2016 05/23 08:26
るるりら
おはようございます。渚鳥さんの鴨のお話から 以前どなたかに教えていただいた田村隆一の「幻を見る人」という詩を思いました。
そして田村隆一の「腐刻画」という詩も ついでに読みました。
「腐刻画」の冒頭は、
»ドイツの腐刻画でみた或る風景が
と、いう詩行ではじまります。このスレッドの名前は【詩ヌマデ...】ですが、
「死」は同時に「詩」。というのが、このスレッドの名前ですが、
瀕死の鳥を想う渚鳥さんのお気持ちにも、ソレに通じる詩を感じたのです。
死と詩が近い詩人は、戦争と関係していることが多いようです。(当然といえば当然かもしれませんが)
ところが近年はどうなのでしょう。今年の正月番組の百分で名著という番組の中で、現在の書き手は なぜか戦争めいたものを書くと今の自分の気持ちに ぴったりくるという人が増えていると コメンティターの中のおひとりが おっしやっていました。たしかに 平積みされている本屋の本にも きな臭いものがあるようです。
田村隆一は、太平洋戦争後の詩人です。けれど、今の私たちが
モラルのない すくいのない詩情のことを おもわずにいられないこの気持ちは なんなのだろうかと、思うのです。
ちなみに、私が いま 一番 購入したい本は、E・ケストナーの【人生処方詩集】です。
http://blog.livedoor.jp/yukiesaoharu/archives/60324975.html
まだ沈黙の詩がかけてないので、黙ります。では また