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とりあえず、気にかかっている、 途切れてた質問へのお答えから、スタートしたいと思います。 そこまでの経緯は、 こちらでご参照ください。 http://po-m.com/forum/threadshow.php?did=316267&hid=10445_11275_11336_10445_10445_10445 記事(No.977あたりから最期まで) ---------------------------- さて、 先ほどの記事【999】での 石村さんのご質問 >すべての詩句が中也の詩から取られたコラージュですか? >見覚えない、という箇所もあるので、完全コラージュではないのかもしれませんが。 > >Ho!Ho!Ho! >は冨永だったような気が。。。 ---------------------------- というわけで、 それへの私のお返事です。 課題が、中也なので、中也の詩句を織り込む趣向ですが、 完全コラージュは目指しませんでした。それだと私の詩にならず、引きづられるので。 あと、中也というと、新吉のダダ、富永からフランス象徴詩の影響なんですが、 当時から古典的だと否定され気味だった中也が、無名だった宮沢賢治を早くから 読んで感銘を受けていた、という、分かる人には判るアクセントで、 織り込んだのが、Ho!Ho!Ho!で、これは、賢治の『原体剣舞連』からです。 * 記事満了で、書けなかった応答が書けるようになったので、 つい、長めに書いてしまいました(笑) ** by ハァモニィベル テーマ/『火』 というと、漠然としてるので、書きにくいのかもしれませんね。 私は、下の作品を書いてたので、 http://mb2.jp/_aria/842_1.html#S28 あらためて「火」から湧いてくるものがしばらくは無さそうなんですが、 昔から、「火」といえば、プロメテウスを思い出します。 想い出すといえば、こんなのも書いてました。 ⇒http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=318094 (「マグネシウム」を、『線香花火』という題に直せば) 「火」と「思い出」という感じの作品です。 * 『火』―→詩 は発想し難いので、 「火」をテーマに、企画課題を考える、というのはどうでしょう? by ハァモニィベル 【帽子】 帽子がにあう人だった あう時はいつも 僕が贈ったものばかり お気に入りの リボンのつば広帽子が 長い髪をひきたてていた 街行く人に面影をみつけ たちどまっては 胸がたかなる ひと夏の淡い恋の思い出が カゲロウのように 生まれては消えてゆく ************************************************************ しりとりの詩 2nd 参加作品ですが、丁度漢字2文字の題なので。 ところで、しりとりの詩 2nd も994とあとわずかで書き込みができ なくなりますが、これもこちらで引き継ぐというのはいかがでしょうか。 by st * 皆さん、ありがとうございます。 ここで、 一応既出の企画を区切って、新しい企画を提出してみます。 ------+----------+------------+----------+-------- 【課題】次の詩に描かれたシーン(SCENE)の、 前のシーン/あるいは、後のシーン を詩にしてください。 二つ提示しますので(任意にお好きな方へ挑んでください)。 ---------------------------- 〚1〛 手 富永太郎 おまへの手はもの悲しい 酒びたしのテーブルの上に。 おまへの手は息づいてゐる、 たつた一つ、私の前に。 おまへの手を風がわたる、 枝の青蟲を吹くやうに。 私は疲れた、靴は破れた。 ---------------------------- 〚2〛 夜のパリ プレヴェール(小笠原豊樹訳) 三本のマッチ 一つ一つ擦る 夜のなか はじめのはきみの顔をいちどきに見るため つぎのは目をみるため 最後のはきみのくちびるを見るため 残りのくらやみは今のすべてを想い出すため きみを抱きしめながら ---------------------------- (どなたかが作品をUPされたら、それを〚3〛として、その前後のシーンを書かれるのもアリとします) * by ハァモニィベル きみを抱きしめて すべての映像がじゃまになる くらやみにてがのびて 僕の感覚は研ぎ澄まされる 柔肌のぬくもりが 残像と重なり合い たかまる鼓動を おさえきれない もうなにもいらない これからおこることがすべてだ *************** 翻訳の"残りのくらやみは"の"残りの"がおかしいですね。"最後の"とある わけですから、むしろ"戻った"のほうがよいと思います。意訳して "やさしいくらやみは"とか"研ぎ澄まされたくらやみは"でもよいと思いま すが、原文が必要ですね。"いちどきに"も"すべて"のほうがよいと思います。 by st 参照先不明 参照先不明 課題について補足 SCENEの前後関係は、1秒前でもいいし、20年後でも構いません。 時間的な幅の選択もセンスの内。発想の飛躍や、抉るような情感など、 ご遠慮なく発揮して頂いて構いません。 **** 作品への感想 >>15 stさん 相手の姿をしっかりと確認してから接吻し抱きしめた大人の男から、 あまり相手の姿や事情に関知せず事に及ぶ若い男へ、 と、推移した感じがしました。 わかりやすい詩は所謂「ぽえむ」だと侮られやすいですが、 シュールだった時代に、わかりやすい詩を書く気骨の方が文学でないとは言えません。 私がプレヴェールを好むのは、作品の奥に潜めた芯のあるやさしさです。 >>16 渚鳥さん 女視点でどうなのか、という転換に関心があったので待望の作品(笑)でした。マッチとスイッチの推移は、タイトルで十分そのワープした感じの面白さが伝わりますね。男女は時代と場所を問わない、彼と彼女ですから。それもアリです。 「イビキにホッとする」という作者らしさが、読者からはTOKYOの語と響きあって面白くなっている;作者が息づいている作品でした。 私の書くこの後の展開ですか?、パリと鼾は、たしかに処理が難しいので ワープして。 <ウィーンのホテル。旅行に疲れたのか、いま彼女は枕の上でヴァイオリンを弾いている> としましょうか。そして、<彼はそれを見て微笑み> <マイクの音量を最大にすると、ホテル中にそれを聴かせた。すると大慌てで支配人のリヒャルトが飛んできて・・・> と、つい書きたくなり、 <とうとう、彼女は鼾で、ウィーンのコンサートホールに立つことになった。しかし、当日、どうしても彼女は、会場で眠ることができないのであった。> というショートショートになっちゃいますね。 END # 私の言う「面白い」は、fany ではなく、not boring で、評価としては高めです。 by ハァモニィベル 石村さん >>17 >>18 が同時投稿になってしまいました。 「三本のマッチ」 は、パロティ的な転換ですね。題も「本当のパリの夜」かな。プレヴェールが軽薄な男だったらあんな風に死なずに済んだかもな、などとも思ったりもしますが、転換としてアリだし、面白かったです。 今回は、前後のSCENEにする操作が必要でした(別の男女にするか、擦った後もう三本登場する、など)。 * 私が個人的に、反応したところは、パリジェンヌの「さうよね」。 途中の描写に、パリを舞台にした『伊勢物語』の感触をインスパイアされました。 更にまた、中国の四六駢儷体で書かれた古典『遊仙窟』(一種の官能私小説)を、漢文の書き下し文で読むときのような奇妙な混乱の味わいがあって、表記的な面での面白さが加味された所でした。 作者の遊び感覚は十分に伝わってきて愉しかったです。 * by ハァモニィベル 参照先不明 夜のパリ プレヴェール(小笠原豊樹訳)の前のSCENE そぼふる雨の四つ角で 突然あった懐かしい人と 時をわすれてみつめあう 街灯がやさしく照らす横顔に 愛の記憶がよみがえり わすれていたはずの ことばが生き返る いつしか二人は 手に手を取って 誰もいない公園につく ポケットからとりだした マッチばこには わずかなあかりが残っていた **********************以下st翻訳に接続**************** 夜のなかで三本のマッチを 一本ずつ擦ってゆく はじめのはきみの顔をすべて見るため つぎのはきみの目をみるため 最後のはきみのくちびるを見るため 完全なくらやみはそのすべてを想い出すため きみを抱きしめながら ****************原文****************************** Trois allumettes, une à une allumées dans la nuit La première pour voir ton visage tout entier La seconde pour voir tes yeux La dernière pour voir ta bouche et l'obscurité toute entière pour me rappeler tout cela en te serrant dans mes bras. --- Jacques Prévert ≪ Paris at Night ≫ ********************************************************* 提示されている翻訳は古いもので、以下同じ翻訳者の最新のもの 三本のマッチ 一本ずつ擦る 夜のなかで はじめのはきみの顔を隈なく見るため つぎのはきみの目を見るため 最後のはきみのくちびるを見るため 残りのくらやみは今のすべてを想い出すため きみを抱きしめながら。(小笠原豊樹訳) ******************************************** 原文では"残りのくらやみ"とはならずl'obscurité toute 即ち、"完全なくらやみ"となります。あちこちにバカな意訳を 行っており、このような翻訳がまかり通っていたとは、驚きます。 最初の私の指摘が正しかったようです。 **************** 後のSCENEは、発禁ものとなりますのでやめます(笑)。 by st * 私のは、長いのでこちらに。縦書です。 『灰の肖像』 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=321007 * by ハァモニィベル まだ、次の企画の話題は控えて欲しいところです。 # 現行の企画の早期打ち切りをご要請なのでしょうか?? # 新企画は、相談も含めて、日曜日に入った時点からスタートしてください。よろしく。 by ハァモニィベル 参照先不明 参照先不明 参照先不明 前後シーンを完全接続するのは、至難の技ですね。翻訳 し直さないと、うまくつながらず、つながれば今度はその 詩にあわせて、調子などを変えないとダメで、自分の持ち味 は消えますね。そこで、参照するだけとなり、これならなん とかなりますが、この企画では苦労のわりにいい詩ができない ような気がしています。 by st 手、の次のシーンということでお願いしまーす!! 「手足」 男の人はすぐにダメになりたがる 一緒に疲れたふりをするのも なんだか飽いちゃった 傷ついた手だと私を見ていうけれど あなたよりきっと 案外強いの 俺がああなったら金を恵んでくれるかいと 浮浪者を見て言うあなたに ただ、笑みを返した お金なんかあげない その時きっとあなたと一緒にいるわ だからいまは離して 先に歩くよ 破れた靴から出た先の 素足がアスファルトに心地よかった by 田中修子 翻訳というと、外国語を日本語に訳すことだと一般に 考えられていますが、私が思うに、 自分の中の想念や内側に強く存在する感情を、 言葉(母国語)で表現するのも、そこで自分の思いを 翻訳する作業が必要なんじゃないでしょうか。 そんな風に考えている私には、 >このような翻訳がまかり通っていたとは、驚きます。 と言ったSTさんが、 るるりらさん作『完全な闇』を褒めたのは意外でした。 批評眼の信頼性という事を(私はけっこう真剣に)考えているので。 * # 個人的感想です。 by ハァモニィベル ***お返事**** ★るるさん >67 >わたしの心の翻訳ではないだなんて、 というのは誰が言ってたのですか? キャッチボールが下手な人とは会話したくない。とはもう一回言っておきますよ。 相手の言葉を捻じ曲げる癖が直ったらまたいつでもどうぞ。 ★石村さん 拙作への丁寧な評、感謝致します。作品の良いところ、拙いところ、を他者の言葉であらためて読み、知らされ、確認することで、また作者も得るところ大です。それが、的確な言葉であるほど、参考になる度合いも高いなぁ、と最近はそんな実感もあるので、書いて良かったなと思える瞬間をありがとうございました。 「翻訳」について特に議論(客観的に論証)する気はないので、 その件は、とくに定義から擦り合わせる必要を感じません。 ★STさん 私の原文における翻訳の意味は、私が書いた通りであり、 STさんの原文において、るるりらさんの作品を読んで感動したからほめたなら、それでいいと思いますよ。ああ、そうなんだな、と私が自分の認識を改めたことを原文に表示しただけのことです。 もともと、私は、「個人的感想です」と注記しておいたわけで、その私の原文もちゃんと読んでくれたでしょうから。私としては特に、つつきあうつもりはありません。 * 率直に語り合え、遺恨は残さず、本当の意味でさわやかに交流し、結果的に成長し合える場。 ここが、そういう場として、互いを甘やかし合う場でなく、刺激し合う場になることを私は、 願っていますので、 その趣旨に反対でない方は、今後ともよろしくお願いします。 ** ハァモニィベルより ** by ハァモニィベル 参照先不明 参照先不明 参照先不明 * 「「「「「「「「 プチ企画 A 」」」」」」」」 ★次の3つのタイトルをみて、それぞれの詩の内容を、自由に連想して、 中身を説明してください。 ・『彼の批評と彼女の感想、そして生まれてきた詩』 ・『よめない地図のなかにある特定のある場所』 ・『コットンマウスモカシンまでの真実の6日間』 (この企画に関する談論も、もちろん歓迎です) * by ハァモニィベル 参照先不明 参照先不明 * 喜劇なのは貴方だけはありません悲劇なのは私だけではありません唯あらゆるものが誰かを捨てるようにどこかへ腐っていくのです。一本の蝋燭がずっと淋しい炎で明るく笑いかけている窓辺の大きなグロキシニアの花は、それを背にして、空を旅する鳥をずっと見ています。人というもののない、見失われた星の何処かでも、波はうねり、砕け散って爆笑するのです。冬に短パンだった頃を懐かしんで。 * #(一っぺんに二つ書いてみた ) by ハァモニィベル 参照先不明 参照先不明 * ************************ ↑ ( ここから、新しいプチ企画を募集します) 新たなプチ企画に関する話題 新しいプチ企画を提案して下さい。 ※ 現在進行中のプチ企画はありません。 * 石村さんへ (投稿が前後してしまい失礼しました) ---------------------------- 私への質問への答え) ---------------------------- 御作品は、ボツになりませんよ(笑)。ちゃんと作品になってますから。 やはり、悲しさ、と、楽しさ が両方ある作品ですね。 心配が「解ってしまう」という意味では、失格かもしれませんが。 私は、遊びはOKですよ。ゲームとして企画する場所ですしね。 但し、 単純な言葉あそび、や、おちょっくった工作行為。そして、校正もしてない下書きはダメですね。 それと、他人の作品を作者名を伏せて出す紛らわしい恥知らずな行為。 凡そ、ダメなのはそれくらいです。 何か、それ以上の禁則を、わたしが課していると思うのは、見ている人の勘違いか、 向上心の無いわりに、傷つきやすくて行き場のないプライドの持ち主が、方向を間違えて発揮しがちな ある意味、最低で最悪な冤罪でしょう。 以上で答えとして伝わったら幸いです。 * (ご心配に深謝します) by ハァモニィベル 参照先不明 プチ企画募集中です/ (暫定的に以下のお題を出しておきます) ************** 以下の詩を、あなたの詩に【翻訳】してください。 ************** ●――――――――――――〔開始〕 今宵私のパイプは橋の上で 狂暴に煙を上昇させる。 ・・・・・・ 私は明滅する「仁丹」の広告塔を憎む。 またすべての詞華集アントロジーとカルピスソーダ水とを嫌ふ。 哀れな欲望過多症患者が 人類撲滅の大志を抱いて、 最後を遂げるに間近い夜だ。 蛾よ、蛾よ、 ガードの鉄柱にとまつて、震へて、 夥しく産卵して死ぬべし、死ぬべし。 ◇(富永太郎『橋の上の自画像』但、一部省略してある) ――――――――――――●〔終了〕 # ・ここで言う【翻訳】は、=(同じ詩情を、各人の文体で表現し直すことではありません) 貴方が読み取った内容を、あなたの言葉と詩で表現することです。 ・作者が表現した詩情をうけて、さらにそれとは違う自分の詩情を紡ぎだして下さい。 ・ 課題に応じる際は、「>>130」という符号を記事の頭に付してください。 ・よろしければ、宜しくお願いします。でわ。 * by ハァモニィベル 8・9月〈ぷち企画〉開催のお知らせ * * * * 詩人の本棚 * * * * (趣旨) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ここに、わりと巨大な「詩人の本棚」が、 空っぽのままであるとします。 そこへ、皆さんから、詩人のための本を寄贈して下さい。 一冊でも、複数冊でも構いません。何回かに別けてでも構いません。 そのとき、短いオススメのことば(長くても可)を添えて下さい。 ●必読の本 ●ぜひ考えておきたいテーマの参考図書 ●じぶんが考えているテーマに関する本 ●古典的な本 ●最新の本 ●世評は高いがそーでもない本 ●あまり知られていないが有益な本 などなど etc... 参加者は、記事冒頭に下記の符号を付けて下さい。 → 【詩人の本棚へ寄贈します】 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ それでは、宜しくお願いします。 * (例 ↓) 【詩人の本棚へ寄贈します】 ◇ 『弓と竪琴』 オクタビオ・パス ---------------------------- >詩において言語は、〔…〕原初的な創造力を取り戻す ポエジーについて考えるために。 とりあえず、最初の一冊として。 * by ハァモニィベル 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 >>155 を受けて 【詩人の本棚に寄贈します】 ◇ 『 The Incredible Journey 』 Sheila Burnford ---------------------------- https://www.amazon.co.jp/Incredible-Journey-Sheila-Burnford-ebook/dp/B004G5ZYGA/ref=sr_1_2?ie=UTF8&qid=1472883322&sr=8-2&keywords=The+Incredible+Journey (邦訳は) ◇『三匹荒野を行く』バーンフォード/辺見栄訳 集英社 * こちらはどうでしょう。 ◇ 『果てしなき追跡』 D.P.マニックス/藤原英司 訳 集英社 * by ハァモニィベル 参照先不明 :プチ企画を追加します: 次のテーマで作詩してください。 ( わが墓標とのダンス ) * * * 私からは↓こちら。 『純粋な記憶』 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=321919 by ハァモニィベル 参照先不明 参照先不明 渚鳥さん、石村さん お題へのチャンレンジ感謝いたします。 >お題を出されて書くというのが非常に苦手です。(>>163) この辺の感覚をめぐって 私も悩むといえば悩むんですが、全く逆の悩みです。 わたし(ベル)の場合は、「お題」なりテーマなり、キッカケを外からもらう方が、 ものが書きやすいんですね。 見るもの、聞くものが、意識(主観)に流れ込むと詩か批評になる性分なので、四六時中 詩人か批評家の状態でいます。(日常生活が凡人でいることを強いる環境で生きているので、 むしろ本来の自分を抑制したモードでいるのが死ぬほど苦痛ですが、仕方ありません) なので、蓋をとってしまうと、24時間、詩人か批評家になってしまうので、 セイフティがかかってる私が、「お題」とか「テーマ」とかをトリガーにして 作品を瞬間的に発想したり構想したりして、書き上げるという、そんな仕組みをどうやら 持っているみたいです。 谷川俊太郎も、外から何か、キッカケがあるほうが自分は書きやすい、と雑誌で答えてましたが、 私からすると、その方が、自然なのです。 それで何を悩むのかというと、 キッカケが欲しいタイプは、キッカケがないと、とくに何か書こうと思わない、 ということで、普段の抑制モードを解除するキッカケが得られないまま過ごしてしまいます。 注文があれば、いくらでも書けるし、そこから想念をいろいろ発展させていけるけれど、 注文されないと、自分から、これを書いてみよう、という衝動が起こらない。 そして、そのキッカケは、自分で見つけるものではだめで、 面白いことに、自分の外からやってくるものがイイのです。 反応できない注文というのもあって、 お題そのものがオーソドックスなものは、苦手ですね。 * お題大好き以外の人というのは、私が見た範囲では、二種類あって、 ひとつは、条件指定を苦手に感じるタイプのひとで、お題に沿おうとし過ぎてしまう人。自分のスタイルをかなり確定しているようなタイプのひとは、そのスタイルで、お題をこなそうとすると変調感を覚えるでしょう。 もうひとつは、「お題」が何であれあまり関係ない人で、そのタイプの人の作品を読むと必ず、 そのお題に即した作品として芯を食うように書かれていない、という印象を覚えるということがあります。 このスレでは、 あんまり、固く考えてないので、ともかく真剣に書いてみるのが何より、という姿勢を最上とします。 「お題」が出た場合のゲームのポイントは、 作品が、どれだけ、そのお題の芯を食っているか、 という辺りにあります。 それは、遊びに見えて、じつはかなり高度なゲームだと言ってよいでしょう。 * by ハァモニィベル プチ企画第二弾 下記のテーマから選んで書いてください。 ① はじめてきみにあったあの日 ② あなたを飲み干してみたい ③ 子どものための幻想詩 ---------------------------- 尚、上に挙げたのはテーマであり、 「タイトル」ではありませんからご注意ください。 上記テーマに該当する「詩人の本棚」への御寄贈も歓迎します。 * よろしくお願いします。 ※第一弾に投稿された作品は以下です。 (テーマ/わが墓標とのダンス) >>163『月と墓標』石村利勝 >>162『内なる影』渚鳥 >>161『純粋な記憶』ハァモニィベル * (詩人の本棚) (第一弾テーマ) (第二弾テーマ3つ) いずれも投稿受付中です。 ** by ハァモニィベル 参照先不明 >>171 蛾兆さん御寄贈感謝します。 トーマス・チヤタートンが失意のうちに自殺した17歳9ヶ月、この年齢の頃、代々木ゼミナールで模試を受けていた私は、突然の家庭の事情で、失意のうちに、病身の母親をかかえて路頭に迷ったあげく、なんとか自転車で新聞配達を始めた、ちょうどその頃です。その後、学資がたまるまで大学へ行くのに何年も無駄にしましたが、その間の地獄や、その後の学資と生活費に苦しむ新たな地獄の日々に耐えられたのは、未来を信じていられたからでしょうね。また、ゆっくりものを書くという念願をようやく着手できるようになったのがここ最近だからで、その意味では、いまこそ私は、17歳なのかも知れません。 「チャタートンの死」ヘンリー・ウォリス作(絵画)で検索すると、 http://f.hatena.ne.jp/inmymemory/20090314155526 後世、英国詩の傑作といわれる作品を書いた人物のその時代の姿を見ることができるようです。 * 【詩人の本棚に寄贈します】 下記も本棚に追加します ◇ 『オシァン――ケルト民族の古歌』/中村 徳三郎訳 (岩波文庫) こちらも贋作論争がありますが、裏には当時の政治情勢が与っている面もあるようです (支配体制を誇示したいイングランドにとっては、野蛮で未開である筈のスコットランドに これほどの豊かな文学があったことを認めたくない、といった) いずれにしても、虚心に作品だけを鑑賞するというのは難しいようですね。 (テクスト主義というものが生まれて来るのも、こんなところからよくわかります) {引用= オシァンの耳に声がきこえ 歌人の心を胸に呼びさます それは、すべての人人とその行為を 過去から今に返す 過ぎた歳月の声である オシァンはその尊い物語をとらえ 美しい歌に書きとどめる 森のルーアの白い手の娘、淑(しと)やかな美しい姿のマルヴィーナにより 響きあう絃(げん)から国王の歌が高くあがるとき、それは暗い流れではない ・・・ 盲目の自分の心に尾を曳いて昇る光よ ・・・ 静かな、おだやかな響きを聞き 過去の色褪せた歳月を 速やかに呼び返して貰いたい } * by ハァモニィベル 《子どものための幻想詩》 「ドーナツの中心だけを食べている男のはなし」 時折、じぶん自身が訊いてくる なぜ、天使と契約してるのか、と じぶんからの質問ほど、自分が答えられない問いはない 乱雑な部屋を探しても、 何処にも契約書らしいものは見つからず そもそも、一度も天使には会ったことがない・・・ 盲目の少女の手をひいて歩くのが、気づいたときには俺の役目だった クーリングオフした連中の多くが次は悪魔と契約しはじめる歳にも 俺は、天使との契約を更新した 盲目の少女の手をひいて歩くのが、ずっと俺の役目らしい 風の日も 雨の日も・・・ 晴れの日も・・・ 愉しいひと時が、苦しい時間に包(くる)まれている 悪魔は俺を気の毒がって たまに声をかけてくる 酒を酌み交わしながら 俺は言う 悪魔よ、お前が俺より もう少し腕相撲に強ければよかった と。すると、 悔しそうに、悪魔は俺の肩をやさしく叩いて 「あなたは神だ」 と。その時、 真顔で言った * by ハァモニィベル 参照先不明 参照先不明 >>184 詩人の本棚へ、竹中郁作品のご紹介ありがとうございました。 竹中郁の詩を、 >夢と現実とが混合しているのではなく化合している と褒めたのは確か西脇順三郎でした。 {引用= 挽歌 (竹中 郁) 果物舗の娘が 桃色の息をはきかけては せつせと鏡をみがいてゐる 澄んだ鏡の中からは 秋が静かに生まれてくる } * 以下、引用で 関連するものを【詩人の本棚】に追加寄贈します。 詩や芸術の鑑賞というのはグルメに似ている、と 私は最近思うのですが、詩人には確かな舌が似合います。 {引用= 夕方、私たちは下町のユウハイムという古びた独逸菓子屋の、奥まった、大きなストーブに体を温めながら、ほっと一息ついていた(堀辰雄 「旅の絵」) } とある「私たち」とは、堀辰雄と竹中郁のことで、神戸の人だった竹中郁は、このあとも、訪れた吉田健一に神戸のグルメを案内したりしていたようです。 {引用= 中山手通りのフロインドリーブといふパン屋に行つた。何しろここのパンは旨くて〔…〕バタを付ける必要もない。それで付ければバタまでいい匂いがして一層旨くなり〔…〕 ハムはハムで厚目に切つて置いて、それをおかずにこのパンを齧つたら、大概の御馳走には引けを取らない昼の食事になる。 (吉田健一 「世界の味を持つ神戸」) } {引用= パンは一日おきにフロインドリーブへ出かけねばならない〔…〕わたくしの愛好品はフランス流の棒状のパン〔…〕 パンとコーヒーをそろえただけでも、朝の王者のような気になれる (竹中郁「行きつけの店」) } 嗜好もあるでしょうが、鋭い味覚の持ち主どうしは、 どこか一致した「味わい」を堪能できるようです。 私は以下の作品が好きです。 {引用= ピアノの少女 少女はピアノを弾く。少女はピアノになる。少女はなくなる。 少女の友達が訪ねてきて。 「あら、この部屋は籬子さんの匂ひがぷんぷんしてゐるわ」と云ふ。 友達の少女はピアノの鍵に触れてみる。 突然、ピアノのうへの花が生きてゐるやうに落ちてきて、友達の少女の裾のあたりを泣いたやうに濡らした。 } * 虚しさが一層深くなる秋になりました。 {引用= 詩の行方 詩よ。おまへはおまへを僕の中へ閉ぢ込めたなり、何処かへ去つてしまつた。僕が苦しまねばならぬのはそのためだ。僕の血管にはおまへが脈を打つてゐる。僕はありありとおまへを間近に感じ乍ら、しかも其処におまへは居ない。 時どき、僕は耐へ切れなくなると、自分で自分の皮膚を引き裂いて、おまへを開放しようとする。 そしてその度ごとに、おまへは〔・・・〕 } ※以上二つとも竹中作品から。 by ハァモニィベル 【詩人の本棚へ寄贈します】 聖魔女術 スパイラル・ダンス 国書刊行会 p64. 【エクササイズ2】 目を閉じて、あなたの周りの音に耳を傾けてください。それが何の音であるかは考えずに。それらの音が作り出す様々なリズムにのみ意識を集中するのです。街で聞こえる音-シューシュー、ドンドン、バタバタ、チッチッ、ゴロゴロ、バンバン-これらが車の通りすぎる音、ハンマーで叩く音、足音、雀の鳴き声、トラックの音、ドアを閉める音であることなどを忘れて、この様々な音が重層した複雑なリズム構成だけを聞くのです。 --- 「これは何の音」と決めつけないで聞いてみて あらためて言葉に起こすと なかなか不思議な単語がでてくるように思いまする。 お題にも挑戦したいでざます!! by 田中修子 「子どものための幻想詩」 子どもらしい子どもにしたがる 大人のためかもしれない 大人になりきれない子どもがえがく むなしい まぼろしかも けれど中にはよいものが 目を磨くんだよ まだ澄んだ水晶とゼリーのなか いいものいれてく 疲れないよに たくさんまばたき 耳をぴくぴくさせてごらん すきとおった音、わらいごえが やわらかい貝殻のなか響いていくように耳腹筋 手をひろげてごらん 葉脈みたいな血管 やわらかい爪 わるいことできない指紋 たくさんのものをつくり、さわっていくんだよ ねがわくば よいものを すべてのことばが 大人になりきれないこどもがえがいた 恋してかきならす虫のうたごえ 頬を撫でる気持ちのいい風 喉にしみるはちみつの甘さ ひとたらしのバターのようにごちそう ねむる前の牛乳みたいにあったか そんな むなしくない まぼろしでありますように by 田中修子 * 〈子どものための幻想詩〉 「藍摺」 大人びたシリコンのふくらみにため息をついているような 何度焼いても膨らまないシフォンケーキに手を焼いている様な 輝いた目の少女の足元に、(ポツリ…、ポツリ…) 雨 雨 雨 雨 が降る 歌わない鏡の前で 時計の針は三時を指していたのだけれど 淋しいテーブルクロスの向こう側からは 望遠鏡にも映らない 小さな心だけ ・・・ぽつり * ※ ※ ※ ※ >>191 テーマへのご投稿感謝。 ※ ※ ※ ※ 秋のプチ企画募集中です。 by ハァモニィベル 参照先不明 >>198 石村さん ご寄贈感謝します。 山本沖子は、「朝のいのり」など、主体の持ち方が魅力的な詩人ですね。 「おとぎばなしの中の王子さまのよう」だったと、 山本に、会ったときの印象を書かれることになる伊東静雄は、彼女がまだ、「山本沖子といふ無名の一少女」だった頃、その詩に、 「戦後始めて、詩らしい詩だと刺激をうけ」たと書いています。 詩人の感想というのは、本来鋭いものの筈。 このふたりの感想の交差からも、そんなことを想います。 * by ハァモニィベル 参照先不明 参照先不明 参照先不明 >>202 >>203 蛾兆さん 【作家の本棚】に第一冊め ☆ ジェーン・オースティン 『高慢と偏見』(あるいは、『プライドと偏見』) の御寄贈、感謝いたします。 ※ ※ ※ 石村さんの対応コメントにも感謝いたします。 ご寄贈者が、その作品を照らしている角度もまた、興味深く、そこからまた作品を読みなおしたり、何かをふと新たに考えたりする契機が得られます。また、そこから派生する談論からも。 さて、 200年も前の、しかも英国の階級社会の、しかも日常を描いた小説の、 何を今さら読むのだろうか?そんな、「高慢と偏見」が200年滅びないからこそ、 この作品と作者の200年滅びない魅力を知らねばならない、とも言えるのでしょうし、 じつは、心ある人たちは、みなその魅力にずっと気付いて来たとも、言えるでしょう。 {引用= Jane Austen は写実の泰斗なり。平凡 に して 活躍せる文字を草して技神に入るの点に於て 、優に鬚眉の大家を凌ぐ。余云ふ 。 Austen を賞翫する能はざるものは遂に写実の妙味を解し能はざるものなりと。〔・・・〕這裏の消息に通ずるものはAusten の深さを知るべし。Austen の深さを知るものは平淡なる写実中に潜伏し得る深さを知るべし。 (夏目漱石 『文学論』) * 〔漱石の前任者であった小泉八雲の、東京帝大の英文学史の講義で曰く〕文学的教養が十分でないと彼女の小説の並はずれた長所を理解することはできない。ありふれた品のない人たちには理解が届かないのである。表面的にはともかく、その内面の意味の理解は。 ( 『ラ フ カ デ ィ オ ・ハ ーン著作集』 (第12巻)野中涼 ・野中恵子訳/恒文社 ) } オースティンの時代には、ゴシックノベル(お城が出てくる怪奇もの)と、センチメンタルノベルが人気があったらしいのですが、オースティン自身はそれを揶揄する風刺的パロディ作品 『ノーサンガー・アビー』を書いており、当時、良識あるヒト達から、詩や随想・シェイクスピアなどよりも見下されていた小説にたいして、積極的な擁護の見解を書いているそうです。そこにも又、ユーモアと風刺に富んだオースティンの精神が感じられます。 ただのエンターテインメントではない、深く豊かな、人間模様の描かれた経験の宝庫であり、 そうありたいもの。 そんな小説の魅力の原点について、想いました。 #(関連事項) #『ブリジット・ジョーンズの日記』 #英国ドラマ 「ダウントン・アビー」 * by ハァモニィベル >>204 石村さんご提案の、「リメイク」 わたしは、なんでも挑戦するタイプなので、興味深々ですが、 「リメイク」 という感覚がいまひとつ掴めていません。 かなり、原作に食い込むというか、 原作を前面に出す感じになりそうなので、その辺の距離感が・・・。 対象が決まれば、取り組みの角度も自ずと決まってきそうですが、 ターゲットをどう決めるか・・・。 今、パッと思いつくのは(リメイクの余地がありそうだと感じるのは) 1.ルナールの「博物誌」の、私風リメイク。 2.『星の王子様」のリメイク とか、ですかね。 その辺り、談論でちょっと話し合いたいです。(何となくイメージできるまで) 宜しくお願いします。 * by ハァモニィベル 参照先不明 参照先不明 参照先不明 >>208 >>209 (リメイクについて) 蛾兆さん >原作を改変した作品 >方向性としては、原作にとって代わって流通させようとするような指向性をもつ作品 >もしオリジナルだと潜称したら、盗作になるような作品 >例として「ゴジラ」、「ザ・フライ」(蠅男の恐怖) など。 以上の感覚は、私もほぼ同様に持っています。 そうすると、ちょっと抵抗感も混じってくる。 石村さん >「オリジナル作品を日本語の現代詩に新たにかき直す」 >という概念で、いまのところ私は意図しています。 これは、「現代詩」と、「オリジナル作品」と、「かき直す」について摺合せ論議したいわけですが、 「かき直す」の感覚についてはわかりました。 石村さんが挙げられた ☆ チャールズ・ラムの「シェークスピア物語」 これはわかりやすいですね。石村さんの意図する感覚が伝わりました。 この方向だと、 ☆ 近藤ようこ 『小栗判官』 なんかが好例ですね。 「リライト」という感じ。(我々は映像系じゃないので) たとえば、 ペンギンやオックスフォード、の グレイデッド・リーダーズなんかも当てはまるでしょう。 たんに簡易化してるだけでなく、文学的な芳香はちゃんと保持しているので。 ただし、「超訳」的で可、原作忠実主義でなくてもよく、そこに足をとられなくてもいい、と。 ※ 「リメイク」というと、私に浮かぶのは、 まず、ドラマや映画の、かつての名作を、駄作化して作り直してるイメージ。 リメイクした作品が、完成度が高いほど、リメイク感は薄れていくものです。 二世タレントと同じで、本人がタレントとして魅力的なら、二世感は薄れ、本人が平凡なほど 二世感が強く鼻につく、というのに似ていますね。 なので、「リメイク」という言葉を積極的に掲げにくい所が「リメイク」という語にはあります。 リフォームとでも呼ぶべきものを最近、二本、メビウスの「書換リレー」で書いたのですが、 あの企画設定は、物凄く残虐なスレなんだけどなあ、と感じます。 私の、〈自分の詩に翻訳〉スレの場合(こちらもメビウス)は、 リメイクやリフォームというよりは、言ってみれば、 「カニバル」 つまり、咀嚼して、消化してしまい、自分の表現にして排出する という(じつに高度な)ゲーム設定ですがー笑ー。 今回の石村さんの意図の面白さについては、 わたしは、次のようにイメージしています。 例えば、川端康成『伊豆の踊子』を、大藪春彦がその文体とテイストで「かき直したら」 面白いだろーな。 そこで、今回の企画について、考えてみた結果、「リライト」とすると、 参加者が取り組むのに、もうひとつ方向性が足りない感じがするのと、 安易なものを書くおそれがあります。 よって、 そのプロディース感覚を活かすような、企画として、今回、 ** マリアージュ ** という設定にしてみたらどうでしょう。(オースティンも出たので) ある書き手(参加者)と―→ある作品との 、マリアージュ それが産みだす作品を、まさに生み出してみよう。 という感じ。 わたしからは、そんな感じで、対象作品をどう決めるのか問題をつぎに話し合いたいと思いますが。 へたすると、作品を探して来年になってしまう恐れもあるので、うまく絞りをいれたいです。 (蛾兆さんの、ジャズの名曲に歌詞をつけるという企画がありましたが、あれはジャズ縛りのおかげ で選び出しやすい利点がありました。) * by ハァモニィベル 参照先不明 * 石村さんの出された ディキンソンでの例 >>204 (英語―→日本語での例) これは、元作品とほぼ並行に走る感じですね。 積極的に意訳を入れていく翻訳として、私は、シャーリー・バッシーの歌と映画007で有名な曲「ゴールドフィンガー」を私訳しましたが、それはけっこう愉しかったです。私にしては、かなり忠実訳ですこの方向は。(参考 http://p.booklog.jp/book/110281/page/2994119) さらに意訳を強めた方向で、 野口雨情の『ぬばたま』を、私の言う意味での「翻訳」と 一般的にいう意味での「翻訳」と の中間にあるような「私訳=窯変訳」(大胆な意訳)をしたことがあります。このときは、内容の解釈について議論されていたので、わたしの解釈を示したのでした。 (参考 http://p.booklog.jp/book/110281/page/2994124) ただ、上記のふたつの方向は、元作品の心に忠実に書きました。(外れないように縛られる) この意味では、原作者に沿う方向ですね。 ※ 短歌―→自由詩 というリステージは、わたしが、詩を書き始めて二作目に書いた作品がそうでした。ネットの親切な先輩から頂いたアイデアにしたがって、試しに書いてみたのでした。 {引用= 追いつめられし獣の目と夫の目としばし記憶の中に重なる 中条ふみ子 } へのオマージュとして、以下を書きました。 「瞳」 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=286697 詩情を汲み取って書いたので、 この方向も、原作に沿っていると言えるでしょう。 ※ わたしは、自身の詩情で書きたいタイプなので、忠実は苦痛ですが、だからこそ、そのストレスがやがてかなりのマグマになります。その意味で、忠実訳をする期間もわるくない。田村隆一など翻訳と詩作で精神的循環のバランスが理想的だったんじゃないかと思ったりします。 又わたしは、マグマの抑えられないタイプではないので、放っとくと休火山のようなところがあって、自分を噴火させるのに、触媒が要ります。プチ企画もそうですし、たまに出逢う佳品が触媒になるというのが通常ですね。(ほんとは旅ができたら理想です) 本来はあまり原作に引っ張られたくない。それでも沿って書こうと思えば沿う方向でも書ける。その辺を調整して、最初に方向性を決めることになります。が、その場合も、 原作が良いものなら、沿って書くのも苦にならず、原作がいまいちだと、「書き直」したい感覚が生じ、大抵の作品はただ触媒になるにしてもべつの構想や詩情を誘発するていど、全く無いものも少なくない。という感じです。 よって、対象がどういう作品になるか、によってアプローチの方向が(わたしは)変わってくるので、その辺が気になりました。李賀なら、『ぬばたま』的方向で書く対象ですね。 ハァモニィベル的に、元作品と創作物との関係を整理すると、 忠実意訳 オマージュ リステージ・リテイスト・パロディ 窯変私訳 パスティーシュ 触媒・インスパイア という感じでしょうか。 最後の、触媒ということでは、 名画から詩想を得て、勝手な詩をつける画家とのコラボを書いたことがあります。 (参考 http://p.booklog.jp/book/100699/page/2760611#none ) これは、名画とハァモニィベルとのマリアージュです。 ※ というわけで、 今回どのチューニングでいったらいいか、 (私としては、どういう対象選択にするか―作品特定でなく、選択範囲―が決まれば自然に決まる気がする) その辺をご検討よろしくおねがいします。 * 詩人の本棚に、対象詩を投げてもらい、それを「意訳」なり「マリアージュ」 する、という設定でも取り組みやすいかも知れません。 (書きにくいと思ったひとは、別の作品を投げればよく、投げられた中から 各人選んで、取り組んでみる。といった感じです) というのは、例えばの一案です。 * 引き続きよろしくおねがいします。 by ハァモニィベル 参照先不明 参照先不明 参照先不明 * もう一度、漢文に挑戦してみます。 まずは、原文と書き下し文を示します。 ※ ※ ※ 知 魚 樂 (『荘子』外篇 秋水第十七より) (原文) 莊子與惠子遊於濠梁之上莊子曰魚出遊從容是魚樂也惠子曰子非魚安知魚之樂莊子曰子非我安知我不知魚之樂惠子曰我非子固不知子矣子固非魚也子之不知魚之樂全矣莊子曰請循其本子曰女安知魚樂云者既已知吾知之而問我我知之濠上也 ---------------------------- (見やすく整理すると、) 荘子与恵子游於濠梁之上。 荘子曰 「魚出游従容、是魚之楽也。」 恵子曰 「子非魚、知魚之楽。」 荘子曰 「子非我、安知我不知魚之楽。」 恵子曰 「我非子、固不知子矣。子固非魚也。子之不知魚之楽全矣。」 荘子曰 「請循其本。子曰女安知魚楽云者、既已知吾知之而問我。我知之濠上也。」 ---------------------------- 〔書き下し文〕 莊子、惠子と濠梁(ごうりょう)の上(ほとり)に遊ぶ。 莊子曰く、「魚の出でて遊ぶこと從容(しょうよう)たり。是(こ)れ魚の樂しむなり」と。 惠子曰く、「子は魚に非ず。いずくんぞ魚の樂しむを知らん」と。 莊子曰く、「子は我に非ず。安んぞ我の魚の樂しむを知らざるを知らん」と。 惠子曰く、「我は子に非ず。固(もと)より子を知らず。 子は固より魚に非ざるなり。 子の、魚の樂しむを知らざるは全(まった)し」と。 莊子曰く、「請ふ、其の本(もと)に循(したが)はん。 子曰ふ、『女(なんじ)いずくんぞ魚の樂しむを知らん』と云ふは、 既已(すで)に吾の之(これ)を知れるを知りて、我に問ひしなり。 我、之(これ)を濠(ごう)の上に知るなり」と。 ---------------------------- それでは、以下(私の訳)です。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 知 魚 樂 (荘子, ベル訳) 荘子と(名家という論理学派の思想家)恵子(けいし)が、ある日、 川のほとりを散歩しながら、ふたりで橋を渡ったときのこと。 荘子が言った。 「ゆうゆうと泳いでいる魚を見たまえ。じつに楽しんでいるじゃないか」 すると恵子が、 「魚ではない君に、魚のことがわかるわけがないじゃないか。何処からそんなことが言えるんだい」 すると荘子も、 「ならば、私ではない君に、私のことはわかるわけがないじゃないか。そうだろ」 すると、恵子はさらに、言う。 「勿論、私は君ではない。だから、私に君のことはわからない。 君も勿論 魚ではない。だから、君に魚のことは解らない。これは間違いないことだよ。そうだろ」 対して、荘子は次のようにこたえた。・・・(つづく) * さて、ここは、ややこしい所で、様々な(訳と解釈)がある。たとえば……、 {引用= 根源にたちもどろうではないか。君は「おまえにどうして魚の楽しみがわかるものか」といったが、そのときすでに、僕がわかっていることを、君は十分知っていて僕にたずねたのだ。僕はこの川のほとりで、その道理がわかった。(大濱皓『荘子の哲学』) * 根本のところに立ち返ってみよう。君が私に、君はどこから魚が楽しんでいると分かるのかね、と言ったのは、すでに私には魚が楽しんでいることが分かっていることが分かって質問したわけだ。で、いま答えようじゃないか、私はつまり濠川のほとりでわかったわけさ。(蜂谷邦夫『荘子』 講談社選書メチエ) } 十冊以上の訳を比較してみたけれど、忠実に訳そうとしているせいなのか(?)、魚の心より不可解な訳文がじつに多くて(ごく普通の読者として)閉口したのだが、なかで納得できそうなものを紹介してみると―― {引用= 「貴様は魚の心がわかるはずがない」といった瞬間に、貴様は私が魚の心を知り得るということを是認しておる。(そのときの荘子の考えでは、もし恵施が荘子に向かって、「貴様は魚の心を知り得ないぞ」と、 こういうならば、その瞬間に恵施みずからは、自分が荘子の心の中を忖度するということを許しておる。もし甲の者が乙の者の心を忖度するという前提を許すならば、今度荘子が、荘子に非ざる魚の心を忖度するということも、許さなければならぬというのであります。)〔諸橋轍次 『荘子物語』 〕 * そんな言葉の遊戯は止めにして、根本に立ち返って議論しよう。きみはいま僕に魚でないのに魚の楽しみなどわかりっこないといったが、それはきみが僕に魚の楽しみの分かっていることを知っていて質問したのである。すべて真実なるものは人間の分別知や言論では捉えることはできず、議論を超えた境地で体得されるほかない。きみが議論の上で肯定するにせよ否定するにせよ、きみ自身は議論を超えたところで僕の知っていることをすでに理解しているのであるから、それと同じく、僕はまた魚の楽しみをこの濠水の橋上にいて議論を超えた境地で理解するだけである。(福永光司 『莊子』) } さて、この部分。 私のかってな訳(私的意訳)は こんな感じになった。 (さきほどの莊子のこたえのつづき) ※ 「いいかい、よく考えてみようじゃないか。 そもそも、君は、私に 『魚のことがわかるわけがない』と言った時、私が分かってないくせに分かったつもりでいるのだと、そう決めつけたんじゃないのかね。少なくとも、私が分かったつもりでいるのだ、と君はどこかで直観したわけだ。私のほうは橋の上で、魚のゆうゆうとした楽しみを直観したということだよ。 それにあのとき、私が魚になったわけではなく、ゆうゆうと泳ぐあの魚が私だったということ、それは言ってもわからないことだろうし、またそれは言うまでもないことだ、とわかってほしいね」 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ #莊子の有名な話を(私風に)訳してみました。 by ハァモニィベル 石村さん >「普通の意味での翻訳ではオリジナルのよさを伝えられない」フラストレーション 熱々のピザを、わざわざ冷まして出すような・・・、出す方も出される方も味気ないという(笑)。 訳す人がいかに元の表現や、作者の意図について考慮を巡らすか(それがエラーのもとにもなるでしょうが) は、ご紹介のリンク記事を読むと興味深いですね。 石村さんの『青い鳥』は、ディキンソンの(希望という鳥)を、「のんき」で「健気なやつ」 とリテイストしたところに、訳者の視点の面白さを感じました。 人生=嵐の海という(昭和以前の)感覚に抗して、人生=日常という(平成以降へ)リステージした味付けの変更により、現代詩化されている印象です。 わたしなら、たぶん、 【強烈な嵐が吹き荒ぶほど、美しく声を響かせる鳥】 として、ラストは 【そのお前は一声すら嘆いたことが無い。だから僅かな私もすり減ってなくなったりはしない】 という感じにしちゃうでしょうね。(余談) さて、 >唐詩選を全部読めたら愉しかろう、と 『唐詩選』は、128人の代表作465編あるそうなので、128本としても なかなかですが、12,3本くらい書けないものか、ちょっと視野にいれてみたいような気も・・・。 ご紹介があった、二葉亭の「標準」を読んだので、 莊子を訳してみる気にふとなりました。ご提案のプチ企画の功徳です感謝。 蛾兆さん、 『知魚楽』への読後感、(示唆もふくめ)ありがとうございました。 柳多留からは、引き伸ばせば、粋なショート・ショートが一本書けそうでもあるし、 小品のまま連作にしたらなかなかのシリーズものが出来上がりそうな気配もしました。 * さらに、いろいろ 挑戦してみたいと思います。 by ハァモニィベル ※ ※ ※ SELF-PITY D.H.Lawrence I never saw a wild thing sorry for itself. A small bird will drop frozen dead from a bough without ever having felt sorry for itself. ※ ※ ※ 己憐 (D.H.ロレンス/ベルの訳 ) 野生の死は 自らを憐れまない。 小さな鳥の死でさえも 木の枝を凍え落ちるその時に 感じたことはないんだ 自分自身への憐れみなど。 ※ ※ ※ by ハァモニィベル ※ ※ ※ Many Workmen by Stephen Crane Many workmen Built a huge ball of masonry Upon a mountain-top. Then they went to the valley below, And turned to behold their work. "It is grand," they said; They loved the thing. Of a sudden, it moved: It came upon them swiftly; It crushed them all to blood. But some had opportunity to squeal. ※ ※ ※ 大勢の仕事人たち スティーヴン・クレイン作/ベル訳 大勢の仕事人たち どでかい岩球を一個、作り上げたんだ 山の頂上にね それから、谷に下って行って 出来栄えのほどを振り返り 「じつにみごとだ」 そう言って皆、そいつに惚れ込んだ すると突然、そいつは動き出し 見るまに彼らをみんな押し潰した 搾りだされる血の海のなか、それでも 悲鳴を上げるチャンスがあった奴もいたけどね ※ ※ ※ by ハァモニィベル ※ ※ ※ 〚 トラベローグ 〛-放浪者たちへ- カール・シャピロ/ ベル訳 眼をそらさず覚えておけ。見上げたその空のことを、 深く深く吸い込むように焼き付けろ 澄み渡ったその空を 抑えつけるものの無い、あらゆる祈りが辿り着く先を。 さあ、言うがいい、さあ 神聖なる天井に向かって。 何が聞こえる?空は何て答える? 楽園は奪われた、ここはお前の帰る場所じゃない。 眼をそらさず覚えておけ。見下ろしたその海のことを、 伏せた眼で見つけ出せその先にある倦むことを知らぬ潮の流れを 見届けて教えてくれ 生き物たちの泡沫(うたかた)の日々を、 揺りかごの中で過ごした、あるいは墓の下での。 どうしようもなく湧起した波がおおい被さる ……水と共に 全ては奪われた、ここはお前の安らぐ場所じゃない。 眼をそらさず覚えておけ。 目の前にあるこの大地のことを、 其の大量生産工場を越え、牧草地を越えて、遥かに遠く遠いその場所を 其処ならきっと、皆んながお前を受け入れてくれる。 話してごらん、頼んでごらんよ 広い森と柔らかな土に。 何が聞こえる?大地はお前に何を許してくれたんだ? 地球は奪われた、ここはお前の帰る場所じゃない。 ※ ※ ※ Travelogue For Exiles by Karl Shapiro Look and remember. Look upon this sky; Look deep and deep into the sea-clean air, The unconfined, the terminus of prayer. Speak now and speak into the hallowed dome. What do you hear? What does the sky reply? The heavens are taken: this is not your home. Look and remember. Look upon this sea; Look down and down into the tireless tide. What of a life below, a life inside, A tomb, a cradle in the curly foam? The waves arise; sea-wind and sea agree The waters are taken: this is not your home. Look and remember. Look upon this land, Far, far across the factories and the grass. Surely, there, surely they will let you pass. Speak then and ask the forest and the loam. What do you hear? What does the land command? The earth is taken: this is not your home. ※ ※ ※ {引用= 対象探しの旅ついでに。 タイトルを、当初、 『追放者たちへ贈る 旅行記』 としたのですが、変更して上記にしました。 * エコロジックに読んでしまうと古い印象になってしまいますが、 作品の物語性に私は面白さを感じます。 この一作に、 幾つものアプロ―チが可能そうなので、 より跳んだり刷新したりできないか後日検討してみたい作品でした。 } by ハァモニィベル (祝ノーベル文学賞記念)ということで ボブ・ディランを取り上げて即興で書いてみます。 『風に吹かれて』は、RCサクセション・忌野清志郎バージョンもあり、 下記リンクで両方読めますので、本文を掲示する代わりとします。 ※ ※ ※ Blowin' In The Wind by Bob Dylan → http://protestsongs.michikusa.jp/english/dylan/blowininthewind.htm) ※ ※ ※ 風に吹かれて 2016 そうなれるまでの道のりなんて 知らない いつになれば安らかな眠りが得られるかなんて 知らない 殴り合うことで何が得られるかなんて 知らない 答えが風に吹かれて逃げていく それをただ追いかけるだけ 大地が海に呑み込まれる日まで 何日あるかなんて 知らない ほんとの自由が訪れる日まで 何人が生き残れるかなんて 知らない 見えてないフリの視線を その人が何度そむけるかなんて 知らない 答えが風に吹かれて逃げていく それをただ追いかけるだけ 何度尋ねったって、無意味だと 何度尋ねれば、それに気付くの? 数千年の時の中を いつも答えは風に吹かれて逃げていく それをただ いつも後ろから 追いかけてきただけ ※ ※ ※ by ハァモニィベル 「天は夏」 この息苦しい校章をとって、かあさん もうとてもつけていられない 冷え切って学校なんていけないよ 瞼に通る血も途絶えて真っ暗だ 天の扉を叩いてきた、力いっぱい殴りつけた 死は天なんだ 天は死だ 死はきっとあの夏の日 かなしくて庭の木に力いっぱいしがみついたあの日 かあさん あなたを罵るこの口を切り取って、あたたかい地面へ埋めて 争える力はもう錆びきって 生ぬるい赤黒い雲が目を覆いつぶす ああ 天の扉だ 死は天なんだ 天は安らぎ 叩きつかれた腕が動かなくなって やっと御国がもたらされる幻が見えた --- Bob Dylan Knokin' On Heaven's Door Mama, take this badge off of me I can't use it anymore. It's gettin' dark, too dark to see I feel like I'm knockin' on heaven's door. Knock, knock, knockin' on heaven's door Knock, knock, knockin' on heaven's door Knock, knock, knockin' on heaven's door Knock, knock, knockin' on heaven's door Mama, put my guns in the ground I can't shoot them anymore. That long black cloud is comin' down I feel like I'm knockin' on heaven's door. Knock, knock, knockin' on heaven's door Knock, knock, knockin' on heaven's door Knock, knock, knockin' on heaven's door Knock, knock, knockin' on heaven's door --- 昔、この曲を聴いていて 浮かんだ光景を改めて日本語に落とすと こんな感じでした。 子どもの想像力ってすごい! by 田中修子 * わたしの>>234は、パロディでしたが、 Syuuko・Tさんの >>236 は、 リステージですね。(中2~高1くらいの心への) ボブディランは、ビリーザキッドや、戦場で死んでいく瞬間の若い兵士まで 20歳くらいの若い魂をイメージしたのかなと思いますが、若者つながりですね。 ※ 子ども感覚なので、支離滅裂でもよいわけですが、 「御国」と使った瞬間、作者が顔を出してくるので、この語を使った意図が 気になりました。*(みくに=天国/おくに=日本)を同時に表現できる語なので。 天=死=やすらぎ =あの夏の日 とあるのと、 《 Heavenに入れない 》者とはいかなる者か、という 原詞にある面白さの核心との、 その辺りの関係の不明確さが、(私から見ると)腑に落ちない原因をつくっています。 天国には「幼な子」は入れるわけですが、まだ幼いといえるのに大人ともされる20歳 ちょっとの若者は、どうなのか、彼らはすでに、世俗の価値を手に入れようとむしろ 純粋に全力で走(らされてるとも知らずに走っていく)、ゆえに天国には入れない 存在である。そこには、人間の哀しみが先鋭化している。というのが、私が感受した 原歌詞の面白さなので、 そんな原詞にある面白さも受け止めつつ、 日本の中学生や高校生にリステージして眺めると、 《 叩きもせぬまま、疲れ切って来た その腕を振って 出口の扉を出た後に 振り返ると 御国の幻だけがある 》 といったラストを(私バージョンだと)書くと思いますが、 Syuukoさんの詩の場合も、 リステージの面白さがあるのは、勿論言うまでもありません。 家庭が事情を持っている少年もいれば、 自身が家庭の事情になっている少年もいるし、 その意味でリステージの中身も一色でない分、 諸々の現代詩にも、ポエムにもリステージすることが できるのだろうと思います。 ※ (メモ) # 現在の企画に関連して、ダメ押しに、パクリとの区別 についても考察しておいた方がいいのかな・・・。 # アイデアの盗用が一番問題なので、その辺りについて閾を明確に論議しておくとか。 # 例えば、パロディは、定評を確立している大家の作品以外にはやらない方がいいだろうとか。など。 by ハァモニィベル * 【挑戦用の作品】として3つ投げてみます。(作者は全て室生犀星) (皆さんも何か良さそうな作品があったら投げてください) ※ ※ ※ その1. {引用= ひげ ひげはいくら剃つても生えて来る 六十年剃つても まだ生えて来る 生きてゐて絶えることを知らない けふこそ 叮嚀(ていねい)に剃らう きのふよりもゆつくり念を入れて それは毎日の思ひだ 思ひははかなく続く だがひげは生えて来る 山にある草よりも早く } ※ ※ ※ その2. {引用= 昨日いらつしつて下さい きのふ いつらしつてください きのふの今ごろいらつしつてください そして昨日の顔にお逢ひください わたくしは何時も昨日の中にゐますから きのふのいまごろなら あなたは何でもお出来になつた筈です けれども行停りになつたけふも あすもあさつても あなたにはもう何も用意してはございません どうぞ きのふに逆戻りしてください きのふいらつしつてください 昨日へのみちはご存じの筈です 昨日の中でどうどう廻りなさいませ その突き当りに立つてゐらつしやい 突き当りが開くまで立つてゐてください 威張れるものなら威張つて立つてください } ※ ※ ※ その3. {引用= 夜までは 男といふものは みなさん ぶらんこ・ぶらんこお下げになり 知らん顔して歩いてゐらつしやる えらいひとも えらくないひとも やはりお下げになつてゐらつしやる 恥かしくも何ともないらしい お天気は好いしあたたかい日に ぶらんこさんは包まれて 包まれたうへにまた叮嚀(ていねい)に包まれて 平気で何食はぬ顔で歩いてゐらつしやる お尋ねしますがあなた様は今日は 何処で誰方にお逢ひになりました 街にはるかぜ ぶらんこさんは 上機嫌でうたつてゐらつしやる } ※ ※ ※ 以上3作品(いずれも室生犀星 作)は、 完成度が高いので(私には)どうアプローチしたものか難しいと感じる作品です。 挑戦課題として皆さんに投げてみます。 (課題は、強制ではありません) * 課題用として別の作品を投げていただくのも歓迎します。(その際は著作権に注意。リンクでもOKです) by ハァモニィベル * 風に吹かれてどんな風の中を歩いてみるのか。 アジるだけなら容易い道だけれど、 チャレンジには本物の度胸と力が試されますね。 * 私の投げた課題作品は(なんとなく投げただけなので) どうぞ皆さん無視してください。 失礼しました。 * by ハァモニィベル 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 こんばんは。ベルさま。 お題に参加させていただきます。 どうぞよろしくお願いいたします。 お題に宛てられる品、リンクにて載せさせていただきます。 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=323894 by りゅうのあくび *************** 新テーマで募集開始シマス *************** 〇 作品(ジャンル問わず) 〇 フリートーク(投げかけと応答など) 〇 過去に提案された課題への挑戦 〇 課題を作って提示挑戦を募る 〇 フリーエッセイ など、 テーマに関連していれば何でもOKです。 ★ テーマは、「歴史」です。 * by ハァモニィベル ●――――――――――――〔引用開始〕 皆の衆、皆の衆 嬉しかったら 腹から笑え 悲しかったら 泣けばよい 無理はよそうぜ カラダにわるい 〔・・・〕 どうせ此ノ世は、そんなとこ そうじゃないかえ 皆の衆 ――――――――――――●〔引用終了〕 (【皆の衆】唄/村田英雄、詞/関沢新一 より) 皆様 めりーくりすます * by ハァモニィベル * テーマ「歴史」、という意味は、 (歴史)というものを抽象論で考える事を求めてはいません。 小説を書く場合を例に説明してみると、たとえば、 純文学的作品とか、娯楽的作品とか、SFだろうと、ミステリだろうと 何を書いてもよいけれど、 いずれも、「歴史」を絡める、ということです。 ただそれだけのことですので、 そのものズバリである時代小説や歴史小説を書かねばならないという わけでもありません。 ただ、何を書いてもOKだが、どっかで「歴史」が絡んでゐればよい。 と、そんな軽い感覚でお願いします。 * by ハァモニィベル 参照先不明 ********** (現在の募集ないよう) >>264 , >>271 ********** さて、 >>272(長庚さんの作品はどうなのかーの件) 作品じたいへの嗜好はじゆう、なので、作者の嗜好における工夫は尊重します。 また、各作者の方々が考えるところの「わたし歴史に絡めてます」も、尊重します。 ただ、『〈青い月影〉』を例にとると、題名も含めて、私(企画者)が、想定している 歴史と絡める という要素がまったくありません、というのが正直なところです。 今回要求される要素が丸ごと不足していることになります。 * (単純化していうなら) 歴史上の、【人物】、【事件】、【物】 これらが最低1つ以上は、単語として含まれている文章を書いてください。 ということです。 よって、歴史の具体的な知識がゼロだと書けない、と思いますが、 地域的にも東西ともにひろく、時間的にも長い、ので素材は取り放題かと思います。 「詩」をいきなり書くのは無理のあるテーマかもしれないので、 まずは、談義する方がよいのでは、となんとなく思われます。 また、 自分もまた、歴史上の人物である と 考えれば、自分の経験談もまた、一つの歴史といえるでしょう。 例として、 『幕末百話』(岩波文庫)という面白い逸話集があります。 いずれにしても、 「歴史」とは何ぞやとか、史的趣きとか、そういった<観念的なもの>は要りません。 観念的なものを書かないで、 具体的な逸話なり、話題を、お願いします。 あくまで、書きたいことを書いていただくのが何よりですが、そこへ、「歴史」を、 世界史からでも日本史からでも、あるいは、個人史からでも、 観念的でない「歴史」を、絡めていただければ、 と、思います。 * by ハァモニィベル こんばんは。歴史文学ですよね。 色々視点があると思いますが、 詩作にても、やはり歴史を取り扱うことが 多くあろうかと思います。 歴史小説も面白いですが、 歴史詩の開拓をここでのテーマとします では、例を交えますが下記を参考として失礼いたします。 ―「漆黒に彩られた翼-陽鳥に捧げる唄-」詩作参考にて― (出来がどうかについては失礼させて頂きます。) つい最近、現代詩フォーラムで 烏(からす)と鳥(とり)の字義と語源に まつわる陽鳥伝説において、 物議があるなか、この歴史ネタに詩作する機会が 最近あったので、 この際に、お話いたします。まず詩作に当たっては、 果たして【歴史的事実】なる存在があるのか 是か否かをまずお伝えするに尽きます。 自分の答えは、多くの場合、否です。 ※【虚構】をこの時点で認めざるを得ません。 さて、物議の結論としては、 私個人の考えでは、「陽鳥伝説は、 中国諸子百家のうち陰陽家がもたらした 陰陽五行説にまつわる文化にて実在している」、 という仮説がありうることについて、 やはり【歴史的真実】があると考えてみました。 ここでは、真実と事実にはかけ離れた意味がありえます。 したがって、歴史詩の主な構成としては、【歴史的真実】と【虚構】によって 創作していくことがメインです。 議論をしたとしてもやはり、 その答えは、詩作の当初よりも【歴史的真実】しか自前のものとしては、 回答できない場合が多いはずです。 しかしながら、歴史詩(叙事詩の範疇だけかは疑問です)としては、 【歴史的真実】とは手がかりでもあり、 やはり大切な視座とも考えます。 どう言おうとしても、事実を述べることは、やはり相手があるものとして、 それらが社会人全員を相手にすることでもあります。 どうしても議論にはならず仕舞いの反省点としては、 【歴史的事実】などは、自分の意見では、 個人として追求しようがないとしか言えません。 ある立場にて、声高に主張する事実などは、事実であるはずがないとも考えます。 仮に事実だけがあったとしても、それらはある意味で、 現代的な叙事詩でもありうるかもしれない、 新聞記事とも同じものとなるかもしれません。 某新聞の虚報としても名前が挙がる、従軍慰安婦問題の記事は マスコミの信用を貶めたことはまだ記憶が新しいと思います。 さてでは、歴史の解釈にかかわる詩作があるとしても、 もちろんそれらは、極めてささやかな 【歴史的真実】を伝えるものでしかありません。 歴史的な真実を創作する詩作に当たっては、 【虚構】があるがゆえ さて果て、真実なるものと事実なるものを混同することは、 間違っていると考えました。 ・真実は、自身においても社会においても複数実在するものとも規定できます。 ・事実は、自身を含む社会において唯一存在するものとも規定できます。 上記においては、事実と真実の混同があっては、それこそ、 歴史を語ることなどは出来ないと思った次第です。 真実と事実を履き違えると大変です。 そのようなことを考えながらでも、 やはり、【歴史的真実】を作品とするには、 歴史詩でも、ある意味で、 客観的な視座だけではなくて 真実についての説明機会を得ることが必要ではと考えます。 それでこそ、歴史にも、 真実と事実の間に、詩作が広がるでしょう。 では、おやすみなさいまし。 by りゅうのあくび >>286 蛾兆さん、竜野さん こんばんは。 今回は、テーマ(歴史)ということで、とくに作品ジャンルを問わずに、自由に 談話交流しながら、進行中です。 長庚さんのように、ある作品のあるシーンが良かった、というのも、(もう少し 伝わるように書いてもらえるなら)有益だとおもいます。 私としては、相の手が入ってから、思いついたことをその都度反応してるので、ここから盛り上がるのか 掻き消えていくのか、予想がつきませんが、誰かが来てくれて続く限りは、いろいろ考えてみたいと思い ます。 * さて、 「歴史詩」っていうのがどういうものか、私にはよくわかりませんが・・・、 薄田泣菫の有名な詩。 {引用= ああ、大和にしあらましかば、 いま神無月、 うは葉散り透く神無備(かむなび)の森の小路を、 あかつき露に髪ぬれて、往きこそかよへ、 斑鳩へ。・・・ } というのは明治の詩ですね。 次の {引用= 海にして太古の民のおどろきを われふたたびす大空のもと } というのは、高村光太郎の歌ですが、作られたのは明治39年で、これは、 彫刻修行に渡米する船の上で詠んだといいます。 大正の詩になると、室生犀星が、 {引用= ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの ・・・ } と言っています。 そして、 昭和の詩は、 {引用= ・・・ おもっているおもっている つぎつぎと動かなくなる同類のあいだにはさまって おもっている かつて娘だった にんげんのむすめだった日を (峠 三吉 「仮包帯所にて」) } 詩というのは、それが歴史に向かっていくのか、振り返っているのか、あるいは、 ぶつかっているのか、という違いはあっても、みな、 意識のベクトルを持っているようです。 では、いま、 平成の詩は 何をうたうのか? どこにも向かいようがない閉塞のなかで、 ひとの意識のベクトルは皆「金儲け」に向かう(のが自然である)そんな気がするなかで (言葉の形)だけを解脱させて遊んでいればいいのだろうか、 平成の詩が、その作品のなかにどんな歴史を刻んでいるのか、 それが(わたしには)興味深いことは確かです。 * by ハァモニィベル 参照先不明 参照先不明 * うーん。吉田松陰は、「何となく」で話題として振られるには、 (私には)語る事が尽きない、大きな対象ですね。 松陰について、どこを切り取って語っても、他の幕末ビッグネームが出てきて しまうというのも、収拾困難な要素で、いってみれば、<吉田松陰>じたいが、 ひとつの<テーマ>になってしまうのではないでしょうか。 なので、松陰については、何か個別的なエピソードが、出てきたら、 また、それに触発されて思い出したことなどを、書いてみたいかなとは思います。 * 長庚さんには、もしも吉田松陰が、自分の彼氏だったら、あるいは、先生だったら もしくは、息子だったら、はたまた、同級生で隣の席に座っていたらどうか、・・・ そんなことを想像してみて女の本音を、逸話を交えて語っていただいたり、 そんな女性の立場で書いた詩を投げてくれれば嬉しいですね。 勿論、夫が孔子だったら、でも構いませんが。 ちなみに、星野哲郎 作詞の『吉田松陰』という歌があるみたいですね。 歌手は尾形大作だそうです。 * by ハァモニィベル 参照先不明 1945、夏、わたしにつながる歴史 http://po-m.com/forum/myframe.php?hid=11348 これも歴史に入るかなぁ? 祖母がよく話してくれた光景です。 たとえばそのとき祖母が疎開せずに広島にいたら 原爆にあっていたかもですし 狙撃されていたら私はいなかったんだなと 小さい時から不思議な気持ちになっていました。 ありありとみえるような、自分が体験したような そんな気持ちになります。 by 田中修子 参照先不明 * 女性というのは、歴史家ではないか、と思うことがありますね。 例えば、 彼氏や旦那さんの、ある行動の痕跡を見つけては、その欠片を繋いで、 ものすごい推理をめぐらす、のは天性のものでしょうし、風呂場の髪の毛 だとか、シャツに付いた匂いなど、遺跡発掘のプロなんじゃないか、と 思われるフシがあります。 私は独身なので、すべて想像で話してますが、 夫が帰宅すると、その日あったことを、止めどなく語る語り部でもある という話は、よく聞きます。 また、記念日をはじめ、過去の事件はすべて、克明に記憶している、といいますから。 年号や日付がひとつ違っただけで、それはもう大変なことになるのだとか。 そう言った意味では、〈歴史>というテーマでは、女性に敵わないのかも知れませんね。 * まあ、 戦国時代をハードボイルドで描いたり、江戸時代の、幕府と各藩との 政治的駆け引きなんかを取り出すと、男性のが有利かも知れませんが、 わたし的には、忍びの悲哀などが、詩にはしやすいような気もします。 エッフェル塔をパリジェンヌのくノ一が駆け上る話でも、 勿論、ここでは〈歴史>絡みということでOKです。 * by ハァモニィベル 参照先不明 参照先不明 >>315(作品、by蛾兆さん)投稿感謝です。 書き出しのモノローグのところ、そこが、詩でないようでいて、 じつは、そこが、この作品の詩である部分だ、と感じました。 それは、そこから下はまずいという意味ではなく、それによって、 命題を含んでいながら、論証性が薄く展開されてゆくこの作品の そこから下もすべて詩になったから、という意味で、この作品の 味の要はその書き出しの所にあります。 * 〈そこから下〉だけでは、微妙になったかも知れないのは、第四連 が弱いからです。 「機能美」に関する部分が、このままだと、賛成派からも反対派 からも共感しにくいのではないかなあ、と思います。。 エ氏の言う「機能美」は、おそらく、無駄のないシンプルな美しさ ということで、それは、当時定番だった「装飾過剰」趣味に対置した ものでしょうから。論点をズラして批判してるように見えます。 1900年のパリ万博の時でさえ、実際は、アール・ヌーボーではなく、 装飾華美のクレーム・シャンティー様式というネオ・ロココ調が支配的 だったといいますから、鉄骨剥き出しは、許しがたいほど常識に反して いたということなのでしょう。それは、逆に言えば、装飾過剰に関して はどんなに異常でも疑いを持つことがなかった、ということでもあります。 (当時のひとが、なのか、誰がなのかは不明ですが) 論点をズラして批判している印象があると、全体の説得力に影響しま すから、折角、ラストのところで、一歩踏み込んだところも、弱く感じ てしまうように思い、惜しい気がしました。 * (もう一つは、) 二万五千年(前・後)の人が、「かの天才」、「誰か」として、語り手とは 別人として出てきますが、それらが、対象物をどう評価するか、の予測は語ら れるものの、語り手自身は、いったい、ラスコーの壁画と、巨大建築物と、現 代詩フォーラムの、この三者の関係をどう見てるのか、どうも、しっくり伝わってき ませんでした。(どう捉えていても、いいのですが、捉えている感じがしない、 ということです) * (最後、) 「へんな記号」 と定義する感覚と、「詩だ」 と判断する感覚のところ。 この感覚が一致するとして、その場合、その点になにか、腑に落ちる表現 が欲しいような気がします。(理性でなく、感覚とか直観のレベルで、です) 仮に、たとえば、 〈へんな記号も詩である〉 という命題がイメージされてしまう可能性があるとしたら その命題に対しての、〈どんな場合は詩でないか〉という説明が、作り出すイメージ のなかに必要だと(わたしなら)考えます。 ま、「わかるのだけど」、と、「わかる」という言葉を使わずに、 「感じる」とした方が、よかったのかもしれません。(あくまで私の感覚です) ** みなさん、力作を贈って下さり、喜びのあまり、 色々細かいことを述べてしまいました。サービスし過ぎましたら 何卒、お許しの程、ひらに、ひらに。 * by ハァモニィベル 参照先不明 長庚さん エフェルと自由の女神について 有難う御座いました。 蛾兆さん ラスコーの壁画についての追記ほか、有難う御座いました。 さて、---------------------------- ここでは、いま、テーマを〈歴史〉ということにして、 とくに、ジャンルを問わない作品の投稿と、気軽な座談を 行っています。 歴史(個人史も含めて)に絡んだ話なら何でもOKです。 また、作品の紹介もお待ちしています。 ---------------------------- ★〈歴史〉に絡んだ詩ということで、私からたとえば、 安西均 作 「実朝」 という作品を紹介してみます。 {引用= 「実朝」 その目は煙らない その目は寂しい沖にとどく 遥かなる実存の小島へ ・・・・・・ } と実朝の「目」で始まるこの詩は、 さらに、 {引用= その目はズームレンズのように見る その目は鹹(にが)い永劫が しなやかにうねり 割れ 砕け 裂け 散ってしまうところまで細かく見る } と、続いて {引用= その目はいつも涙に磨かれている その目はなんでも見えすぎるために憂愁の光がともる } とやはり「その目」をみつめ続け そして、ラスト {引用= だから その目は雪の階段にひそむ暗殺者の 後ろ手に隠した白刃まで見ていなければならなかった。 } で終わる詩です。 「実朝」というタイトルを、見事に昇華した作品で、 史実を使った部分が浮いていないどころか要になっているのが さすがです。 * 建保7年(1219年)1月27日、雪が二尺ほど積ったその日、 参拝した鶴ヶ岡八幡宮で、甥の公暁にって暗殺された 鎌倉幕府第四代将軍、源実朝は、そのとき28歳であった。 政治家というより文人肌であった実朝の 詠んだ歌、 大海の磯もとどろに寄する波 破れて砕けて裂けて散るかも これが、先の詩「実朝」のモチーフの一つになっているのは ご存知の通りです。 * 安西均(1918―94)の詩には、他に、 {引用= 炎昼記 死体 これは自動車運送事業運輸規程第二十八条十一 項に明記された物件である。夏も深まったある 昼さがりのこと私は一枚の汗まみれな古着のご とく吊り革に垂れながらバスに揺られていた。 ・・・〔略〕・・・ げんに今ここに並んでいる乗客たちの素知 らぬ顔こそタブーを冒し合っている証拠ではな かろうか。彼らはめいめい見えざる死体を擁し ているのではないか。それでなくてなぜあのよ うに疲れたり上気したり美しく化粧して街に出 かけることがあろう。生きている者の世では誰 もが何ひとつ出かけた先の街で確実に目的や要 件や満足を得たためしはないのである。その不 安のために人びとは秘かに見知らぬ者の死体を 持ち運ぶのである。 ・・・ } というやはり退屈させない作品が、あります。 * (みなさまも、何か良い作品があったら ご紹介よろしくお願いします) また、挑戦してみた作品、実験してみた作品など 思いついたら吉日ということで、 ぜひ、ご遠慮なく、記事に載せて頂きたいと 思います。 本テーマ内のプチ企画として、 (歴史ぷち企画) を投げていただくのも、大歓迎です。 (ではまた) * by ハァモニィベル 参照先不明 参照先不明 作品評は後日また。(二つとも私の印象は悪くはありませんでした) 以下は、作品評ではありません。 ---------------------------- (作品の効果にご注意を) <歴史×ミステリ> から、 ―→ アトランティス(例) のような発想は、あまりおススメしません。 ファンタジー/怪奇幻想/SF の、いずれの場合にも、 読者へのリアリティがキープできない場合は、 安易に「語句」を借用しない方が無難です。 (幻想がダメと言っているのではありません。 幻想にもリアリティが必要ということです) ** 尚、ここでの「歴史」は、いわゆる「空想歴史」ではないので、混同されないよう ご注意ください。 それを、アリにしてしまうと、「46億年前、地球はアース様によって創られた」ことになってしまうし、 いつ、北極にある太古の氷からガメラが目覚めてしまうかわかりません。 <歴史×ミステリ> ✕ alpha の alpha を、幻想やSFにしても良い(なので「ガメラ」が出てきても良い)のですが、 それによって「歴史」の部分を破壊しないようお願いします。 *** 「アトランティス」という単語には、 かつて、プラトンが対話篇に書いたとか、大航海時代にもまだ本気で探されていた、といった「歴史」 的記号である面と、ファンタジーの中では実在の消えた大陸・国という記号の面が、両方あることに、 注意が必要です。 ファンタジーとは比喩である、ということを考えて見て下さい。実体として扱う場合は歴史です。 その辺が捻れないようにお願いします。 * 【まとめ】 1.「アース様」でも、「ガメラ」でも、必要ならば使っていいのですが、安易な借用導入をすると、 (歴史)でなく、(空想歴史)になってしまいますから、ご注意を。 2. ファンタジー風で書く場合は、既存の「アース」や「ガメラ」でない、「アース」や「ガメラ」 を登場させることをオススメします。 と言っても何方も来られない気もしますので 虚しいお願いですが、ぜひお気軽に、 〈テーマ〉に縛られつつも、コードを超える創造を、誰かがやった形をも超えて、創造していただけたら、 幸いです。 * by ハァモニィベル 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 * >>337(事件No.6) こういうのは、それなりに成立する作風、と言えますね。 褒めるにせよ、貶すにせよあまり気が入らない評が集まりそうな印象を(わたしは) 持つ様な作品です。 こういう作品の場合は、作者が金井美恵子的な感性を備えていて欲しい、 そういう作品なんだろう、と思います。 大衆的なオモシロさとか、文芸的な美しさとか、と同じ高さで、その中間にあるのが名作 であるのが、名作のもつ凄さだと言えるかもしれませんが、その高度が低くなるほど、退屈 になる。そんな気がしています。 内容で、にしろ、文章で、にしろ、どっちみち、感性が、読者を最後まで惹きつけるポイ ントでしょうから、こういう作品の本来の書き手というのは、 冒頭の、「ぎゅう」 のところに、作者の個性が出るものだし、最後の、「果物を食べ」 るところに至っても、読者を逸らさないものだ、 など、そんな事をふと思う作品でした。 >>335(事件No.5) 刀、銘刀ばなしは、私は(詳しくはないけど)好きかも知れません。 ムラマサ は、確かに、見た瞬間よい、という感じなのが、(私的には)凄いところです。 他のカタナには無いフォルムを持っているんでしょうが、物理的フォルムを真似れば はたして、ムラマサになるのか、は疑問です。 村正は、その形を目指して作ってるわけではなく、村正が作ると、ムラマサになる。そう いうものの様な気がします。 * 因みに、私がかなり好きな 刀 は、 キヨマロですね。(正しくはスガマロだそうですが) 尖端部分の形状に、斬るという本質的な機能が融合した美を感じます。 そして、 一番好きなのは、その源清麿の兄の作、 マサヲ〈真雄〉 です。 (刀工、山浦真雄の逸話は下記参照) http://blog.goo.ne.jp/kelu-cafe/e/50637b7487e11ab6fc2578d1ec6ee425 * by ハァモニィベル 参照先不明 * 『微笑む肖像』 荒涼とした 砂漠をゆく 幻の駱駝が、 ふいに 輪廻するように、 ときに肖像画は、 物語を話すことがある。 ルーヴルからある日、 怪盗の手によって 彼女は、 その微笑みと共に消えた よく似た六枚の微笑みが その時、 六人の金持ちに売れたそうだ ある日、彼女が何食わぬ顔で戻ってくると 人々は、準備しておいた詳細な細部の原型を取り出してきて そして、彼女の全身を調べたという。 また、ある人々は、彼女がそもそも誰なのかを 以前から知りたがっているという。 高脂血症を病んだ人物のセルフィ―であるとかないとか・・・ はたまた、画家の母であるとかないとか・・・ 美女の行方はつかめていない 勿論、お解りのように 彼女の名は、ダヴィンチ作 『Mona Lisa』 だ。 戻って来た時、オークションハウスで8億円で落札されたと言うのは 攫われた姫君、クラナッハ作 『ジビュレ・フォン・クレーフェの肖像』だが、 彼女には妹がいる。 ホルバイン作 『アン・オブ・クレーヴズの肖像』のことである。 1539年、イングランド国王ヘンリー8世は、妃を探していた そこでお抱えの宮廷画家 ホルバインを外国へ派遣する 姫たちの肖像画を描かせる為だ そして、選ばれたのが、四番目の妃 アンだった。 ただ、その美貌の肖像画は、 クロムウェルとホルバインの合作だったらしい 王室史上最高のインテリと言われ、スポーツも万能であったヘンリー8世は、 気性も荒く、トマス・モアを処刑して六回も結婚している人だ それが実際に、やってきた実物のアンを眼にしたとき、 そのささやかな瞬間が、歴史を動かし 半年後、まったく肌に触れられぬまま、アンは「王の妹」となり、 やがてクロムウェルの首が、『ユートピア』を書いたトマス・モアと同じロンドン橋の上に 架けられることを意味した、としても、おかしくはない。 それにひきかえ、 奪った怪盗の心を奪ってしまい、けして離さなかった美女もいる。 金の為でなく、ただ その絵のために その男は 奪い 二十五年間、 どんなに貧困なときも 肖像を手放さず、抱き続けたという (モナリザが盗まれた頃と同じ、 1900年ごろの話である) その名画泥棒が手に入れたのは、 当時、世界最高額の絵画だった ゲーンズボロ 作 『デヴォンシャー公爵夫人ジョージアナ』 である。 実物は、英国一の美貌といわれ、 セクシーでもあり、スキャンダラスでもあった。 「待ってちょうだい、・・・十七のころは、誰もが振り返るほど 美しい公爵夫人だったのよ。それを覚えておいて」 そんな魅力的な彼女の死後、 一世紀を経て、オークションにかけらた時も、なお その魅惑によって、誰もが振り返るほどの飛びぬけた落札額を叩き出した。 そして購入には短期間の一般公開が義務付けられた その男が、彼女を奪ったのはそのときだ。 1876年5月の夜であった。 それから、二十五年間、片時も離れずに 彼は、彼女と過ごしたという。旅行の時も、二重底の鞄の下に入れ、 寝るときも、マットレスの間に挟んで伴に眠った。 警察に追われ、窮地に陥ったときもあった カネに困ってどうしようもないときもあった そんなとき、同業者は誘いの水を向けてくる だが、その肖像画だけは、 どんな時でも頑として、守り続けた。 やがて年老いて、 ピンカートンの探偵たちに追いつめられるまで どんな時も、彼と共にいた美貌の公爵夫人は、後世 1997年パリで謎の死をとげる元英国皇太子妃を子孫にもつことになった。 そして、 あの美貌の肖像画を愛し続けた男は、 シャーロックホームズの強敵、モリアーティー教授のモデルになった。 * by ハァモニィベル 参照先不明 参照先不明 参照先不明 長庚さん、蛾兆さん、 ご感想ご批評ありがとうございました。 名画×(歴史×ミステリ)ということで、 四枚の肖像画がわたしに語りかけたお話ということで書いてみました。 また、ぜんぜん趣向を変えて、 さらに幾つか色々と挑戦してみます。 * 蛾兆さんの評にあった、「一番楽しそうに」微笑んでいるのは・・・ という、視点で、そばにいる女性をときには肖像画として観てみたい気がします。 その肖像の微笑みの影は、そばにいる男の愛情が描くものでしょうから。 と、言っても、私にはそばに居てくれる女性がいないので、豊富な資源があっても 無駄に眠ったままですね。 (美しい肖像画)が、(幸せな肖像画)でもあるように描かせてくれるモデルを、まず は連れてこなれば…。しかも、私の自画像が、「ドリアン・グレイの肖像」にならなく てもいい人を…。 シャーロック・ホームズのもとを訪れた人物に、ドクター・ワトソンが言いそうな な長庚さんのコメント>>344 (男目線で見てみたのでしょうか。面白いですね) ジョージアナの境涯については、 ★ 「ある公爵夫人の生涯」 という(2008年の映画)があります。 * by ハァモニィベル 参照先不明 参照先不明 >>352 ご寄贈感謝します。 ---------------------------- 長庚さんのコメントが短すぎて強烈ですが、 「比較文学の先駆的作家」、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲) がここで顔を出すのも、興味深いですね。 * 比較文学は、世界的視野と博識、固定分野に囚われない自由な発想が、評価され得る(又は 報われる)分野ですが、そこで魅力を発揮する、ハーンという存在を、きちんと、見つめよ うという―ことだとしたら―、なかなかのチョイスだと感銘をうけました。 * ハーンが、東大で教え始めたのは、明治29年(1896)のようですが、 そのとき、詩に関する講義の中で、英国のバラッドについて解説しながら 唯一、全文を引いた作品が、次のバラッドだった、と言います。 ”The Cruel Mother” 『残酷な母』 (以下は、私による大意訳) 女がひとり 茨の上で 赤子を生んだ。 微笑まないで そんな風に 可愛い赤ちゃん ニコニコ わたしを 殺さないで。 女がひとり 月の明かりで 掘った墓穴 中に、可愛い 屍骸を埋めた。 ある時、教会へ行く道すがら 女の前に 立っていた。 可愛いこどもが、門前に 「おお、可愛い坊や。 わが子なら 絹や毛皮を着せるのに」 「おお、やさしい母さん。 わが子には 冷たい土をくれたのに。 でもね、僕は天国だ。 あなたは、地獄を抱えてく 」 * 時折、ナーサリー・ライムでも、こうした残酷でパンチの効いた ものがありますが、このバラッドは、宗教的な影響もありそうな 気がします。 但し、責めている様にも、許している様にも、受け取れる両義性のある 作品になっています。 (私の意訳では、もっと一般的に、 最後を、人間の罪と罰として訳しました) * まあ、 人間にはいろいろ、境遇や立場がありますが、 ふつうに考えると きちんと育ててもらえず、 土に埋めれてしまう というのは、 私には、けっこう「地獄」のように思えますが 保身して生き残った者の場合は、はたして「天国」であるのか、 それは、まったくもって(謎)です。 * by ハァモニィベル 参照先不明 参照先不明 >>356 長庚さんコメント感謝です。 >曖昧な情報ですみません。 とありますが、「情報が曖昧」なのはべつに構いませんよ。 でも、はっきり思い出していただきたいことは、 私が、<歴史>という今回のテーマでは、「抽象的」には書かないでください と言ったことです。そのココロはですね、 ぼやっとした文章を書かないでね ということです。(作品においてはそれもアリですが) 抽象的な事を書いたら、必ず、具体例を添えるなど 肉付けしていだけると、幸いです。 短く2、3行で、会話するといった場合は、 逆に、コンパクトに整理して書いてほしい、ところです。 此処では。読者ファーストでお願いします。 * by ハァモニィベル * ちなみに、わたしは、 小泉八雲では、 .「葬られたる秘密」 という短編が好きです。 青空文庫で読めます。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000258/files/42926_15331.html * by ハァモニィベル 長庚さん 作品二つ ご投稿感謝します。 ---------------------------- 気になったので、いちおう補足説明しておきますね。 〈歴史×α〉っつうのは、 〈歴史×α〉ということで書くのではなく、 「 α 」の部分を、何か決めて書いてね っつうことです。 任意の値をあらわす符号なので、 〈歴史×ミステリ〉の、「(α=)ミステリ」のように サブテーマになる値を、書き手の方でなにか代入してください。 (読み手に代入させる企画ではありません) わかっていると思いますが、念のため。 * by ハァモニィベル * 《歴史×ミステリ×林檎》 で、 『エスカリエの沈黙・試論』 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=326527 (旧作ですが) * by ハァモニィベル 参照先不明 参照先不明 長庚さんへ ”全体を取り仕切るリズム” 「かもしれ」ない という評、ありがとうございました。 評というのは、その人がどう読んだかを示すものでありますが、 同時に、読めているかどうかも、示してしまうものです。 * >何か一つが、足りない と謂うのが、作品に足りないのか、読み手に足りないのか、は なかなか難しい所ですが、 私の該作品に在る「沈黙」を読み取ってほしいという所は、 タイトルに示してある通りです。 * 「全体を取り仕切る」という面については、作品に採用されている文体を 考えてみて下さい。 「リズム」に関して言う場合は、長庚さんの作品にリズムがなければ納得 させることができませんけれど、その辺の見解の相違は、リズム感の違い 《なのかも知れません》よ。 >>371によると、かつて色々言われたとのことですが、 その時の指摘は、いまも、生きているのか、いないのか、など >>372の5年以上前の御作品と、いまの長庚作品と、比較してみると 興味深いですね。 >カイト君にまで 「ボロクソに言われた」とのことですが、 部分的な言葉のチョイスが陳腐である。と私の様にストレートに言ってくれる 人はいなかったようですね。 批評を受けて伸びるひともいれば、十年一日の如きひともいます。 合評というのは、力のある者同士がしないと、意味がないのです。 また、 作品がそうであるように、批評もまた、むしろ批評こそ、腑に落ちるもの でないと、と(わたしなどは)思います。 作品の場合は、腑に落ちなくても退屈で済みますが、批評が腑に落ちないものだと 他人に、故意または過失による害毒を及ぼしかねませんから。 * by ハァモニィベル * 《歴史×グルメ》 で、 『ロマンティックな挽き肉』 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=326538 (これも旧作です) ※縦書きで表示すると、文量がけっこう多かったんだな、 とあらためて気づいたりして、レイアウトのフシギを思いました。 * by ハァモニィベル 最近は、駄菓子屋をみませんね。 * 私が4歳か5歳のとき、住んでいた住宅地のほぼ中央、私の家のすぐ近くに 小さな公園があり、近所の子供たちは皆そこに集まって遊んでいました。 その公園の横を細い石段が一本、小さな丘の上までのぼっていて、神社とか お寺がありそうなその場所(公園をすぐ下に見おろす頂上)に、お婆さんが やっている駄菓子屋が一軒ありました。子供たちはこぞって、そこに通って お気に入りの駄菓子を片手に持ちながら、公園で遊んだものでした。 その後、東京に越した時にも、やはり小学校のすぐ傍の、しかし、ちょっと 隠れた路地の所に、なにやら、もんじゃ風の、じぶんで鉄板にのばしては焼け たら小さなヘラで掬って食べることのできるあの独特な四角いテーブルを備え た、《子供たちの社交場であった駄菓子屋》が一軒ありました。 クラブ活動のある中学以上とは違って、6学年あっても小学校では上級生や下級生と 交流する機会は無いものですが、近所の駄菓子屋サロンは違います。まだ私が引っ越した ばかりの頃、駄菓子屋で、例の鉄板の席につくとすかさず、「転校生?」 見れば、鉄板を一緒に囲む知らない下級生や、上級生が話しかけてきて面くらいました。 見知らぬ奴、さては転校生だな、というわけでしょう。サロンの新顔はそこで、常連さん に挨拶することになりました。そこでしか会わない奇妙な顔見知り達の間には、いろいろ な情報が飛び交います。 転校してから同じ学級に友人がチラホラとでき始めた頃、家に遊びに行った友達の中には、 妙に、お坊ちゃんやお嬢さんがいたりしましたが、彼らは、転校生のわたしに、その地の名所 を案内してくれたり、習慣を親切に説明してくれました。 感謝した私は、最後に、自分のできるお礼というかお返しに、例の駄菓子屋へ彼らを案内して みたことがあります。 すると、意外にも彼らはそこを知らず、(たいてい、お坊ちゃん達は、そういう場所への 出入りを禁じられていたので、)見たことのない安価な菓子が魅惑的に並べられ、食べたこ とのないワイルドな鉄板の、しかも見知らぬサロンが存在したという、新世界に踏み込んだ衝撃を 私にいちいち漏らしては、やがて、何も知らない転校生である筈の私を、一転、尊敬のまな ざしで見つめたりするのでした。そんな思い出も、「駄菓子屋」にはあります。 * by ハァモニィベル * いちおう、これで、 現行の企画を終了します。 あとはご自由に。 * by ハァモニィベル 参照先不明 参照先不明 参照先不明 渚鳥は、南へ飛び去ったと思ったので、 誰も来ないと思っていたのだが・・・、まあいいや。 * >>392への批評 言語量の不足ということを考えさせられる作品であった。 それは、圧縮的表現が悪いということではいし、言葉足らずな書き方だから、というわけでもない。 言ってみれば、この作品が作品と呼ばれる為には、もっと行数が続かなくてはならない ということだ。 よくクロールの息継ぎが出来ない人が25mプールの途中でいちど立ってから、また泳ぎ始めて、また少しすると立ち上がるのを見るが、言語的swimmingにおいて、息継ぎが下手だと、一行一行の終わり方も、一篇の終わり方にも、そういうギコチなさが感じられる。 どんな文体、作風で書くにせよ、イメージは鮮明にすべきではないだろうか。と私などは思うから、 わたしなら、ワンシーンを一行で書くか、全体でワンシーンを書く様に心掛ける。 月光のJ 足音が消えた。 火花も尽きた。 白煙の白ウサギは通路1で3回咳をした、が、 それを聞いた者もいない。 その盤面上に 撤退する兵も、もうなかった。 焼きリンゴを乗せたまま ゆらいだ Jは塔の 空に浮かぶ 夜が明けるのを待つ 25階に隠れた 王様は 地下の門から這い出て 夜の羊飼いになる。 水色のルークだけが 北北西の森の琥珀に なった。 * 作品(>>392)は、 タイトルと、最終行に作者のマインドが 感じられるので、タイトルについても一言。 なぜ、laugh にしたのだろう。 というのは、smile もあるからだ。 聴覚的な笑いを選んだのが、意識してなら課題とマッチしてgoodだが、 最終行ともマッチさせるなら、タイトルは、 The Moon has been laughing がいいかも知れない。 が、あくまで A moon で、月は一つではない、という世界観なのであれば、 オレンジ色の電球の下の景色とも取れるから、それなら、laugh よりsmile がいい。 一言といって、長くなってしったので最後に一言。 laugh は 詩 で使えば、風景が生き生きしてるという意味にもなる。 よって、タイトルを生かすような、生き生きしたイメージが求められるように思った。 以上 by ハァモニィベル * 寄稿を見ました すなおに感謝するとともに るすがちなことお詫びします 波状雲が美しい、そんな今日もあるようです。 打診しては打撲するような日々というのが ちなみに、少なくはないでしょう。 もう何もかも嫌になってしまうものですが 寄与する何ものかがあるなら せい一杯やるだけの意義はあると なるべく自分を慰めてはみても むなしい、というのが本音です。 我ながら思うのです。 恋する羊が狼の群れのなかを歩くようなものだ、と。 ふふっ、と笑うでしょうか るすがちなことお詫びします 人は無生物とはちがい、汚れた隣人ばかりでもないのでしょうが、 忘れたものを思い出せる隣人は、どうも少ないようなのです。 れっきとした歴史の中にある哀しみと言えるでしょう。 貝塚をつくった人々がまた、時に貝毒に痺れるのとそれは似ています。 下には屍体が埋まっているのだ。何故って、あんなにも見事に咲くのだから。 リツイートしても、アーカイブしてもいい位、それは大文字で書くTruth てつがくは、きっと銀河の下の街にある。 拾い集めてこよう。澄んだ音楽のように。各人各様に はたして、美は独断か? むかう先を、ルート検索する人たちよ。 * (テキトーに企画に応じて書いてみた、これは作品です) 各文の文頭一文字を、タテに読むと >寄する波打ちも寄せなむ我恋ふる人忘れ貝下りて拾はむ という土佐日記の歌が現れます。 #この企画設定(By渚鳥)は、長くなるのがキツイので、上の句だけとか、下の句だけ、というように各人工夫した方がよさそうです。(詩として作りにくい点も、若干改良を要するでしょうね) * by ハァモニィベル 参照先不明 参照先不明 企画をどうぞ。 ご遠慮なく。 by ハァモニィベル * スレ主より 記事416の趣旨がわかりません。 1.本スレッドへの難癖 2.本人に企画力がないことの言い訳 以上のどちらに該当するのでしょうか? 記事416を書いた人に良心と頭脳が多少なりともあるなら、 これまで、ここで行われた「企画」(プチ企画) の実例について、 概略をわかりやすくまとめて、考察するなど 有意義なレポートで隙間を埋めるなどして 適切な行動をしてもらえると、 スレ主としては違和感がありません。 (こう書いても、お硬い実践を要求するものではありません。 ゆるふわな文章でも全然オッケーなのですが、 内容が粗雑だったり浅薄だったりするのはちょっと困るなあ というのが読む人の本音です) 尚、 当初は、「お題バトル」という私の考案した企画がありましたね。 1つのテーマから、互いに5個の作品タイトルを出しあい、 それについて、まず、題名センスについて点数をつけて合評しあう。 そして、相手の題名のうち、自分が最高点をつけたものを、作品にして 書かねばならない(題名を多少変化させるのは可)。 書いた作品は、ネット上のどこかに投稿する。そして、相手はそれに感想なり批評を書きこむ。 というものでした。 これは、初期の企画ですが、もっとゆるゆるのプチ企画で充分です。 <書きにくいタイトル>というテーマで、 私が偶然出したことになる題名 「書けない詩」と、 「書くのに10年かかる詩」 というのについて、、 蛾兆ボルカさんと、ハァモニィベルで、書いてみた実践がごく最近あったのを ここで見ることが出来るでしょう。 (もちろん、 ふたりとも、お題バトルをしたわけではなくて、たまたまその形式に合致した だけで、いま私がそんな風に整理してみせたに過ぎません) * それでは、 企画をどうぞ。 ご遠慮なく。 * by ハァモニィベル 参照先不明 参照先不明 >>419 >本年の2月から7月までの間に >地方政治がどう動いたのかを、 >当てられたら という、奇妙なご提案が持ち込まれましたが、 「地方政治」を取り上げる意義がよくわからず、 詩人ファーストな感じもしませんので、 ためらわず却下したいと思います。 by ハァモニィベル * 例えばですが、 〈 未読の○○ 〉 というテーマで、 何か考えてみる、というのなら、よさそうです。 * by ハァモニィベル 渚鳥さんから5個出てるってことは、 お題バトルのつもりなのだろうか? もしもそうなら、 ということで、一応 ・未読のソルテ(25点) (ベル評。以下評)ボルトガル語にせよイタリア語にせよ、ソルテ=「運・運命」 という語のチョイスは良いが、「未読の」とは合わない。字面の整合センスが20点 ・未読の1:54' oven(39点) (評)こういうのは、ご勝手に、という感じ。「未読の」は不要と感じ、浮く。 ・未読のホオジロシナ(2点) (評)このタイトルを見ただけで作品は読まない。 ・未読のラタン/レーズン・ツリー(5点) (評)むしろ、「既読の・・」としたほうが合う。『既読のラタン』なら80点だった ・未読の灰(63点) (評)フツーな感じでタイトルとしてはようやく成立しているが、ふつうだ。 すべて、「未読の・・」が生きていないので、 今回は全部ボツ。創り直しである。 * by ハァモニィベル 私からも一応、出しときましょう。 * 未読の記憶 未読の舌 未読の魔詩 未読者たちの化石 未読の関係 * by ハァモニィベル 参照先不明 参照先不明 * >>431 既読スルーせず(私は LINE はやったことないですが) 反批評を書いてみました。 ・未読の記憶(50点) >「記憶を読むは感覚が迷子になり、スライドしてゆく先が未知領域なのでした。 「記憶を読む」という状況への想像力があるかないか、ですね。映画『君に読む物語』を御存知ないのでしょうね。それは一例にすぎませんが。 ・未読の舌(80点/及第点) >R指定が発生しました(!) 想像力はないが、妄想力は逞しいわけですね。 (展開したストーリーを見ると創作を刺激したようなので吉とします) ・未読の魔詩(85点/及第点) >→率直にいうと、意外に採点者のツボでした。 まあ、評価者の好みに合わせた遊びも5分の一ていど混じりますね。 <魔詩>とか、<妖詩>といったテーマも設定しうる所です。 ・未読者達の化石(70点) >類人猿、・・・フリーズ まあ、読みはひとそれぞれ、というのを感じさせるコメントで、むしろ題名としては成仏しますね。 ・未読の関係(89点/及第点) >お互いに知らない部分がまだまだあるっていうのに、呼び掛けをスルーしている状況かな…… 読みが浅いですな。ルール上、最高点のこの題名で渚鳥さんとしては書かねばならないというのに、 その感覚では、いいものが書けそうもないなと、予想してしまいます。 このタイトルは、いいかえれば(「届かない繋がり」)ということです。 では、よろしくどうぞ。 * by ハァモニィベル * 漂着した椰子の実 こそ、 詩人にとって真の経験である。 と呟いたら、 この意味は どこに漂着して、 実を結ぶだろうか * by ハァモニィベル 参照先不明 * >>452 さらなる改作の熱意に敬意を表して 以下、部分的にですが、(わたし風に)遊んでみました。 ** ながい尻尾を 片手で振って モコモコになりたい さらってゆくモノの 帰りを待ちわびて ぴちぴちとハシャぎたい 少しはすれすれで騒ぎ出したい 水かさが増してきた顎のあたりで アクビしながら 見習いムスメの かしげたクビのように また叱られる理由になっても 山ほど背負いこんだセナカは泡で流して 疲れ切った夜を眠りたい ときめきを感じながら ** #渚鳥作品をベースにしたので、語り手が女性になっています。 by ハァモニィベル 参照先不明 ◇プチ企画館から、 あまりあてにしていない出題です。 *** *** *** *** *** 次の章立てで、一篇の作品を書いて下さい。 *** *** *** *** *** と、しておきます。(とりあえず) (課題の説明): ・タイトルは仮設定されていますが、自由です。 ・章の見出しタイトルのみ拘束があります(変形は可です) ・章の順序は入れ替えてもOKとします。 ・その章のみを書くのもOKです(がその場合は、次の点に注意して下さい) 章のみの場合: その章だけしか書けません(二つ連続は不可) 前後の章の、話の流れを考慮して書いてください。 (後で各人の章を繋ぐと一本になるようにお願いします) と、いった感じです。 『いとゆゆしき冒険の果て』(仮題) ~バベルのぼうけん~ ―目次― 山ほど抱えていたネコの囁き 派手な背もたれのついた黒い椅子 ポーチドエッグ男爵 頭上からひたいに降りてきたタンポポ 買い込んだ疲れた腕と痺れた脚 トマトサラダ姫の物語 あるとき、指でおさえたまぼろし ネコの帰りを待ち続けているラプゥペェ ひんやりと呪うクックラ 家がわからずにいるオルーサ 夜の出来事と €1 のパン半分 モコモコ手首とふかふか足首のぷーっ 何度も誰かがのっそりと廻り続けていた 長い尾っぽを岸辺に置いて水底で寛ぐオルトロス 私を待つ2個のライ麦パンの2週間 予感に構わず帰りたがるオンブレッロ 白い雨が降り、熱の花が咲き、水かさが増す前に騒ぎ出すシャッブート 純白の尾ひれを必死でつくろいながら泳ぐクシュとマヌの姉妹 とうとう見つかったマフテアフ(「鍵」) エーデルシュタイン城の出会い ―――End. # エーデルシュタイン(Edelstein)はドイツ語で「宝石」の意味。 #複数形はエーデルシュタイネン(Edelsteinen)です。その辺にラストの捻りが仕込まれているんですが・・・まあ、設定はすべて創作される方の自由です。 以上、一篇のものがたりが想像できましたか? それでは、よろしく。 尚、 新たにプチ企画があれば、 自由に出して頂いてかまいません。 みなさま よい夏を お過ごしください * by ハァモニィベル 参照先不明 参照先不明 ふたつとも、 一行目以降を読む気になりません。 よって作品が長いだけ悲惨です。 以上です。 by ハァモニィベル 参照先不明 * 音痴が唄うのを聞かされる辛さは知っていても、 文章を読ませるときに、同じ苦痛を 読者に味合わせていることに鈍感な人は、 大抵、理解力がありません。 * >>469 の一行目は、小タイトルの下 >いっしょの数を 今回 >>475 の一行目は、タイトルの下 >いっしょの数を 私は既に、記事469について、一行目以降、読めない と書きました。 (ケンカをお売りになっておいでなのでしょうか??) * >> 477 「改良案」 とある以上「改良」してほしいところでしたが、 酷いですな。 二連目の四行目で、読む気が失せました。 (念のため書いておきますが、 良く見えない ― くっきりと閉ざされて と矛盾なく対応する解釈もありうるのを承知の上で、です。 また、双子の云々が、双子座の星を指し得ることなど諸々考慮しても尚、 読む気が失せる、ということです) ** 渚鳥さんが真面目にやるつもりなのか、と善意に受け取りましたが、 やる気がないなら 書き込まないで下さいね。 取敢えず、警告1回にとどめておきますが (これより、落書きは、即削除します) * ではでは by ハァモニィベル 参照先不明 はい、渚鳥さんぷち企画ありがとうございました。 渚鳥さんにはもっと正直なホラー詩を書くことをおススメします。 * さて、 皆様に、 新ぷち企画を提出いたします。 次の二つの題名のうち一つ選んで 作品を書いて下さい(ジャンルフリーです) (1) 「くノ一の Function」」 (2) 「無人駅の伝言板」 よろしくお願いします。 * by ハァモニィベル 無人駅の伝言板 お世話をする人がいないのに 何故 伝言板があるのか。 散々に上書きされた伝言板を黒板消しでクリアにして書込む。 消してはいけない伝言はなかった? 「宇宙でもどこでも行っちゃえ。」 きっとね ありえないんだけど、 何かの間違いであなたがここに来て わたしのメッセージを読んでくれますようにって祈っている 「どこにも行かないでしょ」って ぎゅっとしてくれる日が来るんだって 信じている さらさらと涼やかな風が吹き抜ける ---------ここまで 初参加かな? お題ありの詩は苦手なのですが、半分妄想で書きました。 無人駅は、小さな頃山梨県に父が釣りに行った時に何度か経験しました?が、最近鬼籍に入られた詩人で芸術家の丸山あつしさんのお宅訪問した時に(連絡せずに行ったのでお留守で会えませんでした)最寄り駅が大洋駅という無人駅で、車で行ったので道路からホームを見たらのどかだったな。 無人駅なんて見たことないし発想出来ないという方に、わたしが見た無人駅のアドレスはりますね。何か降りてくれば。꒰•ི̫͡ુ•ྀૂ꒱ https://ja.m.wikipedia.org/wiki/大洋駅 by 鵜飼千代子 参照先不明 鵜飼さん ラブリーな感じの作品ありがとうございます。 以下は、返詩です。 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=331574 (お題変更もOKですし、キーワード指定にしてもOKです、 またよろしくお願いします。) by ハァモニィベル 参照先不明 * 「 無人駅に残された手記 -4頁の左側- 」 原作:渚鳥/翻訳:ハァモニィベル (注)この作品は、 (渚鳥語の原典から、ハァモニィベル語に訳されたものです) ちょっと休みになったと思ったら 自分でも驚くくらい無口です。 髪を洗うお湯も冷めたくて 腕に着ける御守りは 何度嵌めてみてもするりと抜けて 何度試してもお手上げでした 何かするには手を下げないと だから また、しっかりと顔を上げます キーを叩く指が 素直になれないこの腕が悲しい だって、こんな変なことを書いてしまうから {引用= 私は私を探し続けてコクピット 太字パスワード受信 大急ぎでコチラへ移動 目を開けたら、文字列を忘れておりました } 茄子を袋に戻したくても…… レンジの中の宇宙は、 もう夢のように回ってる… カゴから落ちたせいで からっぽの財布は ベッドに背中を預けたままです 土踏まずをラップされてしまう と、その途端、クラゲになってしまう 夢をみて 半壊する前に あらゆる戦いを放棄 しそうになった矢先、 夢から抜け出たクラゲのまま また眠るまで 夜だけを少しずつ貯金しておく (著作権料の分配は、ベルさん98% /渚鳥さん2%です) 原作は、>>495 を御覧ください * 因みに、 私 勝手にやりました。自首します。 (あんまり下手だったのでつい…) 弁護士 より良質な作品になっているだけでなく、オリジナリティが加味されていて見事です それに渚鳥は、以前、ベル氏の作品を改悪した前科者ですから文句は言えません。 検事 著作権の侵害であって、このスレッド限定の正当業務行為などという 抗弁は認められませんよ裁判長。 裁判官 まあ、出来栄えが悪いのは悪質行為として有罪とし削除の刑に処す。 オリジナリティのある質の高い作品にできるのであれば 原作者の同意もしくは追認がある場合にかぎり無罪としよう。 以前渚鳥さんは自分でやっている以上、同意があるとみなして本件は無罪とする。 スレ主 なんでも技は最初にやるのが尊いので、皆さんも最初の技を編み出しましょう。 特に、性格の悪い人が真似しやすいですが、それは二流であることの自己宣言です。 性格の良い人が、本当に良い作品が作れる場合に限り、本スレッド内だけで許可 しますが、必ず、いいですか、必ず、原作者名と、原作が、解るように併記または リンクして下さい。多分、参加者が居ない場所なので、心配ありませんが念の為。 by ハァモニィベル 参照先不明 >>498 そもそも《伝言板》なのに長々と書いた雑な無神経は、 笑いたくならないのかね?? それを、仕方がないから 置かれていた「手記」と親切に訳した わたしの繊細な神経を感受もできないくせに、 的外れな妄想で反論するんじゃない。 (何よりも、君が惨めを晒すだけだゾ) よいかね、 次のベルの手記を(よく)読んでくれたまえ。よく。 ----------------------------1ページ目 渚鳥のファンクションによると、 4行になってしまうのかね? どこから4行なのかね?(気にし過ぎですな) ----------------------------2ページ目 4ページで良いのだよ。 手記って一枚って決まりでもあるのかね?? ----------------------------3ページ目 「手記」だから、自分で書いたものなのに 渚鳥本人は書いてませんよ、という批判なら きみのファンクションもまあまあだが、 実にヒドイとしかいいようがないよワトソンくん。 ----------------------------4ページ目 どうだね、ここが4ページ目だ。 例えば、ここの左側に ***** **** **** のように書いてあった場合、 「4頁の左側」 と言ってはいけない文法が渚鳥語にはあるのかね? 日本語にはないと思うがね。 (仮に日本語になくてもベル語にはある可能性は 考えないのかね。 では、 この4頁目の下に書いてある二行もよく読んでくれたまえ。 恥ずかしい笑い声は止んだかな? ああ、アホらしくて疲れる . by ハァモニィベル * 無人駅の伝言板 は続いております。 (8月の終わりまで) * (原作)の投稿でも 受付けます。 渚鳥原作の翻訳でも OKです。 * by ハァモニィベル 渚鳥さん、どこが無人駅の伝言板なのかと思ったんだけど、無人駅の伝言板にこの詩が書いてあるって展開? もしそうなら「続き読みたい」って翌日用がなくても駅に来ちゃうかもしれないですね。 たいがい伝言板は改札の外にあるけれど、無人駅なら入場券買わなくてもホームまで入れるし。 by 鵜飼千代子 参照先不明 参照先不明 参照先不明 * 『無人駅の伝言板』 原作 渚鳥 / 翻訳詩 ハァモニィベル (注)本作は、渚鳥語の原典をハァモニィベル語に訳すシリーズ 待望の第二弾!です。 もっとも寂しい記憶までの最寄り駅 目的地のある風は皆、そこには止まらず通過する。 ストンっ、と降り立ったら 帰ってくるように 雪みたいに白いものが降っていた。 「当駅は無人です」 と書かれた札がそこに立っているのが 怖くなって家まで夢中で奔った。 無人駅の窓から見えた寂しさを その後は覚えていない {引用=着いたのだろう でなければ こうしていないはずだから} 駅の伝言板に書かれていた その文字だけは 今でもはっきりと思い出せるけれど。 * 〔著作権料の配分は、ベル氏89%、渚鳥氏11%です〕 尚、 原作は、>>509 を参照してください。 . by ハァモニィベル とおこ さん 今晩は。 題名「無人駅の伝言板」 で、ジャンルフリーなので、詩でもOKです。 題名は、その枠のなかで、自分のセンスで修正するのもOKです。 よろしくお願いします。 (ここに、記事として 書いてもいいし、 別のところに投稿してからリンクしても大丈夫です) by ハァモニィベル >>517 ハァモニィベルさん こんばんは。 教えてくださりありがとうございます。 別の詩ですが、ポイントも入れていただいたようで……。 さっそく詩を書いてみました。 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=331750&filter=cat&from=listdoc.php%3Fstart%3D0%26cat%3D1 「ジョバンニの切符」 タイトルは「無人駅の伝言板」からだいぶ離れてしまったのですが、テーマには沿うようにしたつもりです。 面白いテーマで、すらすらと言葉がでてきました。 by 凍湖(とおこ) ハァモニィベルさん はじめてアニメーションの銀河鉄道をみたとき、その美しさと、果ての駅で一人降りた少年の絶望的なさびしさにゾッとしたことを覚えています。 無人駅、地方ではそう珍しくもなく、自動改札もない無人駅で乗り、無人駅で降りる、なんてこともあります。 そうすると、簡単にキセルが出来てしまうのですね。 きっとカンパネルラもそうして近所にやって来たのだろうと思います。 初乗り料金だけで、その辺ブラブラしてるかも。 返詩、改定前のものを拝見いたしました。ありがとうございます。 返詩では、二人は会えないのですね。 かなしいです。 でも、わたしはきっと、詩の人物はカンパネルラに会えると思っています。だって、切符みつけたら舞い上がって、電車に乗らずに走って迎えに行っちゃうんですもの。 by 凍湖(とおこ) * 「原作」について一言 ハァモニィベルが、なんでも、無暗に原作にしてしまうようで、 この形式(>>514)にどこか暴力的な印象を持たれるタイプの方もいるかも知れません。 しかし、《なんでも、無暗に》やっているわけでもなく、 (後述するように)できるわけでもありません。 ひとつには、原作者の同意にいちばん配慮しています。 原典を書かれた方が、原作者となってもいい、という そもそも原作者になることへの同意・賛同を第一に大切にします。 そして、 もうひとつは、(これも非常に大事なことなのですが) どんな作品でも原作にできるわけではない、 ということです。 * 実質的に無内容に近いような言説は、原作にできません。 123456・・・とただ並んでいるようなもので、 これは、ハァモニィベル語に訳すべき対象・意味が、ないからです。 なので、何か、書き手のマインドが込められていないと、 原作には、(できない)し、原作者に(なりたくてもなれない) と考えてください。 なので、言いたい事のマインドが濃くて強い人ほど 原作者としてすぐれている、と言えるでしょう。 じつは、原作には、そういう大切な要件があるのです。 読者が読んで苦痛でない言説で書かれていれば、それはそのまま作品 ですから、翻訳する必要はないし、すべきでありません。(読めるものを 訳す必要はないからです) 変なものを読者に読ませるという暴力的な印象の行為を ハァモニィベルの翻訳によって、僅かでも(まともな読者の) 心のやすらぎや知的愉しみに変えられれば、というのが理想です。 (私の方が原典に暴力をふるっているように思われる方は、 ここで気付いてほしいのですが、私は原典のふるっている読者へ の暴力をただ合気道で投げとばしてみただけです) (普段は、あまり投げ飛ばしたくはないので、他人の作品を読みに行かない 癖がついてしまっているわけですが・・・) ただ、形式的・表現的に「変」なだけで、 マインド(ポエジー)は、文章が器用な人よりもマシもしくは上 であるようなものならば、原作になる資格・可能性は充分にある わけです。 どの程度のポエジーが原典にあったかは、著作権料の%の数字で (わたしから)評価されているのにお気づきだったでしょうか。 以上です by ハァモニィベル 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 * ふつーに、経験談を書いてもらいたいなあ と思っているところに、 渚鳥さんは、 奇妙なものを投げてくるよね。 * まあ、寝台列車が気に入ったというのだけはわかる退屈な記述ですが >どれだけひざを伸ばしても狭いということもなく。 というのは、親のお仕着せとの対比で特に感激したわけでしょう。 それをしっかり書いてほしかったね。 親というのは、 >些細なことに目くじらを立てることのほうが愚かしい。〔=忍耐を強いる〕 という発想の世界だったわけでしょう。そこからの開放感が充分に書けてない んじゃないの、というカンジ。 >何もかもが適切だ。 文章とか作品もそうありたいものだな、と(わたしは)感じます。 読者に忍耐を強いるのでなくね。 * ちなみに、 渚鳥さんが、うまく書こうとせず、純粋にあなたの体験を綴れば、 おそらく酷評はされないんだよ。 あなたが作品的なものを書こうとするからオカシサが際立ってくるんであってね。 だから、作品の紹介か、体験エピソードをくださいと言ってあるのだよ。 「些細なこと」に見えるものが、些細なこととは限らない と、いいかげん、知ってほしいね。 * by ハァモニィベル 参照先不明 * 「酷評」というのは、何でしょうね? 考えてみて下さい。 否定的な評価に対して、受け取った側のインパクトの強さから、その度合いを「酷」だと評価しているんでしょうかね。 だとすれば、「酷」なのは、批評そのものの方なのか、批評された方の心裡反応なのか、あいまいにせずに、よく考えてみたいところです。 酷評などと言って片付けてしまうのは批評された内容のほうを理解していない証拠だ、とわたしはそれに対しても「酷評」しなければなりません。 批評がハズレてますよ、と言えない恨みが「酷評」という情緒的な反応なのだろうか、そんなことを思いますが、どうなんでしょう。 単純に、 「この作品は酷すぎますよ」 と言った場合、まさに文字通り《酷評》という気がしますが、 本当にそうでしょうか。 その作品が本当に酷すぎる場合には、かなり精確な評言といえます。 これを、 酷い作品 に対して 「酷すぎる作品だ」 というのが 本当の《酷評》なんですよ。 普通の作品 > 酷い作品 > 酷すぎる作品 というレベルの違いが精確に捉えられていないボンクラな批評ということになります。 私の批評を「酷評」というなら、そういう人と私との間で、どちらの批評力が精確さを保持しているか、よく吟味してから、ものを言ってほしいと思いますね。 * ま、そんなに大げさに騒ぎませんけどね(笑)。 ただ、 「酷評」だと傷つく人というのは、 自分では、フツーの作品だと思っているのを、 わたしに、ヒドイ作品である、と言われたと感じてるわけなんだろうな と思います。(どっちが精確なんでしょうね) でも 私も、良くないものを良いと言って自分の味覚の信用を落とすようなことは出来ないわけです。(私の立場は、読書人としてみたときの評価なので、一部のマニアに向けて書いているひとは気にしなくていいでしょう) ******* まあ、此処では、以前、るる●●さんも、私によく否定的な評価を 受けてたでしょ。でも、わたしは、るる●●さんを褒めたときもあるんですよ。 メビウスで、まえに、建築家ガウディをテーマにして皆で創作競合していたとき、るる●●さんが幼い頃、おじいさんとお風呂に入ったときのエピソードを書いていたんだけど、それは文章はそれほどではなかったけれど、おじいさんが「風呂場に 魚や蟹の形のタイルを入れ」たりして、見える景色をガウディと称する。そんな思い出のシーンが出てくるものがあった。私は、そのモチーフだけは褒めたことがあります。 面白いことに、「酷評」を受けたと思って意気消沈してしまうような人は、 否定されてもピンとこないし、褒められても、やはりピンとこない様子なんで、 それは、誰にもどうしようもないのかも知れないけれども、 何を言われても、 ガッカリしたり有頂天になったりする必要はないと思います。 (END) by ハァモニィベル 参照先不明 参照先不明 ハァモニィベルさん おひさしぶりです。 ≫555を拝見いたしました。 おかげさまで、わたしは私の書いた建築家ガウディ関連の文章の背景にある祖父の存在、心持ちの健やかな祖父のことを 昨日のことのように 思い出すことができ、私は今、とても感激しています。 といいますのは 2017年は わたしの人生にとって節目といえる出来事(冠婚葬祭)が多く、わたしの人生について考えさせられる時であるからです。 このタイミングで 壮健な祖父のことを 如実に思い出せた私は、私の人生自体が 励まされたと感じています。祖父が風呂場に 魚や蟹の形のタイルを入れてました。あのモチーフは 実際にあった思い出話です。 ガウディの文章だけは褒めたとのことですが、私がハァモニィベルさんに褒めていただいた事柄は、なにも このガウディの件だけではないですよ。わたしの記憶の中には、もっともっと 色々な局面で褒めて いただいてきたことを、私のほうは しっかりと記憶しております。それにしても、わたしという人は褒められても、ピンとこない様子な反応だったのですか?それは、失礼いたしました。 その時の自分に戻ることはできませんが、今の私は わたしの人生の節目の時期です。このタイミングで祖父のことを思い出せたのは、奇跡ともいうべき生涯の宝です。 わたしは もしかすると 今日のためにネット詩を書いてきていたのかもしれません。涙が出ます。そのせつは ありがとうございました。 私の文章によって 私の大切な人のことを思い出を共有していただいたことに対する感謝で いっぱいです。そして、いまも やはり上手にお礼が言えている自信はありませんが、ほんとうにありがとうございました。 ★旅行(旅)にかんする企画とも 酷評とはというお話とも関係ない話をさせていただき すみません。。ではでは by るるりら * >>560 渚鳥さんの書いた文章のなかで一番腑に落ちるものを読みました。 みごとです。 >>561 るるりら さん お久しぶりです。(ここに書きこまれたことで感動は私には伝わりましたよ。こちらこそ感謝です。)るるりらさんは、ごじぶんを書くより、周囲に居た人のことを書いたとき面白い書き手だと私は思っています。 ちゃんと関係ある話をなさった時には、「関係ない話」と仰ったりする不思議さは独特ですが。 人生もまた「旅」ですから。 * by ハァモニィベル * 「旅人の夜の歌」 ゲーテの有名な詩で、ⅠとⅡの二つありますが、 此処で紹介するのは(Ⅱ)の方です。原文は以下。 ** ❞ Wandrers Nachtlied ❝ Über allen Gipfeln Ist Ruh, In allen Wipfeln Spürest du Kaum einen Hauch; Die Voglein schweigen im Walde. Warte nur, balde Ruhest du auch. ** さて、これを 以下の様に色々な人が訳しています。 訳された詩を比較鑑賞してみましょう。 ** すべての峯に/いこいあり すべての梢に/そよかぜも絶えし/しずけさあり 森には鳥のうたもやみぬ まてよかし やがて 汝も憩わん (片山敏彦訳「ドイツ詩集jより) * 山々は/はるかに暮れて こずゑ吹く/ひとすぢの/そよぎも見えず タ烏のうた木立にきえぬ あはれはや わが身も憩はむ (大山定一訳「ドイツ詩抄」より) * 峯々に/憩いあり 梢に/かよう/風もなく 森に小鳥の声もやみぬ 待てしばし やがて なれも憩わん (手塚富雄訳「ゲーテ詩集」より) * 山々の頂に/憩いあり。 木々の梢に/そよ風の気配もなし。 森に歌う小鳥もなし。 待よかし、やがて/なれもまた憩わん。 (高橋健二訳 「ゲーテ詩集」より) ** この詩は、雄大ながらもなかなか哀しい詩なのですが、 最終行の哀感は読み取れたでしょうか。 この、ゲーテの「旅人の夜の歌」を 哲学者の西田幾多郎は、こんな具合に 解りやすくコンパクトに訳しています↓。 見はるかす山ゝの頂 梢には風も動かず鳥も鳴かず まてしばし やがて 汝も休らはん 風景の息を止めたような静寂が伝わってくる名訳だと(私は)思います。この訳詩は、九鬼周造の墓に、西田の揮毫で刻まれています。 * ゲーテが31歳のとき山小屋の壁に鉛筆で書きつけたこの詩を51年後(死ぬ直前)に再訪した彼が口ずさんだ時、その目に浮かべた涙がこの詩の意味を語ります。 * わたしも訳してみました。 「旅人の夜」 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=332899 ---------------------------- 〔資料〕 ●ゲーテの山小屋(ゲーテが散歩したチューリンゲンの森) https://4travel.jp/travelogue/10470736 ●詞:ゲーテ/曲:シューベルト「さすらい人の夜の歌」(Ⅱ) https://www.youtube.com/watch?v=n1_OWbXa7bs * by ハァモニィベル 次の俳句(詩) * 荒海や佐渡に横たう{ルビ天河=あまのがわ} * これを芭蕉が詠んだのは、新潟の出雲崎という漁港だそうで、陰暦七月四日のことだったそうです。良寛が生まれたこの漁師町は「佐渡島からの金銀荷揚げの地として栄えた」ところだといいます。 ところが、日本海沿岸のなかでも出雲崎は、「格別穏やか」な海であり、芭蕉が詠んだと記録されているのと同じ頃、実際に行って見ると、やはり穏やかで「荒海」はどこにも見えないのだそうです。 それだけにとどまらず、さらに、謎なのは、「その時期の宵の口には銀河は佐渡が島の上には横たわらない」という実証報告があるともいいます。 さて、 上掲の芭蕉の俳句(詩)に籠められたものはいったい 何であったのでしょうか。 ◇ 註 初秋の季語である「天河・天の川・銀河」(あまのがわ)は、 七夕のイメージから、愛し合う牽牛と織女を隔てるもの、すなわち 逢えない男女の哀感を滲ませる語と捉えるのが和歌の伝統でした。 (資料) ●出雲崎観光 http://www.izumozaki.net/about/ by ハァモニィベル * 「こうして」とは、どうして なのか不明なので、こんな風に、ただ並べられても退屈ですな。 私がある角度から明確に芭蕉を紹介したのに対して、 便乗して意味もなく芭蕉を出してくるという感覚じたいが退屈なので、 そこで退屈が二倍になります。 (話を退屈な方向に誘導するテロ行為なら成功していますが) 二つ紹介して頂きましたが、 最初の句は、 松尾芭蕉が、深川に隠棲した頃なので「旅」に関連してるのか当然説明が必要ですよ。 という印象です。 * by ハァモニィベル 参照先不明 * 渚鳥による【悪魔】は、下を読む限り、 かなり傷つきやすいご様子が伺えるな。 たとえば、神と仏と悪魔がいたら、同じものを見たり、同じことをされても、 神や仏は傷つかないのに、悪魔はひどく傷つくんだろうな。僻みが凄いわけだ。 だから、 そんな、我が身を振り返るよりも、というよりむしろ振り返らなくていいように 「自分を傷つけたもの」というのを藁人形に仕立てて、「十年」お守りにするわけだ。 悪魔が目の敵にしているほど、神も仏も悪魔のことは眼中にないんじゃないか、 という気もするけれど、悪魔が権力を持っている場合には、醜い「報復」があるんだろうね。 プロメテウスは、鎖に繋がれて、 生きたまま肝臓をハゲ鷹に喰われつづけたし、 ソクラテスは、毒杯を仰いだからね。 まあ、でも、【悪魔】と一言でいってもさ、何かあるとスグ自分が馬鹿にされた、と 捉えてしまうような、そんな下等な悪魔ばかりじゃないと、上等なセンスのいい悪魔や やさしい悪魔がいることを、空想してみたい気もするのだよ。 どうせ絶望するならね。 by ハァモニィベル 悪魔の定義★ずばり、あくまとは 極端でR。 たとえば、デーモン小暮は極端な顔面をしている。彼は正解でR。 たとえば、河鍋暁斎という絵師は もともとは【狂斎】と名乗っていたが 暁斎と名前を変えても【きょうさい】と 呼ばれることを望み、大英博物館で開かれた河鍋暁斎展のタイトルは【デーモン オブ ペインティング】。彼の雅号のひとつ「画鬼」の直訳であったとさ。 あくまとは、鬼才と呼ばれる人々が有しているものであり、つまり極端に人々を惹きつける力のことでR。 なんちゃってね。親戚にもらった古い雑誌に この画家のことが書いてあって、鳥獣戯画みたいな画や幽霊的な絵やその他 いろいろと魅力的だったので、紹介してみましたとさ。 by るるりら 参照先不明 @ 詩と、演劇と、小説 の違いとは何でしょうか? by 昶 今回、<撰>ということで論じてた流れから、 (1)素材選び と (2) 調理の仕方 に触れた所で、「書き換え連詩」になったので、(勘違いして) 本来わたしは、あそこに書くとしてももっと言葉をなぞらないで書くのがポリシーですが、今回は、るるりらさんの言葉の素材を、わたし風に料理し直してみせる という趣旨で書いたから、むしろ多く使ってあるようにしたわけです。 その場合でも、注意すべきは、元作者が工夫してひねった言葉の組み合わっせはそのまま使わないことは重要だと思っています。例えば、「辞書が笑う」と書いてあったら、「辞書」と「笑う」を使っても、「辞書が笑う」では使わない。 あと、ポエジーも借りてこないことです。ポエジーこそ、まさにその作者ならではの調味料であり味ですから。 どんな作品でも、「作品」と呼べる点では同じにみえますが、 月と六ペンス のようにあやしい関係になるのは、ポエジーが本物かどうかが決めるのだろうと(わたしは)思っています。 パクった作品というのはそらぞらしいので、心に響かないのです。 何か心に滲みるものがあるとき、そこに本物があります。 * ひじょうにそらぞらしい感動がTVとかには平気で横行していて なおかつ、それに涙する観衆がけっこういますけどね。回転寿司の「鯛」が深海魚だと気づかない人たちですね。 by ハァモニィベル わたしからヒントとして 次の質問をしてみます。 質問― ある作品があって、読者がそこに 何らかの欠点を見つけたとします。 誰が観ても明らかな欠陥・欠点です。 そのとき、それに対して読み手の内部で この欠陥欠点をむしろ評価する反応をする人と 欠陥であり欠点なので否定する人がいます。 この違いがどこから来るかわかりますか? * by ハァモニィベル >>728 はそのままの質問です。 読めませんか? 具体的な状況を想像してみてください。 ある作品が眼の前に在る・・・・ そこに、明らかな欠陥がある・・・・ だが、「欠陥」を、○と評価する人の心の内側とは・・・・ もちろん、否定する人の基準とは・・・・ です。 * これに解答がなければ、先に進みません。 キャッチボールとはそういうものです。 どんな暴投でも相手が取って当りまえということは無い筈ですよ。 * タッコングは、なかなかキャッチボールが上手でしょ。手足が八本ありますからね。 by ハァモニィベル 私がした質問を掘り下げないんですね。 やがてるるりらさんの中で答えらしきものが見つかったら いつでもどうぞ。 * コミュニケーション能力を私が言うのは、 わたしとるるりらさんの二人で直接お話しているわけではないですからね。 一応、この場は。 (誰も観てないから似たようなものなのかもしれませんが。笑) 私は、読者というのを意識してこの場所の問答を書いています。居ても居なくてもね。 狭い仲間内に向かって語っているわけでもありませんし、そういう家族趣味も村感覚も持ち合わせてません。この場ではとくに。(むしろツイッターで、ひとりの相手に向かって書いていたりして世界に向かって書いてることのが少ないので我ながら変なんですが) でもまあ、私の感覚というのは、きわめて孤独でありながらいつでもグローバルに対話できる感覚です。 ユルユルの甘ま甘まな読者を想定しておらず、かなり厳しい眼をもった読者を当然のものとして想定しています。 なので、私の想定する読者(主に私自身でしょうけれど)が退屈な話や、不快な問答は、わたしの<撰>の中に入らないのです。 実際に覗いているのは鴉ばかりかもしれないのに、贅沢で哀しく虚しい話ですが それでも、なるべく面白くなるよう配慮しているわけです。それが私の自然体なので。 訪問してくれる人は、おそらく読者なわけですから、好意的な読者には敬意をもって対応したいと考えています。その点、わたしが辛口だからといって誤解なさらないようお願いします。 また、当然、読んでる人=すべて読者と考えてはいませんので、本スレッドに好感を持ってない人は、想定する読者ではないので、あまりにもズレている人は読まないでくれればいいのになとむしろ思います。 その辺は、対話ができる範囲か否かで決まるところです。 偏狭なひとは大抵、主張というのは相手を説得できるようにすべきものだ、ということを知りません。 * さて、 例えば、此処に、るるりらさんの問題意識や疑問が提示されれば、 同じ様な問題意識を持っている方たちが居るでしょうから、 その事について真剣に考えてみて意見を述べてみるというのが、此処での私の対応のしかたです。 キャッチボールの上手い人とは、ボールを投げ合えば投げ合うほどリラックスでき癒やされるものです。互いにサービス精神があるので、相手が上手なほど満たされるわけです。 ところが、キャッチボールの下手な人というのは、自分本位で厚かましいことが多いので、会話した後、ひどく相手を疲労させます。 配慮のあるなしで、大きな違いがあるわけですが、 その配慮の美学というのは、小手先の小技ではなく、人間性そのものなのかも知れません。 その意味で、 お互いに誠実でありたいものです。 * by ハァモニィベル こんにちは。わたしは未熟者ですが、いただいたご質問に対応させていただきます。 まず、ことの経緯を 復習させていただきます。 わたしは、プチ企画として 自身の作品を 生贄スレのスタイルでの批評をいていただくことを提案しました。その後 ベルさんよりプチ企画をより良くするためのご質問として、>>728 >>731というご質問を頂戴しました。 わたしどもには その質問に答える能力がなかったので、わたしは 企画をとりさげています。にも かかわらず>>735において 「質問を掘り下げないんですね。 やがてるるりらさんの中で答えらしきものが見つかったら いつでもどうぞ。」との仰せでした。わたしは既に 企画提案を取り下げています。したがって、企画改善のための話ではなく、ここからお答えする内容は、ただの雑談と思ってください。 以下は、わたしは、なぜ ノーコメントを選択したかという話となります。質問を再掲載します。 **************************** 質問― ある作品があって、読者がそこに 何らかの欠点を見つけたとします。 誰が観ても明らかな欠陥・欠点です。 そのとき、それに対して読み手の内部で この欠陥欠点をむしろ評価する反応をする人と 欠陥であり欠点なので否定する人がいます。 この違いがどこから来るかわかりますか? *********************************** わたしは、人と 話をさせていただくときに お話の内容よりも大切なことがあると感じています。それは、その方が善意であるか悪意であるかが もっとも大切なことであると、感じます。 たとえば、わたしがとても可愛いと感じている年少の人に何らかの欠点を見つけたとします。誰が観ても明らかな欠陥・欠点です。 具体的イメージのために仮に例を出します。拙詩【十三夜月のくるぶし】に出てくる十三歳の言葉の過ちは、多くの人にとって 過ちです。 この十三歳に対しておおむね好意的な関係性の一人の人物が、 過ちであるからこそ 微笑ましいという反応をすることがあります。それと同時に、欠陥であり欠点なので好意的に否定の反応することもあります。 逆に この十三歳に対して悪意しかいだいていない関係性にある人物の場合もあることでしよう。悪意をもって欠陥であり欠点なので否定するケースと、悪意をもって欠点を指摘しないことも、あり得ることです。 善意から発した出来事は、おおむね 心温まる交流となるはずです。しかし、悪意から起こり得ることは、心がひえびえとするような言い争いの勃発が予想されます。 ご質問に返答できなかった理由は、ふたつです。 欠点を指摘するかしないかという選択の違いが どこから来るかについてよりも 大切と感じていることがあるために 返事ができませんでした。 もうひとつは、ダメな回答例を あげておられる点です。裸の王様という回答であるならダメな回答なそうですね。質問の意図が分からない私には、なぜ裸の王様という回答ならダメなのか分かりませんでした。 わたしが、なにかしらの回答を行うことで、ダメな人のハンコをさらに頂戴する勇気がなかったのも理由の一つです。 べルさんは 読者を優れた読者を想定しておられるとのことでしたね。わたし自身は 、優れた読者であると想ったことが 一度もありません。いままで多岐に及ぶアドバイスやご意見を頂戴してきました。感謝しています。たまには誉めていただいた日もありました。しかし、わたしが優れた人物ではないことは明白です。わたしがベルさんのお気持ちを満足することができなかったことが、すでに過去に なんどもありましたからね。 そんな私が、聡明なベルさんがスレ主である場所に、【生贄スレ スタイル】の批評を希望した理由は、私が返事に困るご批評をいただいたとしても ご意見をしずかに賜り しずかに自身の詩を書く人としての筋肉にさせていただくことができるはずという思いがありました。 ですが、企画は取り下げています。 今日は、なぜ質問に回答しなかったのかを書かせていただきました。わたしに 悪意は無いことが 伝わることだけを祈っています。お邪魔いたしました。 失礼のほど おゆるしくださいませ。 by るるりら 参照先不明 何か、【テーマ】はあるかい? 発想するキッカケに、単語でも語句でもいい。 そこから名作が生まれて来たりするものだよ。 例えば、 【父と子】というテーマから 『巨人の星』が生まれ、 『子連れ狼』のような名作が生まれた。 まあ『天才バカボン』になったりもするかも知れないが。 ただの語句から、 名作や、愛される作品が生まれたら一興だろう。 私は【父と子】みたいな家族的なテーマは嫌だけど、 何か、今、求められてるようなテーマはあるかい?タッコング。 * by ハァモニィベル >>791 テーマを募集していただけです。 単なる【単語】でもいいわけですが、 テーマとして出す場合には、それなりにセンスが要るようです。 例えば、「単語」というテーマは、あり得るでしょうね。 ただ、<書きたくなるようなテーマ>かどうか・・・というのが考慮すべき問題ですね。 「単語」というテーマでも十分、様々に思考展開できますから、 人によっては非常に関心や熱意が籠められるし、主張もある 場合もあるでしょう。 しかし、私だと(今は)そんなに食指が動かない。 なので、人によって ピンとくる テーマ か否か という事があります。 それでも、ある程度、興味をそそるような、テーマでないと、そもそも読む側に 退屈な話題だということになるので、 結局は、 テーマを出すセンスは、設定者の 問題意識の問題になります。 ----------------------------------- なので、全然、期待しないで、募集している ・・・という変な状態になっています。 (以上です) by ハァモニィベル 参照先不明
【petit企画の館】 当館へようこそ!いらっしゃいました。 お気軽に中へどうぞ。 この館の【趣旨・目的】は、あくまでも「創作を促進すること」です。 --------------*-------------- ここでは、次のことを、お愉しみいただけます。 --------------*-------------- ◆Menu◆ 【1】:プチ企画をつくり、この場に投げる。(テーマだけでもよい) 【2】:企画について検討し合うのもアリ。 【3】:企画者と参加者は、それに沿った作品をこの場/その他に投稿/報告する。 【4】:前のプチ企画が終了したら、次の企画を提案する。 【5】:自由に関連した話題を提供/談義しながら、創作意欲を刺激し合えればgood! (注意書き) ******************************** 詩に限らず、文芸全般・漫画原作・映画(ドラマ・舞台)シナリオ など、和洋、古典・現代 を問わずに、俎上にのせてかまいません。 ******************************** オカシナ記事が書かれた場合などには、スレ主の判断で、いきなり、又は注意忠告をした上で、 削除する場合もありますので、事前にご了承ください。 基本的には企画提案者が仕切ってくださる方がいいので、自由円滑に書いてもらえたら うれしいです。読んでいる人が愉しいと思う場所にぜひしてください。 (尚、本スレッドは、下記スレッドを引き継いでいます。 http://po-m.com/forum/threadshow.php?did=316267 ) それでは、開幕です。 ******************************** 下記は削除せずに置きますが、<課題>は終了します。 ここから上は、フリーです。 <課題> 下記の文を読んで、【おかゆ】 という題で、アナタの詩を書きなさい。 茶粥には緑茶を使うのだが、はじめからそれを入れるのは駄目で、土鍋の粥が煮あがるちょっと前に小袋の茶を入れたほうが匂いも味もずんと上である。この茶袋の入れかげんがまことに難かしい。お粥の煮える音でそのかげんをはかるのでお粥炊きの名人だなと我ながら感心する。それでしぜんと打込んで、いろんなお粥を工夫しては喜ばれる。紫蘇粥、青豆粥、海苔粥、梅粥…… 梅干しのお粥は特に、…… (注)上の文章はある女流作家のものをベルがほんの少し字句を修正したものですが、ほぼ変わっていません) さあ、どうぞ。 【お茶漬け】という題にしても構いません。【前衛おこわ】でもいいですよ。 いろいろ工夫して遊んで下さい。 べるたんやーい。 詩(fx)=君 そんなテーマで遊んでみないかい? (他の場所に書き込んだので)メモしとく。 https://po-m.com/forum/thres.php?did=366097&did2=5 https://po-m.com/forum/thres.php?did=366097&did2=10 * 「何やってもアリ」という理論定型からもそろそろ自由であるべきだと思わないのもスゴイなとおもうが、 せめて《ツマラナイ》のがアリという、ツマラナイ伝統の方はいい加減やめてほしいね。 こう云うと、ツマラナイの反対をすぐ大衆娯楽だと曲解する、発想の狭い人たちは、 一見整っているものは、カタチだけをみてすべて「伝統」と呼びたがるが、 ほんとうの意味での《新しさ》は発見できないんだろうな、としみじみと思う。 センスって何だろうね? 文化に本物の手応えがあるものが、どんな時代でも面白い、ということは分からないのだろうな。 * その内部からは《新しいもの》は出てこない、ということだな。・・・残念ながら。 * . タッコングは忘れた頃にやってくるなあ。 逃げ回って地球を一周してきたんじゃないのか? 私の感じでは、 どうしながら書こうと、書いたものに《詩》が宿るのが詩人だろうね。と思うよ。 仮に、いやいや書いても、詩になってしまうのが詩人なんだろう、とね。 そういう資質・才能というのは、自分の心情を綴っても、そこには《詩》が生みだされる。 そうじゃない俗人というのは、そうじゃないから、色々技巧をこらす必要があるんだろ。と、私はそう感じるな。 という感じだ。また一周しておいで。 <願わくは、面白い注文を携えて訪問を請う、よ。次はね。>、 . 「怒り」の反対を考えるのは、何だか面白いものだね。 私は 《やすらぎ》説だけどさ…、まあ、自分でじぶんに反論するなら、 もう一つ、《カタルシス》 というのでも、いいのかもね。 * 【副反応】については、わたしは 別段あれ以上、なんか主張したいわけでもないし、特定の対象や分野を想定して言っているわけでもないから誤解しないでくれ給えよ。 まあ、具体的な何かへの批評は、思いついたとき ツイッターにしてるからね。(君がピンと来ないなら別にそれで構わないよ) 一例だけ、言うと。例えばね。 いま、『鬼滅の刃』が大ヒットしたよね。あれって、NHKの『麒麟が来る』のような最近量産されまくってる感じの駄作ばかり状態に対しての (レアとなった傑作に大拍手する皆んなの気持ちの)反動現象なんじゃないの。 というのが、私の率直な印象なんだよね。 つまり、副反応として、現在の駄作量産時代になってるようだな(という私の印象だね) TV番組に限らず、官僚の政策に至るまで、世の中の色んな場面での 製品全般(商品(食品とかも含めて)について言ってるよ。 * 駄作をみると、受け手は「怒り」を覚えるよね。けっして、《カタルシス》は得られない。程遠いよね。(読者,受け手になった時、タッコングはどうかな?) * 《カタルシス》について、もっと説明してくれ、とタッコングは言うかもしれないが、 別に、アリストテレスの『詩学』までわざわざ書棚から引っ張り出してきて悩まなくても、考えれば簡単なことだ。 【怒り】というのは、まあ言ってみれば、酷い便秘みたいなもんだろ。 その怒りを、糞ばって思いっきり排出すると、一種の汚物として撒き散らすわけだ。 その排便を、綺麗に掃除して【浄化する】。水洗トイレなら、クイッとやって(最近はボタンか)流してキレイにするのが、カタルシスだね。 例えば、部屋があまりにも散らかっていて、頭にくる(怒る)。 そして、ダァーと思いっきり掃除する。畜生めこの野郎と。 ・・・と、全部掃除し終わると、部屋がスッキリ清潔に整う。気持ちも妙にせいせいして浄化される。 こう考えると、 【怒り】というのは、【カタルシス】へ至らせるための、人間にとってのイグニッションなんじゃないか、と私は思う。 怒りは、カタルシスに到達して、はじめて一人前のもの、という気が、私にはするんだよね。 で、結論を言うと 、 作品っていうのは、人をカタルシスに到達させる装置なんじゃないのかね。 というのが私の見解だな。 * では、この辺で。 (きみの言うその具体的な「怒り」)…は、立派な【テーマ】になるね。 ロマン主義の作品になりそうだし、リアリズムの作品にもなるよね。 「バカども」…というのも【テーマ】になるね。 《正義》と《バカ》は、真反対の価値観を軸に ともに相対的なものだけど、作者の信念がどれだけ共感を呼ぶか、で決まるね。 「怒り」という言葉じたい、1つの【テーマ】になるね。 《怒り》って根源的なのに、思えば、不思議な感情だよね。 「怒り」の 反対語って何だろうな・・・と考えてみたら、けっこう明確じゃないよね。 私的には、歓びかな、と思ったけど、喜びの反対は 苦しみ という感じだしね。 「怒る」を対義語辞典で引くと、「笑う」とか「許す」が出てた。・・・人によっては「褒める」とかね。けっこうズレてる。 まあ、私の語感では、《怒り》の反対は《安らぎ》 かな。 * 「バカども」…なるものついても考えてみると とくに、時代が大きく変わろうとする時ほど、「バカ」の数は大幅に増えるのが 人類社会の、「歴史」の、パターンのようだしね。 時代が変わりつつある時には、哀しいかな、その節目を後からみれば、ほとんど皆が馬鹿になってる。 地球が丸いことを知らなかったりしてね。 それは、知識の問題じゃないと思うよ。思想の派閥とも流行とも関係ない。 論理とセンスの問題だね。 価値の相対性が強調されすぎた【副反応】でか、現在の日本では、支離滅裂な非論理感覚が跋扈してる。それがいま一番悲惨だな。 きみの言う様な「偏見…バカども」型定番ウィルスを駆逐するために、大昔から、孔子や釈迦やソクラテスが、特効薬として人類には投与されて来たけれど、いまだに、あまり効き目が芳しくないのが、 哀しいね。センスが死にかけている。 善と悪は、すなわち、 (心の勁さ及び繊細さ) と (心の弱さ及び鈍感さ) は、 宝石と石ころのように、数の比率がどうも元から違うんだね。 逆に、人間の心の宝石が駆逐されないように頑張るのが、本来は、詩(文学)だと思うから、新しいいいものが書けるといいよね。 テーマは、《詩手紙》でなくても、 『ことばのワクチン』 でもいいよ。 あるいは、【副反応】 とかね。 まあ、いろいろ話してみよう。腹話術じゃなく此処では堂々と飛沫を飛ばして。かなり遠隔だから(笑)。 * >>808 テーマは、【詩手紙】・・・・でどうかな。 例) 「底を浚って」by Hベル 死の前日の君へ、死の翌朝の僕から 忘れ物を届けたい。このささやかな手紙で。 どこかへしまい込んだまま すっかり埃まみれなまま、もはや記憶だけのままの 使う事もなかったアレは、かなり貴重なものだった。 何とか探してみて欲しい。埃を払って。難しいが使って欲しい。 確か、‥‥僕らはそれを愛と呼んでた‥‥気がする。 * お久しぶり。 コロナ禍 ・・・というのは具体的に言うと、どんな事がある? コロナが原因で生起してる「禍」と、 コロナを通じて、生起してきた もっと本質的な「禍」があるんじゃないかね。 といった辺りから、話してみようか。 >>806 は〜い、ベルさんପ(⑅ˊᵕˋ⑅)ଓ 今は「テーマ(あるいは単語)」を募集中ですね。 わちゃわちゃみんなでそれを決めたりして、「テーマ(あるいは単語)」が決まったら次はそれぞれそれに沿って作品を書く、と上に書いてあるか。^^; 出題者になるのは苦手な人は、誰かが決めてくれるまで待ってていいのかな? 最近フォーラムの参加者が少ないからしゃぼん玉飛ばす人が少なくても心が折れない人が出題者に適任かも(*ˊᵕˋ*)੭ ੈ >>791 テーマを募集していただけです。 単なる【単語】でもいいわけですが、 テーマとして出す場合には、それなりにセンスが要るようです。 例えば、「単語」というテーマは、あり得るでしょうね。 ただ、<書きたくなるようなテーマ>かどうか・・・というのが考慮すべき問題ですね。 「単語」というテーマでも十分、様々に思考展開できますから、 人によっては非常に関心や熱意が籠められるし、主張もある 場合もあるでしょう。 しかし、私だと(今は)そんなに食指が動かない。 なので、人によって ピンとくる テーマ か否か という事があります。 それでも、ある程度、興味をそそるような、テーマでないと、そもそも読む側に 退屈な話題だということになるので、 結局は、 テーマを出すセンスは、設定者の 問題意識の問題になります。 ----------------------------------- なので、全然、期待しないで、募集している ・・・という変な状態になっています。 (以上です) で、今は何をすればいいんですか? 初心者でも乗りやすいように交通整理お願いします。 糸口が多すぎでどこを引っ張り出せばいいのかわからんです。(*ˊᵕˋ*)੭ ੈ オチが飛躍なんだろうね スタートがどん底だから。 どん底というのは、なかなか滑り出せない。(けれどね) * * 「飛躍」「スッキリしない」 「アマビエ」 ときて、オチは 何でしょうね?? オチは不要ですか? * 今回はまだまだ見切り発車でしたか。今回も? 確かにたこすけさんの言うとおり歌です。歌が偉大だ。ラップこそアメリカの 現代詩だといわれて一世代はすっぽりハマってるわけだし。 歌が根にあるからこそ、安心して破調してもいいわけだし。 根無し草のまま出航してしまうと湖水なのに大海の荒波にもまれてしまうから と言っても痛々しいとこなんだけど、先達の言葉や、歴史や、哲学や、宗教で 思考停止しているだけでは猿真似のプレイスマイルをこえられないから、創作 なんてやめてスマイルとラフを併せ持つ花が綺麗だということを考えたほうが よっぽど大切なんだろうけど、まあ、ココでもわかる人少ないんだろうけどね さて今夜はアヴリルラヴィーンのガールフレンドでも聴いて元気もらいますわ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 スレッドを新規に作成したり、コメントを書き込むにはログインが必要です。
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