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参照先不明 あっ、どーも、おはようです☆ 三時間だけ寝ました。また二度寝をしちゃいそうだ! ケータイから見てるから一番乗りかはわからないけど、おーい、誰かいませんかー そいえば、片野さん、前の5は、2000くらいまでやるって、ゆってたような(笑)。。 by 石川和広 >>1 Hey man, I'm here when you over(?!) You're the one. Today's hero!! >>前の5は、2000くらいまでやるって、ゆってたような(笑)。。 Are you sure?!(w by 虹村 凌 Hello,Mr.Uji. Thanks,your-response,friendly! Well… I have talken about Zatudan5 with Mr.Katano in System kanren. Perhaps He said, ~I try to continue Zatudan5 for No.2000. I remember,this way. by 石川和広 参照先不明 参照先不明 あなたひとりの大きな不快感というものも、無数のひとたちがいる世間の中では、ごくごくちっぽけなもんです。肝に銘じろ、なんて大きなもんじゃないです。「あなたの漫画が気に入らない」と漫画家に抗議の手紙を送っても、ろくに読まれないのと一緒です。 by 片野晃司 参照先不明 参照先不明 参照先不明 ジンライムさんは納得いったのかどうかわからないけど、僕は全然納得いかない。 人の死を悼むやりかたは人それぞれで、それにその場でケチつけるなんて、ふつうはしない。 だから、遊羽さんが立てたスレに何か不満があっても、人の死を悼む場であれば、踏み荒らすようなことはせず、心の内にしまっておくなり、控えめに表明する程度に留めるなりするのが常識的だと思う。 思う存分、自分の不満をぶちまけられたジンライムさんに対し、武力也さんを悼む場をひどく荒らされたほうは、悲しみ、怒りのやり場がない。 これじゃジンライムさんのひとり勝ちだよね。 by 片野晃司 んー。 川元よ。 片野さんは多分今「管理人様」としてでなく、「悼む場をひどく荒らされ」て怒り、悲しんでる人として発言してるんじゃないかなあ。 俺は片野氏に「いつも冷静かつ公平無私な管理人として終始一貫その立場を貫徹せよ」とか、あんまり言いたくないなあ。 君もちょり君の発言もジンライム君の捨て台詞も「管理人の片野さん」が言った発言としての不適切さを指摘したいようだけど、そこんとこちょっと互いに認識を確認しあっとかないと、泥沼になるだけだぜ? by 山田せばすちゃん 川元さんは勘違いしているようですが。 ジンライムさんは武力也さん追悼スレの趣旨に反した書き込みをして一部削除されてもいる。そこでは「場を荒らした側」と「場を荒らされた側」の関係であって、公平な関係などないです。 by 片野晃司 もっと古い気がするんですけど。70年代くらいの学園ドラマあたりに初出がありそう。。。それとも漫画かな。自意識過剰ぎみなヒロインが言う感じで。言われてみると初出はわからないなぁ。やっぱり竹内まりやで合ってるのかなぁ。 http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E7%A7%81%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AB%E3%82%B1%E3%83%B3%E3%82%AB&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr= by 片野晃司 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 Ohatuさん。レスありがとう。 実は、以前お会いしています。Webの中になりますが。お久しぶりです。自分の研究テーマが、永遠というフレーズ近辺にあって「永遠」という言葉には、かなり興味がある人です。大それた興味かもしれないけどよろしく。前はピアニッシモのハンドルネームでした。ただ、誰しもの名前が変わっても永遠という時間は存在しているはず。さて。 レスの回答 ?・「永遠という概念」があるのかないのかを問いたい ?・「永遠に変化しないもの」があるのかないのかを問いたい ?・「永遠に変化しない可能性があるもの」があるのかないのかを問いたい のか,が少ししっくりきませんでした、教えていただけますか? ?について 永遠という概念は、あるのかないのかということについては、あると思います。辞書には「限りなく続くこと」とはしているけど、変化を認めなければならない時間の名義ことではあるでしょう。だとして永遠ということを保障する概念があるとは言い難いと思うけど少なくとも「永遠という概念」においては、永遠の意味信用それ自身の概念、あるいは永遠を標榜する概念は、大いにあるし逆にないと困ると思う。 永遠がないとして、言葉が信用でないことも大きく認めざるを得なくなると思う。明日の新聞には嘘が載るだろう。また真実が真実でなく、本物が本物ではないことが始まる。自分は自分ではなくなることにはなるだろう。俺は俺だ、私は私だと言える人間じゃなきゃつまらない。昨日の50万人分の日記の一行には必ず嘘が載っているだろう。そんな世間は嘘を本当だと信じるだけで、麻原が神様だって言う人が増えるだけ増えて、祈ったことが祈ったこととして、それが真実でなく自分ではなく俺ではない。そういったことって詩人が詩人ではないことにもなるとは思う。 つまり、永遠という信用つまり概念が必要だということ、に関しては、先ほど言い方では、2つの事実を考慮しているはずだと思う。それは、言葉に信用があるという切迫感と、真実が問題であるという危機感の2つが有意義だと思う。だとしたら、やっと言葉に信用があるとして、自分が自分であるとして、永遠の意味が、はっきり永遠だと言えるんだろう。 ただ、そう言う自分はというと大学の先生ではないし、書籍の広告の営業だった奴だけどそんなことを言います。永遠がなかったとしたら本も新聞も雑誌もあんまり売れないことには気付いた。そういう奴です。再びよろしく。わからないことの方が人生において多いとは思うほうです。 ?について 変化ということをそれほど対象にしていたかどうかだけど、ここでは、永遠とは、変化を大きく認めた時間の名義だと思っています。参照すれば、結びの一言だけど。確かに言い足りないところは多いみたいで、付けたしっぽくなるのが残念だけど、話を続けます。 「ただ永遠と言う時間は、必ず存在するとはっきり思う。自分が死ぬまでという意味です。」ここの情況の中では、永遠の中には変化があると思わざるを得ないです。一事が万事を思い切ったすぐ後に自分が死ぬことだってあるわけだから。交通事故は気をつけないと。そのぐらいの心配は含んではいます。落ち着かないのは損だけど逆にそういう変化がないと生きていけない。 ?について 永遠に変化しない可能性があることがあるとして、それが日常的なものかどうか、そんなことが永遠になるものではないと思う。当たり前のように恋愛だってそうだと思う。事実上、「永遠」って形容句のような存在。ましてや永遠の誓いの名義が「けっこん」だとしても、人生の通過儀礼として誓いの名義にはなるとは思う。ただそんな誓いがあったとしてドメスティックバイオレンスじみた血痕は沙汰っぽいことだと思うし、同じ「けっこん」でも処女さんの血痕ほうがずっと素敵だろうし。それでもその結婚については、永遠の誓いになるかどうかは、そのときの情況次第。それでも永遠という形容はあったほうがいいとは思う。ベタじゃないと思う。 「永遠」ということについては、きっと普遍的なことだろうと思う。ただ日常的なことではないと思う。でも永遠には変化しない可能性があるかということは、かなり少ないけど、自分のために自分が用意したコツだとか創作みたいなものは、自分が普遍的だと想っている場合、明らかに永遠の名義を冠していることだと想う。 話したら随分整理できたので嬉しいです。???のなかでは?が特に言いたかったとは思う。結局、きっと詩人さんであれば永遠という概念があるといえる人が俺は素敵だと思う。概念という言葉の意味について、それほど言い過ぎなかったとしても昨日よりもわかりやすく言えたとは思う。 一つ聞きたいけれどよろしいでしょうか?「一瞬」にも概念があるとして「永遠」の概念には、心理的な関係があるとすればそれは、あると思いますか?それとも、ないと思いますか?お願いします。 あるとすれば例えばどのような理由によるでしょうか?全く関係ないとすれば理由はどのようなものでしょうか?簡単に概念と概念に関係があるかないかだけでも答えていただけたらと思うのですが、ぜひ重ねてよろしくお願いします。 by 銀馬車でこい 参照先不明 どうも、こんばんは。 どうやらスマトラ沖地震で一日が短くなってしまったみたいです。短くなったのは百万分の何秒かだから、睡眠時間が短くなったじゃないかと思いショック。「時間にエネルギーがある」というレスと関係あるとしても関係念慮ではないと思います。 お褒め頂いたところのテーゼの基点になる質問です。>>131 一つ聞きたいけれどよろしいでしょうか?「一瞬」にも概念があるとして「永遠」の概念には、心理的な関係があるとすればそれは、あると思いますか?それとも、ないと思いますか? 一瞬が微分で、永遠が積分というお考え、俺も賛成です。どちらの概念もそれぞれを補う概念であることが、言えると思う。なぜかを言えば、微分は微細な部分を対象とするのに対し、一方、積分は巨視的な全体を与件とていると思う。ただ、それ以上のことは難しいと思います。今は、そちらの方に議論は伸びていると思うけど。その前にまず、一度目のレスでの、一瞬と永遠の「心理的な関係」のところをどう捉えるかのお答えを出すべきだと思う。OHATUさんは少し考えあぐねていたかもしれない。その辺のところ自分が用意していた答えは簡単です。 俺の答えは次です。両概念には心理的な関係が「ある」と論理的に言えると思います。「一瞬」は、自己と情報の関係であっての瞬間での刹那であり、「永遠」は、自己と環境の関係であっての時間での刹那であると言えるとのではないかと思います。つまり、少なくとも「自己」においては一瞬の概念と永遠の概念が関係していると思います。「一瞬」と「永遠」には心理的な関係が言えると思います。永遠も一瞬も自己によってのみ言及できることなので、この反証も反駁もできません。したがって、この事実には間違いないです。案外びっくりすることです。 続きのレスでの面白い発言。気に入りました。「時間エネルギーを見ることができないので、運動を見ることによって運動に変換された時間エネルギーを間接的に観察している」(テーゼ☆彡とする)運動エネルギーは熱エネルギーからの変換だというジュールの法則とかエントロピーの法則とかとはかなり違う考えで面白い。俺はこう思う。確かに運動エネルギーを熱エネルギー解析だけで説明しようとしても難しいです。ただテーゼ☆彡が真だとした場合です。だとしたら運動を現象とした場合、現象の解釈は時間エネルギーだということにもなるよねぇ。不思議。エントロピーの法則は最近打ち立てられた法則で、システムの維持にはインプットのエネルギーとアウトプットのエネルギーのバランスがある、それをエントロピーとエクセルギーの概念で表すと、熱エネルギーにはジュールの熱エネルギー保存の法則とは少し違った結論を言う立場が現れるとか何とかの概念があるようです。心にはエネルギーがあるとも思います。時間にもエネルギーがあるでしょうよ。そんな気がするぐらいだけど。 132>> もっとはっきり言えば、僕には、 >永遠がないとして、言葉が信用でないことも大きく認めざるを得なくなると思う。 にある証明の過程が分からない。永遠という概念がなければ言葉が信用できないというのは、どう証明したのか、証明じゃなくて考察や推論なのかも知れないけれど。また、この逆、つまり永遠という概念があれば言葉は信用できる、ということは真なのか。そこらへんがまず知りたいというのが、僕からの質問です。 言葉に信用があることを言及できない場合、言葉が信用ではないという事実に直面するのが間違いないと思う。まず、人間の心理には犯罪人格を始め病理人格と言った様々なデフォルトに直面しています。そんな個人同士が、一定の事実を事実だと認める場合、それは、何らかの概念だと思ったことがあります。また、言葉が信用できるということの側面においては、いろんな言い方があるけど、ネットワーク接続社会の時代、次元の違うコミュニケーションのレベルを多重に採っていることが確かです。情況的なものとしては2点に渡って、言葉の信用の有無に関しては証明の要求があるでしょう。 証明過程の話です。永遠に概念があるとして、一瞬にも概念があるとして、関係があることは言及しています。2つの概念が対概念だと言及できたとしての話です。時間と心の関係がわかることにより、犯罪人格と病理人格を肯定したとしても、言葉には信用があることになります。俺自身には前科はないので安心してください。(私文書偽造罪はないよ。) さてOHATUさんにはカレシさんがいらっしゃるんですか?(;¬_¬) >>Ikaikaさん。本当に恐竜みたいな名前だけど、プロティノスはかなり面白かったよ。ありがとう。 by 銀馬車でこい 参照先不明 >>139 http://www.volks.co.jp/jp/superdollfie/mini_sd/mika_s_d/index_mika_s_d.aspx こういうんじゃだめすか by 片野晃司 彼女の作り方… うーむむむ はらひれほれ (自爆) by 石川和広 >>140 片野さん、何故にドール。(笑)いつからそういう方に。(悶) そういうオレもバービー人形のドールハウス作った事が。プレゼント用でしたが。 >>139 そういうコトは理屈抜きでTASKEさんに聞くべし。(笑) 「手応え無ければ次のヒト、次のヒト、次のヒト…」(悶) でもあんましやってるとネットポエム業界にあらぬ風評が広がって、 女子からの信用が無くなります。(笑) by 大村 浩一 だーからー。彼女がほしかったら少女マンガを読みなさい。 http://www.tinami.com/x/interview/ ヒトフェロモンよりは効くね。間違いなし。 まずは「彼女を作る」という発想からやめましょう。「彼女を作る」なら、おにんぎょ作ったほうがいいです。可愛いし。文句言わないし。人間の彼女とつきあうためには、彼女が人間であって、人形ではないこと、自我をちゃんと持っていること、にも関わらず、身体的機能においてはたいていの男性よりは弱者であること、を認識しましょう。出会いの機会は、とりあえず「詩」という趣味があるのだから、リーディング・イベントにでも出かけましょう。 by 佐々宝砂 参照先不明 なんか、最近また、いろんなことに、過敏になりすぎているので 自分では、かなり、お節介というか、はた迷惑な存在かなと。。 また、わかったふうな口を叩いてるなあと、 人の心配する前に、自分のこと考えたらいいのにね ついつい、自分をどこかへ置き忘れるので わかんなくなって 意地張って、、 訳もなく焦って、しまう、何かしないとって こないだ、病院の先生にゆったら しばらく「仕事」のことは置いときましょうか と云ってくれたので しかし、何か、自分がつくれるものがあるんじゃないかと 思います これまでのやり方ではない何か 人と、これまでの自分とは違う形で、つながっていきたいと 焦るけど、今は、詩を書いているわけだから それをやってゆこうかと 仕事というのは、与えられるものじゃなく 自分で作るのかな 何か自分探しのひとみたいだけれども、 若干違いますかな それよりも「我に帰りたい」かな 素直になりたいですが 少しずつ、病気のことも家族と話せるようには なってきてますが 独り言みたいですいません by 石川和広 バトル・リングについて・・・・・・・ 文句があるならコッチ来いやー!と言われるのでしょうが、怖くて行けません。 まず、使われている言葉が酷い。「糾弾スレッド」とか「死ぬかも知れぬことを想定した上で」とか。 激しくムカムカ心を 煽 ら れ ま す。 初めててここを訪れた人が読んでもびっくりするわ。 あと、喧嘩は別にいいけど、片野さんがサーバーにお金を払って運営しているここで、そんな「常設」バトルリングを作っちゃっていいのかしら。いいのかな? それに、あそこでの発言を読んで喜んでいる人がいるとは思えない。別に喜ばれるために作ったんじゃないだろうけど。むしろ、傷つく人が多いんじゃないかと思う。 嫌なら読むな、ですか? 読んでからでないと酷いかどうかもわからないし、「私嫌だから見てませんでした。えっ?そんなことになってたんですかー?知りませんでしたー。フォーラムは好きだけど、そういうの、私関係ありませーん。」なんていうのは、よくない気がします。 だけど、「そんなスレッド止めて下さい」とは言えない。 喧嘩自体は、主義主張の激しいぶつかり合いだから、悪いとは思わないし。その中の自分が嫌だなあと思う発言について、言っていくしかないのかな・・・・。(私信で) by ふるる 参照先不明 参照先不明 参照先不明 あんな数字、データベースに600キロバイト(詩で約300編ぶん)も溜め込むくらいなら、フォーラムのサーバーに連番出力するスクリプト置いて表示するほうがよっぽど効率的でしゅ。いま、フォーラム全体の容量の50分の1があの数字ですよ。それも1週間で。このまんま1ヶ月そのペースでやられたらフォーラム全体の2割。。。ぞっとします。 by 片野晃司 参照先不明 参照先不明 参照先不明 復会の挨拶 思うところあって退会した私ですが、思うところあってまたお世話になることにしました。ここを去ってから今までの間に、抱えていた問題は大体カタがつき(ということは多少は残っているということですが)、今後することも見つかりました。あまり楽しくないです。 今の私はもう新しい詩を書くことは無いでしょう。詩作は無論続けるのですが、「これは」と思うような力を入れるべき詩はしばらく出てこないでしょう。旧作を少しずつ置かせてもらいます。 それ以外は、時には新しく書いたものをアップしたり、何か意見も言ったりするかもしれませんが、なるべく黙っているつもりです。 オンライン書きで失礼します。 by 「ま」の字 参照先不明 >実際問題として、あなたは「GIDではありません」と言われるかもしれない診療にたいして、 >ことにMtFが、がんばってカムして臨んでゆけるかというと、 >……あたしなら二の足踏むなあという感じがしていて……。 はあ、難しいですね。 でも、「女性として生きたい」と根本で思っている時点で、それって覆るんですかね。 基本的に私が考える取りあえずの理想は、男性として生きたければ、男性として、 女性として生きたければ女性として、と言う事ですし。 多分、人の精神なんて、いい加減な事だ、と私は思っています。 多分、女性だって、男性のようになる事が仕事だったとしたら、 精神的には可能でしょうし、 色々な重しをばんばん加えた時に最後になお「こう生きたい」 と言うのが、とりあえず正しい生き方、と思います。 結局は生活の問題の様でいて「美」の問題に直結したりしますし。 個人的「美」の問題と、現実が上手くかみ合えばいいわけです。様は。 一見、「美」は、地に足の付いてない、生活とは離れているかの様な、錯覚を覚えますが、結局この「美」が様々な問題を引き起こしていると思います。 その時々のぎりぎりのきつい言い方をすれば妥協的な産物が「芸術」なんだと思いますし。 そういう「美」的感覚がないと「主張」すら思いつかないでしょうし。 by 汰介 なんか話がかみ合ってないように思うのですが、ねむいのでねます(爆 ときに汰介さんや、私は不妊症の女なのです、某東京都知事の過去の失言によれば、 子どもが産めない女は価値がないのでいない方がいいらしいです。 美のない人も、汰介さんとぜんぜん趣味があわない人も、 とーぜんその人らしく生きていける世の中がよいと思うのですが、 あざれあさんの言うのはそういう話ではないかと思うのですが、 違うかしら、まあともかく寝た方がいいので寝ます(なにしにきたんだ・・・ by 佐々宝砂 参照先不明 参照先不明 >結局は「性異常の一種でしょ?」っていうことか……。 これはひっかかります。 基本的に「自分は女性なのになんで、男性の体なんだ?」と言う事なのではないのですか? そこに誤魔化しや、状況で曇る事になって、自分でも混乱している状態、と言う事ですかね? で、社会的に負い目があるから、自分の感じている事も言えず苦しい思いをしているという事ですよね。 だから、そう言う偏見は、セックスの問題と繋がってない様で繋がってると私は思うんですけど。普通とされている人でも普通に満たされていれば、そう言う事にもちゃんと 理解を示そうと普通はすると思うんですが。 そういうのがごしゃごしゃになってるから、大変ですよ。 だから、細かい冷静な説明が要ると思うんですが。 人ってそこまでしないと振り向いてくれません。 そこまでしてやっとみてもらえるくらいだと思いますね。 ホント、その為に自分を犠牲にする位で無いと難しいですね。疲れますけど。 でないと結局かき消されて終わりですね。悲しいですけど。 by 汰介 うーん、こんばんわです。やっほうよこやりです。と mesage 性 てことばはむずかしいです。 性の問題∋セックス なんだけど、男性性からは 「性の問題でありかつ セックスでない部分」の内容が理解しがたいんだろうな。(うん。ここでは男女を問わず各人の男性性へ問い掛けだ。) 当方も、うまく説明は出来ないけども「 」のような位置は確かにあるとおもう。 ホモサピエンスという種が登場してから数千年以上たっていることになるけど、 代々生き抜いてきたものが他のいきもの同様DNAにたたきこまれて人間の社会をつくってきたことをかんがえると、 「(いきものとして)じぶんのからだ、なんかちがう!」という向はたましいとのたたかいをみるようで しんどいだろうなとおもう。(直下の発言でもそういってるのかな、主語がはっきりしないからよくわかんないけど…) で、さらにつらいところは このおもいをうけとめるDNAが個体に直には伝わっていくことがない ということなんだろうな… (このひとたちを不思議に思わなくなるときに多くの妊婦さんが当り前に受け止めてくれたとき その種があるいは、とおもう…) 当方は性具有は女性だけども、女性性のみならず男性性もあるなあとおもう。で、これはけっこうふつうに一日のなかでもころころ優勢な性質はかわっている。この男性性は社会常識のような感じでもっているだけかもしれないけど、「相手を多く支配することで栄える」みたいな欲はけっこう内にかんじるなあ。(?あれ、男女を問わず いきものにはある感情かな…) #以下 3/14追;いや、ほんとにそうだったようです。ああ、すみません、わたしは 男性女性どうこういう以前に あまっている性という自認があっただけらしいです、ほんとに はずかしい… うーん、わかったような様相でさっぱりわかってないさんのコメント(ほんとにな…)ごめんさい。 by (1+1)/4 参照先不明 えーと、生贄合評スレその後の話がどうなっているか、わからない人にはわからないと思いますので、説明しておきます(いとうさんにも説明責任はあると思うのですが、めんどうくさがるか野暮だと思うだろうから、私が説明しときます。決して悪口を言うつもりはないのですが、生贄合評スレをあの状態にしておくと、いとうさんご本人があまりみっともよくないので。私は、いとうさんをフォローするつもりでこの文を投稿しています)。 6/21.0:00ごろから、RT会議室で、片野さん、さぃきょぅさん、ikaikaさん、山田せばすちゃんさんなどを交え、主として未詩・独白に投稿するいとうさんの態度についていとうさんご本人に説明していただきました。すっきり説明がわかったとはいきませんが、まあ私にしてはかなり理解できた・・・と思います。他人のことはわからんものですが、わからんので知りたいと思うのが私なのでございます。 RT会議室ログは、ikaikaさんによって投稿されています(サンクス)。 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=40738 生贄合評スレの問題箇所のログは以下の通り。 -------------------------------------------------------------------------------- [146]いとう[2005 06/21 00:18] 合評の場ですので、合評をお願いします。 -------------------------------------------------------------------------------- [145]佐々宝砂[2005 06/21 00:13] >144 ほかのことだって訊いてもいいでしょ(笑 ちゃんと関連した話だしー。 いずれにせよいとうさんのは答えになってないしー。 ------------------------------------------------------------------------------- [144]ρ(=$ω\)ノ さぃきょぅ[2005 06/21 00:11] >141 聞いたのは「未詩独白に投稿しといてここに投稿する理由」だった筈だが? -------------------------------------------------------------------------------- [143]佐々宝砂[2005 06/21 00:08] 私信ではなく、できうれば雑談スレッドを使ってください。 私と同様な疑問を抱いてる人は多いと思います。 -------------------------------------------------------------------------------- [142]いとう[2005 06/21 00:07] >141 個々人が個々人の判断で以ってカテゴリーを使い分けていると思いますので、 それをいちいち他人に説明するのは野暮だと考えていますが、 説明するのはやぶさかではありません。 ただし、スレッドの目的とは離れますので、ここでは説明しません。 私信等で対応してよろしいでしょうか? ------------------------------------------------------------------------------- [141]佐々宝砂[2005 06/21 00:04] なぜ未詩・独白に投稿するかの説明にはなってないと思います。 -------------------------------------------------------------------------------- [140]いとう[2005 06/21 00:03] >139 プロフィールを読んでいただければわかると思いますが、 「未詩・独白に投稿した自作品を批評してはいけない」などとは、 これまで一言も言っていませんし、思ってもいません。 批評されたくないから未詩・独白に投稿しているわけではありません。 このスレッドの最初の作品も、未詩・独白に投稿したものですし、 特に問題はないと思っています。 以上で説明になっていますでしょうか? 追記: さいきょうさんの提言で、この書き込みの後、プロフィールを変更しました。 ご意見ありがとうございます。>さいきょうさん -------------------------------------------------------------------------------- [139]佐々宝砂[2005 06/20 23:46] >138 合評スレがあるのはいいことだと思うので、そのことに関して批判はしないけど、 未詩独白に投稿しといてここに投稿する理由がよくわからないので、 もしよかったら説明してください。 -------------------------------------------------------------------------------- [138]いとう[2005 06/20 23:44] 「武装放棄」 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=37600 よろしくですー。 by 佐々宝砂 あまりこの手のことには関わりたくないし、その能力もない(私はぽんぽんと論争できるタイプではない)ので、書かずにきたけれど・・・。 どうしてそんなに「スタンス」を問題にするのかなあ。と、やや悲しみを込めて思う。そりゃ自分の発言には責任持つとか、盗作剽窃はしないとか、そういう意味では「スタンス」は大事だと思いますよ。そりゃね。 たしかに「なんでいとうさんは未詩にばかり出すのかなあ、そんな変な出来栄えというわけでもないものまで」とは私だって思っていましたがね。しかし「ま、いいか。なんか事情や考えががあるんだろうし、未詩に出して悪いってわけでもないし」というのが正直なところでした、私としては。つまり「いちいち目くじら立てる(詩作に割くはずの精力をこっちに注ぐ)ことでもないな。言葉は悪いけれど、まあ知ったこっちゃない」と思ってきたわけです。 で、「人に批評されることを避ける者に、人を批評する資格があるのか」って主張も、確かにかなりの説得力はあるけど、「なんか事情や考えもあるのかもしれない(なぜ彼が未詩に投稿しているのかはっきりしない)」状況でギャーギャー言うもんでもないしー・・・。 「だからこそ“人を批評する資格を問うという意味で”、なぜ未詩にばかり投稿するかを聞く意味がある。彼は弁明する義務がある」とおっしゃるんでしょうけど。正直どうも馴染めない。 やっぱ、「そんなどうでもいいこと・・・」と思っちゃうんですよね。 私ね、未詩だろうがなんだろうが、その詩がいいか悪いかって事しか関心ない。って言ったら大げさかも知れんけど、少なくとも私の関心の柱はそこです。「武装放棄」(でしたっけ)にしても、「こんな安全圏でしゃべるってることは信用ならん」みたいな話もあったようですが、これは創作なんですから、少し落ち着いたらいかがですか? と声をかけたいです。確かに説得力あるすばらしい作品には何がし「真実(ホント)」があるってのはその通りでしょうけど、作品に書いた主張がそのまんまその人の主張でなきゃならんみたいな、ナイーブな話ではないと思います。大体どこに置いてあったっておんなじじゃないですか、作品としては。それに作品の価値はその思想的な立場によるわけでもないですよね。大雑把な言い方ですが「出来栄え」が問題なんですよねふつう。 また、「人を批評する資格」にしたって、ほんとのところ「資格」なんかより「力量」が問題だ、と思うんですがねえ。あ、もちろん「力量」をアピールするために「資格(たとえば公平だとか、ズルをしないだとか)」は結局必要にはなってくる、ってのは分かりますけど、最重要なものじゃないように思うんですよ。やっぱり。 なんか昔あった「過激派の内ゲバ」とかと一緒に見えちゃう。真剣なんだろうし、純粋であるかもしれないけど、肝心の革命の成就は? ってはなしが路傍にほっぽり出されて「純粋競走」に熱中、興奮するわ罵り合うわ喧嘩好きが露呈するわ(すいません「喧嘩好き〜」は言いすぎですかね)・・・。 そんなに「スタンス」つまり「姿勢」とやらが大切なんですか? 作品そのものよりも? 信用ができない人物が書いたら即ダメな作品? いや、私にしてもネット上で人を呼び捨てにしての罵り合いをしていた人物が「ボクは平和のぞむんだ、お星様きらきら」みたいな詩を書いたら確かに「え〜!」とは思うでしょうよ。そりゃね。 問題はバランスというか、総合的判断というか、そういうことではないでしょうか。「純粋」は褒め言葉とは限らない。あるスタンスを本当に純粋に追及し透徹すると自己破綻することは、良くあることですよ。芸術・思想関係の場所ではよく起こることだとは思いますが、最近「スタンス」やら「姿勢」やらの追求がちょっと行き過ぎているんじゃないか、と正直思います。 ここは詩のサイトだよな。 いったい詩はどこいったんだ? 作品そのものについて述べることは? って思っちゃうんです。 オンラインですのでちょっと変な文章かもしれません。申し訳ない by 「ま」の字 参照先不明 まず、佐々さんへ >他人の内面をいくらか知りたいと思ってはいけないでしょうか。理解しようとしては >いけないでしょうか。 いけないとは思いません。「規制すべき」「禁止すべき」話ではない、という但し書きが着きますがね。ただ、逆にこの問いにどれほどの意義があるのか、つまり「禁止すべき」事じゃ確かにないが公開された場で「やらねばならない」事であったのか。また、もっと別のきき方なりあったのではないか、というのが個人的感想です。別の言い方をすれば、 >個人的には意義がありました。すっきりしました。 とおっしゃるような、個人的なモヤモヤを解決するには、ちょっと大騒ぎだったのでは、という感想です(いとうさんご本人の沈黙については、バトルスレだかで、「糾弾してやろうかと思う」みたいなチャット文がいきなり張り出されるような状況であった、ということも考え合わせる必要があります。あれじゃいとうさんが私でも一身上の弁明はためらうでしょう)。 しかし、いずれにせよ佐々さんにとっては落着した件のようです。私もゴチャゴチャしたくありませんので、「こう感じた人も居るんだ」ということで今後のご参考にしてください。 ここからは佐々さんの話とは別になります。 「未詩」をめぐる議論(議論をちゃんと全部読んだわけじゃない男が書くのはアレだと重々承知していますが)について。ためらいつつ、でも正直なところを。 あの議論には私はフクザツでした。私は一度ここのフォーラムを退会してますが、その退会理由と重なる部分があったからです。 毎日大量に「自由詩(批評OK)」に詩が流れ込んでいる現状を横目に、「未詩」に対する批評の当否がどうこう血眼になっての論争。そんなに批評が大事なら「自由詩」の諸作にどんどん批評すればいいじゃないか。と正直思いました。作品を批評することよりも、システムやら姿勢の議論をすることの方が大事なのかと。少々的外れでしょうか? しかし、 かつて自分の詩に対する有益な批評を渇望し、しかし批評文ひとつ得られず。ついに自分がここでは相手にされていない、いや相手にされない実力不足は肝に銘じるとして、ここと波長が合っていないのは事実だろうと結論して去った男からみれば、まさに血の涙の出る思いでしたよ、空しさで。 「どうして求めている人たちの相手をしてやらないんだ?」って。 才能や熱意ある人たちが、その才能や熱意を空費している。つまらないな、と心底思いました。 議論の蒸し返しをしたいわけでは全くありません。たくさんです。これも読んだ各自が今後のご参考にしていただければ、と書かせてもらいました。 またもオンライン書き、失礼いたします。 by 「ま」の字 >>277 私も議論したくはないし、益野さんの気持ちはわからないでもないので、私の気持ちを率直に書いておきますね。 私は、いとうさんが未詩ばかり投稿してる理由が謎だったのでして、私の気持ちを書くならば、本当に、それだけです。いとうさんに直接個人的に訊ねれば、それで私はすっきりしたのかもしれません。大騒ぎになってしまったのは、私がいとうさんに直接丁寧に訊ねることをせず、普段つるんでいる山田せばすちゃんとチャットで馬鹿話をしているさいに、いとうさんの未詩投稿について話を出したからです。チャットをいきなり張り出されたのは、ほんとのところを書けば私には大迷惑ではあったのですが、私自身が他に大迷惑をかけていたと思われるし、私自身にもうかつな点はあったので、下手な弁解もしたくありませんでした。場をよけい混乱に陥れたこと、退会する人を増やしてしまった点では、深くお詫びします。バトルスレを立てたことについても、いまはかなり反省しています。 山田せばすちゃん氏はじめ、未詩カテゴリの批評禁止に問題があると考えている人はいくらか確実にいますが、私は未詩カテゴリの批評禁止を悪いことだと思っていません。いとうさんが自分の作品を未詩におくことも、悪いことだと思っていません。私はいとうさんの詩を批評したくてわあわあ言ったわけではないのです(ボルカさんなんかはたぶん、私がいとうさんの詩を批評したくて大騒ぎしたと思っているかもしれません)。しかし、結果として、そのように見える事態になってしまったのは、やはり私のやりかたが悪かったからであったと思います。 批評されたい人がたくさんいることは知っています。私は批評しなきゃいけない立場にもいます(現代詩フォーラムにおいて、ではなく、別な場所で)。でも私はほんとうのことを言えば、批評したいものを批評したいのです。したくないものはしたくない。わがまま勝手に思われるでしょうが、私にとっては、詩作が自分の感情の発露であるのと同程度に、批評もまた、自分の感情の発露です。批評したくない、批評するべきでない、批評できないと思えるものの批評は、私にはできません。批評できない作品なんかないと言い切る人もおりましょうが、私にはできません、無理してやると変なことになります。 批評してほしいという人たちの作品を何作も何作も批評して、疲れ果てた時期が、私にはあります。それこそその時期が私の熱意の空費だったのではないかと思うときもあります。もちろん、バトルリングの大騒ぎの方が疲れるし、思ったような成果もあげられなかったのですが。 公開の場で騒いだ理由は、個人的なものです。私は私信がおそろしいまでに苦手なのです(そうなったのは、ネットストーキングに近い目にあったからです)。しかし、公開でやるべきではないことがあるのだなと今回しみじみ実感し、また益野さんの意見もある程度身に沁みましたので、私信でやるべきことは私信でやろうと思います(かなりつらいんですけれども)。 ご意見ありがとうございました。 by 佐々宝砂 参照先不明 >>281 批判は甘んじて受けます。 以後質問以外には返事しませんので、ご了承下さい。 それから、とても素直に申し上げますが、 ためいきさん、私はあなたが苦手です。まともに会話する自信がありません。 sage by 佐々宝砂 参照先不明 参照先不明 参照先不明 前から気になってることがあって、 「話」を「話し」と書く人が、ときどきいるんだけど、 俺が習ったときは、 名詞は「話」で、動詞は「話す/話し」と送り仮名を付ける、だったんだけど、 最近はどうなんすか? 学校でそういうこと教えないのか、国語要綱に変更があったとか。 by いとう >「話し」って書く人。 変換すると、「話し」と出るので、そのまま使ってましたね。 「お話しする」とか「お話する」(どっちだ?)とかなんかややこしそうですが。 by 汰介 参照先不明 未だにひらがなの「に」と「り」を書き間違えることが多くてひーんと思う。 頭の中で「にーにーにーにーに……」って考えながら書いても紙に出たのは「り」だったり。 なんか、書き間違えというより「に」という音と「り」という字が間違って頭の中で繋がっちゃってる(逆も)状態なのかも。 というわけで、皆さんもこういうのないですか。 前から聞きたかったんです。 by 合耕 長年の疑問なのですが、動物図鑑などに良く 「一頭のオスと数頭のメスで群れを作る」 という説明が見られます。 子どもを効率よく増やすためにそういう群れを作るのはわかるのですが、 オスとメスが同数いれば明らかにオスがあまりますよね。 余ったオスはどうなるのでしょうか。 もてないオスの群れというのがあるのでしょうか。 それとももともと野生動物はメスのほうが多く生まれるのでしょうか。 どなたかご存知でしたらお教えください。 #>>332 存在と書くとき存在か在存か毎回迷います。 by ヤギ 参照先不明 参照先不明 >>345 そんな馬鹿、いるの小学生なんじゃないの。 ほっとけば。そういうヤツって無視されると寂しがるのが結構多いから。 僕は目撃してないなー。今度目撃したらきっと私信で「バカか」と言うようにしますね(笑) >>ポイントの適正化を図っておられるように 僕はそうではないと見ています。良い読み手と良い書き手に関係してはいませんか?? 片野さんは自分で「システム馬鹿」って卑下してますが、そのままに意味をくむ人は思慮が浅いわけだし。 なんせ「フォーラム」なんだから。 なんとなくsageたりする by クリ 参照先不明 >>347 そのようなポイントは、その通りですし、僕も批判しながらポイントしたこと何度も何度もありますよ。 でも、「良い」と思えない作品を批判しながらポイントしたことはありません。あたりまえじゃないですか。 僕は、ただけなしたいがためにポイント入れるやつがいる、と思ったわけで。違ったのかな(汗) 「短絡」はしてないつもりです。そしてそれは決して切り捨てではないです。 そういうふうに取られた書き込みをしたことを反省します。 by クリ 参照先不明 参照先不明 参照先不明 今夜(っていうのは今日18日の日曜日の夜)24時25分からの日本テレビの番組「ゲームの中の戦争」の中で現代詩フォーラムのトップページがちらっと映るらしいです(編集でカットされていなければ)。 フォーラムメンバーの詩が紹介されるみたいです。 by 片野晃司 参照先不明 参照先不明 参照先不明 リョウくん、内田樹の「ためらいの倫理学」って読んだことある? というかいろんな人。 皆なんで感情的になるのか 僕の中では「敗戦後日本」の自意識という問題は いくつかの本を読んでいて、何か早く終わってほしいと思う。 でも終わらないまま今まで僕らの時代までひきずられている このサイトでもバリエーションを変えてくすぶっている気がする。 ちなみに内田さんのサイトから http://www.tatsuru.com/tokyo/2/archives/2005/09/01_1003.html 内田樹「ためらいの倫理学」角川文庫 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4043707010/249-3524601-4604329 by 石川和広 参照先不明 猫のことに限って言えば、轢いてしまうのは仕方がないとして、そのあと何度も轢かれてしまわないように、庭があれば持って帰って埋めてあげるなり、それが出来なければせめて路肩によけてあげるなりして欲しいなあ、と、猫好きの私は思うのであった。sage by 鏡文字 車で走り猫の死体を見つけ車の窓拭き用タオルに巻いて抱いて道路脇によけた まだ温かく柔らかかったし比較的小さな猫だったので違和感もなく ただ まだ生きてるだろうか と思ったりもしたのだが 頭の下にはかなりの血が流れ出て溜まっていて目も開いたままだったので ああ もう命はないのだな とすぐにわかり手を合わせた 車はよけていってくれた まぁよけるだろう 頭のどこで何を切り替えたのか自分でもわからないが落ち着いて首輪を調べていた 飼い主の連絡先はないか ピンクの可愛らしい首輪にそれらしいものはない 残念だが民家の前に放置するわけにもいかず携帯電話で110番を呼び出した 初めてのことだ なかなか出ない 警察は そりゃ忙しいのだろうが これじゃ緊急のときはどうなるのか いや猫の死体で電話をする者がいるのだから 仕方はないのか 申し訳なくもなる やっとつながっての対応はすこぶるよい 家に帰りつくと ずっと一緒にいた彼が家に入る前に塩をかけてくれた 背中にも 掌にも わたしは車内にも塩を軽くまいた 死穢は汚濁ではない くらく底知れぬ穴である 彼はわたしが死に吸い寄せられるのを怖れて いたのかもしれない だいじょうぶ と言ってあげればよかった 猫はどうされたのか わかりはしないし知りたいとは思わないが 飼い主は姿が消えて悲しんでいるだろう 残念なことは多い 何であっても 死んで初めて触れたわたしに せめてもの報いをどうぞ わたしが何者も死なすことのないよう どうか by 田代深子 参照先不明 みんなが姉歯さんの頭髪のことばっかり話題にします。 by ふるる いわゆる人間的なロマンティスト。わたしはいわゆる人間的なロマンティストが好きですけど苦手です。無垢かもしれないやさしいかもしれないひとが、好きだけど苦手です。人の姿をたいせつにおもうひとのことが、好きだけど苦手です。人の服装や人のことばに四季のうつろいのようなものをみるひとのことをうらやましく思いますが、わたしはそういうことも、そういうことが得意なひとのことも、苦手です。わたしは一枚一枚の葉っぱをアルコールにつけて葉脈標本にして顕微鏡で眺めるようなことがとてもとてもほんとうに大好きで、そういうことなら苦手ではありません。またわたしは、空の星の日々の移り変わりを眺めることも大好きです。不変のようにみえる星座が、繰り返しのようにみえる四季のうつろいが、実は雄大な時のながれのなかかわってゆくのだということを、わたしは知っています。実際に見てはいないけれど、わたしはわたしの想像のなかで変形してゆく星座を眺めることができます。そういうことができるのは、学んだからです。 わたしという現象は、あちこちに情報をバラバラと置いてゆきます。わたしの考えはいろいろな枝葉、これから芽吹こうとするものや、朽ちて落ちていこうとするものなど、刻々と育ち、刻々と朽ちてゆく、諸々の事柄から成り立っています。しかし、わたしという現象を観察するものは、わたしがそのへんに置いていったバラバラの情報からわたしという現象を判断する他ありません。わたしもまた、いろんな人が置いていったバラバラの情報から個々人のひととなりを判断します。インターネットでない現実の世界においてもそれはおなじです。ただ現実では、情報量がとても多くなります。そのひとの発言、行動、匂い、顔色、髪型、服装、声、みな情報です。わたしは自分の五官で得た情報を手がかりにして、他人というものを知ります。もちろんほんとうに「知った」わけではなくて「推測した」だけなんだけど、わたしにとって「他人を知る」とはそういうことです。他人というものは「情報の集積」などではないのだけど、そしてわたしはそれを知っているのだけど、でも、わたしは他人を「情報の集積」として認識することしかできません。たとえその他人がわたし自身の恋人であっても話はおなじです。わたしもまた、他人にとって「情報の集積」なのだろうなとおもったりもしますが、ほんとのところ、他人の考えや感じ方は絶対にわかるものではありません。わかるとおもってもたぶん幻想か勘違いです(うつくしい幻想ではあります)。 わたしは他人の考えや感じ方を想像・推理・学習することならできます。こういうことを言ったら相手が気を悪くするよな、と考えたりすることもできます。葉脈標本をみるより人の姿をみることのほうが大切かもな、とわたしではない人の考えを無理矢理飲み込んでみることもできます。だけどそういうことを続けているとわたしはだんだん萎縮して、わたしらしい考え方や感じ方を忘れそうになります。そんなときわたしは、わたしを取り戻すために自分がかつてバラバラとまき散らした情報を手当たり次第にあつめます。そんなとき、わたしにとってすらわたしは「情報の集積」です。わたしもまた他人なのです。 なにを書いてるのかわたしにもわからなくなりました。あとで読み返したら、そのときにはわかるかもしれません。ともあれ、わたしはわたしにとってすら「情報の集積」です。ほんとうはそうではないのに。 by 佐々宝砂 参照先不明 参照先不明 詩評家の溝口章さんいわく、詩は誤読していいんだって。なんかほっとした。 by 佐々宝砂 突然で失礼します。闘病中のため、パソコン上に、いつ書けなくなるかわからないので、こちらのスレッド使わせてください。 石原大介さんが、生前、私におっしゃっていたこのフォーラム内での詩人さんへのメッセージ、詩への感想などを、直接ご本人に私信でお伝えしたいと思います。 ただ、石畑由紀子さんとは、批評しましょスレで、メールのやりとりはできない状況にありますので、彼女への石原さんへの意見を、こちらのスレでお伝えさせてください。 石畑由紀子様 2004年7月ころ、お作品、「緑の日々」が、「現在のフォーラム内で、五本の指に入る」とおっしゃってました。 以上です。場をお借りしました。ありがとうございました。 by 山内緋呂子 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 やはりめんどくさいことになっているし、誤解されている・・・ 私は面倒が嫌いなのです。 そいでもある程度説明しておけばね、 今の時代、ツンデレは誉め言葉で、 そして私はちっともひがんではいないのですよ。 名指しで批判されることも名誉だくらいに私は思っています。 でもって私は、退会した人のことを残念がっているのではありません。 (そんなもん残念がったらきりがありません) 誰かが退会すると、その人の文章は綺麗さっぱりフォーラムから消えるので、 その文章を批判した私の文章も無意味になります。ご存じでしたか? 私は、私の文章の一部が無意味になることを残念がっているのです。 by 佐々宝砂 で、どうして私がみどりさんの意見に強く反応したかについては、 今日アップした「書けない理由」を参照してください。 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=77845 ここに載せてもよかったんだけど、それだと、 誰を名指しで批判したわけでもない私の文章が、 あたかもみどりさんを批判したかに見えてしまいそうで避けました。 by 佐々宝砂 >その誰かを名指しした私の文章の参照先が消えていたり、 とはじめに書いたので、わかるかなーと思いました・・・ by 佐々宝砂 参照先不明 http://www013.upp.so-net.ne.jp/gon/ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%AC ↑こんなに人気のあるキャラの一人として認定していただき、私は非常に光栄である。 なにしろ萌え属性のひとつだ。 by 佐々宝砂 まあ私とみどりさんはさほど仲が悪いわけではないでしょう・・・ しかしながらもうひとつだけみどりさんに質問。 >誰を名指しで批判したわけでもない私の文章が、 >あたかもみどりさんを批判したかに見えてしまいそうで というとき、私は、いちいち「誰を批判したわけでもない」って 書かなきゃならないのでしょうか。うむむ、それはそれで面倒だ。 by 佐々宝砂 参照先不明 >>669 ボルカさんへー。 主催者ヤリタさんの打ち上げ会に混じくっちゃえばいいぢゃん(笑) ボルカさんデフォルトだと伝えときます。(笑) 現フォは出展しないのでせうか今回は片野さん。 てかイベント情報に誰か書いてくんないか。 あそれってワシ適役の仕事かも。(汗) by 大村 浩一 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 初心者のための録音講座、↓でまとめてます。一例として。 http://poenique.jp/kotodama/toon.html by いとう 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 #またかぶっちゃった by 黒川排除 (oldsoup) 参照先不明 今しろうさんのレスを読んでて思ったけど、 レコポエ祭みたいのも面白いかもしんないですね。批評祭じゃないけど。 >“猫の詩おしえて〜”とか、“料理の詩が読みたい〜”とか、 >“やたらホラーな詩はないですか〜?”とか。 こういう「読みたい」人のお題にそって各自がおすすめの詩を一編持ってくる。 んで新しく加点されたポイントで競争する遊び。 難しい文章が書けない人でも参加できるしいろいろ挙がって面白いかも。 by とうどうせいら # ネットサーフィン(死語) http://po-m.com/forum/thres.php?did=14305&did2=857 > http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%AC > http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%AC%E4%BA%88%E6%83%B3 > http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%82%B4%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9A%E3%83%AC%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3 # おもろい〜 by 田代深子 参照先不明 参照先不明 あのー「写真スレッド」とか作ったら集まる人いますか? #こっそりきいてみるsage #話題は写真とかカメラとかその周辺 #☆がごこくらいついたらつくろうかな...ミ(゜_゜)ミ by mizu K 批評禁止のカテゴリはやはり必要なのではないかと思い始めました。「未詩・独白」カテゴリを復活させて批評禁止にするのではなく、散文であろうと短歌であろうと批評されたくないものを集めるカテゴリとして批評禁止のカテゴリが必要なのではないかと思うのです。 その根拠についての文章を散文カテゴリに投稿しようとも考えましたが、作品として投稿したわけではない単なる提案としての散文にポイントがつくのがいやなのと、あまり議論したくないのと、主にふたつの理由から、こちらの雑文スレッドに書いています。 投稿された作品に対し、読者は(あまりにも失礼な表現でなければ)自由に感想を書くことができる、それが本来の投稿の姿だろうと思います。しかし、作者のなかには、批評など求めておらず、耳に優しい言葉や共感だけを求める人もいます。批評を求めていない人に対しての批評は(批評というほどでない誤字誤用の指摘でさえも)、やっかいなもめごとにつながりかねません。 矛盾するように思われるかもしれませんが、私は、自由に批評をするために、批評禁止のカテゴリを作ってもらいたいと思います。私は批評されたくない人を無理矢理批評したいとは思いません。そんなことをしても損するのは私です。だから、どれを批評してよくて、どれを批評していけないか、はっきりわかるほうが批評する側の人間として楽だと思います。 この提案は管理人の片野さんに受け入れられないだろうな・・・と思いつつ、書いています。 #チカンされたくなかったら女性専用車両に乗れ!女性専用車両を作れ! by 佐々宝砂 数日前にmidnight pressの2002春号をなにげなく見てたら片野さんといとうさんの往復メールが載ってて、ネットで批評する/されるの問題なんかは古くて新しいんだなーと思って興味深く読んでいました。 あとまったく関係ないですけど、>>832で自分が使っててなんですが、顔文字を使う人が最近めっきり減ったように思います。もともとニュアンスを伝えて誤解をすくなくする方法として多く使われてきたのだと思うのですが、それが使われなくなってきたということは、単に流行から外れてきたからなのか、あるいはそれが必要ないくらいにネットが「成熟」してきたからなのか、とかなんとかかんとかぼんやり考えたりしています。えー、だから何なんだ、といわれれば特に何もないのですが... #zatsudan-ppoku sage #あ...書いてるうちに渦巻さんが使ってらっしゃった...uaaa、すみませんm(___)m by mizu K 参照先不明 私の記憶によれば、山田せばすちゃん氏は、孤蓬氏から誤用の指摘を受けたことがあるはずです。 彼はそのとき孤蓬さんに反感をもっていたようでした。 いまさらこんなこと書くとやませばに迷惑かもしれませんが、 うーん、私としては、山田せばすちゃん氏も孤蓬氏の指摘の対象になっており、 それでもなおかつ山田氏が孤蓬氏をある意味支持しているという点で評価したいのです。 山田せばすちゃん氏は、よい意味で(本来の意味で)豹変する人物です。 mod機能でつけくわえ。 わたしは中途半端な場所に立ちたくないし、また、自分の醜さを直視したいとも思うので、いっさい削除をしておりません(誤りがあった場合は削除せず訂正をしています)。私信での陰口もいっさいやっていません。すべて第三者に見える場所で行っています。最近はMSNのチャットさえやってません。なぜなら第三者に見えないからです。私は孤蓬氏の考えに100%の共感はしませんけど、孤蓬氏を支持します。山田せばすちゃん氏のやりかたには間違った点が多々あるとは思いますけど、彼が善意で動いていると信じます。この意見表明は、将来訂正される可能性もありますが、現時点の私のいつわらない考えです。 #みかさんへ。いちど書かれたものは、削除してもなお人の記憶に残るのであり、その醜さはけして削除しえないのです。残念ながら。 by 佐々宝砂 すこし個人的なことをかかせてください。 私は大学教育を受けたことのない人間であり、 自分の国語的知識に完璧な自信を持つことができない人間です。 そのような私にとって、孤蓬氏の指摘は、私に対するものでなくとも、 非常に役立ち勉強になるものでした。 教わることができる者は幸福です。先生と言える人を持つ者は幸福です。 私は孤蓬氏に指摘してもらって本当にありがたかったと思うのです。 これは個人的な感慨に過ぎませんけれども。 by 佐々宝砂 参照先不明 チャット内の会話が多少暴走気味であったことは認めますが、個人情報についてはかつて彼女自身がプロフィールに記載していた事実もありますし(ゆえに佐々宝砂も知っていた。)私信の暗示については誰からの、という個人名をあげてはおりません。会話しながらもここが公的空間であることは認識していましたので必要最低限のルールは遵守したつもりでいますが、それでも未だ不十分であるというご指摘を頂いたことは深く心に留め置きます。 by 山田せばすちゃん >>884 なによりもまず「不快感」を感じてしまうあなた自身の心のメカニズムについてもう一度考察されることをお勧めします。 二行目以降にあなたが書かれていることは今までいろんな方が書かれてきた主張とあまり変わらないのでいまさらどうこう申し上げませんが、すくなくともそれが「不快感」に繋がる理由にはなっていないことだけは確かです。 これこれこういう理由によって孤蓬氏のやってることに正当性がないと判断したときになぜ「不快感」を感じるのか。 別に「不快感」ではなくって孤蓬氏に対する「優越感」が生まれたところで論理上全くおかしくはない。それなのになぜ「不快感」を感じるのか。 いったい何が「不快」なのか。 要は批評の問題マナーの問題という前に孤蓬氏に代表されるような行為に対して「不快感」を感じる人と感じない人が存在していて、両者が対立しているだけのことではないかと俺は思うのですよ。 佐々宝砂が>>879で端無くも暴露したように俺も孤蓬氏の指摘を受けて不快になったことはありました。しかしながらそれは、「自らの無知、あるいは不注意の責が自らにあることを認めることができないゆえの代償として沸き起こった感情」つまり逆恨みでしかないと反省もしました。 不快感の根本はそこにあるのではないかと俺は思っているのですが。 by 山田せばすちゃん 参照先不明 参照先不明 あとあえて書きますが(笑 私自身も孤蓬さんと同様の指摘をしたことがあるのです。 で、どうなったかというともめまくってえらいことになりました。 それで私は指摘をやめました(たまにガマンできなくてしますけど 孤蓬さんの態度がどうであれ、 間違いを指摘しにくい状況が現フォにできあがっているのは確かです。 誤字の指摘もできない状況で批評などできるわけがないのです。 少なくとも私にはできません。 by 佐々宝砂 参照先不明 参照先不明 批評と誤字の指摘は別物です。 しかし誤字の指摘程度の刺激で泣き言をいうような人が、 批評の痛みに耐えられるとは思えません。 いっときますが批評されるということは、ある程度、痛いことです。 by 佐々宝砂 私は詩作品のレベルの話なんかしてないですよ。 by 佐々宝砂 参照先不明 参照先不明 参照先不明 >>918 なんかずいぶんな物言いですね。暇つぶしをしていたのですか。 こんなやりとりになるとは本当に不毛で残念です。 #ところで、私は非常に私信が苦手なので、私信をくださっても返事ができません。お許し下さいませ。 by 佐々宝砂 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 ごめん書いてる最中に投稿しちゃった。 で、俺としては排除せずにトランプ組を懐柔して取り込める方策はないかいな、ということで不快感がどうこうという話をし始めたのだけれど、目論見半ばでPlayer氏に粉砕されて途方に暮れていたりなんかするのだけれど。 by 山田せばすちゃん 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 実川さんのものに、コメントさせてもらったので、僕も少し話を、と思いました。 最初に。 僕はネット、という空間を、過大評価しています。たぶん。事実以上に期待しているところが多々あります。僕はネット詩(という区分けがあるか分からないけど)という場に新世界があると思っています。権力の垢がついていない場所として。実際はあらゆる規制が入っているのですが、(大村さん((で、よかったですよね。ずいぶん前に書かれていたかと。))が言及されていたように)それでもなお。 そのスタンスなので、僕は孤蓬さんのコメントに対して基本的には否定的ですね。とはいえ、上記のスタンスなので、いてもらわなくちゃ困ります。そもそも、こういう機能、というか場があること知らなかったので、今までどれだけもめてる、とかは、さっぱり知りませんが。そんな危うい立場ですが、これまでの議題に対するスレッドに僕なりの言葉を添えたいですね。 Playerさんの一連の言動は、自身でも言っているように「言い方」を直せば、そうだね、少し反省するか、ってことにならないでしょうか。不毛かどうかはさておいて、世間体(投稿者の集合体として)の倫理によって批評の幅が狭くなることは、やはりつまらなくなることでしょうし。 何より、ネイティブかどうかは脇に置くとして、青森県の方言に関する言及は、すごく的を得ていると思います。僕の故郷の方言には、過去分詞があります。まあ、それだけなんですが。なので僕は生まれながらに文法を正しく使えないなわけです。日本語として。生まれながらに。 それから、佐々宝砂さんとか山田さんとか、問題を数々起こしている、と書かれていたけど、ある種の問題提起、ですよね。僕もマナーなんかよく分からないけど、充分気を使って言及されているんじゃないですか?たぶん。 実川さんに対しては、同感です。 と、いうことで、孤蓬さんに対してなのです。評価の基準は書かれていた通りなるほど、と思いました。けれど、その評価の基準となる、文法とはどういったものなんでしょうか?レクチャーしていただければと思います。 最後にЮさん。 938のコメントは、今までのあなたの文脈を無視していますよ。 意味を誤解している、というのは所詮、一般観念なのだから、読み違いかもしれないが、そこで「ばかだなあ」というのは早急すぎるんじゃないですか。ニーチェについてのスレッドならともかくとして。 by ブライアン 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 >>957 面白いでしょ(笑 さておき、です。 >>951 これは、「KID A」(レディオヘッドの)を踏まえてるんですか?(言葉に意味をなくしたい。イデオロギーから逃れたい)この立場で話されたら、実川さんもЮさんも真面目に答えて馬鹿を見た、って感じですよね。きっと。この会話そのものを詩として読めば、やられたな、って感じですが、まあ、卑怯ですよね。一人だけ詩を作っていたなんて。そうならかっこいいけど。 実川さん、Юさんの議論に関して(>>939、>>942)二人の一致をみた「もはや知らないで読む」ことの不可能性に対して、見事に反論はしています。たぶん、意図してないと思いますが。そりゃ>>953ですね。見事にキャバクラの女の子たちは「知らないで読む」ことが可能なんじゃないですか?思わぬところに、別の言葉を手にした気分です。 さらにさておき、 >>948 嘲りを言うのは構わないと思います。僕が気に食わないなあ、と思ったのは(Юさんに対して)今まで組み立ててきた立場(スタンス)を変えて、端的に「ばかだな」という言葉を使ったからですね。ニーチェがどういった、を読み間違えてもまあ、良いんじゃないかと。引用が違っても言いたいことが正しければ。結局、そこも否定していましたけどね。Playerさんは。 最終的なことを言えば、僕も誤読・誤解タイプなので、率直にばかだなって言われたら嫌だなってだけなんですけどね。 by ブライアン 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 こんばんは。 この件に関してですが、山田せばすちゃんさんが他者からの私信を公開なさったことにいささか戸惑っております。リアルタイム会議室での会話よりも深刻なものでした。 しかも公開の根拠となる相手方からの私信が消去され、自身の正当性を証せない後も公開を続けていらっしゃいました。 これは>>885で、 「必要最低限のルールは遵守したつもりでいますが、それでも未だ不十分であるというご指摘を頂いたことは深く心に留め置きます。」 とおっしゃった後にも継続したことでした。 山田せばすちゃんさんは、こうしたことをなさったときに、何が最も問題になるのか本当にわかっていらっしゃるのでしょうか。この現代詩フォーラムという場が、一人の人の膨大な献身によって成り立っているということなのですが……。このことに一抹の不安を感じざるを得ませんでした。 by 白井明大 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 横入り失礼いたします。 文法的誤りの指摘は受け入れますが、なんというか、 「これは間違ってますよ」「こっちの方が正しいですよ」といろんな正論を出してきて言われたら、逃げ場がありません。 孤蓬さんは誤りが意図的なものならいいという旨のことをおっしゃっていますが、意図的かどうか、またその意図が誤りによってうまく表現されているかどうかは、誰がジャッジするのでしょう。孤蓬さんだった場合、孤蓬さんが NOと言えば、誤りは意図的でないもの、ただの誤りである、となってしまいます。(「一般的には」その用法は「間違い」なのだから) 指摘された間違いに反論できない場合は直すか、直さなければ「間違いである」というレッテルを貼られたまま過ごすことになり(「一般的には」その用法は「間違い」なのだから)いずれにせよ作者にとっては 「正論によって逃げ場を奪われた上、直させられた。間違いのレッテルを貼られた」という「無理やり感」、不満が残るでしょう。 まあそんなのに強くなくてどうする、自信持って作ったものなら自信持って出しておけ、ちょっと指摘されたくらいでびっくりしないの、という意見もありますが、皆が自信満々で出しているわけではないですし。 やさしめに言うなら、「作品に非はないが、ただ私が違和感を感じるのです」と言い方を変えたらいいのではと。 何に違和感を感じるかどうかは自由で、それを書く書かないも自由ですしね。 誰かが違和感を感じたからといって直す直さないも自由ですしね。 自信満々で出してない方はちょっとず太くなってですね、 どうしても何かの意図でもって誤った用法で書きたければ、孤蓬さんにどんどん質問すればいいんじゃないかと思いますが。sage by ふるる 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照
私のためにケンカするのはやめて〜(笑) 雑談スレッド5 http://po-m.com/forum/threadshow.php?did=10506 雑談スレッド4 http://po-m.com/forum/threadshow.php?did=7769 雑談スレッド3 http://po-m.com/forum/threadshow.php?did=5563 雑談スレッド2 http://po-m.com/forum/threadshow.php?did=2450 雑談スレッド http://po-m.com/forum/threadshow.php?did=2 いいとか悪いとか、技術が高いとか低いとか、芸術とかそうでないとか、売れるとか売れないとか、ウケるとかウケないとか、ポイント高いとか低いとか、にはあんまりこだわらないようにしたい。(もちろん、井の中の蛙にならないためには、それも大事だけど) 自分が、それを面白いと思うかどうか、好きかどうか。最低ライン、気持ち悪くないか。 それを、ブレないように守っていきたい。 自分が、ある場所を目指しているということ。たとえ到達できなくても、見ているということ。 それを、いつも灯火のように大切に、見失わないようにしていきたい。 新年の抱負〜 sage いいものだって押し売りは駄目よ。 詩について云えば、出会うしかないんだとおもう 出会うきっかけとして、それがUPJ3であれ、その他のイベントであれ、誰かの詩集であれ、それは構わないんで、発信する側としては、拾われるのを待つ感じだとおもう。 拾われ易い場所だとか環境を模索するくらいでいいんで「これいいよ!!」なんて押し付けても受け入れにくいでしょ? とおもうね。 そこは、売る側の腕の見せどころなんだなきっと。 >>489を読んで。ふむふむ、と思いました。 人様に迷惑をかけてはいけない、と言ったって、その迷惑って大したことはないと言えます。 昼夜問わず、3時間起きにミルクを欲しがったりその合間にオムツを替えないといけない赤ちゃんのお世話に比べたら、何かをきちんとお願いしたりすることによる迷惑など、なんぼのものでしょうか。そして、そんな迷惑をかけられたって、人というのはびくともしないものです。 「人に迷惑をかけてはいけない」 という言葉の裏には、人を信用できない自分、あるいは迷惑をかけたときに嫌な顔をされて、それに耐えられない弱い自分、というものが見え隠れしますね。 人って急には強くはなれない。傷つきやすいということが悪いことではない。でも、逃げてばかりじゃ外には出て行けない。 逃げ続けて、そのまま、温室の中で生きていけるか? いける人は、少ない気がします。永遠の温室なんて、ありえない。 えらそうなことを言っていますが、私だって随分長い間うじうじしていました。 sage 風がどーぶいていて(遠州弁。とっても強く吹いていて)自転車漕ぐ気にならんのでカキコ。 有益なことはやった方が「良い」と思うのでした。別に自分が好きじゃない相手に対してもね。博愛ってんじゃないっすよ。情けは人のためならず。私自身のため。普通に親切は必要でしょうさ、それとは別に、私は好きな相手に対してはわりと引きますね、少なくともネット上では。私はけっこう押し売りされてきた人間だから、やっぱり押し売りしたくないの。これは詩とか趣味とかそういう問題でなくてよ(笑 私に必要なもので、私がそれを求めようとしないなら、誰かからの押し売りもok、歓迎でしょう。私は私に必要なものを得るためになら、ひとさまに迷惑をかけるやもしれません。必要とあらば。古島さんがお書きのように、「そうしたいんなら」迷惑かけてもいいんだと思いますよ? でも、私に不必要なもので、私がそれを求めようとしないなら、押し売りはやっぱり迷惑です。たいへん一般的な問題として。「必要なもの」は抽象的なものかもしれないし、具体的なものかもしれません。電車に乗るための手助けかもしれず、一冊の本かもしれず、他人との楽しい会話であるかもしれない。「つながること」を必要とする人もあるでしょう。 でも、ま、ここでの会話のどのあたりがどうずれていたかは少しわかりました。というわけででかけてきます(さぶいよー ま、いいか。田代さんの言う通りなり。 どうも「わかってる」女性になんか言われるとそのまんま納得する傾向にあるなあ私。 私のなかには相反するふたりの不良少年がいて、 ひとりはまさに田代さんいうところの天皇を求める不良少年、 こいつは確かにやばいヤツなので、眠ってもらうことにする。 もひとりは自分の好きなものを独占しようとしておく不良少年なんだな。 大好きなものが突然売れ出すと妙に悲しかったりするではないか。 たとえばナルニア。昔好きだった。今も大好きだ。売れて悪いものではない。 むしろものすごーくよいものだと思うのだけど突然流行するとさみしい。 こいつはそういうエゴイスティックなヤツなんである。 ま、こっちにはあんまり実害ないけどね。 sage >483 不思議なもんだな〜 なぜそんなに価値のヒエラルキーが必要なんだろう 佐々姐なんて そんなもん一番キライそうに見えるのにな w でも 単純にやばいだろ? そんなに安定しちゃう芸術表現なんて まぁ文学に王道はあるかもしれない 詩にも王道はあるかもしれない でも それ以外にもいいものはいくらでもあって それのうちのひとつを 佐々姐は好きなんだろ? で それは佐々姐に限ったことではない だから佐々姐の好きなものには やはりそれなりの〈価値〉とやらが内在する たとえば一元的な〈正義〉やら〈善〉やら〈美〉やらに対するカウンターであるとか 人間の多様性や 人間の複雑さや 人間の暗部やら歪みもまた真実だ とか それこそ言い尽くされてきた〈価値〉があったりなかったりする だからそれが〈価値〉だし〈よい〉のだと言ってしまうことが 古島さんの言う〈舞台設定〉でさ たとえばマルキ・ド・サド小説の面白さだとか 悪趣味この上ないジャニーズのコンサートに感動してしまうのはなぜかとかさ いくらだって何だって言えるし いろんな角度から設定を持ち出していろんな切り方をしていくのが〈批評〉じゃないのかね? どうもあれだね 佐々姐が言ってることは ごねてるようにしか思えんよ しかも自分でも充分承知して理解していることをほっくりかえしてさ あるいはそのヒエラルキーの求め方は 不良少年が〈完全無欠の天皇制〉(=聖性)を願望しているような涙ぐましい感じがするよ 私は世界のどまんなかにはいない。すみっこにちょこんといる。 それでいい、というわけじゃなく、私は、「それがいい」のだ。それが好きなのだ。 でも、みんながすみっこにきたら、すみっこがすみっこでなくなっちゃう。 世界のどまんなかには、私以外の誰かがドーンといてほしい。 どまんなかがないと、すみっこは存在しない。 私の詩じゃなくて、誰かほかの人の詩がめっちゃ売れてほしい。 素直に正直にそう思うのだけど、私が言うと何もかも嘘くさいらしいので悩ましい。 やっぱりなんかすっきりしないなう。 R-18を未熟な判断能力しか持たぬ人間に見せていいか? いいとは思えない。現実と空想が曖昧になりがちな人物に血みどろホラーを読ませていいか、児童虐待陵辱ポルノを読ませていいか? いいわけがない。他人に勧めてはいけないものだってあるのだし、勧めてはいけないものが特に世の中に不必要だというわけではない。必要だが勧められないものはある。まして他人に押しつけてはいけないものがある、あったりまえのことのような気がする。愛は必要なものだけど、愛の押し売りはごめんこうむるよ。私に必要なものを、私は自力で見つけてきた。私に限らず人は、自分に必要なものを自分で見つけうるものなのだと思う。いやそうでもないか・・・思い出せば、私には、幾人かのナビゲーターがいた。それは確かだ。だがそのナビゲーターたちは、私にとって信頼おける人たちであり、私の好みにあった人たちでもあったのだ。彼等は押し売りしなかった、私が彼等を選んだのだ。 ま、環境が整ってなきゃナビも見つけられないけれど、今の日本でなら自分で探せるはずだ。もっとも、あんまり情報過多なので、自分に必要なものがどこにあるかわかんない人がいるかもしれない。そういう人には押し売りが必要かもしれない。でも、私には要らない。 うーん、ひとはそれぞれでいいんだ。言い切れる人は言い切ったらいい。 私にとってよいものであるからって、他人にもよいわけではない。 ただそれだけのこと。私にとってよいものを他人に押しつける勇気が私にはない。 マラリアではない人間にキニーネを盛る勇気が私にはない。 別なたとえを使おうと思う。私の好きなものは、いうなりゃワサビだ。コーヒーだ。 それは別に悪いものではない、かもしれない。悪い面もあり良い面もある。 それを必要とする人もいれば、必要としない人もいる。 中には中毒する人もいる。一方で、苦すぎたり辛すぎたりするので食べられない人もいる。 そして断言できることがひとつある。人はワサビとコーヒーだけでは生きられない。 米でも小麦でもトウモロコシでもいいがとにかく主食が要る。 主食は絶対に必要だ。誰にとっても必要だ。詩の世界にとっても必要だ。 誰かが主食のような詩を書くべきなのだ、と私は数年以上前から思っている。 私が好きなのはワサビでコーヒーで、でも人はそんなものなくても生きられる。 深刻に必要なのは主食になりうる詩だ。ワサビ好きの私にすらそれは必要だ。 メモ的に書いておく。 詩に「価値」とはなんだろう? 一つは「芸術的価値」だな。これは、主に「技巧」と他の名作、秀作、良作との比較において「新しい、新鮮と感じるもの」(ま、感じるも主観だし、名作、秀作、良作も主観だ)ではないか? 二つは「市場的価値」だ。大雑把な言い方だが「需要」があるかどうか?が判断の基準になる。で、この「需要」は、選ぶ側の想定によって変って来る。ある層には需要がある詩が、ある層にはないということは、詩に限らず、どのような商品でも起こることだ。 つまり、詩を薦める(売る)場合にもターゲットによって、詩集の構成が変わるのが、市場原理から考えれば当然なのである。 要は「目指す市場」を見極めることが大事なのだが、これは詩人が考えることではない。詩人であってもいいが、その詩集の作者が考えるのはいかにも歪な姿であるとおもう。 やはり「書き手(詩人)」と「売る人(プロデューサー)」が必要なのだ。詩が売れない最大の原因の一つは、このプロデュース機能が上手く働いていないからだと俺は観ている。 あとは「誰が書くか」である。これは、いとうさんの云う「付加価値」の部分であろう。 例えば、凄く有名人、タレントやらミュージシャン、異ジャンルで既に成功して、一定のファン(固定的客層・得意市場)を持っている人が詩集を出せば、ある程度の部数が見込めるし、部数が見込めるから価格も抑えられる。第一、有名であればあるほど、広告、宣伝の効率は良くなる。こう云う詩集は売れるだろう。少なくとも、現代詩文庫とかに名を連ねている一流詩人的な人達よりは売れるとおもう。 では、ここにどうしても売れたい新人無名の詩人がする。どう売るか?上記したような原則を踏まえて考えるとして・・・やはりこれは詩人本人の仕事ではない。いい編集者と敏腕プロデュサーの仕事である。 詩人は詩を書け、で、他の詩人と仲良く付き合うのもよかっろう。いかに狭い範囲でも顔や名前を覚えてもらうのは役に立つのだ。あと、金は貯めといた方がいい。詩人に出来るのはそんなことぐらいではなかろうか?(笑 薔薇さん、ありがとうございました(^^) フラフープの切れているの・・・足にあたったら痛そうです。 花のお墓というのですか。知りませんでした。 そこはトイレじゃないのにーーー!(でもお花摘みっていうしなー) 私は古いホラー映画「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド(生ける死者の夜)」が大好きだ。ほんとにほんとに大好きだ。私にとって、世の中でいちばん大切な映画だと思うくらいだ。あの映画のおかげでひとさまを殺さずに生きてると思うほどだ。だけど、世の中のみなさんが「生ける死者の夜」大好きというよーになったら怖すぎる。だいたいあれは「良い」映画などではないのだ。あのような映画は、不必要な人には全く不必要なものなのだ。それこそ、リタリンやハルシオンのように。ゆえに、私は自分が好きだなーと思っても特に人には勧めない。その手のものを必要とする人には勧めるけれど。 古島さんの書いてることは正しいと思う。とても正しいと思う。「良い」ものが存在し、「良い」ものは「良い」のであり、「良い」ものは遺そうと努力しなくちゃ残らない。そして善こそは美なのだろう(これは古島さんでなくて薔薇さんの意見か)。だが、善ではなく、偽善ですらなく、それでも世に必要なものはある。 とはいえ、私は現実的な必要悪を認めるのが好きではない。というか、私には、善悪がよくわからない。真剣にわからない。私はきちんと法律を守る。それは明文化されてるのでわかりやすい。禁止事項は書いておいてくれると助かる。私は一般的にルールを守る。ルールを守った方が人間関係がらくになるからだ。私はなるべく人に優しくする。「情けは人のためならず」と思うからだ。つまり私はかなり利己的だが、たまに「なんかふつーにいうとこのいいこともしなくちゃなー」と思うので、福祉団体に寄付したり、ボランティアに励んだりする。いや正しくいうと、ふつーにゆーところの「いいこと」をすると気持がいいので、する(たぶん快楽物質が出るのに違いない)。あんたは偽善的だとよく言われるので「まあそうかなあ」と思ったりしていたが、よく考えてみたら違わい。私は善に似てることをするが特に善のふりをしてない。見る人が勝手に私を偽善だと決めつけてるのだ。たぶん。すこし自信がないけど。 私には、どんな詩が良くてどんな詩が良くないのかよくわからない。ただ、技巧的なことはある程度理解できる。詩にこめられた感情やメッセージも、ある程度はわかるような気もする。わからない場合には全然わからないけど。その詩が好きかどうかはすぐにわからないことがあってもよくよく読めばわかる。その詩が私に必要かどうかは、いちどきちんと読めばきっとわかる。もっとも、私が詩の審査員としてやらなきゃならないことは、技巧の巧拙の判断と、世の中の人がその詩のメッセージに驚くかどうか、その詩を好きになるかどうかの予測と、世界がその詩を必要とするかどうかの判断だろうと思う。私がその詩を好きかどうか、その詩を必要とするかどうか、そんなことは、私とその詩の作者以外には関係がない。 話がどんどん逸れてって何の話かわからないけど、だから、私は自分が好きでも人には勧めない。私は「生ける死者の夜」をこよなく愛しているとしても、それをひとさまには勧めないのだ。何度も言うが、私の好きなものは、必ずしも「良い」ものではない。私はそれをよっく自覚している。 ↓わあ〜いいですね!竹の貯金箱!しかも、自動的にお金がたまる仕組みに。 竹の縄跳びってどんなのでしょう? 私も自然のものでの遊びを思い出しました。 土に穴を掘って、そこにその辺に咲いている花を沢山入れて、上にガラスを乗せます。 その上にまた土をかけます。 で、そこを遊びに来た友達に「掘ってごらん」といって掘ってもらい、 お花を見せる、というの。 みんな、変なものが埋まっているのかと思って掘ったらお花なので、びっくりしていました。 誰に教えてもらったのかな・・・。 私、自分の詩の価値にほとんど興味ない。 私の詩の価値が低くても私の価値が下がるわけではない。 逆に詩の価値が高くても、私の価値がそんなに上がるわけでもない。 ってゆーか、「私の価値」は私にとって高いに決まっているのだ。 私は自分が大切です。あったりまえだっちゅうの。 私の価値とは全く無関係なところで、私の詩の価値が決まる。 私ではなく誰かが決める。それでいいと思うし、 私の詩はいったん発表されたらその価値を決定づけるのは私じゃない。 他人にどう思われてるか気にして、結果、いい場合もあれば悪い場合もあるけれど、 あまり気にすると疲れるんでほどほどにしとくのが無難ではないのかね。 私は、批評が作者のためにあるとは思ってない。批評はときとして作者を傷付けるが、それゆえに「批評は作者のためにあるわけじゃない」と思うのではない。私は、作者から離れたところで書かれた、独立した「作品」としての批評を読みたい。じゅんすいに一人の批評を読む読者としてそう思うのだが、ひとりの詩作者として、いや、ひとりのインターネットの住人、現代詩フォーラムの一員としては、まだ独立批評ってぜったい無理よねと考える。そう諦観した気分でもなく。 誰か「廃人がポツリとつぶやく部屋2」を立ててくださいな〜。 トップには前スレへのリンクも忘れずに。 >459 感想ありがとう 水の中って、思ったよりきもちいい 薬減らせました。 先生に反対されたけど、最終的には減らしてくれました。 調べものをしていて見つけました ヤツガシラの話を聴いて泣いたし… http://www.geocities.jp/ohanasiya/tosyokan.htm #でもアイコンのイラストはひどい… >458 石川さん 平日昼間のプール わたしは水に光の入っているところでもぐっているのが好きなんですよ 明日からスポーツクラブ通います。 健康街道をねらっていますう。 それから抗うつ薬も減らしていくと先生にいいます。徐徐にです。少しずつ前向きになれる気がします。 薬にまみれた体を、もう一度、生で感じられる体に戻したい。 デイケアもねらっていますう。 少しずつリハビリみたいな。 新しい出会いがあればいいなあ! おおおっ JCDすげー接戦! けっきょく1番人気がちゃんと勝ったか〜 豊えらいねぇ… それにしても「カネヒキリ」っていい名前です 古風な馬名に思える音ですがハワイの雷神の名なんだとか おふろが怖くて入れなくなってしまう、ことがあります。だけど、ふろに入らないと、じぶんがやっぱり臭い気がして、しごとに行かれなくなってしまいます。 なにもしないでおふろに集中すると危険なので、ゆげでいたんでもかまわない本と、アロマオイルを3滴ほどたらしたコップ(湯船に浮かべる)と、麦茶を酒の空き瓶二本につめて入ります。2,3時間は出てこられませんが、ちゃんとあったまるとなんとか出てこられるようです。 結果として、半身浴です。古島さんがおっしゃるような効果も出てくるんだと、いいな。 だから あるいみ 神様と 現象学的 な ことに そんなものが あると すればね混乱 したのです 。 気持ち わるい 書き込みは取り消しました 。わたしはカミサマガ いないとやっていけません 。 リクツデナク ちいさいときからの 習慣 です 。ばあちゃんに きいたんです ちいさいときかみさまっているの ってばあちゃんはいると いいましたが あとすこし ほかのことも いいました 。わたしの 人生を きめている というより きめたのも このことばかも しれませんがわたしは それて いいと おもっている どころか たぶん いま ねおきで よくわかりませんが とても 倖せです 。 個人的に文章が嫌い、という人がいて。いやここ現代詩フォーラムに登録して2年半。パソコンが普及し、ネットだけのお付き合い、というのが多い。東京は最もポエトリーイベントが多いので引っ越してきたが、ネットだけで目にする方とお会いして、とてもよいお付き合いをさせてもらっている。かつて「詩は人なり」と無知&詩を愛するあまり激しく信じていたが、信じきるほど確かなものではなかった。また「人」なるものお会いしたところでそうすぐには分かるものではない。 ネット上の文章だけで嫌っていた方々、この場を借りてお詫びしたい。申し訳ない。詩を書いている人に少なからずあることかな、または、メール等でつながっている人々に警鐘。人は会ってこそ。 何が謂いたいかわかんなくなってきました。でも私はそこの明るさがすきです。学んだことも沢山あります。学校より学びました。学校は、最後、世界史は、先生がプリントを配っただけで終わりました。ぞろあすたーがなにかとか教科書読んでるだけじゃぁ私がおかしいのだろうか何も分らないどころか私はおかしいのかな。確かに私自身も時間が無くて 不勉強でした。学校に期待するのが、おかしいのかもしれません。だって高校は今のところ義務じゃアないもの。よく分りません。唯、わたしたちのころは、自然に友情とか学べましたけどそれももしなくなっているようなら学校は中教審のジャムパンです。子供達も 可哀想だけど。いったい 日本この国は 何処に行きたいのか昔は、白神(シラガ。)が大切にされている。クニトイワレマシタ。 こんにちは。皆さんのお話すごく勉強になります。私は祖母が信仰を持っていたのでそれをさいしゅうてきに引き継ぎました。田代さんのお話じゃぁないけれどそこしか最後いくところが無かったのです。そこでは、本当になんというかな。こんなところがあるんだスレッドみたいに同じ様なかみさまを信じる人々が居てそこでかみさまのはなしが出来たのは幸いでした。が、いまだに整理できていないのですが、そこで様々なものに惑わされもしましたし現在も未だよくわかんなくなっています。でもそこへ行くまでもその宗教のことは母から強要されたりわけわからなくなっていた時期もあったので、そこで信仰を(宗教の教えを)強要されたというよりどちらかというと同じようにその宗教を親や周りの人家族がやっていて大迷惑をこうむってでも離れられなくてわかんなくてそのはなしをしよう悩みをともにしようという感覚が持てました。わかい人の集まりだったからでしょうか。でもそこでやっぱり本当にその宗教について本当に正しいんだろうかとか。当たり前かもしれませんが。最後まで突っ込んだ話は出来ずに終わりました。(今のところ。) でも私は色々ありましたが本当に色々あったことかもしれませんですが私はそこのなかまがすきですし。又あそびに行くつもりです。学びに行けると。一番いいんだけれど。 宗教の核となるのはむろん死の問題、そこから延長して、変化せざる真なるものの存在についてということになるのでしょう。しかしわたしは、「信仰する人」が、死や真を突き詰めて考える以前に「信仰」そのものを必要とし、それによって生きることに力を得るのを見て、はた迷惑だとは思いつつ、よかったなぁと思うことがあります。心身共にぼろぼろだった知人が仏教系の講に通い始め、そこに集まる人たちから精神的な補助や現実的なアドバイスを受けて生活を立て直すのを見ました。ただし、わたし含め元からの友人達を片端から勧誘したために付き合いはなくなってしまいましたが…それでも彼女が自力で生活できるようになれたのが「信仰」によるなら、それもよかろうと思うのです。また、わたしの母の幼なじみの女性は、10代でカトリックの修道女となり、60歳になろうという現在も海外をまわり子ども達の福祉のために働いています。現実にある社会問題と差し向かいながらの活動ですから、さまざまな葛藤もあるでしょうが、やはりそこでも信仰がひとつの支えとなりうるのはよいことだと思えます。 わたし自身は、ひとつの教義や神を信仰するということはできませんが、死んだじいさんの仏壇に手を合わせて旅行の無事を祈ったり、土地の稲荷に挨拶がてらお参りしたり、たとえば海外のカトリック教会でも「土地神」感覚で祈ったりします。こんなのは、まったく原始多神教にとどまっている「信仰」ですね…しかし「祈る」という行為は好きなのです。祈るときは必然的にへりくだり、自分の小ささを実感し、何者かの庇護を願い同時に信じてもいる。そこでは精神的な冒険というか飛翔というか、自分の限界を知りながらその先を願う、謙虚な前向きさが自分の中に生じているわけです。祈るときほど無欲だったりもする(笑) 大江健三郎は長いこと「信仰」について考察を続け、作品にも著しています。たとえば『宙返り』という小説の中では、ある新興宗教のコミュニティが教祖の死の末に「神のいない教会」になろうとします。「教会という言葉は、私らの定義で、魂のことをする場所のことです。」「オレハ、神ナシデモ、rejoiceトイウヨ。」 神なくして「魂のこと」を考え為す。それは、では哲学や倫理なのじゃないかというと、まぁそうであるとも言えるでしょうが、やはりむしろ「信仰」に近い気もする。(レヴィナスのことなども思い出されてきます…が、ちょっともうわたしごときの手には負えない…) ともあれ。 さまざまな宗教を知ることは、それを信仰する人の文化や倫理を理解することですから大切なことですが、「知識」だけではこぼれてしまうものもあるだろう、と思ったりもするのです。 私は高校で「倫理」なる教科を教えています。そこでは宗教も教えており、ざっと挙げてみて、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教・仏教・儒教(儒教の宗教的側面は触れてないけど一応)というところですか。キリスト教は中世のにもちょっと触れ、仏教はさすがに日本に縁が深いせいか、インドの大乗仏教から鎌倉仏教あたりまで行きます。ただ、死生観というものに触れる内容は少ないですかね。 教科書からはハブかれ気味だけれども、カントの認識論における「人間側が持つ悟性の構成力」は、「詩における読者側の“受け取る力”“想像する力”の重要性」ってハナシに援用できるのじゃないかと思うし、現象学の考える「対象物がどのようなものであるか、ということについて、唯一無二の“真の意味”があるわけではなく、象をなぞる群盲たちがそれぞれ感じた“意味”を持ち寄って対象の意味というより共通認識がぼんやりと形成されるに過ぎない(ちょっと大雑把過ぎる把握ですが、カンベン)」などというハナシは、このフォーラムでの「作者がどう」「あんたの決め付けがどう」というループされる論議には、大変有意義だと思ったりする。 というより、倫理という科目は先人の知恵の塊なのだからどこを取っても有意義なのだけれど。 問題は教える人の方が、思想や哲学に興味を持てなかったり、身の回りのことや社会の事象にひきつけて語れなかったりする事です(それでも昔より「倫理」をうまく教える人が増えてきた感じはしますが)。オンライン書き失礼。 未来と過去をいい感じにつなげるような感じがいいと思います。 宗教とよんでもよばなくても、どっかで、自分の足場があるなという感覚をもつのには、身近な死者、それが大切だと個人的に思います。そこから、遠い死者も生者も見えるような。 小さい頃、ご仏前に毎朝ご飯をお供えしていたのですが、お線香を供えてチーンと鳴らして、手を合わせて・・・(サンタさんが、欲しいプレゼントをくれますように) とお祈りしていました。 そして、お供えしたご飯を食べると頭が良くなるんだよーと言われて食べていましたが、 菅原道真じゃないんだから・・・。 ごちゃまぜだー。 今、教会でゴスペルを習っていて、牧師様のお話を聞く機会があるのですが、「主が・・」と聞くと、どうしてもご先祖様のことを思い浮かべてしまいます。 神様=仏様=ご先祖様という図式ができちゃってるみたい。 宗教の教えも大切だけど、身近なところでご先祖さまを敬い、自分のルーツを思い、次世代も大事にしようっていう気持ちの方が伝えやすいですね。 でもうちにはご仏壇がないからなあ〜・・・。 >>440なるほど。そうだな。ちゃんと歴史と地理を勉強したんですね。ぼくは地理がいまいちだった。でも大学で地政学とか文明論とかやったので、それでおぎなったところもあるね。しかし、どんな教科もそうだけど、勉強したいことしかしないな。僕は。多くの人もそうかも知れんけど。それに学校なんか馬鹿にできないインフラでありながら機能も限界とすし詰めでパンパンだな。あんな狭いトコに人をぶち込めば、好きなことするか、しのげなければいじめか、気が狂うしかないと今では思うな。 僕は不登校というのを思いつかなかったので、というか何となくいって馬鹿にされていたので。 それにしても、佐々さん原稿かけなくてイライラしてたんだな。 スヌカン。さんも慣れてないみたいだったし。 あまりいい出会いではなかったな。 それにしても佐々さんよく見てるなあ。 僕は終わったころに気づいたよ。 スレッドで愚痴はくって難しいもんだな。 でもすねた見方をすれば、言説のほとんどは、うまく行かない愚痴みたいなところもあるしね。 歴史と地理をまじめにやれば、宗教とは何か考えざるを得なくなるし、 かつての人間がどういう死生観を持ってたかも勉強せざるを得ないよ。 特定の宗教を教育するのとそれは別ね。 死後の世界については、死への恐怖と死者への感情から生まれてると書いた。 「死者への感情」は畏れであり恐れでもあり不可知な存在への超越衝動でもある。 私は神話を否定しないし(神話が事実だと思うとゆーのとは違うよ、事実とはおもわん) 弱い人だけが宗教にはまるとも思わない(ここんとこは石川さんと意見おなじ)。 ところで、学校で教えてることだけでも、それを本当にきちんとやれば、 かなりおべんきょーになるとおもうんだけど、わたし、やっぱり、あまりまともに 学校に行かなかったので、実は学校についてよくわかってない。 でもとりあえず世界史をやれば最低でもキリスト教仏教イスラム教は出てくるし、 高校の世界史ならゾロアスター教ヒンドゥー教も出てくる。 地理でもそうだよね。宗教知識は世界を知るための基礎教養だと私も思うですよ。 廃人スレでの佐々さんとスヌカン。さんのやり取りを見ていて 僕はスヌカン。さんの意見に全部賛同というわけでもないのだが、特定宗教の教育は駄目だとしても、かつて人間はどういう死生観をもっていたかとか、世界をどうとらえていたとか、今は信教は自由といっても世界の根底には宗教的諸力があって文明の衝突を起こしているとか、そういう基礎教養は教えた方がいいと思う。 宗教が社会的影響をもっているし、佐々さんは死後の世界は死の恐怖と死者への感情から来ていると言ったが、人間は超越衝動をもっていて、神話的に生の実感を確かめることもあるのを認めない方が不自然ではないだろうか? いくら近代化されてもそういう部分は人間に残っているよとおしえる、あるいは知ることは大事だと思う。 必ずしも弱いものだけが宗教にはまるわけではないのは、オウムで分かったと思う。 先祖供養が大切かどうかは信仰によるだろう。 きのう、南アルプス深南部の、あまり有名でない山に登った。標高は1800くらいだから、たいした山ではない。たいした山ではないけど登山は登山で、山頂付近にはきっついガレ場があり、一メートル弱の幅しかない道の両脇は見るもぞっとするような崖、道のあちこちには向こう側が透けてみえる穴があった。ヘツリしなくちゃ進めない場所も一箇所あった。息は上がらなかったし心臓もおとなしいままだったけど、最近の運動不足を反映してか帰り道で足が上がらなくなった。あれは情けなかったな。自分で本当に情けなかった。元気はあるのだ。体力も残ってる。無駄口ならいくらでもたたける。気力もある。なのに足が全然あがらない! 非常に悔しかったのだがしかたないから這った。這えば進めるのだ。みっともなくても。誰に手伝ってもらわなくても。 登山は楽しい、でもぜんぜんおもしろくない。矛盾してる?わたし。 きのう「はにわ祭り」行ってきた。古墳時代人カコイイ! ぼくは何をしたいのかわからない。目的とすべきものがないし、詩もそれなりのしか書けない。一応バイトだけど仕事はしてる。彼女もいる。だけど何か物足りない。酒に溺れながら、こういうウザったらしい言動を書く。何か、宗教見たいのを作ってくれ、詩人としての絶大なる落とし穴を作るものは居ないのか?いたらぼくは出家する。言葉より簡単なナイフこそ、ぼくの日常の営みではないか。ぼくのそれを求めてくるものがあれば、ぼくはどんな機関にもひれ伏して忠誠を誓う。 >433 う〜ん、とりあえず「出版権」なるものが設定され、「自身のHPに載せているものも引き上げてください」みたいなハナシだったもので・・・。まあ、もうちょっと詳しく聞いてみます。 いずれにしても、出版するには金が必要で、その金がたまるのはずっと先になるのは間違いないので、それまでは載けてていいのかもしれません。ソソッカシイといおうか、慌て者の勇み足だったと少々反省しています。 追伸 ;-)さん。そんな事情で、なんか精神的に一杯いっぱいというか腹いっぱいなので、例の批評の件、当分延期させてください。ちょいと情けない理由で申し訳ないス。 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 スレッドを新規に作成したり、コメントを書き込むにはログインが必要です。
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