古書肆 新月堂[7]
2004 12/20 04:26
佐々宝砂

左川ちか集

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「花咲ける大空に」

それはすべて人の眼である。
白くひびく言葉ではないか。
私は帽子をぬいでそれ等をいれよう。
空と海が無数の花弁(はなびら)をかくしてゐるやうに。
やがていつの日か青い魚やばら色の小鳥が私の顔をつき破る。
失つたものは再びかへつてこないだらう。

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「緑」

朝のバルカンから 波のやうにおしよせ
そこらぢゆうあふれてしまふ
私は山のみちで溺れさうになり
息がつまつていく度もまへのめりになるのを支える
視力のなかの街は夢がまはるやうに開いたり閉ぢたりする
それらをめぐつて彼らはおそろしい勢で崩れかかる
私は人に捨てられた

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「記憶の海」

髪の毛をふりみだし、腕をひろげて狂女が漂つてゐる。
白い言葉の群が薄暗い海の上でくだける。
破れた手風琴、
白い馬と、黒い馬が泡たてながら荒々しくそのうへを駆けわたる。

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「青い馬」

馬は山をかけ下りて発狂した。その日から彼女は青い食物をたべる。夏は
 女達の目や袖を青く染めると街の広場で楽しく廻転する。
テラスの客達はあんなにシガレツトを吸ふのでブリキのやうな空は貴婦人の頭髪の
 輪を落書きしてゐる。悲しい記憶は手巾のやうに捨てようと思ふ。恋と悔恨と
 エナメルの靴を忘れることが出来たら!
私は二階から飛び降りずに済んだのだ。
海が天にあがる。

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「錆びたナイフ」

青い夕ぐれが窓をよぢのぼる。
ランプが女の首のやうに空から吊り下がる。
どす黒い空気が部屋を充たす――一枚の毛布を拡げてゐる。
書物とインキと錆びたナイフは私から少しずつ生命を奪ひ去るやうに思はれる。

すべてのものが嘲笑してゐる時、
夜はすでに私の手の中にゐた。

#(以上、「左川ちか全詩集」より)
#↑ものすごく高い本です。私は閲覧してノートに書き写しました。
#その書き写したノートから写したので、改行とか少々違うかもです。
#間違いに気付いた方がいましたら、ご一報下さい。


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「童話風な」

 小さい時からよく夢を見る方でありました。目が覚めてもそれらの幻覚を失いたくないと大切らしく数えるようにしてしまっておいて顔を洗ったり、髪を結んだりしておりました。私の話といえば夢で見たことばかりなので、その頃、私の友達がまた夢のことなのねと云っては笑いました。誰の足跡もついてない雪の道を見たばかりの夢を語りながら通学した時のことを思い出しますけれど、毎日ずい分沢山の夢を見たものだと思います。
 現実ではとても鈍い聴覚や視覚が夢の中ではまるで別のもののようにヴィヴィドで、いたずらで、色んな働きをしておりました。色彩などいつも鮮明なのは不思議だと思います。昔の古びた写真でも見るようなセピヤ色の夢があったり、海が緑色だったりしました。夜眠る時昨日の続が見られますようにとか、あの音楽がもう一度きこえればいいとか、ヨーロッパへ行けますようにとかと願って目を閉じる時もありました。一番夢をもたなければならないような子供時代の現実の生活が私にとってあまり失われ過ぎた、少しばかりみじめだと思えるようなことばかりだったので、こんな風に人の眠る時間でも私の心は起きて、自分で夢を造り、それを最も自然らしく愛したり楽しんだりしていたかったのでしょう。そして夢の中にだけ私が住んで、笑い、空想し、そこから一歩も外へ出ることが出来ないようにしていたかったのです。
 明るい昼の間ぼんやりしているのに、夜になると私の空っぽの頭の中へ、素晴らしく精密なエスプリが入って来て、色々とうめあわせをしてくれたのです。夢の中では死んだ人も年齢をとりませんし、こわれたものも形があるし、時間的な、空間的なすき間のようなものも感じられませんし、すべてが現実の進行をしているということは喜ばしいことだと思います。
 朝になると逃がしてはいけないことばかりのような気がします。
 いまはあまり夢を見ません。見てもすぐ忘れてしまいます。疲れているからではなく、夢を見ても最初に聞いて貰える友達も居なくなったし、そればかりか現実は私にとってすべて夢だからです。


#国書刊行会・書物の王国第二巻『夢』より引用
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