2021 08/16 00:08
ハァモニィベル
わたしが、
>>5 で、
「詩」ではなく、わざわざ《詩>>と表記したものを、
きちんと ポエジー と理解できるのは、
理解力が最小限度、無能化してないという証拠になるだろうと思います。
ですが、
私が言っている「無能化」について、
>趨勢を判断出来る有能な人、たとえば政治家?(有能な政治家)そういう人にすがるべきだろうか?
などと反応するようでは、認識力がちゃんと機能しているとは言えないですね。
註(ここで云う「認識力」とは、アナタは普段生活しながら世の中をちゃんと見ているんですか・感じているんですか?、というぐらいの意味で一般論です。なので「アナタ」も此処では不特定の主体のことでニュアンスとして特定の貴方を指してませんのでご注意を。念のため)
***
(以下は補足)
私が言う「無能化」というのは、例えば、仮に想像の話ですが
世に、生命に関わる病人が溢れていて、それをむしろ、世の多くの医者たちが門戸を閉ざし診ることを拒否したとしたら、
その場合、私は、医者が無能化している、と表現します。
本来、患者を助けるべき者が、そう機能しないわけですから。
視点を変えれば、有能だから、こそ自分に損になる患者は診ないのかもしれませんね。評価のフィールドを変えて守銭奴としてみれば至極有能なところは多分に持っているのかもしれませんしね。
ただ、ハゲ鷹として評価するのではなく、医者として観るならば、そのとき、
困っている患者があふれているのを放置して見捨てるなら、それは医者として無能化している。
そう私は考えるわけです。(医者を例にしましたが、官僚でも、ピザの配達人でも、コンビニ店員でも、同じことです。TVのバラエティがツマラナイのも、やはり娯楽として無能化している、と《私は>>思う、というだけです。)
追記するとすれば、そんなところですが、こんな追記が必要なのでは、
理解力って何?
についても考える必要さえ発生しかねませんけれど、まあ、令和以降の「現代」がいたるところで最早そうだとしても私は驚かない、というそういうことです。
そういうわけで
以上でした。