雑談スレッド6軒目[475]
2005 12/20 23:48
佐々宝砂

私は古いホラー映画「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド(生ける死者の夜)」が大好きだ。ほんとにほんとに大好きだ。私にとって、世の中でいちばん大切な映画だと思うくらいだ。あの映画のおかげでひとさまを殺さずに生きてると思うほどだ。だけど、世の中のみなさんが「生ける死者の夜」大好きというよーになったら怖すぎる。だいたいあれは「良い」映画などではないのだ。あのような映画は、不必要な人には全く不必要なものなのだ。それこそ、リタリンやハルシオンのように。ゆえに、私は自分が好きだなーと思っても特に人には勧めない。その手のものを必要とする人には勧めるけれど。

古島さんの書いてることは正しいと思う。とても正しいと思う。「良い」ものが存在し、「良い」ものは「良い」のであり、「良い」ものは遺そうと努力しなくちゃ残らない。そして善こそは美なのだろう(これは古島さんでなくて薔薇さんの意見か)。だが、善ではなく、偽善ですらなく、それでも世に必要なものはある。

とはいえ、私は現実的な必要悪を認めるのが好きではない。というか、私には、善悪がよくわからない。真剣にわからない。私はきちんと法律を守る。それは明文化されてるのでわかりやすい。禁止事項は書いておいてくれると助かる。私は一般的にルールを守る。ルールを守った方が人間関係がらくになるからだ。私はなるべく人に優しくする。「情けは人のためならず」と思うからだ。つまり私はかなり利己的だが、たまに「なんかふつーにいうとこのいいこともしなくちゃなー」と思うので、福祉団体に寄付したり、ボランティアに励んだりする。いや正しくいうと、ふつーにゆーところの「いいこと」をすると気持がいいので、する(たぶん快楽物質が出るのに違いない)。あんたは偽善的だとよく言われるので「まあそうかなあ」と思ったりしていたが、よく考えてみたら違わい。私は善に似てることをするが特に善のふりをしてない。見る人が勝手に私を偽善だと決めつけてるのだ。たぶん。すこし自信がないけど。

私には、どんな詩が良くてどんな詩が良くないのかよくわからない。ただ、技巧的なことはある程度理解できる。詩にこめられた感情やメッセージも、ある程度はわかるような気もする。わからない場合には全然わからないけど。その詩が好きかどうかはすぐにわからないことがあってもよくよく読めばわかる。その詩が私に必要かどうかは、いちどきちんと読めばきっとわかる。もっとも、私が詩の審査員としてやらなきゃならないことは、技巧の巧拙の判断と、世の中の人がその詩のメッセージに驚くかどうか、その詩を好きになるかどうかの予測と、世界がその詩を必要とするかどうかの判断だろうと思う。私がその詩を好きかどうか、その詩を必要とするかどうか、そんなことは、私とその詩の作者以外には関係がない。

話がどんどん逸れてって何の話かわからないけど、だから、私は自分が好きでも人には勧めない。私は「生ける死者の夜」をこよなく愛しているとしても、それをひとさまには勧めないのだ。何度も言うが、私の好きなものは、必ずしも「良い」ものではない。私はそれをよっく自覚している。
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