鵜飼千代子

もじもじさんとニオイスミレ



日本詩人クラブ仙台大会(天彦さんの髪の毛は写真より有りました。これじゃザビエル)

元、萌木碧水です。本名にしました。
平成15年(2003)より日本詩人クラブ会員


詩のミュージアム 「宴」

http://homepage.mac.com/tmoegi/BW/BW/2guest/utage/

「同人詩誌を手にすることのできない同世代の仲間の為に」とお願いして掲載許可を頂き制作しました。楽しい詩を選びました。《禁無断転載》

<Macアドレスのサイトがサービス終了の為リンク切れですが、ファイルはCDに焼いてあるので掲載復活の方法を探っているところです>



現代詩に「絶対」はないと思っています。

コメントを書きたくなってしまったので、「何の言い訳か」と思いながら、こんなことを書いています。

コメントを書かれてしまって、びっくりしてしまった方は、参考程度に考えていただければ感謝です。(^^)

あ、「似た傾向の作品を集めた(勝手に集まったでなく)」詩誌や集団での助言、師弟関係のある方が師匠の意見を「参考程度」にするのは、宜しくないと思っています。そういう場所では、「絶対」も存在すると思います。



千葉日報 「“マルチ詩人”の遺産 天彦五男詩全集」
書評 鈴木豊志夫
http://www.chibanippo.co.jp/cn/culture/kyoudo/18674

今の居場所は主にFacebookです。
https://www.facebook.com/profile.php?id=100006243964320
アメブロ(冬眠中)
http://ameblo.jp/shizuku-jp/


















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[274]鵜飼千代子[2011 01/11 19:21]ペポパンプ
十年来の付き合いの方はご存知ですが、梵さんは紫芳会会員です。年長順と言えば、哲男さん、梵さん、わたしの順です。

わたしがHPのプロフィールで所属団体の一番上に「紫芳会」を持ってきている通り、長い歴史のある公立高校というのは、同窓生仲間のフィールドが広いので、末席のわたくしもあちこち経験させていただいて、それを「ひとりの持ち物にしない」ということを意識しています。それは、母校の「校歌」が「そうせい」と言っているからです。「それが当たり前」の態度で詰め寄られれば、末席のわたしは欠けたナベブタを被せて跨いでしまいますが。

梵さんは、東大理3出身のドクターで、海外経験豊富、中東で不本意な形で親友を惨殺された経験を持っている方です。わたしは常に馬鹿にされていますが(笑)、どう頑張っても届かないので、地道に積み上げています。以前どこかに写真も出しました、紫芳会の俳句の投句受付ガールをさせていただいた時に、色々ふっかけてくる方に笑っているだけのわたしの間に入って対応してくださるような優しいお人柄です。そういうことが自分で出来ないから、いつまでも「困ったチャン」扱いされるのですが。(笑)頑張って届くレベルと届かないレベルがあるんだから、仕方がない。これは、わたしの狭い詩人のお付合いの場面でも、いつも出会ったシーンでしたが、筧さんや佐久間隆史さんが、対応してくださった。天彦さんは、はなからわたしを傍によせずに、わたしに挨拶をさせておきたい方がいらっしゃると、会場の隅から隅へ、手を上に上げて指で呼んでいらっしゃいました。半身でいつ呼ばれてもいいようにしていることをご存知だったのか。けれどこれが「昼行灯」のような人間であれば、離しておいたらどこをふらふら見ているかわからないし、傍に置けば足りないからの痛い目を見る機会は多いし、自らも泥を被らざるを得なかったのだろうなと思います。そうして、何人もの天彦さんと親しい方に、紹介していただきました。そういう感じがあまり代わり映えのしない、わたしの日常です。

こちらのBBSで知ったのですが、ペポパンプさんのお父様も紫芳会会員のようですね。
 

[273]鵜飼千代子[2011 01/10 13:17]
昨日のお祝いですが、早く着く予定が地下鉄の乗り継ぎを失敗してしまいました。成田スカイアクセスで自宅から東日本橋→馬喰町→東京駅→中央快速で吉祥寺と、大回りしてしまいました。JR馬喰町駅は地下5階に駅があるんですね。地底人の気分になりました。

その為、吉祥寺パルコ脇を15:57頃歩いていてこれは間に合わないと、中清に電話を入れました。独身の頃何度も出掛けた親しい街なので、少し歩く場所でしたが、スムーズに到着しました。10分遅れくらいでしょうか。既に北風さん、マイク・モラスキーさん、冬月さんがいらしていて、「お初です!」のご挨拶をしました。マイク・モラスキーさんは、一橋大大学院の教授で、音楽評論家でもあるとのこと。ピアノがあれば、ジャズピアノを弾いていただけたのですが、あいにくおそば屋さんにはピアノはなくお話だけ伺うこととなりました。

まもなくして、梵さんが登場! 江ノ島まで走ってきたと、お店に自転車ごと入店してきました。「盗まれると困るから」とのこと。「今日は高いタイヤをはいていないから150万はしない」自転車です。自転車で出掛けてどこかお店に入ろうとすると、ベンツをパーキングメーターに駐めるより、やっかいですね。



梵さんの後ろから顔を覗かせるようにして上野さんが登場。今回参加の全メンバーが揃いました。上野さんには、以前思潮社主催の「ほっとポエム展」の朗読会でお目にかかっているので、「お久しぶりです〜」と再開を喜びました。

冬月さんが、中清近くの昶さんのお宅までお迎えに行かれたのですが、このところ体調がすぐれず、、、とおいでになれなかったので、初めてお目にかかれると思っていたのに残念でした。また、高田昭子さんは絶対いらしている!と思ったのに、久しぶりの再開が果たせず残念でした。Ωで仲良くなったぽこさんとも会えず淋しかったので、北風さんに伝言をお願いしました。

せっかくなので記念写真を撮りましょうと、ぱちり。
「顔出しダメ〜」のマイクが撮影してくださいました。



皆様から様々なお話を伺い、わたしも焰に入れていただいた話や、天彦さんの作品研究や、書簡整理に伺っている話などをしました。「天彦五男詩全集」を持っていっていたので、北風さんに見ていただいて、この方の作品研究をしたいとお話ししました。お耳に入れておくと、行き詰まった時に相談に乗っていただき易いからです。「秘帳」については、初版本の発禁騒ぎの時の状況を書いた文章がどこかにあるはずだから、見つかったら送ってくださるとのことでした。

このところずっと、左目のまぶたが痙攣しっぱなしで、「まずいなぁ。ストレスがたまっているな」と思っていたのですが、ぴたっと治まってしまい、不思議なくらいです。

そして再発見は、わたしは美味しい物を程よい量食べることが好きだということ。お寿司とても美味しかったです。「銀座の○○という店より旨いし安い」と連れて行ったいただいた寿司バーは、本当に美味しくて、「比較したいので、こんどは銀座の○○というお店に連れて行ってください」という気持ちにはなりませんでした。カラオケも出来る気さくなお店で、梵さんが沢山歌ってくださったのですが、「英語の歌ばかり歌いやがって。だけど、上手いなぁ。」などど、ちゃちゃを入れながら美声を堪能させていただきました。

色々なことが頭の中で整理出来て、いい時期にいい会に参加させていただけたなと感謝しています。
 

[272]鵜飼千代子[01/09 22:14]
今仙川の寿司バーに来ています。

両手に50才、62才、64才の漢を抱き大変贅沢です。

梵さんのリクエストで、一青窈の「ハナミズキ」を歌いました。

「一言は君が好きだよ」(北風)
「携帯触りすぎ」(梵)
 

[271]鵜飼千代子[01/09 18:18]
平均年齢わたしが下げて、57.6666の6人が集いました!(*^-')b

北風さんは、ネットの印象とは違って、ゆったりとお話をするジェントルマンでした。お初!の杯をかわしました。

続報を待て!
 

[270]鵜飼千代子[2011 01/09 11:10]
http://shizuku-jp.com/
ちなみに、「松虫寺」の松虫姫は、「ライ」だったとのことです。

松虫姫伝説
http://www.publicart.co.jp/iniwano/matsu_densetsu.html

成田スカイアクセスの成田から3つ目の駅「印旛日本医大(松虫姫)」が最寄り駅となります。
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080712/trd0807120939007-n2.htm
 

[269]鵜飼千代子[2011 01/09 10:39]
皓星社(こうせいしゃ) が「第7回出版梓会新聞社学芸文化賞」を受賞したということなので、今日は吉祥寺までお祝いと慰労会に出掛けて来ます。
http://www.libro-koseisha.co.jp/

どこかの会館でのパーティーではなく、行きつけのおそば屋さんでの親睦会です。社長の藤巻修一さんとは、清水昶さんの「新俳句航海日記」で出会い、といってもお目にかかるのは今回が初めてですが、詩集出版の時にも「流通」について、お話を聞かせていただいたりしました。
http://otd11.jbbs.livedoor.jp/1108793/bbs_plain

当時、「ハンセン病文学全集」を編纂している最中だったということもあり、今回の受賞は他人事でなく嬉しいです。

また、「アネックスΩ」は、藤巻さん(ハンドル :  北風さん /ガキさん)の仕事で、皓星社のサーバーに載っています。(独自ドメインを取っているようですね(^_^;A)
http://www.annex-net.jp/

現在完売ですが、「歌集 秘帳/湯浅真沙子 著・林 あまり エッセイ」も皓星社の仕事だということなので、川路柳虹についてもなにかわかるかなと思っています。

とても難しい仕事をこなしてきている出版社なので、文学における「資料性の高いもの」についても伺ってきたいと思います。今年も天彦さんのお宅に伺うので^^

気っぷのいい方が多いので、恐らく、話をしているのか喧嘩をしているのかわからない賑やかな会になると思います。(笑)今から楽しみです。
 

[268]鵜飼千代子[2011 01/09 03:25]
色々あるよね。(^_^;A
ひとりいなくなれば、席がひとつ空くってことだし。
受けとめ過ぎないのもひとつの手だと思う。
わたしは、読むのをひかえている人もいるよ。
 

[266]鵜飼千代子[2011 01/04 16:03]
清里の「萌木の村」 村長(社長)、舩木上次さんの毎月のおことば「マンスリー上次さん」が参考になるのではと思い、ご紹介致します。毎月勇気づけられています。
http://www.moeginomura.co.jp/blog/sb.cgi?cid=2

こちらでも、「蛙」のように社長に逃がしていただきました。

男性のいる場所は侘び寂びがわかる年齢の方ばかりの場所でないと、青天の霹靂のような厄介事に巻き込まれるようです。後、10年も経てばそういうこともないのかな。ズタ袋被って歩かなくちゃいけない。(笑)
 

[265]鵜飼千代子[2010 12/29 18:43]


今日で年内の仕事も終わったので、実家に帰ろうと思っていたのですが、遅くなってしまったので明日行くことにしました。

天彦さんのお墓に今年最後のお墓参りに行って来ました。

4:30くらいにゲートに着いたのに閉まってる!(PM5時閉門)
うっそぉ と思ったのですが、ロータリーに何台か車が止まっていたから少しキョロキョロしていたんです。車から車いすを出して横の入口から入っていく人達が!ので、くっついて行きました。

寒かった〜、、、でも、桜のつぼみがもう膨らみ始めていて、春も綺麗だろうなって思いました。

お正月なので、お正月っぽいお花にしました。
 

[264]鵜飼千代子[2010 12/16 20:54]
 
 
  蛙   

                       天彦五男 (ピエロ群像 第二詩集)



妻と子供がどこへ行ったかは知らない
ただ子供が三匹殿様蛙を摑まえてきた
ぼくの中を田の面の風が吹き抜けていった

早速 子供に水槽を買ってこさせ
水をはり削り節や金魚の餌を与えたりしたが
蛙は束縛を嫌ってそっぽを向いて抵抗する
そしてぼくらが寝静まるとどう抜け出すのか
天蓋をはねのけ虚無僧は闇路をさまよう
朝になると決まって一匹の牢脱探しに
家をあげての大捕物がくりかえされる

図鑑によればみみずを食すと書いてあるので
糸みみずを与えたり環境に馴染ませようと
みどりの布を水槽の下に敷いたりするが
かたくなに喰物をこばみぼくらをこばむ
一管の尺八を携えどこへ行くのかぼろんじよ
朝になると草の根ならぬじゅうたんの上を
蛙なみに這いつくばって捕物をくりかえす

重しを頭に息がつまるだろう束縛は
ぼくのように酒に酔って忘れることもできず
管を巻くこともできないぼろんじよ
ぼくは水と土と太陽のある自由の世界へ
蛙を放してやれと子供に言うが
どうしてもどうしても飼うのだときかない
子供は三匹の蛙をぼくらになぞらえて
父かえる 母かえる 子かえると呼んでいる

どう説明しようかと土曜の夜の思案投頭
椅子をぎっこ ぎっことゆすっていると
蛙もぎっこ ぎっこと鳴くではないか
しかもぼくの方を向いてぎっこ ぎっこと

吾が子よ許せ ぼくは束縛するのもされるのも
好まない翌日の夕餉どきにもどった子供は
からっぽになった水槽の中の蛙になって
かたくなに夕食をこばんでいる




天彦五男 1937年(昭和12年)生まれ
第2詩集「ピエロ群像」 1976年3月1日刊


 『蛙』   
「詩界」116号 1972年10月 詩集収録時に改作
 

[263]鵜飼千代子[2010 12/16 20:43]


久しぶりにお墓参りに行って来ました。
11/7ぶりなので、1ヶ月以上行けなかった。
11月は肺炎になって出勤停止で長期お仕事を休んだり、12月に入ったら娘が水疱瘡にかかってまた休んだり、ここには書き込んでいますが、色々あったんです。天彦さんのお宅にも伺えなかった。

クリスマスが近いので、クリスマスっぽいお花を持って行きました。前にいらした方が、立派な大輪の菊の入ったお花を供えてくださっていて、小菊は枯れていたのですが、大輪菊は今が盛りとばかり咲いていましたので、一緒に花立てに入れさせていただきました。大輪の菊は、切り花にしても花期が長いんですね。



天彦五男さんの追悼文でも、何人かの方が書かれていましたが、第2詩集「ピエロ群像」より「蛙」を。わたしはこの「魂」に逃がされたと思っているし、わたしが見ている天彦さんってこういう人だと思っています。

後で、天彦さんの離れ座敷に別頁を作りますね。^^
 

[261]鵜飼千代子[2010 12/09 00:32]


日本ネパール合同詩集「花束」第2集の集合写真です。
天彦さんが金子秀夫さんに連絡してくださって、参加者ではないわたしにもパーティーのお誘いをいただき、普段は辞退するのですが、なぜかこの時は参加させていただいたのでした。(看板の日本・ネパール合同詩集の「合」と「同」の間の真下にいる最後列、鬼太郎のような前髪の人がわたしです。)

日本詩人クラブの方が多いので、筧さんの側にずっといて、ビンゴか何かで、全員になにかネパールのお土産をいただいて、筧さんがゲットした小鳥が丸い化粧箱に入っているものをわたしはいただいたのでした。わたしは、蓮の形のキャンドルをゲットしたかな。

閉会後、天彦さんに「飲みに行くぞ」と言われてその後のあれこれは金子秀夫さんにお話ししているので書きませんが、伝統舞踊なのですが、フォークダンスみたいなのをするシーンがあって、それにかり出されて、嫌な時は思いっきりニコニコしているのですが、「ピエロ」扱いされて来た人には、わかっちゃうんでしょうね。(^_^;A

で、花束に参加はしていなかったのですが、今回最後ということで、福田美鈴さんが代表ですが、金子秀夫さんも、調子のいいことを言えない実直な方達だと思ったので、天彦さんはそれを伝えたかったのかなと思ったことであるのですが、今回参加させていただくことにいたしました。昨日、メール便で原稿を送ったのですが、速達と言い忘れてしまって、ネパールからいらしている詩人の帰国に間に合うか、心配しています。
 

[260]鵜飼千代子[2010 12/08 22:49]
2001〜2003年、佐久間隆史氏、三田 洋氏講師の日本詩人クラブ「現代詩研究会」の卒業式(打ち上げ)の屋形船です。佐久間隆史さんがセッティングしてくださいました。



わたしの顔が笑っていないという、ご指摘をいただいているのですが、幹部連に広くご案内いただいたようなのですが、来てくださった方が(研究会のメンバーでなく)気持ちのいい方ばかりで、非常に弾けた会だったのですね。「屋形船って揺れるし、どなたか転んで足でもくじいたら、、、」と、背負って下船出来るようにGパンで出掛けたのですが、それどころではないフレッシュな集まりで、わたしも何曲かカラオケを歌わせていただき、大笑いしている写真もあるのですが、それを出してもしかたが無いので。(^_^;A

怪我人も出ずに、楽しく終わったーと、ホッとしている顔なのです。しこたま飲んでいますし。そした、気が抜けた顔で写真に写れる場所だったのだとご理解くださいませ。^^
 

[259]鵜飼千代子[2010 12/08 22:00]
閑話休題



怒っている剥製
(国立科学博物館)



キティーちゃんに会いに行ったのに、怖くて握手出来ないあっちゅ。



 

[258]鵜飼千代子[2010 12/06 16:45]
お亡くなりになった詩学の社長、寺西幹仁氏に近い方は、墓前にあがったおりに、お伝えくださいね。

前にも書きましたが、日本詩人クラブの例会に寺西さんがお見えになったときに、ちらっとお姿を拝見しました。ネットのとある掲示板で、「詩学を廃刊します」と挨拶にみえた時に、「詩の老舗の詩学を潰さないで欲しい」と言ってしまった。あの時に廃刊していたら、寺西さんは、今まだ生きていたのかなと考える時もあるのです。

ネットで発表する詩人にとても理解のあった詩学社社長寺西幹仁さん。花が咲きました。合掌。
 

[257]鵜飼千代子[2010 12/06 00:37]
昨日は、先にお話ししていました第24回福田正夫賞贈呈式および花束6(日本ネパール合同詩集)内祝の会が、国学院大学院友会館で執り行われました。

福田正夫賞の選者である長谷川忍さんにも、アットホームな会なので、是非来てくださいと言っていただいていて、わたしも「焰」の同人にしていただいたので、うきうきと行ったことでありました。楽しかったです。(笑)

受賞者は富山直子さん、受賞詩集は「マンモスの窓(水仁舎):第2詩集」手製本の詩集です。

スピーチをされた方の中から、「読んでいないのですが(送られて来ていない)」という戸惑いの声も聞こえたのですが、わたしも詩集は手にしていないのですが、当日配られた(わたしは同人なのでそれ以前に手にしていました)「焰第87号」に6編掲載されていてそちらを読ませていただいていました。直子さんとお話をしてみると、直子さんの呼吸のリズムそのままに言葉を綴られているのだなという印象を受けました。とても初々しく、詩を書くのが大好きなのだなと伝わってくる詩人でした。^^

現在、詩誌「たまたま」の同人でいらっしゃいますが、詩学の「朱の日」というワークショップにかつて毎月通われていたとのこと。こそっと、名前を出して伺ってみたら、共通の知っている詩人の名前もありました。
富山直子さんの処女詩集は「みたわたす」2005年詩学社刊行です。

詩学のワークショップで、切磋琢磨された皆様も、良かったですね。^^ みなさん、わらわらと喜んでいらっしゃいましたよと、勝手にお伝えしておきました。



日本詩人クラブ理事長、日本未来派の細野豊さん。
昨日、今日と、日本詩人クラブのイベントもあって、そちらでネパールの詩人マンジュールさんと意気投合し、着けていらしたマフラーをいただいたとお披露目してくださいました。
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追記。
詩人クラブの忘年会は次の週だったようです。
忘年会とは別の集まりで、前日にいただいたということのようです。お詫びして訂正致します。
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花束贈呈で、笑顔の富山直子さん



乾杯!古田豊治さん。
(プログラム通りだとそうなのですが、同人になって日が浅いのでお名前が、、、間違っていたらごめんなさい。2月の新年会で確認します。)



福田正夫氏のひ孫にあたる、関口健介さんの弾き語り。福田正夫詩の弾き語りをされたのですが、アンコールで「せっかくだから、作詞作曲の歌も演奏して!」とリクエストをされ、 「ん、、」と一瞬考えて演奏してくださいました。音楽のことは詳しくないのですが、ハートフルな雰囲気と演奏でした。^^



ご存知、秋元炯さん。大昔の<(_ _)>福田正夫賞受賞者(第15回)です。ご自分以来、男性の受賞者がいないと嘆いていらっしゃいました。



昨年の受賞者、渡ひろこさんです。
プログラムにスピーチと朗読でお名前が出ているのですが、「突然のご指名で、、」と、ちょっと困ったお顔になってしまっているところを撮ってしまいました。ポエトリーリーディングで場慣れしていらっしゃるので、トークも淀みなく、先輩らしいお話でした。



「無礼講」ですとか、「アットホーム」ですとか、厳密厳格ではないというのは、「何をやってもいい」ではなくて、「腹割って行きましょう」というところがあるので、お正月の福笑いというのか、羽根つきでほっぺに墨で×つけられちゃうとか、色々で、「見透かされるのは苦手」な人には向かない舞台では有ります。メンツが、「行間を読む詩人」ですから。ですから、今度はどの部分を見せてやろうか、あれは見ない振りだなというのも、ありなのが、「アットホームな無礼講」で、「ここは国会ではない」なのかなと、思います。^^

各詩誌の合評会や、団体の総会はそうはいきません。突き詰めていきますので。それと比べて、、、ということなのでしょうね。



丸山勝久さんです。
《佐久間隆史さん(も元会長)のワークショップ(現代詩研究会)の卒業式(打ち上げ)の屋形船に当時会長だった丸山さんも(現在、健康上の理由で隠居舞台に席を置かれたようですが、「地平線」の大将です。秋元炯さん、山田隆昭さん、沢聖子さん等が同人。)秋元炯さんも屋形船にいらしてくださいました。》

丸山さんは、天彦さんの次の日本詩人クラブの会長です。



亀川省吾さんです。ネズミを捕まえるいい方法が最近わかった。だったでしょうか、そういうお話をされたのですが、なぜか「わかりますか?」の壇上からのお話のスポットライトが、わたしに当たっていて「!」でした。(笑)

わたしも、アンテナが立っちゃった感じです。
「逃がさないよ。」「ばか。」です。
お初なので、ちゃんと挨拶に伺い、「ネズミのお話をされた」と申し上げたら、「わたしがネズミです。」とかわしていらっしゃいました。要スポット詩人です。
家に帰って「焰」を読み返してみたら、今回の受賞詩集「マンモスの窓」の推薦者でもいらっしゃるんですね。



福田美鈴さん。金子秀夫さんとはご夫婦です。
福田正夫さんの娘さんです。
この度の、「福田正夫詩の会」「ネパール合同詩集『花束』」「焰」「日本未来派」「日本詩人クラブ」etcとお忙しいです。
福田正夫さんの詩のお歌を歌ってくださいました。



植木肖太郎さん。(「焰」「日本未来派」「横浜詩人会」「日本詩人クラブ」etc)
何をされていると思います?(笑)
細野豊さんのお歌に合せて口笛を吹きながら、オカリナか、横笛か、そうした手真似をされているのです。「!」と思ったので、直ぐに撮ったのですが、それを歌っている細野さんが見ていらして、笑ったお顔が少年のようで、わたしは見惚れてしまって撮りそびれたのが残念です。わたしの知っている「アットホーム、無礼講」の場で、嫌な流れのない会だったのですが、細野豊さんが「西條八十は詩も書きましたが歌謡も書きました。」と美空ひばりの「越後獅子の唄」を暗唱でアカペラで歌われてびっくりしました。どうしてそう思ったのかわからないのですが、日本未来派の方は「シャンソン」しか、歌わないのかと思っていました。「スペインに造詣が深いから細野さんは、シャンソンではなく、カンツォーネでは?」とわたしの呟きを聞いた方に突っ込まれたのですが。

美空ひばりの越後獅子の唄
http://www.youtube.com/watch?v=1eHADjFpO9k&NR=1

おおとりもとりにわたしにお鉢が回って来てしまいまして、植木肖太郎さんに「新同人として何か話して」と言っていただいたのですが、「わたしは何も話せませーん」と申し上げたら、「名前を言って帰って来ていいから」と、、、マイクで新同人として紹介されて、「天彦五男研究をしようと思った日本詩人クラブでの日々」について、3分くらいで(2分かも)お話ししました。(「一昨年亡くなった」と言ってしまった。本当には昨年8月なのですが。今年の8月すら、遠い昔のような気がしている。)

(司会は長谷川忍さんだったような気が、、と今気付きましたが、)そんな感じの、アットホームで無礼講な、詩人たちのパーティーでした。楽しかったです。^^



金子秀夫さんと、受賞者 富山直子さんと。



ネパールの詩人マンジュール、通訳(日本語学校教師)モティー・マハルジャン
お開きの後、渋谷で。
福田美鈴さんの「ハチ公を見せたい!」という閃きで一緒にいた人たちで行ったのでした。
(昼に撮ったような写真ですが、夜です。フラッシュを焚かずにデジカメ一眼レフで撮るとこんな写真になるのですね。ちょっとびっくり。笑)
 

[256]鵜飼千代子[2010 11/26 09:24]
鈴木志郎康さんのツイッター再開しています。
よかった。^^
http://twitter.com/shirouyasu_0wl
 

[255]鵜飼千代子[2010 11/25 15:19]
>>254
本日問い合わせたところ(遅)、11/16に掲載済みだとのこと。ぜひご一読ください。

あった。これだ。
http://www.chibanippo.co.jp/cn/culture/kyoudo/18674
 

[254]鵜飼千代子[2010 11/20 19:29]
天彦五男詩全集の書評が、11月中に千葉日報に掲載されますと金子秀夫さんからお便りをいただきました。鈴木豊志夫さんの評とのこと。

こちらの欄ではないかなと思って気にかけているのですが、千葉日報を取っている方は気にしていていただけますでしょうか。
http://www.chibanippo.co.jp/cn/culture/bousou/18084

新聞社に問い合わせたらいつ載るのかわかるのかしら。

金子秀夫さんにも、パソコンが出来るのだからインターネットに天彦のことを載せてみたらと言っていただいていて、奥様にも、詩全集に載らなかったものを扱っていいということはいっていただいているのですが、どういう分量で出すべきなのかということを考えています。

推敲や、書きかけ(書き損じ?)の肉筆原稿、毛筆の句や詩全集に載っていない「ハガキ詩集」のコピーなど(ピヨちゃんの描かれている油絵も)、作品の一部をいただいて来ているのですが、全部ネットにだしちゃっていいのかなと。(まだ、1982年頃の段ボールを5センチくらい整理しただけ。わたしが捨てる方に置くと奥様が拾い、奥様が捨てる方に置くとわたしが拾って、「これじゃ片付かないわよ。」と言われながら、わたしはむしろ、片付けが進まないことを楽しんでいます。)

頁を作る時間が惜しい訳ではなく、スキャナもHP作成ソフトもあるので、出来るのですが、天彦さんの名前で検索してくださった方に情報の提供は出来ますが、版権者に(奥様に)印税が入る訳ではありません。

どういうものを出すのが、詩を愛する人たちの共有財産として好ましいのか、また、天彦さんを知っていただく上で、有効なのかということを考えています。
 

[253]鵜飼千代子[2010 11/02 21:44]
わたし、水評になるとは知らなんだが、岡実おにいさんから、作品の評の依頼が来た時に、コメントと一緒に委ねていて、その時も体調が悪かったから、自分がいつ死んでも、子供が自立出来るようにというようなこと書いているんだよね。(詩の関係でなく、高校生になっている、当時幼児だった息子について)
エドワード・リアの不況における「ノンセンス」の社会的評価についても、長文で入力して伝えたし半年で7年短縮したから、あとは岡実おにいさんと、阿トさんにお願いしていいのかなとも。岡実さんと、阿トさんにガチ出来たことで、わたしのパワーは繋げた気はする(いとうさんはバカンス中)。

岡さんとは赤さんのビアホール飲み会で初めてお目にかかったのですが、わたしには、遅れて来た岡さんに、オーラが見えたんです。先日言ってもからかっているととられてしまいましたが、本当に。

肉欲の人目惚れでなく、わたしの魂の一部を預けるに違わない人だと思い、聞かれていない分野の詩の話をたくさん書いて送った訳です。

だけど、どうだろな。「記憶芸術」は、浮き葉のレベルから、随にしみ込んじゃっているのまであると思うんだけど、「アスファルト」的なのの、庇護者かなとも思ってる。

端折るけど、詩人の根的な「私文学なもの」を、かつて否定していたから。

だけど、岡さんは散文が根の人だけど、これだけ文学が表に出ない時代だから、詩としての評価以前に、文学的才能は評価すべきじゃないかと。田口ランディーさんだっているし。

後追いで「アスファルト」的な創作を詩が評価していても、長くは続きませんよ。それなら、小説のショートショートや、商業歌詞の方が書き手にとってお金になる。

片野さんが頻繁に出て来る訳でなし、フォーラムとして同じ人が長く影響力を持つのは、良くないんですよ。
総合的な場所であれば、どこであっても。

大村さん、奥主さん、田代さんて、よく知っている人は頼りになるのかならないのは知らないけど、変わらずフォローしてくれるでしょう。

わたしも、5年分掲示板の課金払っていますから、しますけど。

ボランティアなんだから(参加者みんな?)、あまり肩パットいれないで。
 

[251]鵜飼千代子[2010 10/31 00:54]
どこに書いたらいいのかわからないので、ここに書きます。
蛾兆ボルカさんの「夜」について。

誰も投稿していないスレッド会議室で、恐らく放置になるだろうというわたしの予感で余計なことをしたのですが、

私信で、通常のコメントより意見を交えたものを送ろうかなと思ったのですが、わたしが誰かに私信を送って何かするというような話にズレてしまったので、やめます。

保険なのか何ななのかわかりませんが、この前もコメントをいただいた方から大量のメールをいただいて、こちらは何も言っていないのに「お友達にどう言いふらしていただいてもかまいませんが」とか、書かれたのですが、どのような環境で過ごされているのでしょう。どんな邪推をされるのだろうかと、何も言えなくなります。

そういうグループはどこに行ってもいますが、あまりお付合いはしたくありません。消費するだけだから。
 

[250]鵜飼千代子[2010 10/29 21:06]
第24回福田正夫賞決まりました。
http://www.city.yokohama.jp/me/kyoiku/library/chosa/mokuroku/yokohamabungaku/fukuda.html
(第21回まで掲載:麻生秀顕さんって、バースにいましたよね?Fポ?違う人?)

公式発表されているのかどうかわからないのですが、
出版社のブログに出ているので、贈呈式の案内もいた
だいていることですし、書いちゃいます。
ダメだったら、ごめんなさい。<(_ _)>

『マンモスの窓』 富山直子 水仁舎
http://suijinsha.jugem.jp/?eid=2050
http://suijinsha.jugem.jp/?eid=2306

噂の谷内さんの書評。
http://blog.goo.ne.jp/shokeimoji2005/e/369b292385b1cc4a188fe1fdd92c4425

処女詩集「みたわたす」を、2005年に詩学社から上梓されている方です。詩学で育った人たち、知っている人いるかしら。わたしも生まれて初めて買った詩誌は「詩学」です。高校の頃一学年上の先輩が載ったからです。(載っていない号だったけど、新宿の紀伊國屋まで買いに行った。:何度も書いたけど。)



ともあれ、
富山直子さん、受賞おめでとうございます。
お祝いに行きます。
 

[249]鵜飼千代子[2010 10/26 07:51]ペポパンプ
あの白いモヂャモヂャしたのは、娘ぢゃない。
ニオイスミレ。

                          もじもじさん より
 

[248]ペポパンプ[2010 10/25 17:56]鵜飼千代子
お嬢さん可愛いです!
 

[243]鵜飼千代子[2010 10/21 17:26]
 小雨が降っていますがお墓参りに行って来ました。
最近どなたかいらしていて、立派な菊が入ったお花が供えられていました。お水はすっかりなくなっていたけれど、花は白菊が萎れていただけで他は元気だったから、3、4日前かな。



わたしが持って行ったお花も入れたのでぎゅうぎゅう詰めになってしまいました。

 これから先、冬はどうなるんだろう。花入れの水が凍るのは確実。花入れが金属だし。細いし。アイスキャンディーみたいになるかもしれない。炎天下では花は3日持たなかった。真冬はどうだろう。

 その内、百葉箱の観察記録のように、気温とか天気とか、記録取り出したりしそう。(^_^;A

 お正月はあまりお花が無いから、葉牡丹を植えたりするけれど、葉牡丹が花入れに入っていたらお参りに来た方驚きますよね。
http://www.hana300.com/habota1.html

 天彦さんの詩に、「終の栖(日本未来派2000.6/201号)」という作品があります。題名、なんて読むのでしょう。「ついのす」?「ついのせい」?その詩に、線路際のフェンスにハンギングプランターを30数個かけて、近所の人がフラワーロードと呼んでいるということが書いてあります。天彦さんの詩に出て来るもの、全てが実在するということではないということは、天彦さんから伺ったのですが、以前伺った時に、このハンギングプランターはありました。数までは数えませんでしたが、冬だったのでパンジーが植えられていました。お庭の長方形のプランター幾つかに、プリムラ(桜草)が順番待ちしていました。

 2004年にお宅に伺った時、『宴』に転載させていただいた「酒と花と月と…」にある、「花がいけてある骨壺は、あれですか?」と、大玉スイカほどの大きさで、口は一輪しか花が入らないような床の間の花瓶について伺ったところ、「違う」とのこと。「酔芙蓉はどこですか?」と伺ったところ、「無い」とのこと。そうして堰を切ったように、様々なお話をしてくださいました。

 これは、筧さんも散文で書かれていることですが、絵画を思い浮かべていただくとわかり易いですが、詩は、ものそのもの、ことそのことを、レポートのように記録したものではないということ。「モナリザ」の絵でも、絵と同じポーズをモデルがとることは出来ないっていいますよね。向って左の手がねじれた位置についているそうです。書きたいことをより鮮明にする為に、現実の目に見えたものとは違うものを取込んだり、引いたりしながら書かれている訳ですね。「悟月は、なんと読むのですか?」と伺ったところ「ごがつ」とのことでした。あまり詩の質問ばかりするので、「乾くから早く食え」と並んだまま手付かずのお料理を無駄にするなと嗜められたものです。

 先日伺った時には、フラワーロードは中止になっていました。ここ数年、それどころじゃなかったのだなぁと思いました。

 お墓のお花に鉢植えって、変なんでしょうか。ホームセンターでお花を見るたびに、寄せ植えのプランターだとか、小菊が半円のように鉢に植えられたものを見ると、天彦さん喜びそうだなぁなんて、思ってしまいます。



 秋の七草の続きです。
キキョウ ナデシコ オミナエシ ススキ クズ ハギ フジバカマ が秋の七草ですが、ススキはわかりますよね。キキョウを撮るのを忘れてしまった。

こちらが萩(はぎ)



こちらがフジバカマです。


 

[242]鵜飼千代子[2010 10/20 21:11]
阿トさんが来てくれて、かなり気が楽になった。
本当のことをいっちゃうから気をつけなくちゃと思っているところは同じだけど、言う時には言っちゃうし、でも阿トさんの方が大人かな。(そもそも年齢もおねえさんだけど)

なにより、あの透明感で、作風も詩の好みも逆だから、わたしがあんまりよくわからないけれど、これはいいとコメントをしたり、ポイント入れたりするよりよっぽどリアル評価になる。阿トさんがいてくれるから知らんぷりする訳でなく、コメント出来る程わかってなくても、ポイントくらいは好きだなと思えば入れるのですが。

前に、どこかで、「小説として持ち込んだら、これは現代詩だ」と言われて、詩の商業誌に投稿したら、各誌総なめというのは、阿トさんのことです。そういう状況で片野さんがどこかで会って、FCVERSEへ勧誘して、わたしはその頃人に読んでもらうの初心者でバースに参加し始めて、片野さんや大村さんや、現代詩手帖の詩人住所録に載っている人や一色さんの夢の解放区に参加している奥主さんや、経歴はよくわからないながら、編集の仕事をしている深子さんや、魑魅魍魎の参加者のいるところで育っちまっいました。入れ違いですが、田口ランディーさんも会員でした。大村さんがトラブルを起こす人は大概伸びるのかも。ちと、言い過ぎか。(笑)バースって、既に認められているか、認める立場の人や、大学の語学の先生やそいう人がたくさんいて、わたしみたいなちょびっとも「本気で現代詩やりたいです!(それが入会の要件だったから)」って参加してる場所だったの。

奥主さんとわたしが背中合わせで無限の距離だったら、阿トさんとわたしは、一点を軸にした遠心力で逆の位置なのかも。「世界共通言語」は、バースの人がたくさん出ているのですが、「りえちゃん」っていうのは、阿トさんのことです。阿トさんは、現代詩の詩誌に掲載されている立場で参加されていましたから、Fぽを読んでいなかったかもしれないけれど。

ピュアで繊細だけれどというか、だからというか、先を急いでいると言うか、ねちねちと嫌がらせをすることはありませんが、自分に必要なければパッツリ線をひくと言う印象は10数年前には持ちました。今はどうかわかりませんが、詩が好きで、詩が好きな人と関わりたいのだろうなと感じていますが。
 

[241]鵜飼千代子[2010 10/20 19:26]
明日は休みなので、久しぶりにお墓参りに行こう。10/3ぶりかな。2週間以上あいてるから、お花枯れているよねぇ。

晴れるといいな。
 

[239]鵜飼千代子[2010 10/19 13:50]
鈴木志郎康さんが、退院されてる! 良かった!
http://twitter.com/shirouyasu_0wl
 

[238]鵜飼千代子[2010 10/17 23:00]
信天翁様

最近ままならないのですが、昨年末からフォーラムの全作品を読ませていただき、個人的な感覚ですが、好きだと思える作品にポイントを入れさせていただいています。書き込みいただいて嬉しいです。また、いらしてください。
 

[237]信天翁[2010 10/17 22:17]鵜飼千代子
今年になって九編もお目にとめていただき、感激、有難うございます。
 

[236]鵜飼千代子[2010 10/16 19:43]
いや、嬉しいですね。値段がついている。
これは、天彦さんに褒めていただきました。(笑)

でらむか大賞―でらむか大賞・うっぷんばらし大賞作品集
http://www.amazon.co.jp/%E3%81%A7%E3%82%89%E3%82%80%E3%81%8B%E5%A4%A7%E8%B3%9E%E2%80%95%E3%81%A7%E3%82%89%E3%82%80%E3%81%8B%E5%A4%A7%E8%B3%9E%E3%83%BB%E3%81%86%E3%81%A3%E3%81%B7%E3%82%93%E3%81%B0%E3%82%89%E3%81%97%E5%A4%A7%E8%B3%9E%E4%BD%9C%E5%93%81%E9%9B%86-%E6%84%9B%E7%9F%A5%E7%9C%8C%E8%A5%BF%E6%98%A5%E7%94%BA/dp/4324053766
 

[235]鵜飼千代子[2010 10/16 14:40]
今日は清水武夫さんの98歳のお誕生日だそうです。
http://zouhai.com/

お誕生日おめでとうございます。=*^-^*=にこっ♪
 

[234]鵜飼千代子[2010 10/16 01:38]
天彦さんからいただいた書籍について

天彦さんに読んでいただきたくてお贈りしたのに、鵜飼のところに行っているなんてがっかりしたとお思いになっている方もいらっしゃると思います。

2004年〜2005年頃ですが、ポストに入らない厚さの郵便物を何度も送っていただきました。電話で呼んでいただけば取りに伺ったのに、重いのに郵便局まで持って行かれたのでしょう。宅急便のメール便だと取りに来てくれますよと申し上げたのですが、ずっと郵便を使われていました。わたしも娘が生まれたばかりだったということもあるのですが。

それで、送っていただいた本に「義理を欠きながら本の整理をしています」というお手紙もいただいております。奥様や金子秀夫さんのご判断を仰ぎながら、終点にしたくないから、こちらにつないでくださったということを、見ていただける機会があればいいなと思っています。

初めて伺った時か、海路の写真を撮りに伺ったときかわからないのですが、亡くなった息子さんの本の整理をされていて、欲しいのがあったら持って行って、それ以外は古本屋に売るからって言われて古本屋に天彦さんにも車に乗っていただいて運んだのですが、書籍バーコードが導入された境目の時期だったので古本屋でバーコードがついていない本は引き取れないと言われ、天彦さんはああですから(?)「じゃあ処分してくれる?」とおっしゃられたのですが、「わたしが持って帰ります」と段ボール2箱いただいてきたんですね。で、ヤフオクででも売ってお金になったら持って行こうかなと思っていたのですが、写真を撮る時間がなくて、そのまま死蔵しています。情報系の本は研究者でもないと、古いものはいらないと思うけれど、漫画などは、売れるかなと。とにかく、ゴミにしたくないんですよね。わたしの根源が、息子さんの遺品をゴミにしたくないと言っているんです。

実家の隣りの家のわたしの一歳下の男の子がやはり30代で同じ亡くなり方をしていて、小さい頃空き地で三角ベースしたことなど、思い出す訳です。働き盛りの健康優良児は、自分を過信しちゃいけない。もう、若くないと思って注意していないと突然来るから。息子さんは早生まれだから、わたしより学年はふたつ上なんですよね。

息子さんが生きていらしたら、わたしは天彦さんにこんなにかまってもらえなかったかもしれないけれど、残念ですね。本当に、残念。

天彦さんが亡くなったことを知らずに、詩書が送られて来ていて、無駄にしたくないというお気持ちから、持たせていただいた本は何冊かあるのですが、そちらについては、天彦さんが選んで送ってくださった書籍とは意味合いが違って来ますので、掲載は控えさせていただきました。

いずれにせよ、天彦さんはご自身の書籍や書について、わたしがお金に換えることをなんとも仰らないと思いますが、しませんが、天彦さんに贈られた書籍は、子供に読み聞かせて楽しませたり、さらに若い世代へ伝える為に委ねられたのだと受けとめておりますので、贈られた御意思と違う使われ方をしているということにつきまして、ご容赦いただきたいとお願い致します。
 

[233]鵜飼千代子[2010 10/15 21:25]
清水武夫さんは、清水兄弟のお父様です。
1974年還暦のお祝いでご兄弟が出版の企画をされたそうですが、その頃、詩芸術に掲載された詩の中から編まれたそうです。凄く好みです。
http://p-opac.library.pref.osaka.jp/OSPLIB/webopac/kensaku/kensakuSyousai.jsp?tilcod=10000001505489
 

[232]鵜飼千代子[2010 10/15 16:12]
追加しました。まだ、段ボールひとつくらいあるはず。
 

[231]鵜飼千代子[2010 10/15 14:13]
ざっと作ってみました。『黒豹』『山脈』『東国』はもっとあるはず。渡辺真美子さんやかりんさん、山口敦子さんの本も見当たらないので、どこかにまとめてしまってあるはず。
http://homepage.mac.com/tmoegi/jyuzoutosyoitiran.html

狭い家なので、探す場所もそうないのですが、見つかったら追記します。
 

[230]鵜飼千代子[2010 10/14 22:23]
熱がちっともひかない。もうインフルエンザにかかったのかな。明日も仕事休まないといけないと困る。
 

[229]鵜飼千代子[2010 10/14 12:59]
>>228
「ほら、これが私」でいいんじゃないでしょうか?
あまり細かい解説はしませんが、わけわからない詩を書いている人も、「ほら、これが私」と書いてる人もいるから(そういうのを形だけ真似ている人もいる)おうむ返しのように同じことを言われる可能性はあるかな。

sadame2さんの「ほら、これが私」を書いて行けばいいんだと思いますよ。
 

[227]鵜飼千代子[2010 10/13 21:14]
本日いただいた、第32回 ちば秋の詩祭のご案内です。
http://po-m.com/forum/thres.php?did=12&did2=503

わたしは時折県詩集に参加させていただいていますが、会員ではない人に案内を出すことがどれほどご負担になっているかということも考えます。

一度詩祭の観覧はさせていただいたのですが、今回
>パフォーマンス 詩劇「風狂の鬼・金子光晴」
           作・演出 末原正彦

現代異端詩集に参加された「末原正彦」さんですね。http://po-m.com/forum/profbbs_thres.php?hid=10&did2=142

なんにも知らないので、天彦さんの周辺から現代詩を学んで行くというのがコンセプトですが、ちば詩祭に「行きたいな行けるかな(体調との相談で)」。

「焰」第84号で、天彦五男追悼『思い出追跡』という追悼文を末原正彦さんが寄せられています。

>この前会った時、それは最後の入院の前日に会った時のことになるが、「日本現代詩人会」の入会手続きをとってあげようと思うけど、どう?とまだ自分の病状のことをさておいて、私のことを気にかけてくれていた。明日入院するという日に訪ね、長話をしてしまい、今でも後悔しているが、その時彼は、超一流の先生が診てくれるから心配はいらないよ、と平然としていたので、今まで同様、また戻ってくると私は信じて疑わなかった。

中略>
>>私はまだ天彦さんの死を受けとめきれていない。「退院したら、連絡するから」その連絡を、私はいまだ心のどこかで待っている。



わたしも、娘の名前を題にした詩を過去に書いたから、見つかったらコピーして送りますという天彦さんの連絡をいつまでも待っています。
 

[225]鵜飼千代子[2010 10/13 20:03]
さくたろさんが出張で東京に来ています。
会いたい人は連絡を取ってみてください。
わたしは、熱ひきさんで行けませんでした。
 

[220]鵜飼千代子[2010 10/12 20:22]
「天彦五男詩全集」、まだアマゾン登録はなく、現在土曜美術社で購入するしかありませんが、古本でではじめました。
http://www.tengyu-syoten.co.jp/shop/shosai.php?no=164268&genre=&page=1&url=/shop/search_exe3.php

いらない方は、場所も取るし廃品回収に、、でなく、ぜひとも古本屋に売ってください。あるいは、図書館に寄贈してください。正価では購入出来なかった方が手にするチャンスが増えます。「エコ」も、天彦さんが日々取り組まれていたことのひとつです。
 

[219]鵜飼千代子[2010 10/12 10:17]
何度か検索では引っかかっていたのですが、あまりよくわかっていなかったのですが、先日美術展に出掛けた「田中一村」の一村のアトリエというサイトの投稿写真館掲示板に天彦さんのコーナーという写真が載っています。
http://survivalgame.weblike.jp/isson/

本日見ると7頁目の、2009年11月 4日(水)投稿分、秋の講演会の時に展示されたのでしょうか。
http://9019.teacup.com/toukou/bbs/395

沈黙28号「奄美と一村に」というエッセイで、
> 先日、新聞に「田中一村ファンの会」が私が住んでいる四街道市であるとのこと、早速申し込んだが、定員30名の選から洩れてしまった。
とあります。その、「田中一村ファンの会」のサイトですね。その後、ご親交があったのでしょうか。

http://8405.teacup.com/eishiti/bbs?OF=10&
2010年 9月27日(月)マ・ドンナさんが会の方とのご親交を書かれていますね。出版記念会にもいらしていたとは!わたし、千葉市美術館の「田中一村展」行きました。お話し出来なくて残念でした。

書の「蝶」「忍耐」は、共に詩集1973.6.1刊「風針」に収められていますが、「忍耐」は「風針」初出、「蝶」は、1963.10「原形20号」初出、1973.5.25「日本現代詩選12集(日本詩人クラブのアンソロジー)」所収です。1963年、天彦さんは26歳です。わたしが天彦さんにいただいた「鴉とレモン」に書いていただいた詩も「風針」に収められている作品で、短い詩が多いということはあるのですが、天彦さんは過去作を大切にされていたと思います。書き捨ての詩など、なかったのではないでしょうか。
 

[216]鵜飼千代子[2010 10/10 23:24]


上半分で、下半分には会費のことなど書かれています。
 

[215]鵜飼千代子[2010 10/09 16:38]
海路をお送りしたときに、筧さんにいただいたお葉書です。
http://homepage.mac.com/tmoegi/BW/BW/1info/pp/kairei14/kairo.html



右側が2004.5.20 左が2004.5.24です。

右のお葉書をいただいて、わたしは手持ちの「同音同訓異字辞典(柏書房)」で調べましたとお返事しました。それについて、いただいたお返事です。こうして筧さんに、評価するということだけでなく、育てていただいていたので、山脈の同人ではないですけれど、恩師だと思っています。

詩人クラブの千葉大会に参加した時には、窓口が村山さんだったので、筧さんのところに通していただいたのですが、ホテルの居室での山脈会の飲み会でも、森常治さん(森鴎外のお孫さん)とのお話を聞いているうちに、自分のことではないのですが、受けとめるところがありました。それから、「金木犀零れる」の載っている詩誌が詩人クラブで配布されるなど、そうした時期もずっとそばにいてくださり、一読された後、うんうんと強く頷いて目をつぶって下を向いていらしたことが思い出されます。2003年末に「宴」を制作し、2004天彦さんのお宅に伺うことになるまで、例会参加の時にはずっと、例会の時は筧さんの隣りに座り、二次会は筧さんについて行っていました。

天彦さんのお宅に伺った後か、ネパールとの合同詩集『花束』第二集2004.1.30の後かわかないのですが、例会時、詩人クラブの宴会の時は筧さんの側に、お開きの後は、天彦さんに(2.3回)飲みに連れて行っていただきました。もの凄い英才教育です。一生忘れてはいけないと思います。

筧さんは、中学高校の先生を経験されていて、「子供はもういい」と仰られながら、パソコン通信から連れて来られた詩壇に身寄りのないわたしを哀れと思ってくださったのでしょう。山脈の同人でもないのに、弟子のように親身になって教えていただきました。

天彦さんが二次会でわたしを連れて行くようになって、筧さんはほっとしていらしたのではないかと思うのですが、筧さんは断固として山脈にわたしのことを載せませんでした。仙台大会など、山脈の方がとった写真をわたしに送ってくださったことはあったのですが。「家には同人で鈴切さんの娘(わたしのひとつ年上:後日直接伺ったらもう少しお姉さんでした)がいますから」と、無言でアピールされていました。(自分の娘は自分で面倒を見ろということだと思います。)



「海路」の写真を撮りに天彦さんのお宅に伺った時に、「自分はもうすぐ死ぬから、川島完か、丸山勝久の詩誌に入らないか?話をしてあげるから。」と言っていただいたのですが、前回の千葉県詩集での詩評での「いいことばかりは書けないから、諌川さんは優しいからいいことを書いてくれるからハガキを書いてあげるから」という前例もあるので、断固として「天彦さんじゃなければ駄目なんです(わたしのフィールドを取りこぼしてしまう)」とお返事して「あなたの詩が好きじゃない」と切り返されてしまいました。 

門扉を出て車に乗った後、涙が滲んだのですが、そんなことを言っている場合でもないので家に帰りました。

山脈筧さん追悼号での諌川正臣さんのお言葉の一部です。

 >天彦さんが会長の時、名簿の広告を詩集関係の出版社だけでなく酒造会社にも声をかけてみてはとの話があった。最寄りの酒店で資料を借りて調べたところその数の多いのに驚いた。大手の酒造会社は相手にしてくれないだろうから除外し、あまり有名でない銘柄はと思案していた時、筧さんから何かと助言を戴いた上に、奈良県や福島県の親しい所に一筆書いて下さって、四十社程に依頼状を出したが、清酒業界はビールや焼酎に押されて経営も苦しいらしく結果的には零回答に終わった。このことを通じて、いいお酒を選んで楽しまれている筧さんの一面を知った次第 。

日本詩人クラブの現代詩研究会に参加し、佐久間隆史さん、三田洋さん講師の合評会で、講師からは大変学ばせていただきましたが、フィールドを受けとめるいい機会を持たせていただいたと思っています。
 

[214]鵜飼千代子[2010 10/07 22:33]
http://www18.ocn.ne.jp/~bell103/yanagidafusa.html

柳田國男の蔵書は、成城大学に死蔵されているそうです。大学の先生も、訳知り顔の小学生相手の塾の先生もいるんだから、掴まれちゃったらどうぞ。

天彦さんの詩に「それからそれへ」という詩があります。金子秀夫さんの「原形」13号(1960.10)初出、処女詩集「鴉とレモン」(1962.12.31刊 原形社 発行者 壺井繁治)所収です。詩集の第一章タイトルが「それからそれへ」です。(わたしは1966.7生まれです。1960年、天彦さんは23歳です。)

「現代詩との出会い」を5分聞けば、そういう人だって、わかりますって。その前に3言でわかられちゃって、里見城城趾でソメイヨシノのサクランボを千切ってくださったのかもしれませんが。天彦さんって、ロマンティストなんです。女より男の方がロマンティストっというのは、通説だと思いますが、小娘が喜ぶようなことを、こぼした米粒を拾うかのようになんでもないこととしてなさいます。

「それからそれへ」について、何か書かなくちゃいけないと思ったのか、訳の解らない評を読んだことがあるのですが、わからないなら無理に書かずにスルーしていただいた方が、変な前知識にならずにいいです。これまでのことは仕方が無いので、もうしないでください。

「それからそれへ」は、愛する人への狂おしいまでの想いが描かれています。隣りで眠る愛する人がいつか死んでしまう。「死」への恐れ。流されてはいけないとエッジをかける心。「無かったことになんかしないから、ひとかけらすら灰になんかしないから」という、思い。恐怖も過ぎると笑ってしまう境地の軽妙さで、「ずっと一緒に居て」と深い愛情を書かれている詩です。天彦さんの年譜に、お母様と、長姉の亡くなった年は入っていないといけません。ご本人はいれないでしょうけれど。

天彦さんの蔵書は、散逸したようであって、詩界関係は中村不二夫さんのところに集っているし、同様のものをわたしたちは金子秀夫さんに尋ねられるし、天彦さんが研究していた川路柳虹の資料はまだご自宅に残っているから(美術関係の図録や絵画は佐倉市立美術館に一括して納められている。絵画ほか美術関係書籍800冊余り。入館無料)。寄贈詩書が今程多くなかった頃の「蔵書散逸」とは、少し考え方を変えた方がいいと思います。

心配は、火事を出さないことだけですね。わたしが奥様からいただいてきて保管して、火事で焼けちゃいましたじゃ済まないなんて、思ったりします。けれど、九十九里の「いわし博物館」など、2004年7月に地下にたまった天然ガスに引火し爆発を起こし、職員2名死亡なんていうのもあるから、どこにあっても絶対安全ということはないと思うのですが。

他の方も仰られているように、「いつも試験をされているようだった」というか、何度目の役員面接?という感じはありましたが、碁盤を前に対局しているというのか、わたしは将棋も囲碁も出来ず、父に習った「五目並べ」では、何回か、父を負かしたことがありますが(自慢)、それが普通なんですね。で、その、試験にしか思えないような見守りに、どれだけどちらが笑いを盛るか、それが勝ち負けだったような気がします。もういっぺん、こちらは真顔で、天彦さんに吹き出させたかったな。還って来いよ〜♪ べんべん←三味線の音
 

[213]鵜飼千代子[2010 10/07 20:54]
さぁて、間取りですよ♪
画像の横幅が大きいので、もういっこブラウザを開いてね。

http://po-m.com/forum/upfile/10/101007200908.jpg

左側の突き出た2部屋が、柳田國男が住んでいた離れでしょう。右側が北で、上が西。

集会室C後ろに土蔵があります。その裏は崖です。お風呂は管理棟にあって、男子用は調整中でした。片方だけ稼働しているみたい。

絶対、廊下を走るでしょう?子供も、知らない大人も居なければ、ガンダム見に行っちゃうような大人は、自分も走っちゃいそうでしょう?懐かしくて。少年少女に戻っちゃう。(笑)

で、一室だけ借りて宿泊するとしたらどこの部屋にします?広くても狭くても料金同じだし。一組だけ利用の場合、どういう料金になるのか聞きそびれちゃったけれど。

土蔵の方は怖いとして、離れの10畳だと、お手洗いもお台所も遠いでしょう?で、他のお部屋が全部真っ暗だと、かえって怖かったり。

お台所にもお手洗いにも近い場所だと、集会所Dかなとか、でもそうすると、なにか緊張感というのか、「合評会ですよ」っていう空気感が薄いかなとか。

そうすると、集会室Bになるのかしら。なんて、あんなこと、こんなことを考えながら、想像力の訓練をしてくださいね!
 

[211]鵜飼千代子[2010 10/06 23:07]


入場です!



母屋です。ちっちゃい頃出掛けていたら、ぐねぐねの廊下を走り回り、締まっている襖をあちこち開けてかくれんぼや、こっちだよーが出来る広い日本家屋です。子供を連れて行ったら、絶対やる。障子に、花形のツギがいくつもあったもの。空けたのでしょう。連れて行った人障子紙買って来て、障子張り体験までさせればいいのに。(笑)






母屋の三和土のところに写真が二枚



正面に写真が4枚かかっています。柳田國男に関わることが見えるのは母屋ではこれだけ。土蔵を見ないと、子供たちにとって、普通の和室の集会所かな。



ヤマモモの木



この「追い羽根」のような実を成らせる木はなんだろう。管理人さんも知らなかった。



著書



遺書とも言われる『海上の道』の資料。
わたしも天彦さんが書いている花の写真を撮ろうと思っていたけど、別冊的に参考資料になりますよね?詩だけで成立するものに、過剰説明は不要だとおもうけれど。児童文学や教科書の時は別だけど。



愛情感じません?地図の板だけ注文して、あと手作りですよね、きっと。いや、業者にやらせましただったらごめんなさい。



祠の説明。これが初回来た時も少し怖かった。裏山も鬱蒼としていて。最初に建っていた場所もここなのかな。町の名士に寄贈された土地のようなことは書かれていたけど。球の石がないからかな。でも、霊場で感じる人は少し来ると思います。



この蔵の中は、複製の球が置かれているのですが、少し来ますね。

【徳満寺間引き絵馬】を撮影したものか複製か、全紙大に伸ばしたものは飾られていました。



金木犀が咲いていました。
天彦さんの「おじいさんと花12」が金木犀なんだけれど、
>香りが高いのが金 上品なのが銀です
とあります。ギンモクセイを日本で見つけるのは大変ですって。中国旅行でご覧になったのかしら。

こうやって、詩と会話をしています。(笑)
突っ込みどころがないと会話出来ませんから。

とても親しかった田山花袋への書簡も飾られていました。田山花袋記念館から借りているものとのこと。当たり前ですが、出した側に手紙の原本は残っていないですよね。

もったいないので、出掛けてご覧ください。
 

[209]鵜飼千代子[2010 10/05 22:11]
今日は休みだったので、利根町立柳田國男記念公苑へ行って来ました。東京の府中に村野四郎の記念館があるということを知って行ってみたいと思ったのですが、近くに文学者の記念館があったと思い出したのです。10年以上前かな、一度行ったことがあるのですが、印西の隣町で、利根川を渡ると直ぐなんです。
http://www.town.tone.ibaraki.jp/kyo_bunka/yanagita/index.html

世田谷の自宅から移植したヤマモモの木なんてのもありました。旧小川家の母屋を再現した建物が、研修室兼となっていて、土蔵が資料館です。柳田国男の記念館は全国あちこち縁の地にあるようなのですが、資料は少ないながら、町が大切にしているなという印象を受けました。管理の方に伺ったのですが、ここ、貸し布団で宿泊も出来るらしいです。町民かどうかは関係ないとのことでしたが、まだ確認していません。怖くない人は、こちらで合宿や合評会などもいいのではないでしょうか。大風呂もありました。台所もあり、確認はしませんでしたが、ナベや食器も備えられているとのこと。子供たちが合宿で使ったりもするそうです。
http://www.town.tone.ibaraki.jp/kyo_bunka/bunka/bunka_shisetsu.html#05

交通の便が悪くて車じゃないとちょっときついかな。健脚の方は、成田線の布佐から歩くらしいです。一部屋の金額ですからね。部屋数多いですけど。
http://www.edu-tone.jp/yanagida.picture/kunio_yanagida.htm

それで、レポートはまた稿を改めて。

詩人立原道造の記念館が休館へ 「寂しい」と名残惜しむ声
http://www.47news.jp/CN/201009/CN2010092501000567.html

こういうのを見ると、本当に厳しいんだなって思うんですけど。田村別荘のことも思い出す。

村野四郎記念館はこちら。
http://d.hatena.ne.jp/k-hisatune/20080908

自治体でやってくれているところは残るのかな。合同展のような形で連絡が来た時にも、これはいらないと思ったものが、それが大事だったのにーってことになると困るので、なかなか出歩けませんが記念館見学で勉強させていただきたいと思います。
 

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