だけじゃないはず。 わたしが、なにか 気にしてると思っておられるようだけど、それは 無いです。 楽しい顔文字、笑いました。 わたしの良い点も ちゃんと見ていてくださってること。わかってました。 では、また。 公園の雰囲気づくり https://www.youtube.com/watch?v=7wfYIMyS_dI 渚鳥さんへ 太陽のリエゾンをご投稿のときに わたしは、中学のときに 忘れられない夢をみて めざめてすぐに絵にしたものを 渚鳥さんにお見せしたくなり ただいま 掃除中です。なにがいいたいかというと すごく良い詩情があの詩には含まれていたと、私は言いたい! わたしの中学のときの夢の中に噺をもどします。夢の中で私は鏡をのぞきこんでいて 自身の瞳の中に 砂の光景があり ピラミッドと少女がいるという絵です。 リアルより リアルなイメージは本人を喚起させます。(←わたしの体験です。) なにか身体に変調をきたしているときはとくに、 あなたのもっておられる太陽のリエゾンの躍動に耳をかたむける絶好のチャンスのような気がするんです。 蛾兆ボルカさん 石原吉郎というと、沈黙という視点から、僕は考えますが、 絵画芸術は、実物を見ると、けっして沈黙していない、という (両者が共通してもっている厚みが、ポエジーの源になる《魂》なんでしょうが) そんな実感から、私じしんが(個人的に)なんとなく考えている、 という感じでいるだけです。 停滞している人々というのは足枷にしかならない所があるものです。 これは、詩というより人生からの実感ですが。 停滞のなかに引きずり込んだまま道連れにしようとしますね。 停滞の渦の中でもがいている者が、はたして 脱出できるかどうかは、運なのか、 もっとましな世界や人々を見つけることなのか、 その辺も、模索中という感じでいるところです。 * 私のプチ企画は、応答がなくなった時点で終了です。 あたらしい企画が出された場合も終了します。 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 スレッドを新規に作成したり、コメントを書き込むにはログインが必要です。
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