連座 萬草庵 参軒目(244) ながしそうめん10軒目(110) サイト内の作品やひとことダイヤリーで詩とは何か感じたこと(254) Youtube配信スレ(301) 全自動一行物語シアター(755) 谷川俊太郎さんの好きな詩について教えてください(6) 雑談スレッド7軒目(625) ことことひとこと。その2。(886) システム関連スレ3(768) 貴方の座右の銘はなんでしょうか?(94) 題名だけのスレ12(749) 恋文(699) エリオットしとりあそび(18)(636) 食べているかい?(487) 韻踏み処(21) 絵本スレッド(180) うっかり寝落ち。 2023年4月(3) 好きな詩人(98) フリーの書き出し集(7) ぼくのわたしの美味しいカレー(115) [分類別リスト] [過去ログ倉庫] [すべてのスレッドを表示] 友人宅で801穴とやらの存在を熱く語ってくれた愉快な娘さんがいつの間にか不倫してらっしゃった。 やっぱり二次元が一番良いね! by 只野亜峰 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 #>>85 #はい、お疲れさま。そうくるかなと思っていました。>>84は、あくまで根拠なしの読みでないということを述べただけなのですが #面白いので少し書かせて頂きます。「あきば」が連濁からいえば正しいのは分かります。多くは「あきばじんじゃ」です。しかし、いろいろな書籍やWikipediaで秋葉原は「あきばはら」が元の読みのように書かれているのですが、本当かなっといつも思っています。とても読みにくいからです。秋葉(あきば)を前提として秋葉原を読むのであれば「あきばのはら」「あきばがはら」「あきばっぱら」とした方がずっと読み易いと思います。結局、3つの言葉を繋げた、つまり、秋葉と原をつなげたとき読み易い「あきはばら」という通常の連濁の例外のような読みが定着したのでは無いでしょうか。決してばかな奴が言い出したとも思えないのですが。 #あくまでも私の知っている範囲ですが、「あきばはら」という呼び方をする老人は知りません。「あきばっぱら」や「あきば」という人はいますが。 さらに目くじらたてる上目線(笑)。 by ……とある蛙 とりあえず「上目線」という言葉をいま流行中の意味で使うのはやめてくれ。 あほっぽいし、「自分は下にいる」と卑下慢してるみたいだ。 by 佐々宝砂 参照先不明 #>>90 #面白がって書いただけで反論なんかしていないのに変な具合になっています。しかし、確かに「あきばはら」が読み易いとすれば、私の書いたことはまったく意味の無い考えだとは思います。しかし、それでは自然発生的あるいは慣行として「あきはばら」という地名が定着した理由が分からない。お上が決めたのかなぁ。言い出したやつがばかでも正しくて読み易いあきばはらが定着しないのは謎だ(笑)。 なんか面倒くさいと感じている自分。 by ……とある蛙 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 >>182 #土下座自体は奇習でも何でも無いでしょう。 #ただ、その行為を見て人がどう感じるか、その一点が大事なだけかと。 #安易にする者はすぐ分かるし、 #真摯にする者は「まあまあお手をお挙げなさい」と言える。 #これも文化だと私は思うんです。 by 伊藤透雪 こないだ大阪駅で激痛に襲われ動けなくなり、救急車で急患のとこにはこばれてCTとられて説明されてわかったのだが、俺は生まれつき腎臓が異常なようです。 今思えば、似たような痛みは昔からあったな、と。 18歳にして腎臓がクズ。 by 榊 慧 参照先不明 参照先不明 「それが本当ならひどい」という話はたいていデマなので、 ひどい話はとりあえず疑ってかかることにしている。 何を否定したいかというと、「それが本当ならひどい」の裏側にひそむ 「それが本当ならあいつを糾弾できるからおいらには都合がいい」という意識。 by 佐々宝砂 いちおう書いておくと私が否定したいのはデマではない。 デマを口にする人でもない。 私が否定したいのはデマの裏側にひそむもろもろである。 「それが本当ならあいつを糾弾できるからおいらには都合がいい」というのはその代表。 デマの裏にはろくなものがない。差別や無知や迷信や。 by 佐々宝砂 最近否定する人間がいない。否定することだけが、自分を成長させるのに。 by 番田 言葉が足りないと意味がよくわからない。 >>233 >最近否定する人間がいない。否定することだけが、自分を成長させるのに。 「最近(私を)否定する人間がいない。否定することだけが、自分を成長させる(だから私は成長しない)」のか、それとも、 「最近(私以外の誰かを)否定する人間がいない(略)(だから私以外の誰かは成長しない)」のか、あるいは、 「最近(私は関係なくその人自身をその人自身で)否定する人間がいない(略)(だから自分を自分で否定することによって自分を成長させる人がいない)」のか。 私は3番めのような意味に思ったけど1番が正しいのかもしれない。 by 佐々宝砂 参照先不明 肯定と否定の二項対立は単純すぎると思うんだ。 私はコーヒーが好きでその味も香りも大々的に肯定するけれども、 映画「おいしいコーヒーの真実」などみるとコーヒーのすべてを肯定するわけには行かなくなり、 かといってフェアトレードコーヒー飲んで安穏としてるやつは否定したい。 というかマックスコーヒーは甘すぎて飲めないので私的には否定だ! という感じに世の中はややこしいと思うです。 極端な自己否定は鬱病まっしぐらですので成長も何もなくなり停滞します。 極端に他者を否定しまくるとそれはそれで何か病んでる気がします。 自分と他者を多面的に捉えて、否定したいところは否定して肯定したいところは素直に肯定するほうが精神衛生にいいと思います。 多面的に捉える場合、何かを肯定したとしても考えが終わることはありません。 その何かの中に否定したいことが見つかるときもあるだろうし、肯定したいことがさらに見つかるかもしれません。 またかつてはどうしても肯定できなかった行為や人のことをよく知るにつれて、 「しかたなかったのかもしれない」とか「わかるような気がしてきた」なんてこともあるかもしれません。 (そうなってくると否定と肯定という単語では示しきれません) で、何を否定したいかというと一面的な見方を否定したいです。 by 佐々宝砂 >>241 多くの人は二項対立を曖昧にしてしまうのがよくないところだ。人生は否定と肯定によってのみ成り立っていると言っても過言ではない。つまり、自分が生きるのか死ぬのかということです。生きるということを肯定するよりも、死ぬことを否定することの方が人間の成長の起爆剤になるということを私は主張しているわけです。 by 番田 参照先不明 この暑いのに風邪ひいた。 #ところでどうして風邪は「ひく」ものなんだろうか by 佐々宝砂 差別は悪いことではない by 番田 参照先不明 参照先不明 参照先不明 三十路を越して、N●Kのご長寿忍者アニメを毎日録画し出した自分 by フユナ 参照先不明 参考までに。 http://youtu.be/hzc8_BgH4yw 一般的には人差し指がかかるくらいの手の重ね方をします。 座っているときは太ももの横を滑らすようにして、人差し指と親指で 三角をつくるようにし、そこに向かって礼をするような形です。 座っている時の仕方は、商家に奉公した祖母の指導ですので、 間違ってはいないと思います。sage by 伊藤透雪 参照先不明 参照先不明 私も否定したいほどではないが、何度も言って居る様に、私は自分の投稿詩直下、だいたい1ページ分を目安にポイントを入れている。その中に偶々水鳥詩があるだけだ。だからなければ入れない。なので、自分の主張のために他者に対する権利に鈍感になって居ると言う状況に対して「これは否定したい!」(罪を憎んで人を憎まずですな) 間村長拝 by 間村長 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 おお、たくさんの反論。たくさんあるので一つだけ反論と言うのか、誤りと言うのか、を指摘させてください。 (>>間村長氏 >よっぽど訳の分からない詩など、URLを貼っただけの詩とか、ポイントを入れない場合もありますが、基本自分の投稿詩直下1ページ分(大体27ポイントぐらいになるでしょうか)にポイントを入れるようにして居ます。 https://po-m.com/forum/pcommview.php?hid=6184&did=338374 要するに、間村長氏は、作品の中身に関係なく機械的にポイントをばら撒いているということらしい。 それはそれで、他者の投稿作を十把一絡げに扱う、非常に不誠実な態度だと私は思うが。) 以上引用させていただきましたが、不誠実な態度とは非常にぞんざいな言い方ですね。文芸と言うのは一見そう見えるが、公益性の高い形で成立して居るものもある。他人(ひと)の方針に「不誠実」などとレッテル貼りをやって居る、あなたのさもしい根性がいやだ。せいぜい自分が不興を被ったと言う事だけに限定して不満を言った方が御身のためだと思いますよ。 それと孤蓬さん、あなたは憲法の表現の自由を持ち出すが、あれは戦前の言論弾圧に対する反省から出て来たものだから、当然、「表現の自由」と言うのは出版社レヴェルだとか、嘗ての戦前の共産党などがやって居た、「売文社」などの相当リアルなレヴェル、ぶっちゃけた話金銭的な話を当然の前提として居る事から来て居る。理屈に叶って居るからと言って簡単に表現に使用すると、反射的な利益に過ぎないとかなんとか、より高次の理屈に即して否定されたり、相手にされなくなってしまいますよ。それだけ老婆心なが申しあげておきます。 間村長拝 by 間村長 ポイントバラマキとはひどい。官の仕事と言うのは、どこまでも無謬なのだが結果責任なので、ほんの僅かでも、それが自分の力ではどうにもならないものでも為政者の不徳の致すところとなってしまうのです。自然災害とかですね。現在の政治家はそんな事はないでしょうが、かつての政治家はそうでした。 なので「ばらまき」と言うのは本来、まっとうな仕事を謙遜して官の側、為政者の側が謙遜して言うものだ。児童が面白がって積極的に攻撃用に使ってよいものでは無い。 孤蓬さんあなたは、自分が不興を被ったと言う観点から、過剰防衛に陥って居ますよ。あるいは緊急避難的な行為。 誤魔化しではない、客観的な事実である。自分の行為の客観的な行為とそこから来る科学的な結果に頬かむりして、他人(ひと)の行為の非道さだけを言い立てる、独善的な暴走に陥って居る。あなたの方こそクリミナルローの精神をないがしろにして、都合のいい知識としか見なしていない。お前の母ちゃんでべそレヴェルの誹謗中傷なのである。 by 間村長 あ、それと花形君、森鴎外が「ウィタセクスアリス」を執筆して、三田文学に掲載したからと言って、ロリコン野郎に成りますか。それは娘さんの森茉莉が居た彼に対するネガティヴキャンペーンにしかなりませんよ。せいぜい三田文学が一時的に発禁処分になっただけです。 嘗ては内務省に検閲局があって、言論弾圧が行われていたのですね。そういう沿革史的な事情から今の日本国憲法の表現事由があるのです。でもその日本国憲法ですら、個人の権利の行使は公共の福祉に従うとあります。無制限な自由を謳歌していいとは成って居ないのです。孤蓬さんあなたのやり方は自分は公共の福祉だから、私に従えとまで、そのような印象さえ受けますよ。あなたは公共の福祉ではない、人間なのだから昭和天皇みたいに人間宣言をしなすったらよかろうと思いますよ。 by 間村長 一輪車さん、読みもしないのにポイントを入れているなどと、誰が言ったのか、そんな事は一度もないですね。勝手な決めつけでしかないですね。一度もそんな事はやったことが無い。 by 間村長 ちゃんと読んだうえでポイントは入れていますね。 by 間村長 間村長さん これは失礼しました。 でも、以下の発言はそうとられてもしょうがないでしょう。 今更、読んでますと訂正されてもね。 いずれにせよ、訂正は受け入れますが、前の発言から受けた印象を変えるつもりはありません。 >よっぽど訳の分からない詩など、URLを貼っただけの詩とか、ポイントを入れない場合もありますが、基本自分の投稿詩直下1ページ分(大体27ポイントぐらいになるでしょうか)にポイントを入れるようにして居ます。 by 一輪車 参照先不明 なにーっ、まそんちょうの分際で俺に君づけだとーっ! それで、何だこいつ、ポイントばらまいてやがんのか? おい、何が目的だ?新たな自称詩人ネットワークの構築でも 企んでのか?まそんちょうなのに。 by 花形新次 # >>438 で間村長氏が花形氏のことを「花形君」などと君づけで呼んでいることを、花形氏はご存じあるまい。 こんなこと言って居ますが、これは私の口調であって、とやかく言われる筋合いではないですね。本人が気分を害して居るのであれば話は別ですが。 しかも私は直接的には水鳥君を擁護して居ませんね。そこに作品があるから読むだけだ。人の詠む権利は侵害できないはずだ。 貴方の言って居る事は人の出産行為すら妨害しているように思える。なぜなら生まれて来なければ死ぬ必要などないからだ。あなたの言って居る原則的なニュアンスはそこまで私に言わせてしまうほどだ。 生まれて来なければ、死ぬ必要もないから、出産行為自体が死の恐怖を味わわせる無用な行為、悪趣味な行為だと言う事になる。そこまで根源的な主張に思えてきますよ、あなたの主張は。(あなたは悪いところだけに注目している) その上で具体的に反論すれば 「ばらまき」は金品、金銭などを、でしょう。ネットの「票」が該当するかどうかは慎重な検討が必要なはずだが、あなたは、飛躍するかのように、語義に適った行為と言って居られる(自分の「ばらまき」だと言う指摘行為を)。本当に適って居るのか。「金品など、金銭などを」だから、人の試作品を読んで、票を入れる行為が「金品、金銭」に該当するのかどうか、慎重な検討を欠いているのに、飛躍的に語義に適った(行為)だと言って居る、私には飛躍にしか見えない。 時間がないのでその他の反論はまたあとにします。 by 間村長 昨日は一本しか反論できなかったので今日はその二本目です。 >孤蓬さんあなたは、自分が不興を被ったと言う観点から、過剰防衛に陥って居ますよ。あるいは緊急避難的な行為。(>>437) これも頓珍漢で誤った主張。 ここもそう。自分の正しさを強弁するために、ありとあらゆる正しい考え方を援用する。それで違法でないか違法でないかの一点張り。そんなこと言うなら教育基本法の理念に照らして、体罰教師は全て暴行罪で告訴せねばならないと言う論法になる。あなたの言って居る事はそう言う理屈だ。自分の殻だけに閉じこもって居る。或いは人の優しさに付け込んで居る。通常では違法になるとは体罰教師の事だ。あなたの言って居る事はそういう事だ。 by 間村長 >嘗ては内務省に検閲局があって、言論弾圧が行われていたのですね。そういう沿革史的な事情から今の日本国憲法の表現事由があるのです。(>>438) この認識も誤り。 日本国憲法はGHQの草案を下書きにしたものであり、GHQ草案は、独立宣言や合衆国憲法などを範とする。 これも意味が分からん。アメリカにこびているだけだ。それにこっちの出方によって、こっちがまいる理屈を仕掛けているだけだ。だから本当は何でも良いのだ。つまりこっちがアメリカを持ち出せば、国産だとか日本の事情を持ち出したはずだ。ひたすらやっつけることだけを主眼に置いて居る。これでは小学生も騙せない。こっちが出方に対してどう言えばまいるか、それだけしか考えて居ない。 by 間村長 参照先不明 反論する要素が多いので、とりあえず6月2日付の所から続きで。三本連続投稿できないとは知らなかった。 孤蓬さんあなたのやり方は自分は公共の福祉だから、私に従えとまで、そのような印象さえ受けますよ。(>>438) 「自分は公共の福祉」などというような意味不明で阿呆な見解を、私が一言でも述べた事実はない。 ここもそう。他人(ひと)の言った事に対してはすぐそうやって「阿呆な見解」とか言う。あなたの論法こそ自分だけに閉じこもって居る、独我論的な阿呆な見解だ。こけおどしを通り越して悲しくなる。自分は一般的正しい事を引用し放題だが、他人のやって居る事は気に食わないと言う論法だ。阿呆だの、躍起だの、一言も言って居ないだの、他人(ひと)の行為を下げているだけ。自分は正しい論法を出し放題だが、他人の正しさは全部だめ、全部通らないと言う独我論に陥っている。一方通行なへんてこりんな論法だ。 さて、 >>誤魔化しではない、客観的な事実である。(>>437) などと間村長氏は吹いておられるが、大丈夫か? 同氏の出鱈目ぶりは、従来、そして、ここにおいても完全に立証済み。 そうして、世間様も重々ご承知。 ここもそう。何を証明したと言うのか。ただ自分の正しさを押し付けただけ。世間様は孤蓬様の事だ。 更に、間村長氏は、いよいよもって大胆にも、 >>自分の行為の客観的な行為とそこから来る科学的な結果に頬かむりして、他人(ひと)の行為の非道さだけを言い立てる、独善的な暴走に陥って居る。あなたの方こそクリミナルローの精神をないがしろにして、都合のいい知識としか見なしていない。お前の母ちゃんでべそレヴェルの誹謗中傷なのである。(>>437) などと仰せだが、ご自分のご発言がことごとくブーメランとなって同氏を猛烈に襲っている事実を認識なさったであろうか? ここもごまかしだらけ。自分の痛みを過激な理屈な変えているだけ。ブーメランとなって帰って来て居るのは孤蓬丸にだ。独善的な暴走は孤蓬号がだ。 とりあえず古いのに(古いのはあなたの事じゃないですよ。6月2日付の記事の事だ。あなたはこういう邪推しやすい、誤解しやすい事に過剰反応しているのではないか)反論が終わったので新しいのに。 最新ので言うと矢張り御高説一々ごもっともなのだが、そんな鬼のような正しさがあるから太平洋戦争などで、有意な若者がたくさん死ぬのではないのか、あたなはそんなような悲惨な現実の先棒を担いでいる。 そしてあなたは詭弁家と言うが、詭弁かと言うのはギリシャなどで発生して、ソフィストとも関連付けられている。やはり当時としては詭弁と言いたくなるような悪い事情もあっただろうが、何といっても職業としては成立して居たのですね。軽々しく「詭弁家」と使われると、職業として成立する水準を誤解することになる。古代ローマなどでは、キケロなどは暗殺されているではないか。そんな深刻さも相まって、ネガティヴな部分だけに着目して「詭弁家」と言って居るだろうから、職業的なレヴェルで成立する水準の高さを見落とす事になるとおもいますね、「詭弁家」と言って居ては。 最後に一番焦点に成って居ると思われる箇所。水鳥氏にポイントを入れる行為。そんな軽蔑するべき行為なら傍観するなり、冷笑でもして居ればよろしい。過剰反応しすぎですね。水鳥氏にポイントを入れただけで、侮辱罪だとか、名誉棄損罪とかか、そんな事聞いたことが無い。見識、常識は問われるだろうが、ありとあらゆる常識、正しい事実を悪用しすぎる。まるでこっちの唐変木なやり方を救おうとしているみたいだ。もし阿呆なやり方であれば、自分で修正するはずだし、相手にされないだけなので放っておけばいいだけの話だ。 by 間村長 参照先不明 孤蓬さんあなた力籠め過ぎだ。風呂場とかなどで。抜歯の音が聞こえてくるようだ。具体的にはまたあとでコメントします。 by 間村長 具体的な反論は難しい。孤蓬氏の論と向き合うと少し怯むところがあるからだ。水鳥氏の活動?ポイントを入れずにコメントを入れる活動と言う意味だが、にも確かに辟易せざるを得ない側面はあると思う。私は水鳥氏との繋がりでは当事者性が少し薄いので。でも飛び火みたいな感じで私への誹謗中傷も含まれていれば反論せざるを得まい。 6月2日付の部分は終わったのでとりあえず新しい6月29日付の部分に対する疑義、再疑義と言うのか、そんな感じの文章です。 正犯従犯をごっちゃにして居ると言うが、それは貴方の理屈だ。あなたの論理の道筋などこっちは微塵も尊重する必要はない。だから単純な言い方に成るのだ。単純な言い方を惹起したのは貴方の方ですぞ。貴顕は、自分の論を丸呑みせよと言うのか。あなたの反論が成り立つのはあくまであなたの論が正当性を持って居ると言う事を前提として居る。しかるに、確かに水鳥君の貴方に対する誹謗中傷は目に余るものがあるが、私は作品だけを見て純粋にポイントを入れて居るので、そこには私の正当性もある。あなたの要請にも正当性があるかと思うがあくまでお願い程度の意味しかない。確かにその要請を聞かない事によるデメリットはあろうが、それはこっちの不利益、デメリットでしょう。あなたは私のデメリットを心配して居るのか。よく分からない。とりあえずこれだけは言いたかった。 それとあなた、アメリカから導入されたものだとか、こっちの人物を出すと、すべて却下、無知を論ずるのも不可解。そして理解力、論理力と言うが、自分にとってだけ都合のいい理屈をまくしたてられれば、単純化して、自分(私)の砦に立てこもるのは必然の理。あなたがその原因を作ったことに自覚があおりにならないのはそれこそ不可解至極。 名誉棄損罪、侮辱罪、幇助罪、正犯、従犯、そんな区別ぐらい成人者であれば誰でもわかるでしょう。それをあなたは牽強付会、我田引水の論にして居ると言う事が言いたいのだ。 (いいですか? 水鳥氏の投稿は、「侮辱罪だとか、名誉棄損罪とか」に当たります。 水鳥氏による侮辱や名誉棄損にポイントを入れるのは、その幇助であって、侮辱や名誉棄損そのものではありません。 解りますか?) この論を百歩譲って認めるとしてもせいぜい、おかしな行為だから加担すれば、不信感を持たれて、ポイントが入り辛く成るとか、せいぜいその程度の意味しか持たないと思う。お互い意地をはりすぎだ。喧嘩両成敗の決断しかくだらないと思いますね。警察や検察の目は節穴ではないので、先っぽだけの事実を見て断罪することはないのでね。水鳥氏がどうしてこのような行為をするのか、その根拠を述べれば、成立しないような気がするのだが、いかが。 それにルサンチマンに呻吟などして居ない。誰でもとてつもなく突出した人と比較すれば、客観的にはルサンチマンに呻吟するとも言えるが、正しい事実を悪用して権利の主張を妨害しているだけだ。 by 間村長 孤蓬さん、多分これも私の鎮め方ですよ。あまり続くと詩作の方に響くので。私としてはこれでお開きにしたい。確たる論拠と言っても、自分の方から始めた論争ではないので、防戦一方と言う事で、やる気が無いと言う訳ではないですが、やはりこれでお開きにしたいです。 by 間村長 そうですね、言われる通り、私がコメントを返さなければ終わるところですが、でもここだけは、次に引用するところだけは今回の論争の焦点ですので、引用させていただきます。 「そもそもの発端は、水鳥 魚夫氏が私を誹謗中傷している投稿作に、間村長氏が何度もポイントを与えた事に遡る。 間村長氏の行為は、水鳥氏による侮辱を助長するものであり、私はこれを告発し、抗議した。」 ここですね、焦点は。だから私もなるべくエミリーディキンソンに対する詩など、当たり障りのない詩にポイントを入れるべく途中から態度を変更しましたが時すでに遅しと言った感じで、あなたの嵐は吹き荒れ捲ったあとであった。私がこう書くとまたあなたは反論なさるかもしれない。なので本当にこの文で私は擱筆したいと思う。もうこれで反論しまい。たとえ次のあなたの嵐がどれだけ長かろうとも。 by 間村長 参照先不明 孤蓬さん、あなたは私の方から止めればそれで終わりです、と、きっぱり断言なさったが、それは潔い態度、言明だと思った。しかし私は止めなかった。それであなたの2018年7月23日18時41分付けの再反論的な投稿に成ったと思うのですが、まあ、こう言うのもなんですが、あなたの方から止めてもいいのですよ。あなたは収まりが悪いから、私の方から止める方が理屈に適って居ると思うのかもしれないが、私の立場の方からすれば、私の方からイニシアチブをとって終わってしまうのは、たとえそのイニシアチブが、ただ単に、消極的な態度に依拠したイニシアチブとは言え、面映ゆいのです。まあ確かにこう言っては貴方のマグマがまた吹き荒れそうなので、ここらへんで止めておこうかと思いますが、、まあ一応検討には値するとは思うのですよ。貴方の方から矛を収めませんか。 by 間村長 参照先不明 孤蓬さん、反論と言うのは難しいものですね。あなたは微に入り際に穿つ様に具体的に、しっかりURLを示しその論点を明確にして反撃する。これは通り易いやり方、イメージで言うと、政治の頂点に昇り詰める手法、あるいはもう頂点を極めて居るのかもしれない。 ポイントを掴んで言わせてもらえば、あなたは「マグマ」などないと言うかもしれぬが、これはあくまで詩的な譬えなのです。当然文字通りのマグマなどないであろう。だがあなたの言論のマグマは相変わらず吹き荒れて居るではないかと思う。 勿論自分で決しますよ。だが何か言い足りない感じがしないでもない。まだ何か言い足りない、詩だけでは満足できぬ、そんな感じがこのスレに私が登場する原因だと思います。 そうですね、確かにあなたは「矛」を持って居ない。むしろ詩の「矛」を持つべきではないのか。このサイトでは詩の「矛」こそ本業ですよ。論戦の「矛」など持ってもしょうがないではないかと思う。 「ブーメラン」とは笑止。むしろ詩の「ブーメラン」なら大歓迎。しかしこう言った論戦的な不毛な「ブーメラン」なら願い下げですね。 by 間村長 孤蓬さん、そうですね、「私(孤蓬さん)の言う通りになった」。しかし現実はそんなに甘くはない。あなたは忘却を誘って居るのか、恐怖を煽って居るのか、分からない。「お気の毒なものである」、言論言説大いに結構であるが、他人(ひと)の事を憐れむ前に先ずは自分の事を専一にして他人の事は二の次にされたがよかろうと思う、老婆心ながら。 確かに私は止めよう止めようとして未だに続けている、この論争。「マグマ」は頓珍漢な譬えかも知れぬが、私の真摯な思いから来た譬えと思えぬか。詩のマグマよ来たれとも思うからである。 むしろ冷めているからマグマではないと言う論法は成立しない。それは私(間村)の心を熱くするからである。さればこそ詩のマグマよ来たれと思うのである。 当然、あなたの持つべき矛を示唆して居るのです。支離滅裂ではない。あなたの持つべき矛を示唆したのです。あなたは論戦の矛は持って居るが、詩の矛は忘れたのではと言う、これも老婆心です。 確かにブーメランを飛ばして居るのは私かも知れぬが、あくまで詩のブーメランなら大歓迎と言ったまで。あなたの的確さとは次元が違う。これでは論戦が平行線をたどるばかり。 確かに自分語りには限界がありますね。もう少し外界のことを気に掛けたほうがいいのかもしれない。少しは貴方の老婆心にも従って見せますよ。でもあまりにあなたが私を詰るようであれば私のブーメランが飛ぶ日も近いのかもしれません。 by 間村長 孤蓬さん、ちょっと気に成ったところだけ。あなたも言った通り実際の矛とメタファーとしての矛があるわけですよね。だから支離滅裂では無くて、あなたは実際の矛を持って居る訳ではないが、メタファーとしての論戦の矛を持って居る。なのでこのサイトでは詩の矛を持つべきではと提案したわけです。首尾一貫して居ると思うが。ただ首尾一貫して居ると自分自身では根拠づけられないのがつらいところです。あらかたあなたの文章の三分の二程読んだうえでの感想です。ちょっと論理的な綻びや誤解はあるかもしれません。(言外の意味も取ってほしいものです。いちいちことこまかに説明せずに省略を利かせた構文を使うこともあるので) by 間村長 孤蓬さん、そううですね、三分の二程度読んだ程度の反論は若干失礼でした。今回は逐一読んで反論さして頂きましょう。 472の私の意見に対する御見解に対して。そうですね、「実際の矛」が論じられた事はないし、私の意見が首尾一貫して居ないように感じられるのは、メタファーとしての論戦の矛だとか、詩の矛だとか、都合の良い表現をして居るからではないか。だからあなたもメタファーとしての矛であるとその点は認めて居られる。 465の私の意見に対するあなたの御見解に対して。そうですね、まさに私が「矛」と言う言葉を出した初出だった465。そうですね、まさに私が言い出したし、比喩的なもので実際の矛ではありえない。まさに御明察の通りで、攻撃的な反論はお止めになってはいかがと言う提案でした。 さらに畳みかけるように、466、467と御自身の発言、私の発言を引用して、「私の言い方の顰(ひそみ)に倣って」ですか。そして趣旨は分かります。私が自滅して居ると言う事。私自身のブーメランが自分自身を攻撃しているだけだと、あなたの言いたい最大の事は「私(孤蓬)があなたを攻撃して居るわけでは無い」だと思います。でもここまで事実を詳細に論(あげつら)って非難がましい事を言えば、直接的な攻撃にはなっていなくても、間接的な攻撃にはなって居ますね。それに実際の矛を後知恵みたいに言われますが、あくまで表現効果を高めるための工夫でした。結果的には負の印象までも抱かれたかもしれませんが。 そして472に関しては最上段の、一番初めの所で申し開きしておきました。さすがにこれは私の落ち度であったのかもしれません。 by 間村長 参照先不明 ちょっとここまで来ると反論し辛いですね。最近では「ツノル」氏も出て来られて、いつか来た道と言う気がする。まあ私は嘗て投稿された1ページ分ぐらいの「自由詩」をまるで機械的にポイントを入れているかのような、誤解もあったし、実際そう言う自分が実際にした行為の責任については言い訳はしないつもりです。 今回は全部読みましたよ。そして一番行数が多い、真ん中らへんの部分、自己防衛的な主張、そして私が自ら墓穴を掘っているかのような言い方に対して反論させて頂きましょう。 自爆とか、言いがかりの不当性とか、私から見れば、少し言い方が、大袈裟で、それこそ私から見て不相当、不当だと感じられました。でも私の軽率な行為も原因でしょうから、差し引きで考えなくてはいけない側面もあるのは重々承知して居ります。 引用ですが、「もし、間村長氏が私に言掛りを付けて絡んでお出でになるという事実が存在しなければ、そもそも、間村長氏が自ら墓穴を掘って自爆なさるという現象も生起しないでしょうし、私がその様子を描写する事も決してありえません。」 こう仰られますが、直接絡んだ事はないですね。間接的な事情でしたので、ちょっと難解だと思いました。あなたを謗(そし)る誹謗中傷詩に私がポイントを入れたと言う間接的な事情でした。そして今回ツノル氏も出て来られて、いつか来た道見たいだと冒頭部分で言ったわけなのですが、まあ今回はその詩にポイントを入れると言う事はあり得ません。まあちょっと言いにくいのですが、それはあなたを誹謗中傷して居るからでは無くて、詩として入れ辛い詩だと思うからです。これは個人的な基準なので、申し辛いのですが、お察し頂ければ幸いです。 by 間村長 それに今回のツノルさん騒動でも、まだ一ページ目なので、言い辛いのですが「クソを追い出す方法」見たいな詩に私がポイントを入れることなどあり得ませんが、同じツノルさんの詩でも「入れ墨の女」見たいな詩にはポイントを入れたくなりますね。鵜飼千代子さんや仲程さんもポイントを入れて居られます。ハンドルネームを出してしまって恐縮ですが、自分を守るためでは無くて、詩とは何ぞやとか、このスレッドの趣旨「これは否定したい!6」に沿うためにも、ただの否定だけでは無くて肯定的な事情も論(あげつら)いつつ論を進めて行きたいと思いました。 by 間村長 参照先不明 孤蓬[さん、私はツノル氏に全然連動して居ませんな。注意を喚起しただけです。「いつか来た道」と。 ここまで来るのに時間がかかりました。その重みはありますね。「自覚」に関しては私は多言しませんが、確かに私の中で何かが変わったことは事実です。 確かに間接的だからこそ却って陰湿的に感じられることはあるのかもしれません。むしろ間接性は、陰湿性と繋がり易いでしょう。しかし間接性とは洗練性とも御縁がある。つまり高いリスクを冒さない事には洗練された詩にも辿り着けない事情もあるわけで、そこのところは察して頂きたい。 水鳥氏の発言には確かに陰湿と言われてもしょうがない発言が多々あったのも事実です。でもその発言の趣旨を汲むと、やむにやまれぬ自存自衛の気風があったのではないでしょうか。それらの事情を汲まずに頭ごなしに叱りつけては本人は拗ねるかもしれない。むしろ暴言を助長させるだけかも知れない。先ずは暴言者の心情を汲むのも仁者の心得かと。 その他あなたの具体例の列挙に関しては、いちいち具体的に反論しないと私の論も説得力がないのかもしれません。なので、暇があれば、あなたが貼ったURLに基づき、逐一、反論するのも有意義な事かも知れません。 by 間村長 参照先不明 孤蓬さん、直接的な論理ではないですな。あくまで、幾重にもダメな罠が生じて仕舞う事情を言って居る訳です。誹謗中傷の投稿にポイントを与える事が、直接洗練された詩に辿りつくとは言って居ない。どうしても生じて仕舞うものとして、むしろ警戒すべきものとして言って居る訳です。 汲んで居ますね。だからツノル氏の「クソ」云々の詩にはポイントを入れなかった、それは調べればわかる事です。 そうですね、具体的にはまだ論駁して居ない、と言うか忘れて居ませんよ、自分の発言には責任を持つつもりです。しかし詭弁はひどい。せいぜい自己防衛の類(たぐい)です。まあ確かに私の認識不足もありました。あなたのハンドルネームからキツネとかね、どうしても最初の内はピンと来て居なかった。なのでこれからポイントを取り消す事もありうるかもしれませんが、それはまだ分かりません。 そうですね、説得力、私はピーターバラカン氏が英語のインタビューで、英語での受け答えの中で氏が「せっとくりょくを英語でどうやって言うのか」と言う英語で、「せっとくりょく」の部分だけ日本語で言って居たのが印象的でした。勿論彼は日本語が堪能でしょうが、元々イギリス人で、英語は母国語の筈なので、笑いが漏れたのですね。どうすれば、あなたを説得できるか、それは今後の課題だと思って居ます。 そうですね、暇だけは湯水のようにある。しかし、なかなか具体的に論駁するのは難しいものです。暇があるのは事実だが、あなたを説得できるほどの論駁が出来るか、それを考えると、受け答えはすこし間が空いてしまうかもしれません。 by 間村長 参照先不明 孤蓬さん、問題の所在は実感していますよ。なので過去の自分の行為については言い訳しないつもりです。水鳥氏の詩、それに対する私のポイント付与。あなたとは詩の話をしたいものですが、このスレッドの趣旨に反するのでそれも叶わない。淡々とあなたの言に耳を傾けて応(いら)えていかなくてはいけない 「言を左右にし」ですか。私としては問題の所在、核心などの認識に努め、あなたの訴えに耳を傾けた結果、生じた認識を、ただ伝えたかっただけでした。私は韜晦趣味はないし、あなたが言うように、あなたの言って居ることをあやふやにしてからかう意図は全くなかった。なのに「言を左右にし」では私の立つ瀬がない。あまり直接的な言い方では、ストレートで、あなたを傷付けるかもしれないので、迂回をするような言い方で様子を窺ったのです。決して論をあやふやにする意図や、あなたの主張をからかったり、あいまいにする意図では無かったのです。でもそれがあなたにとっては私が「言を左右に」ととられたのであれば致し方ない。私は詩の精進に励むだけです。 それとですね「暇がある」と言う私の言をまともにとってはいけない。謙遜なのですよ。本当は忙しいのだが、あなたの論に引きずり込まれて社交辞令的なニュアンスで暇があるかのように言ってしまったのです。あなたはそれを文字通りに採ってしまった訳だ。 勿論取り手の粗相は言い手の粗相。それは自覚して居ます。本当は忙しいのですよ。それだけは分かってほしかった。 あなたはいまさらと言うが、過ちて、改めない方が小人でしょう。「いまさら」と言う言い方は誤っているのに改めたくない人のそれこそ詭弁でしかない。確かにこの場合は貴方の言い分の「いまさら」なので、別の配慮が必要でしょうが、であるならばなおさら、人の悔い改めを妨害してどうするのです。温かく見守るのが聖人君子の取る道ですよ。「いまさら」と言う言い方で私の悔い改めに障害を設けて居ますよ。私は詩の精進にひたすら邁進するだけですが、あなたの言い分にも耳を傾けて居るのです。 [480]の間村長氏の詭弁に説得力があったためしなど、未だかつてなかったように存じますが? ここから私なりの決意表明を言って居るので、なにもあなたを論駁するためや、あなたを揶揄するため論では無かったですね。あなたの言説を受けての単なる決意表明です。 by 間村長 孤蓬さん、それとですね、 >>481<間村長氏> >汲んで居ますね。だからツノル氏の「クソ」云々の詩にはポイントを入れなかった、それは調べればわかる事です。 嘘はいかがなものか?(1回目) これはないでしょ。さすがに。私は本当にツノル氏の「クソ」云々の詩にはポイントを入れませんでしたよ。あなたの方がウソに成って居ませんか。 by 間村長 参照先不明 孤蓬さん、そうですね、私はその時々で都合のいい発言をするので、トータルでは矛盾するワールドも形成しているでしょう。それについては私は言い訳をするつもりはありません。でも、いくら私の理由付けが矛盾して居ようと、事実無根の事を言っていい事にはなりませんよ。それでは悪い事をするひとのたわごとになってしまう。つまり、ツノルさんの「クソを追い出す方法」の詩に私はポイントを入れて居ないので、いくら私のそのポイントを入れない理由付けが矛盾して居ても事実無根の事を言ってはいけない。最低限のエチケットです。大体世の中は矛盾的な事実に彩られて居ます。出生の始めからして男女の営みの結晶です。きわめて先鋭的な矛盾導火線を含んで居る原因から生まれるので、普通に働いてお金を得たり、なにか媒介的な事を賢くやらないとうまくいかない。本質的な矛盾を解消する方向では、矛盾は解決しない。絶妙なバランス感覚を発揮するしかないのです。あなたの言う事は一見正しい事を言って居るようだが、まあ自分の矛盾言動を棚に上げて甘言は許されないが、それにしても、あなたの言の印象では、そういった本質的な矛盾自体を消し去ることが出来るかのような印象を受ける。次元の違う矛盾なのでフェアーな例示ではないかもしれないが、それでもそう言った事を重々承知の上で言いたいのだが、やはり言わずにはいられない。 by 間村長 だから、私は過去の言説の矛盾点などについては一切言い訳しないと言って居る。あなたは聞く耳を持たないのか。紛れもない事実とは言え失礼ではないのか。事実であれば何でも適示すればいいと言うのでもない。それこそあなたの過去の言い分では無いが、名誉棄損と言うのは公然と事実を適示する事が駄目だと言って居る。「紛れもない事実」は言い訳にならないのだ。あなたの方こそ、反省したらどうだ。 by 間村長 あなた、大丈夫か、確かにあなたの言っていることは一片の間違いもないようだが、そんな正しいことを出せるだけの、水準の高さが伝わって来ない。つまり自分の独善的な正しさに閉じこもって居る。社会人としての信用とかいうが、自分で違う領域の正しさをまぜこぜにして、自分の都合のいいことを言っているに過ぎない。関係妄想というやつだ。子供が死ぬ場合の原因そのものを言っているようで恐ろしい。恐れの感覚は持てますね。就職のときの面接官かと勘違いしてしまう。社会の常識と言っても、あなたが言うと説得力がそれこそない。 だから私も過去の言説の矛盾点については言い訳しないと、何度も言っている。あなたは聞く耳を持たないのか。人の言っていることは全然聞かないのに、他人(ひと)の言説の上げ足を取ることばかりに汲々としている。 まぎれもない事実はあなたが自分に都合のいいことを言うためだけのまぎれもない事実。たとえまぎれもない事実でも何の説得力もない。なぜならあなたは他人(ひと)の言っていることを全然考慮せず、自分の都合のいいことしか言わないからです。あなたゲスト(客)の態度で一貫しているから、下種下種いつまでも言っていればよろしい。 百歩譲って、事実を指摘するのが失礼だという論法が、仮にもし成り立つとしても、それ以上に、間村長氏のように、一切事実に基づく事なく、言を左右にしたり、知ったかぶりや矛盾極まる詭弁を弄したり、その場しのぎで己の都合の良い口先だけの言い逃れに汲々となったりするような態度に終始する方が、何十倍、何百倍も失礼な所業。」 ひたすら自分に都合のいいことを言っているだけ。こっちの出方次第でカメレオンのように、態度を変え、ひたすら人の言説に粘着しているだけだ。あなたの言い分では総合誌に書いてあるは、全部知ったかぶり、言を左右にして、矛盾極まる詭弁だということになる。どう考えても、自分を起点したレヴェルでしか成立しない。つまり私(わたくし)の事情が公に開いた形になっている訳だから、あなたの理屈では、どうしても避けられない骨格に対して、嫌がらせをしているだけになってしまう。 自分の失礼さには頬かむりして、人の失礼さだけを強調する。それこそ破廉恥漢である。 by 間村長 でも、すぐにばれるうそをついているのはあなたですな。確かに私はツノル氏の詩にポイントを入れたことはあるが、「クソを追い出す方法」にはポイントを入れなかった。それをあなたは一緒くたにして「うそおっしゃい」と言っている。「ツノル」に過剰に反応して、作品名までには意識がいかなかったようだ。その杜撰な反応の間違いは認めなさいよ。で、ないと言っていることのすべてに説得力がなくなってしまう。 しかも「ブーメラン」、「身から出た錆」など自分のヴォキャブラリーに酔いしれているような言い方の数々。私はツノル氏の詩にポイントを入れたことはあるが変な誹謗中傷的な詩にはポイントを入れなかった。その成長ぶりに着目せず、いまだに水鳥氏時代の阿呆な事実を論っている。だからそのことに関しては私はポイントを取り消す可能性にまで言及して、収束を図ったはずだ。あなたはまず他人(ひと)のそう言った建設的な言及に着目すべきです。まだ取り消してはいないが、鋭意考慮中なのだから。 by 間村長 参照先不明 孤蓬さん、理由付けで誤魔化しは効きませんよ。理由に関係なく 「>>481<間村長氏> >汲んで居ますね。だからツノル氏の「クソ」云々の詩にはポイントを入れなかった、それは調べればわかる事です。 嘘はいかがなものか?(1回目)」 こう言われれば、事実誤認は明白だと思うのですが。理由の矛盾は、あなたが私を糾弾することしか眼中にないから、みょうちくりんな論法になって居る。理屈の上でいくら正しくても現実的ではない論法になって居る。 それと、私の言い訳しないと言う言い方は、私はどのような矛盾言動に対しても言い訳しないといっただけで、「言い訳」事態をしないといったわけではない。しかもあなたから見れば私の言うあなたにとっての都合の悪い言動は言い訳でしかないだろうからそれはあなたの偏見でしかない。つまりあなたは自分の都合のいい論法で、自分は言論できるが、私の言論だけは一方的に封じ込めようとしている。 だからあなたも私の言う事を聞いていない。その時々の都合で論じるから、自分の矛盾言動に対しては言い訳しないと言っている。それをあなたは言い訳自体をしてはいけないかのように言っている。しかも「言い訳」などあなたから見てだ。私の方は正当な論述をその時都合でしているに過ぎない。 その時の都合で社交辞令的な事も言うだろう。それをあなたは理屈だけでこっちを非難するためにだけ利用している。その精神が下種なのである。その手のやり口をやったら社会自体が成り立たない。この世は矛盾だらけであろう。あなたはこっちがちょっとでも表現を和らげようとして言っていることまで悪用して自分の都合の良い事をを言っているだけだ。 それと時間帯ですね。このスレッドは発言欄なのでちゃんと時間が表示される。作品の場合は年月日だけだ。あ、違うかこのサイトは作品に対しても時間が表示されるか。にしてもそんなことは余計なお世話なわけで、サイトによっては年月日は表示されても時間は表示されないサイト。どころか年月日さえあやふやにしているサイトさえある。あなたはそういうサイトの気の遣いようがわからないのか。理解する努力もせずに、いけしゃあしゃあと他人(ひと)を非難するのに利用しているだけだ。それこそ見識を疑う。たとえうわべは正しいことを言っていても何の説得力もない。 by 間村長 参照先不明 言いっぱなしではないですな。明らかにツノル氏の「クソを追い出す方法」にポイントを入れていないのは事実だと言っているのに、あなたの方こそ、下手な理由で自分の理屈だけを押し付けて居る。自分の流れに引き寄せようとしている。理由があれば、こちらに矛盾があれば事実を捻じ曲げていいことにはならない。論証も減ったくれもない。事実そのものを言っているだけなのです。あなたの方こそ、下手な理由付けで我田引水ばかりやって居られる。 サイトの運営側の苦労も顧みず、他人(ひと)を糾弾するためだけに客観的な事実を悪用する、悪用居士とはあなたのことだ。目的意識が汚いので、たとえ事実でも説得力がない。他人(ひと)のつまらない事実など辿らなくてもよろしい。あなたは乞食か。プライヴァシーの侵害も甚だしい。あなたは詩を書いて居ればよろしいのだ。ここはそう言うサイトなのだから。サイトの趣旨にズレたところで横好きするような言動は辞めてもらいたいものだ。 それに私にとって都合がいいかどうかは神様が決めることで私が決めることではない。希望的観測だけで調子の良い事を言っているとあとで後悔することになる。自戒も込めて言うが、馬脚はもっと別の理由で表しているのだと思う。決してあなたの論証の根拠となった事実が原因ではないから。そう言うマウンティングに耐えられず、たまらず、馬脚の原因を主体的に作ってしまうものです。警戒せねば。 理由さえ正当であればという言い草は犯罪者の言い草である。枠組みごと駄目に成るであろう。「理由」などあなただけにとって都合のいい理由だ。なぜ耳を傾けなくてはならない。たとえ自分で作った理由だとしてもなぜ、その客観的な理由をあなたが都合よく転用できる、権利がある?。あなたは自分の不当なマウンティングを人の言説を都合よく利用して正当化しているだけだ。 ポイントを入れない理由などこっちの勝手だろう。なぜあなたの粘着の理由の原因となるのか。人の統治行為に茶々を入れているだけだ。自分の都合のいいようにポイントを入れるに決まって居る。まったくげしかねる。 理由、理由、理由、論証、論証、論証、証明、言辞、そんなもの三百代言でしかない。あなたもっとまともな姿勢で詩を書いたらどうか。ここはそういうサイトなのです。あなたの態度はいくら正しくても現実的ではない。 by 間村長 参照先不明 「間村長氏が「ツノル氏の『クソを追い出す方法』にポイントを入れていないのは事実」だと認めている。」 これが聞ければいいです。でもあなたの「嘘はいかがなもの?」の言い方などが誤解を招いていると私は言って居た訳です。私の発言の矛盾点を付くやり方や、理由に着目するやり方は説得力がない。私はその時々で都合のいい事を言って居るのだから、矛盾するのは当たり前だし、その点については言い訳しないと言って居る。この「言い訳はしない」ですら、今の都合のいい言い方なので、さらにその矛盾を突くやり方はいくら立証されても、きりのない無益な指摘だと、ずっと言って来た訳です。 客観的な事実はその人の正当な態度によって贖(あがな)われている。あなたみたいな態度では、せっかくの客観的な事実が死んで居ると、私は言いたいわけです。 誹謗中傷と言ったってあなたにとっての誹謗中傷なので、何も立ち向かう義務などありませんな。少し冷たい言い方に成ってしまうが、あなたは冷たい態度と名誉棄損を混同している。自分のブロークンハートを慰めてもらいたいだけだ。これでは義務の押し売り、一般人に消防義務がないのと同じである。むしろ救難などは二次災害を出しやすい。あなたの方こそ、二次災害も歓迎ですと言っているみたいで、リスクが高い。そこまでして詩を書く人などいませんよ。 統治行為と言う言い方など、こっちのジョークの精神も分からずに、大真面目にとって法律問題に引きずり込もうとする、あなたの態度の方こそ、難しいわけです。 何度も言うが、冷たい態度と名誉棄損は違う。あなたの理屈では、会社の上層部は名誉棄損集団になってしまう。再考を乞うがいかが。 by 間村長 参照先不明 初めてではない、あなたのその調子だ。反発を招くのはうけあい。あなたでは人の心がわからない。なぜあなたの態度がダメなのかは簡単にわかる。人には科学的に正確な認識や態度を要求しておいて、自分だけは自分の情緒や、心、心情、心のひだにまで分け入って配慮してほしいという一方通行な要求になって居るからだ。これでは緊張のあまり、ミスを犯してしまうにきまって居る。きわめて一方的、かつアンフェアな態度なのである。少しは優しさを持ったらどうだ。如何にも冷たい態度でどんなもんだい、それがあなたの態度の基本。これではいかに客観的な事実があなたに優位でも、感情的に反発を招くのは必至。 とぼけているのはでない。あなたのアンフェアな態度を正しているのだ。あなたは正しければ、理由があれば何をやってもいいという極めて安易かつ、子供のわがまま的な態度である。そんなもの自衛隊に任せておけばよろしい。自己防衛本能が強すぎるのだ。あなたの強硬な態度こそ改めるべきだ。感情的に反発を招くのは必至なので、枠組みごと信用を無くす。枠内がどれどほ説得力があってもだ。あなたは違う領域の文言をかってに自分の都合のいいように転用するが、そんなもの、その時々の論旨で、主張が変わるのは当たり前。あなたは正しいやり方を妨害しているだけだ。聞くに値しない。 by 間村長 孤蓬さん、あなたの方が、先にレスしているのに、後になって申し訳ない。一輪車氏の案件の方がちゃちゃっと済ませられると思ってこう言う順番になったのです。 一方的な要求ではない。あなたの態度こそ、一方的な態度だからだ。何度も言っているが、その人にとって不都合な事実を論うなど、嫌がらせではないか。「到底出来まい」と言う言は、自分の不当な行為を糊塗しているだけである。他人(ひと)の行為の不当性を言う前に先ず、自分の行為の不当性を実感しなさい。自分の行為だって、不快な思いを抱かせている、先ずはその実感から全てはスタートする。向き合おうとせずではない、何度も配慮する発言をしているのに無視しているのは、あなただ。自分にとって都合のいい事だけを言っている。水鳥氏に関しては私も目に余るものがあると、あなたに配慮した事を言っている。聞く耳をあなたがもたないだけだ。喝破も減ったくれもない。そのあなたの他人(ひと)を不快にさせる態度こそ改めるべきだ。全てがいくら正しくても説得力を失う。あなたに譲歩しようとすると自分に都合のいい事実だけを速射砲のように論う。聞く耳を持たないのはあなただ。いい加減譲歩する気力も失せますよ。 by 間村長 >一輪車氏の案件の方がちゃちゃっと済ませられると思って おまえ、あたま大丈夫か?^^ なにがちゃちゃっだ。 論理能力、判断力、情況認識力、すべて皆無なくせ、 ちゃちゃはないだろ。^^ おまえ、落語家か。 by 一輪車 参照先不明 孤蓬さん、元々が、水鳥氏の詩に対するポイント入れが問題の根源だ。そんな間接的な事は効果が薄い割には大げさな言い方で「所業」などと大げさなことを言っている。「応酬」とも言っている。私はしょぼしょぼと非力な弁明を続けてきたソクラテスに過ぎない。風見鶏だって政界風見鶏と言われた中曽根氏が居られる。御大に対して失礼ではないのか。内閣総理大臣を目指すほどの御仁だからこそ当時、ネガティヴな言い方が大手を振ってまかり通って居たのはは当たり前な現象。あなたの方こそ、公私の区別がつかないのではないのか。まるで既に過ぎた日付の連絡をいけシャーシャーとやって、くやしがらせようとする手口の様にすら見える。 見事な落語家ぶりは、本当の落語家に対して失礼である。私は落語をやりたいのではなく、真実を追求したいと思っているのです。それさえ理解して頂ければ御の字だと思っています。 by 間村長 一輪車さん、レスが後になって申し訳ない。でもこれで御相子と言った感じですかな。孤蓬君も、同調して、「落語」と言っている。これは困ったことだ。出来得る限り公平な議論をしたかったのだが。とにかくここは詩のサイトなので詩の議論なら歓迎なのですが、番外編で意見を戦わせるのは不本意だという事です。 by 間村長 参照先不明 孤蓬さん、大いに結構、顰に倣ってもらいたい。但し節度を持ってお願いしますよ。ソクラテス、この人はいろいろと比ゆ的に使われていると思うのです。自己の見方から下げている訳ではないですね。元首相も然りです。歴史的人物ですから、比況と言っても、あくまで自分と同一視する事によって、ある種の親しみが湧くのではないかと思った程度です。絶対評価で同一視して居る訳ではありません。 「御の字」と言う使い方はちょっと滑稽だったのかもしれません、落語家と言う言葉に引き摺られたのかもしれません。決して落語を馬鹿にしている訳ではないですよ。新しいものへのチャレンジ、そんな気が湧いているような気がします。 何もプロの落語家と私を比較しなくてもいいですよ。落語家になるつもりはないのですから。でもそう言う違う領域との比較は時に、異化効果で、何か良い効果を齎すのかもしれません。とにかくあなたとは詩の話をしたかった。ここはまさに「現代詩フォーラム」なのだから。何か詩とは無関係な話で、お茶を濁すのは私の得意技ではないですね。 by 間村長 フィルター設定するのが面倒だから 自称詩人はこれ以上増えないで欲しい。 (最近新規が多くねえか?大体春の新シーズンと災害後に 増えていたじゃんか。それに類似の何かあったっけか?) by 花形新次
ただし、「俺の好きなものを否定しやがって」という第三者のコメントは、無しと言う事にしたいなとか思っています。(強制ではありません。) わりと気軽に書いてみるのが良いかもしれません。 ******************* 立てました。 運動公園でフットサルしてる素人おっさんのほうが良かった? 別に評価してほしくないとは言ってないじゃん。批判しようと賞賛しようとどうでもいいですよっていうだけで。 風刺とか批判とかやってるのはそういうの書いてると面白いなーぐらいだよ。 01 Ceremony.wmaさんだってフォーラムに書いてるんだから俺が書いたって別に良いじゃん。 でも極道で書いてる理由はちょっと惚れた。俺そういう01 Ceremony.wmaさん嫌いじゃないわ。 ごめんね。文学極道はなんか閉鎖的でつまんなそうだから興味無いんだ。 別に誰かに評価されたくて書いてるわけじゃないしつまらないと思うならそれで良いんじゃない? 俺は別に批判されるのが嫌なわけじゃないし逆に賞賛されたいとも思わないけどね。 01 Ceremony.wmaさんっだって評価されたくて書いてるわけじゃないだろうに。 テニスボールで壁打ちしてるサークルの学生にまでスポーツとしての意義とか価値とか求めんの? 体に悪いからやめとけって。てか、そんな事ぶつぶつ言って回ってたらそれこそ痛い奴じゃね。 はは 後から人の生真面目さを嘲笑うっていうのは いちばん簡単な格好の付け方だよね かっこいい 書かれた作品が面白くなければいけないとか意味わからんのだが まだやってたんだ 詩に癒しを求めたりそれを超越した意味を求めたりみんなロマンチストね 文字書いたらなんとなく楽しいとかそれで色々整理する事ができたり 書く事で得るものがあったり読む事で得るものがあったり それが文学の面白さであり意義といえばそうだと思う 本質なんて文字書いて並べる以外無いだろうに 世の中にはそういう面白さとスマートに付き合える奴もいれば 真摯に向き合える奴もいるし自動販売機みたいに消費するしかできないやつもいるわな おのおのやりたいようにやってりゃいいだけじゃないのかね 単に自分は価値ある文化に触れているなんていう虚栄心に泥かけられるのが気にいらないだけなんじゃない わざわざグリーとかモバゲー行ってゲームを金儲けや出会いのダシにしてる奴が多いよねーとか酔狂すぎると思うけど おおっ なんかうれしいな ちゃんと返事もらえて たしかに価値とか本質という言葉を適当につかっちゃったので わたしの文は至らなかったです わたしの言いたかったことの大筋を理解してもらっているので これ以上はやめておくけど いつも文学について思っているのは 文学=言語による語り(多重の意味だな…でも音や動作や形状の語りもあるから)は 「言語化」という出発点において人間の精神活動(もう生きていることとほとんど同義だよね)の根元と強く関わっているということ だからこそ文学を特権化しえないということ 文学の可能性は そのまま人間の言語活動の つまりそれぞれの作家の生き方の可能性でもあること ってことです だから01 Ceremony.wmaさんの文筆活動も ご自身の意図の在りどころも含めて 生き方の可能性と同期していくものだと思います お互いよい創作を目指しましょう ありがとう 01 Ceremony.wmaさんが「精神科」「セラピー」というときのイメージって たぶん「米国産 社会対応用 心のコインランドリー」みたいなものかな たぶんね セラピーや精神科の話をどうこうしたいわけではないのだけど それらは人間が自分を立て直すときに必死に(それこそ死ぬ思いで)掴みかかるもので 自分の生きていることの意味を問い直し語り直さなければ もうほんとうにやばい そういう生きるための立ち向かいがある 語れば語るだけ 立ち向かわなければならないものも増えたりね 癒し でなく 立て直しだからさ 漱石が血を吐きながら文学に向かったのと 価値の上下はないと思うわけ わたしはね 漱石が遺した作品が凄いのは「癒しのための作文で終わらなかったから」ではなくて そんなにまで生きていることを見すえて書いたからだと思うんで そしてむろん それを文学たらしめることが彼自身の自負であり立て直しであったと 文学を低めたいのではない もちろん あたりまえだよー 書いたり物語ったりしたときの自己認識ってさ ズレも含んでのことだと思うんだよね とか 「未」認識の部分をどんどん作っていっちゃうこととかも それで 「そうかそうなのか」と「そうじゃないそうじゃない」とが並行して どんどん物語っていくみたいな それは文学の雛形じゃないのかな 書くこと読むこと >>> 物語ること それを自分で認識すること と言うべきか あ なにも否定してないね(笑) 精神科やら自助グループやら効率なんかよくないって お金かかるし 合う合わないあるしね 人間が自分を見直す>>見出すための 書くこと読むことは基本中の基本 文学はその極北 そんな当たり前の事をしたり顔で言われても え それが詩の(というか文学の)本質的な価値だと思うんだけど 詩なんてもともとその程度の価値しかないじゃない 最近閉店時間が9時から8時に早まった喫茶店に7時半に行ったらすでに閉店準備をはじめていた。カウンターには帳簿がどさっと乗って、焙煎釜の手入れなどしている。マスターはいいあんちゃんだし、気持ちは分かるからいいんだけれど、軽く、軽く否定。 #清潔で明るい場所が欲しかった夜 >2 そういう仕事したことない。 立てた。 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 スレッドを新規に作成したり、コメントを書き込むにはログインが必要です。
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