【petit企画の館】/蝶としゃぼん玉[814]
2021 02/12 01:16
ハァモニィベル

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「怒り」の反対を考えるのは、何だか面白いものだね。

私は 《やすらぎ》説だけどさ…、まあ、自分でじぶんに反論するなら、

もう一つ、《カタルシス》 というのでも、いいのかもね。


【副反応】については、わたしは
 別段あれ以上、なんか主張したいわけでもないし、特定の対象や分野を想定して言っているわけでもないから誤解しないでくれ給えよ。
まあ、具体的な何かへの批評は、思いついたとき ツイッターにしてるからね。(君がピンと来ないなら別にそれで構わないよ)

一例だけ、言うと。例えばね。

 いま、『鬼滅の刃』が大ヒットしたよね。あれって、NHKの『麒麟が来る』のような最近量産されまくってる感じの駄作ばかり状態に対しての
(レアとなった傑作に大拍手する皆んなの気持ちの)反動現象なんじゃないの。
というのが、私の率直な印象なんだよね。

 つまり、副反応として、現在の駄作量産時代になってるようだな(という私の印象だね)
TV番組に限らず、官僚の政策に至るまで、世の中の色んな場面での 製品全般(商品(食品とかも含めて)について言ってるよ。



駄作をみると、受け手は「怒り」を覚えるよね。けっして、《カタルシス》は得られない。程遠いよね。(読者,受け手になった時、タッコングはどうかな?)



 《カタルシス》について、もっと説明してくれ、とタッコングは言うかもしれないが、

別に、アリストテレスの『詩学』までわざわざ書棚から引っ張り出してきて悩まなくても、考えれば簡単なことだ。


【怒り】というのは、まあ言ってみれば、酷い便秘みたいなもんだろ。

その怒りを、糞ばって思いっきり排出すると、一種の汚物として撒き散らすわけだ。

その排便を、綺麗に掃除して【浄化する】。水洗トイレなら、クイッとやって(最近はボタンか)流してキレイにするのが、カタルシスだね。

例えば、部屋があまりにも散らかっていて、頭にくる(怒る)。
そして、ダァーと思いっきり掃除する。畜生めこの野郎と。
・・・と、全部掃除し終わると、部屋がスッキリ清潔に整う。気持ちも妙にせいせいして浄化される。

こう考えると、
 【怒り】というのは、【カタルシス】へ至らせるための、人間にとってのイグニッションなんじゃないか、と私は思う。
怒りは、カタルシスに到達して、はじめて一人前のもの、という気が、私にはするんだよね。

で、結論を言うと

作品っていうのは、人をカタルシスに到達させる装置なんじゃないのかね。


というのが私の見解だな。




では、この辺で。
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