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失礼致しました、、、、 水洟や鼻の先だけ暮れ残る(芥川龍之介) (これは、芥川が死ぬ間際に、祖母の枕元に置いた色紙ですね。) 1番目からこれかい、とよく考えりゃ目出度いのにしときゃ良かったですね、、、、 #ふと思いつきました。好きかどうかは微妙。と言うか、本人が書いた自分の似顔絵の方がインパクトあります by 汰介 二月中旬 内村鑑三 風はまだ寒くある 土はまだ堅く凍る 青きは未だ野を飾らない 清きは未だ空に響かない 冬は未だ我等を去らない 彼の威力は今尚ほ我等を圧する 然れども日は 温かき風も時には 芹は泉のほとりに生えて 魚は時に巣を出て遊ぶ 冬の威力はすでに挫けた 春の到来は遠くはない #「現代日本詩集」1981二版 新学社 by 佐々宝砂 「愛の苑生」 愛の苑生に行きしかば 絶えて見ざりしものを見つ 遊びなれにし芝園の さなかにみ寺たちゐたる み寺の門は鎖されて 「不可入」と扉にあれば 妙なる花のここだ咲く 「愛の苑生」に帰り來つ さはれ苑生に花はなく み墓や塚の立ち竝び 黒衣の僧らゆき交ひて 喜びや望みは刺[薔薇]にからめける ウィリアム・ブレイク 早矢仕寶三譯 「名詩名譯」 昭和26年 創元社 by 織部桐二郎
著作権上の問題がありますので、掟は厳密に守って下さい。 暗黙のルールではなく明文化されたルールです。 著作権上の違反を見つけたら警告なしで即刻削除します。 著作権に関するルールは青空文庫に準拠します。 青空文庫に掲載されているものはダメだとゆーことにしてましたが、 あまり意味ないルールのような気がしてきたので、 青空文庫に掲載されているものでもよしとします。 (上記三行2007.2/10追記) 青空文庫 http://www.aozora.gr.jp/ 著作権が消滅した作家一覧(青空文庫) http://www.aozora.gr.jp/siryo1.html *** 新月堂の掟 *** 1.著作権切れを確認すること。 2.作者・翻訳者・引用元を明記のこと。(不明な場合は不明と書く) 3.なるべく自分でタイピングすること。 4.著作権に関する詳しいことは青空文庫をみてくれ。 5.感想つけるのは誰でも自由です。 *** その他諸注意 *** 海外作品の場合、翻訳者の著作権が切れてないとダメです。 たとえば堀口大学の翻訳は著作権が切れてませんからダメ。 海外作品を投稿者本人が翻訳する場合、作者の著作権が切れていれば 投稿は自由です。(この項目、2004.11/28.3:25追記) また、金子みすゞの詩は著作権切れの例外とします。 金子みすゞの詩を発掘した人にわずかなりとも貢献するためのルールです。 全文引用でない場合、「抄」「略」などと明記してください。 ふと思い出したフレーズは、なるべく「好きなフレーズ」スレに投稿しましょう。 厳密なことは言いませんが、旧かな作品はきちんと旧かなで書きましょう。 正字を使ってくれるともっとありがたいです。 感想は自由に書いていいですが、 どこからどこまでが作品で、どこから感想なのかわかりやすく。 感想だけを投稿する場合、「○○の感想」とかなんとか書いてください。 (2004.12/20追記) 過去ログがプロフ左に表示されるようになったので、 地味ィに復活させます。 (2007.8/3追記) 店主は古本屋の親父のよーにガンコですので、 投稿に文句をつける場合があります。 >>24 なかなか改善してくれないので私がなおしてみた。 「愛の苑生」 愛の苑生に行きしかば 絶えて見ざりしものを見つ 遊びなれにし芝園の さなかにみ寺たちゐたる み寺の門は鎖されて 「不可入」と扉にあれば 妙なる花のここだ咲く 「愛の苑生」に帰り來つ さはれ苑生に花はなく み墓や塚の立ち竝び 黒衣の僧らゆき交ひて 喜びや望みは刺[薔薇]にからめける ウィリアム・ブレイク 早矢仕寶三譯 「名詩名譯」 昭和26年 創元社 「愛の苑生」 愛の苑生に行きしかば 絶えて見ざりしものを見つ 遊びなれにし芝園の さなかにみ寺たちゐたる み寺の門は鎖されて 「不可入」と扉にあれば 妙なる花のここだ咲く 「愛の苑生」に帰り來つ さはれ苑生に花はなく み墓や塚の立ち竝び 黒衣の僧らゆき交ひて 喜びや望みは刺[薔薇]にからめける ウィリアム・ブレイク 早矢仕寶三譯 「名詩名譯」 昭和26年 創元社 八木重吉の詩三編 「息を 殺せ」 息を ころせ いきを ころせ あかんぼが 空を みる ああ 空を みる 「風が鳴る」 とうもろこしに風が鳴る 死ねよと 鳴る 死ねよとなる 死んでゆこうとおもう 「素朴な琴」 この明るさのなかへ ひとつの素朴な琴をおけば 秋の美くしさに耐えかね(て) 琴はしずかに鳴りいだすだろう 「八木重吉詩集 日本詩人選14」(小沢書店)より 「揺籃のうた」 北原白秋 ゆりかごのうたを かなりやが歌うよ ねんねこ ねんねこ ねんねこよ ゆりかごのうえに びわの実がゆれるよ ねんねこ ねんねこ ねんねこよ ゆりかごのつなを 木ねずみがゆするよ ねんねこ ねんねこ ねんねこよ ゆりかごの夢に 黄色い月がかかるよ ねんねこ ねんねこ ねんねこよ #「美しい日本の子どものうた」ドレミ楽譜出版社より引用 sage >>14 内村鑑三の二月中旬、こちら、神奈川のこの辺りでは丁度一月今頃のよう。 空に響く清きはむしろ冬にのみ数えるほどの土地柄ですが。 #新月堂、こーっそり復活、とのこと。また楽しみにしています。 #既に三回ルールのようでしたので。sage こーっそり復活。 「北寿老仙をいたむ」 与謝蕪村 君あしたに 何ぞはるかなる 君をおもふて岡のべに をかのべ何ぞかくかなしき 見る人ぞなき 友ありき河をへだてゝ へげのけぶりのはと はげしくて のがるべきかたぞなき 友ありき河をへだてゝ ほろゝともなかぬ 君あしたに 何ぞはるかなる はなもまいらせずすごすごと ことにたうとき 釈蕪村百拝書 #常に私のパソコンにいらっしゃる文書(最初はたぶん新聞の切り抜きから書き写した) #蕪村30歳の作(1746年)。「春風馬堤曲」と並ぶ蕪村の実験的前衛作品。 #明治の新体詩を彷彿とさせる文語自由律詩の体裁は、 #漢詩の和訳の体裁からきているらしい。 *** 「一本のガランス」村山槐多 ためらふな、恥ぢるな まつすぐにゆけ 汝のガランスのチユーブをとつて 汝のパレツトに直角に突き出し まつすぐにしぼれ そのガランスをまつすぐに塗れ 生のみに活々と塗れ 一本のガランスをつくせよ 空もガランスに塗れ 木もガランスに描け 草もガランスにかけ 魔羅をもガランスにて描き奉れ 神をもガランスにて描き奉れ ためらふな、恥ぢるな まっすぐにゆけ 汝の貧乏を 一本のガランスにて塗りかくせ。 (『槐多のうたへる』より) 萩原朔太郎『純情小曲集』より愛憐詩篇 「夜汽車」 有明のうすらあかりは 硝子戸に指のあとつめたく ほの白みゆく山の端は みづがねのごとくにしめやかなれども まだ旅びとのねむりさめやらねば つかれたる電燈のためいきばかりこちたしや。 あまたるき"にす"のにほひも そこはかとなきはまきたばこの煙さへ 夜汽車にてあれたる舌には佗しきを いかばかり人妻は身にひきつめて嘆くらむ。 まだ山科(やましな)は過ぎずや 空気まくらの口金をゆるめて そつと息をぬいてみる女ごころ ふと二人かなしさに身をすりよせ しののめちかき汽車の窓より外をながむれば ところもしらぬ山里に さも白く咲きてゐたるをだまきの花。 ** 「こころ」 こころをばなににたとへん こころはあぢさゐの花 ももいろに咲く日はあれど うすむらさきの思ひ出ばかりはせんなくて。 こころはまた夕闇の園生(そのふ)のふきあげ 音なき音のあゆむひびきに こころはひとつによりて悲しめども かなしめどもあるかひなしや ああこのこころをばなににたとへん。 こころは二人の旅びと されど道づれのたえて物言ふことなければ わがこころはいつもかくさびしきなり。 ** 「女よ」 うすくれなゐにくちびるはいろどられ 粉おしろいのにほひは襟脚に白くつめたし。 女よ そのごむのごとき乳房をもて あまりに強くわが胸を圧するなかれ また魚のごときゆびさきもて あまりに狡猾にわが背中をばくすぐるなかれ 女よ ああそのかぐはしき吐息もて あまりにちかくわが顔をみつむるなかれ 女よ そのたはむれをやめよ いつもかくするゆゑに 女よ 汝はかなし。 ** 「桜」 桜のしたに人あまたつどひ居ぬ なにをして遊ぶならむ。 われも桜の木の下に立ちてみたれども わがこころはつめたくして 花びらの散りておつるにも涙こぼるるのみ。 いとほしや いま春の日のまひるどき あながちに悲しきものをみつめたる我にしもあらぬを。 ** 「旅上」 ふらんすへ行きたしと思へども ふらんすはあまりに遠し せめては新しき背広をきて きままなる旅にいでてみん。 汽車が山道をゆくとき みづいろの窓によりかかりて われひとりうれしきことをおもはむ 五月の朝のしののめ うら若草のもえいづる心まかせに。 ** 「金魚」 金魚のうろこは赤けれども その目のいろのさびしさ。 さくらの花はさきてほころべども かくばかり なげきの淵(ふち)に身をなげすてたる我の悲しさ。 ** 「静物」 静物のこころは怒り そのうはべは哀しむ この器物(うつは)の白き瞳(め)にうつる 窓ぎはのみどりはつめたし。 ** 「涙」 ああはや心をもつぱらにし われならぬ人をしたひし時は過ぎゆけり さはさりながらこの日また心悲しく わが涙せきあへぬはいかなる恋にかあるらむ つゆばかり人を憂しと思ふにあらねども かくありてしきものの上に涙こぼれしをいかにすべき ああげに今こそわが身を思ふなれ 涙は人のためならで 我のみをいとほしと思ふばかりに嘆くなり。 ** 「蟻地獄」 ありぢごくは蟻をとらへんとて おとし穴の底にひそみかくれぬ ありぢごくの貪欲(たんらん)の瞳(ひとみ)に かげろふはちらりちらりと燃えてあさましや。 ほろほろと砂のくづれ落つるひびきに ありぢごくはおどろきて隠れ家をはしりいづれば なにかしらねどうす紅く長きものが走りて居たりき。 ありぢごくの黒い手脚に かんかんと日の照りつける夏の日のまつぴるま あるかなきかの虫けらの落す涙は 草の葉のうへに光りて消えゆけり。 あとかたもなく消えゆけり。 ** 「利根川のほとり」 きのふまた身を投げんと思ひて 利根川のほとりをさまよひしが 木の流れはやくして わがなげきせきとむるすべもなければ おめおめと生きながらへて 今日もまた河原に来り石投げてあそびくらしつ。 きのふけふ ある甲斐もなきわが身をばかくばかりいとしと思ふうれしさ たれかは殺すとするものぞ 抱きしめて抱きしめてこそ泣くべかりけれ。 ** 「浜辺」 若ければその瞳(ひとみ)も悲しげに ひとりはなれて砂丘を降りてゆく 傾斜をすべるわが足の指に くづれし砂はしんしんと落ちきたる。 なにゆゑの若さぞや この身の影に咲きいづる時無草(ときなしぐさ)もうちふるへ 若き日の嘆きは貝殻もてすくふよしもなし。 ひるすぎて空はさあをにすみわたり 海はなみだにしめりたり しめりたる浪のうちかへす かの遠き渚に光るはなにの魚ならむ。 若ければひとり浜辺にうち出でて 音(ね)もたてず洋紙を切りてもてあそぶ このやるせなき日のたはむれに かもめどり涯なき地平をすぎ行けり。 ** 「緑陰」 朝の冷し肉は皿につめたく "せりい"はさかづきのふちにちちと鳴けり 夏ふかき"えにしだ"の葉影にかくれ あづまやの藤椅子(といす)によりて二人なにをかたらむ。 さんさんとふきあげの水はこぼれちり さふらんは追風(つゐふう)にしてにほひなじみぬ。 よきひとの側(かた)へにありてなにをかたらむ すずろにもわれは思ふ"ゑねちや"の"かあにばる"を かくもやさしき君がひとみに 海こえて燕雀(えんじやく)のかげもうつらでやは。 もとより我等のかたらひは いとうすきびいどろの玉をなづるがごとし この白き舗石(しきいし)をぬらしつつ みどり葉のそよげる影をみつめゐれば 君やわれや さびしくもふたりの涙はながれ出でにけり。 ** 「再会」 皿にはをどる肉さかな 春夏すぎて きみが手に銀の"ふおうく"はおもからむ。 ああ秋ふかみ なめいしにこほろぎ鳴き ええてるは玻璃(はり)をやぶれど 再会のくちづけかたく凍りて ふんすゐはみ空のすみにかすかなり。 みよあめつちにみづがねながれ しめやかに皿はすべりて み手にやさしく腕輪ははづされしが 真珠ちりこぼれ ともしび風にぬれて このにほふ舗石(しきいし)はしろがねのうれひにめざめむ。 ** 「地上」 地上にありて 愛するものの伸長する日なり。 かの深空にあるも しづかに解けてなごみ 燐光は樹上にかすかなり。 いま遥かなる傾斜にもたれ 愛物どもの上にしも わが輝やく手を伸べなんとす うち見れば低き地上につらなり はてしなく耕地ぞひるがへる。 そこはかと愛するものは伸長し ばんぶつは一所にあつまりて わが指さすところを凝視せり。 あはれかかる日のありさまをも 太陽は高き真空にありておだやかに観望す。 ** 「花鳥」 花鳥(はなとり)の日はきたり 日はめぐりゆき 都に木の芽ついばめり。 わが心のみ光りいで しづかに水脈(みを)をかきわけて いまぞ岸辺に魚を釣る。 川浪にふかく手をひたし そのうるほひをもてしたしめば かくもやさしくいだかれて 少女子どもはあるものか。 ああうらうらともえいでて 都にわれのかしまだつ 遠見にうかぶ花鳥のけしきさへ。 ** 「初夏の印象」 昆虫の血のながれしみ ものみな精液をつくすにより この地上はあかるくして 女の白き指よりして 金貨はわが手にすべり落つ。 時しも五月のはじめつかた。 幼樹は街路に泳ぎいで ぴよぴよと芽生は萌えづるぞ。 みよ風景はいみじくながれきたり 青空にくつきりと浮びあがりて ひとびとのかげをしんにあきらかに映像す。 ** 「洋銀の皿」 しげる草むらをたづねつつ なにをほしさに呼ばへるわれぞ ゆくゆく葉うらにささくれて 指も真紅にぬれぬれぬ。 なほもひねもすはしりゆく 草むらふかく忘れつる 洋銀の皿をたづね行く。 わが哀しみにくるめける ももいろうすき日のしたに 白く光りて涙ぐむ 洋銀の皿をたづねゆく 草むら深く忘れつる 洋銀の皿はいづこにありや。 ** 「月光と海月(くらげ)」 月光の中を泳ぎいで むらがるくらげを捉へんとす 手はからだをはなれてのびゆき しきりに遠きにさしのべらる もぐさにまつはり 月光の木にひたりて わが身は玻璃のたぐひとなりはてしか つめたくして透きとほるもの流れてやまざるに たましひは凍えんとし ふかみにしづみ 溺るるごとくなりて祈りあぐ。 かしこにここにむらがり さ青にふるへつつ くらげは月光のなかを泳ぎいづ。 #岩波文庫「萩原朔太郎詩集」 二月中旬 内村鑑三 風はまだ寒くある 土はまだ堅く凍る 青きは未だ野を飾らない 清きは未だ空に響かない 冬は未だ我等を去らない 彼の威力は今尚ほ我等を圧する 然れども日は 温かき風も時には 芹は泉のほとりに生えて 魚は時に巣を出て遊ぶ 冬の威力はすでに挫けた 春の到来は遠くはない #「現代日本詩集」1981二版 新学社 伊東静雄 夜ふけの全病舎が停電してる。 分厚い分厚い闇の底に 敏感なまぶたがひらく。 (ははぁ。どうやら、おれは死んでるらしい。 いつのまにかうまくいつてたんだな。 占めた。ただむやみに暗いだけで 別に何ということもないようだ。) しかしすぐ覚醒がはつきりやつて来る。 押しころしたひとり笑い。次に咳き。 #桑原武夫・富士正晴編『伊東静雄詩集』(彌生書房)より 帰路 伊東静雄 わが歩みにつれてゆれながら 懐中電燈の黄色いちひさな光の輪が 荒れた街道の石ころのうへをにぶくてらす よるの家路のしんみりした伴侶よと私は思ふ 夜ぢゆう風が目覚めて動いてゐる野を かうしてお前にみちびかれるとき いつかあはれなわが視力は やさしくお前の輪の内に囚はれて もどかしい周囲の闇につぶやくのだ ──この手の中のともしびは あゝ僕らの「詩」にそつくりだ 自問にたいして自答して……それつきりの…… 光の輪のなかにうかぶ轍は 昼まより一層かげ深くきざまれてあり 妖精めくあざやかな緑いろして 草むらの色はわが通行をささやきあつた #桑原武夫・富士正晴編『伊東静雄詩集』(彌生書房)より 「 涙は、故知らぬ空しき涙は 神々しき絶望の底より、 胸に湧き、日の中に集る、 幸福なる秋の野を見るとき またあらぬ日を思ふとき。 海のあなたより友をつれ帰る、 その帆の上に輝く第一の光の如く 我等の愛する総ての者と共に難破する、 その帆の上を赤らむ最終の光の如く悲しく、 またあらぬ日は鮮し、悲し。 ああ、おぼろなる夏の夜明方、 半ばめざめたる鳥のいと 死に行く耳に聞え、死にゆく 窓の戸のやうやく白むが如く またあらぬ日は奇異なり、悲し。 死の 我ならぬ人にのみ許さるる唇に、 恋の如く、暴烈の悲みを伴ふ初恋の如く深く、 ああまたあらぬ日は、生の中の死なるかな。 #The Princess<Tears,idle tears...> #アルフレッド・テニスン作 生田長江訳 *** 「秋」 フリードリヒ・ニーチェ 今は秋。その秋の尚ほ汝の胸を破るかな! 飛び去れよかし! 飛び去れよかし! 太陽は山に向ひて 攀ぢ且つよぢて 如何にして世界はかくも萎びはてしぞ! 疲れ弛みし絃の上に 風はその歌を奏でいづ。 望みは逃げ行きて―― 彼はそれを惜しみなくなげくなり。 今は秋。その秋の尚ほ汝の胸を破るかな! 飛び去れよかし! 飛び去れよかし! 嗚呼、木の果実、 汝は打ち震へ、落つるにや? かの夜の、 いかなる秘密をか汝に教へしぞ、 氷の如き戦慄が汝の頬を、 深紅の頬を覆ひ去りしは? 汝は 何人か尚ほ物言ふものぞ? 今は秋。その秋の尚ほ汝の胸を破るかな! 飛び去れよかし! 飛び去れよかし! 『我は美しからず、 ――斯く されど人間は我を愛し 人間は我を慰むるなり―― 彼等は今も尚ほ花を見るべく、 我が方へ身をかがめ、 嗚呼! さて我を手折るべし―― その時彼等の目の内に 思ひ出は輝き現れむ、 そを我は見る、我は見る――かくて死に行く我ぞ。』 今は秋。その秋の尚ほ汝の胸を破るかな! 飛び去れよかし! 飛び去れよかし! #Der Herbst #フリードリヒ・ニーチェ作 生田長江訳 *** 「新しき海へ」 フリードリヒ・ニーチェ あちらへと私は そして私自らを私の考を信用する。 私は私のゼノアの船を出して行く。 すべての物が新しくより新しく照り輝き、 真昼が空間と時間との上に眠つてゐる。 ただ巨怪なる汝の目だけが、 無限よ、汝の目だけが私を見てゐる! #Nach neuen Meeren #フリードリヒ・ニーチェ作 生田長江訳 #『名訳詩集』白鳳社 西脇順三郎・浅野晃・神保光太郎編 小さい手帖から 一日中燃えさかつた真夏の陽の余燼は まだかがやく赤さで 高く野の梢にひらめいてゐる けれど築地と家のかげはいつかひろがり 沈静した空気の中に白や黄の花々が 次第にめいめいの姿をたしかなものにしながら 地を飾る こんなとき野を眺めるひとは 音楽のように明らかな 静穏の美感に眼底をひたされつつ この情緒はなになのかと自身に問ふ わが肉体をつらぬいて激しく鳴り響いた 光のこれは終曲か それともやうやく深まる生の智恵の予感か めざめと眠りの どちらに誘ふものかを 誰がをしへてくれることが出来るのだらう ──そしてこの情緒が 智的なひびきをなして あゝわが生涯のうたにつねに伴へばいい #小川和佑『伊東静雄 孤高の抒情詩人』(講談社現代新書)より引用 #もちろん作者は伊東静雄 秋の夜 私はねずみ好きです 私のおよめさんねずみ嫌ひです 私の 小さい家で 電燈の下で ひつそりと二人ごはん食べてると ちつちやいねずみが かはい目して流しもとで 私達の夕飯みてる 私のおよめさん ごはんやめて まあ いやなねずみ しぃつしぃつ とおひます こりやなに言ふのぢや かはいねずみぢやないか とわたしも御飯やめて ねずみのかはりに およめさんを叱る #小川和佑『伊東静雄 孤高の抒情詩人』(講談社現代新書)より引用 #もちろん作者は伊東静雄 #ちなみに新婚三ヶ月目の頃に書かれた作品だそうです 湖 妻よ 小艇の親和力を信じては いけない あんなに湖面に あれが白く 見ゆるのは 湖の心深いあざむきなのだ #小川和佑『伊東静雄 孤高の抒情詩人』(講談社現代新書)より引用 #もちろん作者は伊東静雄 左川ちか集 *** 「花咲ける大空に」 それはすべて人の眼である。 白くひびく言葉ではないか。 私は帽子をぬいでそれ等をいれよう。 空と海が無数の花弁(はなびら)をかくしてゐるやうに。 やがていつの日か青い魚やばら色の小鳥が私の顔をつき破る。 失つたものは再びかへつてこないだらう。 *** 「緑」 朝のバルカンから 波のやうにおしよせ そこらぢゆうあふれてしまふ 私は山のみちで溺れさうになり 息がつまつていく度もまへのめりになるのを支える 視力のなかの街は夢がまはるやうに開いたり閉ぢたりする それらをめぐつて彼らはおそろしい勢で崩れかかる 私は人に捨てられた *** 「記憶の海」 髪の毛をふりみだし、腕をひろげて狂女が漂つてゐる。 白い言葉の群が薄暗い海の上でくだける。 破れた手風琴、 白い馬と、黒い馬が泡たてながら荒々しくそのうへを駆けわたる。 *** 「青い馬」 馬は山をかけ下りて発狂した。その日から彼女は青い食物をたべる。夏は 女達の目や袖を青く染めると街の広場で楽しく廻転する。 テラスの客達はあんなにシガレツトを吸ふのでブリキのやうな空は貴婦人の頭髪の 輪を落書きしてゐる。悲しい記憶は手巾のやうに捨てようと思ふ。恋と悔恨と エナメルの靴を忘れることが出来たら! 私は二階から飛び降りずに済んだのだ。 海が天にあがる。 *** 「錆びたナイフ」 青い夕ぐれが窓をよぢのぼる。 ランプが女の首のやうに空から吊り下がる。 どす黒い空気が部屋を充たす――一枚の毛布を拡げてゐる。 書物とインキと錆びたナイフは私から少しずつ生命を奪ひ去るやうに思はれる。 すべてのものが嘲笑してゐる時、 夜はすでに私の手の中にゐた。 #(以上、「左川ちか全詩集」より) #↑ものすごく高い本です。私は閲覧してノートに書き写しました。 #その書き写したノートから写したので、改行とか少々違うかもです。 #間違いに気付いた方がいましたら、ご一報下さい。 *** 「童話風な」 小さい時からよく夢を見る方でありました。目が覚めてもそれらの幻覚を失いたくないと大切らしく数えるようにしてしまっておいて顔を洗ったり、髪を結んだりしておりました。私の話といえば夢で見たことばかりなので、その頃、私の友達がまた夢のことなのねと云っては笑いました。誰の足跡もついてない雪の道を見たばかりの夢を語りながら通学した時のことを思い出しますけれど、毎日ずい分沢山の夢を見たものだと思います。 現実ではとても鈍い聴覚や視覚が夢の中ではまるで別のもののようにヴィヴィドで、いたずらで、色んな働きをしておりました。色彩などいつも鮮明なのは不思議だと思います。昔の古びた写真でも見るようなセピヤ色の夢があったり、海が緑色だったりしました。夜眠る時昨日の続が見られますようにとか、あの音楽がもう一度きこえればいいとか、ヨーロッパへ行けますようにとかと願って目を閉じる時もありました。一番夢をもたなければならないような子供時代の現実の生活が私にとってあまり失われ過ぎた、少しばかりみじめだと思えるようなことばかりだったので、こんな風に人の眠る時間でも私の心は起きて、自分で夢を造り、それを最も自然らしく愛したり楽しんだりしていたかったのでしょう。そして夢の中にだけ私が住んで、笑い、空想し、そこから一歩も外へ出ることが出来ないようにしていたかったのです。 明るい昼の間ぼんやりしているのに、夜になると私の空っぽの頭の中へ、素晴らしく精密なエスプリが入って来て、色々とうめあわせをしてくれたのです。夢の中では死んだ人も年齢をとりませんし、こわれたものも形があるし、時間的な、空間的なすき間のようなものも感じられませんし、すべてが現実の進行をしているということは喜ばしいことだと思います。 朝になると逃がしてはいけないことばかりのような気がします。 いまはあまり夢を見ません。見てもすぐ忘れてしまいます。疲れているからではなく、夢を見ても最初に聞いて貰える友達も居なくなったし、そればかりか現実は私にとってすべて夢だからです。 #国書刊行会・書物の王国第二巻『夢』より引用 1 2 スレッドを新規に作成したり、コメントを書き込むにはログインが必要です。
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