詩ヌマデアイ詩テ[656]
2016 05/26 08:47
るるりら

■渚鳥さんへ

「るるりらさんは元気いっぱいにボール投げてきてるのは分かるんです。ボールが3つか4つに分かれて見えたのは、私の乱視のせいかもよ!落ち込まないで。」by 渚鳥さん

私は、複数の方に ボールを 不特定多数の方に、いくつか投げましたよ。
ボールはたくさん投げたと思います。返していただけて嬉しかったボールも ありました。
渚鳥さんが かえしてくれるべきボールも ちゃんとかえしていただいたんで、わたしは元気です。なんくるないさー。
わたしが投げたのはバレーボールのようなものです。場外にするつもりで投げたボールもありましたよ。そして、実際放置していただきしまたあ。なんくるないさー。そして、なにより
渚鳥さんの 身体の調子も きっと よくなります。なんくるないさー。
 
■蛾兆さんへ
鴨のお話も興味深かったですし、『六角亭』の詩も面白かったです。おかげさまで私自身の創造力が かきたてられてます。両方(鴨&六角亭)に仏教思想もおりまぜて 一度は、思考しました。
 いまは 何も考えずに、わたしの詩が 降りてくるのを 待っている状況です。

■紫の菫さんへ

わたしが照会させていただいた詩に感応してくださってありがとうございます。
黙ることないですよお。

わたし自身、鴨の詩から まっさきに思い出したのは、わたし自身の経験した
生き物が私に見せてくれたナマの死を 思いました。
戦争と比べたら、あらゆる死が ちいさな話に思えて恐縮しておられる お気持ちも解ります。

わたしには近しい人々を続けて亡くした年が あるのですが、
そのとき私は「戦争みたいだ」と ネットに吐き出しました。そして、
「わたしの経験する死くらいで 戦争みたいだと言ってはいけない気がする。」
と 私も云いました。
すると
先輩詩人さんが
「命に差は、ないよ。」と云ってくださいました。そして、 その方の作品の中に
はじめて飼った一羽の小鳥の死を表現しておられる詩を拝読したとき、
私は とても感動しました。

死への潜在的な恐怖は、生きている者の常として持っているはずですが、
その恐怖を内側に潜在させていないと 生きていけないことも、人間には あると思うのです。
ただ すっかり死を忘れるなんて、そんなの逆に 生きているとは言えない。

小鳥でも鴨でも死を わたしたちに示してくれるとき、わたしたちは
大切なことを感受させてもらっているのだと思います。 


●みなさんへ
「魔術的リアリズム」ですかあ。をお それは、みなさんの作品を読ませていただくのが楽しみです。
わたしは、オバマさんというリアルのほうに心を置きたいので、休憩です。
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